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192 知己朋友

先日閉幕した東京オリンピックでは、柔道やスケートボードのようにメダルを量産した種目があった一方、期待通りの結果を残すことができなかった種目もありました。
その代表格がバドミントンでしょう。

最大の番狂わせは、世界ランキング1位・桃田選手の一次リーグ敗退です。

その翌日、女子ダブルス世界ランキング2位のナガマツペアこと永原・松本ペアが、最終ゲームを26対28で失い、準々決勝敗退。
その数時間後、同1位のフクヒロペアこと福島・廣田ペアも釣られるように敗れました。
ベスト4に進出していたら、日本人ペア同士の対決だったのですが、その前の試合で共に敗れるという皮肉な結果となりました。

女子シングルスの奥原選手(同3位)、山口選手(同5位)も揃って準々決勝で姿を消しましたが、混合ダブルスのワタガシペア(渡辺・東野ペア・同5位)が銅メダルを獲得し、一矢報いることができました。

勝負は時の運とも言います。
必ずしも強い者が勝ち、弱い者が負けるとは限りません。

数々のトラブルに見舞われながら、オリンピックの舞台で戦った桃田選手の姿は王者そのものでしたし、フクヒロペアの廣田選手は膝に大怪我を負ったにも関わらず、不屈の精神で試合に臨みました。

日の丸を背負い、勝って当たり前という重圧は、私には計り知ることすらできません。
まずは、ゆっくり休んでいただきたいと思います。

かくいう私も、高校ではバドミントン部に所属していました。
といっても全国大会などとは無縁の実力で、最高位は東京都男子ダブルス新人戦でのベスト8です。

コンビを組んでいたのは、同級生のコバヤシ君。
入部してまもなくペアを組み、高3の夏まで一緒にプレイしました。

私は試合になると闘志を前面に出すタイプでしたが、コバヤシ君は飄々とプレイするタイプ。
得意なパターンは、ワタクシが前衛、コバヤシ君が後衛に回っての攻撃。
キレのあるスマッシュを連続で打ちまくるコバヤシ君と、甘いレシーブを見逃すまいと前衛で動き回るワタクシのコンビネーションが自慢でした。

コバヤシ・ヤマダのコバヤマペアは(そう呼ばれてはいませんでしたが)、シード権を持っていたので、2回戦から出場することが常でした。
しかし、2年生のとき、危うい対戦がありました。

試合直前、お互いコートで軽く打ち合うのですが、相手チームの放つショットが、どうひいき目に見ても我々より上だな、と感じました。
最初の試合で負けてしまうと、次の大会からはシード権を失うことになります。

真っ直ぐなコバヤシ君は、普段通り試合前練習を続けていました。
一方、不埒な私は、何か策はないかと頭を巡らせていました。

弱ったな、とシャトルを打ち合う相手のユニフォームを何気に見遣ったそのとき、私の中で電球がピカッと点灯しました。

私は2Fの応援席を眺め、一番気の利く後輩のアオキに向かって、すぐにコートへ降りるよう合図を送りました。
そして、コバヤシ君にちょっと待ってと声をかけ、駆け降りてきたアオキに知恵を授けました。

そろそろ試合開始の時間。
トスをしてサーブ権を決めていたそのとき、相手チームの主将に向けて本部席へ来るよう館内放送が流れました。
対戦相手のペアは怪訝な表情をしていましたが、そんなことは意に介さず、「頼むぜ、コバヤシ!」と檄を飛ばし、気合い十分を装いました。
そして、試合が始まってまもなく、再び館内放送が流れました。

「第☆コートの☆☆高校の選手は、大会規定のゼッケンを着けていないため、失格といたします。」

憮然とした面持ちの相手チーム。
落胆する応援席の女子部員。

キョトン顔のコバヤシ君。
笑いを隠すのに精一杯のワタシ。
2階席でガッツポーズする後輩アオキ。

部活を引退するまで、シード権はなんとか死守することができました。

卒業式の日、大学に行ってもバドミントンを続けると言っていたコバヤシ君。
大学では、まず彼女探しだと、邪な道を歩む宣言をした私。
40年以上疎遠になっていますが、還暦を迎えるにあたり、ぜひ会ってみたい1人です。

バドミントン部に関して、忘れられない思い出がもう1つあります。

入部してまもなく、学校で実力試験(校内模試)が実施され、ワタクシ、学年8位の成績を取りました。
そのニュースを知った2年生のウエノ先輩から声を掛けられ、2学期の試験結果も報告するよう命じられました。

迎えた2学期の実力試験。
私は順位を1つ上げ、学年7位となりました。
それを知ったウエノ先輩は、3年生のアオキ部長(ガッツポーズのアオキとは別人です)にこう報告したそうです。

「1年生の山田が2回続けて実力試験で好成績を上げました。ひょっとするとワタナベさん以上かも知れません。」

ワタナベさんは私より5〜6つ上の先輩で、現役で一橋大学に合格した、バドミントン部史上最強の秀才です。

「山田、ワタナベさんのことは知ってるな。期待しているから頑張れ。」
アオキ部長直々に呼び出され、そう発破を掛けられました。

私の通っていた高校は男子校で、1クラスがおよそ55人。
A組からN組までありましたから、1学年750人以上の生徒がいたことになります。
その中での7位です。
なかなか立派だと思いませんか。

そうこうしているうちに3学期の実力試験。
その結果は・・・・
110位。

ウエノ先輩から、コテンパンにしごかれました。
「お前のせいでオレまでアオキ部長に叱られたんだぞ、バカヤロー!」
だからまぐれだって言ったじゃん・・と思いながら、ホントは優しいウエノ先輩のしごきに耐えました。

ウエノ先輩は昨年還暦を迎えたんだなあ。
アオキ部長はさらに1つ上か・・。
先輩たちにも会ってみたいなと、還暦オヤジはノスタルジックになるのでした。

188 真剣勝負

セガレが通う学校は中高一貫の男子校です。
毎年5月中旬には体育祭が行われ、白、赤、青、黄の4つの組に分かれて競います。

この色は入学時に言い渡され、卒業まで、いや、極端な言い方をすれば、一生「自分の色」になります。

学校全体を縦割りにし、それぞれに色を割り振って体育祭を行う学校は多いと思いますが、クラス替えなどに関係なく、中1で与えられた色に6年間所属するのは珍しいかも知れません。

そして、この色は、卒業後も非常に大きな意味を持っていて、先輩や後輩に会うと「何色?」と確認し合い、同じ色だと分かると、瞬時に親密度が上がるのだそうです。

さて、体育祭でこの色集団を率いるのは、四役と呼ばれる高校3年生です。
団長、副団長、応援団長、副応援団長で構成され、この4人がヒエラルキーの頂上に君臨します。

また、その他の高3メンバーがその脇を固め、「学担(学年担当)」として下級生の競技指導に当たります。
因みに、セガレは高2の学担を務めています。

学年別に決められた競技種目は毎年変わることはなく、種目別攻略法の奥義が、色ごとに引き継がれています。

もちろん、ルールの変更などにも対応しながら、毎年臨機応変に戦術は練り直されます。
早く走ることより慌てて失格にならないことに重きを置こうとか、多少のリスクを冒してでもタイムを詰めることを第一の目的にしようとか、下級生に細かな戦術を指示するのが学担の任務です。
どうしたら他の組を圧倒できるか、どうやって順位を上げるか、来る日も来る日も議論し、分析し、探究し続けます。

ですから、何度も思慮を重ねた末の戦法が見事にかみ合い、自分の担当競技が好成績を収めると、学担は涙して喜びを分かち合います。

いわんや、優勝の栄に浴した四役は、カラダを震わせて歓喜に浸ります。

ん・・、青春っていいですね。

そして、体育祭当日。
高3だけは、所属する「色」に髪を染めることが許されます。
ここでも、高3の心意気が爆発することになります。

ということで、セガレもこのようになりました。
所属の色は、見ての通りです。

年間を通じて、非常に重要な行事と位置づけられている体育祭ですから、間違っても「運動会」と呼ぼうものならひどく叱られます。

ところが、昨年はコロナ禍で中止を余儀なくされました。
過去、雨天による中止が一度だけありましたが、予期せぬ感染症のために中止せざるを得なかった昨年の四役の無念さは、推し量ることができません・・。

そして、今年。
2日に分けての分割開催に加え、OBや保護者、入学志望の小学生などの見学は許されず、無観客での開催ではありますが、ともあれかくもあれ、中止は回避することができました。
しかも、当初の予定を延期し、先生と高3が協議を重ね、ほかの学校行事予定を動かすなどの苦労の末に、開催に漕ぎ着けました。

幸い天気予報は悪くないようです。
学生生活の貴重な1ページになるよう、親として祈るばかりです。

最後に、日曜日の午後、ほかのお客さんの予約を全て断り、まるで我がことのようにカラーリングをしてくださった美容院「FRAU」の渡瀬先生に、深く感謝したいと思います。

184 一意奮闘

2月1日。
東京では今年も多くの私立中学校で入学試験が行われました。

私のセガレも5年前に経験しました。
もう5年も経ったのか、というのが正直な感想です。

セガレの学校では、入試の手伝いをするのは高校2年生という決まりがあるそうで、自ら申し出たそうです。

受験前々日、机と机の間にアクリル板を設置するなど、主に教室の準備を手伝いました。
そして、受験当日は、例年ならば教室から答案用紙を回収する役割なのですが、接触を減らすため、今年は裏方の仕事に徹したとのこと。
コロナ対策に、ずいぶんエネルギーを消費したことと思います。

一方の受験生も、ここに至るまで、数えきれない苦労があったと察します。
間違いなく、対面授業は減ったでしょう。
模擬試験は通常通り行われたのでしょうか・・。
仲間と切磋琢磨する機会が、例年よりも奪われたのでは、と心配です。

セガレの学校の合格発表は、試験翌日の2月2日。
即ち、即日採点をする訳です。

毎年、先生方は夜遅くまで採点作業に追われ、終電で帰ることになるのだそうです。
しかし、今は終電時間が若干早まっているご時世ですから、例年以上に早く作業をしなければなりません。

新型コロナにより、入試を受ける側にも迎える側にも、火の粉が及んでいます。
なんか無性に悔しく思います。

因みに、受験生が最後の科目「理科」の試験を受けているとき、入試の手伝いをした学生に、学校からお弁当が支給されたそうです。
うな重が出るらしいぞ、との噂を聞いていたそうですが、今年も出ました「うな重」。
学生に配られるのだからダイエットしたうなぎだろう、と思いきや、めっちゃ美味かった!と申しておりました。
セガレたちがどれほどの役に立ったのかは疑問ですが、学校側の配慮に感謝ですね。

さて、それでは最後に、本日の入試問題から、算数の問題をひとつご紹介します。

2021、6564のように、連続する2つの2けたの整数を並べてできた4けたの整数を考えます。

⑴このような整数は何個ありますか。

⑵このような整数すべての平均を求めなさい。

⑶このような4けたの整数のうち、47の倍数をすべて求めなさい。

紙と鉛筆を持ち出して真剣に考え、⑴と⑵は解けました。

そして、⑶は、「今年は2021年だから、大抵こういう数字が答えになるもんだ」と高を括って2021を47で割ってみると・・、

やっぱりね、割り切れました(ドヤ顏)。

設問の冒頭に表示しちゃったりして、なんてことないなと思いつつ、先に進みます。
えーと、最初の2つの数字があとの数字より小さい場合、例えば2021なんかは「100a+a+1」と置き換えられるから、即ち、これが47の倍数になればいいわけで、ん??ありゃりゃ・・・・。

結局ほかの値は、分かりませんでした・・。
すべて求めよ、ですから解がひとつであるはずがありません。

正しくは、2021を含めて、全部で4つあるのだそうです。

小学6年生が挑む問題、なかなか侮れませんね・・。

183 局面打開

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

上記は、弊社近くの深川資料館通り商店街、善徳寺北側に出現する正月飾りです。
毎年楽しみにしているのですが、実は、昨年は設置されませんでした・・。
コロナ禍の今年も見られないだろうなと諦めていたので、非常に嬉しく思っています。

今年の干支をはじめ、富士山や松竹梅、東京タワーやスカイツリーが描かれた、まさに正月気分が高揚する絵柄です。
こういう日本らしさは、今後もぜひ継承して欲しいと思います。

厳しい社会情勢のなか、お正月を豊かな気持ちにしてくださった方々に、深く感謝いたしたいと思います。

さて、去る7日、2度目の緊急事態宣言が関東の一都三県に発出されました。
まだ、松の内だというのに、物騒なことになってしまいました。

その影響もあって、成人式が各地で中止になっているようです。
節目の儀式が開催されないのは、残念で悲しいことです。

私の成人式は、39年前。
文京区の式典は、茗荷谷の拓殖大学で開催されました。
小中学校時代の友人と久しぶりに再開し、楽しかった思い出が残っています。
着慣れないスーツの胸に薔薇の花を差して、写真を撮ったりしました。

また、ホテルの写真室で記念撮影をしてこい、と父に言われ、親友を誘いました。
1人ずつ撮影したあと、何故か2人で一緒に撮る運びとなり、20歳の男のツーショットを撮りました。
椅子に座った私の肩に親友が手をのせた1枚は、両家の家族からどうしてこのポーズかね、と冷やかされました。
もちろん、カメラマンの要求に従っただけですが・・。

成人式以外にも、卒業式や入学式など、様々な行事が中止に追いやられています。
若き日の記念すべき1ページが白紙になってしまうのは、なんともやるせない思いがします。

我が家のセガレも、昨年予定していた修学旅行が来月下旬に延期になっています。
果たして実施できるのか、現時点では非常に危うい状況です。
また、昨年中止になった体育祭についても、今年の開催はまだ不透明です。

来週は、大学入学共通テスト(旧センター試験)が行われます。
今月後半からは、中学受験も始まります。
不自由を強いられた今年の受験生に幸あれと祈ります。

誰もが、1日も早いコロナの収束を祈っています。
政治批判をするのは簡単ですが、今、出来ることを精一杯頑張る、これに尽きるかと思います。

154 上下一心

先週末は、仕事にプライベートに充実した時間を過ごすことができました。

まず土曜日。

セガレの通う高校(中高一貫の男子校)で、体育祭が開催されました。
生徒たちは入学時に与えられた赤・白・黄・青の4色に分かれて、優勝目指して戦います。
この色は、卒業まで変わることはありません。

各色とも縦に4分割されるので、中1から高3までが団結しなければなりません。
その旗振り役を担うのは、「4役」と呼ばれる高3の幹部です。
団長・副団長・応援団長・副応援団長によって構成される4役は、その色の象徴的存在であり、その年の体育祭の顔でもあります。

4役はじめ高3の役員らは、年の離れた後輩たちに、競技ごとの秘策や心構えなどを熱血指導します。
「高3になったら4役になる」と心に秘めてきた役員たちですから、体育祭への思い入れは生半可なものではありません。
勝っても負けても、4役らの熱き思いは、下級生へ引き継がれていきます。

なお、高3だけは、体育祭当日に限り、髪を自分の所属する色に染めることが許されます。
そして、この「色」に対する意識は、卒業後も続きます。

私のお客様で、セガレの大先輩にあたる医師がいらっしゃいます。
その先生に入学の報告をしたところ、

「合格おめでとう!で、何色?」

と質問されました。

何組?とか、担任は誰?とか聞く前に、まず色を確認するのが通例であることは事前に抑えておいたので、「青です!」と即答できました。

以前、学校主催の講演会に参加した際、登壇した同校OBの演者がこう自己紹介していました。

「昭和☆年卒の☆☆☆☆です。あっ、色は赤です。これを言わないとダメですよね。」

これを聞いた途端、会場にいた赤組の現役学生から、大きな拍手が湧きました。
同窓が絆を深めるツールとしては、簡単明瞭でとてもいいなと思います。

さて、体育祭当日。
天気は晴れたり曇ったりの運動日和。

セガレの所属する青組は優勝から8年間遠ざかっており、入学後の成績は、4位、2位、4位。
チャンスは今年を入れて3回。
在学中に優勝を経験できなかった先輩たちの無念な思いも抱いて、ぜひとも今年は栄冠を勝ち取って欲しいものです。

果たして、結果は・・・・、

848点を獲得した、青組が優勝しました!!

ただ優勝だけを目指してきた青い髪の少年たちは嬉し涙を流し、最大5つも年の離れた後輩たちと勝利の喜びを分かち合う姿は、青春そのものでした。

一方、応援席では、運営のサポートに尽力した高3の母親たちも、抱き合って号泣していました。
たかが子供の体育祭、では片付けられないドラマを見た気がしました。

私とカミさんにとっても、初めて勝利の余韻に浸りながらの帰路になりました。
せっかくだからと、少し遅れて下校したセガレと渋谷で待ち合わせ、家族3人でささやかな祝勝会を開きました。

そして、翌日曜日。

6時30分に起床し、すぐに仕事に取り掛かりました。

例年、体育祭ではギラギラの太陽に体力を奪われ、その翌日はボロ雑巾のようになってしまうのですが、今年は曇りの時間帯もあったためか、元気に日曜日を迎えられました。

それでも、体育祭をただ座って見ていただけ、もっと言えば、一番気温の上がる時間帯には食堂へ避難して居眠りをしていたにも関わらず、太ももの筋肉痛を抱えながらの仕事となりました。

長椅子に座っていただけで、どうして筋肉痛になるのか理解不能ですが、朝から仕事に向き合えたので良しとします。

そして、午後は、東京国際フォーラムで「葉加瀬太郎・高嶋ちさ子・古澤 巌〜3大ヴァイオリニストコンサート 2019〜」を鑑賞しました。

素晴らしい演奏と、高嶋ちさ子さんの毒舌トークについては、またの機会に書きたいと思います。

139 博学多才

先日、一人で映画を見に行きました。
定年退職後の男の悲哀を描いた、内館牧子さん原作の「終わった人」です。

東京大学を卒業後、メガバンクに就職し、エリート街道を走っていたものの、同僚との昇格争いに敗れ、出向先の子会社で定年を迎えるという設定でした。

主演を演じていたのは舘ひろしさん。
スクリーンに映る姿で印象的だったのは、すごく足が長いこと。
そして、スーツがハンパなく似合うこと。
68歳という実年齢とはかけ離れたビジュアルに、大変驚きました。

ところで、私は、東京大学本郷キャンパスから歩いて20分ほどの場所で生まれ育ちました。
しかし、立地的な距離は近くても、偏差値の面では非常に遠いところでした。

ところが、私の実家の近くには、東大出の方がたくさんいます。
実家の向かいのご主人が東大。
2軒となりの息子さんも東大。
なんでも「東大通り」と呼ばれる、東大率が異常に高い一角も近くにあるそうです。

私の同級生にも東大に進んだ仲間がいます。
ひとりは、中学3年のとき斜め前に座っていた青木君。
確か、30代にして、どこかの大学教授に就任したはずです。

そして、同じく中学の同級生で伊藤君。
奥様はテレビ等で有名な方です。

それから、もう一人、印象的な東大生がいます。
セガレの通うピアノ教室で知り合った、現役3年生のTちゃんです。

彼は小さい頃から、抜群にピアノが上手でした。
将来はその道に進むのではないかと思うくらい、その実力はほかの生徒と完全に一線を画していましたが、本人もお母さんもその力量をまったく鼻に掛けないところがまたニクイのです。

中学高校は都内でも指折りの私立学校に進んだのですが、「6年生の秋頃になって急に受験するなんて言い出して・・。本当に計画性がないんです・・。」なんてお母さんは謙遜するのでした。
小学校低学年から塾に通って受験体制を整えている子供がいる反面、彼はわずか半年足らずの準備で合格を果たした訳です。

当然、東大も一発合格・・、ではなく、ここではちょっと回り道をしたようです。
現役のときは運悪く不合格となり、私立の雄と称される大学に一旦は入学しましたが、どうしても東大への夢を諦めきれず、翌年再チャレンジして見事合格を勝ち取ったのです。

もちろん、陰で相当勉強を積んだのでしょうが、いとも簡単にリベンジしたように見えるんですね。
イチロー選手が、スルッと偉業を達成しちゃう、そんなイメージに似ています。

凡人とは、何かが違うんでしょうね・・。
そして、その何かが決定的な差なのでしょうね・・。

サイトによると、平成30年度の一般入試の募集人員は、文科一類から理科三類まで合計で2,960名だとか。

「東大ってさ、毎年2,960人も入れるんだぜ。約3,000人の中に入ればいいんだからさ、ひょっとしたらイケるんじゃない?」

セガレに鎌をかけてみました。

「ああ、だいじょぶっしょ。」

無責任な質問を投げる親に、中身スッカスカの答えを吐き出すセガレ。
like father, like sonですね・・。

123 才子多病

幼い頃悩まされた自家中毒という病が一段落すると、次は、起立性調節障害という病気をいただきました。
学校の朝礼などでずっと立っていると、貧血のような状態に陥り、頭がフラフラして立っていられなくなるのです。

バタンと倒れてしまうことはありませんでしたが、近くの友達に「ゴメン、ダメ」とサインを出すのが常でした。

この起立性調節障害、Orthostatic Dysregulationを略してODと呼ばれています。
思春期に起こりやすい自律神経機能失調と考えられていて、急激な身体発育のために自律神経の働きがアンバランスになった状態、と説明されています。
主たる症状は以下のとおりです。(引用:http://inphs-od.com)

  1. 朝に起きられない
  2. 立ちくらみ
  3. 全身倦怠感
  4. 食欲不振
  5. 立っていると気分が悪くなる
  6. 失神発作
  7. 動悸
  8. 頭痛
  9. 夜になかなか寝つけない
  10. イライラ感・集中力低下

私の症状は、4と5でした・・。

検査をしても異常がなく、医学的に説明がつかない症状を「不定愁訴」というのだそうです。
起立性調節障害は、血液検査など一般的な検査では異常がみつからないため、不定愁訴と同じように扱われることがよくあるとのことです。

この病気に小児科医が注目を寄せ始めたのは1960年代だそうですから、1961年生まれの私が、単に「ひ弱な子供」として処理されずに起立性調節障害と診断されたことは、運が良かったと言えるかも知れません。

また、ODの子供たちの約3割は不登校を合併しているそうですから、私よりもっともっと深刻なケースも多いでしょう。
不定愁訴が疑われる子どもに対して、医師は起立性調節障害かどうかしっかりと診断して欲しいと切に思います。

そういえば、印象的な出来事がひとつあります。
小学校5年生頃、体育館で校長先生の話を聞いていた時のことです。

「おい、山田、大丈夫か?」
「え???何のことですか???」
「何言ってるんだ、お前、いつも具合が悪くなるじゃないか。」
「はあ、今日は全然平気です・・。」

担任の先生に声を掛けられるまで、その日は何の異常もなく、至って元気でした。
ところが、声を掛けられたことで「思い出してしまった」のです。
そりゃそうだ、オレってこういう時にちょいちょい具合悪くなるよなあ、と。

それから10分もしないうちに、前にいた友達の背中をつつきました。
「わりー、具合悪いわ。」

ワタクシ、わりと繊細な少年でありました。
そして、健康面では両親にずいぶんと心配を掛けた少年でした。

加えて・・、
才知に優れた人はとかく病気がちであるというけれど、才知と病気のバランスが取れていないなあと、自らの子供時代を嘆くのでした。

094 合縁奇縁

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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上の写真は、昨年も紹介した弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りです。
どんなイラストが飾られるのか、私の年末の楽しみになっています。
今年は、大きなニワトリのバックに雪をかぶった富士山。そして、松竹梅が描かれています。
江戸時代に貯木場として栄えた地に相応しい、新年に打って付けの目出度い装飾ですね。
お正月を彩ってくれる、地元商店街の皆様に感謝したいと思います。

話は変わりますが・・、
去る1月3日、セガレが1年前まで通っていた学習塾へ、久しぶりに顔を出しました。
目的は、中学受験がすぐ間近に迫った現役生を励ますためです。

自分が生徒の時にも、折に触れて先輩方が激励に来てくれたそうです。
合格の秘訣や失敗談を話してくれたり、入学後の中学生活について聞かせてくれたり、帰り際には、お菓子を配ってくれたのだそうです。

この時期、世間がお正月モード全開なのに対して、「正月特訓」真っ只中の現役生は、お正月気分に浸ることも許されず、塾の休みは元旦だけ。
セガレが受験生の前で有益な話ができるとは思っていませんが、受けたご恩をお返しし、人のために時間を使うことの大切さを教えるには絶好のタイミングと思い、差し入れ用に合格祈願の定番お菓子「キットカット」を買って、塾に向かわせました。

塾が指定した時間は、午前最後の授業がそろそろ終わりに近づく頃でした。
セガレの出番は、生徒たちがお弁当を食べ終わり、午後の授業が始まるまでの時間帯です。
時間が来るまで事務室で待機し、その後、教室で15人ほどの後輩の前で話をしたそうです。

自宅に戻ってから話を聞くと、事務室で待っている間、塾長をはじめ、多くの先生方がセガレを覚えていてくれて、様々お話しが出来たのだそうです。
11ヶ月ぶりに顔を出した卒業生を快く迎えてくれ、先生と生徒という関係でなくなった今もご縁を繋げてくださったことを、とても有難く思いました。

また、偶然にも塾長はセガレの学校の先輩にあたりますので、塾長が通っていた頃の学校と現在との違いなどについて、具体的にお話し出来たことも楽しかったようです。

かつて、遊びたい盛りの小学生を塾に通わせることの是非について迷ったこともありますが、我が家にとっては間違っていなかったのかな、と思いました。

「ご縁」という言葉が私は好きです。
英語にすると「meeting」とか「chance」などが該当するのでしょうか。
でも、微妙なニュアンスが伝わらないですね・・。
やっぱり、日本人に生まれて良かったな、と思います。

078 無妄之福

今日10月1日は、都民の日です。

東京生まれ東京育ちの私にとって、都民の日は「お得な休日」という感覚でした。
カレンダーは赤く表示されていないのに、学校に行かなくていい日でしたから。

そして、「1日は休みか!」と直前に気付くことが多かった記憶があります。
「10月10日体育の日」に比べると、都民の日は忘れがちだったように思います。

まずは、制定の経緯を、東京都生活文化局のサイトから引用します。
(http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/keishou/0000000248.html)

「都民の日」のいわれは、明治時代にさかのぼる。
府県や市町村という地方制度は、明治11年の郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則という三つの法令をはじめ、同21年の市制町村制、同23年の府県制、郡制などの法令によってだんだん形作られた。そして同22年5月には、明治元年から置かれていた東京府の中に新たに東京市も誕生した。
しかし、この東京市は、京都、大阪の2市とともに、その誕生直前に公布施行された市制特例という法令によって、他の市にくらべて、市民の市政参加への道が大きく制限されていた。市は置かれたというものの、市長と助投の仕事は国が任命した府知事と府書記官が行い、また市投所の建物もなく市の職員もいないという制度だった。
こうした自治の制限に対し、市民の市政参加の道を広げようとする運動が市会を初め市民の間でねばり強く続けられた。そして明治31年になって、市制特例は廃止され、同年10月1日には、市会によって選ばれた市長をもつ新しい東京市が誕生し、市役所も開設された。この新しい東京市誕生の歴史を忘れないため、大正11年10月1日「自治記念日」に定められ、その後、自治の大切さを自覚しようという願いをこめて、昭和27年に「都民の日」となった。

すぐには理解しがたい社会状況ですね・・。時代を感じます。

調べてみると、東京都以外にも同様の日があるようですので、いくつか紹介しましょう。
(制定していない道府県が結構多いことも申し添えておきます。)

秋田県(8月29日・秋田県の記念日)
1871年8月29日、廃藩置県で秋田県が誕生したことに由来

群馬県(10月28日・県民の日)
1871年10月28日(旧暦)、廃藩置県で群馬県が誕生したことに由来

埼玉県(11月14日・県民の日)
1871年11月14日(旧暦)、廃藩置県で埼玉県が誕生したことに由来

山梨県(11月20日・県民の日)
1871年11月20日(旧暦)、甲府県が山梨県に改称されたことに由来

長野県(2月7日・長野の日)
1998年2月7日、長野オリンピック開会式が行われたことに由来

鳥取県(9月12日・県民の日)
1876年に島根県に編入されて消滅した鳥取県が、1881年9月12日に再び分離独立して、現在の鳥取県が誕生したことに由来

大分県(11月14日・県民の日)
1871年11月14日(旧暦)、廃藩置県で大分県が誕生したことに由来

沖縄県(5月15日・本土復帰記念日)
1972年5月15日、アメリカ軍政下にあった沖縄県が日本に復帰したことに由来

廃藩置県、オリンピック、本土復帰・・・・、様々な由来があるんですね。
しかし、東京都のように公立学校を休校にしているのは以下の5県のみです。

千葉県(6月15日)
群馬県(10月28日)
茨城県(11月13日)
埼玉県(11月14日)
山梨県(11月20日)

東京周辺に偏っているのは、偶然なのでしょうか・・。
せっかくなので、他県の記念日も学校が休みになればいいのに・・とも思います。

私は、横浜の大学に通っていましたが、神奈川県にはそもそも県民の日が制定されていません。
横浜市は、6月2日を開港記念日として市立の学校を休みにしていますが、国立大学には無関係。
都民の日っていいなあ、と強く感じたのは、大学生の時だったかも知れません。

因みに、今年の都民の日は土曜日ですから、来年は日曜日になります。
しかし、国民の祝日とは違うので、月曜日が振替休日にはなりません。
来年、都内の学生達は1日損をしたような気になるのでしょうね。

076 百人百様

この週末、セガレの通う中学校では文化祭が催されました。
1年前は受験生の親という立場で見学した文化祭を、今年は生徒の親として参加する訳で、感慨深い思いとともに、月日の経過の早さを感じます。

しかし、親と子供のテンションには、ちょっと温度差があるな、と感じました。
というのも、セガレの所属する卓球部は、練習試合も企画も展示も特にないとのこと。
中学1年生としての企画には参加するようですが、本人はさしたる思い入れはない様子。
終いには、自分が担当として企画に携わる時間帯には来てくれるな、と。

友人といるところに自分の親が現れるのを恥ずかしいと感じる年頃、なのでしょう。
「明日は親が来るんだよ。いやだなあ」と友人のM君も言ってたとか。

まあ、分かる気がします。
振り返ってみれば、自分にも思い当たる節がありますので。
確か「お母さん」から「おふくろ」に呼び方が変わったのは13〜14歳だったと思います。
「お母さん」と呼ぶのはえらく恥ずかしいしカッコ悪い、と感じたのを覚えています。

ふたつ上の姉に対しては、「おねえちゃん」が「姉」になりました。
そうです、「あね」と呼ぶようになったのです。
アクセントは「あ」のところです。
「橋」ではなく「箸」と同じアクセントです。
どうでもいいことですね…。

さて、肝心の文化祭は、私の親友であり、セガレの大先輩にもあたるたけちゃんが来校してくれたお陰で、2倍楽しく過ごせました。
イベントや企画、展示などを様々見て回りましたが、往々にしてオタクと称されがちな部員たちの活躍が光っていました。

例えば生物部。
大量の生物の標本の前で、詳細に説明をしてくれたのは、とても頼もしい高校2年生でした。
蝶と蛾の違いを解説してくれたり、害虫ではないゴキブリの話を聞かせてくれたり。
将来はその道に進むと?と聞いたら、「これでは稼げないですから」と。
なかなか、しっかりした学生さんでした。

例えば天文部。
OBのたけちゃんによると、手作りプラネタリウムが昔から有名なのだそうです。
LEDを1500個使用した段ボール製のプラネタリウムは、なんと作成期間11ヶ月。
文化祭が終わったら解体し、すぐに来年の文化祭の準備に取り掛かるのだそうです。
大きさは直径5メートル、高さ3メートル。
東京ドームのおよそ7300分の1です、との説明は笑いを誘っていました。

例えば日本の城研究会。
天守閣のあるお城は現存12あって、関東以北では弘前城が唯一だと教えてくれました。
夏合宿での研究成果も掲示してありました。
走って、腹筋鍛えて、腕立てやって、だけが合宿じゃないんですね。

みんなちがって、みんないい。
金子みすゞさんの言葉を思い出しました。