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228 呉下阿蒙

ずいぶん前のことですが、「夫・元木大介はカレーが食べられない」という記事をネットで見つけました。

元木さんといえば、上宮高校から読売ジャイアンツ入団し、あの長嶋さんから「くせ者」と呼ばれた、誰もが知る元プロ野球選手です。

カレーが食べられない人っているんだ・・・・と思いながら、奥さんの大神いずみさんが書いた記事を読み進めていくと、どうやらその原因は、野球の合宿にあるようです。

中学のころの夏の合宿で、暑い中いつもよりしんどい練習が何日か続き、水も自由に飲めなかった時代。 ある日の昼食にカレーが出て、制限時間内にかき込んで、また暑い中練習に戻った時…とうとう暑さとキツさで戻してしまったらしい。 それ以来、それまで大好きだったカレーが、全く食べられなくなってしまったのではないかというのだ。 もう35年以上むかしの話だが、これぞトラウマ、という話。 そして今も夫は、我が家のカレーが食べられない。勿体無い。そして、何だか気の毒でもある。

私は高校時代バドミントン部に所属していましたが、真夏でも窓を閉じ、カーテンも閉めた体育館内で激しい練習を行い、水は飲んではならぬという練習を繰り返していました。
今では禁じられている、うさぎ飛びやおんぶ走りも日常的トレーニングでした。
大きな事故なく過ごせましたので笑い話と化しましたが、私が若い頃は、今となっては信じられないような指導がたくさんありました。

中学生のときの出来事がきっかけで、カレーライスが嫌いになってしまった元木さんは不運としか言いようがありませんが、実は、私もカレーライスがあまり好きではなく、もう何年も食べていません。

決して味が苦手なわけではありません。
ナンカレーは、どちらかと言えば好きな食べ物の範疇です。

積極的に食べない理由は、カレーライスを食べるとお腹を下してしまうからです・・。

その原因は、はっきりしています。
早食いです。

基本的に早食いの私は、カレーライスを食べるとき、いつにも増してご飯を噛まずに飲み込んでしまいます。
すると、元々胃腸が丈夫な質ではないので、必然的に下痢をする、という図式です・・。

ナンはパンのようなものですから、ある程度噛まないと飲み込めませんのでセーフです。
カレーライスがアウトなのです。

とろろご飯は、さらにいけません・・。
噛んでも噛んでも細かくもならず、柔らかくもならないとろろは、いつの間にかご飯と一緒に胃袋へ流れていきます。
ですから、私はとろろとご飯を、別々に食べることにしています。

「噛めよ!」

以前知人に話したら、一喝されました。
その通りです。
良く噛めば済むことです。
しかし、若い頃からの早食いは、そう簡単には直りません・・。

早食いは、肥満の原因にもなりますので、改善しなければなりません。
ネットには様々な改善策が掲載されていましたが、「食事の途中で何度か箸を置く」のは、自分にも出来そうな気がします。
お箸を一旦手から離すことで、次から次へと口に食事を運ばなくなりますので、効果が期待できそうです。

先日、洋食屋でランチを食べたときのこと。
テーブルに着くと、「春の和風オムレツライス」というメニューが目に入りました。
普段「和風オムレツライス」として提供しているものに、菜の花やハマグリを加えて、春らしくした季節限定メニューだそうです。
ほかのメニューはさほど見ずに、注文いたしました。
春らしい見栄えで、美味しそうだとは思いませんか!

しかし、食事が運ばれてきた瞬間、「やってしまった・・」と悔やみました。
オムレツの上に、たっぷりと「餡」がかかっています。
これは、私にとって「よく噛めないパターン」です。

そして、スプーンですくってさらにがっくり・・。
消化が良くない(と言われている)五穀米ではありませんか・・。

意を決して(大げさですが)ゆっくり食べることに専念しました。
途中で、箸ならぬスプーンを何度も置きました。
行儀が悪いと知りつつ、途中でスマホを見たりしながら、時間をかけて食べました。

その結果は・・、
お腹を下すことはありませんでした。
そして、食後まもなく満腹感を感じました。

「よく噛んで食べる」
いい加減に実践しなくてはいけませんね。

216 紅顔可憐

ゴールデンウィークに突入しました。
カミさんと買い物に出掛ける程度で、我が家は毎年大した予定がありません。

今日は残った仕事を片付けるため、朝から近所のカフェに来ています。
カフェやレンタルスペースなど、耳障りでない程度のノイズを背景に、自分が誰であるか周囲が知らない場所は、仕事をする環境として嫌いではありません。

ただ、「耳障りでない程度のノイズ」、要するに「いい感じの騒音」が難しいところです。
ガハハと笑いながら同時に数人がしゃべりまくるおばさま集団の存在は仕事の効率を低下させそうですし、一方、ちょっぴり好みのタイプの女性が近くにいたら、注意力散漫になりそうです。

因みに、今、私の前の席では、外国人男性と日本人女性のカップルが、朝から情熱的に肩を寄せ合っていますが、この程度は仕事に影響なさそうです。

私が普段利用している1つは、東京ミッドタウン日比谷のBASE Q内にあるワークスペースです。
1人席は、3時間1,500円、6時間2,000円と、都会のど真ん中にしては良心的な価格です。
ネットで予約ができますので、席を確実に抑えることができます。

個室ではありませんし、隣にカフェが併設されているため、騒音をシャットアウトすることはできませんが、個室型ワークブースの閉塞感が苦手な私にとっては、そこそこ快適な空間です。

会社にいると、電話、来客、その他諸々により、思うように仕事が捗らないことがありますが、外に出ればやりたい仕事に集中できます。
ノートPCのモニターがもう少し大きいと、老眼に優しいのですが・・。

朝、そろそろカフェに行こうか・・と思っていたところ、玄関でガチャという音がしました。
玄関を覗くと、徹夜明けとは思えない、元気溌剌な姿のセガレがいました。
昨日は夕方からサークルの新歓イベント→打ち上げ→カラオケ→朝帰り、と相成ったようです。

私にとって徹夜とは、ほぼほぼイコール徹マンです。
(「徹マン」は令和にあって死語でしょうか・・)

高校から大学にかけて、何回夜通し麻雀に興じたか、数え切れません。
夜も更けて朝が近づいてくると、「自摸って!」なんて声で起こされる寝落ちする輩が出現したり、こいつは半分寝ているだろう思っていたらでっかい手をテンパっていたり、睡魔による感覚マヒで突然強気になる奴が出現したり、予期せぬ事態が多発して楽しいものでした。

特に思い出深いのは、スキー旅行です。
上野から夜行電車に乗り、越後湯沢駅のダルマストーブの前で数時間過ごした後、朝イチのバスで民宿へ。
そして、朝イチからナイターまでゲレンデで過ごし、宿に帰れば深夜まで麻雀という、底なしの体力で遊んだものでした。

ただ、ダルマストーブの前で卓上麻雀に興じていたら、いつの間にか始発のバスが行ってしまったことが一度ありました。
4人もいながら、誰ひとり気付かないほど麻雀に熱中していたのかと呆れました。

ただ、徹マンは話し声はもちろんのこと、牌を手積みする音が響きますので、周囲へずいぶんと迷惑を掛けたことと思います。
また、灰皿は山のように積み上がりますので、健康上もあまりよろしくないですね。

60を過ぎた今は、日付変更線を過ぎるまで起きていることが、年に数回しかありません。
ましてや徹夜などしようものなら、1週間は抜け殻のようになってしまうと思います。

さて、朝からの仕事も一段落しましたので、昼メシの弁当を家族分買って帰ることとします。

214 千秋万歳

令和になって4度目の天皇誕生日を迎えました。
今年は、コロナ禍の影響で中止されてきた一般参賀が即位後初めて行われましたので、いっそう喜ばしい日になりました。

「誕生日に、初めてこのように皆さんからお祝いいただくことを、誠にうれしく思います。(中略)皆さん一人ひとりにとって、穏やかな春となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります。」

国民に向かってお言葉を述べられた陛下。
好天のもと、声を発することなく、日の丸を振って祝意を示す参賀者。
日本人としての麗しさを感じました。

来年は、陛下も参賀者も、マスクなしで開催できたらなお嬉しく思います。

天皇誕生日というと、直感的に12月23日を思い浮かべてしまうことがあります。
平成の時代を30年以上過ごしましたので、致し方ないと思いますが、きっと数年すると解消するのだと思います。

上皇さまは昭和8年12月23日のお生まれですが、同じ年の父が、先日誕生日を迎えました。
90歳、卒寿です。

昭和8年の出来事を調べてみると・・、
01月01日 ラジオの時報が手動から自動式になる
01月30日 ヒトラーが独首相に就任
03月04日 フランクリン・ルーズベルトが第32代米大統領に就任、ニューディール政策始動
03月27日 日本政府が国際連盟脱退の詔書を発布
07月25日 山形市で気温40.8度を記録
10月19日 ドイツが国際連盟から脱退

まるで歴史の教科書を読んでいるようですね・・。

注目すべきは、7月25日の「山形市で気温40.8度を記録」です。
2007年8月16日に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度を記録するまで、国内最高気温が昭和8年の記録だったとは驚きです。

伊豆の農家の三男坊だった父が上京したのは昭和24年、16歳のときでした。
東京都中央区の印刷会社に住み込みで働き始めました。

東京に行ったらうまくなるぞ!と思っていたことがが3つあったそうです。
ビリヤード、ボウリング、社交ダンスです。
(女性にもてたかったのでしょうか・・)

ビリヤードとボウリングに夢中になっていた姿は、私の記憶にもありますが、社交ダンスは全く知りません。
聞くと、銀座にあった社交ダンスの店へ恐る恐る行くと、スラリとした華やかで美しい女性に「いらっしゃいませ」と出迎えられ、恥ずかしくて逃げてきたそうです。
「でもな、やっぱり習っておけば良かったな」と悔いるように言うときがたまにあります。

90にして今もなお、ほぼ毎日出社しています
運転免許証は返上してしまいましたので、電車通勤です。

本人を目の前にしては言葉にしませんが、生涯現役を貫く姿勢には敬服です。
もちろん、出来ることは年々少なくなってきていますので、温かく協力してくれる社員の皆さんには感謝しなければなりません。
ときに、卒寿の祝いの品を社員からいただいたそうで、本人は心から喜んでいました。

誕生日当日、セガレとカミさんと連れだって、久しぶりに実家へ行きました。
我々の到着よりも早く、事前にオーダーしておいた花が届いていました。
数日後には、名前入りの夫婦茶碗が届く予定です。

セガレは大学に入ってから始めたクラシックギターを演奏するため、ギターを持参しました。
ひょっとすると、花よりも夫婦茶碗よりも、初心者ながら孫のギター演奏が一番心に残ったのかも知れません。

213 総角之好

昨日、小学校時代の友人5人で集まりました。
転校生の私は2年短くなりますが、かれこれ55年近くの付き合いになります。

正に、総角之好(そうかくのよしみ)。
小さい子どもの時分からの長く親しい交際です。
こんなにも長い間、友であり続けることは奇跡とも言えますし、有難いことです。

これまでの会合は居酒屋を本拠地としてきましたが、今回はフランス料理店に舞台を移し、アラカルトをいただきました。
年齢とともに呑む量が減ってきており、飲み放題とは縁遠くなってきました。

ときに、ずいぶん昔のことですが「長い間、友人関係を継続できる要因」について特集した雑誌を読んだことがあります。
誤っている部分があるかも知れませんが、粗々以下のような内容であったと思います。

①自然体でいられる
②連絡を絶やさない
③干渉しすぎない
④馬が合う
⑤共通点がある

早速、我々に当て嵌めてみたいと思います。

まず、小学校時分からの知り合いですから、超自然体です。
親や兄弟のことなど細かいことまで周知の間柄ですから、今さら格好の付けようがありません。

連絡という点では、年賀状でずっとつながってきましたし、反面、干渉し過ぎることはこれまで全くありませんでした。

また、ちょっとお下品な話になると殊のほか盛り上がるところは、馬が合うと言えます。

ただ、共通点という要因には、課題が残ります・・。

小学校の同級生である我々は、中学受験に失敗した私を含め、地元の同じ区立中学に進学しましたが、その後の人生はバラエティに富んでいます。

女子なのに黒いランドセルを背負っていた☆☆江ちゃんは、美容師となり、20代前半に結婚。
早くもお孫ちゃんが4人います。
近年転ぶことが多く、整形外科外来の常連です。

☆☆子ちゃんは、バブル期を謳歌した典型的な元都会派OL。
コロナ前までは頻繁に海外を旅していましたが、近年、両足に人工股関節手術を受けました。
昨年会ったときに比べて回復が進んでいたので安心しましたが、5年以内に同様の手術をすると医師に宣告されている私にとっては、戦友のような思いです。

☆☆代ちゃんは、バッテンを2つ保持するかっこいい女性。
若い頃は実家に上がり込み、☆☆代ちゃんの妹と3人でタバコの煙とコーヒーの香りを絶やさず、朝までよくしゃべり倒したものです。
また、お互いの母同士も、とても仲が良い間柄です

男性チームの相方である☆☆☆っちゃんは、若い頃から寝る間を惜しんで働く男でした。
数年前の早朝、会社で脳梗塞を発症したものの、運良くほとんど後遺症もなく復活しました。
若くして結婚し、2人の子供に恵まれたので、上の子は既に38歳、下の子も33歳。
最近は2歳のお孫ちゃんにもてあそばれているんだ、と嬉しそうに嘆いていました。

かくいう私は、セガレがまだ19歳。
孫どころか、教育費を必死に払っている状況です。

共通点は見出せなくても、幼なじみという強い絆で結ばれているのでしょう。
55年前の偶然の出会いを、これからも大切にしていきたいと思います。

小学生だった我々も、あっという間に61歳になりました。
楽しい時間が過ぎると、最後はこう言って別れます。

「じゃあね、元気でね。」

211 終食之間

最近お気に入りのお弁当があります。
亀戸升本さんが作る「すみだ川あさり弁当」です。

ツイッターでも高評価を得ている亀戸升本さんは、明治38年に酒屋として創業。
その後、幻の江戸野菜「亀戸大根」を復活させ、割烹料理屋として復興したという、少し変わった経歴のお店です。

では、このお弁当のお薦めポイントを3つご紹介します。

お薦め①:亀辛麹(かめからこうじ)
写真中央の小さなカップに入った、米麹と青唐辛子と有機醤油を長期熟成させた秘伝のタレです。
ピリッとした辛さが特徴で、鶏つくね、里芋、ご飯等、何にでも合います。
思い出すと無性に食べたくなる、やみつきのタレです。

お薦め②:卵焼き
ちょっと隠れてしまって分かりづらいのですが、写真の一番下に、かなり分厚くてビッグサイズの卵焼きが入っています。
様々詰められたおかずの中で、ふんわり柔らかくてほんのり甘いこの卵焼きが私は一番好きです。
半分はそのまま、残り半分は亀辛麹と共に楽しむことにしています。

お薦め③:カラダに優しい
美味しいだけではなく、添加物が少ない点も大きな魅力です。
原材料表示は下記の通りです。

お弁当でよく見かける、増粘多糖類、pH調整剤、ソルビット、グリシン、酢酸Na、保存料(ソルビン酸K)などなど、定番の添加物が見当たりません。
私は小さい頃から食の安全について母から教えられてきましたので、このお弁当はとても嬉しいですね。

さてワタクシ、お弁当にまつわる忘れ得ぬ思い出が2つあります。

1つは、小学校高学年の頃。
ひとりで夏期講習か冬期講習に参加したときのことです。
確か、日暮里駅か鶯谷駅の近くにあった、当時としてはそこそこ大きな規模の学習塾だったと思います。

昼の休憩時間、持参したお弁当を席で食べていたら、前に座っていた見知らぬ2人の生徒が振り向きざまにこう言いました。

「お前のエビフライ、ちっちぇな」

そう言い放ったのは背の小さな方。
そして、その横でニヤニヤ笑う小太りの男が持つお箸には、私の2倍以上の大きさのエビフライが握られていました。
その存在感は、抵抗する気持ちを萎えさせるに十分なものでした。

私ひとりで見知らぬ塾生2人を相手に喧嘩をする度胸もなく、「テストの点数は負けねーからな」なんて密かに思うのがせいぜいでした。

「あなたの学習塾の費用が結構バカにならなくてね・・」と大人になってから母に聞かされましたので、あのエビフライのサイズは、当時の我が家の経済状況そのものだったのだと思います。

50年も前の出来事なのに鮮明に記憶しているということは、当時のショックは大きかったことの裏返しなのでしょうか。

今思えば、あの大きなエビフライは、お総菜コーナーで購入したのではないでしょうか。
かーちゃんが愛情込めて手作りしてくれたことに値打ちがあるんだ、なんてやり返すことは、当時無理だったなと思います。

もう1つは高校1年生のとき。
教室の席は氏名の五十音順に決められていましたので、私・ヤマダは最後から3番目の窓側の席でした。
そして、私の右に座っていたのは、お坊ちゃまの雰囲気漂う「前田」。
昼になれば隣の机に広げられる前田のお弁当は必然的に目に入りますが、これがとても印象的でした。

端的に言うと、美しいのです。
男子高校生が持参する弁当ですから、キャラ弁とかいう美しさではなく、まるで仕出し弁当屋さんが作ったように、色や盛り付けがキレイなのです。
しかも、来る日も来る日も期待を裏切らない、見目麗しいお弁当でしたので、前田の弁当をこっそりのぞき見するのが、日々の楽しみにもなっていました。

こう言っては叱られそうですが、私の母の弁当はとても美味しかったけれど、見栄えは普通でした。
高校1年生にして、料理は美を表現できるものなのだ、ということを前田のお弁当を通じて学びました。

我が家のセガレも中学高校の6年間、お弁当を持参しました。
たまには売店でパンを買うとか、食堂で名物の唐揚げ丼でも食べればいいのに・・、と思うことがありましたが、頑なに弁当を持っていきました。

日曜日以外毎日ですから、作る方は大変です。
ほとんど冷凍食品を使わずに、よく作ったものだと感心します。
少しはカミさんに感謝しているのかな、と思ったりします。

あ・・。
かく言う私も、見栄えがどうとか言う前に、母に感謝の言葉を伝えたことはあっただろうか・・。

209 椿萱並茂

私の父は、昭和8年生まれの89歳です。
16歳の時、荷物を1つ抱えて故郷の伊豆から上京しました。
90歳目前ですが、今も現役で働いています。

80歳を過ぎてから、心臓のバイパス手術を受けました。
入院中、「こんな歳だけど、まだやり残したことがあるので、元気になりたい」と看護師に話し、有言実行、仕事復帰しました。

また、昨年は肩に打った注射から感染症を起こし、入院生活を余儀なくされました。
3週間の入院生活は、88歳の老人の脚力を容赦なく奪いました。
それでも、母の協力もあってウォーキングで筋力を戻し、またまた社会復帰を果たしたのは天晴れでした。
44歳のとき弊社を興した本人とはいえ、 仕事への思いは並々ならぬものがあり、生涯現役を貫くつもりなのだと思います。

一方、母は昭和12年生まれで、誕生日は1月1日です。
本当は12月下旬に生まれたそうですが、役場が休みだったから元日生まれで届けを出した、と自身が子供のころ聞かされていたそうです。
元日の方が確実に役場はお休みだと思うので、理屈に合わないのですが・・。

85歳になっても変わらず料理が上手で、今もおかずを作って私に持たせてくれることがあります。
また、スマホでLINEができるのは、この歳にしてはスゴイことだと思います。

日本歯科医師会が80歳になっても20本以上自分の歯を保とうという「8020運動」を推進していますが、母は85歳にして歯の欠損がありません。
「子供の頃、貧しいものしか食べられなかったのが逆に良かったのかも」などと本人は言いますが、驚異的な口腔内健康の持ち主です。

父と同様に、母も若い頃からよく働く人でした。
狭いアパートでノンブルを打つ内職作業を、毎日のようにしていました。

「ノンブル」とは印刷業界用語ですが、ページ番号と表現すればわかりやすいでしょうか。
フランス語で「数」を意味する「nombre」に由来すると聞いたことがあります。

要するに、母の内職は、ナンバリングの機械で伝票に番号を打つ作業でした。
小さい卓袱台のような作業台の前に正座して、1枚1枚番号を打っていくのですが、これが思ったより難しい作業です。

まず、指定の位置に打たなければなりません。
多くの場合は、アンダーラインに沿って、その上側に打っていきます。
上下左右に位置が動いてしまうと、見栄えがよろしくありません。

また、ペラものであれば打つたびに番号を進めればよいのですが、2枚複写であれば2回に1回、3枚複写であれば3回に1回、機械の一番上にあるボタンを親指でノックして番号を進めなければなりません。

そして、機械を紙に強く押しつけると必要以上に紙が凹みますし、機械の番号部分も摩耗します。
なによりアパートでしたから近隣への騒音も気にしなければなりません。

母は、なるべく音を立てないように、でも、番号の印字が欠けないよう絶妙な力加減で作業する達人でした。

「実は、あなたの塾代が結構負担でねえ・・」
15年くらい前、母が打ち明けました。
1回打って1円に満たない内職代が私の通塾を支えてくれたんだなあ、とずいぶんいい歳になってから気付きました。

椿萱並茂。
両親がどちらも健在でいること。

私の年代になると、両親のどちらかを既に亡くされた友人が目立ちます。
中には、両親ともに他界された仲間もいます。

自身が還暦ですから、親は80代から90代。
悲しいことですが、致し方ありません。

両親とも健在、しかも元気で暮らしているのですから、私はとても恵まれています。
そんな両親に、先週の敬老の日には、お気に入りの京都の名店から、秋限定のご馳走膳を贈りました。

205 物見遊山

若い頃、ひとりで行動することが、あまり好きではありませんでした。
しかし、近年「ひとり旅」の楽しさを覚えました。

そもそもひとりで旅に出たきっかけは、気分転換でした。
パソコン持参で東京を脱出し、知らない土地で旅行気分を味わいながら仕事をしたのです。
近年ワーケーションという言葉を耳にしますが、ちょっぴり先取りしてたかな?なんて思ったりします。

元来、根を詰めて、がむしゃらに働き続けてもケロッとしているタチでした。
しかし、50代半ばを過ぎたころから、疲労が抜けづらくなってきました。

そもそも零細企業の経営者は、働き方改革とは対極に位置していますから、オンとオフをきっちり分けることは現実的ではありません。
そこで、場所を変えることで、心身をリフレッシュして仕事をこなしてみようと考えました。

すると、半ば旅行気分であることでいい気晴らしになり、明日の英気を養うことができました。
やるべきことをほったらかし、観光ばかりになってしまうかも・・と心配しましたが、仕事も予想以上に捗りました。

5年前は仙台、4年前は福岡、そして3年前には名古屋を訪れました。
名古屋の熱田神宮を参拝した件は既に紹介しましたが、蒲郡市にある「竹島」は大変印象的でした。

島といっても、船で渡るのではなく、橋を伝って行くことができます。
江ノ島をイメージしていただければ良いかと思います。

橋を渡った先には、八百富神社があります。
公式サイトから、一部抜粋します。

八百富神社は、安徳天皇の養和元年3月18日(1181)の創建と伝えられています。これは、1145年三河国司の三河守となった藤原俊成卿が、在任中に未開だったこの地の開拓に当たられた際、風光明媚で江州竹生島によく似ているこの島に竹生島弁才天を勧請せられたことから始まったとされています。常に清波に島脚を洗われ、自ずと禊ぎ、不浄を近づけないようで、真の霊境との名の通りであり、養和(1181)の頃俊成が当社奉斎の神境に定めました。
「江州竹生島弁財天を勧請した際、雑木林におおわれ竹がなかったこの島に、竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて、ご神体として植えた」との記述もあり、そのことから『竹島』と名付けられたとも伝えられています。

文中の江州竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島です。
次なる目的地はここだ、と決めました。

これまで、私にとって滋賀県は、京都へ行く際の通過地点でした。
ミルクボーイの漫才ネタで、「これといった特徴がないのが滋賀の特徴」といじられてもいますね。

しかし、調べてみると、魅力的な観光スポット(私にとってはイコール神社)が数多くありました。
嬉々として計画を立てていたさなか、コロナが襲来し、延期を余儀なくされました。
最近は感染対策に注意しながら社会活動も動かしていく方向に舵を切ってきましたので、そろそろ計画を今一度立て直そうかと考え始めています。

余談ですが、リオデジャネイロ五輪が終了した時点で金メダリストなしの都道府県は、岩手、福島、埼玉、福井、長野、滋賀、京都、鳥取、島根、香川、沖縄の1府10県だったそうです。
しかし、東京2020で彦根市出身の大橋悠依選手が、200m・400m個人メドレーで金メダルを獲得しましたので、県の歴史を塗り替えました。

また、滋賀県は糖尿病患者が一番少ないのだそうです。
毎日飲酒する人の割合は34位、毎日喫煙する人の割合は42位と、糖尿病のリスクを高めるライフスタイルとは距離があるようです。

さらに、総務省の「社会生活基本調査」でスポーツ行動者率(男女別や年齢別などの属性ごとの人口のうち、1年間の間に、スポーツを行った人の割合)をみていくと、滋賀県は全国5位。
これも糖尿病の予防につながっていると推測されますね。

198 好機到来

40年前、成人式の朝、母が「おめでとう」と声を掛けてくれました。
ご飯を食べながら、ちいさく頭を下げました。

すると、後日「あのとき、なんだか嬉しかったわあ」と母に言われました。
私にしてみれば、額ずいたわけでもなく、箸を動かしながら軽く会釈した程度だったのですが、20年育ててくれた母には、諸々去来するものがあったのでしょう。

あれから40年。
カミさんが「おめでとう」と言ってくれた還暦の誕生日。
胸中をかすめたのは、老人の入口に到達したなという思いでした。
区役所から届いた銭湯の割引入浴券も、そんな気持ちを増幅させたように思います。

60歳の異称としては「還暦」が最も一般的ですが、耳順、杖郷、杖者、丁年、下寿、華寿など様々あるようです。
5年以内に股関節の手術をする、と医師に宣言されている身にとっては、「杖」という漢字が妙に気になります。
往代の60歳は、多くが杖をついていたのでしょうか。

股関節痛のほかにも、腰痛、肩こり、首の痛みも抱え、胃腸も決して強くありません。
カラダの中もいろいろ経年劣化が起こっていますが、鏡を見れば、齢60の顔はかなり器量が悪くなっています。

世はオミクロン株の感染拡大で、日々感染者数の国内記録を更新中。
必然的に家にいることが多く、ましてやセガレの受験も控えているので不要不急の外出はしない、ゴルフもしばらく行かない・・・・。

今でしょ!とばかりに急遽向かったのは皮膚科。
意を決して、顔のシミを除去してまいりました。

お世話になったのは、駅前に昨年オープンしたクリニック。
白を基調とした真新しい施設で、スタッフは全員女性。
そして、週末の待合室は、4割ほどが若い女性。
アトピーやニキビなどの治療というより、美容的な訳合いで訪れている人が多いのでしょうか。

そもそもいい歳のオッサンが・・・・という気恥ずかしさで、なかなか皮膚科へ足を踏み入れられなかったのですが、案の定、居心地が悪くなってきました。

名前を呼ばれ、診察室に入ると、私のそんな気持ちなど知るよしもなく、医師はテキパキと説明を始めました。
動揺を隠せないオッサンは、正直話半分といった状況でしたが、結論的には、なんとかマックスという機器で、レーザーを照射することと相成りました。
しかも、初回はお試しコースで割安なんだとか・・。

20分ほど待ったあと、顔中にバチッバチッと数十発、銃撃されてまいりました。

女性スタッフの優しい語り口や物腰は、処置開始直後からくすぐったいような照れくさいような気分が拭えませんでしたが、「クリームは顔に塗るのではなく、優しく置くように心がけてくださいね」などと言われながら時間を過ごしていると、徐々に心地よくなっていく様に気付きました。
日数が経って顔のあちこちにあるシミが少し改善されるのを実感したら、ひょっとして癖になるかも知れない、なんて思いにも駆られました。

次はヒアルロン酸だ、次は白玉注射だ、脱毛もするか??
とエスカレートしないように気をつけたいと思います。

194 不将不迎

若い頃から股関節に違和感がありました。

初めて医師の診察を受けたのは40代の頃。
親しかった、大学病院の整形外科部長に診ていただきました。

ちょっと変だなと感じた時はこんなストレッチをしていました、と努力の一端を告げると「なんで余計なことするかなあ、そもそも先天的なものだから治らないよ」と叱られました。
治らないんですか?と確認すると「治らないどころか年齢とともに悪化するよ」と宣告されました。

そして、予言は的中しました。
痛みを感じる頻度が増し、数年前からは、遂に正座や胡座が出来なくなってしまいました。

そんなとき、仕事でお世話になっている80歳代の女性社長さんが、人工股関節手術を受けたと聞きました。
明日は我が身。
自分の症状を伝え、今後の道標となるはずのお話しをたくさん伺いました。

その社長さんは、最近では「調子はどう?痛い?」と仕事の話の前に、必ず私の体調を気遣ってくださいます。
早く専門医に診てもらいなさい、と親身な忠告を再三受け、また、お友達のご主人が同じ手術を受けた医師まで教えていただきました。

ずっとのらりくらり過ごしていましたが、昨今は痛みも増してきたため、そろそろ潮時かと観念し、今年6月、ご教示いただいた股関節の専門医を訪ねました。

レントゲンを撮ったあと医師の問診を受け、若い頃から違和感があったこと、そろそろ潮時だと観念し、意を決して受診に来たと告げました。

レントゲンの結果では特に異常が見当たらず、医師は私をベッドに寝かせ、足を様々な方向に曲げては「痛い?」と聞きました。
どこを押されても、どの方向に曲げられても痛みを感じないので「痛くないです」と返事を繰り返す私を椅子に座るよう促したあと・・、

「まあ、潮時ではないよね(笑)」
「え?入院や手術といった宣告を覚悟してきたんですが・・。」
「今はまだそういう段階ではないよ。」
「先生、こんなに痛いのに、そんなあっさり帰さないでくださいよ」
と冗談めかして言う私に半ば呆れた医師は、私をもう一度ベッドに寝かせ、「これは」「ここは」と曲げたり押したりを繰り返しました。

「大きな問題はないと思うけど、MRI検査で詳しく調べてみましょう。」とその日は一件落着となりました。

後日、MRI検査を受けた後、診察室で先日の医師が画像を見ながらマウスをスクロールしていると、先生の手が突然止まりました。
モニターには、真っ白な円が写し出されていました。

「これか」と言う医師。
「あちゃ、腫瘍だ」と思い、心がザワザワする私。
「これね、水。ガングリオンって聞いたことある?」

素人が勝手に腫瘍だと早とちりしたことを恥じるとともに、医師の説明を聞きました。
結局のところ「変形性関節症」との診断で、水を抜いても痛みの除去には結びつかず、残念ながら根本的な治療方法はないことでした。

「運動しないのはダメだけど、過度な運動もよくないです。治療方法もないので今後は経過観察ということになります。一番納得いかないかな?」

そんな診断から数ヶ月。
本日、改めて医師の診断を受けましたが、特に変化はありませんでした。

「先生、あと10年、 もちますか?」と尋ねると、
「今、59歳でしょ。うーん、多分ムリだね。5年後には手術だと思っていた方がいいと思います。」
「手術って、人工・・」
「そう、人工股関節。」

覚悟はしていましたが、少々ショッキングな宣告でした。
でも、とてもフランクで、信頼できる医師だと感じました。

将来、手術を受けることになった時、生活習慣病を持っていると厄介なことになるので、太らないように節制してください、とも言われました。

60目前にして、放縦な生き方を戒めるきっかけとなりました。
過ぎたことは悔やまず、そして、まだ見ぬ未来をアレコレ気に病むことなく、元気な老人を目指して、小さな努力を積み重ねていこうと思っています。

189 用和為貴

国内における新型コロナウイルスに対するワクチン接種が、ここにきてスピードを増してきました。
北海道の奥尻島では、島内の高校生を対象に今月末にもワクチンの接種を始める方針であるとか、東京都新宿区では7月上旬から20代や30代の若者を優先的に集団接種を始めるとか、医療従事者や高齢者以外にも接種対象が広がる傾向を見せています。

とはいえ、現在接種しているのは、海外製のワクチンです。
世界的にワクチンの需要が高まるなか、海外から期待通りに安定供給される保障はありません。

しかし、日本ではワクチン開発に巨額な予算が投じられていないことや、安全性や倫理性の確認に時間を要することなど、国産ワクチンの早期開発は、まだ現実性を帯びていないようです。

アメリカでのワクチン開発に関して、興味深い記事がありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be0246c317e42e6e18630519523d3b964946af7f?page=1

昨年5月15日、トランプ大統領は「オペレーション・ワープ・スピード(OWS)」に着手しました。
その内容は、正規の手続きを踏むと73カ月要する工程を14カ月に短縮し、「安全で効果的なワクチン3億回分を2021年1月1日までに供給する」ことをミッションに定め、具体的には、以下のような工夫が盛り込まれています。

  • 「複数のプロジェクトを並行させ、有望なものは開発途中から治験を開始する」
  • 「事前に3万人のボランティアを集めて、早期承認のためのデータを収集する」
  • 「治験の最中から生産に踏み切る」
  • 「ワクチンが完成する前から、配布と接種の準備を始める」

このあと、上記サイトでは、次のように続けています。

特に製品ができる前から生産に踏み切る、というのは文字通りの「見切り発車」である。後で「ダメでした」となるかもしれず、その場合は投入した予算が無駄になる。とはいえ、アメリカの総人口は3億3000万人。たとえワクチンが完成しても、それだけの数量を用意できなかったら意味がない。事態はまさに「ワープスピード」を必要としていたのである。 そこで開発しながら治験をし、治験をしながら生産し、その間に配布から接種の計画を立てておく。そうでないと間に合わないから。いやもう「後手後手」批判が絶えない日本政府とはえらい違いである。もっともこれと同じようなことを日本でやろうとしたら、官僚は「法律にありません」と首を振り、野党は「失敗したら誰が責任を取るんだ!」といきり立ち、マスコミは「税金の無駄は許されない!」などとのたまうことだろう。

政府への批判は様々取り上げられています。
縦割り行政が悪い、デジタル化が遅れている、過去の教訓が生かされていない・・などなど。

私も企業経営者の端くれとして、政府に申し上げたいことはたくさんあります。
しかし、批判・攻撃・咎立は、心をギスギスさせます。
コロナ禍は、人の素を暴くことになったとも言われています。
足元を見つめ、やるべきことをやり、心が乾かぬように日々過ごしたいと思っています。

将来を思い煩うな。 現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。

高校の倫理社会で学んだ、アミエルの言葉を思い出しました。

そんな中、日本政府が提供したアストラゼネカのワクチン124万回分が、4日午後、台湾の空港に到着したというニュースを耳にしました。

台湾では5月中旬から感染が拡大している反面、ワクチンの調達が難航しているそうです。
蔡総統によると「海外の製薬会社からのワクチン調達が中国の妨害で難しくなっている」とのこと。

台湾といえば、東日本大震災のとき、真っ先に救いの手をさしのべてくれました。

いただいた義援金は総額200億円以上。
震災翌日から台湾各地で募金活動が展開され、日本の5分の1に満たない約2,350万人という人口を考えたとき、その額の大きさに驚きます。

支援は義援金だけではありません。

震災から5日後、3月16日。
白いズボンと白い帽子、背中に蓮のマークをつけた紺色のジャンパーに身を包んだ一団が、茨城県・大洗町に到着しました。
台湾の慈済基金会日本支部の人々で、トラックと自家用車を連ねて、被災地の人々に温かい料理を振る舞ったのだそうです。

また、2カ月後の2011年5月から半年間、台湾政府交通部観光局は「台湾希望の旅」として、岩手・宮城・福島県の被災者1,000人を無料で2週間台湾に招待する支援を行っています。
そして、震災復興が本格化すると東北に直行便を飛ばし、震災後最初に旅行客を送ったのも台湾だそうです。

これらの支援には、2,400人余りの犠牲者が出た1999年の台湾大地震の当日に、救助隊を派遣した日本への恩返しの気持ちが込められているとも言われています。

ワクチン提供の続報として、支援を受けた台湾市民から、台北の日本台湾交流協会台北事務所(大使館に相当)にたくさんの花が届いたと知りました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1319642b83dcaafdd27ff82d68784b4147a90421

こういった国境を越えての助け合いは、心温まる思いがします。

「用和為貴」。
和を用って貴しと為す。
人と人が仲良く協力しあうことが最も大切であるということ。
十七条憲法の第一条にある言葉です。

花といえば・・。
先日、古くから付き合いのある紙問屋の営業さんから、胡蝶蘭が届きました。
プレートには「還暦祝い」の文字。
過日ご紹介した紅白まんじゅうに続いて、お祝いをいただきました。
ありがたいことです。

生まれて初めて頂戴した胡蝶蘭ですが、ネットで調べてみると、大切に育てると長く楽しめるようです。

風通しが良く、エアコンの冷気が直接当たらない場所に置く。
ラッピングは外す(写真にはまだ写っていますが)。
水は控えめに。

日々喜びを感じながら、注意事項を頭に入れて育てていきたいと思います。