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164 三思後行

国内のチーズ消費量が、4年連続で過去最高を更新しているとニュースで知りました。

消費を支えているのは、中高年層だそうです。
「カマンベールに認知症予防効果」「ブルーチーズに血管年齢若返り効果」などの健康効果報道が売上げ増に寄与したと言われています。
原材料価格の上昇などにより乳業大手は値上げをしましたが、中高年層の購買意欲が勝ったと言えるでしょう。

かくいう私も、最近になって、チーズをよく食べるようになりました。
休みの日、おやつ時にカマンベールチーズをひと欠片、楽しんでいます。

きっかけは、糖質オフのお薦めおやつとして、チーズが取り上げられていたから・・。
「健康志向の中高年層」のベン図のド真ん中ですね。

ただ、チーズフォンデュはダメです。
熱せられた鍋から蒸発するワインが、下戸の私には我慢なりません。

グラタンやリゾットも、どちらかと言えば苦手です。
猫舌のくせに早食いの私には、厄介なメニューです。

子供の頃は、チーズがキライでした。
一方、父は、毎朝食べていました。

かまぼこのような形をしたチーズを、果物ナイフでスライスして食べるのですが、ネチネチした食感と、歯にまとわりつくのが苦手でした。
剰え、時間が経ち、周囲がカピカピになって若干透き通ってくると、耐え難い気分でした。

尤も、昭和40年代は、家庭で食べるチーズはせいぜいそんなものだったのかも知れません。
モッツアレラチーズやマスカルポーネチーズなんて、知るよしもありませんでした。

ところで、チーズといえば、写真撮影の決め言葉ですね。
「はい、チーズ」は時代を超えて、使われているのではないでしょうか。

はるか昔、何らかの学校行事で集合写真を撮った際、カメラマンが我々生徒の期待を裏切るセリフを発しました。

「じゃあ、皆さん、撮りますよ。せーの、1たす1は??」

はいチーズを予想していた生徒は不意を突かれましたが、一瞬考えた後、

「にー!!!」

理解できた生徒とできなかった生徒の顔は対照的でしたが、キョトン顔と笑顔が混在する、珠玉の1枚となりました。
カメラマンの技術に脱帽です。

ときに、家族でハワイに行った際、カメラのシャッターを押してくれと頼まれました。
中国からと思しき観光者でした。

「One, Two, Three, Push!!  All right?」

いちにのさん、でシャッターを押すぞ、と言いたかったのです。

「ワン・・、トゥー・・、スリー・・、フォー・・、ファイブ・・・・・・」

アレ、全然ウケない・・。

「マサミ、ファイブくらいまで数えれば全員笑うこと請け合いだ!!」
とロサンゼルスで仕込まれた撮影術なのですが、全員ポカン顔の1枚になってしまいました。
ギャグのセンスが国民性に合わなかったのか、私の英語力に問題があったのか・・。

ところ構わず、何でも言えばいいというものではありませんね。
カメラを返すときの気まずさは、今も覚えています。

163 聖人君子

令和になって初のお正月が近づいてきました。

最初の元号「大化」が制定されたのは西暦645年。
令和は、248番目の元号に当たります。

これまで、最も期間が長い元号は「昭和」で64年。
次が「明治」で45年、「平成」は4位です。

3位は、1394年から1428年まで35年続いた「応永」だそうです。
金閣寺ができたのもこの時代。
平和な時代だったと言われ、「応永の平和」なんて言葉もあるのだそうです。

しかし、今年2月、日本経済新聞に歴史学者・呉座勇一氏が興味深い記事を寄せています(以下抜粋)。

中世で「応永の平和」と呼ばれる時期がある。戦乱が比較的少なく、社会が安定した。その応永(1394~1428年)は約35年間続き、明治以前では最も長い。

「ほぼ平成と同じ期間だが、応永の平和は問題を先送りして、もめ事が起きないようにして保たれた。その矛盾が噴出したのが応仁の乱だとも言える」

新しい年号の時代が5月に始まる。少子化問題や国と地方に積み上がる借金。次の時代に引き継がれる負の遺産も多い。今まで目をつぶってきた問題がどんな結末になるのか。悲観論者なので、少し心配している。

今の政治に当てはまる部分も大いにあるのではないでしょうか。
令和の時代に、応仁の乱が勃発するようなことがあってはなりません。

ところで・・、
私は、天皇皇后両陛下の大ファンです。
まさに才色兼備な皇后陛下は、ご婚約されたときからファンでした。
一方、天皇陛下を尊崇するきっかけになったのは、2004年5月、皇太子様時代のご発言です。

「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」

陛下の勇気に感動しました。
多くの取り巻き(宮内庁と断言してもいいかも知れません)を敵に回しても妻を守る、という強い意志を感じました。
「僕が一生全力でお守りします」とのプロポーズのお言葉を貫き通す陛下を、同じ男としてただただかっこよく感じました。

そもそも皇后陛下は、魅力ある働く女性の象徴だったと思います。
元外交官で、語学も堪能な皇后陛下は、開かれた皇室と海外の架け橋を担うはずだと信じて疑いませんでした。

しかし、「雅子妃(当時)は外国に行きたがってばかりで、世継ぎについて真剣に考えていない」との歪んだ見方が蔓延っていたのではないでしょうか。
約20年前、子どもができるのは当たり前、できないのは女性が悪い、という時代錯誤な考えがあったと思います。

ご結婚から8年ののち、ようやく愛子様が誕生されました。
しかし、喜びも束の間、すぐに男子の第二子を期待され、おびただしい重圧が雅子様にのし掛かったと、容易に想像がつきます。

しかし、今年、皇后様をお姿をテレビで拝見していると、心身共に健康を取り戻されたようで本当に嬉しく思います。
中でも、11月10日に行われた祝賀御列の儀(パレード)で、オープンカーから手を振られる皇后様は、本当にキレイでした。
多くの国民からの祝福を目の当たりし、孤独と重圧から解放された真の笑顔だったのでしょうか。

そして、去る12月4日、両陛下は皇居・賢所で「御神楽の儀」にのぞみ、即位に伴う一連の全儀式を終えられたとのことです。
年号が変わって早7ヶ月以上が経ちますが、ようやくその務めを終えられたと知り、いささか驚きました。

実は、我が家が子宝に恵まれたのも結婚8年後でした。
天皇陛下は私の2学年上、皇后陛下はカミさんの2学年上、そして愛子様はセガレの2学年上。
共通点を勝手に見出したりもして、親近感を感じています。

この正月、新年一般参賀に初めて行ってみたいな、と思っています。