月別アーカイブ: 2016年7月

072 遺風残香

今日は土用の丑の日、ウナギを食べることで有名な日です。
そもそも土用って何だろうと、ふと疑問に思いました。

調べてみると、「土用」とは、立春、立夏、立秋、立冬の前、約18日の期間を指すそうです。
即ち、今は土用というと一般的に夏を指しますが、本当は四季全てに存在するのです。

因みに、今年の立秋は8月7日なので、7月19日~8月6日が夏の土用となります。
この18日間の中で、12日周期で割り当てられている十二支のうち丑の日に該当する日、この日が「土用の丑の日」になるのだそうです。

今年は7月30日だけですが、18÷12=1.5なので、土用の丑の日は1度だけと決まってはいません。
並び具合によっては、土用のはじめと終わりに2度丑の日が来る訳です。
一の丑、二の丑と区別して呼ばれるのだそうです。

夏バテ防止のためにウナギを食べるという習慣が定着したのは、江戸時代中後期になってから。
売り上げ不振に悩んだウナギ屋から相談を受けた平賀源内が、「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝したところ、店が繁盛したと言われています(諸説あり)。
当時は、丑の日にちなんで「う」から始まる食べ物を摂るとカラダに良いとの言い伝えがあり、ウナギが合致したと考えられます。

ウナギは夏が旬だと思っている人、多いのではないでしょうか。
私もその一人でした・・。
天然ウナギは、秋から冬にかけてが、旬なのだそうです。

それから「土曜の丑の日」は間違いです、なんて漢字の問題、ありそうですね。
因みに、今年に限っては、まんざら間違いではないような気もしますが・・。

071 嘉辰令月

今日は私がこの世に生を受けて、ちょうど20,000日目にあたります。
私にとって20,000回目の朝なんだなあと、今朝はどことなく感慨深い思いでした。
単純に20,000÷365=54.79ですから、なるほど、55歳の誕生日前にこの日は来るんですね。

20,000日目であることを知ったのは、思いがけないことがきっかけでした。

私には98歳になる伯父がいます。
10月が誕生日なので、来年秋には100歳になります。
100歳って日数にすると何日になるんだろう?
そんな疑問からでした。

振り返ってみると、私にとっての5,000日目は1975年6月30日(月)。
中学2年になって3ヶ月後。
スポーツに打ち込む訳でもなく、
一生懸命勉強する訳でもなく、
生意気盛りの中2には、彼女がいるはずもなく・・。
これといって特徴のある少年ではなかったですね。

10,000日目は1989年3月8日(水)。
27歳春。
どちらかといえば結婚願望のある方でしたが、全く叶いませんでした。
春が身近に感じられず、
将来の展望も開けず、
やや暗い青春時代を送っていました。

15,000日目は2002年11月15日(金)。
結婚して約7年。
40歳を過ぎても子宝に恵まれず、
友人たちの子は着々と成長し、
周囲から二世を期待する声も若干遠ざかりはじめ、
人生設計の修正が必要だな、と感じていました。
カミさんと二人の生活をどう楽しんでいこうかと・・。
まさか、翌年秋にセガレが生まれるなんて、想像もしていませんでした。

そして、20000日目、2016年7月24日(日)。
家庭は円満だし、
両親は元気だし、
今日のご飯に困ってはいないし・・。
人並みに仕事のストレスは抱えておりますが、幸せな節目の日だと思っています。

20000日だ、20000日だ、と騒ぐ私をよそに、家族の反応はいたって冷静でした。
しかし、しつこく訴え続けたらカミさんが晩飯に付き合ってくれました。
『20000円の料理を食べる資格が今日のオレにはあるんじゃないか!』との主張は、
あっさりと否定されてしまいましたが…。

因みに98歳になる伯父は、既に36,000日を超えています。
ん・・、先は長い・・。

070 切磋琢磨

今日、セガレの中学では1学期の終業式が行われました。
中学生になって、最初の通知表をいただいてまいりました。
私立中学でもありますので、どんな通知表なのか私も楽しみにしていましたが、A4コピー用紙に片面プリントしただけという、やや期待はずれの体裁でした・・。

成績の評点は一旦置いといて(笑)、それよりも、遅刻・早退・欠席がゼロだったことを評価してあげたいと思っています。
起床時間が大幅に早まり、片道1時間以上要する電車通学を親は最も懸念していましたが、そんな中での出席率100%です。元気が一番!と誉めてあげました。
子供の順応性は、親の心配を超えていた、ということでしょうか。

入学してから今日まで、様々な行事がありました。

晴れ晴れしい気持ちで迎えた入学式。
借り物のようなサイズの制服でした。

ちょっぴり怖くて、実は優しい先輩たちと一丸となって戦った体育祭。
結果は最下位でしたが、タテの繋がりを経験できました。
体育祭の翌日に渋谷で打ち上げがあると聞いたときは、ちょっと生意気だなあと感じました(笑)。 

7月には東京地方裁判所ではじめて裁判を傍聴しました。
人定質問、甲号証・乙号証など、専門用語をセガレに教えてもらいました。 

そして、週末からは、長野県での林間学校があります。
8月には、部活の合宿にも初参加します。
9月になると、文化祭もあります。

こうしてみると、学生生活は楽しそうだと、つくづく感じますね。
正直言うと「大人はテストがなくていいよなあ」と子供の頃はよく思ったものでしたが・・。

セガレの通う学校は「面倒見の良い学校」として知られています。
先輩に学び、後輩に伝える環境が醸成されている校風の中で、同級生や先輩、後輩から様々な刺激を受けて、個性を伸ばしていけたら何よりと思います。

未来に夢が広がる子供たちを、まぶしく思います。

069 仁者無敵

読売新聞の今日の朝刊の編集手帳が興味深かったので、ご紹介したいと思います。

日本の中で助けられる側と助ける側の人口比をみると、東日本大震災は1:12だった。
1人を12人で助けた計算になる。
南海トラフ地震では2:5くらいになるという。
〈中略〉
首都直下地震はどうか。
日本の人口のほぼ1割が東京で暮らすが、万一、東京が破壊された場合の影響は計り知れない。
〈中略〉
東京都心にある大学のホームページを以前眺めていて、目に留まった箇所がある。
将来の地震の折に支えてもらうためにも、いま東北を助けなければならない。
そんな論法で、復興支援の意義を教員が説いていた。

都知事選が始まった。
選挙サンデーとなるきょうの街頭では、地震対策ついても様々な訴えが聞かれよう。
美術館を巡る一方で、東北を訪ねることのほとんどなかった前知事の話を蒸し返す気はないが、東京の外への目配りも必要なのは確かだろう。

首都に多くの課題があり、候補者の数だけ公約もある。
目を凝らし、耳を澄ます。
選んだ結果に悔いを残さぬための第1条である。

某大学の先生がホームページで発信した発想は、非常にユニークで独創的なイメージですが、言及しているのは助け合いの精神であり、基本に返れと示教されているように思えます。
阪神淡路大震災の被災者が、恩返しがしたくて東北への支援を申し出た、というニュースは、新聞やテレビで何度となく目にしました。
同じ国土に生まれた人々に心を寄せることの意味深さを、改めて思量すべきと思います。

ところで、都知事選の戦いが本格化してきました。
自民党が分裂選挙になったり、有名な俳優さんが立候補に名乗りを上げたり辞退したり、野党の統一候補者が、政策は後回しで告示ギリギリに決まったり、バタバタ感は拭えません。

私は前回の都知事選で舛添氏に1票を投じました。
結果的には、世界に恥を晒すがごとき退任劇になってしまいました。

都知事選には50億円という莫大な費用がかかるそうです。
多くの都民が選んだ結果として、任期途中で今回の選挙になった訳です。
単なる人気投票ではなく、有権者も真剣に臨まなければなりません
私も投票日までの期間、各候補者の政策をしっかりと確認したいと思っています。

「仁徳者は慈愛をもって政治を行い、人民を分け隔てなく愛するから敵対する者がいない。」
タイトルの仁者無敵の意味です。

仁徳あふれる政治。
これを現在の政治家に求めるのは、難しいことなのでしょうか・・。

068 覧古孝新

「どうして伊豆アートさんって名前なんですか?」

たまにこんな質問を受けることがあります。
所在地は東京ですし、私の名字は山田ですから、疑問に思うのは自然かと思います。

答えは、弊社の創業者である父が伊豆の生まれだから、という陳腐なものです。

静岡県田方郡で農家の三男坊として生まれた父は、昭和24年、荷物をひとつ抱えて上京しました。
印刷会社で働きはじめた少年の夢は、一人前の商人になって、将来自分の店を持つことでした。

そして、昭和52年4月、44歳にして夢を叶えました。

会社を辞めると聞かされた時も驚きましたが、もっと驚いたことがあります。
それは、会社名が「大伊豆印刷株式会社」だと知ったときです。
「えー、ほかにないのー?」
17歳と15歳の姉弟は、口を揃えて反対しました(笑)。
東京で開業するのになんで伊豆なの?と、子供の感性には合わなかったのでしょう。
そして、父の故郷愛に思いを寄せることも出来なかったのでしょう。

開業にあたっては、周囲の方々から多大なるご支援をいただいたそうです。
勤務していた会社の社長、お取り引き先のお客さま、下請けの皆さん、税理士の先生・・。
特に、○城様と西○様には、心強いご支援をいただいたと聞いています。
人とのご縁は、人生を変えるほど大切なのものだ、と改めて思います。

父は昭和8年生まれなので、現在83歳になります(平成28年7月時点)。
年齢なりにガタはきているようですが、お陰様で毎日仕事をしています。

昭和8年。
どんな時代だったのか、ちょっと調べてみました。

この年に生まれた著名人は・・、
誰はさておき、天皇陛下がお生まれになったのが、この年の12月23日です。
なるほど、父は陛下と同じ年齢だったんですね・・。

オノ・ヨーコさんは2月18日生まれ。父と誕生日が1日違いですね。
芸能人では、宍戸錠さん、若尾文子さん、草笛光子さん、黒柳徹子さん・・。
故人では、菅原文太さん、藤田まことさん、池内淳子さん、南田洋子さん・・。
なかなか大物揃いです。

注目すべきは、ビスコとトクホンがこの年に発売を開始したことです。

ビスコは、昭和8年2月、1箱10銭で発売されました。
馴染み深いのは赤い箱だと思いますが、緑の箱の小麦胚芽入りビスコが私は好きです。
また、我が家では、ビスコの保存缶(賞味期限5年間)を非常食として保管しています。

トクホンは、商品名でもありますが、現在は「株式会社トクホン」と社名にもなっています。
また、トクホンの名の由来は、室町後期から江戸初期にかけて活躍した医師・永田徳本です。
諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者だそうで、享年118歳とのこと。
何か謎めいた人物ですね・・。

どちらも80年以上愛され続けている裏には、多いなる企業努力があるはずです。
長年培ってきた信用、見習うべき点は多いですね。

補足
「大伊豆印刷」に関する表記については、他の企業名を中傷する意図はありません。

067 曇華一現

先日京都で立ち寄った、小さな小さな天神様の話です。

京都ひとり旅の楽しみのひとつは、昼ご飯です。
京都には様々なジャンルの美味しいお店がひしめいています。

今回私は、京都屈指の繁華街・四条河原町から少し西に進んだところにある、本家尾張屋という蕎麦屋さんでお昼をいただきました。

この店は、創業550余年という歴史を誇るお蕎麦屋さんで、蕎麦がおいしいことは勿論、「そば餅」というお菓子(饅頭)がとっても美味しいのです。
それもそのはず、創業時は和菓子屋だったのだそうです。

火除天満宮02

天麩羅御膳でお腹を満たしたあとは、すぐ裏手にある火除天満宮を参拝しました。

上の写真は寺町通りから撮影したものです。
見ての通り、ビルの一角のようなところに鎮座しています。

撮ったアングルが悪いのですが、左側はセブンイレブンです。
入口脇には大変立派な社号標があるのですが、神社の存在に気づかない人も多いと思います。

右側の鳥居の先が参道です。
が、ビルの側道のようなロケーションです。
左側はビルの壁面なので、かなりの圧迫感があり、一般的な参道とはかなり差違がありますが、当然手水舎もありますし、社務所や神牛もあり、小さな橋も架かっています。
そして、20mほど進んだ突き当たりの左側に拝殿があるのです。

因みに、火除天満宮(ひよけてんまんぐう)という名称の由来は、元治元年(1864)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れ、その後もしばしば火難から救われたという伝承によるのだそうです。

とても小さな天神様なので、普段は無人です。
しかし、キレイに手入れがされていて、気持ち良く参拝ができます。

無人なので御朱印はいただけない・・と思われがちなのですが、実はいただけます!
もちろん、自動販売機で売っているわけではありません。

岡本鏡店

実は、斜め向かいにある岡本鏡店さんという一般の商店でいただけるのです。
火除天満宮さんには特に氏子がいないため、地域の中で「岡本鏡店」さんが代表で神社を管理されているそうです。

そうと知りつつも、入店するには少し勇気が入りました。
“ ひょっとしてガセネタなのではないか・・。”
“ そもそも鏡屋さんって、これまで入った経験がないし・・。”

少し胸の動悸を感じつつ、店のドアを開けました。

「こちらで天神様の御朱印がいただけると伺ったのですが・・。」

と申し上げると、男性スタッフの方が快く応対してくださいました。
社務所以外で御朱印をいただくという、貴重な経験をしました。

火除天満宮御朱印