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189 用和為貴

国内における新型コロナウイルスに対するワクチン接種が、ここにきてスピードを増してきました。
北海道の奥尻島では、島内の高校生を対象に今月末にもワクチンの接種を始める方針であるとか、東京都新宿区では7月上旬から20代や30代の若者を優先的に集団接種を始めるとか、医療従事者や高齢者以外にも接種対象が広がる傾向を見せています。

とはいえ、現在接種しているのは、海外製のワクチンです。
世界的にワクチンの需要が高まるなか、海外から期待通りに安定供給される保障はありません。

しかし、日本ではワクチン開発に巨額な予算が投じられていないことや、安全性や倫理性の確認に時間を要することなど、国産ワクチンの早期開発は、まだ現実性を帯びていないようです。

アメリカでのワクチン開発に関して、興味深い記事がありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be0246c317e42e6e18630519523d3b964946af7f?page=1

昨年5月15日、トランプ大統領は「オペレーション・ワープ・スピード(OWS)」に着手しました。
その内容は、正規の手続きを踏むと73カ月要する工程を14カ月に短縮し、「安全で効果的なワクチン3億回分を2021年1月1日までに供給する」ことをミッションに定め、具体的には、以下のような工夫が盛り込まれています。

  • 「複数のプロジェクトを並行させ、有望なものは開発途中から治験を開始する」
  • 「事前に3万人のボランティアを集めて、早期承認のためのデータを収集する」
  • 「治験の最中から生産に踏み切る」
  • 「ワクチンが完成する前から、配布と接種の準備を始める」

このあと、上記サイトでは、次のように続けています。

特に製品ができる前から生産に踏み切る、というのは文字通りの「見切り発車」である。後で「ダメでした」となるかもしれず、その場合は投入した予算が無駄になる。とはいえ、アメリカの総人口は3億3000万人。たとえワクチンが完成しても、それだけの数量を用意できなかったら意味がない。事態はまさに「ワープスピード」を必要としていたのである。 そこで開発しながら治験をし、治験をしながら生産し、その間に配布から接種の計画を立てておく。そうでないと間に合わないから。いやもう「後手後手」批判が絶えない日本政府とはえらい違いである。もっともこれと同じようなことを日本でやろうとしたら、官僚は「法律にありません」と首を振り、野党は「失敗したら誰が責任を取るんだ!」といきり立ち、マスコミは「税金の無駄は許されない!」などとのたまうことだろう。

政府への批判は様々取り上げられています。
縦割り行政が悪い、デジタル化が遅れている、過去の教訓が生かされていない・・などなど。

私も企業経営者の端くれとして、政府に申し上げたいことはたくさんあります。
しかし、批判・攻撃・咎立は、心をギスギスさせます。
コロナ禍は、人の素を暴くことになったとも言われています。
足元を見つめ、やるべきことをやり、心が乾かぬように日々過ごしたいと思っています。

将来を思い煩うな。 現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。

高校の倫理社会で学んだ、アミエルの言葉を思い出しました。

そんな中、日本政府が提供したアストラゼネカのワクチン124万回分が、4日午後、台湾の空港に到着したというニュースを耳にしました。

台湾では5月中旬から感染が拡大している反面、ワクチンの調達が難航しているそうです。
蔡総統によると「海外の製薬会社からのワクチン調達が中国の妨害で難しくなっている」とのこと。

台湾といえば、東日本大震災のとき、真っ先に救いの手をさしのべてくれました。

いただいた義援金は総額200億円以上。
震災翌日から台湾各地で募金活動が展開され、日本の5分の1に満たない約2,350万人という人口を考えたとき、その額の大きさに驚きます。

支援は義援金だけではありません。

震災から5日後、3月16日。
白いズボンと白い帽子、背中に蓮のマークをつけた紺色のジャンパーに身を包んだ一団が、茨城県・大洗町に到着しました。
台湾の慈済基金会日本支部の人々で、トラックと自家用車を連ねて、被災地の人々に温かい料理を振る舞ったのだそうです。

また、2カ月後の2011年5月から半年間、台湾政府交通部観光局は「台湾希望の旅」として、岩手・宮城・福島県の被災者1,000人を無料で2週間台湾に招待する支援を行っています。
そして、震災復興が本格化すると東北に直行便を飛ばし、震災後最初に旅行客を送ったのも台湾だそうです。

これらの支援には、2,400人余りの犠牲者が出た1999年の台湾大地震の当日に、救助隊を派遣した日本への恩返しの気持ちが込められているとも言われています。

ワクチン提供の続報として、支援を受けた台湾市民から、台北の日本台湾交流協会台北事務所(大使館に相当)にたくさんの花が届いたと知りました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1319642b83dcaafdd27ff82d68784b4147a90421

こういった国境を越えての助け合いは、心温まる思いがします。

「用和為貴」。
和を用って貴しと為す。
人と人が仲良く協力しあうことが最も大切であるということ。
十七条憲法の第一条にある言葉です。

花といえば・・。
先日、古くから付き合いのある紙問屋の営業さんから、胡蝶蘭が届きました。
プレートには「還暦祝い」の文字。
過日ご紹介した紅白まんじゅうに続いて、お祝いをいただきました。
ありがたいことです。

生まれて初めて頂戴した胡蝶蘭ですが、ネットで調べてみると、大切に育てると長く楽しめるようです。

風通しが良く、エアコンの冷気が直接当たらない場所に置く。
ラッピングは外す(写真にはまだ写っていますが)。
水は控えめに。

日々喜びを感じながら、注意事項を頭に入れて育てていきたいと思います。

188 真剣勝負

セガレが通う学校は中高一貫の男子校です。
毎年5月中旬には体育祭が行われ、白、赤、青、黄の4つの組に分かれて競います。

この色は入学時に言い渡され、卒業まで、いや、極端な言い方をすれば、一生「自分の色」になります。

学校全体を縦割りにし、それぞれに色を割り振って体育祭を行う学校は多いと思いますが、クラス替えなどに関係なく、中1で与えられた色に6年間所属するのは珍しいかも知れません。

そして、この色は、卒業後も非常に大きな意味を持っていて、先輩や後輩に会うと「何色?」と確認し合い、同じ色だと分かると、瞬時に親密度が上がるのだそうです。

さて、体育祭でこの色集団を率いるのは、四役と呼ばれる高校3年生です。
団長、副団長、応援団長、副応援団長で構成され、この4人がヒエラルキーの頂上に君臨します。

また、その他の高3メンバーがその脇を固め、「学担(学年担当)」として下級生の競技指導に当たります。
因みに、セガレは高2の学担を務めています。

学年別に決められた競技種目は毎年変わることはなく、種目別攻略法の奥義が、色ごとに引き継がれています。

もちろん、ルールの変更などにも対応しながら、毎年臨機応変に戦術は練り直されます。
早く走ることより慌てて失格にならないことに重きを置こうとか、多少のリスクを冒してでもタイムを詰めることを第一の目的にしようとか、下級生に細かな戦術を指示するのが学担の任務です。
どうしたら他の組を圧倒できるか、どうやって順位を上げるか、来る日も来る日も議論し、分析し、探究し続けます。

ですから、何度も思慮を重ねた末の戦法が見事にかみ合い、自分の担当競技が好成績を収めると、学担は涙して喜びを分かち合います。

いわんや、優勝の栄に浴した四役は、カラダを震わせて歓喜に浸ります。

ん・・、青春っていいですね。

そして、体育祭当日。
高3だけは、所属する「色」に髪を染めることが許されます。
ここでも、高3の心意気が爆発することになります。

ということで、セガレもこのようになりました。
所属の色は、見ての通りです。

年間を通じて、非常に重要な行事と位置づけられている体育祭ですから、間違っても「運動会」と呼ぼうものならひどく叱られます。

ところが、昨年はコロナ禍で中止を余儀なくされました。
過去、雨天による中止が一度だけありましたが、予期せぬ感染症のために中止せざるを得なかった昨年の四役の無念さは、推し量ることができません・・。

そして、今年。
2日に分けての分割開催に加え、OBや保護者、入学志望の小学生などの見学は許されず、無観客での開催ではありますが、ともあれかくもあれ、中止は回避することができました。
しかも、当初の予定を延期し、先生と高3が協議を重ね、ほかの学校行事予定を動かすなどの苦労の末に、開催に漕ぎ着けました。

幸い天気予報は悪くないようです。
学生生活の貴重な1ページになるよう、親として祈るばかりです。

最後に、日曜日の午後、ほかのお客さんの予約を全て断り、まるで我がことのようにカラーリングをしてくださった美容院「FRAU」の渡瀬先生に、深く感謝したいと思います。

187 有頂天外

今日はとても嬉しいことが2つありました。

1つは、松山英樹選手がマスターズを制したこと。
日本人初、アジア人初の快挙です。

優勝を決めた直後、テレビ解説の中嶋常幸プロと宮里優作プロ、そして実況していたTBSのアナウンサーが号泣していて、思わず私ももらい泣きしてしまいました。

松山選手のプレイが圧巻だっただけでなく、キャディを務めた早藤さんの行動にもスポットライトが当たっています。

それは、松山選手がウイニングパットを決めたあとのこと。

早藤キャディが、18番のピンをカップに戻した直後、帽子を取ってコースへ向けて軽く一礼したのです。

この姿を、アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNなどがツイッターで紹介すると、たちまち世界へ拡散され、多くのリプライがありました。
「日本人はとても威厳があり、敬意を表する人々だ」など早藤キャディを称賛するものが大半でしたが、中には、批判的なツイートも見受けられました。

今、アメリカ国内ではアジア人へのヘイトクライムが急増し、社会問題になっています。
このタイミングで、日本人がマスターズチャンピオンになったことは、とても意義深いのではないでしょうか。

礼に始まり礼に終わる精神や、サッカーW杯の試合後にサポーターが席の周囲を掃除する礼儀正しさなど、私も日本人としてのスピリットを、改めて心に刻みたいと思いました。

そして、もう1つ。

普段から仕事をたくさん発注してくださるお客さんが、私の還暦祝いとして、紅白饅頭を態々お届けに来てくださいました。

箱を開けてみると、まん丸で大きな紅白のお饅頭が箱に収められていて、おめでたい感がいっぱいに溢れていました。

あんこ大好きな私としては、一度目にしてしまったお饅頭をそのまま箱に戻すことはできず、午前11時過ぎというのに、早速いただくことにしました。

ぎっしり詰まったあんこは控えめな甘さで、
「こういう時は、やっぱ和菓子だよなあ・・」
と幸福感もしみじみ味わいながら、白い方を1個ぺろりと平らげました。。

ずっしりと重たいお饅頭を電車で届けていただいた高橋さん、本当にありがとうございました。

私個人へのお祝いとして、仕事上のお客さんからいただき物をするのは、嬉しいというか光栄というか、本当に幸せなことです。

4月になって、仕事がやや落ち着いてしまいましたが、コロナに負けず、業務に邁進したいと思っています。

180 無病息災

私の義母は満80歳になります。
若い頃から、風邪もほとんど引かない、元気印の老媼です。

具合が悪くてダラダラしている姿が嫌いで(これを本人は「クタクタしている」と表現します)、風邪気味で声が嗄れていても風邪なんか引いていない!と言い張り、肩こり、不眠症、便秘、冷え性などにも縁が無く、概ね元気に齢を重ねてきました。

しかし、ここ数年、医者通いを強いられています。

糖尿病の疑いで近所の医院へ行った際、「私は内科医になって☆☆年が経つけれど、こんな酷い血糖値は見たことがない!」と医師から叱られました。

また、ここ数年は血圧が高く、降圧剤を処方されています。

そして、ヘモグロビン値が低いので、めまいの検査を受けるようにと紹介された大学病院では、「この数値で、本当に自覚症状はないの?」と言われたそうです。
この病院へはその後も定期的に通院していますが、先日、予定の時間になってもなかなか帰宅しませんでした。
あとで話を聞くと、検査結果が更に悪化していたため、急遽輸血をすることになって時間を要したとのこと・・。

そこで、義母に携帯電話を持ってもらうことにしました。
そもそも、近くへ買い物に行ったきり長時間帰宅しないこともしばしばなので、今後は周囲の心配は軽減されそうです。
ピンク色のらくらくホンをプレゼントし、基本的な発信と着信方法だけをご教示しました。

そんな義母の最大の趣味は「食べること」。
そして、特徴は「ややずぼらなところ」。

糖尿病などどこ吹く風で、食べたいものを食べ、間食も楽しみ、一方、食事前のインスリン注射を怠ったり、薬の服用がちらほら抜けたり・・。
緊張感はさほど感じません。

ただ、そんな若干いい加減なところが、元気の秘訣なのかも知れません。
検査結果に一喜一憂したり、病気のことが始終頭から離れないよりも、少しあっけらかんとした思考が、ほどよく元気を保っているように思います。

コロナのために、会食をずっと控えてきましたが、先日、久しぶりに食事に誘いました。
義母の大好きなホテルのビュッフェ、とはいきませんでしたが、家の近所の和食屋でランチコースをいただました。

デザートを食べてそろそろお開き、というタイミングで、私たち夫婦の結婚25周年へのお祝いをいただくサプライズがありました。

そう、銀婚式です。

義母の傘寿のお祝いもできずにいたなか、逆にお祝いをいただきとても恐縮しました。

1995年11月5日、日曜日、先負。

目黒雅叙園で挙式を行ったあの日から早25年。
私は当時の父の年齢を超え、カミさんは母の年齢を超えました。

披露宴に出席していただいた方で、その後、鬼籍に入った方が少なからずいらっしゃいます。
特に、先日長姉が亡くなったことで、父はすべての兄弟を失いました。
母方も、体調の優れない弟が1人残るのみです。
時の流れの儚さを、しみじみと感じます。

家族元気で仲良く過ごしていることが最大の親孝行だ、と母は言います。

25年の間には、私が入退院を繰り返した時期や、カミさんのメンタルが不安定な時期がありましたが、セガレも含め、元気に日々生活が送れている今を、有難く思います。
コロナ禍にあって、健康の大切さを改めて考えさせられています。

152 寸草春暉

3月18日は、両親の結婚記念日です。
そして、今日、60回目の記念日を迎えました。

26歳と22歳だった新郎新婦は、86歳と82歳の老夫婦になりました。

しかし、父はまだ毎日仕事をしています。
母も元気ですし、料理の腕前は鈍っていません。

結婚60周年を、一般的に「ダイヤモンド婚式」と呼ぶのだそうですが、夫婦揃って、仲良く、そして元気にこの節目を迎えられるのは、とても幸せなことだと思います。

農家の三男坊として生まれた父は、旧制中学卒業とともに、商人になるという夢を抱いて上京しました。
「“こうりひとつ”で東京に出てきた」と昔から父に聞かされていましたが、「こうり」とは「竹や籐などを編んで作った籠の一種」で「行李」と書くようです。
要するに、荷物ひとつだけを抱え、伊豆の田舎町から東京に出て来た訳です。

一方、母も裕福ではない農家に生まれ、高校に進学することができませんでした。
藁だか何かを編む内職を手伝うから進学させて欲しい、と家族に懇願したそうですが、父を早くに亡くしたこともあり、少女の希望は通りませんでした。
上の学校に進学する級友たちを羨ましく見ていたという母の気持ちを、私には推し量ることなどできません。

そして、同じ印刷会社で偶然働くことになった2人は、昭和34年に夫婦となりました。

中央区月島の狭くて陽当たりの悪いアパートから始まった新婚生活は、まもなく2人の子どもが生まれたこともあり、金銭的には苦労したそうです。

私が社会人になってから、「学習塾の費用の捻出が大変だった」と聞かされました。
その事実を知った時、少なからずショックを受けました。

小学生の頃から、私が行きたいという塾には、自由に通わせてくれました。
中学受験もしましたし(失敗に終わりましたが)、高校も「都立はここしか受けない」と背伸びをした挙句に不合格となり、授業料の高い私立高校に進むことになっても、異議やお小言はありませんでした。
大学はかろうじて国立大学に合格しましたが、追加合格だったため、私立大学に入学金と授業料として70万円近くを出費しました。

進学に関して、私の選ぶ道に反対されたことは一度もありませんでしたが、お金の苦労を子供に悟られぬよう、親は陰で苦労していたのでしょう。
自分たちは進学が叶わなかったので、子供にはきちんと教育を受けさせたいという思いもあったのだと思います。

また、体調面でも、決して順風満帆ではありませんでした。

母は50代で、大腸癌を患いました。
その後、肝炎を起こしたり、腸閉塞で入退院を繰り返すなど、健康を害していた時期もありますが、我慢強い母は、病に負けず、元気を取り戻しました。

父は、一昨年、心臓の手術を受けました。
80歳を過ぎてからの心臓バイパス手術に際して、術前、看護師さんにこう言っていたそうです。

「老人のボクだが、まだやり残したことがある。だから、もう少し生かして欲しい・・。」

どうやら、その本意は「もう少し会社の役に立ちたい。セガレの一助になりたい。」ということだったようです。

自ら会社を興す、即ち、商人になるという夢を叶えたのが44歳の時でした。
学歴も資格もなく、親からの援助も全くなく、ただがむしゃらに家族のため働いてきた父は、80を過ぎてもなお仕事への情熱が衰えておらず、その意欲にはただただ敬慕の念を抱いています。

果たして自分は何歳まで仕事ができるか、そして、子供にどれだけの愛情を注ぎ続けられるか・・。
親のマネは出来ないな、と思っています。

歳を重ねてから、両親は勉強熱心になった気がします。
父は本をよく読みますし、母は四文字熟語の勉強をしているそうです。

人間死ぬまで勉強だと、背中で教えられているように思います。
私も昨年不合格に終わった漢字検定準一級試験を、今年もう一度チャレンジしたいと思っています。

ところで、天皇皇后両陛下にとって、今年は『結婚60年、即位30年』の年にあたります。
今上天皇は、昭和8年12月23日のお生まれで、ご結婚されたのは昭和34年4月10日。
偶然ですが、父と同年齢で、結婚した時期も1ヶ月と変わりません。

先日、陛下の即位30年と、天皇皇后両陛下の結婚60年を祝って、宮内庁職員による茶会が行われたそうです。
私も60回目の記念日当日に届くよう、京都・権太呂のうどんすきを贈りました。
後日、改めて、ささやかながら食事会を開きたいと考えています。

147 三拝九拝

私は、学会や研究会関連の仕事に携わることがよくあります。
しかし、これまで学会に参加したことはありませんでしたが、先週末、初めてその機会に恵まれました。

静岡県立大学で開催された、第8回日本在宅看護学会学術集会に参加させていただいたのです。
しかも、お邪魔させて欲しい、と申し出たところ、副理事長先生のご配慮により、ご招待(参加費免除)の扱いにしていただきました。
それでは、現地の先生方に差し入れをご用意いたします、とお約束しました。

というのも、準備期間中、静岡県立大学のご担当の先生が、2度にわたって、静岡名物のお菓子を宅配便の荷物に同梱してくださったのです。
そこで、今度は私が東京土産をお返ししよう、と思ったわけです。

購入したのは、CAFE OHZANの「クロワッサンラスク」。
今、一番人気といえば「N.Y.C.SAND」かと思ったのですが、金曜日夕方、待ち時間が1時間半以上でしたので、諦めました。
「ここが最後列」と書かれた看板には「お一人様10万円までにお願いします」とのメッセージもありました。
異常な人気に乗じて、横流しにする輩がいるのではないでしょうかね。

さて、当日は、気温こそ少し低めでしたが、朝から晴天となりました。
せっかく静岡まで行くのですから、少し早めに出発し、静岡天満宮と静岡縣護国神社を参拝しました。
好天に誘われ、駿府城公園も散策しました。
下は駿府城公園内の紅葉山庭園です。

引き出し状の大きな箱に入ったクロワッサンラスクを抱えつつ、楽しい時間を過ごすことができました。

さて、肝心の学会では、その大きなお菓子の箱を、静岡県立大学の先生に直接お渡しすることができましたし、10名近くの先生に、日頃の感謝をお伝えすることができました。

また、昨年私がご迷惑をお掛けした山梨県立大学の先生にも、お詫び申し上げることができました。
1年遅れになってしまいましたが、胸のつかえが取れた感じがしました。

ただ、数名お目に掛かれなかった先生がいらっしゃいます。
次回は、新宿での開催が決まっていますから、来年の課題にしたいと思います。

135 土扶成牆

昨年、菊の花が薫る時期に、水戸周辺の神社を訪れました。
ゴルフ以外で、しかも電車で水戸へ行くのは初めてでしたので、新鮮な愉しみがたくさんありました。

茨城県護國神社や水戸八幡宮などを参拝し、最後に立ち寄ったのは、水戸駅から徒歩圏内にある水戸東照宮でした。
流石は東照宮。天井も柱も扉も、カラフルで豪華絢爛でした。

感動しながら参拝を終えると、菊の花に囲まれた社殿入口の右側に、看板を見つけました。
どうやら東日本大震災で倒壊してしまった鳥居の再建に関する、寄付のお願いでした。

倒壊した現場は、このとおり・・。
亀腹のすぐ上で、柱は無残に折損していました。

この看板を見たのも、何かの縁。
御朱印をいただく際に、神職の方にお話しを伺うと、口数や最低額などの決まりはなく、善意にお任せしているとのこと・・。

早速財布の中身を確認すると、一万円札が3枚と千円札が3枚・・。
よし!帰りの特急電車を各駅停車に変更し、この千円札3枚を役立てていただこうと決めました。
一万円札3枚は・・、ちょっとムリでした・・。

寄付の申し出をすると、宮司様から身に余る感謝の言葉をいただきました。
完成の折りには案内状をお送りいただける、とのことでした。

そして、半年が経ち、先日、完成を知らせる郵便が届きました。
4月17日に、鳥居が再建されたそうです。

えっ、4月17日?
仏滅なのに?

と思ったら、4月17日は家康公の命日で、その例大祭にあわせてお披露目されたとのことです。
全く無知でお恥ずかしい・・。

送っていただいた写真には、青空の下、白木の明神鳥居が神々しい姿で聳えていました。
あるべきところに鳥居が戻り、嬉しく思います。
地元の方も、さぞ喜ばれていることでしょう。

ところで、茨城県一宮・鹿島神宮の大鳥居も、震災で倒壊した一つですが、既に新しい鳥居が造立されたそうです。

下の写真が、平成26年6月1日に竣工された新しい鳥居です(平成30年2月撮影)。

東日本大震災によって被害を受けた神社は、1都15県、約4,800社に及ぶそうです。
そんな中、スサノオノミコトを祀っている神社は、被害が少なかったという論文が発表されています。
ちょっとミステリアスな香りがしますね。
興味のある方は、以下をご覧ください。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejsp/68/2/68_I_167/_pdf

133 斗酒隻鶏

社会人になって早34年。
仕事を通じて、多くの方とお目に掛かりました。

そんな中、最も印象的なひとりは、某化粧品会社の女性社長さんです。
私よりも2歳年下の、とても美形な女性でした。

初対面は、私がギリギリ20代だった頃と思います。
その数年後、彼女は結婚し、新宿で開催された二次会に私もお招きいただきました。
因みにこの時、「新郎新婦」は「新郎妊婦」でした。

妊婦、いや、新婦は私と一緒でお酒が飲めないのですが、一方、ご主人は大のお酒好き。
宴たけなわの頃には、ひな壇ですっかり出来上がっている様子でした。

そうこうしているうち会がお開きとなり、私が帰り支度をしていると、

「社長、一緒にタクシーで帰ろう!」

と彼女に声を掛けられました。
因みに、私は当時社長ではなかったのですが、いつもこう呼ばれていました。

「どうせあの人はこの後もどっかで飲むんだからいいの。先に帰ろう。」

結婚式の夜に別行動って、変な夫婦だなあと思いつつ、新婦の友人らとタクシーに相乗りしました。

ひとり、またひとりと下車し、結局タクシーに残ったのは我々2人。
旧知の仲とはいえ、昼間式を挙げたばかりの女性と2人だけ、というシチュエーションに、いささか違和感を感じはじめた矢先・・、

「社長、カラオケ行こう!!」

結局、私は、新婦で妊婦な人妻と2人だけで、深夜のカラオケボックスに行き、数時間大盛り上がりしたのでした。

今となっては、とてもいい思い出です。
出来ることなら、あの頃に戻りたいと思います。

何故なら・・、

42歳で彼女は亡くなってしまいました。
乳がんでした。

私にとって彼女の存在は「男友達」でした。
仕事を超え、性差を超え、とても親身な関係でした。

「社長、良かったね〜、これ持ってって!!」
私にようやく子供が出来たと知るや、我がことのように喜んでくれ、色々といただきものをしました。
亡くなる2年前のことでした。

「界面活性剤ってね、水と油を混ぜちゃうんだよ、社長はただでさえ危ういんだからシャンプー変えないと禿げちゃうよ」
そう言って、石けんシャンプーを勧めてくれたのは彼女でした。
今も年齢相応の頭髪量が維持できているのは、間違いなく彼女のお陰です。

「社長、タバコちょうだい!もう安定期に入ったから大丈夫!」
でも、大きなお腹の彼女にタバコを渡したのは、大失敗だったな・・。

「社長、B4の短辺って何センチ?えっ、257ミリ!?て~んさい~!」
天才でも何でもないです。そんなこと知らない印刷屋なんていませんから。

決して長いお付き合いではありませんでしたが、様々な思い出が蘇ります。

距離的な問題もあって、まだ、墓参が叶っていません・・。
彼岸の入りにあたり、亡き友へ思いをはせ、感謝のまことを捧げたいと思います。

130 嫣然一笑

先日、お客様3人と食事会をしました。
しかも、私以外はすべて女性。
私もまだまだ捨てたものではないなと・・。

仕事で知り合った方と、こういう集いをもてることは本当に有難いことです。
食事もゴルフも「接待」という冠が付いた途端、純粋に楽しむことは難しくなりますが、先の会合は完全なるプライベート。
一緒に食事をするのは初めての機会でしたし、価値観の合う皆さんでしたので、心から楽しい時間を過ごすことができました。

帰り際には、LINEのグループを組みました。
グループ名は「Habitationの会」。
命名の理由は我々だけの秘密です。

また、嬉しいことに、洋菓子のプレゼントをいただきました。
バレンタインデーが近かったからかも知れません。

ひとつは、キースマンハッタンのローストナッツブラウニー。
チョコとナッツの組み合わせが美味しくて、帰ったその夜、寝る直前だというのに、2個食べてしまいました。
このお菓子は、取扱う店舗が限られているため、なかなか入手が困難なようです。
お取り寄せ専門サイトでも紹介されていました。

もうひとつは、焼き菓子専門店・ビスキュイテリエ ブルトンヌのウィークエンドという名のパウンドケーキ。
レモンの香りとシャリシャリの糖衣が、たまりませんでした。
私、元々パウンドケーキに目がないのですが、これまでに食べたものより、抜群の高級感でした。

この連休、甘い物には事欠かずに済みそうです。

この方々からは、以前、私が入院した際に、病室にお花を届けていただいたこともあります。
仕事を超えて、人としてお付き合いができることは無上の喜びです。

これからも「ご縁」は大切にしていきたいと思っています。

127 倒載干戈

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りを、今年もご紹介したいと思います。
全体像がより分かるよう、広角レンズで撮影しました。
スケールの大きさ、伝わりますでしょうか・・。

向かって右側には、一方通行の道路があるのですが、今年はこの路地にも小規模ながら掲示がありました。
小さなお孫さんを持つお年寄りの琴線に触れること間違いないですね。

正月の特別感は、ひところに比べると希薄になってきているように思います。
私が子供の頃、正月になると、母は下着やタオル、歯ブラシなどの日用品を新しいものに変えていました。
さすがに書き初めはしませんでしたが、正月はやや襟を正して迎えるもの、と教えられた気がします。

私にとって、正月の特別感を代表するひとつは初詣でしょうか。
初詣は、父の名付け親が眠る靖国神社へ必ず足を運びました。
裏を返せば、靖国へ行くのは正月だけでした。

子供の頃の習慣はカラダに染み付いてしまうのか、50半ばになった今も、正月は家族を連れて靖国神社へ出向いています。

今年は2日の朝に詣でました。
ご朱印をいただきに行くと、来年ご創立150年を迎えるにあたり、記念のご朱印帳が販売されていたので、迷うことなく購入しました。
ご朱印代別で、1,500円をお納めしました。

靖国神社の中門鳥居の左手には、掲示板があります。
ここには、死を覚悟した若い兵士が、戦地から家族に宛てた書簡が紹介されています。
父が毎年読んでいましたので、必然的に私も読むようになりました。

正直、涙なしで読むことはできません。
と同時に、生まれてくる時代と国を選べない無情を感じます。

年頭にあたり、今の我々の暮らしの背景には、志半ばにして散華した多くの命があることを、心に刻みたいと思います。