吃驚」カテゴリーアーカイブ

112 義気凛然

宣誓。
私たちは野球を愛しています。私たちは野球に出会い、野球に魅せられ、野球によって様々な経験を重ねてこの場所に立っています。いよいよ今日から夢の舞台へのたった1枚の切符を得るための戦いが始まります。私たちは東東京、西東京の頂点を競うライバル同士ですが、同時に同じ夢を追いかける同志でもあります。青春のすべてをかけて戦うことができる幸せと喜びを、支えてくれるすべての皆様に感謝しながら、野球の素晴らしさが伝わるよう、野球の神様に愛されるように、全力で戦うことをここに誓います。

平成29年7月8日

選手代表 早稲田大学系属早稲田実業学校高等部 硬式野球部主将 清宮幸太郎

この選手宣誓には感動しました。
近年、オリジナリティあふれる選手宣誓が行われていることは知っていましたが、昨日、神宮球場で開催された東・西東京大会開会式でのこの宣誓を新聞やニュースで知り、正に心を打たれました。

朝日新聞によると「愛しています」という言葉を選んだ理由について清宮選手は、
「『好き』より思いが伝わると思いました。また、小林麻央さんが最後に言っていた言葉として印象に残っていたのもある。」
と話したそうです。

清宮選手ひとりで考えた文章ではないのかも知れません(想像に過ぎませんが・・)。
しかし、宣誓の時間は過去の甲子園や都大会の映像を見て、最適な長さを探ったのだそうです。
また、練習では主将として常に声を張り上げるのですが、前日の練習の際には、声を荒らげないように抑え、選手宣誓に備えたと、半分冗談半分真剣に話していたとか。

多くの注目が集まる灼熱のグラウンドで、ひとりマイクの前に立ち、これだけの文章をきちんと暗記し、皆に伝わるように話すことの大変さは、並大抵ではないと思います。

清宮くんという高校生は、野球だけに秀でているのではないな、と感じました。

甲子園への切符は、容易に手に入るものではないと思いますが、怪我のないように、悔いのないように、予選を戦って欲しいと思います。

そして、願わくは、この夏甲子園球場で彼の選手宣誓をもう一度聞きたいものです。

109 前途洋々

ドイツのデュッセルドルフで開催されていた世界卓球が幕を閉じました。
私が、最も印象に残ったのは、弱冠13歳、中学2年生の張本智和くんです。

史上最年少でベスト8に進出し、最後は世界ランク3位の中国選手に負けはしましたが、1ゲームを奪う健闘を見せました。
この試合は、日本時間の早朝4:45から放映されたのですが、我が家は全員でテレビ観戦しました。
私にとっては、いつもより15分だけの早起きでしたので、特別なことでもありませんでしたが・・。

今大会、張本くんの快進撃のきっかけとなったのは、日本のエース・水谷隼選手を破った2回戦ではないでしょうか。
大番狂わせ、下剋上と報じられましたが、破れた水谷選手も『純粋に強かった』と述べていたように、決してまぐれではないでしょう。

しかし、とても残念なことに、この試合は地上波では放映されませんでした。

日本時間の6月1日夜、『さあ、このあとは水谷さんと張本くんの日本人対決だぞ!』と思ったその時、世界卓球から全仏オープンの錦織選手の試合へ、中継が切り替わってしまいました。
二元中継であることは知っていましたが、世界の大舞台での日本人選手の対決を放送しないことに、ひどく失望しました。

ネット上でも、『卓球やれー』『今日はテニスじゃないでしょ』などという声がかなり上がっていましたし、危うく錦織選手がキライになるところでした。

タイムアウトの際に監督の助言をまっすぐに聞く姿勢や、4回戦で対戦したヨーロッパの選手に嫌がらせとも思える仕打ちを受けても自分を乱すことなく正々堂々を戦う姿には、感動を受けました。
東京オリンピックを17歳で迎える張本くんの成長を、陰ながら応援したいと思います。

 

それから、もうひとり中学生の怪物にも触れておきたいと思います。
そもそも非凡な人たちの集団である将棋界にあって、「天才」と呼ばれる藤井聡太四段です。

藤井くんは平成14年生まれの中学3年生で、21世紀生まれ初のプロ棋士なのだそうです。
ご両親は将棋界とは関係がないようで、初めはおばあちゃんに手ほどきを受けたとか…。

彼が現在通学しているのは、名古屋大学教育学部附属中学校。
愛知県内有数の名門校で、辻元清美衆議院議員も同附属高校の卒業生とのこと。
勉学も優れた少年のようです。

一方、相当のおっちょこちょいだそうで、お母さんは「生活能力が低い」とコメントしています。中学に入学してまもなくの頃、大阪の関西将棋会館に1人で泊まりがけで行かせたところ、「服と傘を全部(将棋会館に)忘れて帰ってきた」という逸話の持ち主だとか。
将棋も勉強も私生活も完璧、なんていうより、とても魅力的な少年だと私は思います。

2017年6月6日現在、プロデビューから公式戦20連勝中ですが、記録はどこまで伸びるのでしょう。
将棋界は、対局中にスマホで将棋ソフトを使用した云々騒動がありましたから、藤井くんは正に救世主のような存在かも知れませんね。

張本くんも藤井くんも、それぞれの世界でひときわ輝きを放っています。
正に、前途洋々。
明るい未来へ突き進んで欲しいと思います。

106 耳聡目明

耳聡目明。
目と耳の感覚のどちらもすぐれていることです。
若い頃は、そんな自負がありました。

ところが、40歳を目前にして、まず、近くが見えなくなってきました。
現在は、老眼鏡がないと仕事になりませんし、食事も摂りにくいほど進んでしまいました。

そうこうしているうち、遠くも見づらくなってきました。
ついには、近く用と遠く用、両方のメガネを持つようになりました。

また、30歳代後半頃から、健康診断で左耳の聴力異常を指摘されていました。
とはいえ、自覚症状が全くないため、ずっと放置していました。

しかし、5年ほど前、左耳に違和感を覚え、耳鼻科を受診したところ、難聴と診断されました。
それでも意に介さず、聞き流していたある日、テレビを見ながら良好な耳をふさいでみたら、テレビの音量が半分ほどになってしまいました。

流石にこれはショックでした。

その後、経過観察を続けていましたが、最近、会話の中で「えっ?」と聞き直すことが増えたように思い、改めて検査したところ、補聴器を試してみてはどうか、と医師から勧められました。

「私の聴力は、補聴器を使用するほどのレベルなのでしょうか?」と尋ねると、
「そうですね」と医師にあっさり答えられ、これまたショックを受けました。
「将来のために、一度体験しておけば?」程度の話かと思ったら、そうではありませんでした。

そして、今・・・・、
私の左耳には補聴器が装着されています。
医師の紹介状と検査検査を持参して専門店へ出向き、2週間の約束でレンタルしてきたのです。

難聴の診断が下って以来、補聴器の存在は、どこかで意識していました。
いつか使用する時が来るのだろうと・・。
しかし、こんなにも早く、その時が来るとは思いませんでした。

補聴器を借りた後、スターバックスでお茶して、小一時間散歩をし、電車で帰路に着きました。

スターバックスの店員さんが椅子をズリズリっと動かす音、なんかうるさいなあ・・。
電車のホーム、ちょっと賑やかに感じるなあ・・。
装着感はほとんど感じないなあ・・。

そんなことを感じながら家に戻り、トイレに入りました。
すると、用を足す音の大きさに、ひどく驚きました。
また、水が流れる音も、とても新鮮でした。

明日、出社すると、ほかにも新たな発見があるのでしょう。
オンデマンド機の音に、驚いたりするのかなあ・・。

105 雨過天晴

♪探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?カバンの中も机の中も
探したけれどみつからないのに♫

昭和48年にリリースされた、井上陽水さんの「夢の中へ」の歌詞です。
子供心に、独創的でユニークな歌詞だなあと思っていました。

ところで、先日、御朱印帳が1冊、見当たらないことに気付きました。
普段保管している場所は、押し入れというかクローゼットのカラーボックスの一番上。
白い紙を敷いたその上に置いています。
ところが、1冊、どうしても見当たりません。

その1冊は、諏訪大社で購入したお気に入りの黒い御朱印帳です。
その後、二荒山神社や上賀茂神社、下鴨神社などで御朱印をいただき、最後に頂戴したのは、3月20日、静岡県の三嶋大社でした。

忘失に気付いた当初は、そのうちどこかから見つかるだろうと高をくくっていました。
さしずめ「探しものは何ですかぁ〜〜」と鼻歌まじりで探していた感じです。

しかし、何の手がかりもなく一週間が経過し、徐々に焦ってまいりました。

「御朱印帳をなくすなんて、神様に失礼だよね〜。」
「三島からの帰り、新幹線の車内に置いてきちゃったんじゃない?」

凹んでいるところに家族から非難の声を浴び、踏んだり蹴ったりでした。
しかし、片付けに関してはカミさんの方が何倍も上手ですから、反撃の余地はありません。
大切な御朱印帳を新幹線に忘れてくるほどアホじゃないわい!と言いたいところでしたが・・・・。

そこで、昨日夜、クローゼットの大捜索を敢行しました。
手前にある荷物を全て取り出し、定位置をつぶさに眺めてみました。

すると、御朱印帳を置いてあった場所の後方に、3cmほどの隙間を発見しました。
一縷の望みをかけて裏側を覗くと、暗闇の中に、何か物体が見えるではありませんか!

こうして、無事に探し出すことができました。
モヤモヤが一気に失せ、正に晴れ晴れしい気持ちとなりました。

よし、気分も新たに神社巡りだ!と張り切っていたのも束の間、絶好の神社日和の日曜日は、家族サービスであっという間に過ぎていったのでした。

098 堅忍果決

21日、神田明神で、新春の風物詩「寒中禊(みそぎ)がまん会」が行われました。
新成人が冷水を浴び、身を清める行事ですが、一般の方も参加できるようです。

私が到着したのは9時半頃でしたが、すでに多くの人がカメラを持ち、集まっていました。

並んで待っていると、10時の開始直前「参加者が走ってくるので一旦下がって下さい」と。
カメラを構えて、30分以上前から並んでいた人にとっては不満だったでしょう。
中には自分のポジションを守るために、その場から動かない年配の男性もいました。

すると・・・・、
「はいはい、どいて!下がれ下がれ!邪魔、ジャマ!!」
法被が似合うお腹デップリの下町のオジさんは、なかなかの迫力でした。

そうこうするうち、ふんどし姿の男性と、白装束をまとった女性が走ってきました。
そして、2周目、禊の場所に参加者が入ると、下がっていた見物人が一斉に動きました。
元々2列目にいた私は、要領よく最前列を陣取りました。
ま、周囲の平均年齢は明らかに私より上でしたから、当然と言えば当然の結果です(°▽°)

寒中禊を間近で見たのは初めてでしたが、これは真似できませんね。
水を頭から浴びるたび、気合のこもった声を上げる参加者の迫力に押されっぱなしでした。

粉雪が舞った一昨日に比べれば、昨日は幾分気温も上がりましたが、時折強風が吹き荒び、見ているだけでも足先が冷えてきました。
そんな中、もちろん参加者は裸足。
しかも、冷水は一度浴びれば終わりではなく、ローテーションして何度も浴びるのです。

私も少しは見習って、午後から気合いを入れて、残った仕事を片付けたいと思います。

寒中禊02

寒中禊01

092 千変万化

初詣に関して、ちょっと衝撃的な報道を目にしました。
東京都港区の愛宕神社が、1月4日限定で、初詣の賽銭を電子マネーで受け入れるのだそうです。
以下、ニュースの抜粋です。

電子マネーの導入は、「楽天エディ」を展開する楽天側が提案した。
当日は楽天が無償で読み取り端末1台をレンタルする。
通常、決済ごとに加盟店からもらう決済手数料もとらない。
午前8時から日没ごろまで、本殿前に常設されている、さい銭箱の横に端末を置く。
参拝者は好きな金額を1円単位で入力。自身のカードや携帯をかざすと決済される。

愛宕神社は虎ノ門ヒルズの近く、都会のど真ん中にあります。
また、自然の地形としては東京23区でもっとも標高が高い愛宕山の山頂に鎮座しています。
総本社は京都の愛宕神社で、防火・防災に霊験のある神社として知られています。

愛宕神社01

偶然ですが、一ヶ月ほど前に、私もはじめて参拝しました。
参道には急な石段があって、「出世の石段」として知られていますが、噂に違わぬ急階段でした。

愛宕神社02

それにしても、お賽銭が電子マネーですか・・・・。
スゴイ時代になったものです。
賽銭泥棒が、成り立たなくなる訳ですね。

そのうち、拝殿で手を合わせている横から「ワオン!」なんて音がしたりするのでしょうか。
御朱印がプリンター出力、なんてことにはならないで欲しいなあと思ったりします。

愛宕神社03

083 天潢之派

平成28年10月27日、三笠宮崇仁親王が100歳で薨去されました。
謹んで哀悼の意を表します。

このニュースが報道されたとき、ほとんどのメディアが「薨去」と報じました。
確か、昭和天皇が亡くなられた際は「崩御」と報じられていたはず‥‥。
なぜ表現が異なるのか、ちょっと調べてみました。

崩御(ほうぎょ)
日本の天皇陛下をはじめ、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、その他君主などが亡くなられたとき

薨御(こうぎょ)
皇太子や大臣が亡くなられたとき

薨去(こうきょ)
皇太子妃、親王、親王妃、内親王、または、*位階が三位(正三位・従三位)以上の方が亡くなられたとき

卒去(そっきょ、しゅっきょ) 王、女王、または、位階が四位(正四位・従四位)、五位(正五位・従五位)以上の方が 亡くなられたとき

*位階とは、長く官職にあった者や特に功績のあった者など付与される栄典の一つで、
第二次世界大戦以降は、故人にのみ与えられています。

これはなかなか難しいですね‥‥。

死去・逝去・永眠・他界・鬼籍に入る。
私のボキャブラリーはこの5つくらいでしたが、どれも皇室には使用しないんですね。
しかも、身分によって使い分けなければいけないところが、非常にデリケートだと感じます。
宮内庁のスタッフはこれら難解な用語がすべて頭に入っているとしたら、恐れ入りますね。

その宮内庁のホームページには「用語集」が掲載されています。
これもなかなかヘビーでしたが、とても興味深い内容でしたので、一部をご紹介します(http://www.kunaicho.go.jp/word/)。

・行幸(ぎょうこう)天皇が外出されること
・還幸(かんこう) 天皇が行幸先からお帰りになること

・行啓(ぎょうけい)皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されること。
・還啓(かんけい) 皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が行啓先からお帰りになること。

・行幸啓(ぎょうこうけい)天皇・皇后がご一緒に外出されること
・還幸啓(かんこうけい) 天皇・皇后がご一緒に行幸啓先からお帰りになること。

おそらく、「幸」や「敬」には皇族が外出されるという意味があるのでしょうね。
私の持っている漢和辞典には、掲載されていませんでしたが‥‥。

いずれにしろ、こういった使い分けが理解できたら、新聞記事が楽しくなるかも知れません。
眞子様や佳子様、愛子様がご結婚される際には、目新しい言葉が紙面を飾るでしょうから。
ちょっと勉強してみようと思っています。

【余談】
「鬼籍に入る」は、「はいる」ではなく、「きせきにいる」と読むのが正解です。

073 一子相伝

先日、突然夜景が撮りたくなって、レインボーブリッジに行きました。
車は、お台場海浜公園中央駐車場に停めました。

まず目指したのは、アクアシティお台場3Fのスターバックスです。
広い店内に、椅子が独特に配置されており、とても寛げるスペースでした。
また、場所柄なのか、お客さんの平均年齢が非常に若かったですね。
ワタクシ、間違いなく最高齢でした。
カプチーノ(ホット)なんかオーダーしている人、私以外には見当たらなかったです。
2人に1人は、フラペチーノ、飲んでました。
3人に1人は、ポケモンGO、やってました。

ここに寄ったのは、コーヒーが飲みたかったという理由だけではありません。
ここのテラスからの眺望を確認したかったのです。
予想通り、目の前がレインボーブリッジで、少し高い位置から撮影できました。

スタバのテラスから

その後、テラスを歩いていると、若い女性に声を掛けられました。

写真を撮って欲しい、というリクエストでした。
快く応じると、20台前半の男女5人グループで、スマホを渡されました。

スマホか…。苦手だな…。老眼鏡持ち合わせてないし…。

本音は隠し、努めて明るく『撮りますよ〜』と言いながらスマホを構えました。
すると、カメラ越しの若者たちが、意外にカタい表情なのです。

ありゃ、テンション低いな。
ちょっとシャイな若者集団?

それとも、撮影を頼んだこのおっさん、苦手なタイプだった?

よし、アレをやろうと決めました。

じゃあ、もう1枚、撮りますね。
イチ・ニ・サンで撮りますよ。

イ〜チ・ニ〜・サ〜ン・シ〜・ゴ〜・ロ〜ク……。

え?みたいな反応でしたが、クスっと笑ってくれた「ロク」あたりでシャッターを切りました。

これ、アメリカ仕込みの『笑顔を撮る方法』なんです。

ワタクシ、大学時代にアメリカ西海岸でホームステイを経験しました。
そこでお世話になったホストファミリーのご主人・フランクは、大のカメラ好きで、
『これはとっておきの方法だ。必ず笑顔が撮れるぞ。Masamiにだけ特別教えよう。』
ニコンの愛機を手に、自信たっぷりに、伝授されました。

しかし、この必殺技、過去何度か大きく外したことがあります。
そういえば、日米の国民性の違いについては、フランクは言及してなかったか…。

071 嘉辰令月

今日は私がこの世に生を受けて、ちょうど20,000日目にあたります。
私にとって20,000回目の朝なんだなあと、今朝はどことなく感慨深い思いでした。
単純に20,000÷365=54.79ですから、なるほど、55歳の誕生日前にこの日は来るんですね。

20,000日目であることを知ったのは、思いがけないことがきっかけでした。

私には98歳になる伯父がいます。
10月が誕生日なので、来年秋には100歳になります。
100歳って日数にすると何日になるんだろう?
そんな疑問からでした。

振り返ってみると、私にとっての5,000日目は1975年6月30日(月)。
中学2年になって3ヶ月後。
スポーツに打ち込む訳でもなく、
一生懸命勉強する訳でもなく、
生意気盛りの中2には、彼女がいるはずもなく・・。
これといって特徴のある少年ではなかったですね。

10,000日目は1989年3月8日(水)。
27歳春。
どちらかといえば結婚願望のある方でしたが、全く叶いませんでした。
春が身近に感じられず、
将来の展望も開けず、
やや暗い青春時代を送っていました。

15,000日目は2002年11月15日(金)。
結婚して約7年。
40歳を過ぎても子宝に恵まれず、
友人たちの子は着々と成長し、
周囲から二世を期待する声も若干遠ざかりはじめ、
人生設計の修正が必要だな、と感じていました。
カミさんと二人の生活をどう楽しんでいこうかと・・。
まさか、翌年秋にセガレが生まれるなんて、想像もしていませんでした。

そして、20000日目、2016年7月24日(日)。
家庭は円満だし、
両親は元気だし、
今日のご飯に困ってはいないし・・。
人並みに仕事のストレスは抱えておりますが、幸せな節目の日だと思っています。

20000日だ、20000日だ、と騒ぐ私をよそに、家族の反応はいたって冷静でした。
しかし、しつこく訴え続けたらカミさんが晩飯に付き合ってくれました。
『20000円の料理を食べる資格が今日のオレにはあるんじゃないか!』との主張は、
あっさりと否定されてしまいましたが…。

因みに98歳になる伯父は、既に36,000日を超えています。
ん・・、先は長い・・。

068 覧古孝新

「どうして伊豆アートさんって名前なんですか?」

たまにこんな質問を受けることがあります。
所在地は東京ですし、私の名字は山田ですから、疑問に思うのは自然かと思います。

答えは、弊社の創業者である父が伊豆の生まれだから、という陳腐なものです。

静岡県田方郡で農家の三男坊として生まれた父は、昭和24年、荷物をひとつ抱えて上京しました。
印刷会社で働きはじめた少年の夢は、一人前の商人になって、将来自分の店を持つことでした。

そして、昭和52年4月、44歳にして夢を叶えました。

会社を辞めると聞かされた時も驚きましたが、もっと驚いたことがあります。
それは、会社名が「大伊豆印刷株式会社」だと知ったときです。
「えー、ほかにないのー?」
17歳と15歳の姉弟は、口を揃えて反対しました(笑)。
東京で開業するのになんで伊豆なの?と、子供の感性には合わなかったのでしょう。
そして、父の故郷愛に思いを寄せることも出来なかったのでしょう。

開業にあたっては、周囲の方々から多大なるご支援をいただいたそうです。
勤務していた会社の社長、お取り引き先のお客さま、下請けの皆さん、税理士の先生・・。
特に、○城様と西○様には、心強いご支援をいただいたと聞いています。
人とのご縁は、人生を変えるほど大切なのものだ、と改めて思います。

父は昭和8年生まれなので、現在83歳になります(平成28年7月時点)。
年齢なりにガタはきているようですが、お陰様で毎日仕事をしています。

昭和8年。
どんな時代だったのか、ちょっと調べてみました。

この年に生まれた著名人は・・、
誰はさておき、天皇陛下がお生まれになったのが、この年の12月23日です。
なるほど、父は陛下と同じ年齢だったんですね・・。

オノ・ヨーコさんは2月18日生まれ。父と誕生日が1日違いですね。
芸能人では、宍戸錠さん、若尾文子さん、草笛光子さん、黒柳徹子さん・・。
故人では、菅原文太さん、藤田まことさん、池内淳子さん、南田洋子さん・・。
なかなか大物揃いです。

注目すべきは、ビスコとトクホンがこの年に発売を開始したことです。

ビスコは、昭和8年2月、1箱10銭で発売されました。
馴染み深いのは赤い箱だと思いますが、緑の箱の小麦胚芽入りビスコが私は好きです。
また、我が家では、ビスコの保存缶(賞味期限5年間)を非常食として保管しています。

トクホンは、商品名でもありますが、現在は「株式会社トクホン」と社名にもなっています。
また、トクホンの名の由来は、室町後期から江戸初期にかけて活躍した医師・永田徳本です。
諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者だそうで、享年118歳とのこと。
何か謎めいた人物ですね・・。

どちらも80年以上愛され続けている裏には、多いなる企業努力があるはずです。
長年培ってきた信用、見習うべき点は多いですね。

補足
「大伊豆印刷」に関する表記については、他の企業名を中傷する意図はありません。