先週末、センター試験が行われました。
志願者数は、約576,000人だったそうです。
私が受験したのは、もう37年も前のこと。
当時は共通一次試験と呼ばれていました。
この試験が導入されるまで、国公立大学は一期校・二期校の中から各1校受験できましたが、共通一次試験によって、1校だけしか受験できないことになりました。
しかも、試験は「5教科7科目、1,000点満点」という、なかなか過酷なものでした。
昭和55年1月12日、試験初日の朝、忘れもしない出来事がありました。
寝ていた2階から階下へ行き、居間のドアを閉めながら「おはよう!」と挨拶した瞬間、入口に提げてあったカレンダーがストーンと落ちたのです。
「おはよう!」「ストーン!」の見事なタイミングは、まるで吉本新喜劇のようでした。
絵に描いたような縁起の悪さに、思わず笑うしかなかったですね。
受験会場は東京大学でした。
東京大学で受験しているのであって、東京大学を受験している訳ではなかったのですが、構内に入ると「よし、大学生になるぞ!」と気分が高揚した覚えがあります。
ただ、自己採点の結果は、目標の780点には遥かに及ばない、732点でした。
二次試験の出願校判断のため、某予備校に結果を提出したら、化学の偏差値が32でした。
順位は、およそ119,000人中、109,000位。
今年に当てはめれば、576,000人中、527,600位ですか・・・・。
理科は苦手でしたので好成績は望んでいませんでしたが、さすがにこれはショックでしたね。
私は、共通一次試験導入後、2年目の世代です。
従って、大学1年生のとき、1,2年生は共通一次試験組、3,4年生は一期校・二期校組でした。
一期校の東大を目指していたのに、何かの間違いで二期校の横浜国大に入ってしまった上級生と、マークシート方式で答案用紙を適当に塗りつぶす共通一次試験を経て入学した下級生。
出来の違いは、極めて明白でした。
ある講座では、担当教員から真顔でこう言われたこともあります。
「今年の生徒は共通一次試験組ですね・・・・。じゃ、試験問題は易しくしてあげますか。」
「ゆとりですがなにか」の昭和版ってところですかね。
おつむの出来は素晴らしい上級生たちですが、反面、ルックスの悪さも特筆ものでした。
薄汚れたジーンズ、何日も着続けているTシャツ、すり減ったサンダル、黒縁メガネ・・・・。
大変に優秀な先輩たちでしたが、まったく憧れの対象にはなりませんでした(笑)。
そういえば、今年のセンター試験は、今季最強寒波の襲来に見舞われましたね。
私も受験の時、寒さ対策にと、股引を履かされました。
ところが、普段履き慣れないために、下半身の暑さが妙な違和感となりました。
股引は、今や冬の必須アイテムとなったワタシ。
時代の趨勢を感じます・・・・。