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057 一言芳恩

今日はセガレの入学式でした。
年度末の繁忙期を抜けたことと社員の協力もあって、私も参列できました。

受験戦争を勝ち抜いた240人の主役たちは、皆、輝いていました。
その中に、ピカピカでブカブカの制服に身を包んだセガレを見つけたとき、中学生になったんだなあ・・・・、と親としては感慨深いものがありました。

そして、いつものことながら、子供の式典への父親の出席率の高さに今日も驚きました。

私もはるか昔、中学受験をしましたが、「受験勉強」に励んだ記憶は皆無です・・・・。
週末は野球ばかりしていましたし・・・・。

一番の思い出と言えば、「私立中学を受験する」ことを周囲に伝えたところ、小学校の担任と、塾の先生から、正反対の言葉が返ってきたことでしょうか。

「受験はやめた方がいいです。受かる見込みはありません。」
こう言ったのは小学校の担任の先生です。
この先生は、4年生から3年間続けて担任だったのですが、とにかく私は反りが合いませんでした。
お前のような不真面目な生徒が合格出来るはずがない、受験料のムダだ、と一蹴されました。

「受験はやめた方がいいです。受かっちゃいますから・・・・。」
塾の先生からは真逆のことを言われました。
その言葉の本意は、受験しようとしたのが大学の付属中学だったからです。

『この学校に行ったら、大学までストレートだぞ。もう、大学を決めてしまうのか?』
『今後の努力によっては、東大に入れる可能性だってあるのに、その扉を閉めてしまうのか?』

この先生は、私を評価してくださり、大層期待を寄せてくださる先生でした。
東大は言い過ぎですが(笑)。

実は、中学1年生のとき、私はクラスで仲間外れにされた時期がありました。
両親も担任も気付かなかったその異変を、唯一、察してくれたのがこの先生でした。
そして、ある日の授業後、私は居残りを命じられました。

山田、お前、学校で何かあったんじゃないか?
最近明らかに元気がない。
そして、元気がなくなってから、成績も変だ。
言いたくなければ言わなくてもいい。
しかし、誰かに相談したいと思ったら、まず、オレのところに来い。

もう40年も前のことですが、この時の光景は鮮明に覚えています。
自分を見てくれている人がいるって、力が湧きますし、勇気が出ますね。
忘れもしません、お名前は松永先生です。
地元に根付いた小さな小さな塾でしたが、私にとっては大切な場所でした。

さて、肝心の中学受験の結果は、見事、不合格。
学校の担任からは「オレは間違ったことは言わない」みたいなことを言われました。
一方、松永先生からは「悔しいかも知れないが、喜べ。」と複雑なお言葉を頂戴しました。

そして、3年後。
高校受験に臨んだ私は、大学の付属校は受験しませんでした。
大学受験でもう一度勝負をしようと決めたからです。
その決意の源は、間違いなく松永先生の言葉でした。

これからの6年間で、恩師と呼べる先生にセガレが出会えることを、切に願っています。

055 春和景明

我が家の中学受験が無事済んで、約50日が過ぎました。
受験生という肩書きが取れたセガレは、気楽な日々を過ごしているようです。

しかし、中学校側からは「入学までにするべきこと」が指示されています。
夏目漱石らの名作を読む、これから本格的に始まる英語の準備をする、などです。
羽を伸ばして思う存分遊んでよろしい、とは言わないんですね。
因みに今セガレは「吾輩は猫である」を読んでいます。
文庫本は文字が小さいとか、ページ数が多いとか、不平不満をこぼしながら・・・・。

中学受験には、親の役割も大きいですね。
受験生といってもまだ12歳の小学生ですから、親のサポートは当然必要です。
スケジュールの管理、テキストの整理整頓、弁当作り、夜のお迎えなど、親子で受験するといっても過言ではないでしょう。

中には、積極的に勉強を教える親も少なくありません。
親がテキストを事前に解いておき、授業後に子供の理解度を確認しながら自宅で教える、なんて強者もいるようです。

私は、というと・・・・、
一生懸命に尽くしたのは「車での送り迎え」。
あとは、子供を見守ることに努めました。

ある時、算数の答案用紙に、投げやりな落書きをしたことがありました。
算数は元々大好きで得意な科目でしたが、何かに躓いたのではないかと思い、落書きを叱るのではなく、彼の胸中を聞きました。

また、「今日はこんな難問が解けたんだ!」と、子供が目をキラキラさせながら話すときは、仕事があろうと、考えごとがあろうと、真剣に聞いてあげるよう心掛けました。

信じて見守ること。
誉めて伸ばすこと。
セガレの受験を通して、私も学び、成長できた気がします。

ほかに奮励したのは、天神様巡りですかね(笑)。
「ここに最もエネルギーを費やしたんじゃない?」
「それって趣味じゃん!」
と言われると、弁解の余地はありませんが・・・・。

改めて数えてみると、合格を祈願した天神様は、北野天満宮を含めて22箇所でした。
湯島天満宮、町田天満宮など、既にお礼参りを済ませたところもありますが、年度末の繁忙期と重なったこともあって、なかなか捗っていません。

そんな中、今日の午前中、新井天神北野神社に行くことができました。
JR中野駅から徒歩10分ほどの場所です。

合格祈願に訪れたのは、昨年の11月でした。
その頃は、酉の市に向けて提灯がたくさん飾り付けられていましたが、季節は変わり、今日は早咲きの桜が迎えてくれました。

IMG_5084のコピー

この桜は「プリンセス雅」という種類です。
平成13年12月、愛子様のご誕生を祝して植樹されたのだそうです。

この辺りは桜の名所として有名です。
4月1日〜3日には新井薬師公園で桜まつりが開催されるとのことです。
今年は第30回目にあたるので、中野通りの桜のアーチ下を人力車が走るとか。

奇しくも、今日、東京・靖国神社で、気象庁が桜の開花宣言をしました。
来週末は都内のあちこちで、満開の桜を楽しむことが出来るのでしょう。

上野公園内にある五條天神社へも、お礼参拝に行かねばなりません。
ちょっと混むかもしれませんが、桜見物も兼ねて、来週訪れてみようかと考えています。

053 万死一生

我が家のセガレは小学校6年生です。
つい先日、中学受験を終え、運良く第1志望の学校から合格をいただきました。

そして、今日、2月11日は、「統一招集日」でした。

これは、一部の私立男子校が同じ日、同じ時間に実施している「合格者招集日」のことで、例年2月11日の13時なのだそうです。

因みに、この招集に応じないと、入学拒否と見なされます。

なぜ、同じ日時に保護者同伴で招集するかというと、学校側が入学予定者数を把握し、定員充足に向けて必要な 「繰上げ合格者」を出すことができるからと言われています。
即ち、この日は、繰り上げ合格連絡の日、でもあるのです。

昭和55年3月、私は、第1志望だった大学の合格発表から漏れました。
遺憾ながら、第6志望の大学への入学を決めました。
入学金に加え、授業料も振り込みました。

その後、高校の同級生とスキーに行きました。
誰がどこに受かったとか、様々な情報が入ってきました。
なんだか、凹みました。
苗場のシングルリフトで寒風にさらされ、いじけたのを覚えています。

スキー旅行から帰宅したその夜、自宅の黒電話が鳴りました。
昼はスキー、夜は麻雀という3泊4日から戻った私は、かなりヘトヘトでした。
家人が誰も電話をとらないので、舌打ちしながら嫌々受話器を取りました。

「はい、もしもし・・。」
「山田様でしょうか。こちら、横浜国立大学経営学部学務課の中村ですが・・・」

ありゃりゃ、受験の時、何かやっちまったかな??
確か、タバコは吸っていないよな??
不正行為なんて、ゼッタイしてないし・・。

瞬間パニックに陥りましたが、電話の趣旨は「繰り上げ合格」でした。

あるんですね。こういうことって。

そして、今日。
塾で親しくさせていただいたお母さんから、一報がありました。
ご子息が開成中学に繰り上げ合格になったと。

18歳の春を思い出しました。
我が事のように嬉しかったです。

041 海内無双

シルバーウイークの初日、家族で学園祭を見学に行きました。
ここは東京で三本の指に入る、私立の名門男子中学校です。
そして、ここの学園祭は大人も楽しめると評判の、知る人ぞ知る学園祭なのです。

学園祭は、その学校の雰囲気や生徒の特徴を把握する良い機会と言われています。
セガレの受験を来春に控えている我が家も、遅ればせながら見学に行った次第です。

今日の見学にあたり、後押しをしてくれた人が2人います。

ひとりはセガレの通う学習塾の塾長先生。
個人面談で「山田君にお薦めしたい学校の一つです」と聞かされました。
よくよく話を聞くと、塾長本人の母校のようです。
生徒全員に薦めているのではないでしょうか(笑)。

そしてもうひとりは、私の小学校時代の親友・たけちゃんです。
彼も塾長先生同様、この学校のOBです。

私の中でたけちゃんは、「秀才といえばこの人」という存在です。
彼は勉学に秀でているだけではなく、品があります。お育ちが良いのです。
中学・高校・大学にも優秀な友人はいましたが、トータルで彼を凌ぐ者はいませんね。

そして、彼のご子息は神奈川県の有名私立校から、現役で公立の医学部に合格しました。
さらに、お嬢さんは慶應義塾大学に、これまた現役合格を果たしました。
もちろん、奥さんもステキです。料理は上手だし、私の冗談話にも付き合ってくれるし。

まさに雲の上の存在です。
あまりに優秀すぎて、まるでドラマの家族のように感じています。

そして、今日、学園祭を見学した感想は・・・・、

さすがたけちゃんの母校、知的で品のいい生徒さんで溢れていました。

残念だったのは、セガレの体調が今イチで、予定通りに見学できなかったことです。
それでも実際に学校へ足を運んで良かったと思っています。

土曜も日曜も塾に通うセガレですが、本命校がまだ決まっておらず、焦りを感じ始めている反面、たけちゃんの母校が目標校のひとつであることに、どことなく歓喜しています。
少しでも、ほんの一歩でも、セガレがたけちゃんに近づけたらなあ、と思っています。

あ・・、でも・・、
父親の品格がまるで違うか・・・・。
これは難題だ・・・・。

025 破顔一笑

我が家のセガレは小学5年生です。
土曜日は基本的に学校は休みですが、今日は土曜授業の日でした。

私はというと、朝7時過ぎから自宅で仕事をしていました。
カミさんの話では、3時間目が学校公開で見学可能とのこと。
ちょうどいくつか仕事が片付いたので、夫婦で学校へ向かいました。

3時間目は、1月下旬に開催されたウインタースクールの総括発表会が行われました。
3泊4日、クラスの仲間と一緒に寝食を共にし、昼は雪像作り、そり遊び、スキー。
夢のような時間だったことでしょう。

しかも、5年生92名が全員で出発し、全員揃って元気に帰ってきたのですが、聞いたところ、
「欠席者ゼロ、途中で帰宅した者もゼロ」というのは過去に例がないそうです。
そういう意味でも実りあるイベントでした。

さて、セガレの学校の話をするにあたって、担任のT先生について言及しなくてはなりません。

T先生は28歳男性、昨年新米パパになったばかりの若い先生です。
若い頃サッカーをしていたにしては、現在の体重は「やや重」です(笑)。
イベントでは、先頭に立って張り切っちゃう先生で、生徒たちから絶大なる人気があります。

そして、計画委員(学級委員)を務めているうちのセガレに向かって、
「いつもクラスをまとめてくれてありがとう」
と声を掛けてくれるのだそうです。
セガレはT先生の信者と言っても過言ではないほど、心酔しています。

話は今日の3時間目に戻ります。
生徒は班ごとに模造紙にレポートをまとめ、前に出て発表をします。
雪国の生活の工夫や、旅行中の思い出など、その発表は笑いも含んだとても楽しいものでした。

最後の班が発表を終えると、ある男子生徒がこう発言しました。

「お笑いが見たいです。」

一瞬何のことか理解できませんでした。
先生も「??」といったリアクションでした。

そして、
「あ〜、あの余興がまた見たいということですね。誰かが手伝ってくれるならやります。」
とT先生。

「はい、ぼく、やります!」
と笑顔で挙手したのは、ややぽっちゃり体型にメガネのK君。

「じゃあ、やりましょう」と先生はちょっぴり嬉しそうです。

そして、繰り広げられたのは、T先生とK君による「ラッスンゴレライ」でした。

これがなかなか上手なのです。最近流行しはじめたお笑いコンビのネタをキチンと再現していて、二人の呼吸もピッタリ。
ややぽっちゃり気味の「8.6秒バズーカ」で、教室は演芸場と化しました。

なーるほど!
サングラスも用意されていたし、これは打ち合わせ済みだったんです。

それにしても、学校公開の日に子供達の親の前でラッスンゴレライを披露してしまうT先生、
なかなか楽しい先生です。

私は小学校の後半3年間、担任の先生と反りが合いませんでした。
例えばこんなことがありました・・。

図書館での読書の時間、私はベーブルースの本を読んでいました。
すると、
「みんな、ヤマダはベーブルースの本なんか読んでいるんだよ!」
と皆の前で先生に叱られました。

図書館にあった本なのに・・。偉大な野球選手の話なのに・・。
子供心は大層傷付きました。
でも、その前に何か先生に反抗していたのかも知れませんね。

ですから、今のセガレとT先生の関係をとても羨ましく思います。
本当に幸せ者だと思います。
セガレは幼稚園の時も先生に恵まれました。
その話は、いつかの機会にしたいと思います。

014 蓴羹鱸膾

今日は朝から健康診断に行ってまいりました。
先週後半は夏期休暇でしたので、気が緩んで少し体重が増えてしまいました。
健康診断を控えた今週のランチは、水曜日を除く4日間、蕎麦!
ちょっと女々しい行為と感じつつ、低カロリーなメニューでお昼を過ごしました。

さて、健康診断最初の項目は身長と体重測定。
測定器に乗って待つこと10秒。
プリントされてきた紙に書かれた数値は「172.5cm、65.95kg」。
蕎麦の効果か否か、休暇中の増加分はお釣りがくるほど減っていました。

ところで、私が毎年のようにひっかかるのは「中性脂肪」。
正常値は30~149mg/dLだそうですが、私は150〜200の間が多いのです。
「お酒か甘い物か、好きですか?」
と医師に聞かれたことがありますが、私はお酒が全く飲めません。
とはいえ、子供のようにお菓子を毎日食べるわけではないので、結局は運動不足なのでしょうか。

全ての検査が終わり、医師との診察になりました。
医師が、私の血液検査の結果が書かれた用紙をみているそばから、「中性脂肪はいくつですか?」と尋ねると、125とのことでした。

「いや〜、美しい数値ですね〜。」
思わず口をついてしまいました。

「検査結果は総じて優秀な部類ですが、運動するよう普段から心がけて下さい。」
医師はたしなめるように仰りました。

ところでこの医師。もう何年も健康診断の際にお目に掛かっていますが、とっても温厚で優しい男性医師なのです。
年に一度しかお会いしませんが、先生もなんとなく私が印象にあるようでした。
すると、診察の途中に突然、
「伊豆アート印刷って名前、どういう由来なの?」
と尋ねてきました。

「私の父が伊豆の出身なので・・。」
「伊豆のどこ?ボクは東伊豆の出身なんだよ。」
「そうなんですか。父は長岡のちょっと北です。ん・・、韮山の近くです。」
「あー!韮山ね。田舎なんだけど、韮山高校なんて優秀な学校もあるよね。」
「はい。韮山高校は甲子園で優勝したこともあるんですよね。」
「よく知ってるね!すっごい昔だよね。正に文武両道だね。」

診察室は妙な盛り上がりをみせていました。

「なんのことやら、さっぱりわからんでしょ。」
医師から問われた女性看護師さんは、
「はい、まったく・・。」
「いいのいいの。数値が高いとか、運動しなさいとか、お酒は控えなさいとか、そんな話より何倍も楽しいねぇ♪」

先生はとっても楽しげでした。
よっぽど楽しかったのか、いつもより長く診察してくださり、ちょっぴり痛みも長引いた直腸診でした。

参考:韮山高校は1950年第3回選抜高等学校野球大会の優勝校です。

007 横浜国大

今日は土曜日でしたが、出勤しました。
普段は朝5時に起きるのですが、今朝は6時。
ちょっとだけ朝寝坊して出勤しました。

朝刊を読むヒマがなかったので、帰宅してから読みました。
すると、主婦と生活社から「CHANTO」という雑誌が創刊され、表紙は「阿部哲子さん」だという広告が目に入りました。

阿部哲子さんって、元・日テレのアナウンサーで、たしか、私の大学の後輩じゃなかったっけ?

調べてみるとやはりそうでした。
15年以上離れていますが、横浜国立大学経営学部卒業のようです。
私の、もろ、後輩です。

うちの大学の卒業生、たま〜にテレビで見ることがあります。

例えば、オリラジのあっちゃんと結婚した福田萌さん。
この方も横浜国立大学経営学部卒業。

それから、眞鍋かをりさん。
この方は横浜国立大学教育人間科学部卒業。

また、俳優の加藤雅也さんとB’zの稲葉浩志さんは、ともに教育学部卒。
元・国土交通大臣の馬淵澄夫さんは工学部卒。
今大人気の俳優・西島秀俊さんは工学部中退とか・・。

小さな大学なので、仕事先で先輩後輩に巡り会うことは希有です。
しかし、一度だけ、偶然先輩と遭遇したことがあります。

その方は、車関係の一部上場企業のお客さん・M部長さんです。
ちょっと話しかけづらい雰囲気を持った方で、まだ若かった私は、とても冗談など口に出せませんでした。

あるとき、納品した商品に対して、ちょっとしたトラブルになりました。
私としては問題ないと自信を持っていましたが、M部長さんは不満を抱き、何度かご説明に上がりましたが、解決には至りませんでした。

「結構泣いてる業者さん、いるよ・・」とは部下の女性Kさんの話。

ちょっと重たい気持ちのまま、この日もM部長を訪ねました。
すると、部長の机の端に見たことのある冊子が置いてありました。

「んん?うちの大学の同窓会誌じゃないか???」
意を決してお聞きしました。

「M部長、ひょっとして横浜国大のご卒業ですか?」
なんでそんなことを聞くんだ、と言わんばかりの険しい表情。

「あの、私、昭和59年経営学部卒業なんです」
すると、M部長が今まで見たことのないような笑顔で私を見ています。

「おい、コーヒーでも飲むか?」

その後は言うまでもありません。
大学の後輩として、私をすごーく可愛がってくれました。

やっぱり学校の先輩後輩って、時を超えた絆があるんですね。

逆に、もし同じ大学の繋がりがなかったら、M部長とどうなっていたのか・・。
考えると、今でも冷や汗がでますね。

宮本部長、有難うございました。
(思わず本名で書いてしまった・・。)