自省」カテゴリーアーカイブ

228 呉下阿蒙

ずいぶん前のことですが、「夫・元木大介はカレーが食べられない」という記事をネットで見つけました。

元木さんといえば、上宮高校から読売ジャイアンツ入団し、あの長嶋さんから「くせ者」と呼ばれた、誰もが知る元プロ野球選手です。

カレーが食べられない人っているんだ・・・・と思いながら、奥さんの大神いずみさんが書いた記事を読み進めていくと、どうやらその原因は、野球の合宿にあるようです。

中学のころの夏の合宿で、暑い中いつもよりしんどい練習が何日か続き、水も自由に飲めなかった時代。 ある日の昼食にカレーが出て、制限時間内にかき込んで、また暑い中練習に戻った時…とうとう暑さとキツさで戻してしまったらしい。 それ以来、それまで大好きだったカレーが、全く食べられなくなってしまったのではないかというのだ。 もう35年以上むかしの話だが、これぞトラウマ、という話。 そして今も夫は、我が家のカレーが食べられない。勿体無い。そして、何だか気の毒でもある。

私は高校時代バドミントン部に所属していましたが、真夏でも窓を閉じ、カーテンも閉めた体育館内で激しい練習を行い、水は飲んではならぬという練習を繰り返していました。
今では禁じられている、うさぎ飛びやおんぶ走りも日常的トレーニングでした。
大きな事故なく過ごせましたので笑い話と化しましたが、私が若い頃は、今となっては信じられないような指導がたくさんありました。

中学生のときの出来事がきっかけで、カレーライスが嫌いになってしまった元木さんは不運としか言いようがありませんが、実は、私もカレーライスがあまり好きではなく、もう何年も食べていません。

決して味が苦手なわけではありません。
ナンカレーは、どちらかと言えば好きな食べ物の範疇です。

積極的に食べない理由は、カレーライスを食べるとお腹を下してしまうからです・・。

その原因は、はっきりしています。
早食いです。

基本的に早食いの私は、カレーライスを食べるとき、いつにも増してご飯を噛まずに飲み込んでしまいます。
すると、元々胃腸が丈夫な質ではないので、必然的に下痢をする、という図式です・・。

ナンはパンのようなものですから、ある程度噛まないと飲み込めませんのでセーフです。
カレーライスがアウトなのです。

とろろご飯は、さらにいけません・・。
噛んでも噛んでも細かくもならず、柔らかくもならないとろろは、いつの間にかご飯と一緒に胃袋へ流れていきます。
ですから、私はとろろとご飯を、別々に食べることにしています。

「噛めよ!」

以前知人に話したら、一喝されました。
その通りです。
良く噛めば済むことです。
しかし、若い頃からの早食いは、そう簡単には直りません・・。

早食いは、肥満の原因にもなりますので、改善しなければなりません。
ネットには様々な改善策が掲載されていましたが、「食事の途中で何度か箸を置く」のは、自分にも出来そうな気がします。
お箸を一旦手から離すことで、次から次へと口に食事を運ばなくなりますので、効果が期待できそうです。

先日、洋食屋でランチを食べたときのこと。
テーブルに着くと、「春の和風オムレツライス」というメニューが目に入りました。
普段「和風オムレツライス」として提供しているものに、菜の花やハマグリを加えて、春らしくした季節限定メニューだそうです。
ほかのメニューはさほど見ずに、注文いたしました。
春らしい見栄えで、美味しそうだとは思いませんか!

しかし、食事が運ばれてきた瞬間、「やってしまった・・」と悔やみました。
オムレツの上に、たっぷりと「餡」がかかっています。
これは、私にとって「よく噛めないパターン」です。

そして、スプーンですくってさらにがっくり・・。
消化が良くない(と言われている)五穀米ではありませんか・・。

意を決して(大げさですが)ゆっくり食べることに専念しました。
途中で、箸ならぬスプーンを何度も置きました。
行儀が悪いと知りつつ、途中でスマホを見たりしながら、時間をかけて食べました。

その結果は・・、
お腹を下すことはありませんでした。
そして、食後まもなく満腹感を感じました。

「よく噛んで食べる」
いい加減に実践しなくてはいけませんね。

225 一竜一猪

先日、Yahoo!ニュースで「第1志望に「3分の2が不合格」中学受験の現実」という記事を見つけました。
葵さん(仮名)が経験したことを元に構成されたこの記事の一部を、以下に紹介します。

C校に入学して間もない4月上旬。葵さんが驚いたことがあった。男性の担任教員が「この中で第1志望じゃなかった子は?」と聞くと、クラスの大半の生徒が手を挙げた。「じゃあ第1志望だった子は?」。手を挙げたのは数人だった。「そうだよね、第1志望の子もいれば、そうじゃない子もいるよね」と担任は言った。

「私だけじゃないんだ」。葵さんは自分と同じ境遇の子が多いことにほっとした。同級生と互いの受験をオープンに話すことで、気持ちがほぐれ、友達が増えていった。そして学校が好きになった。

この記事を読んで、昔の思い出がよみがえりました。

以前にも紹介した私の中学受験は、学校の担任からは「合格するわけないからやめなさい」、塾の先生からは「合格しちゃうからよしなさい」と相反するご意見をいただき、結果は不合格。

「ほらね」と言わんばかりの学校の担任。
「悔しいだろうが喜べ。12歳で大学を決める必要はない!」と難しいことをおっしゃる塾長。

受験失敗という挫折感はわずか数日で消え、小学校の仲間と一緒に通った地元の公立中学は、楽しい3年間でした。

そして、迎えた高校受験。
思うように成績が伸びなかった私は、大学の付属校を受験対象から排除することにしました。
小学校6年生のときに学習塾の先生からいただいた言葉を思い出し、3年後、大学受験でもう一度勝負しようと決めたのです。

東京都にまだ学校群制度が存在した当時、私の第1志望は「41群」でした。
しかし、あまりにも内申点が低く、あえなく撃沈。
自身の第2志望だった、私立城北高等学校へ進学しました。

当時の城北高校は、1学年に750人ほど在籍していたマンモス校でしたので、それはそれはバラエティに富んだ生徒がいました。

その1人が、1年生のとき同じクラスだったS君。
入学当初からどことなく元気がなく、ねじ曲がって、ひねくれたような雰囲気を醸し出していました。
どうやら、有名県立高校合格間違いなし! と言われていたにも関わらず、運悪く失敗したそうで、「オレはこんな学校に来るつもりじゃなかったんだ」という気持ちが、入学当初、顕著に表れていたのでしょう。
その後、卒業まで同じクラスになることはありませんでしたが、決していい噂は耳にしませんでした。

もう1人印象的だったのはW君。
当時、城北高校の文系コースには、早稲田大学への推薦枠が1つだけありました。
文武両道、品行方正な生徒が毎年選ばれていましたが、我々の代では、W君とK君の一騎打ちとなりました。

W君はサッカー部、K君は体操部に所属し、各々運動部で活躍していました。
肝心の成績も、5段階評価でW君は平均4.9、K君は4.95と、どちらも非の打ちどころがありません。
W君は私立文系、K君は国立文系に所属していましたので、ここも評価対象になるのではないかなど、一時期、来る日も来る日も学校はこの話題で持ちきりでした。

結局、この激しい争いを制したのは、K君でした。

戦いに敗れたW君は、決して不満を口にすることなく、粛々と受験勉強を続けました。
普通に受験してもお前なら早稲田くらい楽勝だよ、と仲間に勇気づけられて臨んだ大学受験。
残念ながら志望校への合格は叶わず、明治大学への進学を決めたようでした。

「1浪して早稲田に行くべきだ」
「投げやりになっちゃだめだ」

人気者だったW君を心配する多くの仲間の声には耳を貸さず、明治大学へ進学したW君は、大学3年生の時に公認会計士の資格を取得したと、風の噂で聞きました。

推薦入試で落胆を経験し、一般入試でも夢破れたものの、自ら選んだ大学で腐ることなく努力を重ねたのでしょう。
同級生でありながら、心から尊敬できるなと思ったものです。

私の大学受験はというと、不合格の通知を重ね、入学を決めたのは第6志望の学校でした。
そして、入学金に加えて1年次の授業料も支払ったあと、第1志望の大学から補欠合格の報せを受けました。

仮に私が第6志望の大学へ進んでいたなら、W君のように努力することができただろうか・・。
補欠合格の電話を受けた際の感動や高ぶりを、大学生活に反映できただろうか・・。
受験は決してゴールではないな、と今更ながら感じます。

一竜一猪。
努力して学ぶ人と、怠けて学ばない人との間には大きな賢愚の差ができるということ。

セガレよ、まだまだこれからが勝負なのだぞ。

216 紅顔可憐

ゴールデンウィークに突入しました。
カミさんと買い物に出掛ける程度で、我が家は毎年大した予定がありません。

今日は残った仕事を片付けるため、朝から近所のカフェに来ています。
カフェやレンタルスペースなど、耳障りでない程度のノイズを背景に、自分が誰であるか周囲が知らない場所は、仕事をする環境として嫌いではありません。

ただ、「耳障りでない程度のノイズ」、要するに「いい感じの騒音」が難しいところです。
ガハハと笑いながら同時に数人がしゃべりまくるおばさま集団の存在は仕事の効率を低下させそうですし、一方、ちょっぴり好みのタイプの女性が近くにいたら、注意力散漫になりそうです。

因みに、今、私の前の席では、外国人男性と日本人女性のカップルが、朝から情熱的に肩を寄せ合っていますが、この程度は仕事に影響なさそうです。

私が普段利用している1つは、東京ミッドタウン日比谷のBASE Q内にあるワークスペースです。
1人席は、3時間1,500円、6時間2,000円と、都会のど真ん中にしては良心的な価格です。
ネットで予約ができますので、席を確実に抑えることができます。

個室ではありませんし、隣にカフェが併設されているため、騒音をシャットアウトすることはできませんが、個室型ワークブースの閉塞感が苦手な私にとっては、そこそこ快適な空間です。

会社にいると、電話、来客、その他諸々により、思うように仕事が捗らないことがありますが、外に出ればやりたい仕事に集中できます。
ノートPCのモニターがもう少し大きいと、老眼に優しいのですが・・。

朝、そろそろカフェに行こうか・・と思っていたところ、玄関でガチャという音がしました。
玄関を覗くと、徹夜明けとは思えない、元気溌剌な姿のセガレがいました。
昨日は夕方からサークルの新歓イベント→打ち上げ→カラオケ→朝帰り、と相成ったようです。

私にとって徹夜とは、ほぼほぼイコール徹マンです。
(「徹マン」は令和にあって死語でしょうか・・)

高校から大学にかけて、何回夜通し麻雀に興じたか、数え切れません。
夜も更けて朝が近づいてくると、「自摸って!」なんて声で起こされる寝落ちする輩が出現したり、こいつは半分寝ているだろう思っていたらでっかい手をテンパっていたり、睡魔による感覚マヒで突然強気になる奴が出現したり、予期せぬ事態が多発して楽しいものでした。

特に思い出深いのは、スキー旅行です。
上野から夜行電車に乗り、越後湯沢駅のダルマストーブの前で数時間過ごした後、朝イチのバスで民宿へ。
そして、朝イチからナイターまでゲレンデで過ごし、宿に帰れば深夜まで麻雀という、底なしの体力で遊んだものでした。

ただ、ダルマストーブの前で卓上麻雀に興じていたら、いつの間にか始発のバスが行ってしまったことが一度ありました。
4人もいながら、誰ひとり気付かないほど麻雀に熱中していたのかと呆れました。

ただ、徹マンは話し声はもちろんのこと、牌を手積みする音が響きますので、周囲へずいぶんと迷惑を掛けたことと思います。
また、灰皿は山のように積み上がりますので、健康上もあまりよろしくないですね。

60を過ぎた今は、日付変更線を過ぎるまで起きていることが、年に数回しかありません。
ましてや徹夜などしようものなら、1週間は抜け殻のようになってしまうと思います。

さて、朝からの仕事も一段落しましたので、昼メシの弁当を家族分買って帰ることとします。

211 終食之間

最近お気に入りのお弁当があります。
亀戸升本さんが作る「すみだ川あさり弁当」です。

ツイッターでも高評価を得ている亀戸升本さんは、明治38年に酒屋として創業。
その後、幻の江戸野菜「亀戸大根」を復活させ、割烹料理屋として復興したという、少し変わった経歴のお店です。

では、このお弁当のお薦めポイントを3つご紹介します。

お薦め①:亀辛麹(かめからこうじ)
写真中央の小さなカップに入った、米麹と青唐辛子と有機醤油を長期熟成させた秘伝のタレです。
ピリッとした辛さが特徴で、鶏つくね、里芋、ご飯等、何にでも合います。
思い出すと無性に食べたくなる、やみつきのタレです。

お薦め②:卵焼き
ちょっと隠れてしまって分かりづらいのですが、写真の一番下に、かなり分厚くてビッグサイズの卵焼きが入っています。
様々詰められたおかずの中で、ふんわり柔らかくてほんのり甘いこの卵焼きが私は一番好きです。
半分はそのまま、残り半分は亀辛麹と共に楽しむことにしています。

お薦め③:カラダに優しい
美味しいだけではなく、添加物が少ない点も大きな魅力です。
原材料表示は下記の通りです。

お弁当でよく見かける、増粘多糖類、pH調整剤、ソルビット、グリシン、酢酸Na、保存料(ソルビン酸K)などなど、定番の添加物が見当たりません。
私は小さい頃から食の安全について母から教えられてきましたので、このお弁当はとても嬉しいですね。

さてワタクシ、お弁当にまつわる忘れ得ぬ思い出が2つあります。

1つは、小学校高学年の頃。
ひとりで夏期講習か冬期講習に参加したときのことです。
確か、日暮里駅か鶯谷駅の近くにあった、当時としてはそこそこ大きな規模の学習塾だったと思います。

昼の休憩時間、持参したお弁当を席で食べていたら、前に座っていた見知らぬ2人の生徒が振り向きざまにこう言いました。

「お前のエビフライ、ちっちぇな」

そう言い放ったのは背の小さな方。
そして、その横でニヤニヤ笑う小太りの男が持つお箸には、私の2倍以上の大きさのエビフライが握られていました。
その存在感は、抵抗する気持ちを萎えさせるに十分なものでした。

私ひとりで見知らぬ塾生2人を相手に喧嘩をする度胸もなく、「テストの点数は負けねーからな」なんて密かに思うのがせいぜいでした。

「あなたの学習塾の費用が結構バカにならなくてね・・」と大人になってから母に聞かされましたので、あのエビフライのサイズは、当時の我が家の経済状況そのものだったのだと思います。

50年も前の出来事なのに鮮明に記憶しているということは、当時のショックは大きかったことの裏返しなのでしょうか。

今思えば、あの大きなエビフライは、お総菜コーナーで購入したのではないでしょうか。
かーちゃんが愛情込めて手作りしてくれたことに値打ちがあるんだ、なんてやり返すことは、当時無理だったなと思います。

もう1つは高校1年生のとき。
教室の席は氏名の五十音順に決められていましたので、私・ヤマダは最後から3番目の窓側の席でした。
そして、私の右に座っていたのは、お坊ちゃまの雰囲気漂う「前田」。
昼になれば隣の机に広げられる前田のお弁当は必然的に目に入りますが、これがとても印象的でした。

端的に言うと、美しいのです。
男子高校生が持参する弁当ですから、キャラ弁とかいう美しさではなく、まるで仕出し弁当屋さんが作ったように、色や盛り付けがキレイなのです。
しかも、来る日も来る日も期待を裏切らない、見目麗しいお弁当でしたので、前田の弁当をこっそりのぞき見するのが、日々の楽しみにもなっていました。

こう言っては叱られそうですが、私の母の弁当はとても美味しかったけれど、見栄えは普通でした。
高校1年生にして、料理は美を表現できるものなのだ、ということを前田のお弁当を通じて学びました。

我が家のセガレも中学高校の6年間、お弁当を持参しました。
たまには売店でパンを買うとか、食堂で名物の唐揚げ丼でも食べればいいのに・・、と思うことがありましたが、頑なに弁当を持っていきました。

日曜日以外毎日ですから、作る方は大変です。
ほとんど冷凍食品を使わずに、よく作ったものだと感心します。
少しはカミさんに感謝しているのかな、と思ったりします。

あ・・。
かく言う私も、見栄えがどうとか言う前に、母に感謝の言葉を伝えたことはあっただろうか・・。

201 六十耳順

昨年10月、60歳になりました。
20歳になった時、遂に大人の仲間入りなんだなと感慨深かった記憶があります。

しかし、30、40、50とその後は別段思うことなく通り過ぎましたが、60歳を迎えた心境はこれまでとは異質でした。
一言で表すなら、老人への入口に来たなといったところでしょうか・・。
40年前は胸躍る心境だったのに、今は少し胸がつかえるような気分です。

そんなことを考えていたら、数日前、新型コロナウイルスワクチンの4回目の接種について、厚生労働省から発表がありました。
それによると、接種対象は当面、60歳以上の人や18歳以上の基礎疾患のある人などに限定するそうです。

やはり、60歳は高齢者の範疇であることに間違いなさそうです。

ところで、60という数字はやや特徴的と言えそうです。
例えば、1時間は60分で、1分は60秒です。
また、角度の単位でも1度(°) = 60分 (′)、1分 = 60秒 (″) です。
このように60を1単位として数える六十進法は、自然界に数多く存在しています。

また、結婚50周年を祝う金婚式は有名ですが、60周年をダイヤモンド婚式と呼ぶそうです。
さらに上もあるようですが、一般的には60年が最後でしょうか・・。

あっ、私の両親は3年ほど前がダイヤモンド婚式だったかと・・。
金婚式には東北旅行を贈りましたが、60周年には思いが及びませんでした。

さらに、60の前後の数字、59と61は素数です。
前後が素数な数は、4、6、12、18、30、42、60、72、102、108、138・・・・。

セガレにそう話すと、双子素数ね、と返されました。
ある素数に2を足した数も素数になる組み合わせを双子素数というのだそうです。

幼稚園入園、中学校入学、大学入学、厄年、還暦、除夜の鐘‥。
偶然にも人生の節目にあたる数が並んでいるように思います。

さて突然ですが・・、

「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」

孔子の有名なお言葉です。
そして、この言葉はこう続きます。

六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

60歳になり、他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった、という意味ですが、自分に置き換えてみると、実践するのはなかなか難しいですね。

30歳はまだ独身でしたので自立とは程遠く、40歳では迷いまくり、50歳で自分の使命を悟ることなど到底できませんでした。
そう考えると、60歳になっての未熟さは推して知るべしかと思います。

ただ、孔子の生きた時代は、平均寿命が現代とは大きな差があるはずです。
孔子の指す60は、今の80に相当すると勝手に解釈したいと思います。

最後に、高齢者あるあるの失敗談をひとつ。

先日、コンビニで支払いをしていたら、東南アジア出身とおぼしき店員さんがお釣りを渡しながら私の股間を指さしました。
意味が分からず、問いかけると、私の股間に触れるのではないかという距離まで人差し指を近づけてきます。
困った店員さんだな、と思っていたら・・・・

「ちゃっく、が、あいて、ます。」

たどたどしい日本語でしたが、自分の身なりがだらしがないことは十分伝わりました。
べらぼうに気まずい中、努めて明るくお礼を述べ、店をあとにしました。

歳を重ねるということは、注意が散漫になることでもあると、改めて思い知らされました。

198 好機到来

40年前、成人式の朝、母が「おめでとう」と声を掛けてくれました。
ご飯を食べながら、ちいさく頭を下げました。

すると、後日「あのとき、なんだか嬉しかったわあ」と母に言われました。
私にしてみれば、額ずいたわけでもなく、箸を動かしながら軽く会釈した程度だったのですが、20年育ててくれた母には、諸々去来するものがあったのでしょう。

あれから40年。
カミさんが「おめでとう」と言ってくれた還暦の誕生日。
胸中をかすめたのは、老人の入口に到達したなという思いでした。
区役所から届いた銭湯の割引入浴券も、そんな気持ちを増幅させたように思います。

60歳の異称としては「還暦」が最も一般的ですが、耳順、杖郷、杖者、丁年、下寿、華寿など様々あるようです。
5年以内に股関節の手術をする、と医師に宣言されている身にとっては、「杖」という漢字が妙に気になります。
往代の60歳は、多くが杖をついていたのでしょうか。

股関節痛のほかにも、腰痛、肩こり、首の痛みも抱え、胃腸も決して強くありません。
カラダの中もいろいろ経年劣化が起こっていますが、鏡を見れば、齢60の顔はかなり器量が悪くなっています。

世はオミクロン株の感染拡大で、日々感染者数の国内記録を更新中。
必然的に家にいることが多く、ましてやセガレの受験も控えているので不要不急の外出はしない、ゴルフもしばらく行かない・・・・。

今でしょ!とばかりに急遽向かったのは皮膚科。
意を決して、顔のシミを除去してまいりました。

お世話になったのは、駅前に昨年オープンしたクリニック。
白を基調とした真新しい施設で、スタッフは全員女性。
そして、週末の待合室は、4割ほどが若い女性。
アトピーやニキビなどの治療というより、美容的な訳合いで訪れている人が多いのでしょうか。

そもそもいい歳のオッサンが・・・・という気恥ずかしさで、なかなか皮膚科へ足を踏み入れられなかったのですが、案の定、居心地が悪くなってきました。

名前を呼ばれ、診察室に入ると、私のそんな気持ちなど知るよしもなく、医師はテキパキと説明を始めました。
動揺を隠せないオッサンは、正直話半分といった状況でしたが、結論的には、なんとかマックスという機器で、レーザーを照射することと相成りました。
しかも、初回はお試しコースで割安なんだとか・・。

20分ほど待ったあと、顔中にバチッバチッと数十発、銃撃されてまいりました。

女性スタッフの優しい語り口や物腰は、処置開始直後からくすぐったいような照れくさいような気分が拭えませんでしたが、「クリームは顔に塗るのではなく、優しく置くように心がけてくださいね」などと言われながら時間を過ごしていると、徐々に心地よくなっていく様に気付きました。
日数が経って顔のあちこちにあるシミが少し改善されるのを実感したら、ひょっとして癖になるかも知れない、なんて思いにも駆られました。

次はヒアルロン酸だ、次は白玉注射だ、脱毛もするか??
とエスカレートしないように気をつけたいと思います。

182 道険笑歩

2020年のプロ野球は、新型コロナウィルスの影響で、変則的な開催を強いられました。
そんな中、私が応援する読売ジャイアンツは、リーグ連覇を果たしました。

8月下旬、広島戦で今季初の同一カード3連敗を喫しましたが、原辰徳監督はミーティングである言葉をナインに贈ったそうです。

道険笑歩。

道険しくとも笑って歩こう、という意味。

実はこの言葉、ボクシング元スーパー・フライ級チャンピオンの徳山昌守選手が作った言葉です。
以下は、紀伊國屋書店のサイトに掲載されている、徳山氏の著書「道険笑歩ー道険しくとも笑って歩こう」の著書紹介です。
出典:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784072344200

道険笑歩ー道険しくとも笑って歩こう

・徳山昌守【著】
・主婦の友社(2002/09発売)

著者等紹介
徳山昌守[とくやままさもり]
本名・洪昌守。1974年9月17日生まれ。在日朝鮮人3世のプロボクサー。現WBC世界スーパー・フライ級チャンピオン。4度の防衛に成功。足を使ったフットワークと左右のストレートが持ち味の右ボクサーファイター。在日朝鮮人を公言したはじめてのボクサーとして注目を集める。「2001年ボクシング年間表彰選手」の最優秀選手賞、「2001毎日スポーツ人賞」感動賞など受賞

出版社内容情報
自作の詩を盛り込んだ、書き下ろし自叙伝。世界チャンピオンいう重圧、在日朝鮮人として生きることを一身に受け入れた壮絶なドラマである。

「在日やからエライんか? チャンピオンやからスゴイんか?」―。自ら在日朝鮮人であることを公言したボクサーが背負った、あまりにも大きい重圧と反発。本書は徳山昌守の生きざまをたどる、壮絶なドラマである。数々の苦難を乗り越えて、ついにボクシングの世界で頂点に立った男。しかし、王者である限り、彼に安住の地はない。常に、終わりなきトーナメントを続けてゆくのだ。家族の支えと偉大な父への反骨精神、在日であることへの誇りと戸惑い。そんな心の葛藤を鮮やかに描き出した自作の詩50篇を掲載。タイトルにもなっている「道険笑歩」は彼の作った四字熟語。どんなに道が険しくても笑って歩こう―。チャンピオンとして、また「在日の星」として生きていくことを貫こうとする徳山昌守流哲学を象徴する言葉だ。夢を追いかける人、夢を失ってしまった人すべてに送る、渾身のメッセージ。

諦めない姿勢。
最善の準備。
そんなプロとしての厳しさ、過密日程を乗り切るタフさが要求される中でも、笑える余裕をどこかに併せ持とうと、監督は選手に伝えたかったのでしょう。
その言葉の通り、ナインは日々、円陣で笑い合い、喜びを分かち合い、優勝を勝ち取りました。

今年は、小さなウイルスに翻弄された激動の1年でした。
弊社も、オペレーターはテレワークにし、他の社員は時短勤務としました。
売上が落ちるなかで、雇用と給与を維持することに腐心しました。

東日本大震災以上の惨禍は、自分が生きているうちには起こらないと思っていました。
しかし、新元号「令和」の門出を祝ったその翌年、歴史的困難に陥るとは想像の余地もありませんでした。

そんな険しい年であるからこそ、笑うことが重要なのかも知れません。
免疫力を上げ、記憶力や判断力が活性化し、プラス思考を高めてくれるなど、笑いの効果は、様々指摘されています。

ある免疫学の医師は、ストレスを克服する最も簡単な方法は「笑うことだ」と述べています。
また、あるメンタルヘルスの専門家は、「ユーモアを大切にする」「意識的に笑う」といったポジティブな態度がコロナ禍でのメンタル維持に有効だと言い、ある産業医は、声を出して笑うことで、自分の中に溜っているものが解放され、少し楽になる感覚があると述べています。

笑う門には福来たる。

相手に笑顔をもたらすユーモアのある言葉は、業務が円滑に遂行するためのスパイスだと思います。
明日の仕事納めを前に、2021年はこんなキーワードも念頭に置いてみようか、などと考えています。

177 三密瑜伽

まもなく8月が終わります。
少し気の早い話題ですが、今年の流行語大賞は新型コロナウイルス関連が、大半を占めることになるでしょう。

濃厚接触、クラスター、オーバーシュート、ソーシャルディスタンス、ステイホーム、テレワーク、フェイスシールド、不要不急、オンライン飲み会、東京アラート、大阪モデル、8割おじさん、アベノマスク・・。

思いつくだけでも多々ありますが、私の中では「三密」が大賞候補です。
言うまでもなく、密閉・密集・密接です。

また、新たな三密という記事をどこかで読みました。
新聞だったか、ネットだったか忘れましたが、およそ以下のような内容で、感心しました。
  • 今後の人生や生活を綿密に考え直す
  • ソーシャルディスタンスを維持しつつ濃密な関係を築く
  • 人や場所とのつながりを親密に感じながら日々を楽しむ

以前のような生活がすぐに戻ることはないでしょうから、新たな生活様式を頭で理解し、実践していかなければならないでしょう。
それは詰まるところ「簡素」な方向へに舵を切ることになるのでしょうが、過度にならないようにしたいと思っています。

カミさんが早起きして作ってくれるお弁当は、美味しくて抜群に安全ですが、行きつけのお店で食べるランチは、仕事の気分転換に有効です。
デパ地下は、見ているだけで幸せな気分になります。
また、健啖家の義母を、大好きなホテルのビュッフェに連れていってあげたいなあ、とも思います。

様々な感染症を克服してきた歴史からも、この困難を賢く乗り越えられる日が来ると信じたいと思います。

ところで、そもそも三密には「空海がひらいた真言宗をはじめとする密教の教え」という意味があるそうです
そういえば、高尾山に「三密の道」と記された門があるという報道を思い出しました。
ネットを調べてみると、東京新聞6月16日WEB版に関連記事を見つけました。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/35764)

「『三密』は、真言宗の教えにある言葉です」。
高尾山薬王院の法務部長、堀江承豊さん(61)が解説してくれた。「三つの密」とは、真言宗(密教)では「身密(しんみつ)」「口密(くみつ)」「意密(いみつ)」のことで、それぞれ正しい行い(身)、正しい言葉(口)、正しい心(意)を心掛けるための修行を指すのだという。
(中略)
堀江さんは「宗教的な意味と異なる『三密』が広まってしまった」と苦笑しながら、「本来の教えを今の生活に生かすこともできる」とも語る。「感染する恐れがある行為は行わない」(身密)「感染者や医療従事者らへの誹謗(ひぼう)中傷を行わない」(口密)「周囲の人にいたわりの心を持つ」(意密)−。気持ちがすさみがちな今だからこそ、「三密を意識することが大切なのではないでしょうか」と訴える。

悲しいニュースに心がざわつくこともありますが、自分の心と向き合いながら、真心を込めた行動や発言を心がけたいと改めて思いました。

終わりに・・、

世の男性たちの多くは、初めて「三密」と聞いたとき、壇蜜さんを思い浮かべたことと思います。
ワタシもその1人です。

『テレビから三密と聞こえると「呼ばれたかな」と反応してしまうんです』と語っていた壇蜜さんのコメントに、ほっこりした記憶があります。

また、「断密、ワタシからもお願い」という文言と壇蜜さんの写真をSNSで公開したファンがいましたが、写真の使用許可を得ておらず、法的問題が指摘されたそうです。

ところが、壇蜜さんの所属事務所は「こんな時代だからパロディで和んでくだされば」と寛容な姿勢を示したとのこと。

ギスギスした時代にあって、まさに、和みますね。

なお、「三密瑜伽」の「瑜伽」は、修行者の三密と仏の三密が互いに交じり、溶け合うこと、なのだそうです。

169 率先垂範

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、史上初めて緊急事態宣言が発令されました。
人と人との接触を8割減らすことが求められています。

多くの企業がテレワークを導入し、働き方が大きく変わりました。
そんな中、アドビシステムズが発表したテレワークに関する調査結果に目が留まりました。
最も興味深かったのは、「テレワーク実施に伴う業務上の課題は」という問いへの回答です。

第6位 「稟議や書類処理が遅れる」(23.3%)
第5位 「会議が非効率になる」(24.0%)
第4位 「データや情報管理にセキュリティが心配」(24.4%)
第3位 「自分以外の仕事の進捗が把握しづらい」(35.0%)
第2位 「勤務場所にプリンタやスキャナーがない」(36.2%)

と続き、栄えある第1位は・・、
「会社にある紙の書類を確認できない」(39.6%)でした。

ここでも紙が悪者になっていることに、苦い思いがしました・・。

弊社は製造業ですから、100%テレワーク化は不可能ですが、オペレーターには自宅勤務を命じ、他の社員も時差出勤や交替勤務としています。
そもそも少人数なので、勤務体制変更の弊害は小さくありません。
しかし、今は接触を減らすことを最重要課題とし、人と社会を守る努力を重ねていきたいと思っています。

さて、新型コロナウィルスに関する政府の対応について、批判の声が日に日に強くなっているようです。

国民への給付金支給ではその方法で迷走し・・、
多くの国民がマスクの手作りを始めた頃、多額の費用を投じて布マスクを配布し・・、
医師会や東京都に比べ、緊急事態宣言発出の決断が遅いと指摘され・・、
そんな中、首相は自宅でくつろぐ画像をミュージシャンのSNSとコラボし・・、
剰え、首相夫人は大分の神社を集団で参拝し・・・・。

国難ともいえる現在の状況をリードしていく政治家は、それはそれは大変だと思います。
ただ批判するだけのコメンテーターに比べたら、その苦労は説明するまでもないでしょう。

ただ、敢えてひとつ申し上げるなら、政治家の金銭感覚には不満を覚えます。

先日、国会議員の給与を2割削減すると発表がありました。
しかし、調べてみると、給与にあたる議員歳費約1,550万円が1,240万円へと2割カットされただけで、ボーナスや立法事務費などは何ら変わらず、結果として4,170万円の年収が3,860万円になるのだそうです。

自粛を要請する側は経済的に大した影響は受けず、自粛要請を受ける側は存続の危機に直面していることに、不公平感を禁じ得ません。

この難局を脱するために、朝から晩まで、日曜祝日返上で対応策を考えている‼
そして、オレたちは給料もボーナスも返上する‼
そのお金は、生活に苦慮している方や医療従事者への支援に充当する‼
だから皆も頑張って欲しい‼

と与野党の垣根を超えて政治家がメッセージを出したなら、国民の受け止め方は変わるのではないかと思うのです。

世界を見渡すと、台湾やニュージーランドなど、政府の対応が国民から大きな支持を得ている国もあるようです。

国内でも、大阪や北海道の知事には、地元から絶大な信頼が寄せられています。
最近頻繁に発表される大都市における人出の減少数において、大阪・梅田がトップなのは吉村府知事の力によるところも大きいのかも知れません。

リーダーの資質について、嵩高に物を言うつもりは毛頭ありませんが、痛みを共有する心は大切にしたいと思っています。

168 安居楽業

2年前、京都へ紅葉見物に行きました。
時間に限りがありましたので、嵯峨野地域に限定して散策しました。
その際、二尊院を参拝し、3枚の色紙を拝領いたしました。

その1枚が上の「人生五訓」です。
短い5つの戒めの言葉に、いたく感動しました。
焦るな、怒るな、威張るな、腐るな、怠るな、と漢字で書いていないところもちょっといいですね。

近年、仕事が多忙になった時、ふと立ち止まってこの「人生五訓」を思い返すようにしています。今は年度末ですから、年間で最も忙しい時期です。
今朝も仕事の前に、自らに言い聞かせました。

年度末といえば、近年、3月になると製本所が異常なほど繁忙を極めます。
平日の残業はもとより、土・日も祝日も出勤しないと仕事が消化できません。

ペーパーレスによる印刷業界の低迷で、製本所の数は年々減少しています。
仕事量が全体に減っていますから、平時はどうということはありません。

しかし、年度内納めが極端に集中するこの時期だけは、業者数が減ったことで、現存の工場が一気にパンクするのです。

ところが、怒濤の3月が終わり、カレンダーを1枚めくると、潮が引くように仕事がなくなります。
これでは、3月の頑張りが報われず、空しい限りです。

話を二尊院の色紙に戻します…。
もう1枚の色紙には「心の糧七ヵ條」が書かれています。

一、此の世の中で一番楽しく立派なことは生涯貫く仕事をもつことである

一、此の世の中で一番さみしいことは自分のする仕事がないことである

一、此の世の中で一番尊いことは人の為に奉仕して決して恩に着せないことである

一、此の世の中で一番みにくいことは他人の生活をうらやむことである

一、此の世の中で一番みじめなことは教養のないことである

一、此の世の中で一番恥であり悲しいことはうそをつくことである

一、此の世の中で一番素晴らしいことは常に感謝の念を忘れずに報恩の道を歩むことである

生涯貫く仕事といえば、私の父が正に実践中です。
87歳にして毎日出社しています。
私には87歳の景色は想像もできませんが、日々自らを鼓舞し、社会の一員であり続けているのだと思います。

つい先日、ある病院の教授から、なぜ会社名が“伊豆”なのか、と質問を受けました。
丁稚奉公として上京したときから、いつか故郷の名を配した会社を興したかったという父の夢をお話ししたところ、「それは素晴らしい」とお誉めいただきました。

弊社は、この3月で45年目を迎えました。
印刷業界は逆風にさらされていますが、そんな中、仕事をいただけるのは有難いことです。
色紙の最後の1行にもある通り、感謝の念を忘れてはなりません。

そして、零細企業とて、守るべき社員とその家族がいます。
社員が安居楽業できるようにすることも、社長の重要な務めです。
安易なことではありませんが・・。

「安居楽業」:
今いる環境や状況に心安らかに満足し、自分の仕事を楽しんですること。自分の分をわきまえて不満をもたず、心安らかに自分のなすべき仕事をすることをいう。(goo辞書より)