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238 音吐朗朗

かなり前のことになりますが、読売新聞の夕刊に、ミュージシャンの財津和夫さんが聴力に関するコラムを寄せていました。
内容を抜粋してご紹介します。

補聴器が欲しい。
ずいぶん前から取材を受けるときのインタビュアーの言葉がちゃんと聞き取れず困っている。

聴き取れなかったときは、まず、うなずきながら笑顔で「うーむ」と言うことにしている。
美味しいお茶のひと口めを味わうような表情をしなければならないが、この相鎚はどんな状況でも使えて便利だ。

しかし、カフェやレストランで店員とのやりとりにおいてはこうはいかない。
「コーヒーにミルクと砂糖は必要ですか?」の問いに笑顔で「うーむ」は少し変だ。

だから先日も「ごめんなさい、耳が遠いので‥‥」と言うと、店員は店中に届くような声で「ミルクと砂糖はどうされーか〜!」と言う。
店員が声を大にすべき箇所は、「まーすーか〜」ではなく、「ミルクと砂糖」のところやろ、と思ったが見るところ相手は二十歳前後、じじいの置かれた社会的弱者の立場なんて解るはずがない。いや、解ってもらう方が惨めな気分。店中の視線が私にそそがれているかもと恥ずかしかった。

著名人であるがゆえのエピソードや日常体験が、楽しく紹介されていました。

また、このコラムはお母さんの話で締められていました。
晩年、話しかけると何度も聴き返されたそうですが、夢の中に出てくるお母さんは、一度も聴き返したことがないそうです。
きっと若い頃のお母さんだけが、夢に登場しているのでしょう。

上皇様や上皇后様もずいぶん前から補聴器を装用されているようです。
井上順さん、梅沢富美男さん、宇崎竜童さん、加賀まりこさん等々、芸能界でも補聴器を使用している方がたくさんいらっしゃると聞きます。

以前にも紹介しましたが、私も補聴器ユーザーです。
左耳だけ、聴力がやや弱いのです。
ですから、財津和夫さんのコラムには、とても共感を覚えました。

50歳代半ば以降、「え?」と聞き直すことが非常に増えたな、と自覚しています。
この聞き返すという行為は、加齢を象徴する行動のようで、悲しい気分になります。
そして、聞き取りやすい右耳を相手に傾けながらの「え?」は、なお一層カッコ悪いなと思うのです。

私にとって補聴器は今や生活の相棒となり、装着することで聞き直す行為は若干軽減されましたが、最近、調子がよろしくありません。
購入した店で相談すると、レシーバーの故障とのことで一旦修理をしました。
ただ、補聴器の寿命は4〜5年だそうで、私の愛機はすでに7年以上経過しているとのこと・・。

カミさんとも相談した結果、仕事上、特にお客さんとの会話の中での「I beg your pardon?」をなるべく減らすことに重きを置き、ここで買い替えることにしました。

7年振りに購入した商品は、予想以上に進化していました。
スマホのアプリに接続して、様々な設定ができるのは驚きでした。
性能には十分満足できましたので、初老の必要経費と考えるしかないなと思っています。

ただ、補聴器を使用するにあたり、地声の大きな方との接触には、注意しなくてはなりません。
身近なところでは、私の父は非常に声が大きいので、電話の際は、最初の「もしもし」から注意が必要です。

また、たまにゴルフをご一緒する方で、声がとても大きな方がいます。
この方を助手席(私にとって補聴器側)にお乗せする時は、補聴器は外しておくことにしています。
耳栓をしても、充分聞き取れそうな声量をお持ちなので・・。

236 一張一弛

パリオリンピック・パラリンピックが閉幕しました。
多くの日本人選手の活躍の陰で、オリンピックの開幕前に体操界でちょっと残念なニュースがありました。
19歳の女子選手が、喫煙と飲酒行為により代表離脱となった件です。

この処分に対しては様々な意見があったようですが、私は、最近ちょっとギスギスしてるなあ、と感じています。

もちろん、ルールは守らなければなりません。
ただ、昔から、喫煙と飲酒はルール破りの入門編です。
未成年者だからダメなんだという厳罰主義で、画一的に、そして取り返し不能なほどの重い処分を課すのは、何か違う気がするのです。

人一倍頑張ってきた若者が犯したちょっとの失敗に対して、大袈裟に騒ぎ立てるのではなく、包容力のある対応も必要かなと・・。
いわゆる「若気の至り」という寛容さがあってもいいのかなと・・。

世間から注目されている立場なんだから、ストレス発散は、もう少し要領良くやってよ。
そういうことは自宅でやってさ、合宿先ではちょっと我慢するとかさ・・。
今回は私が責任をとるから、今後は人として成長できるように一緒に頑張ろうよ!

私だったら、まず本人にこう言うような気がします。
ダメですかね・・、甘いですかね・・。

若いときの恥ずかしい記憶なんて、誰にでもあるはずです。
日の丸を背負った若者がはっちゃけちゃうことだってあるっしょ、と思うのです。

日本の親は「人に迷惑をかけることはしてはいけない」と子供によく言います。
しかし、インドでは「お前は人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるのだそうです。

「周りへの配慮を欠かさないこと」が美徳という日本人の考え方は大好きです。
反面、許すという徳も大切だと思います。
自らも気に掛けていくべき点だと感じます。

ちょっと話は逸れますが、1983年に当時世界新記録の通算939盗塁を達成した、元・阪急ブレーブスの福本豊さんが、国民栄誉賞を辞退した際のコメントはとても有名です。

「立ちションベンができなくなるから」

その実は、マイクの前でそう名言した訳ではなく、コメントが一人歩きしている部分もあるようです。

酒は飲むし、当時はたばこも吸うし、マージャンもしていた。
とてもじゃないが、品行方正と呼べる人間じゃなかった。
酔っぱらったら立ちションベンもする。
だから、辞退させてもらった。

記者とのこんな会話の一部が切り取られてしまったのが真相のようですが、基本的に、なんかいいな、と思います。
世界の盗塁王だからといって、なにもかにも折り目正しいわけじゃないんだ。
オレは野球が得意で足が速い以外は、どこにでもいる普通の人間なんだ、と訴える姿勢が、とても自然で人間的で心地良く感じます。

余談ですが、ドラフト7位で阪急への入団が決まったとき、福本選手の奥様は「阪急電鉄の駅員になると思った」というエピソードも残されています。

231 兎走烏飛

私の母校・横浜国立大学では、文化祭が年に2度開催されます。
春に行われる文化祭は「清陵祭」、秋は「常盤祭」と呼ばれています。
今年の清陵祭は、5月18日・19日に開催されました。

大学を卒業して今春で丸40年。
だから、という訳ではないのですが、何故か母校の文化祭へ行ってみたくなりました。
しかし、どうしても予定がつかなかったため、昨日、土曜日のひっそりとしたキャンパスへ足を運びました。

新たな最寄り駅となった「羽沢横浜国大駅」で降りると、駅ナカにこんなディスプレイがありました。

大学が駅名になっているだけのことはあるな、と少し嬉しい気持ちになりました。
ディスプレイの左側、スマホのバッテリーレンタルマシンも、学生を意識して設置されたのでしょう。

駅から大学までは約15分。
GoogleMapの案内に従って歩いていると、こんな看板を見つけました。

「よここく」という略称を耳にすることがありますが、学生自身も地元の方も「こくだい」とか「こくだいせい」と呼んでいました。
この看板は、今もそう呼ばれていることの証拠ですね。
変わらないということに喜びを感じます。

なお、この新駅は大学の北西に位置していますので、駅から最も近い大学の入口は北門になります。
北門は、工学部(現在は理工学部という名称ですが私には馴染みがなく・・)の裏側にあり、現役のときは利用したことがありません。
ここから(私の所属していた)経営学部までは、歩いて10分近く掛かるはずだな・・と思いつつ、慣れない門から入った40年ぶりのキャンパスは、まるで異国のようでした。

監視カメラに不穏な動きが残ったなと思いながらウロウロしていると、野音の脇に出てきました。
文化祭でシーナ&ザ・ロケッツがコンサートを行ったあの野音です(知らんね・・)。
その瞬間、忽然と意識が40年前に戻りました。

思い起こすと、大学4年間は堪らなく楽しい時間でした。

当時の仲間とは、麻雀、パチンコ、ボウリングとよく遊びました。
ゼミの先生も、成績の悪い私の面倒をよく見てくださいました。
1か月という短期間でしたが、2度海外に行く機会に恵まれました。
はじめて彼女ができて、色気付いたりもしました。

まさに青春でした。

ただ、勉強はもっとしておくべきでした。
これだけは、悔やまれます・・。

はるか昔に思いを馳せながら、好天に恵まれ、心地よい時間を過ごしました。
新設された学部の校舎の存在に驚き、学内を路線バスが走っていることに面喰らい、ゲバ文字の立て看板がひとつもないことに些か寂しさを覚え、国道から正門へのウッドデッキには時代の流れを感じました。

第一食堂の裏の鬱蒼としたエリアでは、巣があったのか、予期せずカラスの攻撃に遭っておったまげました。

大学4年間で、50泊(ひょっとしたら100泊?)以上過ごした親友S君の下宿の今も確認したかったのですが、弱まる足腰が限界となり諦めました。

因みに「下宿生という言葉は完全に死語、ひとり暮らし!」とセガレに教えられました。
ああ、そうですか・・。

229 離朱之明

子供の頃から、視力の良さには自信がありました。
視力の測定検査では、確実に「1.5」を叩き出しました。
その下の「2.0」も読めるのになあ・・、といつも思っていました。

車の運転をしていると、「お前、あんな遠くの標識が見えるのか!?」と同乗者に驚かれることがよくありました。
ただ、ワタシは逆に「あの標識も見えずに運転してんのかい!」と感じていました。

この能力を建設的な方向に活かせば良かったのですが、大学生になると、受験勉強の反動か、完全にタガが外れてしまいました。

授業に出ている友はいない・・
頼りになる仲間はいない・・
先輩からの資料もない・・

こんな教科のテストがあると、にわかに私の出番となります。
要するに、周囲の答案用紙を謹んで拝見させていただくのです。

選択式の問題であれば、2列前の答案用紙まで、難なく判読できました。
そこで、鉛筆を持つ右手が邪魔にならない向かって右前の席と、そのもうひとつ前の席の解答を失敬し(そんな詳しい説明は要らないか)、自分の答案用紙に書き込んで、後ろに陣取る友人が見えるよう、ずらして机に置くのでした。
こうした不品行で得た単位数は、8〜12単位ほどあるでしょうか・・・・。
若気の至りでは済まされない、不届き千万な行為です。

そんな浅はかな行動から15年余。
30代後半に、老眼の兆しを感じはじめました。
40代半ばには、老眼鏡を買いました。

今や、老眼鏡は本を読んだりパソコンを打つ時のみならず、日常多くのシーンで欠かせなくなりました。
従って、仕事用のカバン、車の中、洗面所などなど、いたるところに老眼鏡が備えてあります。
数えてみたら、9つもありました。

そうこうしているうちに、遠くも見えづらくなってきました。
遠近両用メガネがうまく使いこなせない私は、車の運転やゴルフなど、遠くを見るためのメガネが別途必要になりました。

学生時代、あんなに憧れたメガネがこんなにも必要になるとは・・。
この不便さは、因果応報、自業自得といったところでしょう。

話が逸れますが、「タガが外れる」と書きましたが、調べてみると、言葉の由来が非常に興味深いことを知りました。

「タガが外れる」の「タガ」は、漢字で「箍」と書きます。
箍とは、桶や樽の周囲にはめる輪っかのことだそうです。
樽は、ウイスキーやビールなどのお酒を貯蔵する際に用いられることが多いですが、箍が外れると、中の液体物が一気に外に溢れてしまいますから、それはそれは大変なことになります。

この様子から、緊張が取れて締まりがなくなるという意味で、「タガが外れる」と使われるようになったのだそうです。

こういうところが日本語の楽しいところだと思います。
漢検準一級への挑戦は、ほぼ諦めの境地ですが、若い頃の反省も込め、何歳になっても学ぶ姿勢を持ち続けたいと、連休中に思うのでした。

228 呉下阿蒙

ずいぶん前のことですが、「夫・元木大介はカレーが食べられない」という記事をネットで見つけました。

元木さんといえば、上宮高校から読売ジャイアンツ入団し、あの長嶋さんから「くせ者」と呼ばれた、誰もが知る元プロ野球選手です。

カレーが食べられない人っているんだ・・・・と思いながら、奥さんの大神いずみさんが書いた記事を読み進めていくと、どうやらその原因は、野球の合宿にあるようです。

中学のころの夏の合宿で、暑い中いつもよりしんどい練習が何日か続き、水も自由に飲めなかった時代。 ある日の昼食にカレーが出て、制限時間内にかき込んで、また暑い中練習に戻った時…とうとう暑さとキツさで戻してしまったらしい。 それ以来、それまで大好きだったカレーが、全く食べられなくなってしまったのではないかというのだ。 もう35年以上むかしの話だが、これぞトラウマ、という話。 そして今も夫は、我が家のカレーが食べられない。勿体無い。そして、何だか気の毒でもある。

私は高校時代バドミントン部に所属していましたが、真夏でも窓を閉じ、カーテンも閉めた体育館内で激しい練習を行い、水は飲んではならぬという練習を繰り返していました。
今では禁じられている、うさぎ飛びやおんぶ走りも日常的トレーニングでした。
大きな事故なく過ごせましたので笑い話と化しましたが、私が若い頃は、今となっては信じられないような指導がたくさんありました。

中学生のときの出来事がきっかけで、カレーライスが嫌いになってしまった元木さんは不運としか言いようがありませんが、実は、私もカレーライスがあまり好きではなく、もう何年も食べていません。

決して味が苦手なわけではありません。
ナンカレーは、どちらかと言えば好きな食べ物の範疇です。

積極的に食べない理由は、カレーライスを食べるとお腹を下してしまうからです・・。

その原因は、はっきりしています。
早食いです。

基本的に早食いの私は、カレーライスを食べるとき、いつにも増してご飯を噛まずに飲み込んでしまいます。
すると、元々胃腸が丈夫な質ではないので、必然的に下痢をする、という図式です・・。

ナンはパンのようなものですから、ある程度噛まないと飲み込めませんのでセーフです。
カレーライスがアウトなのです。

とろろご飯は、さらにいけません・・。
噛んでも噛んでも細かくもならず、柔らかくもならないとろろは、いつの間にかご飯と一緒に胃袋へ流れていきます。
ですから、私はとろろとご飯を、別々に食べることにしています。

「噛めよ!」

以前知人に話したら、一喝されました。
その通りです。
良く噛めば済むことです。
しかし、若い頃からの早食いは、そう簡単には直りません・・。

早食いは、肥満の原因にもなりますので、改善しなければなりません。
ネットには様々な改善策が掲載されていましたが、「食事の途中で何度か箸を置く」のは、自分にも出来そうな気がします。
お箸を一旦手から離すことで、次から次へと口に食事を運ばなくなりますので、効果が期待できそうです。

先日、洋食屋でランチを食べたときのこと。
テーブルに着くと、「春の和風オムレツライス」というメニューが目に入りました。
普段「和風オムレツライス」として提供しているものに、菜の花やハマグリを加えて、春らしくした季節限定メニューだそうです。
ほかのメニューはさほど見ずに、注文いたしました。
春らしい見栄えで、美味しそうだとは思いませんか!

しかし、食事が運ばれてきた瞬間、「やってしまった・・」と悔やみました。
オムレツの上に、たっぷりと「餡」がかかっています。
これは、私にとって「よく噛めないパターン」です。

そして、スプーンですくってさらにがっくり・・。
消化が良くない(と言われている)五穀米ではありませんか・・。

意を決して(大げさですが)ゆっくり食べることに専念しました。
途中で、箸ならぬスプーンを何度も置きました。
行儀が悪いと知りつつ、途中でスマホを見たりしながら、時間をかけて食べました。

その結果は・・、
お腹を下すことはありませんでした。
そして、食後まもなく満腹感を感じました。

「よく噛んで食べる」
いい加減に実践しなくてはいけませんね。

225 一竜一猪

先日、Yahoo!ニュースで「第1志望に「3分の2が不合格」中学受験の現実」という記事を見つけました。
葵さん(仮名)が経験したことを元に構成されたこの記事の一部を、以下に紹介します。

C校に入学して間もない4月上旬。葵さんが驚いたことがあった。男性の担任教員が「この中で第1志望じゃなかった子は?」と聞くと、クラスの大半の生徒が手を挙げた。「じゃあ第1志望だった子は?」。手を挙げたのは数人だった。「そうだよね、第1志望の子もいれば、そうじゃない子もいるよね」と担任は言った。

「私だけじゃないんだ」。葵さんは自分と同じ境遇の子が多いことにほっとした。同級生と互いの受験をオープンに話すことで、気持ちがほぐれ、友達が増えていった。そして学校が好きになった。

この記事を読んで、昔の思い出がよみがえりました。

以前にも紹介した私の中学受験は、学校の担任からは「合格するわけないからやめなさい」、塾の先生からは「合格しちゃうからよしなさい」と相反するご意見をいただき、結果は不合格。

「ほらね」と言わんばかりの学校の担任。
「悔しいだろうが喜べ。12歳で大学を決める必要はない!」と難しいことをおっしゃる塾長。

受験失敗という挫折感はわずか数日で消え、小学校の仲間と一緒に通った地元の公立中学は、楽しい3年間でした。

そして、迎えた高校受験。
思うように成績が伸びなかった私は、大学の付属校を受験対象から排除することにしました。
小学校6年生のときに学習塾の先生からいただいた言葉を思い出し、3年後、大学受験でもう一度勝負しようと決めたのです。

東京都にまだ学校群制度が存在した当時、私の第1志望は「41群」でした。
しかし、あまりにも内申点が低く、あえなく撃沈。
自身の第2志望だった、私立城北高等学校へ進学しました。

当時の城北高校は、1学年に750人ほど在籍していたマンモス校でしたので、それはそれはバラエティに富んだ生徒がいました。

その1人が、1年生のとき同じクラスだったS君。
入学当初からどことなく元気がなく、ねじ曲がって、ひねくれたような雰囲気を醸し出していました。
どうやら、有名県立高校合格間違いなし! と言われていたにも関わらず、運悪く失敗したそうで、「オレはこんな学校に来るつもりじゃなかったんだ」という気持ちが、入学当初、顕著に表れていたのでしょう。
その後、卒業まで同じクラスになることはありませんでしたが、決していい噂は耳にしませんでした。

もう1人印象的だったのはW君。
当時、城北高校の文系コースには、早稲田大学への推薦枠が1つだけありました。
文武両道、品行方正な生徒が毎年選ばれていましたが、我々の代では、W君とK君の一騎打ちとなりました。

W君はサッカー部、K君は体操部に所属し、各々運動部で活躍していました。
肝心の成績も、5段階評価でW君は平均4.9、K君は4.95と、どちらも非の打ちどころがありません。
W君は私立文系、K君は国立文系に所属していましたので、ここも評価対象になるのではないかなど、一時期、来る日も来る日も学校はこの話題で持ちきりでした。

結局、この激しい争いを制したのは、K君でした。

戦いに敗れたW君は、決して不満を口にすることなく、粛々と受験勉強を続けました。
普通に受験してもお前なら早稲田くらい楽勝だよ、と仲間に勇気づけられて臨んだ大学受験。
残念ながら志望校への合格は叶わず、明治大学への進学を決めたようでした。

「1浪して早稲田に行くべきだ」
「投げやりになっちゃだめだ」

人気者だったW君を心配する多くの仲間の声には耳を貸さず、明治大学へ進学したW君は、大学3年生の時に公認会計士の資格を取得したと、風の噂で聞きました。

推薦入試で落胆を経験し、一般入試でも夢破れたものの、自ら選んだ大学で腐ることなく努力を重ねたのでしょう。
同級生でありながら、心から尊敬できるなと思ったものです。

私の大学受験はというと、不合格の通知を重ね、入学を決めたのは第6志望の学校でした。
そして、入学金に加えて1年次の授業料も支払ったあと、第1志望の大学から補欠合格の報せを受けました。

仮に私が第6志望の大学へ進んでいたなら、W君のように努力することができただろうか・・。
補欠合格の電話を受けた際の感動や高ぶりを、大学生活に反映できただろうか・・。
受験は決してゴールではないな、と今更ながら感じます。

一竜一猪。
努力して学ぶ人と、怠けて学ばない人との間には大きな賢愚の差ができるということ。

セガレよ、まだまだこれからが勝負なのだぞ。

216 紅顔可憐

ゴールデンウィークに突入しました。
カミさんと買い物に出掛ける程度で、我が家は毎年大した予定がありません。

今日は残った仕事を片付けるため、朝から近所のカフェに来ています。
カフェやレンタルスペースなど、耳障りでない程度のノイズを背景に、自分が誰であるか周囲が知らない場所は、仕事をする環境として嫌いではありません。

ただ、「耳障りでない程度のノイズ」、要するに「いい感じの騒音」が難しいところです。
ガハハと笑いながら同時に数人がしゃべりまくるおばさま集団の存在は仕事の効率を低下させそうですし、一方、ちょっぴり好みのタイプの女性が近くにいたら、注意力散漫になりそうです。

因みに、今、私の前の席では、外国人男性と日本人女性のカップルが、朝から情熱的に肩を寄せ合っていますが、この程度は仕事に影響なさそうです。

私が普段利用している1つは、東京ミッドタウン日比谷のBASE Q内にあるワークスペースです。
1人席は、3時間1,500円、6時間2,000円と、都会のど真ん中にしては良心的な価格です。
ネットで予約ができますので、席を確実に抑えることができます。

個室ではありませんし、隣にカフェが併設されているため、騒音をシャットアウトすることはできませんが、個室型ワークブースの閉塞感が苦手な私にとっては、そこそこ快適な空間です。

会社にいると、電話、来客、その他諸々により、思うように仕事が捗らないことがありますが、外に出ればやりたい仕事に集中できます。
ノートPCのモニターがもう少し大きいと、老眼に優しいのですが・・。

朝、そろそろカフェに行こうか・・と思っていたところ、玄関でガチャという音がしました。
玄関を覗くと、徹夜明けとは思えない、元気溌剌な姿のセガレがいました。
昨日は夕方からサークルの新歓イベント→打ち上げ→カラオケ→朝帰り、と相成ったようです。

私にとって徹夜とは、ほぼほぼイコール徹マンです。
(「徹マン」は令和にあって死語でしょうか・・)

高校から大学にかけて、何回夜通し麻雀に興じたか、数え切れません。
夜も更けて朝が近づいてくると、「自摸って!」なんて声で起こされる寝落ちする輩が出現したり、こいつは半分寝ているだろう思っていたらでっかい手をテンパっていたり、睡魔による感覚マヒで突然強気になる奴が出現したり、予期せぬ事態が多発して楽しいものでした。

特に思い出深いのは、スキー旅行です。
上野から夜行電車に乗り、越後湯沢駅のダルマストーブの前で数時間過ごした後、朝イチのバスで民宿へ。
そして、朝イチからナイターまでゲレンデで過ごし、宿に帰れば深夜まで麻雀という、底なしの体力で遊んだものでした。

ただ、ダルマストーブの前で卓上麻雀に興じていたら、いつの間にか始発のバスが行ってしまったことが一度ありました。
4人もいながら、誰ひとり気付かないほど麻雀に熱中していたのかと呆れました。

ただ、徹マンは話し声はもちろんのこと、牌を手積みする音が響きますので、周囲へずいぶんと迷惑を掛けたことと思います。
また、灰皿は山のように積み上がりますので、健康上もあまりよろしくないですね。

60を過ぎた今は、日付変更線を過ぎるまで起きていることが、年に数回しかありません。
ましてや徹夜などしようものなら、1週間は抜け殻のようになってしまうと思います。

さて、朝からの仕事も一段落しましたので、昼メシの弁当を家族分買って帰ることとします。

211 終食之間

最近お気に入りのお弁当があります。
亀戸升本さんが作る「すみだ川あさり弁当」です。

ツイッターでも高評価を得ている亀戸升本さんは、明治38年に酒屋として創業。
その後、幻の江戸野菜「亀戸大根」を復活させ、割烹料理屋として復興したという、少し変わった経歴のお店です。

では、このお弁当のお薦めポイントを3つご紹介します。

お薦め①:亀辛麹(かめからこうじ)
写真中央の小さなカップに入った、米麹と青唐辛子と有機醤油を長期熟成させた秘伝のタレです。
ピリッとした辛さが特徴で、鶏つくね、里芋、ご飯等、何にでも合います。
思い出すと無性に食べたくなる、やみつきのタレです。

お薦め②:卵焼き
ちょっと隠れてしまって分かりづらいのですが、写真の一番下に、かなり分厚くてビッグサイズの卵焼きが入っています。
様々詰められたおかずの中で、ふんわり柔らかくてほんのり甘いこの卵焼きが私は一番好きです。
半分はそのまま、残り半分は亀辛麹と共に楽しむことにしています。

お薦め③:カラダに優しい
美味しいだけではなく、添加物が少ない点も大きな魅力です。
原材料表示は下記の通りです。

お弁当でよく見かける、増粘多糖類、pH調整剤、ソルビット、グリシン、酢酸Na、保存料(ソルビン酸K)などなど、定番の添加物が見当たりません。
私は小さい頃から食の安全について母から教えられてきましたので、このお弁当はとても嬉しいですね。

さてワタクシ、お弁当にまつわる忘れ得ぬ思い出が2つあります。

1つは、小学校高学年の頃。
ひとりで夏期講習か冬期講習に参加したときのことです。
確か、日暮里駅か鶯谷駅の近くにあった、当時としてはそこそこ大きな規模の学習塾だったと思います。

昼の休憩時間、持参したお弁当を席で食べていたら、前に座っていた見知らぬ2人の生徒が振り向きざまにこう言いました。

「お前のエビフライ、ちっちぇな」

そう言い放ったのは背の小さな方。
そして、その横でニヤニヤ笑う小太りの男が持つお箸には、私の2倍以上の大きさのエビフライが握られていました。
その存在感は、抵抗する気持ちを萎えさせるに十分なものでした。

私ひとりで見知らぬ塾生2人を相手に喧嘩をする度胸もなく、「テストの点数は負けねーからな」なんて密かに思うのがせいぜいでした。

「あなたの学習塾の費用が結構バカにならなくてね・・」と大人になってから母に聞かされましたので、あのエビフライのサイズは、当時の我が家の経済状況そのものだったのだと思います。

50年も前の出来事なのに鮮明に記憶しているということは、当時のショックは大きかったことの裏返しなのでしょうか。

今思えば、あの大きなエビフライは、お総菜コーナーで購入したのではないでしょうか。
かーちゃんが愛情込めて手作りしてくれたことに値打ちがあるんだ、なんてやり返すことは、当時無理だったなと思います。

もう1つは高校1年生のとき。
教室の席は氏名の五十音順に決められていましたので、私・ヤマダは最後から3番目の窓側の席でした。
そして、私の右に座っていたのは、お坊ちゃまの雰囲気漂う「前田」。
昼になれば隣の机に広げられる前田のお弁当は必然的に目に入りますが、これがとても印象的でした。

端的に言うと、美しいのです。
男子高校生が持参する弁当ですから、キャラ弁とかいう美しさではなく、まるで仕出し弁当屋さんが作ったように、色や盛り付けがキレイなのです。
しかも、来る日も来る日も期待を裏切らない、見目麗しいお弁当でしたので、前田の弁当をこっそりのぞき見するのが、日々の楽しみにもなっていました。

こう言っては叱られそうですが、私の母の弁当はとても美味しかったけれど、見栄えは普通でした。
高校1年生にして、料理は美を表現できるものなのだ、ということを前田のお弁当を通じて学びました。

我が家のセガレも中学高校の6年間、お弁当を持参しました。
たまには売店でパンを買うとか、食堂で名物の唐揚げ丼でも食べればいいのに・・、と思うことがありましたが、頑なに弁当を持っていきました。

日曜日以外毎日ですから、作る方は大変です。
ほとんど冷凍食品を使わずに、よく作ったものだと感心します。
少しはカミさんに感謝しているのかな、と思ったりします。

あ・・。
かく言う私も、見栄えがどうとか言う前に、母に感謝の言葉を伝えたことはあっただろうか・・。

201 六十耳順

昨年10月、60歳になりました。
20歳になった時、遂に大人の仲間入りなんだなと感慨深かった記憶があります。

しかし、30、40、50とその後は別段思うことなく通り過ぎましたが、60歳を迎えた心境はこれまでとは異質でした。
一言で表すなら、老人への入口に来たなといったところでしょうか・・。
40年前は胸躍る心境だったのに、今は少し胸がつかえるような気分です。

そんなことを考えていたら、数日前、新型コロナウイルスワクチンの4回目の接種について、厚生労働省から発表がありました。
それによると、接種対象は当面、60歳以上の人や18歳以上の基礎疾患のある人などに限定するそうです。

やはり、60歳は高齢者の範疇であることに間違いなさそうです。

ところで、60という数字はやや特徴的と言えそうです。
例えば、1時間は60分で、1分は60秒です。
また、角度の単位でも1度(°) = 60分 (′)、1分 = 60秒 (″) です。
このように60を1単位として数える六十進法は、自然界に数多く存在しています。

また、結婚50周年を祝う金婚式は有名ですが、60周年をダイヤモンド婚式と呼ぶそうです。
さらに上もあるようですが、一般的には60年が最後でしょうか・・。

あっ、私の両親は3年ほど前がダイヤモンド婚式だったかと・・。
金婚式には東北旅行を贈りましたが、60周年には思いが及びませんでした。

さらに、60の前後の数字、59と61は素数です。
前後が素数な数は、4、6、12、18、30、42、60、72、102、108、138・・・・。

セガレにそう話すと、双子素数ね、と返されました。
ある素数に2を足した数も素数になる組み合わせを双子素数というのだそうです。

幼稚園入園、中学校入学、大学入学、厄年、還暦、除夜の鐘‥。
偶然にも人生の節目にあたる数が並んでいるように思います。

さて突然ですが・・、

「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」

孔子の有名なお言葉です。
そして、この言葉はこう続きます。

六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

60歳になり、他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった、という意味ですが、自分に置き換えてみると、実践するのはなかなか難しいですね。

30歳はまだ独身でしたので自立とは程遠く、40歳では迷いまくり、50歳で自分の使命を悟ることなど到底できませんでした。
そう考えると、60歳になっての未熟さは推して知るべしかと思います。

ただ、孔子の生きた時代は、平均寿命が現代とは大きな差があるはずです。
孔子の指す60は、今の80に相当すると勝手に解釈したいと思います。

最後に、高齢者あるあるの失敗談をひとつ。

先日、コンビニで支払いをしていたら、東南アジア出身とおぼしき店員さんがお釣りを渡しながら私の股間を指さしました。
意味が分からず、問いかけると、私の股間に触れるのではないかという距離まで人差し指を近づけてきます。
困った店員さんだな、と思っていたら・・・・

「ちゃっく、が、あいて、ます。」

たどたどしい日本語でしたが、自分の身なりがだらしがないことは十分伝わりました。
べらぼうに気まずい中、努めて明るくお礼を述べ、店をあとにしました。

歳を重ねるということは、注意が散漫になることでもあると、改めて思い知らされました。

198 好機到来

40年前、成人式の朝、母が「おめでとう」と声を掛けてくれました。
ご飯を食べながら、ちいさく頭を下げました。

すると、後日「あのとき、なんだか嬉しかったわあ」と母に言われました。
私にしてみれば、額ずいたわけでもなく、箸を動かしながら軽く会釈した程度だったのですが、20年育ててくれた母には、諸々去来するものがあったのでしょう。

あれから40年。
カミさんが「おめでとう」と言ってくれた還暦の誕生日。
胸中をかすめたのは、老人の入口に到達したなという思いでした。
区役所から届いた銭湯の割引入浴券も、そんな気持ちを増幅させたように思います。

60歳の異称としては「還暦」が最も一般的ですが、耳順、杖郷、杖者、丁年、下寿、華寿など様々あるようです。
5年以内に股関節の手術をする、と医師に宣言されている身にとっては、「杖」という漢字が妙に気になります。
往代の60歳は、多くが杖をついていたのでしょうか。

股関節痛のほかにも、腰痛、肩こり、首の痛みも抱え、胃腸も決して強くありません。
カラダの中もいろいろ経年劣化が起こっていますが、鏡を見れば、齢60の顔はかなり器量が悪くなっています。

世はオミクロン株の感染拡大で、日々感染者数の国内記録を更新中。
必然的に家にいることが多く、ましてやセガレの受験も控えているので不要不急の外出はしない、ゴルフもしばらく行かない・・・・。

今でしょ! とばかりに急遽向かったのは皮膚科。
意を決して、顔のシミを除去してまいりました。

お世話になったのは、駅前に昨年オープンしたクリニック。
白を基調とした真新しい施設で、スタッフは全員女性。
そして、週末の待合室は、4割ほどが若い女性。
アトピーやニキビなどの治療というより、美容的な訳合いで訪れている人が多いのでしょうか。

そもそもいい歳のオッサンが・・・・という気恥ずかしさで、なかなか皮膚科へ足を踏み入れられなかったのですが、案の定、居心地が悪くなってきました。

名前を呼ばれ、診察室に入ると、私のそんな気持ちなど知るよしもなく、医師はテキパキと説明を始めました。
動揺を隠せないオッサンは、正直話半分といった状況でしたが、結論的には、なんとかマックスという機器で、レーザーを照射することと相成りました。
しかも、初回はお試しコースで割安なんだとか・・。

20分ほど待ったあと、顔中にバチッバチッと数十発、銃撃されてまいりました。

女性スタッフの優しい語り口や物腰は、処置開始直後からくすぐったいような照れくさいような気分が拭えませんでしたが、「クリームは顔に塗るのではなく、優しく置くように心がけてくださいね」などと言われながら時間を過ごしていると、徐々に心地よくなっていく様に気付きました。
日数が経って顔のあちこちにあるシミが少し改善されるのを実感したら、ひょっとして癖になるかも知れない、なんて思いにも駆られました。

次はヒアルロン酸だ、次は白玉注射だ、脱毛もするか??
とエスカレートしないように気をつけたいと思います。