125 忙中有閑

10月末頃から、仕事が非常に多忙となりました。
暇な時期と足して割れるといいのですが、そう都合良くはいかないものです。

昼食を食べる時間もなく根を詰めて働きつづけ、週末すら休めない状況でも、若い頃は、さほどダメージを感じませんでした。
しかし、50歳半ばを過ぎた今、ダメージを自覚する前に、カラダを労ることも大切だと考えるようになりました。

そこで、週末に思い切って東京を抜け出すことにしました。
パソコンがあればこなせる仕事をたんまり抱え、向かったのは仙台です。

新幹線はやぶさで、東京駅から仙台駅までわずか1時間半。
やっぱり新幹線は偉大です。

土曜日の朝は、仙台駅東口のスターバックスで、食事を摂りました。
交差点の2階から見える宮城野通りは、電線が地中に埋められたとてもキレイな道路で、初冬の気配に包まれた朝の風景は、日常の喧噪を忘れさせてくれました。

食事をしながらかれこれ2時間半ほど仕事をし、ホテルに戻って続きの作業。
腹が減ったら、ホテルのとなりで牛タン定食。
おやつどきには、ずんだ餅。
そして、また、仕事。

土日2日間、こんな調子で過ごしました。
環境を変えると、気分が変わりますね。
今は、Wi-fiスポットが街中にありますので、メール送受信にも事欠きません。
早朝、深夜を厭わず、仕事ができました。

好きな神社巡りも、ちょっと叶いました。

下の写真は、榴岡天満宮です。
仙台駅から歩いても行けるこの神社は、ご詠歌の書かれた見開きの御朱印で有名です。

仕事をこなしながら、ストレス解消。
ちょっとクセになりそうな2日間でした。
次は、名古屋か新潟あたりを狙おうか・・と策を練っています。

124 一挙両得

弊社は、社員全員にインフルエンザの予防接種をするよう伝えています。
少ない人数ですから、費用は会社が負担しています。

今年は、ワクチンが不足しているというニュースをよく耳にします。
6月にワクチン製造につかうウイルス株を変更したため、生産が遅れているからだそうです。

先日、大学病院で長くお世話になった先生が開業されたと知り、ご挨拶旁々お電話したところ、運良く在庫があり、私はすぐに接種していただくことができました。

ところで・・、
インフルエンザの時期になると、思い出すことがあります。

30代のころ、小学校からの親友が「おたふく風邪」で入院騒ぎになりました。
仲間とふたりで見舞いにいくと、既に回復に向かっていたものの、一時はかなり深刻な症状だったそうです。

「39度の高熱が出てさ、アソコが3倍くらいに腫れちゃってさ。まいったよ。」

アソコが3倍ってどんなんだよ!と、不謹慎にも友人と大笑いしつつ、大人が罹患すると重症化するのは間違いなさそうなので、その日のうちに母親に確認してみました。

「あ〜、ごめんね〜。ハシカとミズボーソーは間違いなくやったけど、オタフクだけ覚えてないのよ。」

それから10年以上が経ち、セガレが幼稚園に通っていたある冬。
複数の園児がおたふく風邪に罹ったと連絡がありました。
母親から心許ない情報をもらっていたので、まずは予防接種だ、と近くのクリニックへ行きました。

担当してくれたのは40歳前後のハキハキした男性医師。
やや話し好きな医師は、たわいもない話を私に投げかけ、中年男2人の診察室は、和気藹々とした雰囲気でした。
「じゃあ利き手じゃない方の左腕に注射しますね。」
カミさんが事前に予約してくれたので、すべてスムーズに進みました。

「空き箱、持って帰られますか?」

服装を整えていた私に、医師は意外なことを言いました。

アンプルの入っていた箱?
要らないよなあ、普通・・、と思いつつ、

「有難うございます。記念に持って帰ります。」

愛想笑いしながら空き箱を受け取り、診察室から出ようとすると「インフルエンザ」という文字が目に入りました。

「あの〜、先生、ワタシ、おたふく風邪の件で来たのですが・・。」

「あっ・・」

あれ?今「あっ」って言った気がするなあ・・、と思っていると、先生は慌てて部屋の奥へ行き、小走りで戻ってきました。

「あの、山田さんですよね、あの、ごめんなさい、あの、インフルエンザの予防接種をしてしまいました。朝からインフルの患者さんばかりだったので・・、えーと、あります。おたふく風邪は生ワクチンなので、冷蔵庫でちゃんと・・。えーと、ご予約いただいてますからね、お名前もちゃんと・・。」

完全にしどろもどろでした。

「すぐ射ちますから・・、ゴメンなさい・・。」

「いっぺんに2つもですか?大丈夫なんですか?」

「それは大丈夫です。問題ありません。アメリカでは、同時に接種するのが通常ですから。」

いやいや、オレ、バリバリの日本人なんだけどなあ、いやだなあと思う間も無く、右腕に注射針が刺されました。
結局、左腕にインフルエンザ、右腕におたふく風邪と、両腕に予防接種を受ける不測の事態となりました。

最後に、会計窓口での支払いの際、やや年配の女性スタッフがやや控えめの笑顔を浮かべながらこう言いました。

「インフルエンザの方は、サービスさせていただきます(^^)」

得をした、と喜ぶべき出来事なのでしょうか・・。

123 才子多病

幼い頃悩まされた自家中毒という病が一段落すると、次は、起立性調節障害という病気をいただきました。
学校の朝礼などでずっと立っていると、貧血のような状態に陥り、頭がフラフラして立っていられなくなるのです。

バタンと倒れてしまうことはありませんでしたが、近くの友達に「ゴメン、ダメ」とサインを出すのが常でした。

この起立性調節障害、Orthostatic Dysregulationを略してODと呼ばれています。
思春期に起こりやすい自律神経機能失調と考えられていて、急激な身体発育のために自律神経の働きがアンバランスになった状態、と説明されています。
主たる症状は以下のとおりです。(引用:http://inphs-od.com)

  1. 朝に起きられない
  2. 立ちくらみ
  3. 全身倦怠感
  4. 食欲不振
  5. 立っていると気分が悪くなる
  6. 失神発作
  7. 動悸
  8. 頭痛
  9. 夜になかなか寝つけない
  10. イライラ感・集中力低下

私の症状は、4と5でした・・。

検査をしても異常がなく、医学的に説明がつかない症状を「不定愁訴」というのだそうです。
起立性調節障害は、血液検査など一般的な検査では異常がみつからないため、不定愁訴と同じように扱われることがよくあるとのことです。

この病気に小児科医が注目を寄せ始めたのは1960年代だそうですから、1961年生まれの私が、単に「ひ弱な子供」として処理されずに起立性調節障害と診断されたことは、運が良かったと言えるかも知れません。

また、ODの子供たちの約3割は不登校を合併しているそうですから、私よりもっともっと深刻なケースも多いでしょう。
不定愁訴が疑われる子どもに対して、医師は起立性調節障害かどうかしっかりと診断して欲しいと切に思います。

そういえば、印象的な出来事がひとつあります。
小学校5年生頃、体育館で校長先生の話を聞いていた時のことです。

「おい、山田、大丈夫か?」
「え???何のことですか???」
「何言ってるんだ、お前、いつも具合が悪くなるじゃないか。」
「はあ、今日は全然平気です・・。」

担任の先生に声を掛けられるまで、その日は何の異常もなく、至って元気でした。
ところが、声を掛けられたことで「思い出してしまった」のです。
そりゃそうだ、オレってこういう時にちょいちょい具合悪くなるよなあ、と。

それから10分もしないうちに、前にいた友達の背中をつつきました。
「わりー、具合悪いわ。」

ワタクシ、わりと繊細な少年でありました。
そして、健康面では両親にずいぶんと心配を掛けた少年でした。

加えて・・、
才知に優れた人はとかく病気がちであるというけれど、才知と病気のバランスが取れていないなあと、自らの子供時代を嘆くのでした。

122 奇々怪々

私は幼い頃、体があまり丈夫ではなく、幼稚園や小学校を一年間休みなく通うことはできませんでした。
それは、「自家中毒」という持病を抱えていたためでした。

腹痛や嘔吐を繰り返すので、症状は「食中毒」と似ていますが、全く関係はありません。
周期性嘔吐症と呼んだり、血液の中にアセトン(ケトン体)が増えるので、アセトン血性嘔吐症と呼んだり、現在では、その病態をさしてケトン血性低血糖症とも言われています。
(出展:https://www.ishamachi.com/?p=35551)

自家中毒の特徴についても、ネットで調べてみました。

①2~10歳くらいの間で見られ、5・6歳が発症のピーク。
②思春期になると治る。
③やせ型で繊細な子供に多く発症する。
④心配性で「失敗したどうしよう」などと先回りして考えてくよくよしてしまう性格の子供や、逆に楽しいことを想像してワクワクが止まらなくなってしまうなど、感情が盛り上がりすぎてしまう子供などにも見受けられる。

見事なまでに、私の子供時代を言い当てています。
因みに④は後者です。
人一倍楽しみにしていた運動会や、夏休みの家族旅行直前になると体調を崩すという、すこぶる残念なタイプの少年でした。

自家中毒を発症すると、母親におんぶされ、かかりつけ医に連れて行かれました。
母にしてみれば、可哀想半分、情けない半分といった心境だったことでしょう。
一方、私は、繰り返す嘔吐で体力が落ちている中、「またかよ」と気持ちも凹んでいたわけで、母の背中に癒され、勇気づけられたのを覚えています。

症状が落ち着いて、徐々に食欲が戻ってくると、母は消化の良い食事を用意してくれました。
決まって登場したのは、リンゴとはんぺんでした。

おでんの具人気ランキングの上位に必ず登場するこの「はんぺん」。
大人になってからは、好んで食べなくなりました。
美味しい美味しくないではなく、私にとっては「体調を崩したとき食べるもの」という印象が定着してしまったのです。
今でも、はんぺんを見ると、狭いアパートの一室で嘔吐していた、切なくて心細い気持ちを思い出します。

思い出すといえば、自家中毒を発症した時だけ会える「おじさん」がいました。
会えると言っても、四畳半の一室の決まった壁に「像」が浮かび上がるのです。
その像が見えるのは、自家中毒で布団に伏しているとき、という限られた条件下だけで、元気なときに現れることは決してありませんでした。
その「おじさん」はいつも同じ表情をしており、恫喝したり恐怖を与えたりすることは決してありませんでしたが、「あの場所におじさんが見える=今オレは病気なんだ」と確認させられる存在でした。

あれは、一体どういう現象だったのでしょうか?

不思議の国のアリス症候群という病気があるそうです。
その症状は、目の前にある物の遠近感覚が狂ってしまったり、時間の感覚がおかしくなってしまったり、壁に顔が浮かんで見えたりするそうです。
う〜ん、ちょっと違うような気がします。

実は、大人になってから、たった一度だけあのおじさんに会ったことがあります。
昼寝をしていたとき、夢に現れたのです。
しかも、体調不良ではなく、元気なときに。
ほろ苦い思いと、ちょっと嬉しい思いが交錯した記憶があります。

今日は私の56回目の誕生日です。
母へ感謝の意を表しつつ、子供の頃の不思議な話をしたためてみました。

121 意気消沈

神社を巡っていると、美味しい和菓子をよく見かけます。
美味しいのはもちろんのこと、どれも歴史と伝統あるお菓子です。
有名なものばかりですが、いくつかご紹介したいと思います。

①福太郎本舗「福太郎餅」(三嶋大社)
この盛り上がったあんこの形状から、「リーゼント餅」とも呼ばれています。
「烏帽子」をイメージしているそうですが、見かけは黒髪のリーゼントです。
境内の福太郎茶屋で食べられる温かいお茶と福太郎餅2つのセットは、税込み200円。
値段も手頃で、オススメです。
お土産用は12個入りで950円、賞味期限は4日です。
私は12個入りを3つ購入しましたが、お餅なので結構重たかったですね・・。

②粟餅所澤屋「粟餅」(北野天満宮)
創業は室町時代の1682年。
炊きたての粟を店内の臼でついた餅に、餡ときな粉をまぶしただけの素朴な和菓子です。
作り置きはしないので、注文のたびに、職人さんが慣れた手つきで作ってくれます。
形状は、餡の餅は丸く、きな粉の餅は細長くなっています。
これは、きな粉はつけてもこぼれてしまうので、極力たくさんつくよう表面積を広くしたそう。
そのご主人の気持ちをあらわすかのように、きな粉餅には餅の形が埋もれるくらい、たっぷりのきな粉がまぶしてあります。
当て紙もクラシックでとても味がありますが、残念ながら写真がありません。

③やわた走井餅老舗「走井餅」(石清水八幡宮)
三大八幡様のひとつ、石清水八幡宮の門前名物は「はしりいもち」です。
独特なこの形は刀を模しているそうで、やわらかいお餅の中には、北海道産小豆を用いたこし餡がぎっしり入っています。
写真は煎茶セットで350円。
お土産用は、10個入り1200円、20個入り2,300円など。
きな粉、抹茶、いちごの3種類の味が楽しめる「八幡野」というチョコあられも、おしゃれで美味しいです。

④かさの家「梅ヶ枝餅」(太宰府天満宮)
その由来は、太宰府に左遷された道真公が、日々の食事にも困窮しているのを見かねた近くの老婆が、粟餅を梅の枝に刺して格子の間から差し上げた、というものです。
実は、私はまだ太宰府天満宮に行ったことがないのですが、カミさんが福岡に行った際、お土産にリクエストしました。
元々、大のあんこ好きな私も、さほどでないセガレも、大好きになりました。

冷凍をチンして食べても十分美味しいのですが、やはり、焼きたての「外はパリパリ、中はしっとり」をいつか味わいたいと思っていました。
すると、横浜そごうで九州物産展が開催されていて、かさの家も出店し、実演販売していることをネットで知りました。

「明日は、ベイクォーターのアイランドヴィンテージコーヒーでアサイーボウルを食べてから、そごうで焼きたての梅ヶ枝餅を食べに行くぞぉ!」

意気揚々と家族を誘い、好天の体育の日、食欲優先の計画を実行しました。

アサイーボウルの人気ナンバーワンとも言われるアイランドヴィンテージコーヒーでお昼を食べてから、そごうへ向かいました。
会場となっている8階の催事場に着くと、ワールドウォッチフェアという看板が目に入りました。

「ここじゃないな…。」
「ん?どこだ、九州は?」

「父さん、九州物産展はあさってからだよ( -_-)」

家族の視線が痛い、連休最終日となりました。

120 心満意足

大学1年生、18歳のとき、無免許運転で警察のご厄介になったことがあります。
大学の同級生・マモとバイクに乗っていたら警官に止められ、御用となったのです。
バイクといっても原付ですから、自転車の延長みたいな気分で乗っていたのですが、これも立派な法律違反です。

「君、まだ未成年だから、保証人のハンコが必要なんだよね。大学の先生か誰かに頼める?」

警官にそう言われたものの、まさか先生にそんなお願いができるはずはありません。
東京の自宅を往復すれば3時間以上かかりますし、そもそも親にはナイショで事を済ませたい訳で、とは言え保証人の印鑑を快く押してくれる方がそう容易くいるはずもなく・・。

「オレの下宿の隣の住人に頼んでみようか?」

マモが突拍子もないことを言い出しました。

「若い女の人がひとりで住んでるんだけどさ、いつも昼間はいるんだよ。で、夕方になると出掛けてってさ、朝になると帰ってくるんだ。たまに男と一緒に帰ってきたりしてね。」

「おいおい、マモ。それ、一番頼みにくいタイプじゃん。あとあと厄介になること請け合いだろ・・。」

「そんなことないよ、何度か話したことあるけど、結構いい人だよ。あ!確か、苗字、お前とおんなじ山田だよ。保証人にうってつけじゃん!」

そこかよ・・と思いつつ、他に頼れる人はいませんでしたので、山田さんを訪ねることにしました。
当時のマモの下宿は、相鉄線星川駅から歩いて10分ほどの木造2階建てアパート。
トイレは汲み取り式、風呂なしの1Kで、家賃は15,000円。
そこにひとりで住んでて、毎日朝帰りの女性、山田さん・・。
やたらどんよりしたのを覚えています。

「すみません、隣の部屋の学生です。お願いがあって来ました。」

ドアをノックすると、中から人の気配がしました。
マモの言う通り、真っ昼間ですが在宅のようです。

「突然すみません、コイツ、大学の友達なんすけど、無免許運転で捕まっちゃって・・。この保証人の欄に20歳以上の人の印鑑が必要なんですが、お願いできないでしょうか?」

「まあ、大変ね。どれどれ・・。でも、アタシでいいのかしら・・。あら?山田君っていうの?私も山田。グーゼンね!」

驚くほどあっけなく、保証人の印鑑がいただけました。
マモの隣人は、心温かで、人情に厚く、ちょっぴりガードの甘い大人の女性でした。

それから数ヶ月経ち、運転免許証を取得することになりました。
無免許運転で捕まっている前歴がありますから、何らかのペナルティーが課せられるであろうと覚悟していましたが、何の障害もなく、当時はすんなりと交付されました。

そして、先日、通算何度目になるのか分かりませんが、免許更新を知らせる通知が届きました。
圧着はがきを広げてビックリ。
なんと、ゴールド免許の対象になっていました。
自分史上、初の快挙です。

免許取得以来、スピード違反では一度も検挙されたことがない、というのが私のプチ自慢ですが、ゴールド免許には縁がありませんでした。

前回の更新時は、その1ヶ月前に、路上のパーキングメーターに67分駐車したとして、わずか7分オーバーで駐車違反の切符を切られました。

その悔しい駐車違反を最後に、今日まで無事故無違反を積み重ね、遂にゴールド免許にたどり着きました。
ほぼ毎日運転している中で獲得したゴールドだから価値がある!と、ひとり悦に入っています。

37年を要して、ようやく優良運転手の証を手に入れることができました。
あの後、ほどなくして転居された山田さんに、改めて謝意を表したいと思います。

119 雲外蒼天

近年、神社参拝が趣味となりましたが、きっかけは、京都をひとりで旅した際に、ひょんなことから書き置きの御朱印をいただいたことでした。
近年は、御朱印ガールに代表されるファンの増加により「趣味は神社巡りです」と公言しても、ニッチな趣味だとは捉えられなくなってきました。

スタンプラリー化している現状を嘆く声も多い反面、参拝客の増加や客層の変化を歓迎している神社も少なくありません。
その証拠に、オリジナル御朱印帳や御朱印帳袋を販売する神社が増えたり、キティちゃんとコラボした御朱印帳を発行するなど、神社サイドも実態に合わせた対応を見せています。

その一方で、御朱印の授与を取りやめた神社もあります。
虎ノ門にある西久保八幡神社は、「昨今の現状を鑑み、当面の間御朱印の授与を中止いたします」とホームページに掲載しています。
無礼な参拝者がいたのでしょうか・・。
非常に残念です。

私は、神社参拝を趣味としてから、知識を深めようと努めてきました。
一昨年受検した「神社検定試験」がその象徴ですが、取得したのは最も低い参級です。
さらに上を目指さなくてはならないのですが、ひとつ大きな障害があります。

それは「数学は好きだけど歴史が苦手な文系」という私の性癖です。
学生時代、解を導き出す数学には歯応えとやり甲斐を感じたのですが、歴史なんて暗記科目でつまらないと、生意気な考えを持っていました。
歴史の重要さ、奥深さを知ったものの、時既に遅し・・。
歴史嫌いが将来の趣味に陰を落とすとは、予想だにしませんでした。

しかし、ここを克服しないことには、知識の上積みも神社検定の弐級も付いてきません。
学ぶことは楽しいのですが、苦手ジャンルの知識を蓄えることは、加齢とともに、非常に困難を極めています。

老け込み防止のため、そして、自らを鼓舞するため、検定試験に挑戦する意気込みだけは持ち続けています。
が、今年6月の神社検定試験は、見送りました・・。
そして漢字検定は、準一級のテキストを見て、その難しさに尻込みし、諦めの境地です・・。

ただ、京都検定の試験が年内にまだ残っています。
試験日は、2017年12月10日です。

京都検定には以前から関心を持っており、公式テキストは既に持っています。
ここ3年の3級合格率は、50%前後。
そして、今年の3級の公開テーマは「京都駅界隈」。

ん・・、どうしようか・・。

118 機略縦横

私の義母はとても信心深い人で、毎年決まって参拝する寺社が複数あります。
その一つが寒川神社で、もう20年も前から毎年訪れているようです。
寒川さんですから、目的は他でも無い、八方除け祈願です。

そして、義母は自分だけでなく、私個人と会社の分も御祈願してきてくれますので、有難いことに、我が家には毎年寒川神社のお札があります。
かねてより人任せではなく自ら出向かなければと思いつつ、これまで機会を逸していましたが、遅まきながら、この度カミさんと参拝してまいりました。

寒川神社三之鳥居

最寄り駅のJR相模線宮山駅から、長閑な風景の中を歩くこと6〜7分。
左側に立派な鳥居が見えてきたので、てっきり一之鳥居かと思ったら、神池橋の奥にあるこの鳥居は三之鳥居だそうで、一之鳥居は、境内の南、およそ1kmの地点にあるとか・・。
流石は延喜式にも載る東国有数の古社だけあって、敷地は広大です。
一礼して、この三之鳥居から神域へ入り、手順に則ってひと通り参拝を済ませました。

もちろん、御朱印もいただきました。
併せて御朱印帳も購入しようと思ったところ、社務所ではなく売店で扱っていると知り、行ってみると、その種類の多さに驚きました。
そして、かなり迷った末に、表紙が杉の木製の御朱印帳(写真一番手前)と、紫色の御朱印帳袋を購入しました。

寒川神社売店(許可を得て撮影しています)

参拝をしていると、隅々まで清掃され、とても手入れが行き届いた神社であることに気付きます。
そこが歴史ある相模國一之宮の品格なのでしょう。
天気に恵まれたこともあって、清々しく厳かな境内は、穏やかで心地よい時間を与えてくれました。

ただ、ご本殿の奥にある神獄山神苑を見ることはできませんでした。
というのも、ここに入苑できるのは、各種御祈願・大祓祈願申込をされた方だけ。
「難波の小池」を中心としたこの神苑は、池泉回遊式の日本庭園が広がり、茶屋や資料館が併設されているとか・・。

歩くのが徐々にしんどくなってきている義母を連れて、来年は車で来ようかと思っています。
そして、私も八方除御祈願をし、神苑を拝見したいと思っています。

ところで・・。
方位によって生じる災いを取り除く方除け(ほうよけ)は、多くの神社で行っていますが、あらゆる災いを取り除く「八方除け」となると、その守護神は全国広しと言えど、ここ寒川神社だけです。
八方除の御祈願については、公式サイトに掲載されています。
(引用:http://samukawajinjya.jp/kigan/ki01.html)

地相・家相・方位・日柄等から起こるあらゆる災いを除く御祈願が八方除です。
例えば、人の住居というものは、古くから南向きの陽当たりの良い場所に建てられるなど、先人の知恵によって快適な営みの方法が試みられました。しかし、現代社会では、経済的にも、家相学上あるいは地理的条件の上からも必ずしも種々の条件にかなった建築は容易でありません。まして既設の住宅、また移転上の地相家相などにいちいちこだわっていられないのが現実です。
こうした事情から方位などによる祟り、障りなどを避けられないことがあります。また月によるもの、日によるものがあると考えられ、これら普請造作、移転、旅行などによって知らず知らずに、また知りながらも方位を犯しつつ日常生活の中で事に当らねばならぬことが多くあります。
こうした折に、寒川大明神の、広大無辺にあらたかなる八方除の御神徳を頂いて、一切の災厄を祓い除きいただき、皆様が明朗快活な日々を送り、家内安全、福徳円満、商売繁盛を招かれますよう御祈願するのが、八方除の御祈願です。

なるほど、シンプルでわかりやすい説明です。
「広大無辺にあらたかなる御神徳」という表現が、琴線に触れますね。
大難は小難、小難は無難に過ごすために、来たる年は、自ら八方除の御祈願を受けたい思いが、さらに強まりました。

また、同サイトには、数の神秘「八」というタイトルのページもあります。
これもなかなか興味深い内容でした。
(引用:http://samukawajinjya.jp/houi/houi07.html)

「八」は日本人が好む数字であり、最高位を占める数です。
八を「末広がり」といって喜ぶのは、裾が開いた形からくるイメージです。八を数字「8」で表し、8を横にすると∞となり、西洋では宇宙にすえひろがりに広がる、無限という意味にもなります。
八という数字は、中国では古くより非常に重大な意味をもっていました。紀元前十世紀ごろまとめられた易経における八卦に関係していて、宇宙のすべては、陰と陽を八卦で組み合わせることによって生まれるとされています。
わが国最初の書物「古事記」、また「日本書紀」には、八へのこだわりが多く見られます。大八島、八尋殿、八咫烏、八十建,八衢、八重雲・・・、三種の神器は、八咫鏡・八十握剣、八坂瓊勾玉と、鏡、剣、玉にみな八の形容詞を冠らせています。八は多大の意の日本における聖数であり、呪力のある数といえるのです。
“八方除”という言葉は、八方位を基本として吉凶を判断することから八という数字が用いられています。
しかしそれだけではなく、八方除のご祈願が私たちを目に見えない力でお守りくださるという神秘的で崇高なものであるという意味も込められていると考えることができるでしょう。

これを読んだとき、昭和52年の弊社創立の際、父が会社の電話番号について話していたのを思い出しました。

「電話番号の下4桁を、8088か7077で迷ったが、末広がりの8を選んだ。」

末広がり?
ナニソレ?
選ぶならラッキーセブンでしょ、普通。

当時15歳の私は、そう感じました。
しかし・・、日本人にとって「8」は聖なる数字なのですね。
父の判断は、正しかったようです。

その後、東京03局内の番号が8桁になり、弊社は中央区から江東区へ移転し、現在、弊社の電話番号には「8」が5つ含まれています。

多ければいいというものではありませんが、寒川大明神のご加護に与りながら、頭動けば尾も動くの如く、日々仕事に励んでいきたいと思います。

117 愉快適悦

都内で一番大きな本屋さんはどこだろう・・。

先日、家族とそんな話になり、ネットで検索したところ、池袋のジュンク堂だと知りました。
売場面積は、なんと2,000坪!
私は神保町の三省堂書店が好きなのですが、調べてみるとここは1,000坪。
さすが東京一となると桁外れの広さですね。

池袋といえば高校時代によく遊んだ場所ですが、40年前にジュンク堂は存在しませんでした。
とはいえ、池袋にジュンク堂が出来てこの夏で丸20年、2,000坪に増床したのも2001年のことですから、何を今更という感は否めません。
しかし、他店舗も含め、私はこれまでジュンク堂という書店に一度も足を運んだことがありませんでしたので、セガレを誘って今日行ってみることにしました。

久しぶりに池袋駅に降り立ち、東口から外へ出ると、高校時代が懐かしく思い出されました。

あの路地の奥にある喫茶店が、みんなとの溜まり場だったなあ…。
十条の某高校の学生に絡まれたのは、あの辺りだなあ…。
遅刻常習犯のK君を駅前で待っていたら、自衛隊に入隊しないかとスカウトされたっけなあ…。

少しノスタルジックな思いを抱きつつ、目的地に着くと、まもなく開店の10時になりました。
既に開店を待っていた20人ほどと一緒に店内に入り、セガレはミステリーの文庫本コーナーへ、私はノンフィクションを探しに行きました。

初めて来店した私にとって、広い店内を把握するのは一苦労でしたが、「ノンフィクション」が「社会評論」と表記されていたので、なおさら時間を要しました。
そして、ようやく目的地にたどり着くと、その書籍の多さは驚きを超えて、感動的光景でした。

肩から提げていたバッグを床に置き、棚の上から下まで隈無くチェックしました。
30分以上夢中になっていたでしょうか。
ふと我に返って携帯を見ると、精算を済ませたセガレから、5回も着信がありました・・。

一旦書店を後にし、インド料理店でお腹を満たしてから、再びジュンク堂へ戻りました。
結局、午前と午後、セガレと2人合わせて15冊、17,000円ほど買い込みました。

私が購入したのは・・、
☆絞首刑
☆日本殺人巡礼
☆免田栄獄中ノート
☆闇サイト殺人事件の遺言
☆女性死刑囚 十四人の黒い履歴書
☆罠 埼玉愛犬家殺人事件は日本犯罪史上最大級の大量殺人だった!等々・・。

「父さんの買う本は相変わらず不気味だなあ・・」と、セガレに痛いところを突かれました。
神社の本や語彙力を伸ばす本も買ったんですけどね・・。

大きな書店でお互い好みの本を買い、昼には大好きなサグチキンカレーを食べ、買い物が済んだ後はスターバックスで新商品のフラペチーノを飲み・・。
気温も落ち着いた好天の日曜日、親子で楽しい時間を過ごすことができました。

✳︎開店20周年記念カバーだそうです。

116 聚散十春

ロサンゼルスでホームステイしたのは、大学3年生だった昭和57年(1982年)のこと。
35年も前の出来事ですが、今もなお、一部のメンバーと交流が続いています。
わずか27日間の夏を共有しただけで、これほど長く繋がっていられるのは有難いことです。

また、ホストファミリーのFrank&Norma夫妻とも、長い間クリスマスカード等を通じて連絡を取り合っていました。
しかし、私が英語で手紙を書くエネルギーを失ったため、交流が途絶えてしまいました。

ところが、数年前、Facebookで再び繋がることができました。

Oh my gosh, of course I remember you. And in the photos…. you look the same…. What a nice family. You may come to California anytime and visit me with them…. Have a Happy Day.

家族写真を添付し、友達リクエストを送信したところ、こんな嬉しいメッセージが届きました。
ネット上とはいえ、再会できたことに感泣しました。
ただ、Frankが既に亡くなったという大変悲しいニュースも知りました・・。
私が手紙を送り続けていれば、もっと早くに知ることができたのにと、心底悔やみました。

 

話は変わりますが、今年の6月、大学時代の同級生女子と会う機会に恵まれました。
大学卒業以来、実に33年ぶりの再会でした。
と言っても同じ大学ではなく、彼女は横浜のお嬢様学校として有名なフェリス女学院大学の学生で、同じサークルに所属する仲間でした。

富山県出身の彼女は、会話の中に方言がちらほら顔を出す愛嬌のある女子大生でした。
卒業後は地元に戻り、28歳で結婚し、翌年にお嬢さんが誕生。
その後、ご主人の仕事の都合で何度か転居し、今春、千葉県内に移転してきたとのはがきを受け取ったので、会おう!と私から声を掛けました。

33年ぶりの第一声は、「お互い元気で良かったね。」

なんだか年寄りじみていますが 、自然とこういう言葉が口を衝いて出ました。
私も大切な友人を既に亡くしていますが、彼女も学生寮で同室だった友を亡くしているそうです。
すっかり中年になってしまったけれど、元気で再会できたことを素直に喜び合いました。

残念ながら怪しげな不倫のオーラを全く発せられない中年カップルは、年甲斐もなく人気のパンケーキ店でランチし、学生当時に彼女が住んでいた港区内のマンションがそのままだったことに感動し、そして最後は、カフェで33年分のよもやま話に花を咲かせました。
ただ、カフェで注文しようと並んでいたらそこはオーダーをピックアップする列だったり、LINEで友達登録するのに四苦八苦したあたりは、オジサンオバサン感、丸出しでした。

愛らしい女子大生から品格ある淑女へ変貌した彼女と再会できたのは、年賀状をお互い出し続けていたから。
そして、彼女が転居通知を送ってくれたから。

年を重ねるごとに、ご縁や友達の大切さを痛いほど感じます。

義理を欠かさないこと。
改めて、心に刻み込みたいと思います。