友人」カテゴリーアーカイブ

229 離朱之明

子供の頃から、視力の良さには自信がありました。
視力の測定検査では、確実に「1.5」を叩き出しました。
その下の「2.0」も読めるのになあ・・、といつも思っていました。

車の運転をしていると、「お前、あんな遠くの標識が見えるのか!?」と同乗者に驚かれることがよくありました。
ただ、ワタシは逆に「あの標識も見えずに運転してんのかい!」と感じていました。

この能力を建設的な方向に活かせば良かったのですが、大学生になると、受験勉強の反動か、完全にタガが外れてしまいました。

授業に出ている友はいない・・
頼りになる仲間はいない・・
先輩からの資料もない・・

こんな教科のテストがあると、にわかに私の出番となります。
要するに、周囲の答案用紙を謹んで拝見させていただくのです。

選択式の問題であれば、2列前の答案用紙まで、難なく判読できました。
そこで、鉛筆を持つ右手が邪魔にならない向かって右前の席と、そのもうひとつ前の席の解答を失敬し(そんな詳しい説明は要らないか)、自分の答案用紙に書き込んで、後ろに陣取る友人が見えるよう、ずらして机に置くのでした。
こうした不品行で得た単位数は、8〜12単位ほどあるでしょうか・・・・。
若気の至りでは済まされない、不届き千万な行為です。

そんな浅はかな行動から15年余。
30代後半に、老眼の兆しを感じはじめました。
40代半ばには、老眼鏡を買いました。

今や、老眼鏡は本を読んだりパソコンを打つ時のみならず、日常多くのシーンで欠かせなくなりました。
従って、仕事用のカバン、車の中、洗面所などなど、いたるところに老眼鏡が備えてあります。
数えてみたら、9つもありました。

そうこうしているうちに、遠くも見えづらくなってきました。
遠近両用メガネがうまく使いこなせない私は、車の運転やゴルフなど、遠くを見るためのメガネが別途必要になりました。

学生時代、あんなに憧れたメガネがこんなにも必要になるとは・・。
この不便さは、因果応報、自業自得といったところでしょう。

話が逸れますが、「タガが外れる」と書きましたが、調べてみると、言葉の由来が非常に興味深いことを知りました。

「タガが外れる」の「タガ」は、漢字で「箍」と書きます。
箍とは、桶や樽の周囲にはめる輪っかのことだそうです。
樽は、ウイスキーやビールなどのお酒を貯蔵する際に用いられることが多いですが、箍が外れると、中の液体物が一気に外に溢れてしまいますから、それはそれは大変なことになります。

この様子から、緊張が取れて締まりがなくなるという意味で、「タガが外れる」と使われるようになったのだそうです。

こういうところが日本語の楽しいところだと思います。
漢検準一級への挑戦は、ほぼ諦めの境地ですが、若い頃の反省も込め、何歳になっても学ぶ姿勢を持ち続けたいと、連休中に思うのでした。

227 禍福糾纆

先日、日光山輪王寺へ行ってまいりました。

昨年7月、東武鉄道の特急に新車両「スペーシアX」が導入されましたので、次回はぜひ新しい電車で! と思っていたのですが、計画を立てるのが遅く、すでにどの時間帯も満席・・。
残念ながら、往復とも従来の特急けごんを利用しました。

上は1年前に撮影した画像です(今年は写真を撮り忘れました・・)

コロナやセガレの大学受験のため、しばらくご無沙汰していましたが、昨年、3年ぶりに訪れたところ、大改修を終えた三仏堂が見違えるほどキレイになっていました。

日光山は、天平神護二年(766年)に勝道上人により開山されました。
その後、占星術の権威であった天海(慈眼大師)によって九星学がもたらされ、明治時代に気学と結びついて、現在の九星気学へと発展したと言われています。

古代中国で生まれた九星気学は、星の示す方位をもとに開運を図ったり、凶運を避けたりと、吉凶を知るための占術のひとつです。

我々は生年月日によって「本命星」を持っています。
そもそも星とは、文字通り空に輝く星のことで、私たち人間の運勢は決められた星の運行に影響を受けると考えられています。
「星回りが良い」「星回りが悪い」という言葉がありますが、この星回りとは私たちの運命を左右する星の巡り合わせのことを言います。
令和5年は三碧木星が暗剣殺に当たり、昭和36年生まれの私が該当しました。

日光山輪王寺大護摩堂では、1日5回の護摩祈願が毎日行われています。
大護摩堂内には、天海座像と開運三天(毘沙門天、大黒天、弁財天)像もお祀りされており、パワー溢れる場所で受ける護摩祈祷は、大変有難いものです。

毎年いただいている星守に加え、昨年は特別降魔札も頂戴いたしました。

大きな怪我や病気をすることなく1年間過ごすことができたことに感謝し、先日そのお札をお返ししてまいりました。

改めて「占術」について調べてみると・・、

自然的または人為的現象のある面を観察することで、将来の出来事や人間の運命を判断したり予知したりする方術。卜占(ぼくせん)。うらない。

とありました。

「占い」と聞いて、私が真っ先に思い浮かぶのは新宿の母です。
伊勢丹新宿本店横で毎日行列ができていた光景を思い出します。

実は私、占いがあまり好きではありません。

過去のことを言われるのであれば、「当たり〜」「ハズレ〜」という程度で済むのですが、将来のこととなると、どことなく抵抗がありました。

しかし、20代後半の頃、後にも先にも、たった一度だけ経験があります。
残念ながら新宿の母ではないのですが、年配の女性の方でした。
どこかテーマパークの片隅に占いのコーナーがあり、一緒にいた仲間の押しに屈して、鑑定していただくことになったのです。

私の掌を見た第一声が・・、

「あなた、サラリーマンではないわね」

「当たってます!」
「いつごろ結婚できますか?」
「はっきり言っちゃってください!!」

周囲を取り囲む友達のヤジだけは鮮明に覚えていますが、鑑定結果は全く記憶にありません・・。

226 炊金饌玉

早いもので、2024年が始まり、早2週間が経ちました。
食レポではありませんが、今年経験した外食にまつわる話を記したいと思います。

まずは、日本橋三越本館2階にあるカフェウィーンです。

下戸の私は、甘いものが大好きです。
お気に入りのスイーツはたくさんありますが、その1つがカフェウィーンのザッハトルテです。
ウィーンを代表するチョコレートケーキ・ザッハトルテと、その脇に乗せられたちょっと堅めの生クリームが、ホットコーヒーと相性抜群なのです。

上の写真は、カフェウィーンの店内です(出典  HANAKO https://hanako.tokyo/food/52539/)。
三越の公式サイトでも「優美な内装は、まるでウィーンの伝統的なカフェハウスのよう」と紹介されています。

ケーキが美味しいのは勿論のこと、大理石のテーブルと赤いベルベットのソファ席が醸し出すレトロな雰囲気にも、非常に魅かれていました。
カミさんと日本橋へ買い物に行った際は、赤いソファで休もう、が合言葉になっていました。

「いました」と過去形で表現したのは、状況が変わってしまったからです・・。
1月7日午後、カミさんと行ってみると、ソファーが茶色に変わっていたのです。
あまりにショッキングで、写真を撮り忘れました。

昨年12月は、赤いソファーでした。
いろいろ調べてみると、仙台三越にあるカフェウィーンが茶色いソファーのようです。
つい最近、日本橋も同じ路線に変更したのでしょうか・・。

長い間、ケーキの陳列棚が故障していたり、首が折れそうな白鳥型の器が足りなくて「フィルシメルバ」が提供中止になったり、そんなことは気になりませんでしたが、赤いソファーがなくなってしまったことは、本当に残念でなりません。

X(旧 Twitter)やInstagramで検索しても投稿は見当たりません・・。
残念がっているのは、私だけではないはずですが・・。

 

次は、小学校の同級生との新年会@横浜の話題です。

20代の頃から、スキーに行ったり、バーベキューをしたり、コテージに泊まったり、このメンバーとはいろいろなイベントを企画し、遊んできました。
そして今も、隔年で京都旅行に出掛けたり、年に数回、食事会を催しています。

小学校の同級生と未だに深い交流があるということに驚かれるときがありますが、総勢9名という人数にもビックリされます。
ただ、先日の横浜での新年会は、3名欠席者がおり、6名(男女各3名)での開催でした。

場所は、山下公園近くの「スカンディア」。
このお店はデンマーク人のご主人を持つ女性が、本格的なスカンジナビア料理を出す店として、1963年にオープンした歴史あるお店です(人間ならば昨年還暦です)。
2ヶ月以上前に予約をし、重厚感あるシックな雰囲気の2階で、ランチコースをいただきました。

この店は、指揮者のカラヤンさんや美空ひばりさん、井上陽水さん、桑田佳祐さんなど、多くの有名人が訪れた店としても有名です。

しかし、最も有名なのは、ユーミンが松任谷正隆さんと婚約後、両家の顔合わせ場所としてこの2階を貸し切りで使ったこと、ではないかと思います。
ドルフィンと並ぶ、ユーミンゆかりのスポットなのです。

ユーミンは中央フリーウェイで知られるように八王子市の出身ですが、横浜山手教会で結婚式を行い、横浜ニューグランド・ホテルで披露宴を挙げたそうで、横浜を愛していたのでしょう。

横浜国大出身の私としては、横浜が第2の故郷であるはずなのですが、40年という年月が経ち、知らないスポットがあまりにも増えてしまいました。

横浜駅東口なんて何にもなかった、横浜市営地下鉄は走っていなかった、みなとみらいなんて地名はなかった、首都高速と横浜新道は繋がっていなかった・・・・、なんて言うと、老人の戯言になってしまいますね。

級友と語り合う時間はとても楽しく、リフレッシュできましたし、久しぶりに訪れた横浜は、非常に新鮮でした。
「羽沢横浜国大」という母校名が付いた新駅もできたことですし、横浜の魅力を大人目線で感じるために、近々、改めて遊びに行きたいと思っています。

学生時代、大学よりも足繁く通ったボーリング場が閉店した跡地も確認したいですね。

225 一竜一猪

先日、Yahoo!ニュースで「第1志望に「3分の2が不合格」中学受験の現実」という記事を見つけました。
葵さん(仮名)が経験したことを元に構成されたこの記事の一部を、以下に紹介します。

C校に入学して間もない4月上旬。葵さんが驚いたことがあった。男性の担任教員が「この中で第1志望じゃなかった子は?」と聞くと、クラスの大半の生徒が手を挙げた。「じゃあ第1志望だった子は?」。手を挙げたのは数人だった。「そうだよね、第1志望の子もいれば、そうじゃない子もいるよね」と担任は言った。

「私だけじゃないんだ」。葵さんは自分と同じ境遇の子が多いことにほっとした。同級生と互いの受験をオープンに話すことで、気持ちがほぐれ、友達が増えていった。そして学校が好きになった。

この記事を読んで、昔の思い出がよみがえりました。

以前にも紹介した私の中学受験は、学校の担任からは「合格するわけないからやめなさい」、塾の先生からは「合格しちゃうからよしなさい」と相反するご意見をいただき、結果は不合格。

「ほらね」と言わんばかりの学校の担任。
「悔しいだろうが喜べ。12歳で大学を決める必要はない!」と難しいことをおっしゃる塾長。

受験失敗という挫折感はわずか数日で消え、小学校の仲間と一緒に通った地元の公立中学は、楽しい3年間でした。

そして、迎えた高校受験。
思うように成績が伸びなかった私は、大学の付属校を受験対象から排除することにしました。
小学校6年生のときに学習塾の先生からいただいた言葉を思い出し、3年後、大学受験でもう一度勝負しようと決めたのです。

東京都にまだ学校群制度が存在した当時、私の第1志望は「41群」でした。
しかし、あまりにも内申点が低く、あえなく撃沈。
自身の第2志望だった、私立城北高等学校へ進学しました。

当時の城北高校は、1学年に750人ほど在籍していたマンモス校でしたので、それはそれはバラエティに富んだ生徒がいました。

その1人が、1年生のとき同じクラスだったS君。
入学当初からどことなく元気がなく、ねじ曲がって、ひねくれたような雰囲気を醸し出していました。
どうやら、有名県立高校合格間違いなし! と言われていたにも関わらず、運悪く失敗したそうで、「オレはこんな学校に来るつもりじゃなかったんだ」という気持ちが、入学当初、顕著に表れていたのでしょう。
その後、卒業まで同じクラスになることはありませんでしたが、決していい噂は耳にしませんでした。

もう1人印象的だったのはW君。
当時、城北高校の文系コースには、早稲田大学への推薦枠が1つだけありました。
文武両道、品行方正な生徒が毎年選ばれていましたが、我々の代では、W君とK君の一騎打ちとなりました。

W君はサッカー部、K君は体操部に所属し、各々運動部で活躍していました。
肝心の成績も、5段階評価でW君は平均4.9、K君は4.95と、どちらも非の打ちどころがありません。
W君は私立文系、K君は国立文系に所属していましたので、ここも評価対象になるのではないかなど、一時期、来る日も来る日も学校はこの話題で持ちきりでした。

結局、この激しい争いを制したのは、K君でした。

戦いに敗れたW君は、決して不満を口にすることなく、粛々と受験勉強を続けました。
普通に受験してもお前なら早稲田くらい楽勝だよ、と仲間に勇気づけられて臨んだ大学受験。
残念ながら志望校への合格は叶わず、明治大学への進学を決めたようでした。

「1浪して早稲田に行くべきだ」
「投げやりになっちゃだめだ」

人気者だったW君を心配する多くの仲間の声には耳を貸さず、明治大学へ進学したW君は、大学3年生の時に公認会計士の資格を取得したと、風の噂で聞きました。

推薦入試で落胆を経験し、一般入試でも夢破れたものの、自ら選んだ大学で腐ることなく努力を重ねたのでしょう。
同級生でありながら、心から尊敬できるなと思ったものです。

私の大学受験はというと、不合格の通知を重ね、入学を決めたのは第6志望の学校でした。
そして、入学金に加えて1年次の授業料も支払ったあと、第1志望の大学から補欠合格の報せを受けました。

仮に私が第6志望の大学へ進んでいたなら、W君のように努力することができただろうか・・。
補欠合格の電話を受けた際の感動や高ぶりを、大学生活に反映できただろうか・・。
受験は決してゴールではないな、と今更ながら感じます。

一竜一猪。
努力して学ぶ人と、怠けて学ばない人との間には大きな賢愚の差ができるということ。

セガレよ、まだまだこれからが勝負なのだぞ。

223 一六勝負

初めて勝った馬券は、高校2年か3年の天皇賞秋で、枠連1-8を1,000円購入。
結果は1着トウショウボーイ、2着グリーングラス。
見事的中し、配当は1,100円で、10,000円儲かった。

自分の馬券デビューについて、上記のように確信を抱いていました。
しかし、調べてみると該当するレースが見当たりません。
そもそも、トウショウボーイもグリーングラスも、天皇賞秋を制していないようなのです。

何が合っていて、何が誤っているのか、情報を整理してみました。
レースは天皇賞秋なのか、勝ち馬をテンポイントと勘違いしてはいないか、枠連1-8は本当なのか・・・・。
思案の末、最も信頼に値しそうなのは「ちょうど10,000円利益が出た」という点ではないかという結論に達しました。
初めて購入した馬券が的中して実入りがあった訳ですから、金額に関する記憶は正確なのではないかと目星を付けたのです。

そこから探っていくと、該当するレースがありました。
1978年11月に行われた第78回秋の天皇賞の枠連配当が、1,100円でした。
私が高校2年生のときですから時期も合っていますし、レース名も合致しています。

ただ、勝ったのはテンメイ、2着はプレストウコウ、枠連は6-8でしたので、ここは記憶と相反しています。
枠連ですから、同じ枠に同居していた馬を調べてみましたが、トウショウボーイもグリーングラスも出走していませんでした。

結局のところ、納得のいく結論は導き出せませんでした。
ただ、人間の記憶は当てにならないものなんだなと、改めて思い知らされました。

因みに、未成年は馬券を購入してはならないと法律で定められています。
まあ、45年も前のことですから時効でしょう。

元来、ギャンブルは嫌いな方ではないかな、と自認しています。
思い出深いのは、大学3年の夏に行ったラスベガスです。

ロサンゼルスでホームステイをしていた私は、週末を利用してラスベガスとグランドキャニオンへ遊びに行きました。
同じツアーに参加していた仲間の多くも一緒でした。

いつかは行ってみたいと憧れていたカジノの聖地は、まさにエキサイティングでした。
この日のために日本から持ってきた一張羅のスーツに身を包み、砂漠地帯でGolden Nuggetの看板を見たとき、これまで経験したことのない高揚感を感じました。

カジノにはスロットやポーカー、バカラ、ルーレットなど多様なゲームがありますが、私はブラックジャックの魅力に溺れました。

minimum bet 1$の最もハードルの低いテーブルとはいえ、ディーラーと対峙していると、自分がすっかり大人になったような気分になりました。

ディーラーが1枚目にエースを引いた時に聞かれる『insurance?』や、『stay』『hit』を手の仕草で表現するなど、現地で遊びながら学んだことも多く、時間を忘れて没入していました。

日付変更線を過ぎた頃、やや引きの弱い男性のディーラーがやってきました。
ここが勝負どきと判断し、賭け金も増やして巻き返しに成功しましたが、その後に現れたスレンダーでクールな女性ディーラーに屈し、結局一晩で270$の負けを喫しました(この記憶もあてにならないか・・・・)。

当時の為替レートは1$270円ですから、約7万円の損失です。
40年以上前に学生が一晩で7万円も失うとは、由々しき事態であることに間違いありません。

そろそろ退散しようかなと時計を見ると、深夜2時を過ぎていました。
10人ほどの仲間とカジノに来たのですが、周りを見渡すと、友人は誰もいません。
と思ったとき、ルーレットのテーブルにいた日本人と目が合いました。
京都大学文学部3年のNちゃんでした(女子です)。

『まだいたんだ』
『国立大学の学生って、ギャンブル好きなんかね?』

深夜のカジノで聞く関西弁はすこぶる印象的でした。

あれから40余年、現在の私は、一切ギャンブルをしません。
競馬、競輪、パチンコを始め、宝くじやロト、株も含めて全く興味が薄れてしまいました。
加えて、タバコをやめて約20年、酒は生まれつきの下戸。
なんだか味気ない男ですね・・。

ただ、ラスベガスは、もう一度訪ねてみたいです。
深夜までカジノに興じる体力は失われてしまいましたが、年齢なりの違った楽しみ方ができるかなと思っています。

初めて馬券を買ってから45年。
本日、15時40分、第168回天皇賞(秋)の発走です。

219 翻雲覆雨

今日の読売新聞朝刊の編集手帳に、蛙化現象に関する記述がありました。
以下に抜粋します。

グリム童話の「かえるの王さま」に由来する「蛙化現象」が若い世代で流行語になっている。
元々は心理学の言葉だという。
好きな相手に好意をもたれた途端、嫌悪を抱く心理を指す。
SNSには、心変わりの瞬間が数多く投稿されている。
〈彼氏とドライブしてたけど途中でガソリン入れる奴まじ無理〉
ささいな振る舞いで気持ちが冷めることを蛙化と称している。
以前は食事中に鼻毛が見えて急に冷めたとか、わかりやすい理由だったものだけれど。

『蛙化』なんて聞いたことないなとつぶやきながら、隣にいたセガレに「おい、蛙化現象って知ってるか?」と尋ねてみると、

「元々は童話からきてるんだけど、今使われているのは、理不尽とも言える理由で突然冷めちゃうみたいな意味だね。」

すんなりと100点満点の答えが返ってきました・・。

調べてみると、Z世代が選ぶ2023年上半期の流行語ランキング1位は「蛙化現象」だったそうです。
若い世代では、常識なんですね。
最近、ジェネレーションギャップを感じることが頻繁になりました。

心変わりの瞬間についてネットで調べてみると、以下のような例が掲載されていました。

  • 泳いでいるときの息継ぎの顔
  • フードコートでお盆持って彼女を探している姿
  • 改札でICカードが反応せず立ち往生している姿

確かにちょっとカッコ悪いけれど、笑って済ませてあげようよって、若い頃からだらしないオジさんは思います・・。

そう言えば、カミさんから似たような話を聞いたことがあるな・・、と思っていたら、

「アタシ、中学生の時に片思いしていた男の子の体操着に『汚れの首輪』を見つけた瞬間、嫌いになったことがある!」

カミさんもそんな昭和の青春を過ごしていたんですね。
まあ、分からなくもないかなと思います。

蛙化現象について、心療内科の専門家は以下のように分析しているようです。

  1. 理想が高いことが原因
  2. ちょっとしたことで幻滅しやすく、気持ちが冷めてしまう
  3. 相手を100点か0点で判断してしまう

蛙化現象は病気ではないものの、繰り返し起こしてしまうと、「自分は恋愛ができないのではないか?」「このままでは一生結婚できないのでは?」と不安を感じる人もいるそうです。

また、蛙化現象は相手に対して嫌悪感を持つだけでなく、自分に嫌悪感を持つことがあるとのこと・・。
自分から好きになって告白をしたのに相手を嫌いになってしまった場合、「相手に申し訳ない」と自己嫌悪に陥る心理は理解できますね。

これは、笑ってばかりはいられない問題かも知れません・・。

そう言えば、かれこれ45年前のこと。
後輩の女の子と2人で出掛けることになり、それを知った先輩が真顔でアドバイスをくれました。

「ヤマダ。喫茶店でケーキ食べることになったらな、ミルフィーユは頼んじゃだめだぞ。アレは横に倒さないといけないし、倒したところでフォークじゃ切りづらいんだ。しかもボロボロこぼしやすいからキレイになんか食べられない。彼女に嫌われるから、ゼッタイやめとけ。」

三藤さん、今もミルフィーユを見るたびに先輩を思い出します。

218 局面打開

大学生のとき、友人と車で伊豆半島一周旅行をしました。
途中、南西端の波勝崎苑猿園に立ち寄り、ニホンザルを見ました。
そして、おとなしく座っていた一匹の猿に近づき、並ぶようにして写真を撮りました。

「サル〜、ありがとね〜」と猿とは反対の方向を見ながら去り際に言うと、突然左のふくらはぎに痛みを感じました。
その猿が歯茎剥き出しで、私の足に噛み付いていたのです。

すぐに猿は逃げていきましたが、ズボン越しに噛まれたふくらはぎには、猿の歯型が残りました。

その夜のこと。
民宿の部屋で足を投げ出してくつろいでいた時、友人がボールペンの先で私の足に残った歯型の真ん中をつついていました。

気配を感じて振り向くと・・、

「感じないの?ヤバっ!」

確かに振り向いたのはつつかれた痛みからではなく、友人のクスクス笑う声に反応したのでした。

猿菌とかあるのかね?
何科に行くんだ?
カルテに「猿に噛まれて受診」って書かれちゃうのか?

茶化しまくる友人たちの言葉が、もはや冗談に聞こえなくなっていました。

東京に戻り、すぐにかかりつけの皮膚科医を訪ねました。

「山田さん、久しぶり。犬に噛まれたんだって?」
「あのー、犬じゃないんです・・」
「犬じゃないの??」
「はい、猿です・・」

いつも優しい斉藤先生は一瞬驚いた表情を見せ、隣りにいた看護師さんは、笑いを堪えているようでした。

結果的に大事には至りませんでしたが、それ以来、猿は私の中で怖い動物ランキングの上位になりました。
日光で猿が観光客から食べ物を奪うニュースが一時頻繁に報道されていましたが、とても私は直視できませんでした。

因みに、アクシデントの起こった波勝崎苑猿園は、昭和32年(1957)にオープンして以来、多くの観光客で賑わっていましたが、来園者が次第に減少し、2019年9月に休園となってしまいました。

https://www.asahi.com/articles/ASM9S5W09M9SUTPB01B.html

しかし、野生のサルの生命保護と近隣の農業被害の防ぐため、伊豆地域で動物園を運営する企業がクラウドファンディングを行うなど、事業の継承に努め、2020年5月7日に「波勝崎モンキーベイ」と名称を変更して復活したそうです。

ここで暮らすニホンザルたちは野生の猿です。
動物園のように檻はありません。
ただ、野生の猿ですが、食べものを人間から貰っているため、人に敵意は示さないと言われています。

私が足を噛まれたことには、何か原因があったのだと思います。
目を合わせてはいませんし、見えるところに食料は持っていませんでした。
でも、猿にとっては、私が善良な味方でなかったことは間違いありません。

私は子供のころからペットを飼ったことがないため、動物一般が比較的苦手です。
上手な扱い方や関わり方が分からないのです。
小学校低学年のころ中型犬に手を噛まれた経験のある私にとって、猿に噛まれたことで益々動物が苦手になってしまいました。

そんな私に、心を許してくれた犬が1匹だけいます。
仕事仲間の製本所で飼われていた真っ白なポメラニアンの「チャオくん」です。

チャオは私が工場に入ると、尻尾を振りながら駆け寄ってお腹を上にしてゴロンと寝転がり、「お腹をさすれ」と要求します。
そして、私がお腹をさすってあげると、極楽な表情を浮かべるのです。
それはそれは私にとって、堪らなく癒やされる時間でした。

子どもが成長して家を出たことで、ペットを飼い始めた友人が複数います。
今後を考えると、ペットに好かれるオッサンを目指すことも重要かも知れません。

216 紅顔可憐

ゴールデンウィークに突入しました。
カミさんと買い物に出掛ける程度で、我が家は毎年大した予定がありません。

今日は残った仕事を片付けるため、朝から近所のカフェに来ています。
カフェやレンタルスペースなど、耳障りでない程度のノイズを背景に、自分が誰であるか周囲が知らない場所は、仕事をする環境として嫌いではありません。

ただ、「耳障りでない程度のノイズ」、要するに「いい感じの騒音」が難しいところです。
ガハハと笑いながら同時に数人がしゃべりまくるおばさま集団の存在は仕事の効率を低下させそうですし、一方、ちょっぴり好みのタイプの女性が近くにいたら、注意力散漫になりそうです。

因みに、今、私の前の席では、外国人男性と日本人女性のカップルが、朝から情熱的に肩を寄せ合っていますが、この程度は仕事に影響なさそうです。

私が普段利用している1つは、東京ミッドタウン日比谷のBASE Q内にあるワークスペースです。
1人席は、3時間1,500円、6時間2,000円と、都会のど真ん中にしては良心的な価格です。
ネットで予約ができますので、席を確実に抑えることができます。

個室ではありませんし、隣にカフェが併設されているため、騒音をシャットアウトすることはできませんが、個室型ワークブースの閉塞感が苦手な私にとっては、そこそこ快適な空間です。

会社にいると、電話、来客、その他諸々により、思うように仕事が捗らないことがありますが、外に出ればやりたい仕事に集中できます。
ノートPCのモニターがもう少し大きいと、老眼に優しいのですが・・。

朝、そろそろカフェに行こうか・・と思っていたところ、玄関でガチャという音がしました。
玄関を覗くと、徹夜明けとは思えない、元気溌剌な姿のセガレがいました。
昨日は夕方からサークルの新歓イベント→打ち上げ→カラオケ→朝帰り、と相成ったようです。

私にとって徹夜とは、ほぼほぼイコール徹マンです。
(「徹マン」は令和にあって死語でしょうか・・)

高校から大学にかけて、何回夜通し麻雀に興じたか、数え切れません。
夜も更けて朝が近づいてくると、「自摸って!」なんて声で起こされる寝落ちする輩が出現したり、こいつは半分寝ているだろう思っていたらでっかい手をテンパっていたり、睡魔による感覚マヒで突然強気になる奴が出現したり、予期せぬ事態が多発して楽しいものでした。

特に思い出深いのは、スキー旅行です。
上野から夜行電車に乗り、越後湯沢駅のダルマストーブの前で数時間過ごした後、朝イチのバスで民宿へ。
そして、朝イチからナイターまでゲレンデで過ごし、宿に帰れば深夜まで麻雀という、底なしの体力で遊んだものでした。

ただ、ダルマストーブの前で卓上麻雀に興じていたら、いつの間にか始発のバスが行ってしまったことが一度ありました。
4人もいながら、誰ひとり気付かないほど麻雀に熱中していたのかと呆れました。

ただ、徹マンは話し声はもちろんのこと、牌を手積みする音が響きますので、周囲へずいぶんと迷惑を掛けたことと思います。
また、灰皿は山のように積み上がりますので、健康上もあまりよろしくないですね。

60を過ぎた今は、日付変更線を過ぎるまで起きていることが、年に数回しかありません。
ましてや徹夜などしようものなら、1週間は抜け殻のようになってしまうと思います。

さて、朝からの仕事も一段落しましたので、昼メシの弁当を家族分買って帰ることとします。

213 総角之好

昨日、小学校時代の友人5人で集まりました。
転校生の私は2年短くなりますが、かれこれ55年近くの付き合いになります。

正に、総角之好(そうかくのよしみ)。
小さい子どもの時分からの長く親しい交際です。
こんなにも長い間、友であり続けることは奇跡とも言えますし、有難いことです。

これまでの会合は居酒屋を本拠地としてきましたが、今回はフランス料理店に舞台を移し、アラカルトをいただきました。
年齢とともに呑む量が減ってきており、飲み放題とは縁遠くなってきました。

ときに、ずいぶん昔のことですが「長い間、友人関係を継続できる要因」について特集した雑誌を読んだことがあります。
誤っている部分があるかも知れませんが、粗々以下のような内容であったと思います。

①自然体でいられる
②連絡を絶やさない
③干渉しすぎない
④馬が合う
⑤共通点がある

早速、我々に当て嵌めてみたいと思います。

まず、小学校時分からの知り合いですから、超自然体です。
親や兄弟のことなど細かいことまで周知の間柄ですから、今さら格好の付けようがありません。

連絡という点では、年賀状でずっとつながってきましたし、反面、干渉し過ぎることはこれまで全くありませんでした。

また、ちょっとお下品な話になると殊のほか盛り上がるところは、馬が合うと言えます。

ただ、共通点という要因には、課題が残ります・・。

小学校の同級生である我々は、中学受験に失敗した私を含め、地元の同じ区立中学に進学しましたが、その後の人生はバラエティに富んでいます。

女子なのに黒いランドセルを背負っていた☆☆江ちゃんは、美容師となり、20代前半に結婚。
早くもお孫ちゃんが4人います。
近年転ぶことが多く、整形外科外来の常連です。

☆☆子ちゃんは、バブル期を謳歌した典型的な元都会派OL。
コロナ前までは頻繁に海外を旅していましたが、近年、両足に人工股関節手術を受けました。
昨年会ったときに比べて回復が進んでいたので安心しましたが、5年以内に同様の手術をすると医師に宣告されている私にとっては、戦友のような思いです。

☆☆代ちゃんは、バッテンを2つ保持するかっこいい女性。
若い頃は実家に上がり込み、☆☆代ちゃんの妹と3人でタバコの煙とコーヒーの香りを絶やさず、朝までよくしゃべり倒したものです。
また、お互いの母同士も、とても仲が良い間柄です

男性チームの相方である☆☆☆っちゃんは、若い頃から寝る間を惜しんで働く男でした。
数年前の早朝、会社で脳梗塞を発症したものの、運良くほとんど後遺症もなく復活しました。
若くして結婚し、2人の子供に恵まれたので、上の子は既に38歳、下の子も33歳。
最近は2歳のお孫ちゃんにもてあそばれているんだ、と嬉しそうに嘆いていました。

かくいう私は、セガレがまだ19歳。
孫どころか、教育費を必死に払っている状況です。

共通点は見出せなくても、幼なじみという強い絆で結ばれているのでしょう。
55年前の偶然の出会いを、これからも大切にしていきたいと思います。

小学生だった我々も、あっという間に61歳になりました。
楽しい時間が過ぎると、最後はこう言って別れます。

「じゃあね、元気でね。」

210 投桃報李

同じ名字の山田という親友がいます。
外見は、ほぼ「その筋の人」です。
青果市場で早朝から働き、午後は別の仕事に就くという、超人的に働くタフな男です。

私は年に数回、ゴルフコンペの商品手配を彼に依頼します。
順位に応じた予算を提示すると、その時の旬なフルーツや野菜を準備してくれます。
それだけでなく、一つひとつに説明書きを添えてくれるのです。

つい先日依頼した時の優勝賞品は、高級ぶどうの詰め合わせでした。
その内訳は、シャインマスカット、ナガノパープル、マイハート、土佐太郎、コトピー、高妻、ゴルビーの7種類。
今回もこれら全てに、事細かな解説が書き添えられていました。

市場というところには、我々が日常スーパーでは見かけることのない品種が数多く並んでいます
また、夏場にミカンがあったり、冬なのにスイカが売っていたり、驚きの光景が広がっています。

さて、上は我が家のダイニングテーブルで撮った写真です。
誤解のないように申し上げておくと、件のコンペで優勝した訳ではありません。
コンペの賞品を引き取りに行った際に、彼がプレゼントしてくれたものです。

彼と私は、折に触れて、モノを贈り合う仲です。
盆暮れに関係なく、彼は旬のフルーツを、私はラーメンやうどんなどを、挨拶代わりに贈り合っています。

写真について、簡潔に解説します。
写真左上、濃紺色のぶとうは「ナガノパープル」という品種です。
あまり聞かない名前ですが、品種登録されたのは2004年ですから、18年も前のことです。
黒系のブドウなので、皮にはポリフェノールがたっぷり含まれており、1房食べると赤ワイン1本分と同程度のレスベラトロール(ポリフェノールの一種)が摂取できると言われています。

その右下、ちょっと粒がばらけてしまっているのが「コトピー」。
シャインマスカットと甲斐乙女を交配した、果皮が赤いぶどうです。
シャインの味がほのかに感じられ、上品な美味しさでした。

その右上は、ご存じシャインマスカット。
「まだ早いから追熟させてから食べてよ」と言われたにも関わらず、我慢できずに少し食べてしまいましたが、十分美味しかったですね。

一番右上のぶどうは「マイハート」です。
その名の通り、ハート型をしています。
生産量が非常に少なく、市場にもごくわずかしか出回らない希少な品種です。
半分に切って並べると、ハートがとても可愛らしいですね。
お弁当に入っていたら、テンションが上がりそうです。

それから、左下に桃が1つあります。
これは「CX(シーエックス)」という山形県産の超レアな品種です。
梨のような食感が特徴の桃ですが、やや固めの食感に反して、実に甘い!
桃の糖度は通常の11〜14度くらいとされていますが、19度という飛び抜けた糖度の品種です。

その桃の上下にキウイがあります。
私がコンペでゲットしたのはこれです。
福岡県産の「レインボーレッドキウイ」という品種で、サイズはやや小ぶりですが、2つに切ると中が赤くてビックリします。

  • 低温でも熟してしまうため貯蔵性が無い
  • 生産量が非常に少ない
  • 出回る時期も限られている

という貴重な品種ですので、当然、お値段も高めです・・。

ワタクシ、第9位という成績で、この商品を獲得しました。
まさか・・と思って確認すると、やはりそうでした。

「9位だからキウイにしたよ」

コンペの表彰式を盛り上げるためのオヤジギャグも仕込んでくれる市場の彼に、謝意を表したいと思います。

【参考】
今回紹介したのは千住の足立市場内にある関水青果さんです。
一般の人でも購入が可能です。
産地の話、食べ方など、いろいろ教えてくれますので、ぜひ足をお運びください。