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207 一球入魂

第104回全国高校野球選手権が開幕しました。
3年ぶりに一般客がスタンドで観戦できることになりましたが、敗戦校が土を持ち帰ったり、勝者が大声で校歌を歌うことはNGだそうで、コロナの影響は未だ色濃く残っています。

大会初日の今日、甲子園地方の最高気温は32度でしたから、猛暑日にならなかったのは良かったと言えます。
ただ、近年の暑さは、昔とは別物と考えなければならないと思います。
ドーム球場で開催すれば、健康面での安全が確保されるのになあ、と思ったりします。
開会式でプラカードを持つ女子学生の親も、安心して送り出せるのではないでしょうか。

しかし、球児たちにとっては、夢の舞台が甲子園球場であることが、意義深いのかも知れません。
アメリカ横断ウルトラクイズ決勝の地がニューヨークでなくてはならないのと同じですね(違うか)。

そんな中、先月下旬、日本高野連は将来的に朝と夕の「2部制」での開催を含め、さまざまな観点から暑さ対策を検討すると発表しました。

これまでも専門の理学療法士を待機させたり、試合中に給水や休憩の時間を設けたりして対策を重ねてきたようですが、暑さ対策についてはより前向きに、そして迅速な対応が必要だと思います。

ところで、日本高校野球連盟の調査結果によると、2021年、同連盟に加盟する47都道府県の高校の硬式野球部の部員数は13万4,282人でした。
2001年は15万328人でしたから、10年間で1万5,000人以上減ったことになります。
また、中学軟式野球部は、もっと大幅に減少しているそうです。

子供たちの野球離れには、以下の複合的ファクターがあると考えられています。

  1. ボールの使用を禁止する公園が増えたこと
  2. YouTubeやeスポーツ市場の拡大によるゲーム人気の高まりなど、娯楽の選択肢が増えていること
  3. 経済的理由で子供の野球用具の購入費用が捻出できないこと

また、もう1つ、独特の要因があります。
「坊主頭」の文化です。

現在は、多くの学校が坊主頭を強制しているのではなく、「暗黙の了解」で坊主頭にしているのだそうです。
先輩が皆丸刈りならば、新入部員が坊主にするのは必然ですから、これを暗黙の了解というのでしょう。

しかし、最近は髪を伸ばした高校球児を見ることが増えたように思います。
中国新聞社が今年の広島県大会前に調べたところ、出場85校(83チーム)のうち、半数以上の46チームが髪形を選手個々の判断に委ねている一方、37チームが今でも全員丸刈りにしているとのこと。
徐々に変わりつつある、といった印象ですね。

2019年夏、45年ぶりに甲子園出場を果たした秋田中央高の佐藤監督(当時)の言葉が印象的でした。
この学校は2019年4月に、監督が坊主頭を見直すのはどうだろうと生徒に提案し、最終的に丸坊主をやめる決断を下しました。
その決断を受け、佐藤監督は部員たちにこう伝えたといいます。

「負けたら色々言われるよ。寝癖がついていればだらしないと思われる。自由というのは一番厳しいんだ。野球だけでなく、普段の身だしなみから自分で考えるべ。坊主頭のままでももちろんいい。でも髪型を考えることを放棄して坊主頭にするのはやめよう」

わがままに何をしてもいいのが自由ではなく、人に対して、そして、自分に責任を持つことが本来の自由であるという指導に感銘を受けました。

私は物心ついたときから野球が大好きでした。
しかし、私の通った東京都文京区の公立小学校にも中学校にも、野球部はありませんでした。
文京区は山手線の内側に位置していますから、野球ができるほどの広い校庭を望むのは所詮無理な話です。

一転、高校には広い土のグラウンドがありました。
もちろん野球部もありましたが、私は入部しませんでした。

坊主頭にするのがイヤだったからです・・。

ご多分に洩れず、我が母校の野球部員は全員丸坊主でした。
髪型が自由だったら、野球部に入部していたかも知れません。
坊主頭ルールが有能なプロ野球選手を1人失った、と言えるかも知れません(違うか)。

また、全く別の意味で、独特の丸刈りルールがありました。
それは、校則違反を犯した者は、懲罰として丸坊主にされるというものです。

丸刈り担当は、ごつくて強面の体教(体育教員の略)でした。

「この間、電動バリカン買ったからな。ガンガン坊主にするぞー!」
ある日の朝礼で、体教が不吉な笑いを浮かべていました。

昨日まで髪の毛フサフサだった友人が、ある朝突然、坊主頭になって登校してくるなんて姿を何度も見ました。
その理由は多様です。

「昼ドキに学校抜け出そうと思ったら捕まった・・」
「パーマ掛けて、直さなかったらやられた・・」
「タバコ持ってるのバレた・・」

根本的な原因は生徒にあるので、当時の学生は不満に思ってはいませんでしたし、今思い返しても、指導の行き過ぎだとは感じません。

ある日、友人のK君が正門前で体教に確保されました。
1978年4月4日の午後でした。

「おい、具合でも悪いのか?それともほかに理由があるのか?」

万事休す・・。
しかし、K君は正々堂々、体教と対峙しました。

「先生、今日はキャンディーズの解散コンサートがあるんだ。今日が最後なんだ。明日、朝イチで体育教官室に行って、どんな処分も受ける。だから今日は行かせて欲しい」

屈強な体教を前に、そして、学校をサボるという立場にありながら、K君は胸を張って言いました。

結果、彼は後楽園球場で解散コンサートを見ることができました。
そして、何故か、電動バリカンの餌食にもなりませんでした。
直球勝負の心意気が先生を動かしたのか、あるいは、その体教もキャンディーズのファンだったのか、真相は闇の中です。

言った生徒も生徒なら、対応した教師も教師です。
昭和の良き風景を感じます。

204 鸞翔鳳集

6月6日、桑田佳祐さんの新曲「時代遅れのRock’n’Roll Band」のミュージックビデオがYouTubeで公開されました。

佐野元春さん、野口五郎さん、世良公則さん、Charさんとの豪華共演で、しかもこの5名は同級生なのだそうです。

桑田さんが、4人それぞれに手紙を送り、所属事務所にデモ音源とともに自ら足を運んで説得したという時代遅れな方法で実現したと知りました。
桑田さんの人柄が感じとれるエピソードですね。

しかし、こんな大物がこぞって同級生だなんてホントかな?
厳密には1人はちょっと年上ですが、なんてエクスキューズがあるんじゃないかな?

ちょっと怪しい匂いを感じ、調べて見ました。

  • 桑田佳祐さん:1956年2月26日生 神奈川県出身
  • 佐野元春さん:1956年3月13日生 東京都出身
  • 野口五郎さん:1956年2月23日生 岐阜県出身
  • 世良公則さん:1955年12月14日生 広島県出身
  • Charさん       :1955年6月16日生 東京都出身

あっぱれです。
文句なしの同級生でした・・。

 

このMVは、現時点で既に320万回以上再生されており、その数字は日に日に伸びています。
私も20回以上鑑賞させていただきました。
スペシャルな面々が各々の持ち味を出していて、聞き応え、見応え満点です。

歌詞のそこかしこにも、桑田さんの才能を感じます。
「力の弱い者が 夢見ることさえ 拒むというのか」
このフレーズはあの人に向けてのメッセージなんだと思います。

また、このMVには2名の特別出演がいます。
原由子さんとハマ・オカモトさんです。

それから、もう1人。
重要な役どころを演じている「特別友情出演」の大友康平さんも忘れてはなりません。

  • 大友康平さん:1956年1月1日 宮城県出身

なんと、先の5名と同級生で、またまた驚きました。

特別友情出演になった理由は「ギターが弾けないから」だそうで、大友さんのオフィシャルブログには、以下のような逸話が紹介されています。

桑田から「大友にも声をかけなかったら、あとで何を言われるかわからないからなあ」の一言には笑えたなあ。

近年の大友さんしか知らない若い世代の方は、ロックンローラーというより、CM「いすゞのトラック」のイメージの方が強いかも知れませんね。
私は、ミュージシャンでありながらコメディアンのようにトークも面白い大友さんの大ファンで、ある事件以来、親近感すら感じています。

その事件とは・・、

年に数回、ゴルフコンペで顔を合わせるRさんという方がいます。
以前、同じお客様に出入りしていた業者仲間という立場で知り合った間柄です。

4〜5年ほど前にコンペでお目に掛かった際、こう声を掛けられました。

「前から思ってたんだけどさ、山田さん、大友康平にチョー似てるよね。」

「え?言われたことないっすよ・・」

過去に似ていると言われたのは、金山一彦さん、辰吉丈一郎さん、西山浩二さんなど・・。
大友康平さんはこの時が初めてでした。

周囲で聞いていた方も「似てる似てる」と笑いながら反応していましたが、本人としては少なからず不服でした。

そんなことがあった1ヶ月ほど後、某大学病院のエレベーターでのこと。
点滴スタンドを転がしながら70歳くらいの男性患者さんが、看護師さんに付き添われて乗ってきました。

「何階に行かれますか?」

と声を掛けたところ、

「あんた、大友康平に似てるって言われるだろ?」

と、出し抜けに言われました。

「ん?2度目だな・・」と思った私は「はい、たまに・・」と申し上げると、

「だよな!そっくりだよなあ!」

狭いエレベーター内でご満悦な点滴オジサン。
同意を求められ、必死に笑いをこらえる看護師さん。

1ヶ月ほど前に納得いかないなあと思ったことを、初対面の方から指摘された訳です。
しかも、コロナ前のマスクをしていない時期のことですから、これは受け入れるしかありません。
私のプロフィールに追加させていただくことといたしました。

MVで演じている三枚目の役柄は、確かに私と共通点が見い出せます。
それにしても、病院内でいきなり声を掛けられるほど、似ているのかなあ・・。
入院生活に少し飽きていて、からかう相手を探していたのかなあ・・。

点滴オジサンが、今日を元気で過ごされていることを祈りたいと思います。

199 鐘鼓之楽

  • The Loco-Motion / Grand Funk Railroad
  • The Hustle / Van McCoy & the Soul City Symphony
  • That’s The Way (I Like It) / KC and The Sunshine Band

洋楽が好きになったきっかけは、上のどれかだったように思います。
これらディスコミュージックは、思春期の私の心を見事に抉りました。
The Loco-Motionの歌い出しは、何度聴いても鳥肌が立ちました。

それから、The RunawaysとBlondieは衝撃的でした。

The RunawaysのCherie Currieがガーターベルトで歌う姿はセンセーショナルでしたし、Joan Jettは怪しすぎて怖いくらいでした。

Blondieには、”Heart of Glass” ,  “Sunday Girl” ,  “Dreaming” ,  “Call Me” ,  “The Tide Is High” , “Denis”・・・・と、大好きな曲がいっぱいありました。
そして、何をおいても、高校生のワタシにとって、Deborah Harryはあまりにも妖艶であり、官能的で刺激的でした。
当時の写真を今見ても、ちょっぴり心臓がチクチクします。

そして、私のコンサート初体験は、1980年に日本武道館で行われたVillage Peopleです。
高校の同級生と連れだって行きました。
40年以上経っても、”Macho Man” , “In The Navy”, “Y.M.C.A.”に熱狂した夜は忘れられません。

しかし、何故か、摩訶不思議なことに、初めて「ひとりで」鑑賞したコンサートは、かなり路線の異なる、石黒ケイさんでした。
日仏会館だったか岩波ホールだったか記憶は定かではありませんが、小さな会場で客は50人ほどだったような気がします(そんなことはないか・・)。
途中で10分ほど休憩をはさんだのですが、「休憩の間に帰らないでね・・」と話した姿は「オレに向かって言ったんじゃないか!?」なんて胸にしみ入るような距離感でした。

そのコンサートで彼女が身にまとっていたのが、黒いレザーのジャケット。
正に、下のアルバムジャケットのような姿で、とてもステキに映りました。

石黒ケイさんはワタシより学年で4つ年上。
20歳前の年若な男子学生にとって、一番憧れちゃう年齢のド真ん中だったのかも知れません。

その数日後、アメ横に行きました。
あのジャケットを探しに行ったのです。
オレもあういうジャケットを着るぞ! とコンサート中に思いは決していました。

革ジャンは様々な商品が陳列されていましたが、ジャケットは品揃えが少なく、値段も安くありませんでした。
学生なんだから安くして! と店のおっちゃんと小競り合いの末に、買った覚えがあります。

その後の大学生活の大半は、革のジャケット・合皮のネクタイ・ジーンズ・ウエスタンブーツという出で立ちで過ごしました。
真面目でおカタいイメージだった我が母校では、「共通一次で入ってきた学生は程度が低い・・」という印象を与えた先鋒だった気がします。

 

また、初めて行ったライブハウスは、我々の年代ならば誰もが知っている新宿のルイードでした。
山下久美子さんやシャネルズ(ラッツ&スター)らが巣立った場所として有名なルイードで、何故か私が見に行ったのは麻生よう子さん。

下戸でしかも未成年だった私は、ひとりで行く勇気がなかったのですが、親友のI君が付き合ってくれました。
麻生よう子なの??なんて笑いながらも気持ちよく付き合ってくれた彼は、友達思いの優しい男でした。
なのに、コークハイがまずくて飲めなかったという記憶ばかりで、ライブの印象が何ら残っていません。
背伸びして少し飲んだコークハイで、頭痛を起こしていたのだと思います・・・・。

麻生よう子さんはデビュー曲の「逃避行」が大ヒットしたことで有名です。
「そーれがなーきゃ、いい人なのーに・・」と歌っていたのが18歳のときだったそうで、昔の人は大人びていたんだな、と改めて感じます。
1977年に発売されたシングル「102号室」もいい曲でした。
2007年発売Essential Bestの12曲目に収録されている「夕風」も情緒あふれる名曲です。
個人的には、演歌要素に舵を切らず、ポップス路線を歩んで欲しかったな・・、なんて思っています。

197 万能一心

人気動画サイトYouTubeが誕生したのは、2005年の2月だそうです。
最初の動画は、共同創設者のJawed Karim氏が、サンディエゴ動物園でゾウの檻の前に立っているわずか18秒のものだったとか。

今年8月に総務省情報通信政策研究所が発表した『令和2年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書』によると、YouTubeの利用率は全年代で85.2%でした。
取りわけ、10代から40代で90%を超えているのは特筆すべき現象と思います。
50代は81.2%、60代でも58.9%と世代を超えて浸透しており、誕生からまだ17年に満たないにもかかわらず、その普及度は目を見張るものがあります。
(自分は60代のカテゴリーなのか!と、誕生日以降、こういう時に心理的抵抗感を感じます・・)

また、ソニー生命保険が7月に発表した「中高生が思い描く将来についての意識調査」によると、男子に関しては中学生も高校生も「YouTuberなどの動画投稿者」が、将来なりたい職業の第1位でした。
YouTuberの正確な年収は公表されていないようですが、Hikakinさんやはじめしゃちょーさんなど、1億以上と言われている方も珍しくなく、あまたの1,000万円超えがいるそうです。
私が子供の頃の人気職業は「プロ野球選手」が鉄板だった気がしますが、子供たちにとって夢がある職業も、時代と共に大きく変化しているようです。

さて、私も、そこそこYouTubeを視聴しています。
上記58.9%に属する訳です。

最近、はまっているのは、ロッド・スチュワートのYouTubeチャンネルです。
中でも、2004年10月にロンドンのRoyal Albert Hallにて行われたコンサート映像がお気に入りです。

最初に感動したのは、見慣れぬ女性とデュエットする「I don’t want to talk about it」。
その女性、若干素人のような佇まいですが、歌は上手だし、美人でスタイル抜群だし、ちょっと衣装がセクシーだし・・、というわけで調べてみたところ、スコットランド出身のエイミー・ベル(Amy Belle)という歌手でした。
当時22歳のエイミーはまだ無名でしたが、ロッド・スチュワートの一夜限りのライヴに招待されてデュエットしたのだそうです。

また、名曲「Sailing」は、ステージと会場が一体になって、鳥肌ものです。
エンドロールを迎える頃には泣きそうです。
終わり間近の投げキッスも、さりげなくて印象的です。

そして、私が最も好きなのは、ロン・ウッド(Ronnie Wood)と共演している「Maggie May」です。
とにかくHappyな映像です。
凹んでいるとき、疲れているとき、元気をもらえます。
因みに、この「Maggie May」、元々はシングル「Reason to believe」のB面だったそうです。
(A面、B面という話に、うちのセガレはきょとん顔でした。)

「Hot legs」など、舞台上をパワフルに駆け回っているシーンを数多く目にしますが、驚くことに、この時ロッド・スチュワートは59歳。
今の私とほぼ同年齢で、赤いシャツを羽織り、黄色いジャケットを鮮やかに着こなし、時にお茶目に、時にクールに、10曲以上をライブで披露しているわけです。

同じ男としてこんな風に歳を重ねられたら・・と憧れますが、顔もスタイルも足の長さも全く異次元なので、望むべくもありません。
ただ、端整な顔立ちや魅力的なハスキーボイスは生まれ持ったものかも知れませんが、ミュージシャンとして長く活動している裏側には、隠れた努力の積み重ねがあるのだと思います。
若い頃の画像よりもカッコイイぞ!と思える59歳のロッド・スチュワートは、加齢、衰退、枯凋に抗うためには相応の努力が必要だ、と教えてくれるようで、私には大きな刺激となっています。

そう言えば、大学の同級生でロッド・スチュワートが大好きな女性がいましたっけ。
コロナ禍で叶いませんが、昔の友人たちと還暦同窓会をしたいなあと思ったりします。

195 犬馬之歯

先週木曜日、60歳(還暦)になりました。

還暦で思い出すのは、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の「今日、初めての還暦を迎えまして・・」というユニークなコメントです。
自分はまだまだ先のことだと思っていましたが、あっという間でした。

平均寿命が長くなり、還暦を長寿の祝いとする習慣は薄れてきましたが「節目の特別な誕生日」という感覚はまだ根強いようで、周囲の方々からお祝いをいただくことが続きました。

以前このブログでも紹介しましたが、あるお客様からは大きな紅白まんじゅうをいただきました。
そして、古くからお付き合いのある紙問屋の営業さんからは蘭の花をいただきました。

また、私が10年以上幹事を務めているゴルフコンペのメンバーから、祝いの品を頂戴しました。
しかも、コンペ終了後のパーティーの席でのサプライズな演出に驚かされました。
いただいたのはポロシャツとカステラのセット。
ポロシャツは私がお気に入りのメーカーでしたし、カステラは私が甘党と知ってのチョイスです。
その心遣いが、二重に嬉しかったですね。

さらに、仕事つながりの4人でゴルフに行った際にも、お祝いをいただきました。
東京オリンピック、ゴルフ日本代表とお揃いのポロシャツを頂戴したことにもビックリしましたが、私の名前と蠟燭60本のイラストが印刷された真っ赤なオリジナルTシャツまでいただき、感動しました。

ハッピーバースデーハットを被り、本日誕生日のタスキをかけた朝イチのティーグラウンドでの写真もありますが、品位等の諸事情を鑑み、非公開とさせていただきます。

それから、兄弟と呼び合う一回り年下のお客さんは、2人だけの食事会を企画してくださいました。
そして、記念の品として、金沢の銘品「金かすてら」をいただきました。
デラックス感は写真でも十分伝わると思います。
リッチで幸せな気分に浸ることができました。

そして、義母からもお祝いの食事会をしよう、とお誘いいただき、叙々苑で高級ランチをご馳走になりました。
こちらが長寿のお祝いをしなければいけないのに、立場が逆転してしまいました。

最後に、小学校の同級生からも贈答品が届きました。
半世紀以上の付き合いになるこの仲間とは、2年に一度京都旅行をしており、なぜか私は「隊長」と呼ばれ、取り纏め役を仰せつかっています。
いただいたのは、私の大好物、京都からのお取り寄せ「権太呂なべ」です。
車海老、蛤、白焼き穴子、鶏肉、生麩などを、絶品の出汁でいただきます。
翌日はおじやにして、もう1日楽しむことができます。

破顔一笑、豪華絢爛、阿鼻叫喚、珍味佳肴、愉快適悦・・。

歳をとることは豊かで素敵なことなのだ、と皆さんから教えられたような気がします。
そして、家族や友人には本当に恵まれたと改めて感じました。

改めて60という年齢に思いを馳せたとき、ピンと来ないというのが正直な心境です。
息子として生まれ、結婚して夫となり、子を授かって父となり、会社の経営を引き継いで社長となり、様々な立場を経て、60歳になりました。

・親孝行な子であったろうか。
・家族思いの夫であったろうか。
・尊敬される父であったろうか。
・社員を守る経営者であったろうか。

顧みると、明らかに反省点が多いです・・。
無駄に歳を重ねてきた面も認めざるを得ません。

歳を重ねることが怖いと思ったことはありませんが、加齢を感じる事象に接するたびに、希望が少しずつ失われていくような想いを感じていました。
今後は、寄る年波を静かに受け入れつつ、時には少し抗い、自分に構うことを忘れず、残りの人生を全うしていきたいと思っています。

192 知己朋友

先日閉幕した東京オリンピックでは、柔道やスケートボードのようにメダルを量産した種目があった一方、期待通りの結果を残すことができなかった種目もありました。
その代表格がバドミントンでしょう。

最大の番狂わせは、世界ランキング1位・桃田選手の一次リーグ敗退です。

その翌日、女子ダブルス世界ランキング2位のナガマツペアこと永原・松本ペアが、最終ゲームを26対28で失い、準々決勝敗退。
その数時間後、同1位のフクヒロペアこと福島・廣田ペアも釣られるように敗れました。
ベスト4に進出していたら、日本人ペア同士の対決だったのですが、その前の試合で共に敗れるという皮肉な結果となりました。

女子シングルスの奥原選手(同3位)、山口選手(同5位)も揃って準々決勝で姿を消しましたが、混合ダブルスのワタガシペア(渡辺・東野ペア・同5位)が銅メダルを獲得し、一矢報いることができました。

勝負は時の運とも言います。
必ずしも強い者が勝ち、弱い者が負けるとは限りません。

数々のトラブルに見舞われながら、オリンピックの舞台で戦った桃田選手の姿は王者そのものでしたし、フクヒロペアの廣田選手は膝に大怪我を負ったにも関わらず、不屈の精神で試合に臨みました。

日の丸を背負い、勝って当たり前という重圧は、私には計り知ることすらできません。
まずは、ゆっくり休んでいただきたいと思います。

かくいう私も、高校ではバドミントン部に所属していました。
といっても全国大会などとは無縁の実力で、最高位は東京都男子ダブルス新人戦でのベスト8です。

コンビを組んでいたのは、同級生のコバヤシ君。
入部してまもなくペアを組み、高3の夏まで一緒にプレイしました。

私は試合になると闘志を前面に出すタイプでしたが、コバヤシ君は飄々とプレイするタイプ。
得意なパターンは、ワタクシが前衛、コバヤシ君が後衛に回っての攻撃。
キレのあるスマッシュを連続で打ちまくるコバヤシ君と、甘いレシーブを見逃すまいと前衛で動き回るワタクシのコンビネーションが自慢でした。

コバヤシ・ヤマダのコバヤマペアは(そう呼ばれてはいませんでしたが)、シード権を持っていたので、2回戦から出場することが常でした。
しかし、2年生のとき、危うい対戦がありました。

試合直前、お互いコートで軽く打ち合うのですが、相手チームの放つショットが、どうひいき目に見ても我々より上だな、と感じました。
最初の試合で負けてしまうと、次の大会からはシード権を失うことになります。

真っ直ぐなコバヤシ君は、普段通り試合前練習を続けていました。
一方、不埒な私は、何か策はないかと頭を巡らせていました。

弱ったな、とシャトルを打ち合う相手のユニフォームを何気に見遣ったそのとき、私の中で電球がピカッと点灯しました。

私は2Fの応援席を眺め、一番気の利く後輩のアオキに向かって、すぐにコートへ降りるよう合図を送りました。
そして、コバヤシ君にちょっと待ってと声をかけ、駆け降りてきたアオキに知恵を授けました。

そろそろ試合開始の時間。
トスをしてサーブ権を決めていたそのとき、相手チームの主将に向けて本部席へ来るよう館内放送が流れました。
対戦相手のペアは怪訝な表情をしていましたが、そんなことは意に介さず、「頼むぜ、コバヤシ!」と檄を飛ばし、気合い十分を装いました。
そして、試合が始まってまもなく、再び館内放送が流れました。

「第☆コートの☆☆高校の選手は、大会規定のゼッケンを着けていないため、失格といたします。」

憮然とした面持ちの相手チーム。
落胆する応援席の女子部員。

キョトン顔のコバヤシ君。
笑いを隠すのに精一杯のワタシ。
2階席でガッツポーズする後輩アオキ。

部活を引退するまで、シード権はなんとか死守することができました。

卒業式の日、大学に行ってもバドミントンを続けると言っていたコバヤシ君。
大学では、まず彼女探しだと、邪な道を歩む宣言をした私。
40年以上疎遠になっていますが、還暦を迎えるにあたり、ぜひ会ってみたい1人です。

バドミントン部に関して、忘れられない思い出がもう1つあります。

入部してまもなく、学校で実力試験(校内模試)が実施され、ワタクシ、学年8位の成績を取りました。
そのニュースを知った2年生のウエノ先輩から声を掛けられ、2学期の試験結果も報告するよう命じられました。

迎えた2学期の実力試験。
私は順位を1つ上げ、学年7位となりました。
それを知ったウエノ先輩は、3年生のアオキ部長(ガッツポーズのアオキとは別人です)にこう報告したそうです。

「1年生の山田が2回続けて実力試験で好成績を上げました。ひょっとするとワタナベさん以上かも知れません。」

ワタナベさんは私より5〜6つ上の先輩で、現役で一橋大学に合格した、バドミントン部史上最強の秀才です。

「山田、ワタナベさんのことは知ってるな。期待しているから頑張れ。」
アオキ部長直々に呼び出され、そう発破を掛けられました。

私の通っていた高校は男子校で、1クラスがおよそ55人。
A組からN組までありましたから、1学年750人以上の生徒がいたことになります。
その中での7位です。
なかなか立派だと思いませんか。

そうこうしているうちに3学期の実力試験。
その結果は・・・・
110位。

ウエノ先輩から、コテンパンにしごかれました。
「お前のせいでオレまでアオキ部長に叱られたんだぞ、バカヤロー!」
だからまぐれだって言ったじゃん・・と思いながら、ホントは優しいウエノ先輩のしごきに耐えました。

ウエノ先輩は昨年還暦を迎えたんだなあ。
アオキ部長はさらに1つ上か・・。
先輩たちにも会ってみたいなと、還暦オヤジはノスタルジックになるのでした。

188 真剣勝負

セガレが通う学校は中高一貫の男子校です。
毎年5月中旬には体育祭が行われ、白、赤、青、黄の4つの組に分かれて競います。

この色は入学時に言い渡され、卒業まで、いや、極端な言い方をすれば、一生「自分の色」になります。

学校全体を縦割りにし、それぞれに色を割り振って体育祭を行う学校は多いと思いますが、クラス替えなどに関係なく、中1で与えられた色に6年間所属するのは珍しいかも知れません。

そして、この色は、卒業後も非常に大きな意味を持っていて、先輩や後輩に会うと「何色?」と確認し合い、同じ色だと分かると、瞬時に親密度が上がるのだそうです。

さて、体育祭でこの色集団を率いるのは、四役と呼ばれる高校3年生です。
団長、副団長、応援団長、副応援団長で構成され、この4人がヒエラルキーの頂上に君臨します。

また、その他の高3メンバーがその脇を固め、「学担(学年担当)」として下級生の競技指導に当たります。
因みに、セガレは高2の学担を務めています。

学年別に決められた競技種目は毎年変わることはなく、種目別攻略法の奥義が、色ごとに引き継がれています。

もちろん、ルールの変更などにも対応しながら、毎年臨機応変に戦術は練り直されます。
早く走ることより慌てて失格にならないことに重きを置こうとか、多少のリスクを冒してでもタイムを詰めることを第一の目的にしようとか、下級生に細かな戦術を指示するのが学担の任務です。
どうしたら他の組を圧倒できるか、どうやって順位を上げるか、来る日も来る日も議論し、分析し、探究し続けます。

ですから、何度も思慮を重ねた末の戦法が見事にかみ合い、自分の担当競技が好成績を収めると、学担は涙して喜びを分かち合います。

いわんや、優勝の栄に浴した四役は、カラダを震わせて歓喜に浸ります。

ん・・、青春っていいですね。

そして、体育祭当日。
高3だけは、所属する「色」に髪を染めることが許されます。
ここでも、高3の心意気が爆発することになります。

ということで、セガレもこのようになりました。
所属の色は、見ての通りです。

年間を通じて、非常に重要な行事と位置づけられている体育祭ですから、間違っても「運動会」と呼ぼうものならひどく叱られます。

ところが、昨年はコロナ禍で中止を余儀なくされました。
過去、雨天による中止が一度だけありましたが、予期せぬ感染症のために中止せざるを得なかった昨年の四役の無念さは、推し量ることができません・・。

そして、今年。
2日に分けての分割開催に加え、OBや保護者、入学志望の小学生などの見学は許されず、無観客での開催ではありますが、ともあれかくもあれ、中止は回避することができました。
しかも、当初の予定を延期し、先生と高3が協議を重ね、ほかの学校行事予定を動かすなどの苦労の末に、開催に漕ぎ着けました。

幸い天気予報は悪くないようです。
学生生活の貴重な1ページになるよう、親として祈るばかりです。

最後に、日曜日の午後、ほかのお客さんの予約を全て断り、まるで我がことのようにカラーリングをしてくださった美容院「FRAU」の渡瀬先生に、深く感謝したいと思います。

186 雲集霧散

プロ野球のオープン戦は昨日で全日程を終了し、今週金曜日、セ・パ同時に公式戦の開幕を迎えます。
野球好きの私にとっては、心踊るシーズンの到来です。

両親の影響もあり、子供の頃からジャイアンツのファンでした。
最初にファンになったのは、背番号23番、槌田選手。
V9戦士と呼ばれる名選手が数多くいるなか、正捕手の森昌彦に隠れた槌田選手のどこに惹かれたのか定かな記憶はありませんが、私の中でジャイアンツのキャッチャーといえば槌田選手でした。

子供の頃、実家では読売新聞と報知新聞を定期購読していました。
ジャイアンツの記事が大きく取り上げられる報知新聞は、私の大きな楽しみでした。
朧気ですが、自分の名前の次に書いた漢字は「報知新聞」だっと記憶しています。

通っていた小中学校はグラウンドが狭く、野球部がありませんでしたが、週末は、野球好きの友達と近所の公園や河川敷などでよく遊びました。

そして、社会人になって間もなくのこと、草野球チームを結成しました。

チーム結成の由来を説明するのは若干難儀ですが、ざっくり言うと、某高校の野球部仲間だった「ワビ」と「キヨちゃん」が高校卒業後偶然再会した際に、各々の友人を誘い合って野球をやろうと計画したことに端を発します。
私は「ワビ」の中学の同級生で、河川敷で一緒に野球に興じた仲間。
しかも、当時の私のポジションは、草野球では不人気なキャッチャーでしたので、お声が掛かったのだと思います。

チーム名は「インパルス」。
謂れは、山口百恵さん主演のドラマです。

ユニフォームは赤を基調にすることが何故か先に決まっていて、チーム名はその後に検討されました。
某ファミレスで行われた協議の席で、ドラマ「赤いシリーズ」から命名してはどうかと、私が提案しました。

真っ先に上がったのは「赤い疑惑」。
「ダウト」じゃチーム名にならないっしょ、と批判され、じゃあ「赤い衝撃はどう」と私が言うと、仲間が「衝撃って英語でなんつうの?」

「インパルスだよ」

と答える私に皆が賛同し、「インパルス」と命名されたのです。

今にして思うと、衝撃は「impact 」で、「impulse」は衝動じゃないかと・・。
しかも、 なにゆえ複数形ではないのか?
でも「インパルスィス」じゃ舌噛んじゃうか・・。
その前に、疑惑は「doubt」で終わっちゃったけど、「Suspicion」は誰の脳裏もかすめなかったのか・・。
問題点が数多浮かび上がります。

当時、スマホがあれば、赤い迷路、赤い激流、赤い激突など、多くの候補から選ぶこともできたでしょう。
赤い運命の「デスティニーズ」なんて、格好良かったのに・・と思います。
テーマソングはユーミンのDestiny。

チーム名の由来に粗忽さは拭えませんが、我がインパルスは、足立区軟式野球連盟で一時代を築いたのも事実です。

冒頭で説明した通り、構成メンバーは、結成当初から「友達の友達の寄せ集まり」でした。

その輪は、年を追うごとに広がりました。
私は監督という立場でもあったので、チーム内を最も把握していたのですが、その私ですら、どんな経緯で仲間になったのか掴みきれないメンバーもいました。

あちこちから集まった仲間でしたから、バラエティ豊かな面々でした。

野球はお世辞にも上手ではないのにスコアブックを書かせるとピカイチだったYO君。
ライバルチームにいたのに、いつの間にか我がチームに入ったKK君。
腿を高く上げてベースランニングする元陸上部のHI君。
超でっかいホームランを4年に1度打つYI君。

41歳で孫が生まれたなんて奴もいましたが、すっかり名前は忘れてしまいました・・。

そして、我がチームで不動の4番に君臨していたのは、先に登場した「キヨちゃん」。
そのキヨちゃんについては、改めて紹介したいと思います。

179 眉目秀麗

うちのカミさんは子供の頃「むずむず脚症候群」だったそうです。
昼寝をしなさいと言われたのに、脚がむずむずして寝られないことが頻繁にあったそうで、大人になってからその病名を知ったそうです。

専門サイト・ムズムズドットコム(http://muzumuzu.com)によると、

この病気は女性の方が男性よりも1.5倍程度多く、また患者さんは40歳代以上の中高年で急激に増加し、年齢が高くなるほど増加していく傾向があります。多くはありませんが、小児や児童でもむずむず脚症候群になることがあり、学校の授業に集中できないなど日常生活に影響が出る場合もあります。

中高年に多いものの小児でも罹患するとのことですから、カミさんはこの病だったのかも知れません・・。

ところで、この「むずむず脚症候群」もそうですが、やや変わった名称の病名ってありますね。

 

サザエさん症候群

日曜日の夕方になると、週明け月曜日からの仕事のことを考え、憂鬱な気分に陥ってしまうという症状。
この傾向は海外でも同様で、英語圏では『Sunday Night Blues(日曜の夜の憂鬱)』と呼ばれるなど、週明け以降の業務のことを考え、暗い気分に陥ってしまう方が一定数存在すると思われる。

サザエさんが、毎週日曜日の18:30からテレビで放映されていることが命名の由来のようです。
私がその症状に陥ったら、「笑点症候群」かなと思ったりもしています

 

ピーター・パン・症候群

1970年代後半アメリカで誕生した言葉で、大人の年齢に達しているにもかかわらず、精神的に大人になれず仲間に入ることができない男性のこと。現代では、大人になることを拒み現実逃避する傾向のある男性を指す。
言動が子供っぽいというのが特徴で、それゆえ、精神的・社会的・性的な部分にリンクして問題を引き起こし易いと考えられる。

無邪気にはしゃいだり、些細なことも楽しむ「子ども心」は、人生を豊かにするファクターだと思いますが、どうやら概念が異なるようです。
また、単なるマザコンと括ることも誤りのようです。
「見た目は子ども、頭脳は大人」の名探偵コナンの逆バージョン?と思ったりもしましたが、これも適切ではなさそうです。

 

不思議の国のアリス症候群

主な症状は、目の前の人や物が急に大きく見えたり、小さく見えたり、ゆがんで見えたりするというもの。
また、空中を浮遊しているような感覚や、自分の姿を見下ろしているような離人症状が表れることもある。
原因ははっきりと分かっていないが、エプスタイン・バー(EB)ウイルスに感染することで、脳の表面に位置する大脳皮質と呼ばれる部分に広範囲にわたって炎症が生じ、知覚異常が引き起こされるからではないかとの説がある。

実は私、子供の頃、これに似た経験があります。
体調を崩したときにだけ、決まったキャラのオジサンが部屋の隅に見えるのです。
健康な時には遭遇したことがないので、体調と何らかの繋がりがある症状だったに違いないと思います。

 

ナイチンゲール症候群など

ナイチンゲール症候群とは、看護提供者(通常は看護師)が患者に対して、基本的なケア以上の関係がないにもかかわらず、恋愛・性的感情を抱いてしまう状況を指す。
その感情は、通常患者が回復したり助けを必要としなくなった段階で徐々に失せていく。

私の親友のI君は、高校生のとき大学病院に入院し、退院後、病棟でお世話になった看護師さんと交際に発展した武勇伝の持ち主です。
新人の看護師さんだったとしても、5歳以上年上です。

若い頃、私の周囲でモテた男といえば、I君の右に出る者はいません。
一緒に遊んでいても、カッコイイと評されるのはいつもI君で、私は決まって「面白い人」止まり。
冷静に比較すれば、私よりも明らかに手足が長く、目も格段に大きい。
さらに、口調も穏やかで優しい気質ですから、抵抗の余地はありません・・。

カッコイイと言われたい、という望みはとうの昔に捨てましたが、「面白いオッサン」は、もうしばらく維持したいと思っています。

出典:
むずむず脚症候群 http://muzumuzu.com
サザエさん症候群 http://work-switch.persol-pt.co.jp/anti-sazaesan-syndrome/
ピーター・パン・症候群 https://www.hospita.jp/disease/2191/
不思議の国のアリス症候群 https://medical.jiji.com/topics/1430
ナイチンゲール症候群 https://www.weblio.jp/content/ナイチンゲール症候群

170 春宵一刻

新型コロナウイルスの感染拡大により、今年のゴールデンウィークは愉しみや喜びとは真逆の方向を向いてしまいました。

東京都は4月25日から5月6日までを「いのちを守るSTAY HOME週間」と銘打って、大型連休中の外出自粛を求めています。

ここしばらく、私も週末は家で過ごしていますが、運動不足に加えて間食が増え、明らかに体重が増加してしまいました。

そこで、この悪循環を断つために、25日土曜日から、週末1時間のウォーキングを自らに課しました。
とは言え、あまり張り切り過ぎると持病の股関節痛が悪化しますので、早歩きでも大股でもなく、日常の通り歩くように心掛けています。
連休後半もSTAY HOMEを守りつつ、ウォーキングだけは継続したいと思っています。

一方、メンタル面もケアしなければいけません。
本を読んだり、ビデオの編集をしたりしていても、沈鬱な気分がどうしても抜けません・・。
来る日も来る日も新型コロナのニュースばかりで、楽しいイベントがないのですから、やむを得ませんね。

そこで、友人とオンライン飲み会を実施することにしました。

その仲間とは、小学校時代の同級生9人。
小学校と言うと驚かれることが多いですが、今も定期的に飲み会を開催し、2年に1度は京都旅行を楽しむ間柄です。

この集まりで、私は図らずも隊長と呼ばれ、幹事を仰せつかっています。
オンライン飲み会の言い出しっぺも、もちろん私なのですが、在宅勤務に最も縁遠いのも私。
TeamsだのZoomだの未知の分野を相手に、意を決しての企画です。

ネットで調べたり、テレワークに慣れているメンバーに教えてもらいながら、接続テストも行い、昨日、どうにか開催に漕ぎ着けました。

事前の約束として、好きなドリンクに加え、29日にちなんで『肉料理』を用意することとしました。
私が用意した(正確にはカミさんに作ってもらった)のはビーフシチュー。

そして、飲み会といっても下戸の私はソフトドリンク。
この日は麦茶で飲み会に挑みました。

1人欠席だったので、参加メンバーは男子5名、女子3名の計8人。
うまくいかない部分もありましたが、新鮮な楽しみを味わうことができ、大いに気晴らしになりました。

周りにいる家族が登場したり、飼い犬が出演したり、途中でインターホンがなって来客があったりと、店舗では起こり得ないことも逆に楽しい要因となりました。

予定の1時間20分は、あっという間に過ぎ、なんとかファシリテーターの役目は果たせたかなと思います。

アメリカのFacebookは4月24日(現地時間)、「Zoom」と競合するビデオミーティングサービス「Messenger Rooms」を発表しました。
Zoomの無料版のような時間制限なしに、最大50人でビデオミーティングを楽しめるのだそうです。

これらは、遠方の仲間とコミュニケーションを図るには、非常に便利なツールだと思います。
しかし、近くの友人とは、やはり同じ場所で同じ時間を共有したいかなと・・。