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253 会者定離

大学生になったら、ひとりで海外に行く、と決めていました。
しかし、受験から解放されて始まったキャンパスライフは、男子校だった高校生活とは一変。
楽しさと自由に呑み込まれ、日々、のらくら過ごしていました。

そして、大学生活が半分過ぎた3年生のはじめ、大学の生協で私はあるパンフレットを見ていました。

「ロサンゼルスホームステイとハワイ27日間」

必ず返すから! と約束をして両親からツアー費用を借り、意を決して入学時の夢を実行に移しました(それほど大げさなことではない)。

1982年8月20日、全国から集まった32名とともに成田空港を飛び立ち、ロサンゼルスの空港から、我々の活動拠点となるFirst Christian Churchへ向かいました。
これから3週間お世話になるホストファミリーが迎えに来てくれ、初めて対面を果たすのです。

車が到着するたびに、ホストファミリーと事前に交換していた写真を確認するのですが、握りしめた写真に写る待ち人がなかなか現れません・・。
歓声とともに次々と仲間が車で去っていくなか、私は少し待ちぼうけていました。

すると、でっかいサンダーバードから、「マッサ〜〜〜ミ!!」と呼ぶ声が聞こえました。
鼻が高くて物静かなFrankと、私より長身でキュートなNorma夫妻でした。

家へ向かう途中、お腹は空いていないか? と聞かれたので「a little bit」と答えると、「マックドーナッツ」に寄ろう、と言われました。

ロサンゼルスでは有名なドーナツ屋なんだろうなと思っていたら、サンダーバードは「マクドナルド」の駐車場に進入しました。
いきなりネイティブの英語に苦戦を強いられました。

到着した日の夜。

「マッサーミ。キミは日本から大変な費用を払ってアメリカへやってきた。だから、自分の好きなように、思うように過ごせばいい。家の鍵をひとつ預けるから、遅くに帰ってきたら、施錠だけは忘れずに。」

何処の馬の骨か分からぬ21歳の若輩者を、それはそれは歓迎してくれました。
また、彼らは敬虔なモルモン教徒でしたので、とても真面目で謙虚なご夫妻でした。

夢のような時が流れ、ロサンゼルスを発つ日が近づいてきたある夜。
夕食のあとにFrankがおもむろに話を始めました。

「マッサーミは遠い国からアメリカに来てくれた。しかし、我々は宗教上の理由でキミにしてあげられないことがあった。そこは大変申し訳なく思っている」

そんなことない。
自分たちは口にしないコーラをボクだけのために冷蔵庫で冷やしてくれた。
水上スキーにも連れていってくれた。
貧しい人たちのために桃の缶詰を作る活動にも参加させてくれた(ホントは「ピーチ」と「ビーチ」を聞き違えて参加しちゃったんだけど)。
ボクの作ったお世辞にも美味しくないすき焼きを、ワンダホーと言って食べてくれた。
タバコはやめた方がいいと、実の息子のように叱ってくれた。
ほかのどの家庭よりも楽しい日々を過ごすことができた。

英語では全然うまく言えなかったけれど、本当に楽しかった3週間だった、と心からお礼を伝えました。

「1つ質問があるんだ。ほかの日本人はシャイな若者ばかりだったが、マッサーミは、なぜ違うんだ?」

あれ? 図々しかったか? と反省しても遅いので、

「Ask my parents.」
「Sure!」

と、大笑いしました。

それから数年して、彼らが来日することになりました。
渋谷のホテルを予約したら、ベッドが短くて、Frankの足が出てしまったこと。
ホテルで夕食を食べた翌日、「夕べは食べ過ぎたよ。まだ胃袋に残ってるよ」と苦笑いしていたこと。
京都へ一緒に旅行に行き、カメラに夢中でガイドさんの英語の説明を全く聞かないFrankが、Normaにひどく叱られたこと。

数々の思い出が残っています。

その後も、毎年クリスマスカードを送ってくれました。
ただ、翻訳アプリもない時代、英語で返信を出すのはひと苦労でした。
そんな私の不義理が原因で、音信が途絶えてしまいました。

ずいぶんと年月が経った2012年。
姉からFacebookで探してみたらとアドバイスされ、早速試したところ、Normaのアカウントを発見しました。
家族の写真と一緒にメッセージを送ったところ、まもなく返信が届きました。

Oh my gosh, of course I remember you. And in the photos…. you look the same…. What a nice family. You may come to California anytime and visit me with them…. Have a Happy Day.

SNSの凄さを思い知らされた瞬間でした。
ただ、Frankがすでに亡くなっていたことは、大きなショックでした。
長年の怠慢を、非常に悔やみました。

その後、Normaとは誕生日にSNSでメッセージを送り合ってきましたが、今年は何故か届きませんでした。
体調を崩しているのかな? と思っていたら2人の長女Susanの投稿から、今年の2月に亡くなったと知りました。

アメリカの両親を失い、悲嘆にくれています。
家族を連れて渡米したら、さぞ喜んでくれただろうに‥。

最後に。
何回も言ったけど、ボクの名前は「マッサーミ」じゃなくて「マサミ」だからね。
2人仲良く、天国で練習してね。