254 盲従迷信

十二支は「ね、うし、とら、う・・」と、大半の日本人の知るところですが、一方の十干はあまり知られていないように思います。
私は「こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き」と受験のときに記憶し、読みだけは今も覚えていますが、正しく漢字で書けるかどうかは怪しい限りです。

この組み合わせで最も有名、というか唯一知られているのが「ひのえうま」でしょう。
「ひのえうま」以外の59通りについて、例えば「私は『きのえたつ』の生まれだ」「来年は『かのえいぬ』だ」といった言葉を耳にした記憶がありません。

さて、この「ひのえうま」は、60年前に日本の統計資料上、大きな痕跡を残しました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

中央よりやや上部、50歳代後半で、大きく凹んでいる部分があります。
これが、昭和の「ひのえうま(丙午)」生まれ世代です。
図表で表すと、こんなにも大きな切り欠きとなります。

人口減を招いた原因は「迷信」。
「丙午(ひのえうま)の年に生まれた女性は気性が荒く、夫の寿命を縮める」という日本独自の迷信です。

その背景には、江戸時代初期にあった「丙午の年は火事が多い」という迷信と、1683年(天和3年)に火あぶりの刑に処された八百屋於七の事件が関係しています。

於七は江戸・本郷の八百屋の娘で、火事をきっかけに吉三郎という若者と恋仲になります。
やがて「火事になればまた会える」と思いつめ、自宅に火を放ってしまい、処刑されるという悲劇を迎えます。
この於七について、浄瑠璃作家・紀海音の作品などで「1666年(寛文6年)の丙午生まれ」と描かれたことから、火災の迷信と結びつき「丙午の女性は気性が荒く、惚れた男を滅ぼす」という言い伝えが広まったと考えられています。
(於七の実際の生年には諸説あります)

迷信が引き起こした戦後最大の事件と言えるかもしれません。

先日、「ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会」(吉川徹著・光文社新書)という本を見つけました。
読んでみると、様々な資料をもとに、社会学者がひのえうまについて真面目に論考していました。

世界的に見ても、ある年に限って、人口動態にこれほど顕著な変異が生じている例はないそうで、ましてや、自然災害や疫病の流行、戦争・内線などといった「事故要因」が影響していない。

当時アメリカの占領下にあり、他県よりも出生率がずば抜けて高かかった沖縄県においても、昭和のひのえうまに、出生抑制の痕跡が残っている。

1906年(明治39年)の「明治のひのえうま」では、大きな出生減少が生じておらず、これが日露戦争に起因している。

挙げればキリがないほど、心を引く内容でした。

また、ゴシップとして興味深かったのは・・、

秋篠宮家の長女・眞子内親王の婚姻が難航したとき、双方の母親が「ひのえうま女性」であることが取りざたされました。

まあ、深く言及するのはやめておきましょう。

1966年に生まれた赤ちゃんの数は、およそ136万人。
前年比約463,000人減、比率にして四分の三以下に落ち込みました。
しかし、その翌年には出生数は約575,000人増と回復しました。

制作:graph-stock

そもそも出生数が少なくなっている現代に、この迷信が力を発揮するとはとうてい思えません。
20年後の二十歳の集いで、「今年の新成人はひのえうまの生まれですが・・」といった紹介は、おそらくお目に掛かれないと思います。

文京区白山の円乗寺に、八百屋於七のお墓があります。
放火は重罪ですが、戦乱時以外で女性の火刑が行われたのは、於七ただ一人。
私の実家からも近いので、気候が暖かくなったら、訪ねてみたいと思っています。

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