投稿者「izuart」のアーカイブ

069 仁者無敵

読売新聞の今日の朝刊の編集手帳が興味深かったので、ご紹介したいと思います。

日本の中で助けられる側と助ける側の人口比をみると、東日本大震災は1:12だった。
1人を12人で助けた計算になる。
南海トラフ地震では2:5くらいになるという。
〈中略〉
首都直下地震はどうか。
日本の人口のほぼ1割が東京で暮らすが、万一、東京が破壊された場合の影響は計り知れない。
〈中略〉
東京都心にある大学のホームページを以前眺めていて、目に留まった箇所がある。
将来の地震の折に支えてもらうためにも、いま東北を助けなければならない。
そんな論法で、復興支援の意義を教員が説いていた。

都知事選が始まった。
選挙サンデーとなるきょうの街頭では、地震対策ついても様々な訴えが聞かれよう。
美術館を巡る一方で、東北を訪ねることのほとんどなかった前知事の話を蒸し返す気はないが、東京の外への目配りも必要なのは確かだろう。

首都に多くの課題があり、候補者の数だけ公約もある。
目を凝らし、耳を澄ます。
選んだ結果に悔いを残さぬための第1条である。

某大学の先生がホームページで発信した発想は、非常にユニークで独創的なイメージですが、言及しているのは助け合いの精神であり、基本に返れと示教されているように思えます。
阪神淡路大震災の被災者が、恩返しがしたくて東北への支援を申し出た、というニュースは、新聞やテレビで何度となく目にしました。
同じ国土に生まれた人々に心を寄せることの意味深さを、改めて思量すべきと思います。

ところで、都知事選の戦いが本格化してきました。
自民党が分裂選挙になったり、有名な俳優さんが立候補に名乗りを上げたり辞退したり、野党の統一候補者が、政策は後回しで告示ギリギリに決まったり、バタバタ感は拭えません。

私は前回の都知事選で舛添氏に1票を投じました。
結果的には、世界に恥を晒すがごとき退任劇になってしまいました。

都知事選には50億円という莫大な費用がかかるそうです。
多くの都民が選んだ結果として、任期途中で今回の選挙になった訳です。
単なる人気投票ではなく、有権者も真剣に臨まなければなりません
私も投票日までの期間、各候補者の政策をしっかりと確認したいと思っています。

「仁徳者は慈愛をもって政治を行い、人民を分け隔てなく愛するから敵対する者がいない。」
タイトルの仁者無敵の意味です。

仁徳あふれる政治。
これを現在の政治家に求めるのは、難しいことなのでしょうか・・。

068 覧古孝新

「どうして伊豆アートさんって名前なんですか?」

たまにこんな質問を受けることがあります。
所在地は東京ですし、私の名字は山田ですから、疑問に思うのは自然かと思います。

答えは、弊社の創業者である父が伊豆の生まれだから、という陳腐なものです。

静岡県田方郡で農家の三男坊として生まれた父は、昭和24年、荷物をひとつ抱えて上京しました。
印刷会社で働きはじめた少年の夢は、一人前の商人になって、将来自分の店を持つことでした。

そして、昭和52年4月、44歳にして夢を叶えました。

会社を辞めると聞かされた時も驚きましたが、もっと驚いたことがあります。
それは、会社名が「大伊豆印刷株式会社」だと知ったときです。
「えー、ほかにないのー?」
17歳と15歳の姉弟は、口を揃えて反対しました(笑)。
東京で開業するのになんで伊豆なの?と、子供の感性には合わなかったのでしょう。
そして、父の故郷愛に思いを寄せることも出来なかったのでしょう。

開業にあたっては、周囲の方々から多大なるご支援をいただいたそうです。
勤務していた会社の社長、お取り引き先のお客さま、下請けの皆さん、税理士の先生・・。
特に、○城様と西○様には、心強いご支援をいただいたと聞いています。
人とのご縁は、人生を変えるほど大切なのものだ、と改めて思います。

父は昭和8年生まれなので、現在83歳になります(平成28年7月時点)。
年齢なりにガタはきているようですが、お陰様で毎日仕事をしています。

昭和8年。
どんな時代だったのか、ちょっと調べてみました。

この年に生まれた著名人は・・、
誰はさておき、天皇陛下がお生まれになったのが、この年の12月23日です。
なるほど、父は陛下と同じ年齢だったんですね・・。

オノ・ヨーコさんは2月18日生まれ。父と誕生日が1日違いですね。
芸能人では、宍戸錠さん、若尾文子さん、草笛光子さん、黒柳徹子さん・・。
故人では、菅原文太さん、藤田まことさん、池内淳子さん、南田洋子さん・・。
なかなか大物揃いです。

注目すべきは、ビスコとトクホンがこの年に発売を開始したことです。

ビスコは、昭和8年2月、1箱10銭で発売されました。
馴染み深いのは赤い箱だと思いますが、緑の箱の小麦胚芽入りビスコが私は好きです。
また、我が家では、ビスコの保存缶(賞味期限5年間)を非常食として保管しています。

トクホンは、商品名でもありますが、現在は「株式会社トクホン」と社名にもなっています。
また、トクホンの名の由来は、室町後期から江戸初期にかけて活躍した医師・永田徳本です。
諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者だそうで、享年118歳とのこと。
何か謎めいた人物ですね・・。

どちらも80年以上愛され続けている裏には、多いなる企業努力があるはずです。
長年培ってきた信用、見習うべき点は多いですね。

補足
「大伊豆印刷」に関する表記については、他の企業名を中傷する意図はありません。

067 曇華一現

先日京都で立ち寄った、小さな小さな天神様の話です。

京都ひとり旅の楽しみのひとつは、昼ご飯です。
京都には様々なジャンルの美味しいお店がひしめいています。

今回私は、京都屈指の繁華街・四条河原町から少し西に進んだところにある、本家尾張屋という蕎麦屋さんでお昼をいただきました。

この店は、創業550余年という歴史を誇るお蕎麦屋さんで、蕎麦がおいしいことは勿論、「そば餅」というお菓子(饅頭)がとっても美味しいのです。
それもそのはず、創業時は和菓子屋だったのだそうです。

火除天満宮02

天麩羅御膳でお腹を満たしたあとは、すぐ裏手にある火除天満宮を参拝しました。

上の写真は寺町通りから撮影したものです。
見ての通り、ビルの一角のようなところに鎮座しています。

撮ったアングルが悪いのですが、左側はセブンイレブンです。
入口脇には大変立派な社号標があるのですが、神社の存在に気づかない人も多いと思います。

右側の鳥居の先が参道です。
が、ビルの側道のようなロケーションです。
左側はビルの壁面なので、かなりの圧迫感があり、一般的な参道とはかなり差違がありますが、当然手水舎もありますし、社務所や神牛もあり、小さな橋も架かっています。
そして、20mほど進んだ突き当たりの左側に拝殿があるのです。

因みに、火除天満宮(ひよけてんまんぐう)という名称の由来は、元治元年(1864)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れ、その後もしばしば火難から救われたという伝承によるのだそうです。

とても小さな天神様なので、普段は無人です。
しかし、キレイに手入れがされていて、気持ち良く参拝ができます。

無人なので御朱印はいただけない・・と思われがちなのですが、実はいただけます!
もちろん、自動販売機で売っているわけではありません。

岡本鏡店

実は、斜め向かいにある岡本鏡店さんという一般の商店でいただけるのです。
火除天満宮さんには特に氏子がいないため、地域の中で「岡本鏡店」さんが代表で神社を管理されているそうです。

そうと知りつつも、入店するには少し勇気が入りました。
“ ひょっとしてガセネタなのではないか・・。”
“ そもそも鏡屋さんって、これまで入った経験がないし・・。”

少し胸の動悸を感じつつ、店のドアを開けました。

「こちらで天神様の御朱印がいただけると伺ったのですが・・。」

と申し上げると、男性スタッフの方が快く応対してくださいました。
社務所以外で御朱印をいただくという、貴重な経験をしました。

火除天満宮御朱印

066 乾坤一擲

先週末、またまたひとりで京都に行ってまいりました。
今回のテーマは「京都の天満宮巡り」です。

セガレの中学受験合格を祈念し、昨年、北野天満宮さんを訪れました。
そして、志望校の合格をいただいた後、お礼参りに伺いました。
その時、ほかの天神様もいつかは参拝したいと思い、ようやく先週末に実現した次第です。

私は京都に行くと、まずは決まったルーチンに則って行動します。
最初にお参りするのは、セガレを授けてくださった上徳寺さん。
そして次に、商売繁盛の伏見稲荷大社をお参りする。
この2箇所の参拝を済ましてから、ほかの寺社へ向かうことにしています。

さて、今回、その2箇所を参拝した後に訪れたのは、藤森神社(ふじのもりじんじゃ)です。
ここは、三室戸寺や三千院等と並んで、京都屈指の紫陽花の名所として知られています。
天神様がテーマの旅だったのですが、どうしても紫陽花を見学したくて、行程に入れました。

藤森神社01

下の御朱印は、この時期限定で授与していただけます。
また、淡い紫色のオリジナル御朱印帳もお薦めです。
紫陽花色に、銀の箔押しが大変美しく、センスの良い仕上がりです。

藤森神社04藤森神社御朱印帳

ここ藤森神社は、約1800年前に、神功皇后によって創建された由緒正しき古社です。
菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として篤い信仰を集めており競馬関係者や競馬ファンが多く参拝することでも有名です。
「菖蒲」が「勝負」に転換したのでしょうか・・。

藤森神社03

参集殿の前には、こんな外観をした飲料の自動販売機がありました。
何も知らずにお金を入れ、お茶のボタンを押すと、

「ヒヒーン!」

馬の鳴き声が聞こえたかと思ったら、

「パンパカパーン、パンパンパンパンパカパーン!!」

ファンファーレが鳴りました。

いくら馬の神様とはいえ、これは関西のノリですね。
因みに、ダイドードリンコの自動販売機でした。
また、出てきたペットボトルのお茶は、フツーの商品でした。

それから、こんな案内板もありました。
第一鳥居をくぐってまもなくこの標識を見た時、一瞬、どっちを歩くべきか迷いました(笑)。

藤森神社02

馬の神様に掛けた有名なお守り「うまくいく御守」も買いました。
ん?
明日は宝塚記念だぞ・・。
勝負か・・?

065 才弁縦横

弊社のホームページは、山本州さんというデザイナーさんに作成していただきました。
山本さんとは、かれこれ10年ほど前に、あるクライアントさんを通じて知り合いました。
デザインのみならず、イラストも描けるとても器用な方です。

その山本さんが、本の出版に携わり、先日出版されました。
出版記念に山本さんが1冊贈呈してくださったので、そのお礼に本の宣伝を買って出た次第です。

その本とは、ボーンデジタル社発行の「Web+印刷のためのIllustrator活用術」です。

Web+印刷のためのIllustrator活用術

頂戴した本を私も読ませていただきました。

Amazonのレビューでも高評価を得ているとおり、お世辞抜きで、大変わかりやすい解説書です。

イラストレータは既に使っているけれど、WEB領域への活用は無理、という人は多いと思います。
WEB・印刷の両側面から解説されているこの本は、そういう方に非常に有益だと思います。

私も典型的にそのタイプです。
CHAPTER 3とCHAPTER 4はWEBに関する記事だったため、途端に読む速度が下がりました・・。 

一方、イラストレータ初心者にも、お薦めしたいです。
難しいテクニックではなく、はじめの一歩の教則本として非常に有効だと思います。

しかし、考えてみると、「本を発行する」って、ちょっと嫉妬しちゃいますね。
私にはそんなジャンルはないですから・・。

そして、奥付の上にあった著者紹介を読んで驚きました。
山本さん、私より1回り年下の丑年だったんだ・・。

064 感謝感激

ある資料によると、日本にはおよそ822,000人の山田さんがいて、日本の苗字ランキング、第12位だそうです。
印象としては、もうちょっと順位が上でもいいような気がします。

学生時代、周囲には、大抵私以外の「山田さん」がいました。
一番面倒だった思い出は、山田仁美さんという女性がクラスにいたときです。
ちょっと短気な体育の先生が、出席をとろうとして「山田」が混合したらしく、

『やまだまさみ、やまだひとみ、お前はどっちなんだ!』

とご立腹になったことがあります。
私は自分の名前が女性っぽいことを重々承知していますので、こういうことには慣れていますが、やまだひとみさんは女性ですからね、さぞイヤな思いをしたでしょうね。

そして、私には、山田という同姓の親友がいます。

彼の外見上の特徴は、185cmの長身。強面。威圧的。鳩胸。そして、凶暴。低音。
20年以上前、彼とよく飲みに行ったのですが、どちらも山田なので、お店では『大きい山田さん』『小さい山田さん』と、呼び分けられました。
これは正直あんまり気分が良くありませんでしたね(笑)。

で、先日、その大きい山田さん夫婦と焼肉を食べに行きました。
その際、第一志望校合格おめでとう、とセガレに入学祝いをいただきました。
そのほかにもうひとつ、スペシャルでサプライズなプレゼントがありました。

青果市場の店長でもある彼が用意してくれたのは『太陽のタマゴ』。

太陽のタマゴ

今年4月7日の初セリで、1箱2玉入りが20万円で競り落とされた宮崎産完熟マンゴーです。
彼曰く、今も有名果実店で、1個15,000円ほどで売られているのだそうです。
54歳にして、ワタクシ、初めて実物とご対面しました。

そして、その味は・・、

濃い!
甘い!!
深い!!!

言葉に尽くせぬ感動的な味でした!
今まで食べていたマンゴーとは、全く違う種類の食べ物でした!

太陽のタマゴ02

こんな高級品、ゼッタイ自分では買わないでしょうからね。
人生最初で最後の太陽のタマゴかも知れません。
いや〜全く有難いですね。

 

市場というところには、普段スーパーではお目に掛かれない商品が数多くあります。
特に、彼の店は、一級品を数多く揃えているので、心奪われる商品が所狭しと並んでいます。

見たこともないようなサイズ感の果物だったり、
何かと何かを掛け合わせた見慣れぬ新種だったり、
全く時季外れの商品が当たり前のように陳列されていたり・・。

千住市場の関水青果さんです。
一般の方も入場できます。
でも、市場ですから、午後は閉まってしまいます。
午前中早い時間帯に、ぜひ、足をお運びください。

063 大同小異

銀杏と公孫樹についての駄文を書いていたら、卵と玉子の違いに、突如興味が湧きました。
ネットで検索すると、関連サイトがたくさんありました。

どこから引用しようか迷いましたが、国内の鶏卵といえばここ「JA全農たまご株式会社」のオフィシャルサイトにある、たまご通信の記事からご紹介したいと思います。
(http://www.jz-tamago.co.jp)

—————————————————————————————————————————

本来は、
◎生物学的な意味での「たまご」=卵
◎食材としての「たまご」=玉子
と使い分けがなされています。

生物学な意味での「たまご」とは、子孫を残すために孵化して育つことを前提としたものを指し、魚や虫のたまごも「卵」と書きます。

それに対し、「玉子」は食用を目的としたたまごを指します。
特に鳥類のたまごを指すようです。

つまり、大きな概念として「卵」があり、その中で料理などに使用される鳥類のたまごの総称が「たまご」と表現されます。

現在では、本来は、
◎生の状態のものを「卵」
◎調理されたものを「玉子」
と書くのが一般的なようです。

〈中略〉

明確な基準はないようですが、「卵」の方が広い概念を持ち非常に便利な言葉なようです。
なんとなくわかっていただけたでしょうか・・?

—————————————————————————————————————————

う〜ん、なんとなくわかったような気がします(笑)。 

生たまごは「生卵」、たまご丼は「玉子丼」です。

生の状態は「卵」、調理されたものは「玉子」という説明通りですね。

たまごを比喩的に用いる場合、例えば「医者のたまご」は「医者の卵」と書きますね。
孵化に例えている訳なので、これも理に適っています。

でも、ゆでたまごは「ゆで卵」、温泉たまごは「温泉卵」ですよね。
調理されたものは「玉子」であるならば「ゆで玉子」「温泉玉子」のような気もしますが・・。

だんだんわからなくなってきたぞ・・。
じゃあ「鮨」と「寿司」はどうなってんだ・・。
寝られなくなりそうだ・・。

062 万世不刊

急ぎの仕事を片付けるため、昨日は朝7:30に出社しました。
昼には一段落したので、カフェでブログを書きながら昼食を済ませたのですが、青空に誘われ、葛飾八幡宮へ寄り道することにしました。

千葉県市川市にある同社は、寛平年間(889〜898年)に京都の石清水八幡宮を勧請して
建立したと伝えられています。そう、先日念願の参拝が叶った、あの石清水八幡宮です。

ここに惹かれたのは、樹齢1,200年とも言われる大銀杏の存在です。
多数の樹幹が寄り集まって、あたかも根元から1本の大樹が伸びているように見えることから、「千本公孫樹」と名付けられたこの御神木。
実際目の当たりにしてみると、天然記念物に相応しい、想像以上の大木でした。
秋になって葉が色付くと、また違った姿を見せてくれるのでしょう。

千本公孫樹

ところで、「千本公孫樹」の読み、わかりますか?
「千本」はそのまんま「せんぼん」です。

問題は「公孫樹」・・。
当たり前ですが「こうそんじゅ」ではありません。

これで「いちょう」と読むのだそうです。
そりゃないだろ!とスマホに入力してみると、普通に変換されました(^_^;)。
ワタクシ、「銀杏」以外の「いちょう」は「胃腸」しか知りませんでした。

調べてみると・・・・、

「銀杏」は、実の形がアンズに似て殻が銀白であることに由来し、「公孫樹」は、植樹した後、孫の代になって実が食べられると意味による。

のだそうです。(語源由来辞典より http://gogen-allguide.com/)
まだまだ勉強が足りません・・。漢字は奥が深いです。

なお、葛飾八幡宮の千本公孫樹は、オリジナル御朱印帳の表紙にも描かれています。
紺の地色に金の刺繍が映える、大変綺麗なこの御朱印帳は、社務所にて1,000円で購入できます。

葛飾八幡宮御朱印帳

061 悔悟奮発

今朝、家族と亀戸天神へ出向きました。
ここは関東の三大天神様のひとつで、2月には梅の花を愛でることができますが、東京一の藤の名所としても広く知られていて、この時期多くの人で賑わいます。

藤まつり

今日ここを訪れたのは、先月届いたハガキがきっかけです。
昨年7月にセガレの受験合格祈願で参拝した際、藤の花の育成基金に1口だけ協力したところ、4月16日〜5月5日の藤まつりの期間中、社殿にてご祈祷いただけるとのご案内が届いたのです。

亀戸天神では、通常ご本殿でご祈祷をお願いする場合は、5,000円以上の祈願料が必要です。
しかし、お納めした協力金はわずか1口、3,000円・・・・。
申し訳ないという気持ちもありましたが、ご本殿に上がる機会はそう多くはありません。
まして、祀られているのは学問の神様・菅原道真公です。
ご厚情に感謝しつつ、セガレの合格御礼も兼ねて、家族で訪れました。

受付でハガキをお渡しすると、若い男性の神職の方が気持ちよく出迎えて下さり、白い装束をお借りして、ご本殿に上がりました。
そして、約15分ほどのご祈祷の後、お神酒を受け、おさがりを頂戴しました。

やっぱり、いいですね。
心が洗われるような、敬虔な気分になることができました。

帰り際に御朱印もいただきました。
藤まつりの押印がある、期間限定の御朱印です。

亀戸天神藤まつり御朱印

また、ここは、若き日に絵馬に不適切な文言を書くという愚行を犯した地でもあります。
そして、タイトルの「悔悟奮発」は失敗や誤りを悔い、挽回しようと奮い立つことです。
私の神社巡りは、悔い改める思いを伝える巡礼でもあります・・。

060 春日遅遅

先週日曜日、横浜&横須賀に行ってきました。
目的のひとつはセガレの合格祈願をした天神様へのお礼参りです。
永谷天満宮と岡村天満宮、そして久里浜天神社に行ってきました。

同行してくれたのは横浜在住のたけちゃん。
彼は私の小学校時代からの親友であり、セガレの中学校の先輩にあたります。

彼と私の最近の関係は、平たく言うと「御朱印仲間」。
この日もお互いの御朱印帳を持ち合いました。

鎌倉五山や鎌倉十三仏の御朱印を見せてもらいましたが、これが豪儀で見事!
特に鎌倉十三仏の十三番札所・成就院での結願印は、大変印象的でした。
総じて、神社の御朱印はシンプルで、お寺の御朱印はダイナミックと言えます。
私は神社派(?)なので、お寺派・たけちゃんの御朱印帳は大層重厚に感じました。

昼食は、観音崎京急ホテルのビュッフェを予約しておきました。
小雨が残っていて、窓から見渡す海はやや煙っていましたが、優雅な90分でした。
また、お世話になっているお客さんと、レストランでばったり出会いました。
お互い自宅から遠く離れた横須賀で数年ぶりにお目に掛かるとは、世の中は狭いですね。

そして、午後は浦賀にある東叶神社と西叶神社を参拝しました。
ここを参拝することが、御朱印オヤジたちのもう一つの目的でした。

叶神社の歴史は、黒船来航よりも遙か昔にさかのぼります。
平安時代末期、京都・高雄山神護寺の僧侶・文覚上人が、源氏の再興を祈願して第15代天皇である応神天皇をご祭神として建立しました。
建立後、数年のうちに平家が滅亡し、源頼朝による鎌倉幕府の設立・・・・と、源氏の再興が見事に叶ったことから、「叶大明神」と呼ばれるようになったとのことです。

この東西の叶神社は、海(入り江)を挟んだ対岸同士に位置しています。
ポピュラーな参拝方法は、まず、西岸の叶神社で勾玉をいただきます。
そして、渡し船に乗って対岸へ渡り、東岸の叶神社で勾玉を入れる袋をいただくのです。

この渡し船が、のどかで楽しいのです。
乗船料は片道200円。
時刻表はありません。
船がいない時は、ボタンを押すと対岸から迎えに来てくれるシステムです。
黒船の来航や咸臨丸の出港など、昔を偲びつつ、麗らかな時間を過ごすことが出来ました。

浦賀の渡し

なお、「叶神社」という名前の神社は、ここ浦賀にしかありません。
「願いを叶える神社」
これほど縁起の良い名の神社は、ほかにはないでしょうね。

この日、参拝者の中に外見がちょっと派手な女子3人組がいて、東西の両神社ですれ違いました。
しかし、そんな彼女らの視線を気にすることなく、御朱印オヤジは勾玉と袋を嬉々として選び、春の三浦半島で、ややオタクで楽しい週末を過ごしました。

叶神社御朱印

注釈:向かって右が西叶神社、左が東叶神社の御朱印です。
東口に西武、西口に東武デパートの池袋駅のごとき位置ですが・・・・。