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060 春日遅遅

先週日曜日、横浜&横須賀に行ってきました。
目的のひとつはセガレの合格祈願をした天神様へのお礼参りです。
永谷天満宮と岡村天満宮、そして久里浜天神社に行ってきました。

同行してくれたのは横浜在住のたけちゃん。
彼は私の小学校時代からの親友であり、セガレの中学校の先輩にあたります。

彼と私の最近の関係は、平たく言うと「御朱印仲間」。
この日もお互いの御朱印帳を持ち合いました。

鎌倉五山や鎌倉十三仏の御朱印を見せてもらいましたが、これが豪儀で見事!
特に鎌倉十三仏の十三番札所・成就院での結願印は、大変印象的でした。
総じて、神社の御朱印はシンプルで、お寺の御朱印はダイナミックと言えます。
私は神社派(?)なので、お寺派・たけちゃんの御朱印帳は大層重厚に感じました。

昼食は、観音崎京急ホテルのビュッフェを予約しておきました。
小雨が残っていて、窓から見渡す海はやや煙っていましたが、優雅な90分でした。
また、お世話になっているお客さんと、レストランでばったり出会いました。
お互い自宅から遠く離れた横須賀で数年ぶりにお目に掛かるとは、世の中は狭いですね。

そして、午後は浦賀にある東叶神社と西叶神社を参拝しました。
ここを参拝することが、御朱印オヤジたちのもう一つの目的でした。

叶神社の歴史は、黒船来航よりも遙か昔にさかのぼります。
平安時代末期、京都・高雄山神護寺の僧侶・文覚上人が、源氏の再興を祈願して第15代天皇である応神天皇をご祭神として建立しました。
建立後、数年のうちに平家が滅亡し、源頼朝による鎌倉幕府の設立・・・・と、源氏の再興が見事に叶ったことから、「叶大明神」と呼ばれるようになったとのことです。

この東西の叶神社は、海(入り江)を挟んだ対岸同士に位置しています。
ポピュラーな参拝方法は、まず、西岸の叶神社で勾玉をいただきます。
そして、渡し船に乗って対岸へ渡り、東岸の叶神社で勾玉を入れる袋をいただくのです。

この渡し船が、のどかで楽しいのです。
乗船料は片道200円。
時刻表はありません。
船がいない時は、ボタンを押すと対岸から迎えに来てくれるシステムです。
黒船の来航や咸臨丸の出港など、昔を偲びつつ、麗らかな時間を過ごすことが出来ました。

浦賀の渡し

なお、「叶神社」という名前の神社は、ここ浦賀にしかありません。
「願いを叶える神社」
これほど縁起の良い名の神社は、ほかにはないでしょうね。

この日、参拝者の中に外見がちょっと派手な女子3人組がいて、東西の両神社ですれ違いました。
しかし、そんな彼女らの視線を気にすることなく、御朱印オヤジは勾玉と袋を嬉々として選び、春の三浦半島で、ややオタクで楽しい週末を過ごしました。

叶神社御朱印

注釈:向かって右が西叶神社、左が東叶神社の御朱印です。
東口に西武、西口に東武デパートの池袋駅のごとき位置ですが・・・・。

058 名所旧跡

先週末、京都に行ってまいりました。
主たる目的は、セガレの中学受験合格を祈願した北野天満宮さんへの御礼参り。
そして、セガレを授けてくださった上徳寺さんに、今後のご加護をお願いに上がりました。

春休み中のセガレはカミさんと共に先に京都入りしていましたが、私だけ日帰り。
でも、午前中は自分の予定を入れたので、12時に予約した御所近くの中華屋さんで合流しました。

自分の予定とは、石清水八幡宮の参拝です。
京都には参拝したい寺社がたくさんあるのですが、一番訪れたかったのがここでした。
多々特徴があるのですが、搔い摘んでご紹介したいと思います。

石清水八幡宮

①読み
いししみず」と書いて「いわしみず」と読みます。
なでしこジャパンのディフェンダー・岩清水梓さんは「岩」と書きますが・・・・。

②日本三大八幡宮
ほかの2つは、大分県の宇佐神宮と福岡県の筥崎宮(はこざきぐう)です。
近代では、筥崎宮に換えて鎌倉の鶴岡八幡宮を入れる場合もあるそうです。
因みに、全国に40,000社余りある八幡さまの総本宮は、宇佐神宮です。

③ケーブルカー
最寄り駅は、京阪電車・八幡市駅です。
しかし、八幡さまが鎮座しているのは標高143メートルの男山山上で、徒歩30分要します。
そこで、ケーブルカーがあり、これに乗るとわずか3分で到着します。
料金は片道200円。因みに、PASMOやSuikaは使用できません。
あ、関西エリアは「ICOCA」と「PiTaPa」ですね。

④エジソン記念碑
偉大な発明王、あのトーマス・エジソンの記念碑があります。
エジソンと京都の神社にどんな接点があるのか、不思議ですね。
詳しくは石清水八幡宮オフィシャルサイト「はちまんさんとエジソン」に掲載されています。
ぜひご覧下さい。

エジソン記念碑

055 春和景明

我が家の中学受験が無事済んで、約50日が過ぎました。
受験生という肩書きが取れたセガレは、気楽な日々を過ごしているようです。

しかし、中学校側からは「入学までにするべきこと」が指示されています。
夏目漱石らの名作を読む、これから本格的に始まる英語の準備をする、などです。
羽を伸ばして思う存分遊んでよろしい、とは言わないんですね。
因みに今セガレは「吾輩は猫である」を読んでいます。
文庫本は文字が小さいとか、ページ数が多いとか、不平不満をこぼしながら・・・・。

中学受験には、親の役割も大きいですね。
受験生といってもまだ12歳の小学生ですから、親のサポートは当然必要です。
スケジュールの管理、テキストの整理整頓、弁当作り、夜のお迎えなど、親子で受験するといっても過言ではないでしょう。

中には、積極的に勉強を教える親も少なくありません。
親がテキストを事前に解いておき、授業後に子供の理解度を確認しながら自宅で教える、なんて強者もいるようです。

私は、というと・・・・、
一生懸命に尽くしたのは「車での送り迎え」。
あとは、子供を見守ることに努めました。

ある時、算数の答案用紙に、投げやりな落書きをしたことがありました。
算数は元々大好きで得意な科目でしたが、何かに躓いたのではないかと思い、落書きを叱るのではなく、彼の胸中を聞きました。

また、「今日はこんな難問が解けたんだ!」と、子供が目をキラキラさせながら話すときは、仕事があろうと、考えごとがあろうと、真剣に聞いてあげるよう心掛けました。

信じて見守ること。
誉めて伸ばすこと。
セガレの受験を通して、私も学び、成長できた気がします。

ほかに奮励したのは、天神様巡りですかね(笑)。
「ここに最もエネルギーを費やしたんじゃない?」
「それって趣味じゃん!」
と言われると、弁解の余地はありませんが・・・・。

改めて数えてみると、合格を祈願した天神様は、北野天満宮を含めて22箇所でした。
湯島天満宮、町田天満宮など、既にお礼参りを済ませたところもありますが、年度末の繁忙期と重なったこともあって、なかなか捗っていません。

そんな中、今日の午前中、新井天神北野神社に行くことができました。
JR中野駅から徒歩10分ほどの場所です。

合格祈願に訪れたのは、昨年の11月でした。
その頃は、酉の市に向けて提灯がたくさん飾り付けられていましたが、季節は変わり、今日は早咲きの桜が迎えてくれました。

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この桜は「プリンセス雅」という種類です。
平成13年12月、愛子様のご誕生を祝して植樹されたのだそうです。

この辺りは桜の名所として有名です。
4月1日〜3日には新井薬師公園で桜まつりが開催されるとのことです。
今年は第30回目にあたるので、中野通りの桜のアーチ下を人力車が走るとか。

奇しくも、今日、東京・靖国神社で、気象庁が桜の開花宣言をしました。
来週末は都内のあちこちで、満開の桜を楽しむことが出来るのでしょう。

上野公園内にある五條天神社へも、お礼参拝に行かねばなりません。
ちょっと混むかもしれませんが、桜見物も兼ねて、来週訪れてみようかと考えています。

048 加持祈祷

本日、京都へひとり旅に行ってまいりました。
一昨年11月、昨年1月についで今回が3度目の「ひとり京都」です。

今回の主たる目的は、息子の中学受験合格祈願です。
当初、試験前に京都を訪問するのは無理だろうと思っていましたが、カミさんに背中を押され、急遽向かうこととなりました。

東京駅から、のぞみ号の始発に乗り、8時過ぎに京都へ着きました。
東京と同様、京都も陽射しが暖かい新春でした。

まず、息子を授けてくださった上徳寺さんには元気で試験に臨めるようお願いし、その後、伏見稲荷大社さんで商売繁盛を祈念しました。

北野天満宮さんへは10時少し前に到着しました。
それでも、既に多くの参拝客が訪れていました。
この時期ですから、その大半は、受験生なのでしょうね。

絵馬を奉納するにもかなりの行列でした。
すると、私の後ろに並んでいた老夫婦の会話が耳に入ってきました。
(実際は京都弁での会話でしたが、正確に再現できませんので、東京下町語に訳します)

「おい、絵馬にどう書いたんだ?」
「志望校に合格できますように、としか書けないわよ。どこに行きたいのか知らないもの。」
「なんだ、確認してないのか。じゃ、京大と阪大って書いておけ!」
「だめよ、そんな適当なこと書いちゃ・・。」

きっと、お孫さんのために参拝に来たのでしょう。
微笑ましいというか、ちょっと乱暴なご祈祷ですね(笑)。

そして、すべての参拝が終わったあと、境内で出張販売していた長五郎餅2個入りを買いました。
おやつ代わりになるかな、と思った次第です。

もちろん、御朱印もいただきました。
正月期間は、混雑のため書き置きでの対応でしたが、正月限定の「慶春」と書かれた御朱印をいただくことができました。

狙っていた御朱印帳も2冊購入できました。
どちらも昨秋に発売が開始された新製品で、そのうち1冊は、表紙が木製です。
宝物がまたひとつ増えました。

境内では、温かい陽気に誘われて、梅が一部咲いていました。
受験の前に、梅の花を見ることができて、幸先良い気分になりました。

北野天満宮の梅(2016年1月10日)

北野天満宮の梅(2016年1月10日)

青い空とのコントラストがあまりにキレイで、しばし見とれてしまいましたが、気づくと、予定よりも行程がだいぶ遅れていました。

仕方なく、予定していたランチをパスして、次なる目的地へ向かいました。

そして・・、
結局・・・、
今回のひとり旅の昼食は、長五郎餅をふたつ、途中のお寺のベンチで頬張っただけ、という事態になってしまいました。

でも、買っておいてよかった・・。

047 謹賀新年

あけましておめでとうございます。
2016年が皆さんにとって、実り多い年となりますよう、祈念いたします。

さて、弊社の住所は江東区平野です。
かつて貯木場として有名だった江東区木場に接しています。
材木業者の大半は新木場に移転しましたが、現在もなお、一部にその面影を残しています。

突然ですが、「木場の角乗」って、聞いたことありませんか?
これは、木場で働く筏師が鳶口一つで太く大きな丸太を自由に操り、筏を組む仕事の中から生まれた民俗芸能です。
水に浮かぶ角材を自由に操る見事な技は、江東区民祭りで見ることができます。
毎年10月に開催されていますので、貯木場の故地である木場公園へ、ぜひ足をお運び下さい。

さて、ここで木場の歴史をご紹介しましょう。

江戸時代はじめ、材木は日本橋あたりの河岸に置かれていました。
しかし、寛永18年(1641年)の火事を契機に、木置場が深川に移ります。
はじめは、現在の江東区佐賀・福住一帯に設けられました。
その後、元禄12年(1699年)この地域は御用地とされ、
代わりに現在の木場一帯があてられました。

(木場町と命名されたのは、元禄16年(1703年)のことです。)
ところが整備が進まず、猿江に一時移ります(現在の猿江恩賜公園一帯)。
木場に再移転したのは、元禄14年(1701年)でした。
そして、昭和48年から材木業者は新木場へ移転を開始し、
木場は木材流通の中心地としての役割を終えました。

さて、下の写真をご覧下さい。
弊社近くの深川資料館通り商店街にある、善徳寺北側の正月飾りの写真です。

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深川に材木商や材木置場があった頃は、このような飾り付けがあちこちで見られたそうです。
そういえば、今オールプレス・ロースタリー&カフェがある場所も元は材木屋さんで、このような正月飾りで有名なスポットでした。

来年の干支がカラフルに描かれた横には、こんな文章が書かれています。

 新春を寿ぎ
 新しい年が
 輝かしい
 発展の年と
 なりますよう
 あなたに逢えて良かった
   深川資料館通り商店街協同組合
   協力 株式会社多田銘木店

また、弊社付近はお正月期間は深川七福神めぐりで賑やかになります。
毎年元日から1月15日の8時から17時まではご開帳期間なので、色紙と笹・鈴の授与があります。
(善徳寺さん脇の正月飾りも1月15日頃まで設置されているはずです。)

今年は三が日の天気予報も良好のようですから、ぜひ、東京の下町に足をお運びください。

028 桜花爛漫

東京の桜が満開になりました。
今年、全国で最も早く満開になったそうです。
ここ数日20度を超える気温だったので、一気に開花したようですね。

今日の午前中、仕事の合間に上野に寄ってみました。
予想通り大勢の人が桜見物に訪れていて、大混雑でした。

海外の方もたくさんいましたね。
中国の方は自撮り棒を持って、桜をバックに夢中に撮影していました。
欧米の方は、ほとんど半袖。ノースリーブの女性も見かけました。

ところで、私は、日本の国花は桜だ、と思っていました。
しかし、法律で定められた国花ではないのだそうです。
一般的に菊または桜が日本を表象する花とされていることが多い、というのが正解だそうです。

個人的には、桜は非常に「日本人らしい」花のように感じます。
控えめな薄いピンク色はとても上品ですし、見頃が短い「はかなさ」も国民性に合う気がします。

私は、特に桜と青空が創り出すカラーの取り合わせが好きです。
下の写真は、今日の旧寛永寺五重塔です。
上野東照宮の参道から撮影しました。
う〜ん、このピンクとスカイブルーの組み合わせ、いいなあ・・。

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