自分へのご褒美は「京橋千疋屋のマンゴーワッフル」と決めています。
よく働いたなーと思ったときは、カミさんを誘って食べに行きます。
ただ、マンゴーは4月から8月までのメニューなので、秋から冬は違うフルーツになります。
さて、先日、ゴルフ仲間の誕生日のお祝いとして銀座千疋屋から、ケーキをお取り寄せしました。
「ゴルフ仲間」などとカジュアルに書きましたが、その方はサラブレッドな家系で、そもそも私なんぞとは住む世界が異なります。
しかし、ご縁とは不思議なもので、近年頻繁にゴルフをご一緒させていただいています。
そして、この方、「マメ」というひと言では片付けられない懇篤な方なのです。
例えば、冬のゴルフ。
シナモンを加えたホットワインをサーモスの水筒に入れ、皆に振る舞ってくださいます。
そして「ヤマダさんは飲めないからこっちね」と、温かい紅茶の入ったスタバの保温ボトルも登場します。
しかも、宝石のような赤紫色をした芳醇なハーブティーが入っているのです。
例えば、早朝ゴルフ。
朝5時頃のスタートという半ば眠い状況を打破する「スタート前の缶ビール」が冷え冷えの状態でスタンバイしています。
そしてここでもヤマダさん用に、ノンアルコールビール、登場です。
「Budweiserのノンアル、珍しいでしょ」と、その銘柄もそこら辺の自販機で買ったモノとは訳違うのです。
毎々面倒をみていただくばかりなので、恩返しの機会はないか・・と狙っていました。
そんなとき、一泊二日でホテルを併設したゴルフ場に行くことになったため、お祝いのケーキを用意することにした、というわけです。
とはいえ、ご本人に見つかってはすべてが台無しです。
こっそり引き取るから協力して欲しい、と事前にゴルフ場へ電話を入れ、ミッションを実行しました。
朝、チェックインのためにゴルフ場のフロントに着くと・・、
「ヤマダ様、ヤマダ様、ケーキ、届いております。お渡しのタイミング、お申し付けください・・。」
フロントの女性スタッフが、アタリをキョロキョロしながら、消え入るような小さな声で話しかけてきたのには少々笑ってしまいました。
かくして、ゴルフ場の全面的な協力もあり、夕食後に晴れてお披露目ができました。
「なんか変な動きをしてるなーとは思ったよ」
と、少し怪しまれたものの、とても喜んでいただけました。
ところで、マンゴーワッフルは京橋千疋屋、お取り寄せしたケーキは銀座千疋屋。
千疋屋はデパ地下でもよく見かけますが、店によって扱っている商品が違うな、と思っていました。
すると、どちらも源流は千疋屋総本店で、京橋千疋屋と銀座千疋屋は、暖簾分けされたそうです。
その詳細は、ホームページに記載されていました。
1881年(明治14年)
中橋(京橋)千疋屋の誕生
千疋屋総本店三代目・代次郎の妹キヨは、二代目の当主 文蔵の時代に番頭としてふるった谷治郎吉に嫁ぎました。治郎吉は商才に長けており、文蔵から厚い信頼を勝ち得ていました。ある日「分家させてほしい」と切り出したキヨに文蔵は、夫の治郎吉のそれまでの千疋屋への貢献と人柄を見込んで暖簾分けを許し、1881年(明治14年)中橋広小路店(京橋千疋屋)が誕生しました。1914年(大正3年)には東京の玄関となる東京駅が開業し、通りには人々が絶えることなく往来。中橋広小路店は大いに繁盛しました。1894年(明治27年)
新橋(銀座)千疋屋の誕生
千疋屋総本店の番頭であった齋藤義政は1894年(明治27年)、新橋(銀座)千疋屋を出店。
齋藤義政は福井県で生まれで、年頃になると働き口を求めて上京しました。三代目の当主 代次郎とひょんなことから知り合い、また話すうちに、少年の聡明で実直な人柄の良さが伝わり、千疋屋で雇われることになりました。生真面目で良く働き、頭の回転も良く、千疋屋にとって大きな戦力となっていた義政はその後、番頭として起用され、27歳の若さで暖簾分けを許されます。
そもそも千疋屋総本店の創業は1834年(天保5年)。
あと10年ほどで創業200年とは驚きです。