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240 迎春万歳

ここしばらく、テレビドラマを観なくなりました。
最近観たのは2017年に放映された「下克上受験」でしょうか(ちっとも最近ではありませんが)。
受験生のいた我が家にとっては、舞台設定に共感が持てました。
個人的には、お母さん役の深田恭子さんがステキでした。

その前となると、2005年放映の『電車男』かと思います。
伊藤淳史さん演じる山田剛司に対して、伊東美咲さんが画面いっぱいのアップで「やまださん・・」と呼びかけるシーンを観るたび、自分が呼ばれているような妄想に陥り、恍惚としていました。

そして今年、会社の女性陣からゼッタイに観た方がいいと薦められ、「不適切にもほどがある」を観ました。
ただ、早寝早起きの私にとって、22時から始まる番組をリアルタイムで観るのは不可能なので、U-NEXTで観賞しました。

話が逸れますが、私は毎年、不真面目な(不謹慎な)年賀状を作成しています。

ハズキルーペのCMでシャウトする渡辺謙さんや、ど派手なスーツで日本ハムファイターズの監督就任会見を行った新庄剛志さんに、自分の顔を嵌めたりするのです。

以前は、映画「君の名は。」のポスターの男子学生をセガレの写真に差し替えたりしたものですが、高校・大学と成長するにつれて、オヤジの悪趣味には全く付き合ってくれなくなりました。

セガレのみならず、近年はカミさんまで「私は干支のイラストが入った普通の年賀状を作る」と言い出す始末。

「『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のポスターを使ったときは、小雪さんのところに入って喜んでいたじゃないか!」という怒りの感情を抑えつつ、最近は私1人で用が足りるハズキルーペや新庄監督の画像になってきたという経緯があります・・。

そして、年賀状作成時期の真っ只中、ついに我が家の新作不謹慎年賀状が完成しました。
今年は「不適切にもほどがある」をモチーフにしました。

私はムッチ先輩に、そして、純子役の河合優実さんのところにカミさんが久しぶりの参加となりました。
とはいえ、アラ還夫婦の現在の写真を掲載する訳にはいきませんので、私は大学の卒業式の写真を、カミさんは高校生時代の写真を用いました。
(若い頃の写真なら協力してくれるカミさんもいかがなものかと・・)

この場で年賀状を公開するのは控えさせていただきますが、90点くらいの出来映えかと自己満足に浸っています、

還暦を過ぎたとき、そろそろ真面目な年賀状を・・とも思いましたが、私の友人だけでなく、カミさん宛てに届く年賀状にも「毎年年賀状を楽しみにしています」なんてメッセージが書かれていたりするので、何となしにやめられなくなっています(ごく数人なのに?)。

年賀はがきが値上がりされた今年、年賀状じまいされる方が増えているようです。
しかし、そんなこととは関係なしに「年賀状ってなんなの? 意味分かんない」とセガレは言います。
この世代にとっては至って自然な感想なのでしょうが、「キミね、印刷屋のセガレの発言としては不適切にもほどがあるでしょ」と思う次第です。

127 倒載干戈

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りを、今年もご紹介したいと思います。
全体像がより分かるよう、広角レンズで撮影しました。
スケールの大きさ、伝わりますでしょうか・・。

向かって右側には、一方通行の道路があるのですが、今年はこの路地にも小規模ながら掲示がありました。
小さなお孫さんを持つお年寄りの琴線に触れること間違いないですね。

正月の特別感は、ひところに比べると希薄になってきているように思います。
私が子供の頃、正月になると、母は下着やタオル、歯ブラシなどの日用品を新しいものに変えていました。
さすがに書き初めはしませんでしたが、正月はやや襟を正して迎えるもの、と教えられた気がします。

私にとって、正月の特別感を代表するひとつは初詣でしょうか。
初詣は、父の名付け親が眠る靖国神社へ必ず足を運びました。
裏を返せば、靖国へ行くのは正月だけでした。

子供の頃の習慣はカラダに染み付いてしまうのか、50半ばになった今も、正月は家族を連れて靖国神社へ出向いています。

今年は2日の朝に詣でました。
ご朱印をいただきに行くと、来年ご創立150年を迎えるにあたり、記念のご朱印帳が販売されていたので、迷うことなく購入しました。
ご朱印代別で、1,500円をお納めしました。

靖国神社の中門鳥居の左手には、掲示板があります。
ここには、死を覚悟した若い兵士が、戦地から家族に宛てた書簡が紹介されています。
父が毎年読んでいましたので、必然的に私も読むようになりました。

正直、涙なしで読むことはできません。
と同時に、生まれてくる時代と国を選べない無情を感じます。

年頭にあたり、今の我々の暮らしの背景には、志半ばにして散華した多くの命があることを、心に刻みたいと思います。

001 自己紹介

はじめまして。
零細印刷会社・代表取締役の山田です。まずは、カンタンに自己紹介を申し上げます。

昭和36年10月、日本橋の産院で産声を上げる。
東京都北区田端で9年間過ごした後、文京区千石へに移り、34歳の秋まで千石で暮らす。
東京都葛飾区で生まれ育った妻の実家では、自身を「山の手のお坊ちゃま」と称す。
高校1年生の時、父が独立して印刷会社を起業。
大学受験に際しては、将来のためにと経営学部を選んだものの、授業では刑法に目覚めて隣の経済学部の授業を履修、ゼミナールは海上保険を選択と支離滅裂の果てに、成績表には美しいほどに「可」を並べ、入社試験のなかった父の会社に入社。
40歳の頃、社長に就任。現在に至る・・・。

日々仕事に忙殺され、果たしてどのくらいのペースで公開できるのか甚だ疑わしいのですが、よろしくお願いいたします。