高校生までは自宅近くの「床屋のおばちゃん」に髪を切ってもらっていました。
しかし、大学に入って急に色気づき、「美容院」に行こうと決意しました。
東京生まれの東京育ちでありながら、入学したのは横浜市内の大学。
アタマの中は「横浜の美容院」でオシャレにカットされる姿で充ち満ちていました。
とはいえ、横浜に通うようになって日が浅く、どこを探せば良いのかも分からないまま、たどり着いたのは、横浜スカイビル。
当時、東口では唯一、人が集まっていた場所といっても過言ではないと思います。
美容院の1軒くらいあるんじゃないか・・と思いながら徘徊していると、ありました、憧れの「美容院」。
入口から中を覗くと、ロングヘアをなびかせたステキな女性スタッフさんが目に入り、入店を躊躇していると・・、
「いらっしゃいませ〜! 中へどうぞ〜!!」
全身から気後れ感を放出させている大学1年生の私を、そのスタッフさんは、それはそれは優しく迎えてくれました。
どんな話をしたか、いくら支払ったのか等々、大半の記憶は逸していますが、最後に鏡に映った自分の姿は、今も鮮明に覚えています。
もみあげがパッツンとカットされ、両サイドがキレイに刈り上げられていました。
ただでさえロングヘアのお姉さんを前に平常心を失いつつあるなか、「流しますね〜」と床屋のおばちゃんとは逆の方向に椅子を倒されたことで完全に取り乱し、その後は何を聞かれても「お任せします」と返答したので、どんな結果になろうとも受け入れねばなりません。
両耳付近の形貌は、読売新聞で連載されている4コマ漫画『コボちゃん』を思い浮かべていただければ良いかと思います。
1980年頃の横浜でコボちゃんヘアが流行していたか否かは不明ですが、耳の辺りが涼しいな〜と感じるときがしばらく続きました。
それ以来、美容師さんに髪型を一任するのはやめた、という展開が自然かと思いますが、その後、現在に至るまで、美容院でこうしてああしてと要望したことがただの一度もありません。
注文を出すことは男らしくないというか、煮え切らないというか、女々しいというか、そんな気がするのです。
明らかにおかしな思考回路なのですが、何故そう感じるのか、理由は分かりません。
髪のセットが終わって、鏡に写った姿を最後に見て、あちゃーと思ったことは1度や2度ではありません。
それでも、要望は出しません。
最近は、ツーブロックに仕上げていただいていますが、それとてワタシのリクエストではありません。
ともあれ、信頼している美容師さんに毎回お任せです。
さすがに丸刈りにする、と言われたら抵抗すると思いますが・・。
考えてみると、私にとって美容院は、大切な場所であるように思います。
これまで2人の美容師さんにお世話になってきましたが、どちらも尊敬できる方です。
1人目は、私より10年くらい先輩の「ちょい悪オヤジ」で、大学を卒業してから40歳くらいまでお世話になりました。
東京芸術大学在学中、学生運動に励んだ挙げ句に退学処分を頂戴し、その後は、資生堂美容学校(現在の資生堂美容技術専門学校)に進み、その世界ではちょっとした有名人でした。
バイクが大好きで、私とは違う方向性を持った方でしたので、いつも刺激を受けていました。
結婚式の朝も、お世話になりました。
生まれて初めて眉毛を整えていただいたのは衝撃的でしたし、うっすらとファンデーションを塗って、晴れの日にふさわしく仕上げてくださいました。
また、20代のころ、仮装大会のために女装したいとの無茶なお願いにも、快く応えてくれました。
メイクのグレードがあまりに高いので、参加した女子からは、何をどこにどのように塗っているのか質問攻めに遭いました。
集合場所だった東京プリンスホテル近くの歩道橋で外国人に追いかけられ、ガニ股で走って逃げたのもいい思い出です。
そして、現在お世話になっているのは、私より1つ年上の美容師さんです。
若くしてご結婚されたので、中学生のお孫さんがいますが、これぞ美魔女という女性です。
年齢も近いので、いつもいろいろな話をします。
先日は、セガレのことで相談を持ちかけると、とてもいい言葉をいただきました。
山田さん、子供は授かりものじゃないの、預かりものなの。
授かりものだと思うから、いろいろ注文を付けたくなるの。
今は預かっているだけ。
子供は、いつか、神様に、社会に、返すものなんだからね。
若くして結婚・出産し、30代で離婚。
子育てに悩みながら、離婚後まもなく美容院を起業され、苦労を重ねた同世代からの言葉は、心に染みました。
そして、鏡に映るツーブロックの姿を眺めて、今日は前髪がいい長さだな、と感じながら店を後にしました。