カテゴリー別アーカイブ: 家族

143 磨穿鉄硯

漢字検定の受検日が来週日曜日に迫りました。
そして、昨日、受検票が届きました。
いよいよ近づいてきたな、という思いです。

今日の日中、母親に来週が漢検の受検日であることをメールで伝えると、

「中年のおっさん(笑)頑張れ〜★」

と返信がありました。
因みに★は笑顔の絵文字。

「(笑)」があったり、
「〜」があったり、
絵文字があったり、
81歳の老人にしては、メールが上手です。

今週が検定前最後の週末となりますが、幸いなことに月曜日が祝日です。
この三連休は、最後の詰めの勉強に励みたいと思っています。

週末にやる、と決めている本試験型問題集の今月の得点は、172点、170点、161点。
合格圏内ではありますが、あくまで模擬テストですから、もう少し上乗せしておきたいです。
「とめ」「はね」「はらい」などで減点されるおそれがありますから・・。

その模擬テスト、採点は専らセガレに頼んでいます。
何故なら、自分では気づかない誤りを発見してくれることがあるからです。

先日、私の書いた「藪」という文字に「×」が付いていました。
何が違うのか確認したところ、左下の「女」の上が「串」になっているから「×」だと。

「おいおい、そこ「串」じゃなくて、どう書くっていうんだい?」

「横棒が1本足りないよ( -_-)」

あまりの衝撃で言葉を失いました・・。
何十年も書き違えていました・・。

以来、採点はセガレに任せることにした訳です。

そういえば、セガレの親友のMくんは、6月に準一級に挑戦したものの、合格点に10点ほど足りずに涙を飲んだそうです。

よし、ここは腐りかけた脳ミソを奮い立たせて、中学3年生の先を越してやりましょうかね。

その前に・・、
失格にならぬよう、受検票に写真を貼らないと・・。

142 新進気鋭

Jリーグ、Bリーグ、Vリーグ、Xリーグ。

日本にはいくつものスポーツリーグがあります。
Jリーグがサッカーなのは言わずもがなですが、ほかは以下のスポーツです。

Bリーグ:バスケットボール
Vリーグ:バレーボール
Xリーグ:アメリカンフットボール

そして、今月24日、新たに「Tリーグ」が開幕します。

その正体は「卓球」です。

男女各々4チームで発足します。

T.T彩たま、木下マイスター東京、岡山リベッツ、琉球アスティーダ、これが男子。
木下アビエル神奈川、TOP名古屋、日本生命レッドエルフ、日本ペイントマレッツ、これが女子チームです。

日本の第一人者・水谷隼選手と「チョレイ!」が代名詞の張本智和選手は、共に木下マイスター東京に所属しています。
それから、平野美宇選手と早田ひな選手は日本生命レッドエルフです。

琉球アスティーダには、江宏傑選手がいます。
あの福原愛さんの旦那さんです。

岡山リベッツには、吉田雅己選手が所属しています。
彼が気になっている訳は・・、
名前が私と酷似しているから。

それから、木下アビエル神奈川は注目度大です。
浜本由惟選手、長﨑美柚選手、そして、中国からの袁雪嬌選手など、ビジュアル系の選手が多くいます。

記念すべき開幕の年、卓球部所属のセガレからの要望もあり、チケットを購入しました。
木下マイスター東京 vs 岡山リベッツのアリーナ席で、価格は7,500円でした。

東京ドームのジャイアンツ戦内野指定席Sは6,200円。
再来週開催される、ゴルフのブリジストンオープン土日綴り券(前売り)は5,000円。
大相撲のマスA席が11,700円、マスB席が10,600円。

そういえば、先日チケットぴあで購入した葉加瀬太郎さんのコンサートは8,500円でしたっけ。
これらと比較して高いのか安いのか‥。

個人的には張本くんの試合が楽しみです。
「チョレイ」がうるさいとか出自のことなどが囁かれることもあるようですが、まだ中学3年生でありながら、世界と戦う姿は、応援せずにいられません。

卓球は近年ブームになっていますが、束の間の流行に終わらず、このリーグが拡大発展していくことを祈りたいと思います。

139 博学多才

先日、一人で映画を見に行きました。
定年退職後の男の悲哀を描いた、内館牧子さん原作の「終わった人」です。

東京大学を卒業後、メガバンクに就職し、エリート街道を走っていたものの、同僚との昇格争いに敗れ、出向先の子会社で定年を迎えるという設定でした。

主演を演じていたのは舘ひろしさん。
スクリーンに映る姿で印象的だったのは、すごく足が長いこと。
そして、スーツがハンパなく似合うこと。
68歳という実年齢とはかけ離れたビジュアルに、大変驚きました。

ところで、私は、東京大学本郷キャンパスから歩いて20分ほどの場所で生まれ育ちました。
しかし、立地的な距離は近くても、偏差値の面では非常に遠いところでした。

ところが、私の実家の近くには、東大出の方がたくさんいます。
実家の向かいのご主人が東大。
2軒となりの息子さんも東大。
なんでも「東大通り」と呼ばれる、東大率が異常に高い一角も近くにあるそうです。

私の同級生にも東大に進んだ仲間がいます。
ひとりは、中学3年のとき斜め前に座っていた青木君。
確か、30代にして、どこかの大学教授に就任したはずです。

そして、同じく中学の同級生で伊藤君。
奥様はテレビ等で有名な方です。

それから、もう一人、印象的な東大生がいます。
セガレの通うピアノ教室で知り合った、現役3年生のTちゃんです。

彼は小さい頃から、抜群にピアノが上手でした。
将来はその道に進むのではないかと思うくらい、その実力はほかの生徒と完全に一線を画していましたが、本人もお母さんもその力量をまったく鼻に掛けないところがまたニクイのです。

中学高校は都内でも指折りの私立学校に進んだのですが、「6年生の秋頃になって急に受験するなんて言い出して・・。本当に計画性がないんです・・。」なんてお母さんは謙遜するのでした。
小学校低学年から塾に通って受験体制を整えている子供がいる反面、彼はわずか半年足らずの準備で合格を果たした訳です。

当然、東大も一発合格・・、ではなく、ここではちょっと回り道をしたようです。
現役のときは運悪く不合格となり、私立の雄と称される大学に一旦は入学しましたが、どうしても東大への夢を諦めきれず、翌年再チャレンジして見事合格を勝ち取ったのです。

もちろん、陰で相当勉強を積んだのでしょうが、いとも簡単にリベンジしたように見えるんですね。
イチロー選手が、スルッと偉業を達成しちゃう、そんなイメージに似ています。

凡人とは、何かが違うんでしょうね・・。
そして、その何かが決定的な差なのでしょうね・・。

サイトによると、平成30年度の一般入試の募集人員は、文科一類から理科三類まで合計で2,960名だとか。

「東大ってさ、毎年2,960人も入れるんだぜ。約3,000人の中に入ればいいんだからさ、ひょっとしたらイケるんじゃない?」

セガレに鎌をかけてみました。

「ああ、だいじょぶっしょ。」

無責任な質問を投げる親に、中身スッカスカの答えを吐き出すセガレ。
like father, like sonですね・・。

131 百花斉放

新聞の大学特集ページで、母校に昨春「都市科学部」が新設されたことを知りました。
この学部は、以下4つの学科を有しているそうです。

  1. 都市を担う人々や文化、社会のあり方を考える「都市社会共生学科」
  2. 都市空間やコミュニティ、生活像をデザインする「建築学科」
  3. 土木工学を軸に防災や環境などの課題に取り組む「都市基盤学科」
  4. 都市の利便性と自然・社会環境から生じるリスクとの均衡を図る「環境リスク共生学科」

建築学科については、横浜高等工業学校建築学科を前身とする歴史ある工学部の理念やノウハウが生かされているのかも知れません。
しかし、これら学科についてサイトをよく見てみると、文系・理系両方の要素を含んでいて、今ドキな印象を受けます。
新聞記事にも、文系と理系を横断した「文理融合」の人材育成が謳われています。
先行研究の少ない、いわば挑戦的な領域でもありますので、今後の発展を期待したいものです。

昭和55年4月。
私が入学したときは、経済学部、経営学部、教育学部、工学部の4つの学部で大学は構成されていました。
そして、私の所属していた経営学部には、経営学科、会計学科、管理科学科の3つの学科がありました。

しかし、設立50周年を迎えた昨年、1学科体制で新たなスタートを切ったようです。
サイトには「特色ある施設・プログラム等」というタイトルで、現在の学部の様子が以下のように紹介されています。

◎経営学部情報センター
100台余りのPC端末が備えてあり、PCを利用した会計教育や英語教育、ビジネスゲームなどを行っています。また、情報検索、情報発信、研究・学習サポートなども行っています。

◎充実した体験型授業
「ビジネスゲーム」では、コンピュータ上に構築された仮想的マーケットの中で、複数の学生が企業の経営者として商品の生産、仕入れ、販売を行い競い合います。また、「マイプロジェクトランチャー」では、学生自らプロジェクトを作成、プレゼンを行い、プロジェクト実践能力を磨いていきます。

e-ラーニングによる効果的な学習
2年次必修外国語科目「英語演習」の課外の自習課題「アルクNet Academy」は、パソコンで行います。これは、TOEIC対策の自習プログラムで、リーディングとリスニング及び模擬演習問題のトレーニングができます。その他にも会計CAIなどパソコンを使った効果的な学習を行うことができます。

企業トップを講師に迎えた講義群
一般的なプログラムの他に、「経営者から学ぶリーダーシップと経営理論」、「ベンチャーから学ぶマネジメント」といった毎週代表取締役クラスの経営者を迎え、様々な角度から企業経営を学ぶ授業があります。インターンシップはこれらの授業を履修してから行います。

PCを利用したビジネスゲーム?
仮想マーケットで学生が経営者として競い合う??
経営者から企業経営を学ぶ???

我々の頃には考えられない授業内容の羅列に、我が目を疑ってしまいました。
35年も経っているのですから、変わって当然なのですが・・。

横浜国立大学は、元々、鎌倉や弘明寺などにキャンパスが分散していましたが、昭和49年8月、程ヶ谷カントリー倶楽部移転跡地に常盤台キャンパスを設置し、これらを統合・移転しました。
私が入学する6年前のことです。

実際、受験前に初めて見学に訪れたとき、学内は総じてキレイでした。
「こんなキレイなキャンパスで勉強できたらいいなあ」と、若干感動すら覚えたものです。
純粋というか無垢というか、受験勉強で心が病んでいたというか・・。

そんな清らかな気持ちで受験したにも拘わらず、入学後は、受験勉強に明け暮れた日々の仇をとるかの如き、遊惰でなまくらな生活に陥りました・・。
入学が決まった時、父から「国の税金を使わせていただくことを肝に銘じて、4年間過ごすように。」と言い付けられたにも関わらず・・。
当時の授業料は年間18万円でしたから・・。

今日は、3月4日。
昭和55年の今日、国立大学の二次試験だったと記憶しています。

共通一次試験の点数で劣っていた私は、ここで大逆転劇を演じなければなりませんでした。
二次試験の願書提出にあたり、過去の入試統計と予備校の自己採点資料をとことん研究し、180人抜き去る必要があるという、実に厳しい結論に至ったのです。

「あそこからあそこの列までの受験生に勝たないとダメなんだな。よ~し!!」

試験会場で、めちゃめちゃ気合いが入っていたのを覚えています。
しかも、48年も前のことが、まるで昨日のことのように思い起こされます。

結果としては・・、
繰り上げ合格だったので・・、
150〜160人くらいしか、逆転できなかったのではないかと思います・・

私の母校は、総合大学と呼べるほど大きな規模ではありませんが、それでも経済・経営・教育・機械・海洋・造船など、様々な分野の学問を学ぶことが可能でした。
しかしながら「大学生は、時間がたくさんあって、お金がちょっとあって、責任がない!」などと傲語していた学生時分を恥じるばかりです。

この歳になって、もっと勉強しておくべきだったと痛感しても、後の祭りですね。

129 狷介不屈

今朝、上野公園に行きました。

最初の目的地は、スターバックスコーヒー・上野恩賜公園店。
店内の大きな窓から、自然豊かな園内が眺められ、とても居心地の良い空間です。
8時の開店と同時に入店し、朝食を食べ、読書をし、1時間ほど過ごしました。

また、このスタバの西側には、上野動物園の表門があります。
9時半の開園まであと1時間半以上あるというのに、こんなに列ができていました。

お目当ては、もちろんシャンシャンでしょう。
テレビ局のアナウンサーかレポーターと思しき女性もいましたし、その人気は相変わらずのようです。

いつからか、ポストもこんな装いになっていたんですね。

さて、私の主たる目的は国立科学博物館での「南方熊楠」に関する企画展の見学です。

み・な・か・た・く・ま・ぐ・す。

スゴイ名前ですね。

正直に申し上げますと、ワタクシ、その存在を知りませんでした・・。
先日、カミさんとセガレが見学してきたと聞き、私も行こうと決めた次第です。

余談ですが、私立中学に通う生徒は、2月1日頃、入試のため学校が休みになります。
我が家の場合、2月1日から3日まで、部活も含めて休校となりました。
その休暇を利用して、親子で博物館に行ったという訳です。

さて、展示を見終えて、南方という人物にとても興味を覚えました。

  • 小学生の頃、全105冊の百科事典「和漢三才図会」を知人の家で閲覧し、それを暗記して自宅で写しを作ったと言われている。
  • 明治17年、東京帝国大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入学。夏目漱石や正岡子規は同級生だった。
  • 学会に入ること、学位を受けることを非常に嫌い、生涯、在野の学者として、研究に勤しんだ。
  • 多数の菌類を集め、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成した。そこには、整理番号、名前、採集地、採集年月日、生育地に環境を記し、水彩画を描き、標本を貼り付け、生物学的性状については英語で記載した。
  • これらの図譜には、非常に多くの新種が含まれていたにも関わらず、論文として発表しなかった。即ち「どうだこんなに集めてスゴイだろう」と無邪気に自慢する面があった。
  • 激しい癇癪持ちで周囲を困らせたが、学問に打ち込んでいると落ち着いていられたので狂人にならずにすんだと自ら記している。
  • 大学の講演会で、酔っ払って壇上に上がり、百面相をして立ち去ったとか??
  • キューバに渡った際、サーカス団に入り、キューバ革命にも参戦したとか??
  • 異常なまでの多汗症で、一年中裸で過ごしていたとか??
  • 自在に反吐(へど)を吐くことができ、気に喰わぬ者を追い帰したとか??

いやいや、紙一重ですね(笑)。

自筆の書簡や日記は、一見の価値ありだと思います。
3月4日まで開催されていますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

最近、文化や芸術に触れることを意識しています。
美術館や博物館のほか、映画、落語、歌舞伎、芝居など、ジャンルは多種多様が良いと思います。

先日観た映画「ギフテッド」も良かったなあ・・。
さあ、心豊かな中年をめざして頑張るか。
急がないと老年になっちゃうし・・。

128 心定理得

週末、会社のオンデマンド機を入れ替えました。
現在のマシンのリースがまだ残っていたのですが、機能が向上した上位機種を導入することにしました。

設置前に、200ボルトへの電源工事が必要でした。
業務に支障を来さないよう、金曜日夜7時から施工していただきました。
遅い時間や週末の作業依頼が多い電気工事の方は、大変ですね。
ついでに、という訳ではありませんが、トイレのコンセントがブラブラしていたので見ていただいたところ、気持ちよく修理してくれました。
すべての作業が終わったのは、午後9時半過ぎでした。

そして、土曜日。
いつもより少し遅めの7時過ぎに出勤すると、ゼロックスの担当者が9時過ぎに来社。
その後、10時頃から搬出と搬入が始まりました。

水平を測ったり、部品を取り付けたり、色調整をしたり、プリンタドライバをインストールしたり、以前のマシンからジョブを移行したり・・。
多くの作業を抱えるなか、一部円滑に運ばなかったところもあり、終了したのは予定の午後3時を大幅に超え、まさかの8時でした。

加えて、日中、私をひどく悩ませてくれる事件がまたもや舞い込み、土曜日帰宅後はヘナヘナでした。

夜の8時や9時・・と思われるかもしれませんが、毎朝6時半(今週は雪の影響もあって6時)に出勤している朝型人間の中年男には、降雪から始まったこの1週間は些かハードでした。

なおもってまずかったのは、その夜です。

夕飯もそこそこに風呂に入り、浴槽で「ふう・・」とため息をついたとき。
補聴器を付けたまま風呂に入ってしまったことに気づき、急いで外そうと左耳を触ったところ、肝心の補聴器がないのです。

あれ?今朝は久々に補聴器付けたよな・・」

先週末から風邪気味で毎日マスクを付けていたので、今週は補聴器を装着していませんでした。
というのも、補聴器とマスクを同時に付けることは可能なのですが、マスクを外すと補聴器も一緒に取れてしまうので、今週は補聴器を装着しなかったのです。

「でも今朝は間違いなく装着したはずだよなあ・・」
「帰宅する前に外した記憶はないしなあ・・」

その時点で、保管ケースを確認するなり、脱衣カゴ周辺を探すなりすれば良かったのですが、疲れていたことと、精神的にややイライラしていたこともあり、浴槽で疲れてぐったりしてしまいました。

そして、風呂でリフレッシュし、補聴器のことをすっかり忘れ、パソコンに向かって仕事をはじめてしばらく経った頃。

「おとーーさあーーん!!」

カミさんの声のテンションがいつもと違います。

「補聴器、洗濯機で洗っちゃった!脱水もかけちゃった!!どこに置いてあったのか、全然気付かなかった!!!」

シャツを脱いだとき、一緒に落下して、衣服に紛れたようです。

取り敢えず装着してみると・・、
やはり作動しません・・・・。

補聴器、22万円でした・・。

社員によく言う「確認」。
やっぱり「確認」はすぐやらねばダメですね。
風呂から上がってすぐなら、脱衣カゴで発見できたはずです。

「行動や道理を正しく、心を安定させよ」という神様のお告げですね。

127 倒載干戈

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りを、今年もご紹介したいと思います。
全体像がより分かるよう、広角レンズで撮影しました。
スケールの大きさ、伝わりますでしょうか・・。

向かって右側には、一方通行の道路があるのですが、今年はこの路地にも小規模ながら掲示がありました。
小さなお孫さんを持つお年寄りの琴線に触れること間違いないですね。

正月の特別感は、ひところに比べると希薄になってきているように思います。
私が子供の頃、正月になると、母は下着やタオル、歯ブラシなどの日用品を新しいものに変えていました。
さすがに書き初めはしませんでしたが、正月はやや襟を正して迎えるもの、と教えられた気がします。

私にとって、正月の特別感を代表するひとつは初詣でしょうか。
初詣は、父の名付け親が眠る靖国神社へ必ず足を運びました。
裏を返せば、靖国へ行くのは正月だけでした。

子供の頃の習慣はカラダに染み付いてしまうのか、50半ばになった今も、正月は家族を連れて靖国神社へ出向いています。

今年は2日の朝に詣でました。
ご朱印をいただきに行くと、来年ご創立150年を迎えるにあたり、記念のご朱印帳が販売されていたので、迷うことなく購入しました。
ご朱印代別で、1,500円をお納めしました。

靖国神社の中門鳥居の左手には、掲示板があります。
ここには、死を覚悟した若い兵士が、戦地から家族に宛てた書簡が紹介されています。
父が毎年読んでいましたので、必然的に私も読むようになりました。

正直、涙なしで読むことはできません。
と同時に、生まれてくる時代と国を選べない無情を感じます。

年頭にあたり、今の我々の暮らしの背景には、志半ばにして散華した多くの命があることを、心に刻みたいと思います。

124 一挙両得

弊社は、社員全員にインフルエンザの予防接種をするよう伝えています。
少ない人数ですから、費用は会社が負担しています。

今年は、ワクチンが不足しているというニュースをよく耳にします。
6月にワクチン製造につかうウイルス株を変更したため、生産が遅れているからだそうです。

先日、大学病院で長くお世話になった先生が開業されたと知り、ご挨拶旁々お電話したところ、運良く在庫があり、私はすぐに接種していただくことができました。

ところで・・、
インフルエンザの時期になると、思い出すことがあります。

30代のころ、小学校からの親友が「おたふく風邪」で入院騒ぎになりました。
仲間とふたりで見舞いにいくと、既に回復に向かっていたものの、一時はかなり深刻な症状だったそうです。

「39度の高熱が出てさ、アソコが3倍くらいに腫れちゃってさ。まいったよ。」

アソコが3倍ってどんなんだよ!と、不謹慎にも友人と大笑いしつつ、大人が罹患すると重症化するのは間違いなさそうなので、その日のうちに母親に確認してみました。

「あ〜、ごめんね〜。ハシカとミズボーソーは間違いなくやったけど、オタフクだけ覚えてないのよ。」

それから10年以上が経ち、セガレが幼稚園に通っていたある冬。
複数の園児がおたふく風邪に罹ったと連絡がありました。
母親から心許ない情報をもらっていたので、まずは予防接種だ、と近くのクリニックへ行きました。

担当してくれたのは40歳前後のハキハキした男性医師。
やや話し好きな医師は、たわいもない話を私に投げかけ、中年男2人の診察室は、和気藹々とした雰囲気でした。
「じゃあ利き手じゃない方の左腕に注射しますね。」
カミさんが事前に予約してくれたので、すべてスムーズに進みました。

「空き箱、持って帰られますか?」

服装を整えていた私に、医師は意外なことを言いました。

アンプルの入っていた箱?
要らないよなあ、普通・・、と思いつつ、

「有難うございます。記念に持って帰ります。」

愛想笑いしながら空き箱を受け取り、診察室から出ようとすると「インフルエンザ」という文字が目に入りました。

「あの〜、先生、ワタシ、おたふく風邪の件で来たのですが・・。」

「あっ・・」

あれ?今「あっ」って言った気がするなあ・・、と思っていると、先生は慌てて部屋の奥へ行き、小走りで戻ってきました。

「あの、山田さんですよね、あの、ごめんなさい、あの、インフルエンザの予防接種をしてしまいました。朝からインフルの患者さんばかりだったので・・、えーと、あります。おたふく風邪は生ワクチンなので、冷蔵庫でちゃんと・・。えーと、ご予約いただいてますからね、お名前もちゃんと・・。」

完全にしどろもどろでした。

「すぐ射ちますから・・、ゴメンなさい・・。」

「いっぺんに2つもですか?大丈夫なんですか?」

「それは大丈夫です。問題ありません。アメリカでは、同時に接種するのが通常ですから。」

いやいや、オレ、バリバリの日本人なんだけどなあ、いやだなあと思う間も無く、右腕に注射針が刺されました。
結局、左腕にインフルエンザ、右腕におたふく風邪と、両腕に予防接種を受ける不測の事態となりました。

最後に、会計窓口での支払いの際、やや年配の女性スタッフがやや控えめの笑顔を浮かべながらこう言いました。

「インフルエンザの方は、サービスさせていただきます(^^)」

得をした、と喜ぶべき出来事なのでしょうか・・。

123 才子多病

幼い頃悩まされた自家中毒という病が一段落すると、次は、起立性調節障害という病気をいただきました。
学校の朝礼などでずっと立っていると、貧血のような状態に陥り、頭がフラフラして立っていられなくなるのです。

バタンと倒れてしまうことはありませんでしたが、近くの友達に「ゴメン、ダメ」とサインを出すのが常でした。

この起立性調節障害、Orthostatic Dysregulationを略してODと呼ばれています。
思春期に起こりやすい自律神経機能失調と考えられていて、急激な身体発育のために自律神経の働きがアンバランスになった状態、と説明されています。
主たる症状は以下のとおりです。(引用:http://inphs-od.com)

  1. 朝に起きられない
  2. 立ちくらみ
  3. 全身倦怠感
  4. 食欲不振
  5. 立っていると気分が悪くなる
  6. 失神発作
  7. 動悸
  8. 頭痛
  9. 夜になかなか寝つけない
  10. イライラ感・集中力低下

私の症状は、4と5でした・・。

検査をしても異常がなく、医学的に説明がつかない症状を「不定愁訴」というのだそうです。
起立性調節障害は、血液検査など一般的な検査では異常がみつからないため、不定愁訴と同じように扱われることがよくあるとのことです。

この病気に小児科医が注目を寄せ始めたのは1960年代だそうですから、1961年生まれの私が、単に「ひ弱な子供」として処理されずに起立性調節障害と診断されたことは、運が良かったと言えるかも知れません。

また、ODの子供たちの約3割は不登校を合併しているそうですから、私よりもっともっと深刻なケースも多いでしょう。
不定愁訴が疑われる子どもに対して、医師は起立性調節障害かどうかしっかりと診断して欲しいと切に思います。

そういえば、印象的な出来事がひとつあります。
小学校5年生頃、体育館で校長先生の話を聞いていた時のことです。

「おい、山田、大丈夫か?」
「え???何のことですか???」
「何言ってるんだ、お前、いつも具合が悪くなるじゃないか。」
「はあ、今日は全然平気です・・。」

担任の先生に声を掛けられるまで、その日は何の異常もなく、至って元気でした。
ところが、声を掛けられたことで「思い出してしまった」のです。
そりゃそうだ、オレってこういう時にちょいちょい具合悪くなるよなあ、と。

それから10分もしないうちに、前にいた友達の背中をつつきました。
「わりー、具合悪いわ。」

ワタクシ、わりと繊細な少年でありました。
そして、健康面では両親にずいぶんと心配を掛けた少年でした。

加えて・・、
才知に優れた人はとかく病気がちであるというけれど、才知と病気のバランスが取れていないなあと、自らの子供時代を嘆くのでした。

122 奇々怪々

私は幼い頃、体があまり丈夫ではなく、幼稚園や小学校を一年間休みなく通うことはできませんでした。
それは、「自家中毒」という持病を抱えていたためでした。

腹痛や嘔吐を繰り返すので、症状は「食中毒」と似ていますが、全く関係はありません。
周期性嘔吐症と呼んだり、血液の中にアセトン(ケトン体)が増えるので、アセトン血性嘔吐症と呼んだり、現在では、その病態をさしてケトン血性低血糖症とも言われています。
(出展:https://www.ishamachi.com/?p=35551)

自家中毒の特徴についても、ネットで調べてみました。

①2~10歳くらいの間で見られ、5・6歳が発症のピーク。
②思春期になると治る。
③やせ型で繊細な子供に多く発症する。
④心配性で「失敗したどうしよう」などと先回りして考えてくよくよしてしまう性格の子供や、逆に楽しいことを想像してワクワクが止まらなくなってしまうなど、感情が盛り上がりすぎてしまう子供などにも見受けられる。

見事なまでに、私の子供時代を言い当てています。
因みに④は後者です。
人一倍楽しみにしていた運動会や、夏休みの家族旅行直前になると体調を崩すという、すこぶる残念なタイプの少年でした。

自家中毒を発症すると、母親におんぶされ、かかりつけ医に連れて行かれました。
母にしてみれば、可哀想半分、情けない半分といった心境だったことでしょう。
一方、私は、繰り返す嘔吐で体力が落ちている中、「またかよ」と気持ちも凹んでいたわけで、母の背中に癒され、勇気づけられたのを覚えています。

症状が落ち着いて、徐々に食欲が戻ってくると、母は消化の良い食事を用意してくれました。
決まって登場したのは、リンゴとはんぺんでした。

おでんの具人気ランキングの上位に必ず登場するこの「はんぺん」。
大人になってからは、好んで食べなくなりました。
美味しい美味しくないではなく、私にとっては「体調を崩したとき食べるもの」という印象が定着してしまったのです。
今でも、はんぺんを見ると、狭いアパートの一室で嘔吐していた、切なくて心細い気持ちを思い出します。

思い出すといえば、自家中毒を発症した時だけ会える「おじさん」がいました。
会えると言っても、四畳半の一室の決まった壁に「像」が浮かび上がるのです。
その像が見えるのは、自家中毒で布団に伏しているとき、という限られた条件下だけで、元気なときに現れることは決してありませんでした。
その「おじさん」はいつも同じ表情をしており、恫喝したり恐怖を与えたりすることは決してありませんでしたが、「あの場所におじさんが見える=今オレは病気なんだ」と確認させられる存在でした。

あれは、一体どういう現象だったのでしょうか?

不思議の国のアリス症候群という病気があるそうです。
その症状は、目の前にある物の遠近感覚が狂ってしまったり、時間の感覚がおかしくなってしまったり、壁に顔が浮かんで見えたりするそうです。
う〜ん、ちょっと違うような気がします。

実は、大人になってから、たった一度だけあのおじさんに会ったことがあります。
昼寝をしていたとき、夢に現れたのです。
しかも、体調不良ではなく、元気なときに。
ほろ苦い思いと、ちょっと嬉しい思いが交錯した記憶があります。

今日は私の56回目の誕生日です。
母へ感謝の意を表しつつ、子供の頃の不思議な話をしたためてみました。