月別アーカイブ: 2024年7月

234 一天四海

先週は、水曜日から金曜日までの3日間、ほぼ終日撮影の立ち合いでした。
初日のお昼頃に屋外で撮った集合写真は、撮影時間は10分ほどでしたが、準備のために1時間以上炎天下にいたので、終わったあと少しフラっしました。
立ち位置を決めたり、試し撮りのためのモデルになったり、カメラマンの助手を務めただけでフラフラするのですから、この暑さは異常としか言いようがありません。

特に、真夏のスポーツは危険と言わざるを得ません。

象徴的なのが、甲子園球場で行われる高校野球でしょうか。
生徒たちの健康面を心配する声が上がってから久しいですが、今年の大会は、暑さ対策の一環として、8月7日から9日の3日間の日程で「午前の部」と「夕方の部」の2部制が導入されるそうです。

大会第1日の8月7日は、午前8時半からの開会式後、午前10時から第1試合を開始。
夕方の部として、第2試合を午後4時、第3試合を午後6時半から行い、8月8日と9日の第1試合は午前8時、第2試合は午前10時35分、第3試合は午後5時に試合開始予定とのことです。

ナイトゲームになる可能性もありそうなスケジュールですが、学生の健康を一番に考えて改革を進めて欲しいと切に思います。

また、今、オリンピックが開催されているフランスの気温を日本気象協会のホームページで調べてみると、日本時間7月28日のパリの最高気温は23℃、最低気温は14℃。
向こう1週間の予報を見ても、パリの最高気温は最も高い日で29℃でしたから、東京に比べれば暑さの面では好条件かも知れません。

ただ、サッカーが行われるボルドーでは、29日の予想最高気温が42℃、30日は39℃とのことですので、油断なりませんね・・。

さて、撮影の話に戻ります。
7月27日(土)に、東京大学の生態調和農学機構(東大農場)で観蓮会が開催されると、1ヶ月ほど前にセガレが教えてくれました。
一般公開されるのは、この1日だけ。
撮影続きだった流れそのままに、カメラを持参し、早起きして行ってまいりました。

開園時間は朝7時。
田無駅から10分ほど歩いただけで汗びっしょりになりながら、7時15分頃到着しましたが、すでに大勢の人が観賞に訪れていました。

300種類以上の花ハスが栽培されている中で、私が注目していたのは「大賀蓮(おおがはす)」。
ハス見本園のホームページでは以下のように紹介されています。

大賀蓮は1951(昭和26)年に大賀一郎博士を中心に、千葉市旧検見川町にあった東京大学厚生農場(現 検見川総合運動場)の地下の青泥層より発掘したハスの果実(種子)を発芽・開花させて得られた系統です。発掘された果実は、2000年以上も地下にあったと推定され、古代蓮と称されています。また、植物の生命力の象徴ともみなされて、発掘から半世紀以上を経た今日においてもなお人気を博し、全国各地で栽培されています。ちなみに、発掘されたハスの果実は3粒、最初の1粒を見つけたのは発掘に協力していた千葉市立第七中学校(現 花園中学校)の女子生徒、うち発芽したのは1粒だけだったようです。

2,000年以上地中にあった種子を発芽させたなんてロマンがありますね。
実物はピンク色のかわいらしい花でした。

大賀蓮

また、ピンクが印象的だった「紅万々」も魅力的でした。
ややハスの概念を覆すようなキレイなピンクでした。

紅万々

ここ、東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構ハス見本園(正式名称はこんなに長いのです)では、実に多くの品種が観賞できます。
事前にネットで調べていた品種を見ようにも、どこにあるのか探すのが大変かと思いきや、入口でいただいたパンフレットに植栽図が印刷されていました。
これはとても有益でした(現地でポケットに入れていたため、しわくちゃですが・・)。

なお、今回のタイトル「一天四海」は、この日、私が一番キレイだなと思った品種です。
四文字熟語ではありません、あしからず。

一天四海:花弁はやや幅広で大きく、花色は白の地色に薄紅色が斑状に現れる。斑の位置は不規則で花弁の表裏で異なる。葉面はざらつく。花経は25〜28cm。花弁は15〜19枚の一重咲き。花期は7月上旬〜9月上旬。(東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構ハス見本園 2024年パンフレットより転載)

233 現状打破

小学校からの親友・Kくんは、学年で一番足が速く、運動神経が抜群でした。

中学生のとき、Kくんを含む7〜8人で、深夜に公園で集まっていたらお巡りさんに咎められました。
タバコは所持していませんでした(と思います)が、その場の流れで、蜘蛛の巣を散らすように一斉に逃げました。
運良く全員逃げ切れましたが、中でもKくんは息を切らすこともなく、何事も無かったように涼しい顔をしていました。

そんなKくんと私は、若い頃から同じ悩みを抱えていました。
お互いおでこが広く、髪の毛のボリュームが少ないタイプだったので、「オレたち若くしてツルッといっちゃうのかね・・」「50歳くらいまでは頑張りたいよね・・」と10代の頃からハゲましあってきました。

そんな中、20代後半のとき、私は仕事で化粧品会社の女性社長と親しくなりました。
若ハゲを気にしていた私に、その社長はストレートにこう言いました。

市販のシャンプーにはね、界面活性剤っていう水と油が混ざっちゃう成分が入ってるの。
天然成分で出来ている石けんシャンプーにしないと、40歳頃にはツルツルになっちゃうよ!

単純な私は、その日の夜から石けんシャンプーに切り替えました。
以来35年ほどが経ち、おでこは相変わらず広いままですが、薄毛という点では「どうにか持ちこたえた」のではないかと思います。
年齢相応を維持できたのは石けんシャンプーのお陰だと、あの日の社長の一言にすごーく感謝しています。

50歳代の半ば頃、Kくんと「勝利宣言」をしました。
「どうにか持ちこたえた」髪を見合って、「このトシでこのくらいなら十分だよね!」と喜び合ったのです。

因みにそのKくん、今は髪が真っ白です。
数年前に、白髪を染めないことに決めたのです。

Kくんは元々イケメンでしたので、今、正にハクハツのイケオジです。
真っ白なオールバック姿で、お孫ちゃんと遊んでいるようです。

勝利宣言をした頃から、私も白髪が徐々に増えてきました。
抜け落ちてしまうことを考えたら、白髪染めなんて苦じゃないや、と最初の頃は思っていましたが、風呂場で2日に1回程度染めなければならない現実が、そこそこ面倒になってきました。

今年の春頃、行きつけの美容院に行ったとき、「試しに前だけ染めてあげようか」とのお言葉に甘え、人生初の白髪染めを経験しました。
地肌が黒くならない特殊なクリームを塗って、耳にはビニールのキャップのようなものをはめ、白髪染めが始まりました。

短髪ですし、染めるのは生え際だけですから、さほど時間も掛かりませんでしたが、その出来栄えは感動モノでした。
自分で染めたときとは雲泥の差、生え際が隙間なく黒々となりました。

以来、美容院に行くたびに生え際を染めていただいていましたが、今回は生え際だけでなく、髪の毛全体を染めてくれました。

帰宅して鏡を見てびっくり。
白髪がまったくありません。

「見て見て、白髪が1本もなくなったよ!!」

「あら、ホントだ。ずいぶん印象が変わるね〜!」

カミさんもその変貌ぶりに驚いていました。

「こんなに黒々とした髪なら、まだまだオレもひと勝負できるな!(何の勝負だ)
どこ行くかな・・、銀座か? 六本木か?」

「巣鴨のとげぬき地蔵がいいんじゃない?」

おいおい・・。