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235 帰馬放牛

子どもの頃、初詣は決まって家族で靖國神社に行きました。
参拝に行くと、拝殿の手前の中門鳥居で一旦足を止め、「兵隊さんが戦地から家族へ宛てて書いた書簡を読みなさい」と父に言われました。

自らの命が残りわずかであることを悟るなかで、両親のからだを気遣い、弟や妹には立派な大人になって親孝行するように言い含める内容が多かった印象です。
二十歳前後の青年がしたためた文面が、悲しくて、崇高すぎて、こんな不幸な時代がほんの少し前にあったことの衝撃を、毎年正月に感じていました。

私は毎年拝読しましたが、母は、前途ある若者の最後の手紙が可哀想で可哀想で、あまり読みたくないんだとこぼしていました。

今月掲示されているのは、昭和20年4月、沖縄で命を落とした長野県出身の21歳男性が家族へ送った手紙です。
戦争とは本当に愚かな行いなんだと、改めて思い知らされる内容です。
(https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html)

正月に靖國神社に出向く理由は、父の名付け親が靖國に眠っているからだ、ということは漠然と聞かされていましたが、細かなことは知りませんでした。
そこで、先日詳しく話を聞いてみました。

その名付け親とは、父にとっては叔父にあたる方で、兄弟の末っ子でしたので、比較的歳が近い叔父でした。
幼い頃、一緒に遊んでくれた優しい叔父は、昭和20年、フィリピン沖で還らぬ人となりました。

当時、叔父には故郷に許嫁がいたそうです。
父もその女性の姿に、記憶があるそうです。
気立ての良い女性だと家族からも大変に評判の良い方で、皆が結婚することを待ち望んでいたそうです。
しかし、その望みが叶うことはありませんでした。

戦死の報せが届いた日、許嫁の女性と父の両親が、家の片隅で抱き合って泣いているのを見たそうです。
その光景は何年、何十年経っても忘れられないと、父は話していました。

月日は流れ、昭和24年。
父が上京し、住み込みで働くことになった際、母親からこう言われたそうです。

「伊豆の田舎から靖國神社へ出向くのは容易でない。お前がきちんと参拝するように。」

初詣にそんな背景があったとは、驚きでした。

私にとって最も身近な神社は靖國神社ということになりますが、現在の私の趣味である神社巡りの根っこがそこにあるかと言えば、そうではないように感じます。

ただ、靖國神社のホームページで、「護國神社」の存在を知りました。
護國神社とは、郷土の出身者またはゆかりのある方々で、戦場に赴かれ亡くなった軍人・軍属・勤労動員で亡くなられた一般市民の方々など、国家のために尊い命を捧げられた戦没者の御霊を御祭神としてお祀りする神社です。

基本的に道府県に1社(東京都と神奈川県にはありません)、全国に52社ありますので、地方に行くと必ず護國神社を参拝することが習慣となりました。
この習慣は、子供の頃から靖國で拝読していた書簡に起因していることは間違いないと思います。

これまでに参拝させていただいたのは、埼玉、千葉、廣島、栃木、京都、山梨、石川、茨城、宮城、静岡、福岡、愛知、群馬、新潟、奈良の16社(参拝順)。
52分の16ですから、まだ三分の一にも届きません。

私にとって靖國神社や全国の護國神社は、祖国を守り家族を守ろうと戦い続けた多くのご英霊に感謝を伝える場所であり、恒久平和を祈る場所です。
戦争を美化したり、責任追及する場ではありません。

作家でジャーナリストの門田隆将氏の著作で、大正生まれの男子は、7人に1人が戦死していると知りました。
私の敬愛する母方の伯父は、何度も出征しましたが、九死に一生を得て生還した大正生まれの1人です。
しかし、99歳で亡くなるまで、家族にも戦争の話はほとんどしなかったそうです。

ただ、「戦地でいろんなことがあったから、オレは晩年、幸せになれないと思う」とくぐもった声で言ったことがあると、母が教えてくれました。
伯父は、生きるか死ぬかの極限状態を何度も生き抜いてきたのでしょう。
その心中は、私には察することすらできません。

ところで、79回目の終戦記念日を迎えるにあたり、ネットで意外なニュースを目にしました。
パリ五輪を終えて帰国した卓球日本代表の早田ひな選手が、報道陣の質問に対してこんなコメントをしたそうです。

福岡・北九州市出身の早田には、パリ五輪が終わり同じ九州地方で行きたい場所があるという。「行きたいところの一つは(福岡の)アンパンマンミュージアム。あとは鹿児島の特攻資料館(知覧特攻平和会館)に行きたい。生きていること、卓球ができているのは当たり前じゃないのを感じたい」と意外な場所を口にした。

早田選手は弱冠24歳。
一流のアスリートであり、人間としても秀逸な早田選手には、唯々感心しました。

先述の門田隆将氏も、「故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう。有難う、早田さん」とSNSでつづりました。

明日は、私も現在の平和の礎について思量する機会にしたいと思っています。

224 刻露清秀

有難いことに、ここ1ヶ月、とても忙しい日々を過ごしています。
勤労感謝の日も終日出勤し、その後の土日も処理しなければならない仕事をかなり抱えていました。
しかし、この週末はカミさんと京都へ紅葉見物に行く計画を、半年前から立てていたのでした。

ところが、カミさんはカミさんで、母親が先々週突然入院する事態となり、そのお世話に追われることとなりました。
ドタキャンか強行か、直前まで迷いましたが、「無理せず、欲張らず」を掲げて、予定通り上洛いたしました。

初日は、お気に入りのお蕎麦屋さんで昼食をとったあと、毘沙門堂と安祥寺へ出向きました。
どちらも山科駅から徒歩圏内にありますが、清水寺や嵐山と違って穴場的存在なので、さほどの人混みではありませんでした。

毘沙門堂では、ポスターにもたびたび起用される「勅使門」につながる石段の参道や弁天堂周辺、晩翠園が、キレイに色づいていました。
参道は散り紅葉で真っ赤に染まる写真で有名ですが、その時期にはまだ早かったようです。

参考までに、この毘沙門堂は、ウオーカープラスの京都府の紅葉名所人気ランキングでは第6位に選ばれています。
https://koyo.walkerplus.com/ranking/ar0726/

安祥寺は普段は公開されていないお寺ですが、10月から11月にかけて、期間限定で特別拝観が行われています。

御朱印をいただく際に小銭を持ち合わせていなかったので、千円札をお渡しし、そのままお納めくださいとお願いしたところ・・・・、

「ささやかですが、絵はがきをお持ちください。明日は日曜日なのですが、ほかのお寺のイベントに参加するため、今日が最後の拝観日なんですよ。この時間ですから、お二人が今年最後の参拝者かも知れませんね。」

なんだかご縁を感じた参拝となりました。

2日目は、ホテルでゆっくりしたあと、穴場中の穴場、京田辺市の「一休寺」を訪れました。

正しくは酬恩庵(しゅうおんあん)といい、とんちで知られるあの一休さんが、63歳頃から88歳で亡くなられるまでの約25年間を過ごしたお寺です。

正応年間(1288〜1293年)に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身で、その後、戦火にかかり荒廃していたものを一休和尚が再興し、師恩に報いる意味で「酬恩庵」と命名されたそうです。

京都駅から近鉄線で南へ30分ほどの新田辺駅から徒歩25分というアクセスで、近くに観光地もないことから、紅葉の見頃であっても、混雑はしていませんでした。
(我々が帰るころ、団体客がバスで訪れ、若干様相が変わっていましたが・・)

ここには一休和尚の墓所があり(下)、宮内庁が御陵墓として管理をしています。

初日の午前中は、少し不安定な空模様でしたが、総じて天候には恵まれました。
ただ、行きの新幹線はみっちり仕事、初日夜は23時過ぎまでホテルで仕事、翌朝は4時に起床してカミさんの睡眠の邪魔にならぬよう洗面所で仕事・・・・と、カミさんにはやや申し訳ない旅になってしまいました。
帰りの新幹線でもやるぞ! と張り切っていたのですが、弁当を食べ終え、PCをオンにしてまもなく、寝落ちしてしまいました。
体力がほとんどエンプティだったようです。

それでも京都の紅葉ツアーは、大いに私に鋭気を与えてくれました。
来年も訪れることができるよう、日々仕事に精進したいと思います。

221 天佑神助

私は令和初日を京都で迎えました。
そして、令和最初の神社参拝は、伏見稲荷大社でした。
ご存知の通り、全国に数多ある稲荷社の総本宮ですので、商売を営む端くれとして、京都を訪れた際はお参りさせていただいています。

京都は外国人観光客が多いことで有名ですが、中でも伏見稲荷大社の人気は別格です。
トリップアドバイザーが発表している「外国人に人気の日本の観光スポットランキング」によると、2014年から6年連続1位だったそうです。
延々と続く千本鳥居は、日本的かつ幻想的で魅力的に映るのでしょう。

先日、仕事がひと区切りついたタイミングで、半年ぶりに参拝に訪れました。
連日体温越えの気温が続き、危険な暑さと言われている最中でしたが、まもなく上半期を終えるタイミングでもありましたので、決死の覚悟で上洛しました。

伏見稲荷さんへ到着したのは、午前6時30分。
既に太陽がギラギラ照りつけていました。
そしてこの日、予想外な出来事が3つありました。

1つめの予想外は、早朝から参拝客がたくさん訪れているかと思いきや、上の通り、案外空いていました。
猛暑のせいかな? と思いましたが、本当のことは分かりません。

2つめの予想外は、授与所が7時になっても閉まったままだったことです。
以前は6時過ぎから開いていたんだけどな・・と思いながら公式サイトを調べてみると、昨年3月にコロナ対策の一環として、以下のような決定が下されていました。

お札・お守り・おみくじ・朱印(授与所)の取扱い時間について
8:00から~17:30まで

通常対応になった、と理解すればいいですね。
8月限定の御朱印に心動かされましたが、今回は授与所が開く前に失礼することにしました。

最後の予想外は、楼門手前の両側に鎮座している、狛犬ならぬ狛狐が工事中だったことです。
見えづらいのですが、下の画像の中央にある貼り紙には、以下のように記載されていました。

眷属像の塗り替え工事を行っております。
ご迷惑をおかけ致しますが、足元にご注意のうえ、ご参拝くださいますよう、お願い致します。

最初の3文字(眷属像)は、「けんぞくぞう」と読みます。
「眷属」とは神の使いという意味ですが、サラッと読めたりするとちょっとカッコイイかも知れません。

稲荷大神にとって狐は「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれています。
熊野神社の烏や八幡神社の鳩などと同じような扱いです。

ちょっと屁理屈を申し上げると、先の狛狐という表現は、正しくありません。
狛犬は、古代インドやエジプトで、守護獣として獅子(ライオン)の像を置いたのが起源といわれ、それが中国・朝鮮半島を経て日本に伝わったことから、「高麗(高句麗)の犬」が語源であることが定説となっています。
従って、狛狐という表現は、本来の意味から逸脱しています。

難しいことは置いといて、この半年、無事に商売を営むことができたお礼ができ、少し心が落ち着きました。

商売がうまくいくかどうかは、自分の努力だけではどうにもなりません。
自分と客の間には神仏が居られることを忘れずに。

真言宗の僧侶のお言葉も心に留め、今後も仕事に邁進したいと思います。

217 故事来歴

先月、京都の貴船神社へ行きました。
交通の便があまり良くないこともあり、これまで参拝の機会がありませんでしたが、ようやく念願が叶いました。
朝8時前に到着すると、あの有名な撮影スポットに観光客は誰もおらず、思う存分写真を撮ることができました。

貴船神社について、公式サイトでは以下のように紹介されています。

貴船神社は万物の命の源である水の神を祀る、全国2,000社を数える水神の総本宮です。
創建年代は極めて古く、その始まりは不詳ですが約1300年前の白鳳六年にはすでに社殿造替の記録があることから、日本でも指折りの古社に数えられます。

白鳳六年をネットで調べてみると、「白鳳」は日本書紀には見られない「私年号」で、その解釈には諸説あるようです。
666年とか677年などと言われているようですが、いずれにせよ貴船神社は1350年以上前に創建されたことになります。

因みに、日本で最古の神社は、奈良県にある大神神社(おおみわじんじゃ)という説が有力です。
大神神社は、本殿を持たず、鳥居と拝殿だけで構成されているのが特徴です。
拝殿の奥にある聖山・三輪山そのものがご神体であり、原始神道の祈りのスタイルを今も受け継いでいると言えます。

私が今一番お参りに行きたい神社は、他ならぬこの大神神社です。
しかし、残念ながら、三輪山登拝は現在中止されており、「神様の鎮まるご神体山のご安泰とご参拝の皆様の健康と安全を考慮しての判断です」と発表されています。
5月8日には、新型コロナの感染症法上の位置付けが5類に移行しますので、再開の方向に舵を切るのではないかと期待しています。

話を戻します。
貴船神社は「絵馬」発祥の地としても知られています。
ただ、奈良県吉野郡に鎮座する「丹生川上神社下社」が発祥で、平城京から平安京に都が遷る際に、京都の『貴船神社』に受け継がれたという説もあるようです。
昔年のことですから、確たる文字記録がなく、正確なことはわかっていません。
解明されていないことが多いのも、神社巡りの楽しみの1つです。

なお、貴船神社には「水占みくじ」という独特なおみくじがあります。
一見ただの真っ白なおみくじですが、御神水に浮かべると、文字が浮かび上がってきます。
私は「末吉」でした。

最後におみくじに関する蘊蓄を。

最新のデータではありませんが、おみくじの6割以上は「女子道社(じょしどうしゃ)」が製造しており、全国5,000カ所以上に納めているのだそうです。

その歴史を紐解きますと、山口県周南市にある二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)の宮本重胤宮司が、女性の社会進出を推進する機関誌『女子道』の発刊費用捻出のため、会社の印刷技術を生かしておみくじを考案し、製造のための会社として1906年に創設しました。

機関誌は戦争の時代に突入したこともあって、昭和19年頃に活動を休止しましたが、一方おみくじは順調に発展を続け、おみくじの自動販売機の設置から様々な種類のおみくじの考案をするなど「おみくじといえば女子道社」とまで言われるほど、シェアを拡大していきました。
因みに、日本初の自動販売機は「おみくじ販売機」と言われています。

おみくじが出版系に由来しているというのは、印刷業界に身を置く者として嬉しく思います。

日本には魅力あふれる神社が数多くあります。
ただ、神社参拝を楽しむためには、足腰が健康でなければなりません。
股関節に不安を抱える私ですが、少しでも長く趣味を続けられるよう、節制していきたいと思っています。

196 半知半解

ひょんなことから埼玉県に久伊豆神社という名の神社があることを知りました。
しかも、同名の神社が岩槻市内に9社、越谷市内に8社鎮座しているそうです。
埼玉に(久)伊豆?と、俄然好奇の念が湧きました。

参拝記録の前に、久伊豆神社について少々講釈を。

久伊豆神社という名称は私にとって非常に新鮮だったのですが、実はこの名称を持つ神社は、埼玉県神社庁に登録されているだけでも44社あります。
しかも、元荒川流域に集中して鎮座しています。
限られた地域にのみ数多く存在する社名というのは、さほど珍しくもないようですが、その所以は、そのエリアで勢力を誇った武家集団などから篤い崇敬を受け、共に深く根付いていったためと言われています。

ちょっと話が逸れますが、埼玉県には「大宮氷川神社」という有名な神社があります。
(正しくは「武蔵一宮 氷川神社」です。)
毎年、初詣人出客ベスト10にランクインする、氷川信仰系の総本社です。
「氷川」名の社は、埼玉と東京を中心に実に280社以上が鎮座しており、荒川流域に数多分布していますが、久伊豆神社が多く鎮座する元荒川流域には、ほとんどその姿は見られません。
互いの境界を侵すことなく祀られている様子は、昔の勢力分布を見るようで、興味深いですね。

話を戻します。
久伊豆神社へ行く前に、加須市にある玉敷神社へ向かいました。
ここは、江戸時代まで「勅願所玉敷神社、久伊豆大明神」と称されており、各地に分霊された久伊豆神社のご本社ではないかと言われています。

当社は第42代文武天皇の大宝3年(703)東国道巡察使多治比真人三宅麿により創建されたと伝えられ、平安時代の前期第60代醍醐天皇の延喜5年 (927)に公布された律令の施行細則「延喜式」にその名を記す千有余年の歴史をもつ古社である。(中略)
江戸時代に入って元和年間(1620前後)騎西城城主大久保加賀守の時現在の地に遷座し以来明治に至まで当神社は「勅願所玉敷神社 久伊豆大明神」と称され、埼玉郡(現南北埼玉郡)の総鎮守、騎西領48ヵ村の総氏神として崇められ・・・・・・。
(「全国神社祭祀祭礼総合調査  神社本庁  平成7年」より抜粋)

玉敷神社は、延喜式神名帳に「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載されている式内社で、社号碑にも「延喜式内 県社 玉敷神社」と書かれています(画像では上部が欠けていますが・・)。

社伝によると、玉敷神社がこの地に遷座される(寛永4年・1620年頃)迄、宮目(みやのめ)神社がこの地の地主神として鎮座していました。

この宮目神社は、延喜式にも記されている歴史のある古社ですが、何故か境内末社となりました。
即ち、ここには式内社が2つ存在することになります。

余談ですが、玉敷神社という名称の神社は、国内で唯一ここだけだそうです。

玉敷神社を後にして、さいたま市岩槻区にある久伊豆神社に行きました。
この神社は、1987年に『史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ』の国内第二次予選会場になったことで、急に知名度が上がりました。
予選会場に選ばれた理由は、「久伊豆」が「クイズ」とも読めるから。
昔から、クイズ番組の制作者はこの神社を参拝するのが通例だったそうですが、テレビ放送をきっかけに、一般にもクイズ神社としても親しまれるようになったようです。

境内ではクジャクが飼われており、オリジナル御朱印帳にもクジャクのイラストがあしらわれています。

次に向かったのは越谷市にある久伊豆神社です。

長い参道の先、第三鳥居をくぐるとすぐに藤棚があります。
その奥には池もあり、ベンチで寛げるとともに、パワーをいただけそうです。

ところで、「久伊豆神社」の名称の由来は、結局分からずじまいですが、公式サイトに御由緒が紹介されていました。

ご祭神が大己貴命久伊豆神社は今から約千五百年前の欽明天皇の御代(539~571)、出雲族の土師氏が東国へ移住するにあたりこの地に出雲族の親神たる大已貴命(大国主命)を勧請したのが始まりとされています。。
出典:https://www.hisaizu.jp/infomation.html

久伊豆神社は久伊豆大明神と古来氏子・崇敬者から崇められてきた、国造りの大神・縁結びの神・福の神として知られる大国主命(大国さま)と、その御子神で父神と共に代表的な福の神である言代主命(恵美須さま)を主祭神とし、また配祀として大国主命の御女子神である高照姫命、言代主命の御妃である溝咋姫命、そして皇祖天照大御神の第二の御子であり、出雲国造いずものの祖先神である天穂日命の三柱を奉斎しています。
出典:https://www.hisaizujinja.jp/about.php

これを見る限り、伊豆(いず)の語源は、出雲(いずも)なのだろうと想像がつきます。
少なくとも、伊豆半島と無関係であることは、間違いなさそうです・・。

注)上記参拝記録は、2016年に訪問した内容をここで書き上げたものです。
従って、現状と異なる記述があるかも知れませんが、ご寛容願います。

168 安居楽業

2年前、京都へ紅葉見物に行きました。
時間に限りがありましたので、嵯峨野地域に限定して散策しました。
その際、二尊院を参拝し、3枚の色紙を拝領いたしました。

その1枚が上の「人生五訓」です。
短い5つの戒めの言葉に、いたく感動しました。
焦るな、怒るな、威張るな、腐るな、怠るな、と漢字で書いていないところもちょっといいですね。

近年、仕事が多忙になった時、ふと立ち止まってこの「人生五訓」を思い返すようにしています。今は年度末ですから、年間で最も忙しい時期です。
今朝も仕事の前に、自らに言い聞かせました。

年度末といえば、近年、3月になると製本所が異常なほど繁忙を極めます。
平日の残業はもとより、土・日も祝日も出勤しないと仕事が消化できません。

ペーパーレスによる印刷業界の低迷で、製本所の数は年々減少しています。
仕事量が全体に減っていますから、平時はどうということはありません。

しかし、年度内納めが極端に集中するこの時期だけは、業者数が減ったことで、現存の工場が一気にパンクするのです。

ところが、怒濤の3月が終わり、カレンダーを1枚めくると、潮が引くように仕事がなくなります。
これでは、3月の頑張りが報われず、空しい限りです。

話を二尊院の色紙に戻します…。
もう1枚の色紙には「心の糧七ヵ條」が書かれています。

一、此の世の中で一番楽しく立派なことは生涯貫く仕事をもつことである

一、此の世の中で一番さみしいことは自分のする仕事がないことである

一、此の世の中で一番尊いことは人の為に奉仕して決して恩に着せないことである

一、此の世の中で一番みにくいことは他人の生活をうらやむことである

一、此の世の中で一番みじめなことは教養のないことである

一、此の世の中で一番恥であり悲しいことはうそをつくことである

一、此の世の中で一番素晴らしいことは常に感謝の念を忘れずに報恩の道を歩むことである

生涯貫く仕事といえば、私の父が正に実践中です。
87歳にして毎日出社しています。
私には87歳の景色は想像もできませんが、日々自らを鼓舞し、社会の一員であり続けているのだと思います。

つい先日、ある病院の教授から、なぜ会社名が“伊豆”なのか、と質問を受けました。
丁稚奉公として上京したときから、いつか故郷の名を配した会社を興したかったという父の夢をお話ししたところ、「それは素晴らしい」とお誉めいただきました。

弊社は、この3月で45年目を迎えました。
印刷業界は逆風にさらされていますが、そんな中、仕事をいただけるのは有難いことです。
色紙の最後の1行にもある通り、感謝の念を忘れてはなりません。

そして、零細企業とて、守るべき社員とその家族がいます。
社員が安居楽業できるようにすることも、社長の重要な務めです。
安易なことではありませんが・・。

「安居楽業」:
今いる環境や状況に心安らかに満足し、自分の仕事を楽しんですること。自分の分をわきまえて不満をもたず、心安らかに自分のなすべき仕事をすることをいう。(goo辞書より)

165 天地神明

お正月は家族揃って靖國神社に初詣に出向くのが、子供の頃のならわしでした。
ここには父の名付け親が眠っているのだと、聞かされていました。

そして、父は参拝が済むと、兵隊さんの書いた手紙が掲示された前で足を止め、必ず目を通すのでした。
拝殿の手前、中門鳥居の脇に掲示されているこの手紙を、私も必然的に読むようになりました。

まもなく命の灯が消えようとしているなかで、肉親に宛てた最後の書簡です。
読み進むにつれ、胸が張り裂けそうな思いになります・・。
父の名付け親も、どこで、どのような状況で散華したのでしょうか・・。

50歳を過ぎてから神社巡りが趣味になりましたが、ひょっとすると、この初詣が原点なのかも知れません。
少なくとも、護國神社を参拝するようになったのは、靖國神社が礎だと思います。
宮城、栃木、千葉、埼玉、山梨、静岡、廣島など、既に11箇所を巡りました。

しかし、全国には50以上の護國神社があります。
全てを参拝することは無理かと思いますが、その地方を訪れた際には、足を伸ばすようにしています。

ところで、神社で手を合わせるにあたり、私はお賽銭を100円と決めています。
従って、神社を巡るぞ!と決めた日は、100円玉をしこたま持参します。
御朱印をいただく際、お釣りのないようにしたいのも、もうひとつの要因です。

ご縁があるようにとお賽銭には5円玉が重宝がられていますが、先日、出雲大社の公式サイトが正しいお賽銭について明確な回答をしていると、ネット上で話題になっていました。

以下、出雲大社公式サイト「よくあるご質問」からの抜粋です。

お賽銭を5円にすると「ご縁がある」とか、「二重にご縁があるように」と25円、「始終ご縁があるように」と45円、「これ以上の硬貨(こうか=効果)はない」と500円などと、ガイドの方がおもしろおかしく話を作って案内されるのを聞くことがあります。 これは、まったく根拠のないおもしろおかしくしようとの“ためにする”語呂合わせにすぎません。大切なのは神様に対して真摯な気持ちでお祈りをし、その気持ちをもって日々の生活を送ることです。祈りの心はお賽銭の金額によって、まして変な語呂合わせで左右されるものではありません。

正に反論の余地なし、ですね。

真摯な気持ちでお祈りをし、その気持ちをもって日々の生活を送ること。

この一文は、改めて胸に留めておかねばなりません。
今年のスローガンにしようかと思っています。

158 雲水行脚

最近、ひとり旅がマイブームとなりました。
若い頃は、ひとりじゃ淋しいじゃん、と思っていましたが、歳を重ねて、ひとりの楽しさに目覚めてしまいました。

第一弾は仙台でした。
鹽竈神社表参道の石段には、体力不足を痛感させられました。
また、塩釜漁港の海鮮丼は、過去最高級の朝食となりました。

第二弾は福岡を旅しました。
念願だった太宰府天満宮参拝を叶えることができました。
また、映画の舞台にもなった宮地獄神社や、大分県まで足を伸ばして参拝した宇佐神宮は感動的でした。

そして、今春、第三弾に名古屋を選びました。
目的のひとつは「名古屋三大天神巡り」。
参拝方法は、櫻天神社、上野天満宮、山田天満宮のいずれかの神社で専用の絵馬を受け、参拝したらご朱印をいただきます。
そして、三社目の神社でご朱印を受けると、合格祈願の天神像守りが授与されるのです。
いただいた天神像守りは、絵馬と共にセガレの部屋に祀ってあります。

もうひとつの目的は熱田神宮です。
参拝したい神社は全国に数多ありますが、熱田神宮はそのひとつでした。

降りたのは名鉄の神宮前駅。
名古屋駅からわずか3駅という便利なロケーションでしたが、正門までは徒歩10分ほど要しました。

駅から近い東門から入り、帰りに正門(南門)から出ようかとも思いましたが、どうしても参道を歩いて本殿に向かいたかったので、わざわざ遠い正門を目指しました。

ただ、歩いた甲斐がありました。
広くて長い朝の参道は、清浄な空気に包まれ、心落ち着く空間でした。

本殿へ向かって歩み進めていくと、左側に大きな楠木が見えてきました。
この大楠は、弘法大師お手植えとの伝承があるそうです。
広角レンズを用いても、かなり離れないと全景を捉えられないほどの大きさでした。

そして、本殿に到着です。
ご覧の通り、まさに荘厳です。
参拝客が多く、静謐な感じを撮影するために、ちょっと時間を要しました。

ところで、熱田神宮は決して熱田神社とは称されません。
神宮とか神社などの名称は「社号」といいます。
「社号」について、神社本庁のホームページから引用します。

「神宮」「神社」の名称は、神社名に付される称号で社号といいます。

現在、単に「神宮」といえば、伊勢の神宮を示す正式名称として用いられています。
また、「○○神宮」の社号を付されている神社には、皇祖をお祀りしている霧島神宮や鹿児島神宮、また天皇をお祀りしている平安神宮や明治神宮などがあります。
このほか、石上神宮や鹿島神宮・香取神宮など特定の神社に限られています。

これに対して「神社は、その略称である「社」とともに一般の神社に対する社号として広く用いられています。
また、「宮」や「大社」などの社号もあり、「宮」は天皇や皇族をお祀りしている神社や由緒により古くから呼称として用いられている神社に使われます。
「大社」はもともと、天に国譲りをおこない、多大な功績をあげた大国主命を祀る出雲大社を示す社号として用いられてきました。しかし、現在「大社」は、広く崇敬を集める神社でも使われています。

このほか、社号と異なりますが、古くから神様の名前に「大神」や「大明神」、また神仏習合の影響による「権現」といった称号を付して、社号に類するものとして一般的に用いられ、信仰されている社もあります。

このように神社により社号は異なりますが、それぞれの神社に対する人々の篤い信仰にはいささかの変わりもありません。

難しい説明は一旦置いて、神宮号を名乗る神社は、現在24社あるそうです。

伊勢神宮、伊弉諾神宮、霧島神宮、鹿児島神宮、鵜戸神宮、橿原神宮、宮崎神宮、気比神宮、宇佐神宮、近江神宮、白峯神宮、平安神宮、新日吉神宮、赤間神宮、水無瀬神宮、吉野神宮、北海道神宮、明治神宮、熱田神宮、石上神宮、國懸神宮、日前神宮、鹿島神宮、香取神宮。

これまでに参拝したのはわずかに6社。
北海道神宮から鹿児島神宮まで、全てを参拝するのはちょっと難しそうです‥‥。

熱田神宮の参拝帰り、市営地下鉄の駅まで歩きました。
「伝馬町駅」という駅名を見て、熱田神宮にちなんでいないんだな・・と感じていたところ、今月10日、名古屋市が駅名の変更を検討している、というニュースを目にしました。

はじめて訪れた一観光者の感想は、まんざら間違いではなかったようです。

148 新春万福

明けましておめでとうございます。

平成最後の正月は、仕事に費やす時間が例年よりも多かった気がします。
元日の朝も、5時半に起きてパソコンに向かいましたが、根が貧乏性なので、こういう生活は案外キライではありません。

とはいえ、家族サービスも大事な仕事のひとつですので、2日に東京を発ち、京都へ行ってきました。

セガレを授けてくださった上徳寺さんへのお礼参拝が主たる目的ですが、今回の旅のテーマは「七福神めぐり」と決めました。
全国に七福神めぐりは数多くありますが、京都の「都七福神めぐり」は、日本最古と言われています。
松の内にめぐると、より功徳が得られると言われていますので、時期的も最適でした。

最も南に位置する黄檗宗大本山の萬福寺からスタートし、東寺、松ヶ崎大黒天、赤山禅院、ゑびす神社、六波羅蜜寺、革堂の順にめぐり、2日間で結願しました。

B3ほどある大きな色紙を、実家の分と合わせて3枚抱え、北へ南への移動は少々骨が折れました。
ゑびす神社へ向かう途中では、突然の降雨に見舞われ、色紙の墨が流れてしまうのではないかとヒヤヒヤしました。

そんな苦労の末に完成した色紙です。
ホテルの窓際で撮影してみました。
日本の正月らしい、縁起のいい画像で充足感がわいてきます。

ところで、東京都内にも数十の七福神めぐりがあると言われていますが、その中のひとつ、下町情緒あふれる深川七福神のコース内に、弊社は位置しています。

最も近いのは、大黒天を祀る円珠院さん。
弊社から徒歩2分ほどです。

従って、1月上旬はいつもより人の往来が増えます。
先頭を行く人が旗を持った団体さんも見かけます。

ですから、余ったカレンダーや手帳をダンボール箱に入れて、「ご自由にお持ちください」と添えて会社の外に出しておくと、あっという間になくなってしまいます(笑)

 

最後に、七福神めぐりとは関係ない話題をひとつ。

京都で七福神めぐりを開始する前、清水五条の近くにある「マールカフェ」で昼食を食べました。
ここはGoogleで偶然見つけたのですが、かつて、ガイドブック等で見た記憶がありません。

私がオーダーしたのは、1日10食限定の「マールバーガー」。
昨年は、四条木屋町の「キルン」でハンバーガーを食べましたが、負けず劣らずの味でした。
(旅先でハンバーガーばかり食べている訳ではありませんが・・)

特に、パテの上に乗っていたアボカドが、生ではなく揚げてあり、これがなんとも新鮮でした。
パスタやスープカレーなど、マールバーガー以外のメニューもとても美味しく、大変満足でした。

入口がわかりにくい古いビルの最上階にあり、人荷兼用のような危なっかしいエレベーターで向かうのですが、ぜひお薦めしたいお店です。

 

145 秀色神采

今月に入り、有難いことに忙しい日々が続いています。
私の忙しさのバロメーターは、ランチのサンドイッチ率です。

多忙になるとお昼をゆっくり食べる時間が惜しくなり、サンドイッチを買って、車を運転しながら食べることが増えてしまいます。
最近のサンドイッチ率は、50〜60%という感じでしょうか。

運転しながらの食事は誉められたことではありませんし、ましてや50歳も半ばを過ぎましたので、若い頃のように無理がきかなくなってきました。
仕事をこなすことと、カラダをいたわることのバランスも考えなければなりません。

そこで、この週末、1日だけ東京から逃亡することにしました。

向かったのは京都です。
観光客で溢れかえる紅葉のシーズンですから、移動を極力なくし、嵐山・嵯峨野地区だけを巡りました。

まず訪れたのは、渡月橋です。
7:30前には到着しましたが、既に三脚を構えた人や女子グループらもいて、ガラガラではありませんでした。

お世辞にも紅葉真っ盛りとは言えない風景でしたが、タクシーの運転手さんによると、桜の木が異常気象でダメージを受け、美しさを半減させているのだとか。
川沿いに妙な曲がり方をした街灯がありましたが、これも台風の仕業だと教えてくれました。

残念ながら、今年は例年のような美しさは望めないかも知れませんね。

そのあと参拝した常寂光寺や二尊院、天龍寺塔頭の宝厳院などでは、非常に美しい景色を楽しむことができました。
撮影スポットは当然黒山の人だかりなので、思うような写真を撮ることはできませんでしたが・・。

宝厳院

御朱印もたくさんいただくことができました。

多くの参拝者に対応するため、書き置きのところも多かった中、厭離庵でこんな御朱印をいただきました。
しかも、目の前で書いてくださいました。

パンフレットによると、ここは「藤原定家が小倉百人一首を編纂した処」とあります。
定家が詠んだ歌なのかと思いますが、詳細は調べてみないといけません・・。

 

混み合うのは覚悟のうえでしたが、予想通り、いや予想以上の尋常ではない混雑ぶりでしたし、弾丸ツアーではありましたが、明日の英気を養うことができました。
残りの週末、仕事に励みたいと思います。

ところで、嵯峨野散策の途中、御髪神社(みかみじんじゃ)も参拝しました。
ここは、日本で唯一の「髪」の神社です。

10円玉が目立つお賽銭のなかへ、友人の分も合わせて100円玉を2枚納めてきました。
自慢げに仲間にLINEを送ったところ、
「自分の薄毛の状況を考えたら、もっと奮発すべきじゃないの」
と叱られました。

危機感がやや足りませんかね・・。