ひょんなことから埼玉県に久伊豆神社という名の神社があることを知りました。
しかも、同名の神社が岩槻市内に9社、越谷市内に8社鎮座しているそうです。
埼玉に(久)伊豆?と、俄然好奇の念が湧きました。
参拝記録の前に、久伊豆神社について少々講釈を。
久伊豆神社という名称は私にとって非常に新鮮だったのですが、実はこの名称を持つ神社は、埼玉県神社庁に登録されているだけでも44社あります。
しかも、元荒川流域に集中して鎮座しています。
限られた地域にのみ数多く存在する社名というのは、さほど珍しくもないようですが、その所以は、そのエリアで勢力を誇った武家集団などから篤い崇敬を受け、共に深く根付いていったためと言われています。
ちょっと話が逸れますが、埼玉県には「大宮氷川神社」という有名な神社があります。
(正しくは「武蔵一宮 氷川神社」です。)
毎年、初詣人出客ベスト10にランクインする、氷川信仰系の総本社です。
「氷川」名の社は、埼玉と東京を中心に実に280社以上が鎮座しており、荒川流域に数多分布していますが、久伊豆神社が多く鎮座する元荒川流域には、ほとんどその姿は見られません。
互いの境界を侵すことなく祀られている様子は、昔の勢力分布を見るようで、興味深いですね。
話を戻します。
久伊豆神社へ行く前に、加須市にある玉敷神社へ向かいました。
ここは、江戸時代まで「勅願所玉敷神社、久伊豆大明神」と称されており、各地に分霊された久伊豆神社のご本社ではないかと言われています。
当社は第42代文武天皇の大宝3年(703)東国道巡察使多治比真人三宅麿により創建されたと伝えられ、平安時代の前期第60代醍醐天皇の延喜5年 (927)に公布された律令の施行細則「延喜式」にその名を記す千有余年の歴史をもつ古社である。(中略)
江戸時代に入って元和年間(1620前後)騎西城城主大久保加賀守の時現在の地に遷座し以来明治に至まで当神社は「勅願所玉敷神社 久伊豆大明神」と称され、埼玉郡(現南北埼玉郡)の総鎮守、騎西領48ヵ村の総氏神として崇められ・・・・・・。
(「全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年」より抜粋)
玉敷神社は、延喜式神名帳に「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載されている式内社で、社号碑にも「延喜式内 県社 玉敷神社」と書かれています(画像では上部が欠けていますが・・)。
社伝によると、玉敷神社がこの地に遷座される(寛永4年・1620年頃)迄、宮目(みやのめ)神社がこの地の地主神として鎮座していました。
この宮目神社は、延喜式にも記されている歴史のある古社ですが、何故か境内末社となりました。
即ち、ここには式内社が2つ存在することになります。
余談ですが、玉敷神社という名称の神社は、国内で唯一ここだけだそうです。
玉敷神社を後にして、さいたま市岩槻区にある久伊豆神社に行きました。
この神社は、1987年に『史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ』の国内第二次予選会場になったことで、急に知名度が上がりました。
予選会場に選ばれた理由は、「久伊豆」が「クイズ」とも読めるから。
昔から、クイズ番組の制作者はこの神社を参拝するのが通例だったそうですが、テレビ放送をきっかけに、一般にもクイズ神社としても親しまれるようになったようです。
境内ではクジャクが飼われており、オリジナル御朱印帳にもクジャクのイラストがあしらわれています。
次に向かったのは越谷市にある久伊豆神社です。
長い参道の先、第三鳥居をくぐるとすぐに藤棚があります。
その奥には池もあり、ベンチで寛げるとともに、パワーをいただけそうです。
ところで、「久伊豆神社」の名称の由来は、結局分からずじまいですが、公式サイトに御由緒が紹介されていました。
ご祭神が大己貴命久伊豆神社は今から約千五百年前の欽明天皇の御代(539~571)、出雲族の土師氏が東国へ移住するにあたりこの地に出雲族の親神たる大已貴命(大国主命)を勧請したのが始まりとされています。。
出典:https://www.hisaizu.jp/infomation.html
久伊豆神社は久伊豆大明神と古来氏子・崇敬者から崇められてきた、国造りの大神・縁結びの神・福の神として知られる大国主命(大国さま)と、その御子神で父神と共に代表的な福の神である言代主命(恵美須さま)を主祭神とし、また配祀として大国主命の御女子神である高照姫命、言代主命の御妃である溝咋姫命、そして皇祖天照大御神の第二の御子であり、出雲国造いずものの祖先神である天穂日命の三柱を奉斎しています。
出典:https://www.hisaizujinja.jp/about.php
これを見る限り、伊豆(いず)の語源は、出雲(いずも)なのだろうと想像がつきます。
少なくとも、伊豆半島と無関係であることは、間違いなさそうです・・。
注)上記参拝記録は、2016年に訪問した内容をここで書き上げたものです。
従って、現状と異なる記述があるかも知れませんが、ご寛容願います。