令和になって4度目の天皇誕生日を迎えました。
今年は、コロナ禍の影響で中止されてきた一般参賀が即位後初めて行われましたので、いっそう喜ばしい日になりました。
「誕生日に、初めてこのように皆さんからお祝いいただくことを、誠にうれしく思います。(中略)皆さん一人ひとりにとって、穏やかな春となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります。」
国民に向かってお言葉を述べられた陛下。
好天のもと、声を発することなく、日の丸を振って祝意を示す参賀者。
日本人としての麗しさを感じました。
来年は、陛下も参賀者も、マスクなしで開催できたらなお嬉しく思います。
天皇誕生日というと、直感的に12月23日を思い浮かべてしまうことがあります。
平成の時代を30年以上過ごしましたので、致し方ないと思いますが、きっと数年すると解消するのだと思います。
上皇さまは昭和8年12月23日のお生まれですが、同じ年の父が、先日誕生日を迎えました。
90歳、卒寿です。
昭和8年の出来事を調べてみると・・、
01月01日 ラジオの時報が手動から自動式になる
01月30日 ヒトラーが独首相に就任
03月04日 フランクリン・ルーズベルトが第32代米大統領に就任、ニューディール政策始動
03月27日 日本政府が国際連盟脱退の詔書を発布
07月25日 山形市で気温40.8度を記録
10月19日 ドイツが国際連盟から脱退
まるで歴史の教科書を読んでいるようですね・・。
注目すべきは、7月25日の「山形市で気温40.8度を記録」です。
2007年8月16日に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度を記録するまで、国内最高気温が昭和8年の記録だったとは驚きです。
伊豆の農家の三男坊だった父が上京したのは昭和24年、16歳のときでした。
東京都中央区の印刷会社に住み込みで働き始めました。
東京に行ったらうまくなるぞ!と思っていたことがが3つあったそうです。
ビリヤード、ボウリング、社交ダンスです。
(女性にもてたかったのでしょうか・・)
ビリヤードとボウリングに夢中になっていた姿は、私の記憶にもありますが、社交ダンスは全く知りません。
聞くと、銀座にあった社交ダンスの店へ恐る恐る行くと、スラリとした華やかで美しい女性に「いらっしゃいませ」と出迎えられ、恥ずかしくて逃げてきたそうです。
「でもな、やっぱり習っておけば良かったな」と悔いるように言うときがたまにあります。
90にして今もなお、ほぼ毎日出社しています
運転免許証は返上してしまいましたので、電車通勤です。
本人を目の前にしては言葉にしませんが、生涯現役を貫く姿勢には敬服です。
もちろん、出来ることは年々少なくなってきていますので、温かく協力してくれる社員の皆さんには感謝しなければなりません。
ときに、卒寿の祝いの品を社員からいただいたそうで、本人は心から喜んでいました。
誕生日当日、セガレとカミさんと連れだって、久しぶりに実家へ行きました。
我々の到着よりも早く、事前にオーダーしておいた花が届いていました。
数日後には、名前入りの夫婦茶碗が届く予定です。
セガレは大学に入ってから始めたクラシックギターを演奏するため、ギターを持参しました。
ひょっとすると、花よりも夫婦茶碗よりも、初心者ながら孫のギター演奏が一番心に残ったのかも知れません。