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133 斗酒隻鶏

社会人になって早34年。
仕事を通じて、多くの方とお目に掛かりました。

そんな中、最も印象的なひとりは、某化粧品会社の女性社長さんです。
私よりも2歳年下の、とても美形な女性でした。

初対面は、私がギリギリ20代だった頃と思います。
その数年後、彼女は結婚し、新宿で開催された二次会に私もお招きいただきました。
因みにこの時、「新郎新婦」は「新郎妊婦」でした。

妊婦、いや、新婦は私と一緒でお酒が飲めないのですが、一方、ご主人は大のお酒好き。
宴たけなわの頃には、ひな壇ですっかり出来上がっている様子でした。

そうこうしているうち会がお開きとなり、私が帰り支度をしていると、

「社長、一緒にタクシーで帰ろう!」

と彼女に声を掛けられました。
因みに、私は当時社長ではなかったのですが、いつもこう呼ばれていました。

「どうせあの人はこの後もどっかで飲むんだからいいの。先に帰ろう。」

結婚式の夜に別行動って、変な夫婦だなあと思いつつ、新婦の友人らとタクシーに相乗りしました。

ひとり、またひとりと下車し、結局タクシーに残ったのは我々2人。
旧知の仲とはいえ、昼間式を挙げたばかりの女性と2人だけ、というシチュエーションに、いささか違和感を感じはじめた矢先・・、

「社長、カラオケ行こう!!」

結局、私は、新婦で妊婦な人妻と2人だけで、深夜のカラオケボックスに行き、数時間大盛り上がりしたのでした。

今となっては、とてもいい思い出です。
出来ることなら、あの頃に戻りたいと思います。

何故なら・・、

42歳で彼女は亡くなってしまいました。
乳がんでした。

私にとって彼女の存在は「男友達」でした。
仕事を超え、性差を超え、とても親身な関係でした。

「社長、良かったね〜、これ持ってって!!」
私にようやく子供が出来たと知るや、我がことのように喜んでくれ、色々といただきものをしました。
亡くなる2年前のことでした。

「界面活性剤ってね、水と油を混ぜちゃうんだよ、社長はただでさえ危ういんだからシャンプー変えないと禿げちゃうよ」
そう言って、石けんシャンプーを勧めてくれたのは彼女でした。
今も年齢相応の頭髪量が維持できているのは、間違いなく彼女のお陰です。

「社長、タバコちょうだい!もう安定期に入ったから大丈夫!」
でも、大きなお腹の彼女にタバコを渡したのは、大失敗だったな・・。

「社長、B4の短辺って何センチ?えっ、257ミリ!?て~んさい~!」
天才でも何でもないです。そんなこと知らない印刷屋なんていませんから。

決して長いお付き合いではありませんでしたが、様々な思い出が蘇ります。

距離的な問題もあって、まだ、墓参が叶っていません・・。
彼岸の入りにあたり、亡き友へ思いをはせ、感謝のまことを捧げたいと思います。

132 輭紅塵中

なんこうじんちゅう。
華やかで賑やかな都会の様子、という意味です。
世代的には、木綿のハンカチーフの世界観を思い出してしまいます。

私の両親は静岡県と千葉県の出身ですが、私は東京生まれ東京育ち。
これまで、東京23区以外に住居を構えたことはありません。

老後は田舎暮らし・・。
そんな夢を抱いている中高年層は、結構多いのではないでしょうか。
しかし、スーパーやコンビニ、駅、病院などが遠い生活は、私には無理かなと思います。

「仕事用のスーツを買う店が山梨にはないんですよ・・・・。」

以前、甲府に転勤になった後輩が、そう言っていました。
もちろん、紳士服店が全くないはずはありませんので、お気に入りの店がなかった、ということなのでしょう。
いずれにしても、スーツを購入するのは上京したとき、と決めていたそうです。

百貨店がないという状況も、私には差し障りがあります。
ワタクシ、結構デパート好きな中年です。
ひとりでも、カミさんと一緒でも、普通に行きます。
高価なものには縁がありませんが、紳士モノだけではなく、女性向けのフロアもへっちゃらです。
男としては、珍しい部類だと自覚しています。

東京ガーデンテラス紀尾井町

写真は、東京ガーデンテラス紀尾井町から空を見上げて撮影したのものです。

ちょっと電車に乗ればこんな景色がある。
週末には、カフェで読書ができる。

そんな場所に住み続けたいと思っています。

そして、近年、益々都会の中心部に住みたいと思うようになってきました。
今後、年を重ねても変わらないと思っているのですが・・。

131 百花斉放

新聞の大学特集ページで、母校に昨春「都市科学部」が新設されたことを知りました。
この学部は、以下4つの学科を有しているそうです。

  1. 都市を担う人々や文化、社会のあり方を考える「都市社会共生学科」
  2. 都市空間やコミュニティ、生活像をデザインする「建築学科」
  3. 土木工学を軸に防災や環境などの課題に取り組む「都市基盤学科」
  4. 都市の利便性と自然・社会環境から生じるリスクとの均衡を図る「環境リスク共生学科」

建築学科については、横浜高等工業学校建築学科を前身とする歴史ある工学部の理念やノウハウが生かされているのかも知れません。
しかし、これら学科についてサイトをよく見てみると、文系・理系両方の要素を含んでいて、今ドキな印象を受けます。
新聞記事にも、文系と理系を横断した「文理融合」の人材育成が謳われています。
先行研究の少ない、いわば挑戦的な領域でもありますので、今後の発展を期待したいものです。

昭和55年4月。
私が入学したときは、経済学部、経営学部、教育学部、工学部の4つの学部で大学は構成されていました。
そして、私の所属していた経営学部には、経営学科、会計学科、管理科学科の3つの学科がありました。

しかし、設立50周年を迎えた昨年、1学科体制で新たなスタートを切ったようです。
サイトには「特色ある施設・プログラム等」というタイトルで、現在の学部の様子が以下のように紹介されています。

◎経営学部情報センター
100台余りのPC端末が備えてあり、PCを利用した会計教育や英語教育、ビジネスゲームなどを行っています。また、情報検索、情報発信、研究・学習サポートなども行っています。

◎充実した体験型授業
「ビジネスゲーム」では、コンピュータ上に構築された仮想的マーケットの中で、複数の学生が企業の経営者として商品の生産、仕入れ、販売を行い競い合います。また、「マイプロジェクトランチャー」では、学生自らプロジェクトを作成、プレゼンを行い、プロジェクト実践能力を磨いていきます。

e-ラーニングによる効果的な学習
2年次必修外国語科目「英語演習」の課外の自習課題「アルクNet Academy」は、パソコンで行います。これは、TOEIC対策の自習プログラムで、リーディングとリスニング及び模擬演習問題のトレーニングができます。その他にも会計CAIなどパソコンを使った効果的な学習を行うことができます。

企業トップを講師に迎えた講義群
一般的なプログラムの他に、「経営者から学ぶリーダーシップと経営理論」、「ベンチャーから学ぶマネジメント」といった毎週代表取締役クラスの経営者を迎え、様々な角度から企業経営を学ぶ授業があります。インターンシップはこれらの授業を履修してから行います。

PCを利用したビジネスゲーム?
仮想マーケットで学生が経営者として競い合う??
経営者から企業経営を学ぶ???

我々の頃には考えられない授業内容の羅列に、我が目を疑ってしまいました。
35年も経っているのですから、変わって当然なのですが・・。

横浜国立大学は、元々、鎌倉や弘明寺などにキャンパスが分散していましたが、昭和49年8月、程ヶ谷カントリー倶楽部移転跡地に常盤台キャンパスを設置し、これらを統合・移転しました。
私が入学する6年前のことです。

実際、受験前に初めて見学に訪れたとき、学内は総じてキレイでした。
「こんなキレイなキャンパスで勉強できたらいいなあ」と、若干感動すら覚えたものです。
純粋というか無垢というか、受験勉強で心が病んでいたというか・・。

そんな清らかな気持ちで受験したにも拘わらず、入学後は、受験勉強に明け暮れた日々の仇をとるかの如き、遊惰でなまくらな生活に陥りました・・。
入学が決まった時、父から「国の税金を使わせていただくことを肝に銘じて、4年間過ごすように。」と言い付けられたにも関わらず・・。
当時の授業料は年間18万円でしたから・・。

今日は、3月4日。
昭和55年の今日、国立大学の二次試験だったと記憶しています。

共通一次試験の点数で劣っていた私は、ここで大逆転劇を演じなければなりませんでした。
二次試験の願書提出にあたり、過去の入試統計と予備校の自己採点資料をとことん研究し、180人抜き去る必要があるという、実に厳しい結論に至ったのです。

「あそこからあそこの列までの受験生に勝たないとダメなんだな。よ~し!!」

試験会場で、めちゃめちゃ気合いが入っていたのを覚えています。
しかも、38年も前のことが、まるで昨日のことのように思い起こされます。

結果としては・・、
繰り上げ合格だったので・・、
150〜160人くらいしか、逆転できなかったのではないかと思います・・

私の母校は、総合大学と呼べるほど大きな規模ではありませんが、それでも経済・経営・教育・機械・海洋・造船など、様々な分野の学問を学ぶことが可能でした。
しかしながら「大学生は、時間がたくさんあって、お金がちょっとあって、責任がない!」などと傲語していた学生時分を恥じるばかりです。

この歳になって、もっと勉強しておくべきだったと痛感しても、後の祭りですね。

130 嫣然一笑

先日、お客様3人と食事会をしました。
しかも、私以外はすべて女性。
私もまだまだ捨てたものではないなと・・。

仕事で知り合った方と、こういう集いをもてることは本当に有難いことです。
食事もゴルフも「接待」という冠が付いた途端、純粋に楽しむことは難しくなりますが、先の会合は完全なるプライベート。
一緒に食事をするのは初めての機会でしたし、価値観の合う皆さんでしたので、心から楽しい時間を過ごすことができました。

帰り際には、LINEのグループを組みました。
グループ名は「Habitationの会」。
命名の理由は我々だけの秘密です。

また、嬉しいことに、洋菓子のプレゼントをいただきました。
バレンタインデーが近かったからかも知れません。

ひとつは、キースマンハッタンのローストナッツブラウニー。
チョコとナッツの組み合わせが美味しくて、帰ったその夜、寝る直前だというのに、2個食べてしまいました。
このお菓子は、取扱う店舗が限られているため、なかなか入手が困難なようです。
お取り寄せ専門サイトでも紹介されていました。

もうひとつは、焼き菓子専門店・ビスキュイテリエ ブルトンヌのウィークエンドという名のパウンドケーキ。
レモンの香りとシャリシャリの糖衣が、たまりませんでした。
私、元々パウンドケーキに目がないのですが、これまでに食べたものより、抜群の高級感でした。

この連休、甘い物には事欠かずに済みそうです。

この方々からは、以前、私が入院した際に、病室にお花を届けていただいたこともあります。
仕事を超えて、人としてお付き合いができることは無上の喜びです。

これからも「ご縁」は大切にしていきたいと思っています。

129 狷介不屈

今朝、上野公園に行きました。

最初の目的地は、スターバックスコーヒー・上野恩賜公園店。
店内の大きな窓から、自然豊かな園内が眺められ、とても居心地の良い空間です。
8時の開店と同時に入店し、朝食を食べ、読書をし、1時間ほど過ごしました。

また、このスタバの西側には、上野動物園の表門があります。
9時半の開園まであと1時間半以上あるというのに、こんなに列ができていました。

お目当ては、もちろんシャンシャンでしょう。
テレビ局のアナウンサーかレポーターと思しき女性もいましたし、その人気は相変わらずのようです。

いつからか、ポストもこんな装いになっていたんですね。

さて、私の主たる目的は国立科学博物館での「南方熊楠」に関する企画展の見学です。

み・な・か・た・く・ま・ぐ・す。

スゴイ名前ですね。

正直に申し上げますと、ワタクシ、その存在を知りませんでした・・。
先日、カミさんとセガレが見学してきたと聞き、私も行こうと決めた次第です。

余談ですが、私立中学に通う生徒は、2月1日頃、入試のため学校が休みになります。
我が家の場合、2月1日から3日まで、部活も含めて休校となりました。
その休暇を利用して、親子で博物館に行ったという訳です。

さて、展示を見終えて、南方という人物にとても興味を覚えました。

  • 小学生の頃、全105冊の百科事典「和漢三才図会」を知人の家で閲覧し、それを暗記して自宅で写しを作ったと言われている。
  • 明治17年、東京帝国大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入学。夏目漱石や正岡子規は同級生だった。
  • 学会に入ること、学位を受けることを非常に嫌い、生涯、在野の学者として、研究に勤しんだ。
  • 多数の菌類を集め、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成した。そこには、整理番号、名前、採集地、採集年月日、生育地に環境を記し、水彩画を描き、標本を貼り付け、生物学的性状については英語で記載した。
  • これらの図譜には、非常に多くの新種が含まれていたにも関わらず、論文として発表しなかった。即ち「どうだこんなに集めてスゴイだろう」と無邪気に自慢する面があった。
  • 激しい癇癪持ちで周囲を困らせたが、学問に打ち込んでいると落ち着いていられたので狂人にならずにすんだと自ら記している。
  • 大学の講演会で、酔っ払って壇上に上がり、百面相をして立ち去ったとか??
  • キューバに渡った際、サーカス団に入り、キューバ革命にも参戦したとか??
  • 異常なまでの多汗症で、一年中裸で過ごしていたとか??
  • 自在に反吐(へど)を吐くことができ、気に喰わぬ者を追い帰したとか??

いやいや、紙一重ですね(笑)。

自筆の書簡や日記は、一見の価値ありだと思います。
3月4日まで開催されていますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

最近、文化や芸術に触れることを意識しています。
美術館や博物館のほか、映画、落語、歌舞伎、芝居など、ジャンルは多種多様が良いと思います。

先日観た映画「ギフテッド」も良かったなあ・・。
さあ、心豊かな中年をめざして頑張るか。
急がないと老年になっちゃうし・・。

128 心定理得

週末、会社のオンデマンド機を入れ替えました。
現在のマシンのリースがまだ残っていたのですが、機能が向上した上位機種を導入することにしました。

設置前に、200ボルトへの電源工事が必要でした。
業務に支障を来さないよう、金曜日夜7時から施工していただきました。
遅い時間や週末の作業依頼が多い電気工事の方は、大変ですね。
ついでに、という訳ではありませんが、トイレのコンセントがブラブラしていたので見ていただいたところ、気持ちよく修理してくれました。
すべての作業が終わったのは、午後9時半過ぎでした。

そして、土曜日。
いつもより少し遅めの7時過ぎに出勤すると、ゼロックスの担当者が9時過ぎに来社。
その後、10時頃から搬出と搬入が始まりました。

水平を測ったり、部品を取り付けたり、色調整をしたり、プリンタドライバをインストールしたり、以前のマシンからジョブを移行したり・・。
多くの作業を抱えるなか、一部円滑に運ばなかったところもあり、終了したのは予定の午後3時を大幅に超え、まさかの8時でした。

加えて、日中、私をひどく悩ませてくれる事件がまたもや舞い込み、土曜日帰宅後はヘナヘナでした。

夜の8時や9時・・と思われるかもしれませんが、毎朝6時半(今週は雪の影響もあって6時)に出勤している朝型人間の中年男には、降雪から始まったこの1週間は些かハードでした。

なおもってまずかったのは、その夜です。

夕飯もそこそこに風呂に入り、浴槽で「ふう・・」とため息をついたとき。
補聴器を付けたまま風呂に入ってしまったことに気づき、急いで外そうと左耳を触ったところ、肝心の補聴器がないのです。

あれ?今朝は久々に補聴器付けたよな・・」

先週末から風邪気味で毎日マスクを付けていたので、今週は補聴器を装着していませんでした。
というのも、補聴器とマスクを同時に付けることは可能なのですが、マスクを外すと補聴器も一緒に取れてしまうので、今週は補聴器を装着しなかったのです。

「でも今朝は間違いなく装着したはずだよなあ・・」
「帰宅する前に外した記憶はないしなあ・・」

その時点で、保管ケースを確認するなり、脱衣カゴ周辺を探すなりすれば良かったのですが、疲れていたことと、精神的にややイライラしていたこともあり、浴槽で疲れてぐったりしてしまいました。

そして、風呂でリフレッシュし、補聴器のことをすっかり忘れ、パソコンに向かって仕事をはじめてしばらく経った頃。

「おとーーさあーーん!!」

カミさんの声のテンションがいつもと違います。

「補聴器、洗濯機で洗っちゃった!脱水もかけちゃった!!どこに置いてあったのか、全然気付かなかった!!!」

シャツを脱いだとき、一緒に落下して、衣服に紛れたようです。

取り敢えず装着してみると・・、
やはり作動しません・・・・。

補聴器、22万円でした・・。

社員によく言う「確認」。
やっぱり「確認」はすぐやらねばダメですね。
風呂から上がってすぐなら、脱衣カゴで発見できたはずです。

「行動や道理を正しく、心を安定させよ」という神様のお告げですね。

127 倒載干戈

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りを、今年もご紹介したいと思います。
全体像がより分かるよう、広角レンズで撮影しました。
スケールの大きさ、伝わりますでしょうか・・。

向かって右側には、一方通行の道路があるのですが、今年はこの路地にも小規模ながら掲示がありました。
小さなお孫さんを持つお年寄りの琴線に触れること間違いないですね。

正月の特別感は、ひところに比べると希薄になってきているように思います。
私が子供の頃、正月になると、母は下着やタオル、歯ブラシなどの日用品を新しいものに変えていました。
さすがに書き初めはしませんでしたが、正月はやや襟を正して迎えるもの、と教えられた気がします。

私にとって、正月の特別感を代表するひとつは初詣でしょうか。
初詣は、父の名付け親が眠る靖国神社へ必ず足を運びました。
裏を返せば、靖国へ行くのは正月だけでした。

子供の頃の習慣はカラダに染み付いてしまうのか、50半ばになった今も、正月は家族を連れて靖国神社へ出向いています。

今年は2日の朝に詣でました。
ご朱印をいただきに行くと、来年ご創立150年を迎えるにあたり、記念のご朱印帳が販売されていたので、迷うことなく購入しました。
ご朱印代別で、1,500円をお納めしました。

靖国神社の中門鳥居の左手には、掲示板があります。
ここには、死を覚悟した若い兵士が、戦地から家族に宛てた書簡が紹介されています。
父が毎年読んでいましたので、必然的に私も読むようになりました。

正直、涙なしで読むことはできません。
と同時に、生まれてくる時代と国を選べない無情を感じます。

年頭にあたり、今の我々の暮らしの背景には、志半ばにして散華した多くの命があることを、心に刻みたいと思います。

126 絢爛豪華

今日、迎賓館へ行ってきました。
当然ですが政府からお招きをいただいた訳ではなく、天気予報が良かったので、カメラ片手にぶらりと出掛けてきた次第です。

正しい名称は「迎賓館赤坂離宮」というのだそうです。
周囲を車で通ったことは数知れずありますが、正面の瀟洒な門構えをじっくり見た記憶もないですし、ましてや、中に入ったことなどありませんでした。

まずは、早朝、人の少ない時間帯に正門を撮影しました。
警備する警官の姿もなく、静かで、厳かな冬の朝が撮れました。

公式サイトによると、正門から入ったところの前庭を見学するのは自由ですが、本館や主庭、および和風別館を見学したい場合は事前予約が必要だそうです。

迎賓館赤坂離宮では、外国からの賓客の接遇に支障のない範囲で一般公開を行っています。
急遽接遇を行う場合には、予定されていた一般公開が中止になることがありますので、御面倒でもお出かけ前に必ず下記公開状況を御確認下さい。Twitterでもお知らせいたします。
一般公開は、下記申込みページからの事前予約によるほか、事前予約なしで当日お越しの方も御参観いただけます(混雑時は、事前予約をされた方の受付が優先されます)。

早朝撮影のあと、四谷駅前のカフェで仕事に傾注し、開門時間の10時少し前に、もう一度戻ってみました。
「当日お越しの方も御参観いただけます」の一文に賭けてみたのです。

すると、予約なしでも見学が出来るとのアナウンスがあり、見学希望者は西門に案内されていました。
私もその流れに付いて行き、入口に到着すると、早くも100人以上の列が出来ていました。
そのほとんどが、予約をしていない人たち。
「今日は良い天気だから迎賓館でも見に行こうか」という都内在住者が多いのでしょうね。
私もそのひとりです。

列に並んで持ち物検査やペットボトル・水筒のチェックなどを受け、入場券(1,000円)を買うまでに10分ほど要したでしょうか。
ようやく、本館の中に入ることができました。

そこは・・、
案にたがわず・・、
日本にいることを忘れてしまうような世界でした!
家具、シャンデリア、天井、壁、鏡・・、その全てが、圧巻でした!!

廊下や階段の壁は白。
そして、その壁はどこまでも真っ白で、汚れや剥げは一切見当たりませんでした。
撮影は固く禁止されていますので、画像で紹介することが出来ず、残念です。

花鳥の間には、先月来日したトランプ大統領夫妻との晩餐会の写真が、掲示されていました。
なるほど、ここで一席設けられたのか・・と思うと、その場所にいることが、ちょっと不思議に感じました。
個人的には、天井の大絵画と高さ3メートルのシャンデリアが印象的な「羽衣の間」が最も感動的でした。

本館の見学を終え、主庭へ向かいました。
青空と白い本館が、見事なコントラストでした。
噴水越しの写真はネットでも頻繁に見ることができますので、ちょっと斜めから撮影した写真を掲載します。

早朝の撮影時は寒かったものの、徐々に気温が上がり、この写真を撮った頃には麗らかで心地よい陽気になっていましたので、見学者の数もぐんぐん増えているようでした。

なお、迎賓館は、特別開館を行っているのだそうです。
再度、公式サイトをご紹介します。

迎賓館赤坂離宮は、これまでは、来日した各国の賓客を接遇(おもてなし)する施設として、内閣総理大臣や衆参両議院の長など限られた国の機関しか利用できませんでした。 しかしながら、平成28年度より、国有財産を有効活用する観点から、接遇がないときに、下記1の要件を満たす民間企業や民間団体等も下記2の要件の満たす行事を行う場合には、原則として有償により、「特別開館」という仕組みで迎賓館を利用できるようになりました。

即ち、一定の条件を満たせば、一般人でも使用できるのです。

しかし、よくよく確認してみると、「下記1・2の要件」というのが非常に厳格で、私のような下々には全く縁がなさそうです。

ただ、民間の利用を許可した点は、評価したいと思います。
「有償」が果たしていかほどなのかも、興味がありますね。

125 忙中有閑

10月末頃から、仕事が非常に多忙となりました。
暇な時期と足して割れるといいのですが、そう都合良くはいかないものです。

昼食を食べる時間もなく根を詰めて働きつづけ、週末すら休めない状況でも、若い頃は、さほどダメージを感じませんでした。
しかし、50歳半ばを過ぎた今、ダメージを自覚する前に、カラダを労ることも大切だと考えるようになりました。

そこで、週末に思い切って東京を抜け出すことにしました。
パソコンがあればこなせる仕事をたんまり抱え、向かったのは仙台です。

新幹線はやぶさで、東京駅から仙台駅までわずか1時間半。
やっぱり新幹線は偉大です。

土曜日の朝は、仙台駅東口のスターバックスで、食事を摂りました。
交差点の2階から見える宮城野通りは、電線が地中に埋められたとてもキレイな道路で、初冬の気配に包まれた朝の風景は、日常の喧噪を忘れさせてくれました。

食事をしながらかれこれ2時間半ほど仕事をし、ホテルに戻って続きの作業。
腹が減ったら、ホテルのとなりで牛タン定食。
おやつどきには、ずんだ餅。
そして、また、仕事。

土日2日間、こんな調子で過ごしました。
環境を変えると、気分が変わりますね。
今は、Wi-fiスポットが街中にありますので、メール送受信にも事欠きません。
早朝、深夜を厭わず、仕事ができました。

好きな神社巡りも、ちょっと叶いました。

下の写真は、榴岡天満宮です。
仙台駅から歩いても行けるこの神社は、ご詠歌の書かれた見開きの御朱印で有名です。

仕事をこなしながら、ストレス解消。
ちょっとクセになりそうな2日間でした。
次は、名古屋か新潟あたりを狙おうか・・と策を練っています。

124 一挙両得

弊社は、社員全員にインフルエンザの予防接種をするよう伝えています。
少ない人数ですから、費用は会社が負担しています。

今年は、ワクチンが不足しているというニュースをよく耳にします。
6月にワクチン製造につかうウイルス株を変更したため、生産が遅れているからだそうです。

先日、大学病院で長くお世話になった先生が開業されたと知り、ご挨拶旁々お電話したところ、運良く在庫があり、私はすぐに接種していただくことができました。

ところで・・、
インフルエンザの時期になると、思い出すことがあります。

30代のころ、小学校からの親友が「おたふく風邪」で入院騒ぎになりました。
仲間とふたりで見舞いにいくと、既に回復に向かっていたものの、一時はかなり深刻な症状だったそうです。

「39度の高熱が出てさ、アソコが3倍くらいに腫れちゃってさ。まいったよ。」

アソコが3倍ってどんなんだよ!と、不謹慎にも友人と大笑いしつつ、大人が罹患すると重症化するのは間違いなさそうなので、その日のうちに母親に確認してみました。

「あ〜、ごめんね〜。ハシカとミズボーソーは間違いなくやったけど、オタフクだけ覚えてないのよ。」

それから10年以上が経ち、セガレが幼稚園に通っていたある冬。
複数の園児がおたふく風邪に罹ったと連絡がありました。
母親から心許ない情報をもらっていたので、まずは予防接種だ、と近くのクリニックへ行きました。

担当してくれたのは40歳前後のハキハキした男性医師。
やや話し好きな医師は、たわいもない話を私に投げかけ、中年男2人の診察室は、和気藹々とした雰囲気でした。
「じゃあ利き手じゃない方の左腕に注射しますね。」
カミさんが事前に予約してくれたので、すべてスムーズに進みました。

「空き箱、持って帰られますか?」

服装を整えていた私に、医師は意外なことを言いました。

アンプルの入っていた箱?
要らないよなあ、普通・・、と思いつつ、

「有難うございます。記念に持って帰ります。」

愛想笑いしながら空き箱を受け取り、診察室から出ようとすると「インフルエンザ」という文字が目に入りました。

「あの〜、先生、ワタシ、おたふく風邪の件で来たのですが・・。」

「あっ・・」

あれ?今「あっ」って言った気がするなあ・・、と思っていると、先生は慌てて部屋の奥へ行き、小走りで戻ってきました。

「あの、山田さんですよね、あの、ごめんなさい、あの、インフルエンザの予防接種をしてしまいました。朝からインフルの患者さんばかりだったので・・、えーと、あります。おたふく風邪は生ワクチンなので、冷蔵庫でちゃんと・・。えーと、ご予約いただいてますからね、お名前もちゃんと・・。」

完全にしどろもどろでした。

「すぐ射ちますから・・、ゴメンなさい・・。」

「いっぺんに2つもですか?大丈夫なんですか?」

「それは大丈夫です。問題ありません。アメリカでは、同時に接種するのが通常ですから。」

いやいや、オレ、バリバリの日本人なんだけどなあ、いやだなあと思う間も無く、右腕に注射針が刺されました。
結局、左腕にインフルエンザ、右腕におたふく風邪と、両腕に予防接種を受ける不測の事態となりました。

最後に、会計窓口での支払いの際、やや年配の女性スタッフがやや控えめの笑顔を浮かべながらこう言いました。

「インフルエンザの方は、サービスさせていただきます(^^)」

得をした、と喜ぶべき出来事なのでしょうか・・。