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078 無妄之福

今日10月1日は、都民の日です。

東京生まれ東京育ちの私にとって、都民の日は「お得な休日」という感覚でした。
カレンダーは赤く表示されていないのに、学校に行かなくていい日でしたから。

そして、「1日は休みか!」と直前に気付くことが多かった記憶があります。
「10月10日体育の日」に比べると、都民の日は忘れがちだったように思います。

まずは、制定の経緯を、東京都生活文化局のサイトから引用します。
(http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/keishou/0000000248.html)

「都民の日」のいわれは、明治時代にさかのぼる。
府県や市町村という地方制度は、明治11年の郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則という三つの法令をはじめ、同21年の市制町村制、同23年の府県制、郡制などの法令によってだんだん形作られた。そして同22年5月には、明治元年から置かれていた東京府の中に新たに東京市も誕生した。
しかし、この東京市は、京都、大阪の2市とともに、その誕生直前に公布施行された市制特例という法令によって、他の市にくらべて、市民の市政参加への道が大きく制限されていた。市は置かれたというものの、市長と助投の仕事は国が任命した府知事と府書記官が行い、また市投所の建物もなく市の職員もいないという制度だった。
こうした自治の制限に対し、市民の市政参加の道を広げようとする運動が市会を初め市民の間でねばり強く続けられた。そして明治31年になって、市制特例は廃止され、同年10月1日には、市会によって選ばれた市長をもつ新しい東京市が誕生し、市役所も開設された。この新しい東京市誕生の歴史を忘れないため、大正11年10月1日「自治記念日」に定められ、その後、自治の大切さを自覚しようという願いをこめて、昭和27年に「都民の日」となった。

すぐには理解しがたい社会状況ですね・・。時代を感じます。

調べてみると、東京都以外にも同様の日があるようですので、いくつか紹介しましょう。
(制定していない道府県が結構多いことも申し添えておきます。)

秋田県(8月29日・秋田県の記念日)
1871年8月29日、廃藩置県で秋田県が誕生したことに由来

群馬県(10月28日・県民の日)
1871年10月28日(旧暦)、廃藩置県で群馬県が誕生したことに由来

埼玉県(11月14日・県民の日)
1871年11月14日(旧暦)、廃藩置県で埼玉県が誕生したことに由来

山梨県(11月20日・県民の日)
1871年11月20日(旧暦)、甲府県が山梨県に改称されたことに由来

長野県(2月7日・長野の日)
1998年2月7日、長野オリンピック開会式が行われたことに由来

鳥取県(9月12日・県民の日)
1876年に島根県に編入されて消滅した鳥取県が、1881年9月12日に再び分離独立して、現在の鳥取県が誕生したことに由来

大分県(11月14日・県民の日)
1871年11月14日(旧暦)、廃藩置県で大分県が誕生したことに由来

沖縄県(5月15日・本土復帰記念日)
1972年5月15日、アメリカ軍政下にあった沖縄県が日本に復帰したことに由来

廃藩置県、オリンピック、本土復帰・・・・、様々な由来があるんですね。
しかし、東京都のように公立学校を休校にしているのは以下の5県のみです。

千葉県(6月15日)
群馬県(10月28日)
茨城県(11月13日)
埼玉県(11月14日)
山梨県(11月20日)

東京周辺に偏っているのは、偶然なのでしょうか・・。
せっかくなので、他県の記念日も学校が休みになればいいのに・・とも思います。

私は、横浜の大学に通っていましたが、神奈川県にはそもそも県民の日が制定されていません。
横浜市は、6月2日を開港記念日として市立の学校を休みにしていますが、国立大学には無関係。
都民の日っていいなあ、と強く感じたのは、大学生の時だったかも知れません。

因みに、今年の都民の日は土曜日ですから、来年は日曜日になります。
しかし、国民の祝日とは違うので、月曜日が振替休日にはなりません。
来年、都内の学生達は1日損をしたような気になるのでしょうね。

056 暮雲春樹

平成22年1月4日、
49歳という若さで逝ってしまった「ユミ」は、今年七回忌を迎えました。

節目の時期から2ヶ月遅れてしまいましたが、先週日曜日、墓参に出向きました。
ユミは、ご両親が暮らす静岡県三島市に眠っています。
1年3ヶ月ぶりの再会でしたが、お彼岸の中日に会えて、良かったなと思っています。

一緒に行ったのは、大学の同級生2人と、その奥さん1人。

同級生の1人は、福島市に単身赴任中の「ミゾ」。
広島出身のミゾは、酒も結構飲むし、不規則な生活をしている割には、中年太りとは縁がなく、大学時代よりも体重が減って、現在53kg!
身長は私と大差ないので、たぶん172〜173cm。
メタボは全く心配ないけど、ある意味心配かと・・・・。

いつも飄々としているミゾは、この日も「時間に遅れそうだから先に行ってくれ」と電話をしてきたかと思ったら、発車時刻ギリギリに新幹線に飛び込んできました。
スリムな体型を活かして、東京駅構内をダッシュしてきたようです。
しかし、そこは50代半ば。
新横浜駅あたりまでは、虫の息でしたね。

もう1人は、数年前に自宅を新築し、また借金生活だ!と苦笑している「あっちゃん」。
大学時代から穏健な男で、知恵袋的存在だった彼は、近年手足の痺れに悩んでいます。

「分かりやすく言うと、左手では大ジョッキが持てない。」

明るくそう言う反面、
「ちょっとずつだけど、時間と共に進行しているような気がする。」
とも言います。

手術も受け、脊髄症を疑われているものの、病名も原因も今一つはっきりしないために、治療法もどこか手探りなのだそうです。

「少し酒を控えようと思って、自分から誘うのを止めたら、週の半分が休肝日になった!」

お酒の量が減るのはきっといいことなのでしょうが、やっばりあっちゃんには、
大ジョッキで軽やかに乾杯して欲しいな、と思ってしまいます。

そして、もう一人。
墓参には一緒に行かなかったけれど、大切な友人のひとりが、近年体調を崩しています。

大学時代の彼を一言で形容すると、「天真爛漫を絵に描いたような若者」でした。
私は彼の下宿に頻繁に泊めてもらいました。

そして、ある試験の前夜・・・・。
「授業には出ていない、試験範囲は分からない、頼りになる友人もいない、まいった。」
私が煎餅布団で悶々としていると、
「お前な、今日それを考えて、結論出るか?出ないだろ。じゃ、寝ようぜ。」
まもなく、彼のイビキが聞こえてきました。
明日のテストに向けて、何ひとつ準備もせず・・・・。

あ~、自分もこういう思考回路になりたいなあ、とつくづく思ったものです。
奔放で悠然とした彼と違って、うじうじした自分が、とても煙ったく感じました。

しかし、時を経て、立場が変わり、双肩に担うものが増え、少しナーバスになったようです。
彼とは、仕事の環境が似ているので、決して他人事ではありません。
私も正に紙一重、明日は我が身です。

しかし、私には、彼に何の力も与えられません。
春の訪れと共に、少しずつ前に進めるよう、ただただ、ひたすら、願うばかりです。

遠く離れた友を思い、心を痛めています。
改めて自らの足下も見つめ直しつつ・・・・。

053 万死一生

我が家のセガレは小学校6年生です。
つい先日、中学受験を終え、運良く第1志望の学校から合格をいただきました。

そして、今日、2月11日は、「統一招集日」でした。

これは、一部の私立男子校が同じ日、同じ時間に実施している「合格者招集日」のことで、例年2月11日の13時なのだそうです。

因みに、この招集に応じないと、入学拒否と見なされます。

なぜ、同じ日時に保護者同伴で招集するかというと、学校側が入学予定者数を把握し、定員充足に向けて必要な 「繰上げ合格者」を出すことができるからと言われています。
即ち、この日は、繰り上げ合格連絡の日、でもあるのです。

昭和55年3月、私は、第1志望だった大学の合格発表から漏れました。
遺憾ながら、第6志望の大学への入学を決めました。
入学金に加え、授業料も振り込みました。

その後、高校の同級生とスキーに行きました。
誰がどこに受かったとか、様々な情報が入ってきました。
なんだか、凹みました。
苗場のシングルリフトで寒風にさらされ、いじけたのを覚えています。

スキー旅行から帰宅したその夜、自宅の黒電話が鳴りました。
昼はスキー、夜は麻雀という3泊4日から戻った私は、かなりヘトヘトでした。
家人が誰も電話をとらないので、舌打ちしながら嫌々受話器を取りました。

「はい、もしもし・・。」
「山田様でしょうか。こちら、横浜国立大学経営学部学務課の中村ですが・・・」

ありゃりゃ、受験の時、何かやっちまったかな??
確か、タバコは吸っていないよな??
不正行為なんて、ゼッタイしてないし・・。

瞬間パニックに陥りましたが、電話の趣旨は「繰り上げ合格」でした。

あるんですね。こういうことって。

そして、今日。
塾で親しくさせていただいたお母さんから、一報がありました。
ご子息が開成中学に繰り上げ合格になったと。

18歳の春を思い出しました。
我が事のように嬉しかったです。

015 隔世之感

私の通っていた大学は、横浜市保土ヶ谷区にありました。
横浜って一般的には都会的でおしゃれな街、というイメージが強いと思います。
山下公園や中華街、みなとみらいなどが象徴的ですね。

ところが我が大学のあるエリアは、おしゃれ感とは隔たりがありました。
大学ホームページのアクセスを見ても、横浜駅からの電車+徒歩でのご案内として、
★横浜市営地下鉄三ツ沢上町から正門まで徒歩16分
★相鉄線和田町駅から南門まで徒歩20分
と紹介されています。

因みに私が在籍していた頃、地下鉄はまだ開通していませんでした。
従って、文京区の自宅から通学していた私は、和田町駅から20分歩きました。
しかも、この20分が、平坦な道ではないのです。
言ってみれば山歩きみたいな行程なのです。

この山越えが苦痛になり、まもなくバス通学に変えました。
横浜駅から相鉄バスに乗り、国道一号線沿いの岡沢町という停留所で降ります。
経営学部の校舎まではそこから徒歩5分ほどです。
しかし、道路の渋滞が時間通りにバスを走らせてはくれません。

そして、もうひとつ「敵」がいました。
岡沢町というバス停の前に、「岡沢ボウル」というボウリング場がありました。
バス停で降りても学校には行かずボウリング場へ、なんてことが日常茶飯事でした。

この岡沢ボウルには、当時の仲間と足繁く通いました。
所属プロの山本由美子さんをはじめ、フロントの方とも親しくなり、常連の皆さんからも可愛がっていただきました。
マイボウル、マイシューズを購入し、トーナメントにも頻繁に参加しました。
トーナメントへの参加率は、大学のゼミへの出席率を確実に上回っていたと思います。

なお、余談ですが、残念ながら岡沢ボウルは平成17年5月に閉鎖されてしまいました。

 

卒業して30年。先日久々に家族でボウリング場に行きました。
そこで見たのは、私が知っているボウリングとは様変わりしていました。

とにかく驚いたのは、ボウリング独特のマナーが消滅していたことです。
それは、「隣のレーンの人と同時投球をしない」というマナーです。

ボウリングのレーンは隣との距離が狭いため、同時に投球すると危険が伴います。
また、集中力を妨げることにもなりますので、一般的に右側の人が優先とされています。

しかし、この日見たボウリングには、「同時投球」という概念がありませんでした。
隣の人には目もくれず、ピンめがけてひたすら投げる若者たちで溢れていました。

思うに、若い人達はマナーを守っていないのではなく、知らないのではないでしょうか。
一方で、ボウリング場側は「楽しく遊ぶために、最低限のルールを守りましょう」とあまねく知らせる努力を怠っているのではないかと感じました。
このままでは、ボウリングのマナーやルールは消滅する危機に瀕している、と言っても過言ではないと思います。

異次元を感じたのはそれだけではありません。
というのも、私が投げようとしたとき、突然、館内の照明が消えたのです。
何が始まるのか分からず呆然としていると、この後の投球でストライクが出るとご褒美がいただける、というイベントであることを知りました。

以前、各レーンに1本だけ赤いピンが含まれていて、そのピンがヘッドピンにきたとき、ストライクを出すと景品がいただけるという企画に遭遇した記憶があります。

しかし、今回はボウリング場が一体となって行われていました。
照明が消えたあとには、DJのごとき館内放送が流れて、イベント開催が告げられ、スタートの合図とともに、隣のことなど我関せず、一斉に投球をはじめるのでした。

そう・・、週末のボウリング場で見た光景は、スポーツというよりもゲームでした。
裏を返せば、若者層を取り込むために、ボウリング場も色々趣向を凝らしているのでしょう。
私は間違いなく浦島太郎でした・・。

因みに、私は薄暗い中、ストライクを一度出すことができました。
ちょっとした記念品と、ポラロイドで家族写真を撮っていただきました。
時代の趨勢なんだなあと、アンビバレントな心情に浸った休日でした。

補足:ボウリングのマナーの一部を下に記します。常識だったんだけどなあ・・。
☆投球の際にファールラインを越えない
☆ロフトボウルをしない(ボールをドスンと投げない)
☆アプローチで飲食をしない
☆投げ終わったらアプローチから速やかに降りる
☆靴下は必ず履く

007 横浜国大

今日は土曜日でしたが、出勤しました。
普段は朝5時に起きるのですが、今朝は6時。
ちょっとだけ朝寝坊して出勤しました。

朝刊を読むヒマがなかったので、帰宅してから読みました。
すると、主婦と生活社から「CHANTO」という雑誌が創刊され、表紙は「阿部哲子さん」だという広告が目に入りました。

阿部哲子さんって、元・日テレのアナウンサーで、たしか、私の大学の後輩じゃなかったっけ?

調べてみるとやはりそうでした。
15年以上離れていますが、横浜国立大学経営学部卒業のようです。
私の、もろ、後輩です。

うちの大学の卒業生、たま〜にテレビで見ることがあります。

例えば、オリラジのあっちゃんと結婚した福田萌さん。
この方も横浜国立大学経営学部卒業。

それから、眞鍋かをりさん。
この方は横浜国立大学教育人間科学部卒業。

また、俳優の加藤雅也さんとB’zの稲葉浩志さんは、ともに教育学部卒。
元・国土交通大臣の馬淵澄夫さんは工学部卒。
今大人気の俳優・西島秀俊さんは工学部中退とか・・。

小さな大学なので、仕事先で先輩後輩に巡り会うことは希有です。
しかし、一度だけ、偶然先輩と遭遇したことがあります。

その方は、車関係の一部上場企業のお客さん・M部長さんです。
ちょっと話しかけづらい雰囲気を持った方で、まだ若かった私は、とても冗談など口に出せませんでした。

あるとき、納品した商品に対して、ちょっとしたトラブルになりました。
私としては問題ないと自信を持っていましたが、M部長さんは不満を抱き、何度かご説明に上がりましたが、解決には至りませんでした。

「結構泣いてる業者さん、いるよ・・」とは部下の女性Kさんの話。

ちょっと重たい気持ちのまま、この日もM部長を訪ねました。
すると、部長の机の端に見たことのある冊子が置いてありました。

「んん?うちの大学の同窓会誌じゃないか???」
意を決してお聞きしました。

「M部長、ひょっとして横浜国大のご卒業ですか?」
なんでそんなことを聞くんだ、と言わんばかりの険しい表情。

「あの、私、昭和59年経営学部卒業なんです」
すると、M部長が今まで見たことのないような笑顔で私を見ています。

「おい、コーヒーでも飲むか?」

その後は言うまでもありません。
大学の後輩として、私をすごーく可愛がってくれました。

やっぱり学校の先輩後輩って、時を超えた絆があるんですね。

逆に、もし同じ大学の繋がりがなかったら、M部長とどうなっていたのか・・。
考えると、今でも冷や汗がでますね。

宮本部長、有難うございました。
(思わず本名で書いてしまった・・。)