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068 覧古孝新

「どうして伊豆アートさんって名前なんですか?」

たまにこんな質問を受けることがあります。
所在地は東京ですし、私の名字は山田ですから、疑問に思うのは自然かと思います。

答えは、弊社の創業者である父が伊豆の生まれだから、という陳腐なものです。

静岡県田方郡で農家の三男坊として生まれた父は、昭和24年、荷物をひとつ抱えて上京しました。
印刷会社で働きはじめた少年の夢は、一人前の商人になって、将来自分の店を持つことでした。

そして、昭和52年4月、44歳にして夢を叶えました。

会社を辞めると聞かされた時も驚きましたが、もっと驚いたことがあります。
それは、会社名が「大伊豆印刷株式会社」だと知ったときです。
「えー、ほかにないのー?」
17歳と15歳の姉弟は、口を揃えて反対しました(笑)。
東京で開業するのになんで伊豆なの?と、子供の感性には合わなかったのでしょう。
そして、父の故郷愛に思いを寄せることも出来なかったのでしょう。

開業にあたっては、周囲の方々から多大なるご支援をいただいたそうです。
勤務していた会社の社長、お取り引き先のお客さま、下請けの皆さん、税理士の先生・・。
特に、○城様と西○様には、心強いご支援をいただいたと聞いています。
人とのご縁は、人生を変えるほど大切なのものだ、と改めて思います。

父は昭和8年生まれなので、現在83歳になります(平成28年7月時点)。
年齢なりにガタはきているようですが、お陰様で毎日仕事をしています。

昭和8年。
どんな時代だったのか、ちょっと調べてみました。

この年に生まれた著名人は・・、
誰はさておき、天皇陛下がお生まれになったのが、この年の12月23日です。
なるほど、父は陛下と同じ年齢だったんですね・・。

オノ・ヨーコさんは2月18日生まれ。父と誕生日が1日違いですね。
芸能人では、宍戸錠さん、若尾文子さん、草笛光子さん、黒柳徹子さん・・。
故人では、菅原文太さん、藤田まことさん、池内淳子さん、南田洋子さん・・。
なかなか大物揃いです。

注目すべきは、ビスコとトクホンがこの年に発売を開始したことです。

ビスコは、昭和8年2月、1箱10銭で発売されました。
馴染み深いのは赤い箱だと思いますが、緑の箱の小麦胚芽入りビスコが私は好きです。
また、我が家では、ビスコの保存缶(賞味期限5年間)を非常食として保管しています。

トクホンは、商品名でもありますが、現在は「株式会社トクホン」と社名にもなっています。
また、トクホンの名の由来は、室町後期から江戸初期にかけて活躍した医師・永田徳本です。
諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者だそうで、享年118歳とのこと。
何か謎めいた人物ですね・・。

どちらも80年以上愛され続けている裏には、多いなる企業努力があるはずです。
長年培ってきた信用、見習うべき点は多いですね。

補足
「大伊豆印刷」に関する表記については、他の企業名を中傷する意図はありません。

065 才弁縦横

弊社のホームページは、山本州さんというデザイナーさんに作成していただきました。
山本さんとは、かれこれ10年ほど前に、あるクライアントさんを通じて知り合いました。
デザインのみならず、イラストも描けるとても器用な方です。

その山本さんが、本の出版に携わり、先日出版されました。
出版記念に山本さんが1冊贈呈してくださったので、そのお礼に本の宣伝を買って出た次第です。

その本とは、ボーンデジタル社発行の「Web+印刷のためのIllustrator活用術」です。

Web+印刷のためのIllustrator活用術

頂戴した本を私も読ませていただきました。

Amazonのレビューでも高評価を得ているとおり、お世辞抜きで、大変わかりやすい解説書です。

イラストレータは既に使っているけれど、WEB領域への活用は無理、という人は多いと思います。
WEB・印刷の両側面から解説されているこの本は、そういう方に非常に有益だと思います。

私も典型的にそのタイプです。
CHAPTER 3とCHAPTER 4はWEBに関する記事だったため、途端に読む速度が下がりました・・。 

一方、イラストレータ初心者にも、お薦めしたいです。
難しいテクニックではなく、はじめの一歩の教則本として非常に有効だと思います。

しかし、考えてみると、「本を発行する」って、ちょっと嫉妬しちゃいますね。
私にはそんなジャンルはないですから・・。

そして、奥付の上にあった著者紹介を読んで驚きました。
山本さん、私より1回り年下の丑年だったんだ・・。

045 遠路態々

漢字は奥が深くとても難しいですが、学べば学ぶほど新しい発見がありますね。
我々印刷業は文字を扱う商売ですから、漢字に対する知識は重要だと思っています。
漢検準一級の受検を断念した私が言うのもなんですが・・。

漢字は書くことはもちろんですが、読みも侮れません。
著名人が漢字を読み間違えてしまったネタもたくさんありますね。
最も有名なのは、麻生太郎さんの「みぞうゆう(未曾有)」でしょうか(笑)。

アナウンサーが生放送で漢字を読み違えてしまった、なんてことも結構あるそうです。
「訃報」を「とほう」
「西瓜」を「にしづめ」
「近藤勇」を「こんどういさお」などなど・・。

読売巨人軍の前監督・原辰徳さんの母校「東海大相模」を「とうかいおおずもう」と読んだアナウンサーもいたとか??

そういえば私にも苦い思い出があります。
社会人になってまもなく、会葬礼状の組版をしていた職人さんにこう尋ねました。

遠路たいたいご会葬いただき・・」ってどういう意味ですか?

すると、

「お前は大学まで出てるくせに、何を勉強してきたんだ!」
「遠路わざわざと読むんだ!」

文選の職人さんにひどく叱られました。

遠路態々

この字が読めませんでした・・。

昔の職人さんは、学歴なんかなくても漢字を良く知っていました。
そして、一日中立ち仕事に耐えうる体力も持っていました。
時代は移れど、私も、DTPオペレーターも、見習うべき点がありますね。

【補足】
文選とは活版印刷の工程のひとつで、原稿に従い、活字棚から活字を拾うこと。
一方、文選職人が拾った活字を並べ、組み版を整える工程を、植字といいます。

020 温故知新

京都日帰り旅の続きです。

清水寺や南禅寺など、中心部に位置している有名どころは外し、観光客が少なめで紅葉が進んでいるところはないものか・・、出発前、ネットやガイドブックでいろいろ調べました。

なるべく北へ行った方が色づきが進んでいるのではないかと思い、一乗寺・修学院エリアに狙いを定めました。

そんな中、圓光寺さんというお寺さんを見つけました。
正直、これまで知らなかった寺院でした。
十牛之庭(池泉回遊式庭園)、奔龍庭(枯山水)、水琴窟、紅葉・・。
見どころ満載の魅力的なお寺さんのようです。

そして、もうひとつ。

ここには、日本最古の印刷用木活字が保存されているのです。

私も印刷業の端くれです。大いに興味を抱きました。

昼食後、叡山電鉄一乗寺駅で下車し、歩くこと約15分。
圓光寺さんに到着しました。

拝観料500円を納めて、本堂へ。
重要文化財でもある日本最古の活字とご対面です。

結構大きなサイズで、2号とか3号くらいに見えました。
漢字もカナもありました。般若心経を組んだものもありました。
カナは「いろは順」ではなく「五十音順」で並んでいましたね。

日本最古の活字を前に、印刷のルーツに出会ったようで感動しました。

ところで、拝観料を納めた際にいただける圓光寺さんのパンフレット。
これがとってもスマートなのです。
A4やB5の三つ折りといった体裁はよく目にしますが、
圓光寺さんは、140ミリの正方形で、12ページ・中綴じなのです。

紙はダル系の135kgベース。
モノトーン調の瀟洒な表紙に、写真とテキストをすっきりレイアウトした本文。
デザイナーの優れた感性を感じるアートなパンフレットです。

それから圓光寺さんのオフィシャルサイトもぜひご覧下さい。
華美ではないけれど凄艶で、美的センス溢れるWEBです。

Facebookもあります。この時期は紅葉のニュースが楽しめます。

日本最古の活字を所蔵しているお寺さんだけあって、パンフレットをはじめ、ホームページもFacebookも、秀逸な出来映えです。

同業の大先輩から、印刷業はこうあるべし、と学んだ気がいたしました。

003 質素倹約

突然ですが、日本で最も有名な印刷会社ってどこでしょうか?
凸版印刷?大日本印刷?

私は朝日印刷所だと思うのです。
朝日印刷所は東京都葛飾区柴又の印刷屋で、社長は桂梅太郎氏です。

???????
答えは、映画「男はつらいよ」に登場するタコ社長経営の印刷屋です(笑)。

社長は一年中、景気が悪い、景気が悪いと嘆き、常に金策に追われています。
また、寅さんの妹・さくらの旦那さんはここの職人さんです。
インキで汚れたグレイの暗い作業着で一生懸命働き、つつましく生活する。

これが日本の印刷屋の象徴的な姿だと思うのです。

でも、今は朝日印刷所のような活版印刷はほとんど姿を消し、デジタル全盛です。
印刷機を扱う者も、職人よりオペレータという表現が適切かも知れません。

でも、あの時代も、悪くないですね。

活版印刷。

ちょっとの直しだって、結構大変でした。
まさに職人技がそこにはありました。

今の若い人達は、文選(ぶんせん)なんて知らないんだろうなあ・・。

001 自己紹介

はじめまして。
零細印刷会社・代表取締役の山田です。まずは、カンタンに自己紹介を申し上げます。

昭和36年10月、日本橋の産院で産声を上げる。
東京都北区田端で9年間過ごした後、文京区千石へに移り、34歳の秋まで千石で暮らす。
東京都葛飾区で生まれ育った妻の実家では、自身を「山の手のお坊ちゃま」と称す。
高校1年生の時、父が独立して印刷会社を起業。
大学受験に際しては、将来のためにと経営学部を選んだものの、授業では刑法に目覚めて隣の経済学部の授業を履修、ゼミナールは海上保険を選択と支離滅裂の果てに、成績表には美しいほどに「可」を並べ、入社試験のなかった父の会社に入社。
40歳の頃、社長に就任。現在に至る・・・。

日々仕事に忙殺され、果たしてどのくらいのペースで公開できるのか甚だ疑わしいのですが、よろしくお願いいたします。