雑学」カテゴリーアーカイブ

217 故事来歴

先月、京都の貴船神社へ行きました。
交通の便があまり良くないこともあり、これまで参拝の機会がありませんでしたが、ようやく念願が叶いました。
朝8時前に到着すると、あの有名な撮影スポットに観光客は誰もおらず、思う存分写真を撮ることができました。

貴船神社について、公式サイトでは以下のように紹介されています。

貴船神社は万物の命の源である水の神を祀る、全国2,000社を数える水神の総本宮です。
創建年代は極めて古く、その始まりは不詳ですが約1300年前の白鳳六年にはすでに社殿造替の記録があることから、日本でも指折りの古社に数えられます。

白鳳六年をネットで調べてみると、「白鳳」は日本書紀には見られない「私年号」で、その解釈には諸説あるようです。
666年とか677年などと言われているようですが、いずれにせよ貴船神社は1350年以上前に創建されたことになります。

因みに、日本で最古の神社は、奈良県にある大神神社(おおみわじんじゃ)という説が有力です。
大神神社は、本殿を持たず、鳥居と拝殿だけで構成されているのが特徴です。
拝殿の奥にある聖山・三輪山そのものがご神体であり、原始神道の祈りのスタイルを今も受け継いでいると言えます。

私が今一番お参りに行きたい神社は、他ならぬこの大神神社です。
しかし、残念ながら、三輪山登拝は現在中止されており、「神様の鎮まるご神体山のご安泰とご参拝の皆様の健康と安全を考慮しての判断です」と発表されています。
5月8日には、新型コロナの感染症法上の位置付けが5類に移行しますので、再開の方向に舵を切るのではないかと期待しています。

話を戻します。
貴船神社は「絵馬」発祥の地としても知られています。
ただ、奈良県吉野郡に鎮座する「丹生川上神社下社」が発祥で、平城京から平安京に都が遷る際に、京都の『貴船神社』に受け継がれたという説もあるようです。
昔年のことですから、確たる文字記録がなく、正確なことはわかっていません。
解明されていないことが多いのも、神社巡りの楽しみの1つです。

なお、貴船神社には「水占みくじ」という独特なおみくじがあります。
一見ただの真っ白なおみくじですが、御神水に浮かべると、文字が浮かび上がってきます。
私は「末吉」でした。

最後におみくじに関する蘊蓄を。

最新のデータではありませんが、おみくじの6割以上は「女子道社(じょしどうしゃ)」が製造しており、全国5,000カ所以上に納めているのだそうです。

その歴史を紐解きますと、山口県周南市にある二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)の宮本重胤宮司が、女性の社会進出を推進する機関誌『女子道』の発刊費用捻出のため、会社の印刷技術を生かしておみくじを考案し、製造のための会社として1906年に創設しました。

機関誌は戦争の時代に突入したこともあって、昭和19年頃に活動を休止しましたが、一方おみくじは順調に発展を続け、おみくじの自動販売機の設置から様々な種類のおみくじの考案をするなど「おみくじといえば女子道社」とまで言われるほど、シェアを拡大していきました。
因みに、日本初の自動販売機は「おみくじ販売機」と言われています。

おみくじが出版系に由来しているというのは、印刷業界に身を置く者として嬉しく思います。

日本には魅力あふれる神社が数多くあります。
ただ、神社参拝を楽しむためには、足腰が健康でなければなりません。
股関節に不安を抱える私ですが、少しでも長く趣味を続けられるよう、節制していきたいと思っています。

215 大慈大悲

昨年11月頃、ネットで京都に関する情報を見つけました。

京都市と京都市観光協会(DMO KYOTO)は、JRグループ6社と連携したデスティネーションキャンペーン「京の冬の旅」を、2023年1月1日~3月27日に実施する。

第57回目となる今回は、1月8日から放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」や「親鸞聖人御誕生850年」「弘法大師御誕生1250年」などにスポットをあて、普段は見られない15か所の貴重な文化財を特別公開する。

1年を通すと観光客が比較的少ない冬季の集客を狙って始まったイベントかと思いますが、57回目という回数に驚きました。

これまでも冬の特別公開には興味を抱いてきましたが、普段見ることができない文化財が鑑賞できる機会はとても魅力的です。

清水寺、仁和寺、醍醐寺、大徳寺・・・・。
今回も有名なお寺が並んでいるな・・と思ったその時、目を疑う記事を発見しました。

「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 上徳寺

~「世継地蔵」で知られる家康ゆかりの寺~

「大坂の陣」にも関わったという徳川家康の側室・阿茶局を開基として創建。通称ともなっている「世継地蔵」は「子授け祈願・安産祈願」の信仰を集める像高約2mの石像で、今回は地蔵堂の内部に入って間近で参拝することができる。本堂では、家康と二代将軍・秀忠、阿茶局の肖像画など寺宝も特別展示。また貴族の邸から移築されたと伝わる書院造の客殿は、紅葉や桜を描いた江戸後期の円山派の絵師による襖絵や枯山水庭園がみどころ。

以前何度か紹介させていただきましたが、上徳寺は我が家にセガレを授けてくださった有難いお寺です。
そのお地蔵さんが間近で見られるとは、信じられません。

数年前、毎年2月8日に行われる大祭に参加し、地蔵堂の中に1度だけ入ったことがあります。
しかし、お地蔵様は少し中に鎮座しているため間近で見られた訳ではありませんし、今回の特別公開では地蔵堂のみならず、本堂や客殿にも上がることができると知りました。

そのうえ、本邦初公開です。
こんな貴重なチャンスを逃すわけにはいきません。
1月上旬に、拝観に行ってまいりました。

拝観料800円を納め、本堂に上がらせていただきました。
これまで20回以上訪れているお寺さんですが、本堂内に入るのは初めてのことです。

堂内は荘厳で静謐。
また、堂々とした寺額は、存在感抜群でした。

中には説明をしてくれるスタッフさんがいて、上徳寺は1603年の建立と伺いました。
1603年?
2003年生まれのセガレは、建立400年の年に授かったわけです。
さらに深いご縁を感じ、興奮でちょっと体温が上がった感じがしました。

ただ、残念だったのは、ご本尊の阿弥陀如来様が、今、東京に行っており、3月上旬にお戻りになる予定とのこと・・。
残念ながら、拝顔の栄に浴することはできませんでした。

本堂を見学した後、客殿も拝見いたしました。
ネットでも紹介されていた襖絵は見応えがありましたし、枯山水庭園も見事でした。

そして、最大のイベント、世継地蔵様を間近でお参りする機会が巡ってきました。

結婚して8年、子宝に恵まれなかった我々夫婦が、新幹線内で読んだガイドブックでその存在を知り、初めてお参りしたのが2003年1月。
その年の10月にセガレを授けてくださったお地蔵様を、至近距離で拝むことができるのです。

若干緊張しながら靴を脱いで地蔵堂内にお邪魔し、向かって左側へ進むと、正に目の前、30cmほどの距離に石像が鎮座していました。

その瞬間、図らずもカラダが硬直しました。
どこかが震えているのを感じました。

他に参拝者がいなかったこともあり、しばらくの間、立ちすくんでいました。
写真撮影も許可されていましたが、スマホは握らず、心の中に深く、深く刻むことに決めました。

あれから2ヶ月。
せわしい年度末の日々を過ごしていましたが、ふと、お地蔵様のことを思い起こしました。
あんなに近くで拝顔させていただき、有難かったな・・。
そういえば・・、

ご本尊は東京から戻ってきたのかな・・。
手を合わせに行きたいなあ・・。

ひょっとしたらと思い、Twitterをチェックしてみると、無事、京都にお戻りになっていると知りました。

しかし、今年の冬のイベントは、3月19日まで。
週末はあと1回。
仕事もたくさん残っているな・・と迷いながらも、先日、弾丸で行ってまいりました。

ようやくお目にかかれたご本尊は、穏やかで慈愛に満ちた表情をされていました。

以前お邪魔した際、スタッフさんからご本尊の特徴について、以下のようにご説明を受けました。

  • 右手は胸の前、左手は下に垂すというポーズが多いと言われているが、手の位置が左右逆になっている。
  • 袈裟の右肩をはずして、左肩だけを覆う着方(偏袒右肩)が多いなか、両肩を袈裟で覆っている。

間違いなく、その通りのお姿でした。
感謝を込めて手を合わせてまいりました。

また、お寺の西側にある墓地には、側室でありながら家康公の懐刀として歴史に残る活躍をした阿茶局が眠っています。
この墓地にも、今回初めて入ることができました。

才知の局と紹介された墓碑を読み進めていくと、京都では上徳寺、江戸では雲光院が菩提寺となったと記されていました。

今度、東京の菩提寺も訪問してみようかなと、帰りしなスマホをいじってビックリ。
雲光院は、弊社から徒歩5分のところにあるお寺でした。

弾丸ツアーでしたので時間の余裕はさほどありませんでしたが、益々ご縁を感じる素晴らしい旅となりました。

214 千秋万歳

令和になって4度目の天皇誕生日を迎えました。
今年は、コロナ禍の影響で中止されてきた一般参賀が即位後初めて行われましたので、いっそう喜ばしい日になりました。

「誕生日に、初めてこのように皆さんからお祝いいただくことを、誠にうれしく思います。(中略)皆さん一人ひとりにとって、穏やかな春となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります。」

国民に向かってお言葉を述べられた陛下。
好天のもと、声を発することなく、日の丸を振って祝意を示す参賀者。
日本人としての麗しさを感じました。

来年は、陛下も参賀者も、マスクなしで開催できたらなお嬉しく思います。

天皇誕生日というと、直感的に12月23日を思い浮かべてしまうことがあります。
平成の時代を30年以上過ごしましたので、致し方ないと思いますが、きっと数年すると解消するのだと思います。

上皇さまは昭和8年12月23日のお生まれですが、同じ年の父が、先日誕生日を迎えました。
90歳、卒寿です。

昭和8年の出来事を調べてみると・・、
01月01日 ラジオの時報が手動から自動式になる
01月30日 ヒトラーが独首相に就任
03月04日 フランクリン・ルーズベルトが第32代米大統領に就任、ニューディール政策始動
03月27日 日本政府が国際連盟脱退の詔書を発布
07月25日 山形市で気温40.8度を記録
10月19日 ドイツが国際連盟から脱退

まるで歴史の教科書を読んでいるようですね・・。

注目すべきは、7月25日の「山形市で気温40.8度を記録」です。
2007年8月16日に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度を記録するまで、国内最高気温が昭和8年の記録だったとは驚きです。

伊豆の農家の三男坊だった父が上京したのは昭和24年、16歳のときでした。
東京都中央区の印刷会社に住み込みで働き始めました。

東京に行ったらうまくなるぞ!と思っていたことがが3つあったそうです。
ビリヤード、ボウリング、社交ダンスです。
(女性にもてたかったのでしょうか・・)

ビリヤードとボウリングに夢中になっていた姿は、私の記憶にもありますが、社交ダンスは全く知りません。
聞くと、銀座にあった社交ダンスの店へ恐る恐る行くと、スラリとした華やかで美しい女性に「いらっしゃいませ」と出迎えられ、恥ずかしくて逃げてきたそうです。
「でもな、やっぱり習っておけば良かったな」と悔いるように言うときがたまにあります。

90にして今もなお、ほぼ毎日出社しています
運転免許証は返上してしまいましたので、電車通勤です。

本人を目の前にしては言葉にしませんが、生涯現役を貫く姿勢には敬服です。
もちろん、出来ることは年々少なくなってきていますので、温かく協力してくれる社員の皆さんには感謝しなければなりません。
ときに、卒寿の祝いの品を社員からいただいたそうで、本人は心から喜んでいました。

誕生日当日、セガレとカミさんと連れだって、久しぶりに実家へ行きました。
我々の到着よりも早く、事前にオーダーしておいた花が届いていました。
数日後には、名前入りの夫婦茶碗が届く予定です。

セガレは大学に入ってから始めたクラシックギターを演奏するため、ギターを持参しました。
ひょっとすると、花よりも夫婦茶碗よりも、初心者ながら孫のギター演奏が一番心に残ったのかも知れません。

212 読書三余

読書三余。

この四文字熟語の解説は、「福島みんなのNEWS」サイトにわかりやすく掲載されています。
(http://fukushima-net.com/sites/meigen/411)

読書・勉学をするのに好都合な三つの余暇(自由に使える時間)のことを表しています
一年のうちでは冬、一日のうちでは夜、気候では雨降りをいいます。

出典は『三国志』魏(ギ)志・王肅(オウシュク)伝の注です。

中国三国時代(A.D.220~280)、魏の大司農(ダイシノウ:今の財務大臣)董遇(トウグウ)が、その弟子に教えた勉強法です。

董遇は、弟子に最初から教えようとせず、まず自分で書物を熟読すべきことを説きました。
『読書百遍 義自(おの)ずから見(あら)わる』
まず書物を百回繰り返して読め。百回読めば自然に理解できるようになると弟子たちに教えました。

弟子の一人が「私には、書物を百回も読む暇がありません」と答えました。
すると董遇は「暇がないことはないでしょう。三余にしなさい」と言いました。

三余とは何ですかとの問いに、
冬は歳(とし)の余、夜は日の余、陰雨は時の余なり
1)冬は一年の余り、
2)夜は一日の余り、
3)雨降りは時の余りである
と答えました。

この話は「董遇三余」とも呼ばれています。
余は「余暇」の意味です。自由に使える時間と言う意味です。
「晴耕雨読」が生活の基本であった当時、
農作業の忙しくない季節である冬と、
一日のうちでは夜と、
雨降りの時が
余暇になります。

暇がないと騒ぐのは、今も昔も勉強したくない者の言い訳のようです。

この言葉の奥義は、最後の1行に集約されていますね。

私も、繁忙期になると本を読む時間がないと感じる「勉強しなくない者」の典型です。
思い返してみると、ここ数ヶ月、読書時間は著しく減っていますし、書店にもあまり行っていません。
この正月期間は、読書に時間を割きたいなと思っていました。

そんな中、昨夜、衝撃的なテレビ番組を見つけました。

「NHKスペシャル未解決事件・松本清張と帝銀事件 第1部ドラマ 事件と清張の闘い」です。

帝銀事件とは、1946年、銀行員らに液体を飲ませて12人を殺害し金銭を奪った、戦後最大のミステリーと呼ばれている事件です。

事件から約7ヶ月後、逮捕されたのは小樽在住の画家・平沢貞通氏。
彼は、裁判で終始無実を訴え続けながら、1987年に95歳にて獄中死しました。

作家の松本清張氏は、この帝銀事件をはじめ、下山事件や松川事件など、アメリカ軍占領下で発生した重大事件について独自の視点で真相に迫り、「日本の黒い霧」というノンフィクションを出版しました。

私がこの本に出会ったのは、高校生の時。
平沢貞通という男は、贖罪の念を全く持たない卑劣極まりない人間なのか、あるいは、無実の罪を着せられた極めて痛ましい人なのか・・。

高校生のどこかのスイッチが、オンになった瞬間でした。
その後、事件や事故、死刑制度などの本をたくさん読みました。

そんなちょっと変わった読書癖のきっかけになった本が、ドラマ化されたのです。
昨今、テレビドラマを見ることはほとんどありませんでしたが、昨夜は1時間半、テレビに釘付けになりました。

帝国銀行椎名町支店、松井蔚氏の名刺、青酸ニトリール、テンペラ画家・・。
45年も前に読んだ本が、アタマを巡りました。
青春時代に心揺さぶられたことは、長い時間を経ても忘れないものだな・・と感じました。

大沢たかおさんの鬼気迫る演技も秀逸でした。
今夜9時から放映される第2部が、今から楽しみでなりません。

210 投桃報李

同じ名字の山田という親友がいます。
外見は、ほぼ「その筋の人」です。
青果市場で早朝から働き、午後は別の仕事に就くという、超人的に働くタフな男です。

私は年に数回、ゴルフコンペの商品手配を彼に依頼します。
順位に応じた予算を提示すると、その時の旬なフルーツや野菜を準備してくれます。
それだけでなく、一つひとつに説明書きを添えてくれるのです。

つい先日依頼した時の優勝賞品は、高級ぶどうの詰め合わせでした。
その内訳は、シャインマスカット、ナガノパープル、マイハート、土佐太郎、コトピー、高妻、ゴルビーの7種類。
今回もこれら全てに、事細かな解説が書き添えられていました。

市場というところには、我々が日常スーパーでは見かけることのない品種が数多く並んでいます
また、夏場にミカンがあったり、冬なのにスイカが売っていたり、驚きの光景が広がっています。

さて、上は我が家のダイニングテーブルで撮った写真です。
誤解のないように申し上げておくと、件のコンペで優勝した訳ではありません。
コンペの賞品を引き取りに行った際に、彼がプレゼントしてくれたものです。

彼と私は、折に触れて、モノを贈り合う仲です。
盆暮れに関係なく、彼は旬のフルーツを、私はラーメンやうどんなどを、挨拶代わりに贈り合っています。

写真について、簡潔に解説します。
写真左上、濃紺色のぶとうは「ナガノパープル」という品種です。
あまり聞かない名前ですが、品種登録されたのは2004年ですから、18年も前のことです。
黒系のブドウなので、皮にはポリフェノールがたっぷり含まれており、1房食べると赤ワイン1本分と同程度のレスベラトロール(ポリフェノールの一種)が摂取できると言われています。

その右下、ちょっと粒がばらけてしまっているのが「コトピー」。
シャインマスカットと甲斐乙女を交配した、果皮が赤いぶどうです。
シャインの味がほのかに感じられ、上品な美味しさでした。

その右上は、ご存じシャインマスカット。
「まだ早いから追熟させてから食べてよ」と言われたにも関わらず、我慢できずに少し食べてしまいましたが、十分美味しかったですね。

一番右上のぶどうは「マイハート」です。
その名の通り、ハート型をしています。
生産量が非常に少なく、市場にもごくわずかしか出回らない希少な品種です。
半分に切って並べると、ハートがとても可愛らしいですね。
お弁当に入っていたら、テンションが上がりそうです。

それから、左下に桃が1つあります。
これは「CX(シーエックス)」という山形県産の超レアな品種です。
梨のような食感が特徴の桃ですが、やや固めの食感に反して、実に甘い!
桃の糖度は通常の11〜14度くらいとされていますが、19度という飛び抜けた糖度の品種です。

その桃の上下にキウイがあります。
私がコンペでゲットしたのはこれです。
福岡県産の「レインボーレッドキウイ」という品種で、サイズはやや小ぶりですが、2つに切ると中が赤くてビックリします。

  • 低温でも熟してしまうため貯蔵性が無い
  • 生産量が非常に少ない
  • 出回る時期も限られている

という貴重な品種ですので、当然、お値段も高めです・・。

ワタクシ、第9位という成績で、この商品を獲得しました。
まさか・・と思って確認すると、やはりそうでした。

「9位だからキウイにしたよ」

コンペの表彰式を盛り上げるためのオヤジギャグも仕込んでくれる市場の彼に、謝意を表したいと思います。

【参考】
今回紹介したのは千住の足立市場内にある関水青果さんです。
一般の人でも購入が可能です。
産地の話、食べ方など、いろいろ教えてくれますので、ぜひ足をお運びください。

207 一球入魂

第104回全国高校野球選手権が開幕しました。
3年ぶりに一般客がスタンドで観戦できることになりましたが、敗戦校が土を持ち帰ったり、勝者が大声で校歌を歌うことはNGだそうで、コロナの影響は未だ色濃く残っています。

大会初日の今日、甲子園地方の最高気温は32度でしたから、猛暑日にならなかったのは良かったと言えます。
ただ、近年の暑さは、昔とは別物と考えなければならないと思います。
ドーム球場で開催すれば、健康面での安全が確保されるのになあ、と思ったりします。
開会式でプラカードを持つ女子学生の親も、安心して送り出せるのではないでしょうか。

しかし、球児たちにとっては、夢の舞台が甲子園球場であることが、意義深いのかも知れません。
アメリカ横断ウルトラクイズ決勝の地がニューヨークでなくてはならないのと同じですね(違うか)。

そんな中、先月下旬、日本高野連は将来的に朝と夕の「2部制」での開催を含め、さまざまな観点から暑さ対策を検討すると発表しました。

これまでも専門の理学療法士を待機させたり、試合中に給水や休憩の時間を設けたりして対策を重ねてきたようですが、暑さ対策についてはより前向きに、そして迅速な対応が必要だと思います。

ところで、日本高校野球連盟の調査結果によると、2021年、同連盟に加盟する47都道府県の高校の硬式野球部の部員数は13万4,282人でした。
2001年は15万328人でしたから、10年間で1万5,000人以上減ったことになります。
また、中学軟式野球部は、もっと大幅に減少しているそうです。

子供たちの野球離れには、以下の複合的ファクターがあると考えられています。

  1. ボールの使用を禁止する公園が増えたこと
  2. YouTubeやeスポーツ市場の拡大によるゲーム人気の高まりなど、娯楽の選択肢が増えていること
  3. 経済的理由で子供の野球用具の購入費用が捻出できないこと

また、もう1つ、独特の要因があります。
「坊主頭」の文化です。

現在は、多くの学校が坊主頭を強制しているのではなく、「暗黙の了解」で坊主頭にしているのだそうです。
先輩が皆丸刈りならば、新入部員が坊主にするのは必然ですから、これを暗黙の了解というのでしょう。

しかし、最近は髪を伸ばした高校球児を見ることが増えたように思います。
中国新聞社が今年の広島県大会前に調べたところ、出場85校(83チーム)のうち、半数以上の46チームが髪形を選手個々の判断に委ねている一方、37チームが今でも全員丸刈りにしているとのこと。
徐々に変わりつつある、といった印象ですね。

2019年夏、45年ぶりに甲子園出場を果たした秋田中央高の佐藤監督(当時)の言葉が印象的でした。
この学校は2019年4月に、監督が坊主頭を見直すのはどうだろうと生徒に提案し、最終的に丸坊主をやめる決断を下しました。
その決断を受け、佐藤監督は部員たちにこう伝えたといいます。

「負けたら色々言われるよ。寝癖がついていればだらしないと思われる。自由というのは一番厳しいんだ。野球だけでなく、普段の身だしなみから自分で考えるべ。坊主頭のままでももちろんいい。でも髪型を考えることを放棄して坊主頭にするのはやめよう」

わがままに何をしてもいいのが自由ではなく、人に対して、そして、自分に責任を持つことが本来の自由であるという指導に感銘を受けました。

私は物心ついたときから野球が大好きでした。
しかし、私の通った東京都文京区の公立小学校にも中学校にも、野球部はありませんでした。
文京区は山手線の内側に位置していますから、野球ができるほどの広い校庭を望むのは所詮無理な話です。

一転、高校には広い土のグラウンドがありました。
もちろん野球部もありましたが、私は入部しませんでした。

坊主頭にするのがイヤだったからです・・。

ご多分に洩れず、我が母校の野球部員は全員丸坊主でした。
髪型が自由だったら、野球部に入部していたかも知れません。
坊主頭ルールが有能なプロ野球選手を1人失った、と言えるかも知れません(違うか)。

また、全く別の意味で、独特の丸刈りルールがありました。
それは、校則違反を犯した者は、懲罰として丸坊主にされるというものです。

丸刈り担当は、ごつくて強面の体教(体育教員の略)でした。

「この間、電動バリカン買ったからな。ガンガン坊主にするぞー!」
ある日の朝礼で、体教が不吉な笑いを浮かべていました。

昨日まで髪の毛フサフサだった友人が、ある朝突然、坊主頭になって登校してくるなんて姿を何度も見ました。
その理由は多様です。

「昼ドキに学校抜け出そうと思ったら捕まった・・」
「パーマ掛けて、直さなかったらやられた・・」
「タバコ持ってるのバレた・・」

根本的な原因は生徒にあるので、当時の学生は不満に思ってはいませんでしたし、今思い返しても、指導の行き過ぎだとは感じません。

ある日、友人のK君が正門前で体教に確保されました。
1978年4月4日の午後でした。

「おい、具合でも悪いのか?それともほかに理由があるのか?」

万事休す・・。
しかし、K君は正々堂々、体教と対峙しました。

「先生、今日はキャンディーズの解散コンサートがあるんだ。今日が最後なんだ。明日、朝イチで体育教官室に行って、どんな処分も受ける。だから今日は行かせて欲しい」

屈強な体教を前に、そして、学校をサボるという立場にありながら、K君は胸を張って言いました。

結果、彼は後楽園球場で解散コンサートを見ることができました。
そして、何故か、電動バリカンの餌食にもなりませんでした。
直球勝負の心意気が先生を動かしたのか、あるいは、その体教もキャンディーズのファンだったのか、真相は闇の中です。

言った生徒も生徒なら、対応した教師も教師です。
昭和の良き風景を感じます。

205 物見遊山

若い頃、ひとりで行動することが、あまり好きではありませんでした。
しかし、近年「ひとり旅」の楽しさを覚えました。

そもそもひとりで旅に出たきっかけは、気分転換でした。
パソコン持参で東京を脱出し、知らない土地で旅行気分を味わいながら仕事をしたのです。
近年ワーケーションという言葉を耳にしますが、ちょっぴり先取りしてたかな?なんて思ったりします。

元来、根を詰めて、がむしゃらに働き続けてもケロッとしているタチでした。
しかし、50代半ばを過ぎたころから、疲労が抜けづらくなってきました。

そもそも零細企業の経営者は、働き方改革とは対極に位置していますから、オンとオフをきっちり分けることは現実的ではありません。
そこで、場所を変えることで、心身をリフレッシュして仕事をこなしてみようと考えました。

すると、半ば旅行気分であることでいい気晴らしになり、明日の英気を養うことができました。
やるべきことをほったらかし、観光ばかりになってしまうかも・・と心配しましたが、仕事も予想以上に捗りました。

5年前は仙台、4年前は福岡、そして3年前には名古屋を訪れました。
名古屋の熱田神宮を参拝した件は既に紹介しましたが、蒲郡市にある「竹島」は大変印象的でした。

島といっても、船で渡るのではなく、橋を伝って行くことができます。
江ノ島をイメージしていただければ良いかと思います。

橋を渡った先には、八百富神社があります。
公式サイトから、一部抜粋します。

八百富神社は、安徳天皇の養和元年3月18日(1181)の創建と伝えられています。これは、1145年三河国司の三河守となった藤原俊成卿が、在任中に未開だったこの地の開拓に当たられた際、風光明媚で江州竹生島によく似ているこの島に竹生島弁才天を勧請せられたことから始まったとされています。常に清波に島脚を洗われ、自ずと禊ぎ、不浄を近づけないようで、真の霊境との名の通りであり、養和(1181)の頃俊成が当社奉斎の神境に定めました。
「江州竹生島弁財天を勧請した際、雑木林におおわれ竹がなかったこの島に、竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて、ご神体として植えた」との記述もあり、そのことから『竹島』と名付けられたとも伝えられています。

文中の江州竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島です。
次なる目的地はここだ、と決めました。

これまで、私にとって滋賀県は、京都へ行く際の通過地点でした。
ミルクボーイの漫才ネタで、「これといった特徴がないのが滋賀の特徴」といじられてもいますね。

しかし、調べてみると、魅力的な観光スポット(私にとってはイコール神社)が数多くありました。
嬉々として計画を立てていたさなか、コロナが襲来し、延期を余儀なくされました。
最近は感染対策に注意しながら社会活動も動かしていく方向に舵を切ってきましたので、そろそろ計画を今一度立て直そうかと考え始めています。

余談ですが、リオデジャネイロ五輪が終了した時点で金メダリストなしの都道府県は、岩手、福島、埼玉、福井、長野、滋賀、京都、鳥取、島根、香川、沖縄の1府10県だったそうです。
しかし、東京2020で彦根市出身の大橋悠依選手が、200m・400m個人メドレーで金メダルを獲得しましたので、県の歴史を塗り替えました。

また、滋賀県は糖尿病患者が一番少ないのだそうです。
毎日飲酒する人の割合は34位、毎日喫煙する人の割合は42位と、糖尿病のリスクを高めるライフスタイルとは距離があるようです。

さらに、総務省の「社会生活基本調査」でスポーツ行動者率(男女別や年齢別などの属性ごとの人口のうち、1年間の間に、スポーツを行った人の割合)をみていくと、滋賀県は全国5位。
これも糖尿病の予防につながっていると推測されますね。

204 鸞翔鳳集

6月6日、桑田佳祐さんの新曲「時代遅れのRock’n’Roll Band」のミュージックビデオがYouTubeで公開されました。

佐野元春さん、野口五郎さん、世良公則さん、Charさんとの豪華共演で、しかもこの5名は同級生なのだそうです。

桑田さんが、4人それぞれに手紙を送り、所属事務所にデモ音源とともに自ら足を運んで説得したという時代遅れな方法で実現したと知りました。
桑田さんの人柄が感じとれるエピソードですね。

しかし、こんな大物がこぞって同級生だなんてホントかな?
厳密には1人はちょっと年上ですが、なんてエクスキューズがあるんじゃないかな?

ちょっと怪しい匂いを感じ、調べて見ました。

  • 桑田佳祐さん:1956年2月26日生 神奈川県出身
  • 佐野元春さん:1956年3月13日生 東京都出身
  • 野口五郎さん:1956年2月23日生 岐阜県出身
  • 世良公則さん:1955年12月14日生 広島県出身
  • Charさん       :1955年6月16日生 東京都出身

あっぱれです。
文句なしの同級生でした・・。

 

このMVは、現時点で既に320万回以上再生されており、その数字は日に日に伸びています。
私も20回以上鑑賞させていただきました。
スペシャルな面々が各々の持ち味を出していて、聞き応え、見応え満点です。

歌詞のそこかしこにも、桑田さんの才能を感じます。
「力の弱い者が 夢見ることさえ 拒むというのか」
このフレーズはあの人に向けてのメッセージなんだと思います。

また、このMVには2名の特別出演がいます。
原由子さんとハマ・オカモトさんです。

それから、もう1人。
重要な役どころを演じている「特別友情出演」の大友康平さんも忘れてはなりません。

  • 大友康平さん:1956年1月1日 宮城県出身

なんと、先の5名と同級生で、またまた驚きました。

特別友情出演になった理由は「ギターが弾けないから」だそうで、大友さんのオフィシャルブログには、以下のような逸話が紹介されています。

桑田から「大友にも声をかけなかったら、あとで何を言われるかわからないからなあ」の一言には笑えたなあ。

近年の大友さんしか知らない若い世代の方は、ロックンローラーというより、CM「いすゞのトラック」のイメージの方が強いかも知れませんね。
私は、ミュージシャンでありながらコメディアンのようにトークも面白い大友さんの大ファンで、ある事件以来、親近感すら感じています。

その事件とは・・、

年に数回、ゴルフコンペで顔を合わせるRさんという方がいます。
以前、同じお客様に出入りしていた業者仲間という立場で知り合った間柄です。

4〜5年ほど前にコンペでお目に掛かった際、こう声を掛けられました。

「前から思ってたんだけどさ、山田さん、大友康平にチョー似てるよね。」

「え?言われたことないっすよ・・」

過去に似ていると言われたのは、金山一彦さん、辰吉丈一郎さん、西山浩二さんなど・・。
大友康平さんはこの時が初めてでした。

周囲で聞いていた方も「似てる似てる」と笑いながら反応していましたが、本人としては少なからず不服でした。

そんなことがあった1ヶ月ほど後、某大学病院のエレベーターでのこと。
点滴スタンドを転がしながら70歳くらいの男性患者さんが、看護師さんに付き添われて乗ってきました。

「何階に行かれますか?」

と声を掛けたところ、

「あんた、大友康平に似てるって言われるだろ?」

と、出し抜けに言われました。

「ん?2度目だな・・」と思った私は「はい、たまに・・」と申し上げると、

「だよな!そっくりだよなあ!」

狭いエレベーター内でご満悦な点滴オジサン。
同意を求められ、必死に笑いをこらえる看護師さん。

1ヶ月ほど前に納得いかないなあと思ったことを、初対面の方から指摘された訳です。
しかも、コロナ前のマスクをしていない時期のことですから、これは受け入れるしかありません。
私のプロフィールに追加させていただくことといたしました。

MVで演じている三枚目の役柄は、確かに私と共通点が見い出せます。
それにしても、病院内でいきなり声を掛けられるほど、似ているのかなあ・・。
入院生活に少し飽きていて、からかう相手を探していたのかなあ・・。

点滴オジサンが、今日を元気で過ごされていることを祈りたいと思います。

202 時代錯誤

フラワーショップに行くのが、少し苦手です。
どことなく照れくさい想いがあります。

花束をいただくのは、さらに苦手です(これまでの人生で花束をいただいた回数は、片手に余る程度ですが)。
初めていただいたのは、22歳の誕生日。
赤い薔薇の花束でした。
どう対処したら良いか、当惑した記憶があります。

究極は、いただいた花を抱えて電車に乗れとなったら、かなりよからぬ事態です。
浮いてる感で、車内での居心地は最悪だと思います。

これらは、典型的な時代遅れの男の姿、と言えそうです。
なぜなら、花を贈ることに恥ずかしさや照れくささを感じる男性は年々減っている、という調査結果があります。

また、バレンタインデーに花を贈る男性が増えているそうです。
バレンタインデーって男性が女性からチョコレートをもらう日でしょ! と思うのですが、これがまた昭和の男の発想のようです・・。

世界では、バレンタインデーは「男女がお互いに愛や感謝の気持ちを伝え合う日」として、主に男性から女性へ花を贈る風習が根付いているそうで、実はバレンタインデーは「世界でいちばん花を贈る日」なのだそうです。

そんな文化を日本にも広めようと、2010年に花業界が「フラワーバレンタイン」の啓発活動を始めました。

日本農業新聞によると、この推進活動によって、バレンタインデーに花を買う男性の割合が2020年には平均で7.5%となり、7年間で6倍に増えたとの調査結果を掲載しています。
特に20代の購入率が高く、若年層には既に浸透しているようです。

かくいう私も、以前に比べれば、花に対する抵抗感が少なくなってきたと自覚しています。
今年はカミさんの誕生日と母の日が重なったため、先日、2日続けてフラワーショップに立ち寄りました。
カミさんにはアレンジメントされたフラワーボックスを、そして、実母と義母にはカーネーションを購入しました。

因みに、2012年から「Mr.フラワーバレンタイン」に就任しているキングカズこと三浦知良さんは、年間で1,000本を超える赤いバラを女性に贈っているのだそうです。

スーツを颯爽と着こなし、花束が似合う男・・。
ちょっと自分には及びがたいですね。

201 六十耳順

昨年10月、60歳になりました。
20歳になった時、遂に大人の仲間入りなんだなと感慨深かった記憶があります。

しかし、30、40、50とその後は別段思うことなく通り過ぎましたが、60歳を迎えた心境はこれまでとは異質でした。
一言で表すなら、老人への入口に来たなといったところでしょうか・・。
40年前は胸躍る心境だったのに、今は少し胸がつかえるような気分です。

そんなことを考えていたら、数日前、新型コロナウイルスワクチンの4回目の接種について、厚生労働省から発表がありました。
それによると、接種対象は当面、60歳以上の人や18歳以上の基礎疾患のある人などに限定するそうです。

やはり、60歳は高齢者の範疇であることに間違いなさそうです。

ところで、60という数字はやや特徴的と言えそうです。
例えば、1時間は60分で、1分は60秒です。
また、角度の単位でも1度(°) = 60分 (′)、1分 = 60秒 (″) です。
このように60を1単位として数える六十進法は、自然界に数多く存在しています。

また、結婚50周年を祝う金婚式は有名ですが、60周年をダイヤモンド婚式と呼ぶそうです。
さらに上もあるようですが、一般的には60年が最後でしょうか・・。

あっ、私の両親は3年ほど前がダイヤモンド婚式だったかと・・。
金婚式には東北旅行を贈りましたが、60周年には思いが及びませんでした。

さらに、60の前後の数字、59と61は素数です。
前後が素数な数は、4、6、12、18、30、42、60、72、102、108、138・・・・。

セガレにそう話すと、双子素数ね、と返されました。
ある素数に2を足した数も素数になる組み合わせを双子素数というのだそうです。

幼稚園入園、中学校入学、大学入学、厄年、還暦、除夜の鐘‥。
偶然にも人生の節目にあたる数が並んでいるように思います。

さて突然ですが・・、

「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」

孔子の有名なお言葉です。
そして、この言葉はこう続きます。

六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

60歳になり、他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった、という意味ですが、自分に置き換えてみると、実践するのはなかなか難しいですね。

30歳はまだ独身でしたので自立とは程遠く、40歳では迷いまくり、50歳で自分の使命を悟ることなど到底できませんでした。
そう考えると、60歳になっての未熟さは推して知るべしかと思います。

ただ、孔子の生きた時代は、平均寿命が現代とは大きな差があるはずです。
孔子の指す60は、今の80に相当すると勝手に解釈したいと思います。

最後に、高齢者あるあるの失敗談をひとつ。

先日、コンビニで支払いをしていたら、東南アジア出身とおぼしき店員さんがお釣りを渡しながら私の股間を指さしました。
意味が分からず、問いかけると、私の股間に触れるのではないかという距離まで人差し指を近づけてきます。
困った店員さんだな、と思っていたら・・・・

「ちゃっく、が、あいて、ます。」

たどたどしい日本語でしたが、自分の身なりがだらしがないことは十分伝わりました。
べらぼうに気まずい中、努めて明るくお礼を述べ、店をあとにしました。

歳を重ねるということは、注意が散漫になることでもあると、改めて思い知らされました。