115 冷汗三斗

私は、大学受験に際して、経営学部や商学部といった学部を選びました。
卒業後は家業を継くであろう、という至って漠然とした思いがあったからです。

いざ大学に入学すると、親しい友人が5人できました。
すると、偶然にもその中の3人が社長のセガレ、しかも「2代目」という立場でした。
身近な友人からの影響に加え、優良可の「可」が頻出する成績表を見るにつけ、徐々に家業を継ぐ道筋が鮮明になってきました。

そして、運転免許取得後、父の会社で配達などのアルバイトを始めると、ひとつの想いが頭をもたげてきました。

「零細企業は、長い休みをとることは不可能だ・・。」

若いときにしかできないことを、今、しておかないと、将来後悔するなと感じ、海外へ目を向けようと思いました。
そして、3年生の夏「ロサンゼルスホームステイとハワイの旅27日間」なるありがちなツアーに参加しました。
ひとりで海外へ・・と一念発起したわりには、大学生協(売店)の片隅に置かれていたツアーパンフから選ぶという、極めて安直というかお手軽なチョイスでした。

そのツアーの参加者は、早稲田、中央、青学、京大、同志社など全国から集まった男子12名、女子21名、合計33名の大学生たちでした。
英語が堪能な者は皆無でしたし、20歳そこそこの若者集団でしたから、なかなかの珍道中でした。

現地で困ったことのひとつは、レストランのメニューでした。
英語で書かれたメニューは、ChickenやBeef, Rootbeerなど、断片的にしか理解できません。
従って、注文は「Hotdog & Coke」「Hamburger & 7up」など、定番モノに偏ってしまいました。

ある週末、オプションのツアーでラスベガスへ行ったときのことです。
ホテルのレストランで、ひとつ年下の早大生・Naokiが聞き慣れないメニューをオーダーしました。
「オレ、フレンチディップにしました。」
「なにそれ?途轍もないものが出てきたらどうする??」
「まあ、いいっす。ハンバーガーもちょっと飽きてきたんで。」

しばらくすると、Naokiのテーブルに、スープが運ばれてきました。
味見をしたNaokiが、
「Masamiさん、これ、スープっすかね?ちょっと飲んでみます?」
「どれどれ・・・・。ああ、コンソメスープだね。先に飲んじゃった方がいいね。」
「そうっすよね。」
「ちょっと濃いめだけどね。」
「アメリカンは薄いばっかりじゃないんだぞって、日本に帰ったら友達に説明してやりますか!」

ガハハと笑って、Naokiはスープを飲み干し、浅はかな若者たちは、楽しく食事を済ませました。
因みに、フレンチディップとは、フランスパンにローストビーフが挟まれたサンドイッチでした。

会計をして店から出ると、Naokiが浮かない顔をしていました。

「Masamiさん、さっき入口近くで現地のオジサンが、オレと同じもん食べてたんすよ。それがね、スープにサンドイッチを浸して食べてるんです。そういうもんなんすかね・・・・。」
「歯が悪いんじゃないのか?日本にもいるじゃん。コーヒーにパン付けて食べる老人。」
「でも、あのサンドイッチ、堅いフランスパンだったじゃないですか。だから、スープに・・・・。」
「けど、あれはスープだったじゃないか、コンソメスープだっただろ?」
「濃かったじゃないですか、あれ、飲むんじゃなくて、浸すためのスープなんですよ!」
「まあいいじゃないか、先に飲んじゃったって特別変じゃないだろ。」
「変ですよ!天ぷら屋に入った外国人が、いきなり天つゆを飲んじゃったのと同じなんですよ!」

この出来事は「天つゆ事件」と呼ばれ、このツアーの伝説になりました。

さて、このフレンチディップ、私は、後にも先にもあの時にしかお目に掛かっていません。
ネットで検索してみると・・・・、

LA名物、ローストビーフやパストラミなどのサンドイッチを牛肉スープに浸して食べる「フレンチディップ・サンドイッチ」。フレンチとは言えフランスとは無関係。20世紀初頭、最初に食べた人の名がフレンチだったとも、フレンチロール(ソフトタイプのフランスパン)を使うからとも言われている。発祥も諸説あり。有名な一つが、調理場でうっかり肉汁に落ちたサンドイッチを客が食べ「こりゃ旨い」と評判になったというもの。どこかその味わいに通じる、大らかな都市伝説だ。(山崎製パン株式会社サイトより改変)

やはり、アレは飲んじゃいけないんですね(笑)。

ロサンゼルスに向かう機上の人となったのは、昭和57年8月20日。
あれから35年の時が流れました。

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