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119 雲外蒼天

近年、神社参拝が趣味となりましたが、きっかけは、京都をひとりで旅した際に、ひょんなことから書き置きの御朱印をいただいたことでした。
近年は、御朱印ガールに代表されるファンの増加により「趣味は神社巡りです」と公言しても、ニッチな趣味だとは捉えられなくなってきました。

スタンプラリー化している現状を嘆く声も多い反面、参拝客の増加や客層の変化を歓迎している神社も少なくありません。
その証拠に、オリジナル御朱印帳や御朱印帳袋を販売する神社が増えたり、キティちゃんとコラボした御朱印帳を発行するなど、神社サイドも実態に合わせた対応を見せています。

その一方で、御朱印の授与を取りやめた神社もあります。
虎ノ門にある西久保八幡神社は、「昨今の現状を鑑み、当面の間御朱印の授与を中止いたします」とホームページに掲載しています。
無礼な参拝者がいたのでしょうか・・。
非常に残念です。

私は、神社参拝を趣味としてから、知識を深めようと努めてきました。
一昨年受検した「神社検定試験」がその象徴ですが、取得したのは最も低い参級です。
さらに上を目指さなくてはならないのですが、ひとつ大きな障害があります。

それは「数学は好きだけど歴史が苦手な文系」という私の性癖です。
学生時代、解を導き出す数学には歯応えとやり甲斐を感じたのですが、歴史なんて暗記科目でつまらないと、生意気な考えを持っていました。
歴史の重要さ、奥深さを知ったものの、時既に遅し・・。
歴史嫌いが将来の趣味に陰を落とすとは、予想だにしませんでした。

しかし、ここを克服しないことには、知識の上積みも神社検定の弐級も付いてきません。
学ぶことは楽しいのですが、苦手ジャンルの知識を蓄えることは、加齢とともに、非常に困難を極めています。

老け込み防止のため、そして、自らを鼓舞するため、検定試験に挑戦する意気込みだけは持ち続けています。
が、今年6月の神社検定試験は、見送りました・・。
そして漢字検定は、準一級のテキストを見て、その難しさに尻込みし、諦めの境地です・・。

ただ、京都検定の試験が年内にまだ残っています。
試験日は、2017年12月10日です。

京都検定には以前から関心を持っており、公式テキストは既に持っています。
ここ3年の3級合格率は、50%前後。
そして、今年の3級の公開テーマは「京都駅界隈」。

ん・・、どうしようか・・。

118 機略縦横

私の義母はとても信心深い人で、毎年決まって参拝する寺社が複数あります。
その一つが寒川神社で、もう20年も前から毎年訪れているようです。
寒川さんですから、目的は他でも無い、八方除け祈願です。

そして、義母は自分だけでなく、私個人と会社の分も御祈願してきてくれますので、有難いことに、我が家には毎年寒川神社のお札があります。
かねてより人任せではなく自ら出向かなければと思いつつ、これまで機会を逸していましたが、遅まきながら、この度カミさんと参拝してまいりました。

寒川神社三之鳥居

最寄り駅のJR相模線宮山駅から、長閑な風景の中を歩くこと6〜7分。
左側に立派な鳥居が見えてきたので、てっきり一之鳥居かと思ったら、神池橋の奥にあるこの鳥居は三之鳥居だそうで、一之鳥居は、境内の南、およそ1kmの地点にあるとか・・。
流石は延喜式にも載る東国有数の古社だけあって、敷地は広大です。
一礼して、この三之鳥居から神域へ入り、手順に則ってひと通り参拝を済ませました。

もちろん、御朱印もいただきました。
併せて御朱印帳も購入しようと思ったところ、社務所ではなく売店で扱っていると知り、行ってみると、その種類の多さに驚きました。
そして、かなり迷った末に、表紙が杉の木製の御朱印帳(写真一番手前)と、紫色の御朱印帳袋を購入しました。

寒川神社売店(許可を得て撮影しています)

参拝をしていると、隅々まで清掃され、とても手入れが行き届いた神社であることに気付きます。
そこが歴史ある相模國一之宮の品格なのでしょう。
天気に恵まれたこともあって、清々しく厳かな境内は、穏やかで心地よい時間を与えてくれました。

ただ、ご本殿の奥にある神獄山神苑を見ることはできませんでした。
というのも、ここに入苑できるのは、各種御祈願・大祓祈願申込をされた方だけ。
「難波の小池」を中心としたこの神苑は、池泉回遊式の日本庭園が広がり、茶屋や資料館が併設されているとか・・。

歩くのが徐々にしんどくなってきている義母を連れて、来年は車で来ようかと思っています。
そして、私も八方除御祈願をし、神苑を拝見したいと思っています。

ところで・・。
方位によって生じる災いを取り除く方除け(ほうよけ)は、多くの神社で行っていますが、あらゆる災いを取り除く「八方除け」となると、その守護神は全国広しと言えど、ここ寒川神社だけです。
八方除の御祈願については、公式サイトに掲載されています。
(引用:http://samukawajinjya.jp/kigan/ki01.html)

地相・家相・方位・日柄等から起こるあらゆる災いを除く御祈願が八方除です。
例えば、人の住居というものは、古くから南向きの陽当たりの良い場所に建てられるなど、先人の知恵によって快適な営みの方法が試みられました。しかし、現代社会では、経済的にも、家相学上あるいは地理的条件の上からも必ずしも種々の条件にかなった建築は容易でありません。まして既設の住宅、また移転上の地相家相などにいちいちこだわっていられないのが現実です。
こうした事情から方位などによる祟り、障りなどを避けられないことがあります。また月によるもの、日によるものがあると考えられ、これら普請造作、移転、旅行などによって知らず知らずに、また知りながらも方位を犯しつつ日常生活の中で事に当らねばならぬことが多くあります。
こうした折に、寒川大明神の、広大無辺にあらたかなる八方除の御神徳を頂いて、一切の災厄を祓い除きいただき、皆様が明朗快活な日々を送り、家内安全、福徳円満、商売繁盛を招かれますよう御祈願するのが、八方除の御祈願です。

なるほど、シンプルでわかりやすい説明です。
「広大無辺にあらたかなる御神徳」という表現が、琴線に触れますね。
大難は小難、小難は無難に過ごすために、来たる年は、自ら八方除の御祈願を受けたい思いが、さらに強まりました。

また、同サイトには、数の神秘「八」というタイトルのページもあります。
これもなかなか興味深い内容でした。
(引用:http://samukawajinjya.jp/houi/houi07.html)

「八」は日本人が好む数字であり、最高位を占める数です。
八を「末広がり」といって喜ぶのは、裾が開いた形からくるイメージです。八を数字「8」で表し、8を横にすると∞となり、西洋では宇宙にすえひろがりに広がる、無限という意味にもなります。
八という数字は、中国では古くより非常に重大な意味をもっていました。紀元前十世紀ごろまとめられた易経における八卦に関係していて、宇宙のすべては、陰と陽を八卦で組み合わせることによって生まれるとされています。
わが国最初の書物「古事記」、また「日本書紀」には、八へのこだわりが多く見られます。大八島、八尋殿、八咫烏、八十建,八衢、八重雲・・・、三種の神器は、八咫鏡・八十握剣、八坂瓊勾玉と、鏡、剣、玉にみな八の形容詞を冠らせています。八は多大の意の日本における聖数であり、呪力のある数といえるのです。
“八方除”という言葉は、八方位を基本として吉凶を判断することから八という数字が用いられています。
しかしそれだけではなく、八方除のご祈願が私たちを目に見えない力でお守りくださるという神秘的で崇高なものであるという意味も込められていると考えることができるでしょう。

これを読んだとき、昭和52年の弊社創立の際、父が会社の電話番号について話していたのを思い出しました。

「電話番号の下4桁を、8088か7077で迷ったが、末広がりの8を選んだ。」

末広がり?
ナニソレ?
選ぶならラッキーセブンでしょ、普通。

当時15歳の私は、そう感じました。
しかし・・、日本人にとって「8」は聖なる数字なのですね。
父の判断は、正しかったようです。

その後、東京03局内の番号が8桁になり、弊社は中央区から江東区へ移転し、現在、弊社の電話番号には「8」が5つ含まれています。

多ければいいというものではありませんが、寒川大明神のご加護に与りながら、頭動けば尾も動くの如く、日々仕事に励んでいきたいと思います。

117 愉快適悦

都内で一番大きな本屋さんはどこだろう・・。

先日、家族とそんな話になり、ネットで検索したところ、池袋のジュンク堂だと知りました。
売場面積は、なんと2,000坪!
私は神保町の三省堂書店が好きなのですが、調べてみるとここは1,000坪。
さすが東京一となると桁外れの広さですね。

池袋といえば高校時代によく遊んだ場所ですが、40年前にジュンク堂は存在しませんでした。
とはいえ、池袋にジュンク堂が出来てこの夏で丸20年、2,000坪に増床したのも2001年のことですから、何を今更という感は否めません。
しかし、他店舗も含め、私はこれまでジュンク堂という書店に一度も足を運んだことがありませんでしたので、セガレを誘って今日行ってみることにしました。

久しぶりに池袋駅に降り立ち、東口から外へ出ると、高校時代が懐かしく思い出されました。

あの路地の奥にある喫茶店が、みんなとの溜まり場だったなあ…。
十条の某高校の学生に絡まれたのは、あの辺りだなあ…。
遅刻常習犯のK君を駅前で待っていたら、自衛隊に入隊しないかとスカウトされたっけなあ…。

少しノスタルジックな思いを抱きつつ、目的地に着くと、まもなく開店の10時になりました。
既に開店を待っていた20人ほどと一緒に店内に入り、セガレはミステリーの文庫本コーナーへ、私はノンフィクションを探しに行きました。

初めて来店した私にとって、広い店内を把握するのは一苦労でしたが、「ノンフィクション」が「社会評論」と表記されていたので、なおさら時間を要しました。
そして、ようやく目的地にたどり着くと、その書籍の多さは驚きを超えて、感動的光景でした。

肩から提げていたバッグを床に置き、棚の上から下まで隈無くチェックしました。
30分以上夢中になっていたでしょうか。
ふと我に返って携帯を見ると、精算を済ませたセガレから、5回も着信がありました・・。

一旦書店を後にし、インド料理店でお腹を満たしてから、再びジュンク堂へ戻りました。
結局、午前と午後、セガレと2人合わせて15冊、17,000円ほど買い込みました。

私が購入したのは・・、
☆絞首刑
☆日本殺人巡礼
☆免田栄獄中ノート
☆闇サイト殺人事件の遺言
☆女性死刑囚 十四人の黒い履歴書
☆罠 埼玉愛犬家殺人事件は日本犯罪史上最大級の大量殺人だった!等々・・。

「父さんの買う本は相変わらず不気味だなあ・・」と、セガレに痛いところを突かれました。
神社の本や語彙力を伸ばす本も買ったんですけどね・・。

大きな書店でお互い好みの本を買い、昼には大好きなサグチキンカレーを食べ、買い物が済んだ後はスターバックスで新商品のフラペチーノを飲み・・。
気温も落ち着いた好天の日曜日、親子で楽しい時間を過ごすことができました。

✳︎開店20周年記念カバーだそうです。

116 聚散十春

ロサンゼルスでホームステイしたのは、大学3年生だった昭和57年(1982年)のこと。
35年も前の出来事ですが、今もなお、一部のメンバーと交流が続いています。
わずか27日間の夏を共有しただけで、これほど長く繋がっていられるのは有難いことです。

また、ホストファミリーのFrank&Norma夫妻とも、長い間クリスマスカード等を通じて連絡を取り合っていました。
しかし、私が英語で手紙を書くエネルギーを失ったため、交流が途絶えてしまいました。

ところが、数年前、Facebookで再び繋がることができました。

Oh my gosh, of course I remember you. And in the photos…. you look the same…. What a nice family. You may come to California anytime and visit me with them…. Have a Happy Day.

家族写真を添付し、友達リクエストを送信したところ、こんな嬉しいメッセージが届きました。
ネット上とはいえ、再会できたことに感泣しました。
ただ、Frankが既に亡くなったという大変悲しいニュースも知りました・・。
私が手紙を送り続けていれば、もっと早くに知ることができたのにと、心底悔やみました。

 

話は変わりますが、今年の6月、大学時代の同級生女子と会う機会に恵まれました。
大学卒業以来、実に33年ぶりの再会でした。
と言っても同じ大学ではなく、彼女は横浜のお嬢様学校として有名なフェリス女学院大学の学生で、同じサークルに所属する仲間でした。

富山県出身の彼女は、会話の中に方言がちらほら顔を出す愛嬌のある女子大生でした。
卒業後は地元に戻り、28歳で結婚し、翌年にお嬢さんが誕生。
その後、ご主人の仕事の都合で何度か転居し、今春、千葉県内に移転してきたとのはがきを受け取ったので、会おう!と私から声を掛けました。

33年ぶりの第一声は、「お互い元気で良かったね。」

なんだか年寄りじみていますが 、自然とこういう言葉が口を衝いて出ました。
私も大切な友人を既に亡くしていますが、彼女も学生寮で同室だった友を亡くしているそうです。
すっかり中年になってしまったけれど、元気で再会できたことを素直に喜び合いました。

残念ながら怪しげな不倫のオーラを全く発せられない中年カップルは、年甲斐もなく人気のパンケーキ店でランチし、学生当時に彼女が住んでいた港区内のマンションがそのままだったことに感動し、そして最後は、カフェで33年分のよもやま話に花を咲かせました。
ただ、カフェで注文しようと並んでいたらそこはオーダーをピックアップする列だったり、LINEで友達登録するのに四苦八苦したあたりは、オジサンオバサン感、丸出しでした。

愛らしい女子大生から品格ある淑女へ変貌した彼女と再会できたのは、年賀状をお互い出し続けていたから。
そして、彼女が転居通知を送ってくれたから。

年を重ねるごとに、ご縁や友達の大切さを痛いほど感じます。

義理を欠かさないこと。
改めて、心に刻み込みたいと思います。

115 冷汗三斗

私は、大学受験に際して、経営学部や商学部といった学部を選びました。
卒業後は家業を継くであろう、という至って漠然とした思いがあったからです。

いざ大学に入学すると、親しい友人が5人できました。
すると、偶然にもその中の3人が社長のセガレ、しかも「2代目」という立場でした。
身近な友人からの影響に加え、優良可の「可」が頻出する成績表を見るにつけ、徐々に家業を継ぐ道筋が鮮明になってきました。

そして、運転免許取得後、父の会社で配達などのアルバイトを始めると、ひとつの想いが頭をもたげてきました。

「零細企業は、長い休みをとることは不可能だ・・。」

若いときにしかできないことを、今、しておかないと、将来後悔するなと感じ、海外へ目を向けようと思いました。
そして、3年生の夏「ロサンゼルスホームステイとハワイの旅27日間」なるありがちなツアーに参加しました。
ひとりで海外へ・・と一念発起したわりには、大学生協(売店)の片隅に置かれていたツアーパンフから選ぶという、極めて安直というかお手軽なチョイスでした。

そのツアーの参加者は、早稲田、中央、青学、京大、同志社など全国から集まった男子12名、女子21名、合計33名の大学生たちでした。
英語が堪能な者は皆無でしたし、20歳そこそこの若者集団でしたから、なかなかの珍道中でした。

現地で困ったことのひとつは、レストランのメニューでした。
英語で書かれたメニューは、ChickenやBeef, Rootbeerなど、断片的にしか理解できません。
従って、注文は「Hotdog & Coke」「Hamburger & 7up」など、定番モノに偏ってしまいました。

ある週末、オプションのツアーでラスベガスへ行ったときのことです。
ホテルのレストランで、ひとつ年下の早大生・Naokiが聞き慣れないメニューをオーダーしました。
「オレ、フレンチディップにしました。」
「なにそれ?途轍もないものが出てきたらどうする??」
「まあ、いいっす。ハンバーガーもちょっと飽きてきたんで。」

しばらくすると、Naokiのテーブルに、スープが運ばれてきました。
味見をしたNaokiが、
「Masamiさん、これ、スープっすかね?ちょっと飲んでみます?」
「どれどれ・・・・。ああ、コンソメスープだね。先に飲んじゃった方がいいね。」
「そうっすよね。」
「ちょっと濃いめだけどね。」
「アメリカンは薄いばっかりじゃないんだぞって、日本に帰ったら友達に説明してやりますか!」

ガハハと笑って、Naokiはスープを飲み干し、浅はかな若者たちは、楽しく食事を済ませました。
因みに、フレンチディップとは、フランスパンにローストビーフが挟まれたサンドイッチでした。

会計をして店から出ると、Naokiが浮かない顔をしていました。

「Masamiさん、さっき入口近くで現地のオジサンが、オレと同じもん食べてたんすよ。それがね、スープにサンドイッチを浸して食べてるんです。そういうもんなんすかね・・・・。」
「歯が悪いんじゃないのか?日本にもいるじゃん。コーヒーにパン付けて食べる老人。」
「でも、あのサンドイッチ、堅いフランスパンだったじゃないですか。だから、スープに・・・・。」
「けど、あれはスープだったじゃないか、コンソメスープだっただろ?」
「濃かったじゃないですか、あれ、飲むんじゃなくて、浸すためのスープなんですよ!」
「まあいいじゃないか、先に飲んじゃったって特別変じゃないだろ。」
「変ですよ!天ぷら屋に入った外国人が、いきなり天つゆを飲んじゃったのと同じなんですよ!」

この出来事は「天つゆ事件」と呼ばれ、このツアーの伝説になりました。

さて、このフレンチディップ、私は、後にも先にもあの時にしかお目に掛かっていません。
ネットで検索してみると・・・・、

LA名物、ローストビーフやパストラミなどのサンドイッチを牛肉スープに浸して食べる「フレンチディップ・サンドイッチ」。フレンチとは言えフランスとは無関係。20世紀初頭、最初に食べた人の名がフレンチだったとも、フレンチロール(ソフトタイプのフランスパン)を使うからとも言われている。発祥も諸説あり。有名な一つが、調理場でうっかり肉汁に落ちたサンドイッチを客が食べ「こりゃ旨い」と評判になったというもの。どこかその味わいに通じる、大らかな都市伝説だ。(山崎製パン株式会社サイトより改変)

やはり、アレは飲んじゃいけないんですね(笑)。

ロサンゼルスに向かう機上の人となったのは、昭和57年8月20日。
あれから35年の時が流れました。

114 徳量寛大

「注文をまちがえる料理店」という店の存在を最近知りました。
有名な小説のパロディでユニークな店名ですが、この店の正体は・・・・、

一言でいうと「注文を取るスタッフが、みんな“認知症”のレストラン」です。認知症の人が注文を取りにくるから、ひょっとしたら注文を間違えちゃうかもしれない。だから、あなたが頼んだ料理が来るかどうかはわかりません。でも、そんな間違いを受け入れて、間違えることをむしろ楽しんじゃおうよ、というのがこの料理店のコンセプトです。

プロジェクトを立ち上げた小国士朗氏のサイトより
(https://forbesjapan.com/articles/detail/16640)

だそうです。即ち・・、
ハンバーグを注文する。でも、実際に出てきたのは餃子。
最初から「注文を間違える」と言われているから、間違われても嫌じゃない。
いや、むしろ嬉しくなっちゃうかもしれない。
そしてなにより、「間違えちゃったけど、ま、いっか」。
認知症の人も、そうでない人もみんながそう言いあえるだけで、少しだけホッとした空気が流れ始める・・。

イヤ〜、この発想力には脱帽です。
「逆手に取る」とは正にこういうことですね。
このような頭の柔軟さは、すぐには真似できなくても、常に意識しておきたいものです。

さて、この店が実際に開くと、ひとりのお客さんに水を2つ運んでしまうのは当たり前。
サラダにはスプーン、ホットコーヒーにはストロー。
注文を取りに行ったのかと思ったら、昔話に花を咲かせてしまったり・・。

でも、間違った料理が出てきてもお客さん同士で融通しあったり、話し込んでしまうおばあちゃんとそのまま和やかに談笑したり・・。
誰一人として苛立ったり、怒ったりする人はおらず、あちこちで、たくさんのコミュニケーションが生まれ、間違っていたはずのことがふんわり解決していく光景が広がっていたそうです。

実は、このプロジェクトは、6月上旬に2日間だけのプレオープンでした。
次は、9月21日の世界アルツハイマーデーの前後で、本オープンを実現させるべく努力しているところだとか。

そして、前出の小国氏曰く

僕はこれまで数多くの社会課題を取材してきましたが、その中で一つ思っていたことがあります。それは「社会課題は、社会受容の問題であることも多い」ということです。

もちろん社会課題解決のためには法律や制度を変えることが重要なのは当たり前です。でも、僕たちがほんのちょっと寛容であるだけで解決する問題もたくさんあるんじゃないかなぁとも思っていました。例えば、電車に乗せるベビーカーにキレたり、同性婚の是非みたいな議論などは、社会の受容度、寛容度が高ければ解決することも多いように思います。

確かに、最近不寛容な空気が広がっていると言われています。
「子どもの声は騒音だ」「ラジオ体操がうるさい」という苦情が寄せられているといった類いのニュースはよく耳にしますし、一つの過ちや失言をめぐって個人や組織が寄って集ってバッシングされる傾向もあります。
以下は、お祭りに関するほんの一例です。

①愛知県東海市で開催される夏祭りでは、盆踊りの一部を無音にし、FMトランスミッターで飛ばされた音楽を、踊り手は携帯ラジオとイヤホンで受信して踊っている。

②阿波おどりで知られる徳島県では、ここ数年、河川敷や公園で行われる練習の音に対して「うるさい」などの苦情が県庁等に寄せられている。

③都心では練習場所の確保が非常に困難なため、太鼓や笛の練習をライブハウスで行ったり、声が外へ漏れぬよう窓を閉めきった蒸し風呂状態の体育館で踊りの練習をしている。

ん・・、時代と共に地域住民の共同体意識が希薄になってきたのでしょうが、息苦しい世の中になったという印象は否めませんね。

「寛容」とは、広辞苑によると「①寛大で、よく人をゆるしいれること。咎めだてせぬこと。②善を行うことは困難であるという自覚から、他人の罪過をきびしく責めぬこと。キリスト教の重要な徳目。③(tolerance)異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人を差別待遇しないこと。」とあります。

支配的ではなく、かといって無関心ではなく、受け容れる心を持つことは難しいことですが、普段の生活の中で心掛けていきたいものです。

113 馬歯徒増

過日、私の本棚に並ぶ本について書きました。
死刑や犯罪、重大事件に関する本が多いのは事実ですが、最近は神社に関する本も読んでいます。

中でも、先日読み終えた「なぜ日本人は神社にもお寺にも行くのか(島田裕巳著・双葉社発行)」は、とても有益で楽しい本でした。

その第五章で、ヘルマン・オームスというアメリカの日本学者が作成した図が紹介されていました。

「日本人の死生観図式」と題されたこの図は、ひとりの人生が円で表現されていて、上半分は「成長過程」、下半分は「祖霊化過程」と呼ばれています。
要するに、上半分は生まれてから死ぬまでの過程で、その間、日本人にはどういった「通過儀礼」があるのかが示されています。

通過儀礼とは、人生において大きな変化が起こるときに行われる儀式のことで、成人式・結婚式・葬式の3つが最も重要とされています。
もちろんそれ以外にも様々な機会が用意されていますが、特に、生まれてすぐと死んで間もない段階に集中しています。

生まれて7日目、命名をする「お七夜」をはじめ、初参り・お食い初め・七五三など、成長過程の通過儀礼では神社に行くことが多く、お寺が関わってくることはほとんどありません。

それが、死んだ後の祖霊化過程になると、一転してお寺と関わることになります。
葬式は仏式が大半ですし、その後の初七日・四十九日・百か日・一周忌以降の年忌法要は、お寺が司ることになります。

このように、神社とお寺の間で、役割分担が明確になっていることが、この図の重要な点です。
多くの日本人は、神社とお寺の役割分担に従って、通過儀礼を果たしていきます。
それによって、神社とお寺は「棲み分け」を果たすことで共存していると言えます。
共存しているということは、私たちにとって神社だけでは不十分ですし、お寺だけでもダメであり、これこそが、日本人の宗教生活の基本であるということになります。

年末年始の日本人の行動は、よく議論の対象になっています。
キリストの生誕を祝うクリスマスにはケーキを食べ、大晦日にはお寺の除夜の鐘を聞き、元日には神社に初詣に行くからです。

世界的には不思議とされるこれらの行動に違和感を感じないのは、キリスト教の神様ですら八百万の神々の中のひとつと考えて受け容れる、日本人の宗教的感覚に対する寛容さによるものでしょう。

神社とお寺について書かれたこの本は、多方面で勉強になりました。
そして、最後のページには、以下の文言がありました。

若い頃は刺激的なイベントにこころを奪われていた人でも、年を重ねるにつれて、こころを癒やしてくれるものにひかれていきます。そのときに、神社やお寺は、急に興味深いものに思えてきます。

私が神社に興味を抱いたのは、52~53歳の頃。
なるほど・・、典型的な中年なのか・・。

112 義気凛然

宣誓。
私たちは野球を愛しています。私たちは野球に出会い、野球に魅せられ、野球によって様々な経験を重ねてこの場所に立っています。いよいよ今日から夢の舞台へのたった1枚の切符を得るための戦いが始まります。私たちは東東京、西東京の頂点を競うライバル同士ですが、同時に同じ夢を追いかける同志でもあります。青春のすべてをかけて戦うことができる幸せと喜びを、支えてくれるすべての皆様に感謝しながら、野球の素晴らしさが伝わるよう、野球の神様に愛されるように、全力で戦うことをここに誓います。

平成29年7月8日

選手代表 早稲田大学系属早稲田実業学校高等部 硬式野球部主将 清宮幸太郎

この選手宣誓には感動しました。
近年、オリジナリティあふれる選手宣誓が行われていることは知っていましたが、昨日、神宮球場で開催された東・西東京大会開会式でのこの宣誓を新聞やニュースで知り、正に心を打たれました。

朝日新聞によると「愛しています」という言葉を選んだ理由について清宮選手は、
「『好き』より思いが伝わると思いました。また、小林麻央さんが最後に言っていた言葉として印象に残っていたのもある。」
と話したそうです。

清宮選手ひとりで考えた文章ではないのかも知れません(想像に過ぎませんが・・)。
しかし、宣誓の時間は過去の甲子園や都大会の映像を見て、最適な長さを探ったのだそうです。
また、練習では主将として常に声を張り上げるのですが、前日の練習の際には、声を荒らげないように抑え、選手宣誓に備えたと、半分冗談半分真剣に話していたとか。

多くの注目が集まる灼熱のグラウンドで、ひとりマイクの前に立ち、これだけの文章をきちんと暗記し、皆に伝わるように話すことの大変さは、並大抵ではないと思います。

清宮くんという高校生は、野球だけに秀でているのではないな、と感じました。

甲子園への切符は、容易に手に入るものではないと思いますが、怪我のないように、悔いのないように、予選を戦って欲しいと思います。

そして、願わくは、この夏甲子園球場で彼の選手宣誓をもう一度聞きたいものです。

111 電光石火

近年、夏の暑さが尋常ではないので、暑い時期はゴルフを敬遠しています。
しかし、年に1〜2度、早朝ゴルフには行きます。
アーリーバードと呼ばれるこのプレイは、日の出とともにスタートし、18ホールスループレイなので、気温が上がる前にプレイを終えることが出来ます。

先週末、今年初のアーリーバードに行きました。
アーリーバードは、決まって「トコロちゃん」という友人とのツーサムです。
家が近いこともありますが、彼の最大の特長は、プレイが早いこと。
一緒にラウンドしていて、とても快適なのです。

因みに、アーリーバードとは「早起きの人」とか「早朝の」という意味です。
The early bird catches the worm(早起きは三文の徳)という一文が有名ですね。

で、この日の起床時間は2時40分!
まさに ‘’early bird! ” です。

3時に自宅を出発し、コースに到着したのは空が白みはじめた4時15分。
準備を進めていると、前の組の到着が遅れているので先に出てくださいとのこと。
4時半には、もう1番ホールのティーグラウンドにいました。

この時期、朝の4時半は、既にプレイが十分可能な明るさです。
そして、なんと言っても早朝のゴルフ場は、とびきり爽快で清涼です。
そんな中、朝イチのティーショットがフェアウェイのど真ん中に飛んでいったりすると、それはもう、無上の喜びです。

ナイスショットの連続とはいかないものの、トコロちゃんとのツーサムは、前の組がいなかったこともあってスイスイ進み、ホールアウトしたのは7時50分。
「ぶっちぎりに早かったですね」とゴルフ場のスタッフに声を掛けられたくらい、電光石火のラウンドでした。

シャワーを浴びて、レストランで朝食を食べて、それでも8時40分。
まっすぐ帰れば10時前ですから、仕事も出来ます。
改めて家族と遊びに出掛けることも出来ます。
やや強烈な睡魔との対決は避けられませんが、有意義な1日になること間違いありません。

因みに、勝負は91対90で私の負け。
あー、13番の「お先に」をやめときゃよかった。

110 皇統連綿

6月9日、天皇陛下の退位を認める特例法が、参院本会議で自由党を除く与野党の全会一致で可決、成立し、光格天皇以来約200年ぶりの退位に向けて第一歩を踏み出しました。
退位は陛下一代を対象としていますが、政府は、将来の先例となり得るとの見解を示しています。

昨年夏、陛下は、年齢と健康問題を理由に、在位30年を節目として譲位する意向を示されました。
しかし、天皇は憲法第4条で「国政に関する機能を有しない」と定められているため、陛下の「お言葉」を理由に法律を作ると憲法違反の疑いが生じることから、特例法の第1条には、以下の文言が含まれています。

・・・国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、・・・

主権者である国民の理解に基づいた法律であることが強調されている訳です。

一方、昨年開かれた有識者による会合では、「天皇は祈るだけで他に何もしなくてよい」「存在するだけで有難い」という意見があったと知り、非常に違和感を覚えました。

話の本質としては、棟梁が「もう歳だから後進に道を譲る」と言っているのですから、下で働く職人たちはその道筋をつければよいと思うのです。
隠居すべき、隠居すべきでないと議論するのは、筋違いなのではないかと・・。

最終的には、世論に押されて成立の運びになったと言っても過言ではないかと思います。

また、女性宮家の創設も重要な課題となっています。
自民党内では慎重論が強いようですが、私は必要ではないかと思っています。
ただ、眞子さまがご結婚されて民間人になられた後に、佳子さまや愛子さまが皇族の地位にとどまられたりすることになると、これも問題だと思います。

また、陛下の孫の世代で、男性皇族は悠仁さまだけですから、いずれ、相当量の公務を悠仁さまが抱えることになるのではないでしょうか。
安定的皇位継承や皇族減少への対策は、いち早く検討すべきだと思います。

今後の日程は、2019年元日に「平成」を改元する案を軸に、進んでいくようです。
ただ、印刷業としては、事前に改元が決定していると「特需」が発生しないなと感じたりします。
突然元号が変わった方が、刷り直しによって印刷業界が少し潤うかと・・・・。
些か不謹慎ですね。発言撤回します・・。

200年ぶりに行われる儀式に立ち会えることを、素直に、楽しみにしたいと思います。