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016 泰山北斗

昨日の新聞一面に、iPS細胞から作った網膜の細胞を目の難病患者に移植する臨床研究の手術が行われたことが、大きく報じられていました。
京都大学の山中教授が生み出した「夢の細胞」が、誕生からわずか8年で実用に向けて新たな段階に入ったのだそうです。
様々な病気で苦しむ人々に大きな希望を与えた明るいニュースでした。

この新聞記事を読んでいて、ひとつ気づいたことがあります。
今回の手術に関わった先生方が、皆、私と同年代なのです。

iPS細胞の生みの親・山中伸弥先生は1962年9月4日生まれなので、私の一つ下。

臨床研究を率いた理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーは、1961年6月23日生まれだから私と同級生。

山中教授と記者会見に同席した、高橋政代先生の夫・iPS細胞研究所の高橋淳教授は、高校の同級生同士で結婚されたらしいので、必然的に私とも同い年。

執刀医である先端医療センター病院の栗本康夫先生は、高橋政代先生と京都大学医学部の同級生で53歳。ということは同い年か一つ上か・・。

う〜ん・・、同級生すごいなぁ・・。

36歳の若さでお亡くなりになったダイアナさんも同い年。あの訃報は悲しかった・・。
ほかには、俳優のジョージ・クルーニーさん。あんな格好いい中年になりたかった・・。
脚本家の三谷幸喜さん。溢れる才能に嫉妬し、19歳も年下の女性との再婚にも嫉妬し・・。
そうそう、女優の斉藤慶子さんはデビュー当時からのファンで、私の永遠の憧憬・・。

世界に誇れるって訳にはいきませんが、人生も後半にさしかかってきたこの年で、ひとつくらい胸を張れることを持っていたいなあと・・。

う〜ん、なにかあるだろうか・・。

015 隔世之感

私の通っていた大学は、横浜市保土ヶ谷区にありました。
横浜って一般的には都会的でおしゃれな街、というイメージが強いと思います。
山下公園や中華街、みなとみらいなどが象徴的ですね。

ところが我が大学のあるエリアは、おしゃれ感とは隔たりがありました。
大学ホームページのアクセスを見ても、横浜駅からの電車+徒歩でのご案内として、
★横浜市営地下鉄三ツ沢上町から正門まで徒歩16分
★相鉄線和田町駅から南門まで徒歩20分
と紹介されています。

因みに私が在籍していた頃、地下鉄はまだ開通していませんでした。
従って、文京区の自宅から通学していた私は、和田町駅から20分歩きました。
しかも、この20分が、平坦な道ではないのです。
言ってみれば山歩きみたいな行程なのです。

この山越えが苦痛になり、まもなくバス通学に変えました。
横浜駅から相鉄バスに乗り、国道一号線沿いの岡沢町という停留所で降ります。
経営学部の校舎まではそこから徒歩5分ほどです。
しかし、道路の渋滞が時間通りにバスを走らせてはくれません。

そして、もうひとつ「敵」がいました。
岡沢町というバス停の前に、「岡沢ボウル」というボウリング場がありました。
バス停で降りても学校には行かずボウリング場へ、なんてことが日常茶飯事でした。

この岡沢ボウルには、当時の仲間と足繁く通いました。
所属プロの山本由美子さんをはじめ、フロントの方とも親しくなり、常連の皆さんからも可愛がっていただきました。
マイボウル、マイシューズを購入し、トーナメントにも頻繁に参加しました。
トーナメントへの参加率は、大学のゼミへの出席率を確実に上回っていたと思います。

なお、余談ですが、残念ながら岡沢ボウルは平成17年5月に閉鎖されてしまいました。

 

卒業して30年。先日久々に家族でボウリング場に行きました。
そこで見たのは、私が知っているボウリングとは様変わりしていました。

とにかく驚いたのは、ボウリング独特のマナーが消滅していたことです。
それは、「隣のレーンの人と同時投球をしない」というマナーです。

ボウリングのレーンは隣との距離が狭いため、同時に投球すると危険が伴います。
また、集中力を妨げることにもなりますので、一般的に右側の人が優先とされています。

しかし、この日見たボウリングには、「同時投球」という概念がありませんでした。
隣の人には目もくれず、ピンめがけてひたすら投げる若者たちで溢れていました。

思うに、若い人達はマナーを守っていないのではなく、知らないのではないでしょうか。
一方で、ボウリング場側は「楽しく遊ぶために、最低限のルールを守りましょう」とあまねく知らせる努力を怠っているのではないかと感じました。
このままでは、ボウリングのマナーやルールは消滅する危機に瀕している、と言っても過言ではないと思います。

異次元を感じたのはそれだけではありません。
というのも、私が投げようとしたとき、突然、館内の照明が消えたのです。
何が始まるのか分からず呆然としていると、この後の投球でストライクが出るとご褒美がいただける、というイベントであることを知りました。

以前、各レーンに1本だけ赤いピンが含まれていて、そのピンがヘッドピンにきたとき、ストライクを出すと景品がいただけるという企画に遭遇した記憶があります。

しかし、今回はボウリング場が一体となって行われていました。
照明が消えたあとには、DJのごとき館内放送が流れて、イベント開催が告げられ、スタートの合図とともに、隣のことなど我関せず、一斉に投球をはじめるのでした。

そう・・、週末のボウリング場で見た光景は、スポーツというよりもゲームでした。
裏を返せば、若者層を取り込むために、ボウリング場も色々趣向を凝らしているのでしょう。
私は間違いなく浦島太郎でした・・。

因みに、私は薄暗い中、ストライクを一度出すことができました。
ちょっとした記念品と、ポラロイドで家族写真を撮っていただきました。
時代の趨勢なんだなあと、アンビバレントな心情に浸った休日でした。

補足:ボウリングのマナーの一部を下に記します。常識だったんだけどなあ・・。
☆投球の際にファールラインを越えない
☆ロフトボウルをしない(ボールをドスンと投げない)
☆アプローチで飲食をしない
☆投げ終わったらアプローチから速やかに降りる
☆靴下は必ず履く

014 蓴羹鱸膾

今日は朝から健康診断に行ってまいりました。
先週後半は夏期休暇でしたので、気が緩んで少し体重が増えてしまいました。
健康診断を控えた今週のランチは、水曜日を除く4日間、蕎麦!
ちょっと女々しい行為と感じつつ、低カロリーなメニューでお昼を過ごしました。

さて、健康診断最初の項目は身長と体重測定。
測定器に乗って待つこと10秒。
プリントされてきた紙に書かれた数値は「172.5cm、65.95kg」。
蕎麦の効果か否か、休暇中の増加分はお釣りがくるほど減っていました。

ところで、私が毎年のようにひっかかるのは「中性脂肪」。
正常値は30~149mg/dLだそうですが、私は150〜200の間が多いのです。
「お酒か甘い物か、好きですか?」
と医師に聞かれたことがありますが、私はお酒が全く飲めません。
とはいえ、子供のようにお菓子を毎日食べるわけではないので、結局は運動不足なのでしょうか。

全ての検査が終わり、医師との診察になりました。
医師が、私の血液検査の結果が書かれた用紙をみているそばから、「中性脂肪はいくつですか?」と尋ねると、125とのことでした。

「いや〜、美しい数値ですね〜。」
思わず口をついてしまいました。

「検査結果は総じて優秀な部類ですが、運動するよう普段から心がけて下さい。」
医師はたしなめるように仰りました。

ところでこの医師。もう何年も健康診断の際にお目に掛かっていますが、とっても温厚で優しい男性医師なのです。
年に一度しかお会いしませんが、先生もなんとなく私が印象にあるようでした。
すると、診察の途中に突然、
「伊豆アート印刷って名前、どういう由来なの?」
と尋ねてきました。

「私の父が伊豆の出身なので・・。」
「伊豆のどこ?ボクは東伊豆の出身なんだよ。」
「そうなんですか。父は長岡のちょっと北です。ん・・、韮山の近くです。」
「あー!韮山ね。田舎なんだけど、韮山高校なんて優秀な学校もあるよね。」
「はい。韮山高校は甲子園で優勝したこともあるんですよね。」
「よく知ってるね!すっごい昔だよね。正に文武両道だね。」

診察室は妙な盛り上がりをみせていました。

「なんのことやら、さっぱりわからんでしょ。」
医師から問われた女性看護師さんは、
「はい、まったく・・。」
「いいのいいの。数値が高いとか、運動しなさいとか、お酒は控えなさいとか、そんな話より何倍も楽しいねぇ♪」

先生はとっても楽しげでした。
よっぽど楽しかったのか、いつもより長く診察してくださり、ちょっぴり痛みも長引いた直腸診でした。

参考:韮山高校は1950年第3回選抜高等学校野球大会の優勝校です。

013 美酒佳肴

仕事中の昼食は、いろいろです。
会社で弁当を食べることもありますが、外食することの方が多いかと思います。

最も酷いのは、車を運転しながらパン等をかじることです。
時間がない時は、どうしてもこうなってしまいます。
もう若くないので、できれば昼食くらいはゆっくり食べたいのですが、忙しい時は、週に何度も「走り食い」になってしまうことがあります。
でも、忙しいのは有難いことですから、文句を言ってはバチが当たりますね。

近年、駐車違反の取り締まりが厳しいので、外食の際は駐車場の確保が必須です。
とはいえ、やみくもに駐車すると、「20分400円」みたいな料金もありますので、ランチ代が750円、駐車場代が800円みたいな事態に陥ります。

従って、駐車ができておいしいランチが食べられるスポットを自分なりにいくつか持っています。

そのうち、私の中で特殊な地位を占めているお店があります。
文京区にある「神名備」というラーメン屋さんです。
「かむなび」と読みます。

開店したのは1999年2月。
仕事中、偶然通りかかったのがきっかけで初めて入店したのですが、それがオープンしてまもないときでした。
ですから、私は「最も古くから通い続けている客」を秘かに自称しています。

神名備さんが好きな第一の理由は、お店の奥さんの人柄。
とにかく、接客が丁寧。そして、かゆいところに手が届くのです。

待合の椅子から店内へ誘導する時は、
「店内に段差がありますよ〜」。

会計を済ませて帰るお客には、
「自転車が両脇から来ますので注意して下さい〜」。

すべてがこんな感じなのです。

それから、客がオーダーしたものを全て記憶しているので、会計伝票が存在しないのです。
食べ終わった客がレジに行くと、オーダーしたメニューと料金を間違えることなく伝えます。
前述の通り、長く通っていますが、一度も金額を間違えられたことはありません。

一度、誉めて差し上げたことがあります。「良く全ての注文を記憶できますね」と。
すると、「何人も記憶するわけではないですから、大したことではないです・・。」
と謙遜されていました。
確かに、椅子が全て埋まったとしても12人程度ですが、私にはムリだと思います。

第二のお奨めポイントは、デザートがめちゃめちゃ美味しいこと。
マンゴープリンと杏仁豆腐、これはどちらもホント、絶品です。
「なんで?」と思った方、「町のラーメン屋で??」と思った方、一度食べてください。
一流ホテルの中華や、横浜・中華街の有名店を凌駕すること間違いないです。

第三のポイント、それは「安心」です。
化学調味料なし、国産を使用するなど、安全性にとても気を遣っているからです。
だから、値段は決して安くありません。
ラーメンとマンゴープリンを食べると、1,500円くらいになります。
加えて私は駐車料がかかりますから、決して安い昼食ではありません。

でも、キレイな店内で、気持ちの良い応対をしていただいて、おいしくお腹が満たされる、こんな幸せを味わえる対価として、全然高いとは思いません。

私のお昼に幸福感を与えてくれる神名備さんに、今後も通い続けたいと思っています。

補足:
ラーメンについて、何も言及していないことに気づきました。
もちろん、ラーメンも美味しいです。
醤油と塩がメインですが、ごまの酸辣麺もぜひご賞味いただきたいです。
お値段はヒ・ミ・ツ。

012 円転滑脱

先日、弊社の大切なお得意様で業者会が行われました。
出入りしている業者が年に一度集い、お客様も含めて交流を深めています。

総会後に行われる懇親会では、毎年ゲストを招き、場を盛り上げていただいています。
以前には、1990年代にジュリアナ東京の「お立ち台の女王」と呼ばれた荒木師匠こと荒木久美子さんにも素晴らしいステージを披露していただきました。

その懇親会で、ここ数年、私が司会進行を仰せつかっています。
理由は「経費節減」。
以前はプロの司会者を招聘していたのですが、その費用をもっと有意義に使おう、ということで、何故か私にお鉢が回ってまいりました。
タイトルのように円転滑脱とはいきませんが、仕方ありません。経費節減ですから。

今年のゲストは「サムライローズ」さんでした。
簡潔にご説明すると、今年結成5周年を迎える「アラフォーアイドル」です。
メンバーの居住地域は北海道から九州、アラフォーと言えど年齢は35〜59歳とバラバラ、職種も家庭環境も人生観も様々ですが、「元気にみんなで一緒に輝こう」という想いで集まった「大人の遊園地」という感じでしょうか。

私もこの懇親会ではじめてその存在を知りました。

司会を務める以上、事前リサーチも重要です。
オフィシャルホームページを覗いてみました。
これまでの経緯や今後のイベント内容等を確認。もちろんメンバー紹介ページもチェック。
「ん・・、確かに年齢層は幅広いな・・。」

ただし、当日お越しになるのは5名。
北海道や関西以西在住のメンバーが来る可能性は低いと見て、東京近郊のメンバーが紹介されたページをプリントし、どなたにお会いできるのか楽しみにしていました。
(実際には長野からお越しになったメンバーもいました。)

そして、懇親会の日。

開会30分前に打ち合わせをしました。
初対面の印象は・・・、

「あら、意外に可愛い・・。」

「意外に」は失礼ですが、メンバーは魅力的で、楽しいステージを見せていただきました。

AKB48は「会いに行けるアイドル」をコンセプトとし、チームごとに日替わりで公演を行うことが特徴とされています。握手会、総選挙など時代の象徴とも言える彼女たちに夢中になる若者達。
しかし、私にとっては娘のような年代です。どうしても、親の目線で見てしまいます。

一方、アラフォー世代のサムライローズには、現実感を感じたのです。
年齢が近いことが大きな要因なのでしょうね。

皆さんも青春時代、好きになったアイドル歌手がいたのではないでしょうか。
(因みに私は麻丘めぐみさんが好きでした)。
サムライローズは我々が若い頃夢中になったアイドルと、現代のアイドルAKB48の足し算みたいという思いを抱きました。あまり上手な表現ではありませんが・・。

今回お会いできたメンバーは、美原さん、いぬきょんさん、Pinkyさん、森の妖精さん、ホームセンターBlueさんの5人。皆、アイドル意識もありながら、大人の良識は備えていて、でもまだまだ元気で躍動したいというエネルギーを発散していました。

紅白出場。
決して夢ではないと私は思っています。

閉会後、メンバー全員の写真入り名刺をいただきました。
しかも、私だけ。
ま、司会を務めたご褒美ですかね。

そうそう、荒木師匠の写真入り名刺、これも大事に持ってます。

011 清澄白河

弊社は東京都江東区平野2丁目にあります。
最寄り駅は清澄白河駅です。
都営大江戸線と東京メトロ半蔵門線が通っていますが、開業したのは平成12年12月12日(何だか縁起がいい)ですから、駅としてはさほど歴史はありません。

それまでは、東西線の門前仲町駅か都営新宿線森下駅まで行かねばならず、決して便利な地域とは言えませんでした。

この付近で最も有名なのは、「深川七福神」。
お正月の時期には、多くの人が散策している姿を見かけます。

また、お寺が多いので、お彼岸のころも賑やかになります。
東京都現代美術館や木場公園、清澄庭園など有名どころもあるのですが、どうしても地味な印象は拭えません。

さて、弊社のすぐそばに、明日セブンイレブンが新規オープンします。
至近距離にコンビニがなかったので、少し便利になるな、と思っています。

一方、今日の夕方、弊社から徒歩数分の場所に、人だかりを発見しました。
見ると、おしゃれな建物で、なんらかのショップが開店したような印象でした。
車を停めて様子を眺めたのですが、詳細は分からずじまい・・。

帰宅後、ネットで調べてみると、「オールプレス・エスプレッソ」という店のよう。
正確には「オールプレス・エスプレッソ・東京ロースタリー&カフェ」といい、このコーヒーショップ、ニュージーランドでは最も有名なコーヒーブランドだそう。
正式オープンは来月になってからみたいなので、今日は関係者を招いての祝賀会、といったところでしょうか。

そういえば、『ブルーボトル・コーヒー』という店が、今秋日本初出店の予定で、なんとその場所も清澄白河だとか。
サンフランシスコではPhilz Coffee, Ritual Coffee Roasters, Four Barrel Coffeeと共に4大コーヒー店と称されている有名店で、創設者であるジェームス・フリーマン氏は、味はうまいがマニュアル化され効率化されたスター◎ックスコーヒーを嫌い、一杯一杯心を込めていれるんだとか・・。

こりゃ、セブンイレブンどころじゃなくなってきました。

表参道なんかもう古い、これからは清澄白河だ!なんてことになって、
コーヒーショップに続いて、パンケーキ屋さんや話題のスイーツの店が大挙出店し、
今日はヒルナンデス、明日はスッキリ、明後日は王様のブランチと連日取材陣が訪れ、
るるぶ清澄白河が創刊されて、
来春の月9ドラマの舞台は清澄白河に決定!なんてことになって、
次作「男はつらいよ」の副題が「寅治郎、下町深川慕情」に決まって、
武井咲が「最近、清澄白河の美容院に変えました」なんて吐露しちゃって、
AKB48が清澄庭園で新曲PVのゲリラ撮影を強行しちゃって、
ビッグダディが新しい奥さんを連れて転居してきて、
2020年の東京オリンピックでは、外国人観光客であふれかえって、
弊社もちょっと売上が上がって・・・・。

いや〜、あるある。
あり得る、これは。

でも、ブルーボトル・コーヒーが、今後、六本木や渋谷にも出店を検討している、なんて聞くと、「清澄白河なんかじゃダメだ」とばかり、早々に店をたたんだりしないといいなあ、と、開店前から妙に心配になったりもします・・・・。

010 門前成市

以前、酒々井のアウトレットでポップコーンを購入したことがあります。
印西市にあるお得意様へ行く前に、ちょっと足を伸ばして行ったのです。
到着したのは11:00頃。もちろん平日。
30分ほど並んで、お客さんへの差し入れと会社へのお土産を買いました。

お代は7,500円ほど。
ポップコーンに7,500円!!??
なんかちょっと違和感を感じました。

そして、三連休最終日の今日、木更津のアウトレットに行きました。

73店舗が新規開店し、合計248店舗にスケールアップしたのが先週です。
しかも、子供達は夏休み。
早めに行って、早めに帰ってこようと決めました。

自宅を7:30に出発。宮野木JCT付近で30分程度の渋滞がありましたが、9:00過ぎに現地に到着しました。

普段は10:00開店ですが、連休中は30分早くOPENするとのことで、開店まで20分と少し、駐車場で待ちました。

そして、9:30に入場。
まずは、新しくOPENしたエリアに行ってみました。

「そういえば、この辺にポップコーン屋さんが出来たんだよなあ・・。」
「酒々井のポップコーン屋さんとは違うお店なんだよなあ・・。」

と思った瞬間、すごい行列が目に飛び込んできました。
先頭から最後尾まで、人の列を目で追いました。
そして、看板が目に入りました。

「120分待ち」

開店して、まだ5〜6分です。
その人気ぶりに、ただ唖然としてしまいました。
日本人ってそんなにポップコーン好きなのかしらん。

009 華燭之典(3)

最近、披露宴を行わないカップルが多いようですね。
ちょっと前は、媒酌人を立てない披露宴が多いと聞いていたのですが、披露宴そのものが少なくなってきたようです。

私の場合は、大学時代の恩師に媒酌人をお願いして、披露宴を行いました。
披露宴をしない、という選択肢はなかったですね。

披露宴には110人以上の方にご参列いただきました。
司会は以前紹介した私の友人の「プロフェッショナル」にお願いしました。

友人からは、
「お前、みっともないから泣くんじゃないぞ。」
「カミさん、普段から泣き虫だから、絶対に泣くだろうな」
などと冷やかされていましたが、ふたを開けてみると、終始笑顔笑顔でした。

だって、100人以上の人達が、我々を祝福するために集まってくれて、何をするにも我々が主役なんですから、それはそれは至福の境地でした。
正に自分たちを中心に地球が回っていると勘違いしそうな一日でした。

余談ですが・・、
披露宴にお招きした人数は新郎側:新婦側=6.5:3.5くらいの比でしたが、私側は友人が多く、カミさんは親戚の方が多かったので、集まったご祝儀は、新婦側の圧勝でした(笑)。

さて、友人の披露宴で司会や余興を数多く担ったことは既にお話ししましたが、仲人はこれまでに一度だけ経験しました。

仲人といっても、ハワイで挙式を挙げた後輩夫婦に付き添ったというもので、昔ながらの厳密な仲人とはほど遠いですね。

オアフ島のちょっと小高いところにある小さなチャペルで挙式をしました。
参列者は、新郎側が我々夫婦2人、新婦側は新婦の女友達2名でした。
式の夜は、アランウォンズという有名なレストランで食事会をしました。
少人数でしたが、アットホームでとても思い出深い一日となりました。

 

それから、披露宴で乾杯の発声も、かつて一度だけ仰せつかりました。
当時、弊社に入社まもない男性社員の披露宴で、職場の上司という紹介でした。

上司といっても、まだ弱冠32歳。
乾杯って、もっと年配の方が似つかわしいですね。
自分にはちょっと場違いな感じがしました。

因みに、その時の仲人は私の両親でした。
そうです、父と母の前で、乾杯の発声をした訳です。
そういう意味でも、ちょっとこそばゆい乾杯でした。

最後に、
私がこれまで唯一の仲人を務めたそのカップル。
残念ながら、今、ふたりは他人になってしまいました・・。
我々夫婦は、仲人に関しては「持っていない」みたいです・・。

008 華燭之典(2)

先日の続きです。

「生ビールがあるじゃないか♪」
は小学校時代の友人の披露宴でした。
新郎側ではなく、新婦側の友人です。 

あ、正確には新郎新婦ではなく、新郎妊婦だったのですが(笑)。

そしてこの妊婦、じゃなくて新婦。
職業は司会者なのです。
披露宴やイベントなどでバリバリ活躍中のプロの司会者なのです。

当然、職場の方々も招かれています。

なのに、二次会の司会を、私にやって欲しいというのです。

「披露宴のスピーチはやるよ。でも司会はダメだよ、いくら二次会でも」

謹んでお断りしました。
当然です。
プロの司会者がたくさんいる前で、素人の私がどうして司会を務めることができましょう。

「披露宴の司会は、プロの仲間に交替でやってもらうの。でも、二次会はプロに頼みたくないの。お願いっ!」

新婦の押しに負けて、結局引き受けることにしました・・。

恥をかいてもいいや。
所詮素人なんだから。
プロのようにできるわけがないのだから。

文字通り開き直りました。

そして、二次会は始まりました。

その二次会でもうひとつ、私は大役を担っていました。

イメージビデオです。

なぜ私が制作することになったのか、正確な経緯は定かではありませんが、画像の編集が好きだったことが高じて、引き受けることになったのでは・・。

内容は、新婦の幼少時代から現在までの写真をつなげたスライドショーです。
しかし、当時はPCソフトでさくっと制作、という時代ではありませんでした。
ビデオデッキにまず音楽を録音し、それから音に合わせて静止画を取り込み、テロップはタイトラーいう専用マシンで入れる、という手間のかかる作業でした。

二次会の中で皆さんにご披露しました。
自分で作った映像を人前で紹介するのは初めてでしたから、非常に緊張しました。
上映中は、妙な汗が止まりませんでした。

上映が終わると、皆さんから暖かい拍手をいただき、ホッとしました。
すると、新婦のお父さんが、泣きながら私に握手を求めてきました。
「感動したよ!やるやるとは聞いていたけど、やるねえ、山田くん!」
新婦の父は、やや酔っぱらっているようでした(笑)。

そして、二次会のエンディング。司会の大役もそろそろ終わりです。
参加者みんなでアーチを作り、新郎新婦を祝福するという企画がありました。

「それでは皆さん、ここから2列に並んでいただけますか?」

と皆さんにお願いをしました。
列が長くなっていくと、ついに会場の反対側にぶつかってしまいました。

・・・反対側までいったら、こちらへ戻るように並んで下さい・・・

頭の中にそんなセリフが浮かびました。
でも、ダメです。禁句です。
「戻る」はNGワードです。

披露宴で使ってはならない言葉って結構あるんですよね。
別離を連想させる「別れる」「切る」「割る」「去る」「帰る」。
再婚を連想させる「戻る」「繰り返す」などなど。

「戻る」がダメなことは認識していました。
「お席にお戻り下さい」ではなく「お席にお着き下さい」と言うんだぞ、とシミュレーションもしていました。

しかし、今回は状況が違います。
向こう側からこちら側に戻ってこなければならないのです。
「こちら側へ戻る」以外になんて表現すればいいのか・・。
「こちら側へ帰ってきて・・」
あ〜、これもダメ。

頭の中、真っ白になりました。
私は適切なボキャブラリーを持ち備えていませんでした。

結局・・・、
「向こう側までいったら、こちら側へ戻るように並んで下さい」
マイクでしゃべってしまいました・・・。

そうしたら、私の近くにいた新婦の職場の同僚、即ちプロの司会者の方が・・・、

「今、司会の方がおっしゃったように、向こう側の壁まで到着したら、
 こちらへUターンして並んで下さい!」

まいりました・・。
脱帽、なんて表現では足りません。
その見事なタイミング、しかも、私に配慮した、優しい言い回し・・。
プロはやっぱりすごかったです・・。

お開きになってから、その方にお礼を申し上げに行きました。

・・口にしてはいけない言葉だとは知っていました。
でも私には適した表現が浮かびませんでした。
助けていただいて有難うございました・・。

すると、

「NGワードと知っているだけですごいことです。全体的にとても立派な司会ぶりでした。間の取り方が上手で、我々プロも勉強になりました。」

上手だったはずがありません・・。
立派な訳がありません・・。

上から目線という言葉がありますが、そんなかけらもありませんでした。
こういう所作ってステキだなあ、と感じました。

あれから、20数年。
まだまだ年齢相応の分別がない自分に、ハッとする思いです。
深く自省が必要です・・。

007 横浜国大

今日は土曜日でしたが、出勤しました。
普段は朝5時に起きるのですが、今朝は6時。
ちょっとだけ朝寝坊して出勤しました。

朝刊を読むヒマがなかったので、帰宅してから読みました。
すると、主婦と生活社から「CHANTO」という雑誌が創刊され、表紙は「阿部哲子さん」だという広告が目に入りました。

阿部哲子さんって、元・日テレのアナウンサーで、たしか、私の大学の後輩じゃなかったっけ?

調べてみるとやはりそうでした。
15年以上離れていますが、横浜国立大学経営学部卒業のようです。
私の、もろ、後輩です。

うちの大学の卒業生、たま〜にテレビで見ることがあります。

例えば、オリラジのあっちゃんと結婚した福田萌さん。
この方も横浜国立大学経営学部卒業。

それから、眞鍋かをりさん。
この方は横浜国立大学教育人間科学部卒業。

また、俳優の加藤雅也さんとB’zの稲葉浩志さんは、ともに教育学部卒。
元・国土交通大臣の馬淵澄夫さんは工学部卒。
今大人気の俳優・西島秀俊さんは工学部中退とか・・。

小さな大学なので、仕事先で先輩後輩に巡り会うことは希有です。
しかし、一度だけ、偶然先輩と遭遇したことがあります。

その方は、車関係の一部上場企業のお客さん・M部長さんです。
ちょっと話しかけづらい雰囲気を持った方で、まだ若かった私は、とても冗談など口に出せませんでした。

あるとき、納品した商品に対して、ちょっとしたトラブルになりました。
私としては問題ないと自信を持っていましたが、M部長さんは不満を抱き、何度かご説明に上がりましたが、解決には至りませんでした。

「結構泣いてる業者さん、いるよ・・」とは部下の女性Kさんの話。

ちょっと重たい気持ちのまま、この日もM部長を訪ねました。
すると、部長の机の端に見たことのある冊子が置いてありました。

「んん?うちの大学の同窓会誌じゃないか???」
意を決してお聞きしました。

「M部長、ひょっとして横浜国大のご卒業ですか?」
なんでそんなことを聞くんだ、と言わんばかりの険しい表情。

「あの、私、昭和59年経営学部卒業なんです」
すると、M部長が今まで見たことのないような笑顔で私を見ています。

「おい、コーヒーでも飲むか?」

その後は言うまでもありません。
大学の後輩として、私をすごーく可愛がってくれました。

やっぱり学校の先輩後輩って、時を超えた絆があるんですね。

逆に、もし同じ大学の繋がりがなかったら、M部長とどうなっていたのか・・。
考えると、今でも冷や汗がでますね。

宮本部長、有難うございました。
(思わず本名で書いてしまった・・。)