家族」カテゴリーアーカイブ

160 繁絃急管

先日、ギターを購入するため、楽器屋を訪ねました。
若い頃、姉のギターを借りて、趣味で弾いていたのですが、かれこれ30年程遠ざかっています。
実力は既に初心者同然のはず。
一番安いので十分と思っていたところ、店員さんに勧められたのは55,000円のギター。

予算オーバーだと伝えたのですが、「安いギターは、弾きにくいですよ・・」と店員さん。
でもなあ、55,000円は高いなあ、と悩んでいると、

「となりのは、お値段の割には握りやすいですよ・・。」

即決しました。
「練習してから、MARTINかFENDERを買いにきますね〜」と間に合わせの発言を残し、売り場を後にしました。

ギターが弾きたくなったのは、今から10年ほど前。
セガレがピアノ教室に通い始めた頃です。

ピアノに全く縁のない両親から生まれた割りには、そこそこ実力をつけてきた様子を見て、セガレのピアノ演奏と一緒にギターを弾いたら楽しいだろうな、と思うようになりました。
そして、58歳目前、購入を決断しました。

自宅に持ち帰り、胸躍らせながら弾いてみると・・、

指が!

全く!

言うことを聞きましぇん!!!

「C」ですら、どういう訳か、一弦に触れてしまい、キレイな音が出ない始末です。
これは流石にショックでしたが、少し弾いているうちに、徐々にコツを掴み始めました。

その後、嫌がるセガレを説得し、一緒に弾く曲の楽譜を探すため、防音室に行きました。
B♭やCmなど、セーハがまだうまく握れない現状では、ローポジションコードが多いハ長調の曲が精一杯です。

そして、最初に見つけたのは、福山雅治の「生きてる生きてく」。

♫『不思議なものだ、子どもの頃は、大人になんてなれないのに…。』

調子よく弾き語りしていたら、最後は転調して、セーハだらけ。
速やかに断念し、また、楽譜を探しました。

ありました!
スコット・ジョプリン作曲の「The Entertainer」です。

ピアノの練習曲として大変有名な曲で、セガレも小学校低学年の時に弾いていました。
アカデミー賞を受賞した映画「スティング」のテーマ曲にもなった曲です。

セガレはひょいひょい弾いていましたが、こちらは三重苦。
①指が全然動かない
②左指の腹が切れそうに痛い
③老眼で楽譜の文字が見えない

若い頃との違いを痛感しつつも、楽しい時間となりました。

159 香気芬芬

「父さ〜ん、お風呂で髪の毛を洗う前に、塩を地肌に擦り込んで、しばらくしてからシャンプーすると、皮脂が洗い流せるらしいよ。」

ネイルサロンから仕入れてきた情報をカミさんが教えてくれました。
そのオーナーはオーストラリア産の特別な塩を使用しているとのこと。
もちろん我が家にそんな高級な塩はありませんので、戸棚の奥にあった、ややキメの細かい塩を用いました。

早速試してみると、いつもと若干違う爽快感を風呂上がりに感じました。
案外悪くないな、と思っていると、

「原理はね、青魚を料理する前に塩もみして臭みを除くでしょ。アレと同じなんだって。」

オレは鯖か?
そのうち、熱湯にくぐらせるともっといい、なんて言われるんじゃないか?
加齢臭粉砕のために手段は選んでいられない現状とはいえ、感じ悪さは否めません。

仕事上、人と会う機会が多いので、ニオイには一応注意を払っています。

カラダを洗う石けんは、カミさんが美容院で買ってきてくれる、岩塩&竹炭入りを使用しています。
打ち合わせの前には「ビオレさらさらパウダーシート」で額から首を一拭きします。
激しく汗をかいた時のために、夏期はシーブリーズ・デオ&ウオーターを持ち歩いています。

「でもなあ、所詮、年齢には勝てないんだよなあ・・」と半ば観念しながらビオレシートを1枚抜き出すと、残りが少なくなっていることに気付きました。

私にとってこのシートは夏の必需品ですから、切らす訳にはいきません。
その日のうちにドラッグストアへ行きました。

レジに並んでいると、陳列棚の青いボトルが目に留まりました。
『新提案!!女性の気になる〈体臭〉〈汗臭〉〈オトナ臭〉ニオイまでキレイに』なんてポップも付いています。

どこかで見た記憶があるな・・。

ん?
女性用に開発されたにも関わらず、オッサンでも若い女性の匂いに包まれることができる、とかいうブログがネットを賑わせた商品じゃないか?

勢いよく購入し、帰宅後調べてみると、今年の初夏、ネットで評判になってAmazonでも品切れを起こした「DEOCO」でした。

開発したのはロート製薬。
目薬のイメージが強い企業ですが、公式サイトを見ると、以下記載がありました。

ロート製薬株式会社(本社:大阪市、社長:吉野俊昭)は、加齢に伴う女性の体臭変化に関して研究を行い、女性には「若い頃特有の甘いニオイ」が存在し、それは年齢とともに減少し、曲り角は35歳付近にあること、その正体は「ラクトンC10/ラクトンC11」という成分であることを見出しました。また、「ラクトンC10/ラクトンC11」は30代以降の女性で減少すること、さらに見た目の印象に対して良い影響を与える可能性があることを示しました。本研究成果は、2017年9月に行われた日本味と匂学会第51回大会(神戸市)にて発表いたしました。引き続き加齢に伴う体臭変化に関する研究に取り組むと同時に、製品開発へ応用していきます。

なるほど、若い女性には特有の甘い匂いが存在し、年齢を重ねると失われていくんですね・・。

肝心の使用感ですが、洗っているときは、オッサンのバディが桃の甘い香りに包まれ、幸せな気分でした。
風呂上がりにも甘い香りを幾ばくか感じることができましたが、ブログにあった「就寝時に布団の中から女の子の匂いがして背徳感を感じる・・」といった体験はできませんでした・・。

そもそも「加齢臭」の名付け親は、資生堂だそうです。
ライオン株式会社は、ノネナール臭とは異なるペラルゴン酸 (C9H18O2) を原因とする加齢に伴う臭いがあることを発見したり、株式会社マンダムは、男性の頭部周辺で生成されるジアセチルという成分が不快な強い脂臭を発していると発表しています。

近い将来、オッサン臭を撲滅できる製品の出現を期待したいと思います。

「父さ〜ん、あのボディーソープ、いい匂いだね。」
買ってきた時は若干冷ややかだったカミさんも、結局使ったんじゃん。

154 上下一心

先週末は、仕事にプライベートに充実した時間を過ごすことができました。

まず土曜日。

セガレの通う高校(中高一貫の男子校)で、体育祭が開催されました。
生徒たちは入学時に与えられた赤・白・黄・青の4色に分かれて、優勝目指して戦います。
この色は、卒業まで変わることはありません。

各色とも縦に4分割されるので、中1から高3までが団結しなければなりません。
その旗振り役を担うのは、「4役」と呼ばれる高3の幹部です。
団長・副団長・応援団長・副応援団長によって構成される4役は、その色の象徴的存在であり、その年の体育祭の顔でもあります。

4役はじめ高3の役員らは、年の離れた後輩たちに、競技ごとの秘策や心構えなどを熱血指導します。
「高3になったら4役になる」と心に秘めてきた役員たちですから、体育祭への思い入れは生半可なものではありません。
勝っても負けても、4役らの熱き思いは、下級生へ引き継がれていきます。

なお、高3だけは、体育祭当日に限り、髪を自分の所属する色に染めることが許されます。
そして、この「色」に対する意識は、卒業後も続きます。

私のお客様で、セガレの大先輩にあたる医師がいらっしゃいます。
その先生に入学の報告をしたところ、

「合格おめでとう!で、何色?」

と質問されました。

何組?とか、担任は誰?とか聞く前に、まず色を確認するのが通例であることは事前に抑えておいたので、「青です!」と即答できました。

以前、学校主催の講演会に参加した際、登壇した同校OBの演者がこう自己紹介していました。

「昭和☆年卒の☆☆☆☆です。あっ、色は赤です。これを言わないとダメですよね。」

これを聞いた途端、会場にいた赤組の現役学生から、大きな拍手が湧きました。
同窓が絆を深めるツールとしては、簡単明瞭でとてもいいなと思います。

さて、体育祭当日。
天気は晴れたり曇ったりの運動日和。

セガレの所属する青組は優勝から8年間遠ざかっており、入学後の成績は、4位、2位、4位。
チャンスは今年を入れて3回。
在学中に優勝を経験できなかった先輩たちの無念な思いも抱いて、ぜひとも今年は栄冠を勝ち取って欲しいものです。

果たして、結果は・・・・、

848点を獲得した、青組が優勝しました!!

ただ優勝だけを目指してきた青い髪の少年たちは嬉し涙を流し、最大5つも年の離れた後輩たちと勝利の喜びを分かち合う姿は、青春そのものでした。

一方、応援席では、運営のサポートに尽力した高3の母親たちも、抱き合って号泣していました。
たかが子供の体育祭、では片付けられないドラマを見た気がしました。

私とカミさんにとっても、初めて勝利の余韻に浸りながらの帰路になりました。
せっかくだからと、少し遅れて下校したセガレと渋谷で待ち合わせ、家族3人でささやかな祝勝会を開きました。

そして、翌日曜日。

6時30分に起床し、すぐに仕事に取り掛かりました。

例年、体育祭ではギラギラの太陽に体力を奪われ、その翌日はボロ雑巾のようになってしまうのですが、今年は曇りの時間帯もあったためか、元気に日曜日を迎えられました。

それでも、体育祭をただ座って見ていただけ、もっと言えば、一番気温の上がる時間帯には食堂へ避難して居眠りをしていたにも関わらず、太ももの筋肉痛を抱えながらの仕事となりました。

長椅子に座っていただけで、どうして筋肉痛になるのか理解不能ですが、朝から仕事に向き合えたので良しとします。

そして、午後は、東京国際フォーラムで「葉加瀬太郎・高嶋ちさ子・古澤 巌〜3大ヴァイオリニストコンサート 2019〜」を鑑賞しました。

素晴らしい演奏と、高嶋ちさ子さんの毒舌トークについては、またの機会に書きたいと思います。

152 寸草春暉

3月18日は、両親の結婚記念日です。
そして、今日、60回目の記念日を迎えました。

26歳と22歳だった新郎新婦は、86歳と82歳の老夫婦になりました。

しかし、父はまだ毎日仕事をしています。
母も元気ですし、料理の腕前は鈍っていません。

結婚60周年を、一般的に「ダイヤモンド婚式」と呼ぶのだそうですが、夫婦揃って、仲良く、そして元気にこの節目を迎えられるのは、とても幸せなことだと思います。

農家の三男坊として生まれた父は、旧制中学卒業とともに、商人になるという夢を抱いて上京しました。
「“こうりひとつ”で東京に出てきた」と昔から父に聞かされていましたが、「こうり」とは「竹や籐などを編んで作った籠の一種」で「行李」と書くようです。
要するに、荷物ひとつだけを抱え、伊豆の田舎町から東京に出て来た訳です。

一方、母も裕福ではない農家に生まれ、高校に進学することができませんでした。
藁だか何かを編む内職を手伝うから進学させて欲しい、と家族に懇願したそうですが、父を早くに亡くしたこともあり、少女の希望は通りませんでした。
上の学校に進学する級友たちを羨ましく見ていたという母の気持ちを、私には推し量ることなどできません。

そして、同じ印刷会社で偶然働くことになった2人は、昭和34年に夫婦となりました。

中央区月島の狭くて陽当たりの悪いアパートから始まった新婚生活は、まもなく2人の子どもが生まれたこともあり、金銭的には苦労したそうです。

私が社会人になってから、「学習塾の費用の捻出が大変だった」と聞かされました。
その事実を知った時、少なからずショックを受けました。

小学生の頃から、私が行きたいという塾には、自由に通わせてくれました。
中学受験もしましたし(失敗に終わりましたが)、高校も「都立はここしか受けない」と背伸びをした挙句に不合格となり、授業料の高い私立高校に進むことになっても、異議やお小言はありませんでした。
大学はかろうじて国立大学に合格しましたが、追加合格だったため、私立大学に入学金と授業料として70万円近くを出費しました。

進学に関して、私の選ぶ道に反対されたことは一度もありませんでしたが、お金の苦労を子供に悟られぬよう、親は陰で苦労していたのでしょう。
自分たちは進学が叶わなかったので、子供にはきちんと教育を受けさせたいという思いもあったのだと思います。

また、体調面でも、決して順風満帆ではありませんでした。

母は50代で、大腸癌を患いました。
その後、肝炎を起こしたり、腸閉塞で入退院を繰り返すなど、健康を害していた時期もありますが、我慢強い母は、病に負けず、元気を取り戻しました。

父は、一昨年、心臓の手術を受けました。
80歳を過ぎてからの心臓バイパス手術に際して、術前、看護師さんにこう言っていたそうです。

「老人のボクだが、まだやり残したことがある。だから、もう少し生かして欲しい・・。」

どうやら、その本意は「もう少し会社の役に立ちたい。セガレの一助になりたい。」ということだったようです。

自ら会社を興す、即ち、商人になるという夢を叶えたのが44歳の時でした。
学歴も資格もなく、親からの援助も全くなく、ただがむしゃらに家族のため働いてきた父は、80を過ぎてもなお仕事への情熱が衰えておらず、その意欲にはただただ敬慕の念を抱いています。

果たして自分は何歳まで仕事ができるか、そして、子供にどれだけの愛情を注ぎ続けられるか・・。
親のマネは出来ないな、と思っています。

歳を重ねてから、両親は勉強熱心になった気がします。
父は本をよく読みますし、母は四文字熟語の勉強をしているそうです。

人間死ぬまで勉強だと、背中で教えられているように思います。
私も昨年不合格に終わった漢字検定準一級試験を、今年もう一度チャレンジしたいと思っています。

ところで、天皇皇后両陛下にとって、今年は『結婚60年、即位30年』の年にあたります。
今上天皇は、昭和8年12月23日のお生まれで、ご結婚されたのは昭和34年4月10日。
偶然ですが、父と同年齢で、結婚した時期も1ヶ月と変わりません。

先日、陛下の即位30年と、天皇皇后両陛下の結婚60年を祝って、宮内庁職員による茶会が行われたそうです。
私も60回目の記念日当日に届くよう、京都・権太呂のうどんすきを贈りました。
後日、改めて、ささやかながら食事会を開きたいと考えています。

149 歌舞音曲

映画「ボヘミアンラプソディ」が、昨年来、大ヒットになっています。
世代を超えて、多くの人に支持されているのだそうです。

振り返ってみると、私が洋楽を聴くようになったのは、中学生の時でした。
ラジオから流れていた、Pilotの「Magic」がきっかけだったと記憶しています。

また、KC & the Sunshine Bandの「That ‘s the way (I like it)」やVan McCoy and the Soul City Symphonyの「The Hustle」にも感動しました。

そして、Grand Funk Railroadの「The Loco-Motion」を聞いたとき、音楽の関心は、洋楽へ完全に移行しました。
こんなカッコイイ歌があるんだ!と、心揺さぶられたのを、今でもよく覚えています。

この曲はその後、Kylie Minogueがカバーしました。
カッコイイ曲が愛くるしい曲に変身し、Official Music VideoはPopで可愛くて印象的でした。

歌い手は替わっても、「The Loco-motion」はずっと好きでした。
しかるに、元々1962年にLittle Evaがヒットさせた曲であることを、当時はよく分かっていませんでした・・。

それから、忘れてはならないのは、Olivia  Newton-John。
「Let me be there」を歌う姿は、中学生の山田少年には衝撃的な美しさでした。
麻丘めぐみのファンだった私の憧れの的は、音楽の興味とともに海を渡りました。

少々話が逸れました・・。

若い頃、私はクイーンの良さが分かりませんでした。
Killer Queenの発売が1974年、Bohemian Rhapsodyはその翌年ですから、私は既に洋楽を聴いていましたが、あの「コーラス」が好きになれませんでした。
大人の
合唱団か?と思ったくらいでした。

ですから、カミさんから「Queenの映画を見に行こう!」と誘われた時も、「付き合ってもいいよ」という程度でした。
結局セガレも巻き込んで一家で鑑賞しましたが、「ここ数年に観た映画の中で、一番良かった」ですね。

そして、この週末、カミさんと2人で、再び鑑賞しました。
しかも「ドルビーアトモスのプレミアボックスシート in 日本橋」とゴーシャスにしました。

そもそも私は、同じ映画を2度鑑賞するのは好きではありません。
ストーリーが分かっているのに、どうしてもう1度観るのか、理解できないのです。

ただし、今回はコンサートを見に行く、という感覚にしようかなと自分に言い聞かせました。
そこで、音の良い劇場で高級なシート、と雰囲気を変えて鑑賞しようと思ったのです。

生涯初の複数回鑑賞でしたが、観に行って良かったと思います。
1度目とは、少し違った視点で見ることができた部分もありました。

ただ、プレミアボックスシートは、悲しい映画向きかも知れません。
周囲を気にせず、号泣できますから。

ところで、フレディの恋人役を演じていた女優さんが、とてもキレイな方でした。
ネットで調べてみると、ルーシー・ボイントン(Lucy Boynton)さんという女優さん。

ニューヨーク生まれイギリス育ちの24歳。
ふむふむ。
ちょっと応援しちゃいましょうかね。

ん??
フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックと、私生活でも交際している??

図らずも、ちっちゃなジェラシーを感じました。

148 新春万福

明けましておめでとうございます。

平成最後の正月は、仕事に費やす時間が例年よりも多かった気がします。
元日の朝も、5時半に起きてパソコンに向かいましたが、根が貧乏性なので、こういう生活は案外キライではありません。

とはいえ、家族サービスも大事な仕事のひとつですので、2日に東京を発ち、京都へ行ってきました。

セガレを授けてくださった上徳寺さんへのお礼参拝が主たる目的ですが、今回の旅のテーマは「七福神めぐり」と決めました。
全国に七福神めぐりは数多くありますが、京都の「都七福神めぐり」は、日本最古と言われています。
松の内にめぐると、より功徳が得られると言われていますので、時期的も最適でした。

最も南に位置する黄檗宗大本山の萬福寺からスタートし、東寺、松ヶ崎大黒天、赤山禅院、ゑびす神社、六波羅蜜寺、革堂の順にめぐり、2日間で結願しました。

B3ほどある大きな色紙を、実家の分と合わせて3枚抱え、北へ南への移動は少々骨が折れました。
ゑびす神社へ向かう途中では、突然の降雨に見舞われ、色紙の墨が流れてしまうのではないかとヒヤヒヤしました。

そんな苦労の末に完成した色紙です。
ホテルの窓際で撮影してみました。
日本の正月らしい、縁起のいい画像で充足感がわいてきます。

ところで、東京都内にも数十の七福神めぐりがあると言われていますが、その中のひとつ、下町情緒あふれる深川七福神のコース内に、弊社は位置しています。

最も近いのは、大黒天を祀る円珠院さん。
弊社から徒歩2分ほどです。

従って、1月上旬はいつもより人の往来が増えます。
先頭を行く人が旗を持った団体さんも見かけます。

ですから、余ったカレンダーや手帳をダンボール箱に入れて、「ご自由にお持ちください」と添えて会社の外に出しておくと、あっという間になくなってしまいます(笑)

 

最後に、七福神めぐりとは関係ない話題をひとつ。

京都で七福神めぐりを開始する前、清水五条の近くにある「マールカフェ」で昼食を食べました。
ここはGoogleで偶然見つけたのですが、かつて、ガイドブック等で見た記憶がありません。

私がオーダーしたのは、1日10食限定の「マールバーガー」。
昨年は、四条木屋町の「キルン」でハンバーガーを食べましたが、負けず劣らずの味でした。
(旅先でハンバーガーばかり食べている訳ではありませんが・・)

特に、パテの上に乗っていたアボカドが、生ではなく揚げてあり、これがなんとも新鮮でした。
パスタやスープカレーなど、マールバーガー以外のメニューもとても美味しく、大変満足でした。

入口がわかりにくい古いビルの最上階にあり、人荷兼用のような危なっかしいエレベーターで向かうのですが、ぜひお薦めしたいお店です。

 

143 磨穿鉄硯

漢字検定の受検日が来週日曜日に迫りました。
そして、昨日、受検票が届きました。
いよいよ近づいてきたな、という思いです。

今日の日中、母親に来週が漢検の受検日であることをメールで伝えると、

「中年のおっさん(笑)頑張れ〜★」

と返信がありました。
因みに★は笑顔の絵文字。

「(笑)」があったり、
「〜」があったり、
絵文字があったり、
81歳の老人にしては、メールが上手です。

今週が検定前最後の週末となりますが、幸いなことに月曜日が祝日です。
この三連休は、最後の詰めの勉強に励みたいと思っています。

週末にやる、と決めている本試験型問題集の今月の得点は、172点、170点、161点。
合格圏内ではありますが、あくまで模擬テストですから、もう少し上乗せしておきたいです。
「とめ」「はね」「はらい」などで減点されるおそれがありますから・・。

その模擬テスト、採点は専らセガレに頼んでいます。
何故なら、自分では気づかない誤りを発見してくれることがあるからです。

先日、私の書いた「藪」という文字に「×」が付いていました。
何が違うのか確認したところ、左下の「女」の上が「串」になっているから「×」だと。

「おいおい、そこ「串」じゃなくて、どう書くっていうんだい?」

「横棒が1本足りないよ( -_-)」

あまりの衝撃で言葉を失いました・・。
何十年も書き違えていました・・。

以来、採点はセガレに任せることにした訳です。

そういえば、セガレの親友のMくんは、6月に準一級に挑戦したものの、合格点に10点ほど足りずに涙を飲んだそうです。

よし、ここは腐りかけた脳ミソを奮い立たせて、中学3年生の先を越してやりましょうかね。

その前に・・、
失格にならぬよう、受検票に写真を貼らないと・・。

142 新進気鋭

Jリーグ、Bリーグ、Vリーグ、Xリーグ。

日本にはいくつものスポーツリーグがあります。
Jリーグがサッカーなのは言わずもがなですが、ほかは以下のスポーツです。

Bリーグ:バスケットボール
Vリーグ:バレーボール
Xリーグ:アメリカンフットボール

そして、今月24日、新たに「Tリーグ」が開幕します。

その正体は「卓球」です。

男女各々4チームで発足します。

T.T彩たま、木下マイスター東京、岡山リベッツ、琉球アスティーダ、これが男子。
木下アビエル神奈川、TOP名古屋、日本生命レッドエルフ、日本ペイントマレッツ、これが女子チームです。

日本の第一人者・水谷隼選手と「チョレイ!」が代名詞の張本智和選手は、共に木下マイスター東京に所属しています。
それから、平野美宇選手と早田ひな選手は日本生命レッドエルフです。

琉球アスティーダには、江宏傑選手がいます。
あの福原愛さんの旦那さんです。

岡山リベッツには、吉田雅己選手が所属しています。
彼が気になっている訳は・・、
名前が私と酷似しているから。

それから、木下アビエル神奈川は注目度大です。
浜本由惟選手、長﨑美柚選手、そして、中国からの袁雪嬌選手など、ビジュアル系の選手が多くいます。

記念すべき開幕の年、卓球部所属のセガレからの要望もあり、チケットを購入しました。
木下マイスター東京 vs 岡山リベッツのアリーナ席で、価格は7,500円でした。

東京ドームのジャイアンツ戦内野指定席Sは6,200円。
再来週開催される、ゴルフのブリジストンオープン土日綴り券(前売り)は5,000円。
大相撲のマスA席が11,700円、マスB席が10,600円。

そういえば、先日チケットぴあで購入した葉加瀬太郎さんのコンサートは8,500円でしたっけ。
これらと比較して高いのか安いのか‥。

個人的には張本くんの試合が楽しみです。
「チョレイ」がうるさいとか出自のことなどが囁かれることもあるようですが、まだ中学3年生でありながら、世界と戦う姿は、応援せずにいられません。

卓球は近年ブームになっていますが、束の間の流行に終わらず、このリーグが拡大発展していくことを祈りたいと思います。

139 博学多才

先日、一人で映画を見に行きました。
定年退職後の男の悲哀を描いた、内館牧子さん原作の「終わった人」です。

東京大学を卒業後、メガバンクに就職し、エリート街道を走っていたものの、同僚との昇格争いに敗れ、出向先の子会社で定年を迎えるという設定でした。

主演を演じていたのは舘ひろしさん。
スクリーンに映る姿で印象的だったのは、すごく足が長いこと。
そして、スーツがハンパなく似合うこと。
68歳という実年齢とはかけ離れたビジュアルに、大変驚きました。

ところで、私は、東京大学本郷キャンパスから歩いて20分ほどの場所で生まれ育ちました。
しかし、立地的な距離は近くても、偏差値の面では非常に遠いところでした。

ところが、私の実家の近くには、東大出の方がたくさんいます。
実家の向かいのご主人が東大。
2軒となりの息子さんも東大。
なんでも「東大通り」と呼ばれる、東大率が異常に高い一角も近くにあるそうです。

私の同級生にも東大に進んだ仲間がいます。
ひとりは、中学3年のとき斜め前に座っていた青木君。
確か、30代にして、どこかの大学教授に就任したはずです。

そして、同じく中学の同級生で伊藤君。
奥様はテレビ等で有名な方です。

それから、もう一人、印象的な東大生がいます。
セガレの通うピアノ教室で知り合った、現役3年生のTちゃんです。

彼は小さい頃から、抜群にピアノが上手でした。
将来はその道に進むのではないかと思うくらい、その実力はほかの生徒と完全に一線を画していましたが、本人もお母さんもその力量をまったく鼻に掛けないところがまたニクイのです。

中学高校は都内でも指折りの私立学校に進んだのですが、「6年生の秋頃になって急に受験するなんて言い出して・・。本当に計画性がないんです・・。」なんてお母さんは謙遜するのでした。
小学校低学年から塾に通って受験体制を整えている子供がいる反面、彼はわずか半年足らずの準備で合格を果たした訳です。

当然、東大も一発合格・・、ではなく、ここではちょっと回り道をしたようです。
現役のときは運悪く不合格となり、私立の雄と称される大学に一旦は入学しましたが、どうしても東大への夢を諦めきれず、翌年再チャレンジして見事合格を勝ち取ったのです。

もちろん、陰で相当勉強を積んだのでしょうが、いとも簡単にリベンジしたように見えるんですね。
イチロー選手が、スルッと偉業を達成しちゃう、そんなイメージに似ています。

凡人とは、何かが違うんでしょうね・・。
そして、その何かが決定的な差なのでしょうね・・。

サイトによると、平成30年度の一般入試の募集人員は、文科一類から理科三類まで合計で2,960名だとか。

「東大ってさ、毎年2,960人も入れるんだぜ。約3,000人の中に入ればいいんだからさ、ひょっとしたらイケるんじゃない?」

セガレに鎌をかけてみました。

「ああ、だいじょぶっしょ。」

無責任な質問を投げる親に、中身スッカスカの答えを吐き出すセガレ。
like father, like sonですね・・。

131 百花斉放

新聞の大学特集ページで、母校に昨春「都市科学部」が新設されたことを知りました。
この学部は、以下4つの学科を有しているそうです。

  1. 都市を担う人々や文化、社会のあり方を考える「都市社会共生学科」
  2. 都市空間やコミュニティ、生活像をデザインする「建築学科」
  3. 土木工学を軸に防災や環境などの課題に取り組む「都市基盤学科」
  4. 都市の利便性と自然・社会環境から生じるリスクとの均衡を図る「環境リスク共生学科」

建築学科については、横浜高等工業学校建築学科を前身とする歴史ある工学部の理念やノウハウが生かされているのかも知れません。
しかし、これら学科についてサイトをよく見てみると、文系・理系両方の要素を含んでいて、今ドキな印象を受けます。
新聞記事にも、文系と理系を横断した「文理融合」の人材育成が謳われています。
先行研究の少ない、いわば挑戦的な領域でもありますので、今後の発展を期待したいものです。

昭和55年4月。
私が入学したときは、経済学部、経営学部、教育学部、工学部の4つの学部で大学は構成されていました。
そして、私の所属していた経営学部には、経営学科、会計学科、管理科学科の3つの学科がありました。

しかし、設立50周年を迎えた昨年、1学科体制で新たなスタートを切ったようです。
サイトには「特色ある施設・プログラム等」というタイトルで、現在の学部の様子が以下のように紹介されています。

◎経営学部情報センター
100台余りのPC端末が備えてあり、PCを利用した会計教育や英語教育、ビジネスゲームなどを行っています。また、情報検索、情報発信、研究・学習サポートなども行っています。

◎充実した体験型授業
「ビジネスゲーム」では、コンピュータ上に構築された仮想的マーケットの中で、複数の学生が企業の経営者として商品の生産、仕入れ、販売を行い競い合います。また、「マイプロジェクトランチャー」では、学生自らプロジェクトを作成、プレゼンを行い、プロジェクト実践能力を磨いていきます。

e-ラーニングによる効果的な学習
2年次必修外国語科目「英語演習」の課外の自習課題「アルクNet Academy」は、パソコンで行います。これは、TOEIC対策の自習プログラムで、リーディングとリスニング及び模擬演習問題のトレーニングができます。その他にも会計CAIなどパソコンを使った効果的な学習を行うことができます。

企業トップを講師に迎えた講義群
一般的なプログラムの他に、「経営者から学ぶリーダーシップと経営理論」、「ベンチャーから学ぶマネジメント」といった毎週代表取締役クラスの経営者を迎え、様々な角度から企業経営を学ぶ授業があります。インターンシップはこれらの授業を履修してから行います。

PCを利用したビジネスゲーム?
仮想マーケットで学生が経営者として競い合う??
経営者から企業経営を学ぶ???

我々の頃には考えられない授業内容の羅列に、我が目を疑ってしまいました。
35年も経っているのですから、変わって当然なのですが・・。

横浜国立大学は、元々、鎌倉や弘明寺などにキャンパスが分散していましたが、昭和49年8月、程ヶ谷カントリー倶楽部移転跡地に常盤台キャンパスを設置し、これらを統合・移転しました。
私が入学する6年前のことです。

実際、受験前に初めて見学に訪れたとき、学内は総じてキレイでした。
「こんなキレイなキャンパスで勉強できたらいいなあ」と、若干感動すら覚えたものです。
純粋というか無垢というか、受験勉強で心が病んでいたというか・・。

そんな清らかな気持ちで受験したにも拘わらず、入学後は、受験勉強に明け暮れた日々の仇をとるかの如き、遊惰でなまくらな生活に陥りました・・。
入学が決まった時、父から「国の税金を使わせていただくことを肝に銘じて、4年間過ごすように。」と言い付けられたにも関わらず・・。
当時の授業料は年間18万円でしたから・・。

今日は、3月4日。
昭和55年の今日、国立大学の二次試験だったと記憶しています。

共通一次試験の点数で劣っていた私は、ここで大逆転劇を演じなければなりませんでした。
二次試験の願書提出にあたり、過去の入試統計と予備校の自己採点資料をとことん研究し、180人抜き去る必要があるという、実に厳しい結論に至ったのです。

「あそこからあそこの列までの受験生に勝たないとダメなんだな。よ~し!!」

試験会場で、めちゃめちゃ気合いが入っていたのを覚えています。
しかも、38年も前のことが、まるで昨日のことのように思い起こされます。

結果としては・・、
繰り上げ合格だったので・・、
150〜160人くらいしか、逆転できなかったのではないかと思います・・

私の母校は、総合大学と呼べるほど大きな規模ではありませんが、それでも経済・経営・教育・機械・海洋・造船など、様々な分野の学問を学ぶことが可能でした。
しかしながら「大学生は、時間がたくさんあって、お金がちょっとあって、責任がない!」などと傲語していた学生時分を恥じるばかりです。

この歳になって、もっと勉強しておくべきだったと痛感しても、後の祭りですね。