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117 愉快適悦

都内で一番大きな本屋さんはどこだろう・・。

先日、家族とそんな話になり、ネットで検索したところ、池袋のジュンク堂だと知りました。
売場面積は、なんと2,000坪!
私は神保町の三省堂書店が好きなのですが、調べてみるとここは1,000坪。
さすが東京一となると桁外れの広さですね。

池袋といえば高校時代によく遊んだ場所ですが、40年前にジュンク堂は存在しませんでした。
とはいえ、池袋にジュンク堂が出来てこの夏で丸20年、2,000坪に増床したのも2001年のことですから、何を今更という感は否めません。
しかし、他店舗も含め、私はこれまでジュンク堂という書店に一度も足を運んだことがありませんでしたので、セガレを誘って今日行ってみることにしました。

久しぶりに池袋駅に降り立ち、東口から外へ出ると、高校時代が懐かしく思い出されました。

あの路地の奥にある喫茶店が、みんなとの溜まり場だったなあ…。
十条の某高校の学生に絡まれたのは、あの辺りだなあ…。
遅刻常習犯のK君を駅前で待っていたら、自衛隊に入隊しないかとスカウトされたっけなあ…。

少しノスタルジックな思いを抱きつつ、目的地に着くと、まもなく開店の10時になりました。
既に開店を待っていた20人ほどと一緒に店内に入り、セガレはミステリーの文庫本コーナーへ、私はノンフィクションを探しに行きました。

初めて来店した私にとって、広い店内を把握するのは一苦労でしたが、「ノンフィクション」が「社会評論」と表記されていたので、なおさら時間を要しました。
そして、ようやく目的地にたどり着くと、その書籍の多さは驚きを超えて、感動的光景でした。

肩から提げていたバッグを床に置き、棚の上から下まで隈無くチェックしました。
30分以上夢中になっていたでしょうか。
ふと我に返って携帯を見ると、精算を済ませたセガレから、5回も着信がありました・・。

一旦書店を後にし、インド料理店でお腹を満たしてから、再びジュンク堂へ戻りました。
結局、午前と午後、セガレと2人合わせて15冊、17,000円ほど買い込みました。

私が購入したのは・・、
☆絞首刑
☆日本殺人巡礼
☆免田栄獄中ノート
☆闇サイト殺人事件の遺言
☆女性死刑囚 十四人の黒い履歴書
☆罠 埼玉愛犬家殺人事件は日本犯罪史上最大級の大量殺人だった!等々・・。

「父さんの買う本は相変わらず不気味だなあ・・」と、セガレに痛いところを突かれました。
神社の本や語彙力を伸ばす本も買ったんですけどね・・。

大きな書店でお互い好みの本を買い、昼には大好きなサグチキンカレーを食べ、買い物が済んだ後はスターバックスで新商品のフラペチーノを飲み・・。
気温も落ち着いた好天の日曜日、親子で楽しい時間を過ごすことができました。

✳︎開店20周年記念カバーだそうです。

109 前途洋々

ドイツのデュッセルドルフで開催されていた世界卓球が幕を閉じました。
私が、最も印象に残ったのは、弱冠13歳、中学2年生の張本智和くんです。

史上最年少でベスト8に進出し、最後は世界ランク3位の中国選手に負けはしましたが、1ゲームを奪う健闘を見せました。
この試合は、日本時間の早朝4:45から放映されたのですが、我が家は全員でテレビ観戦しました。
私にとっては、いつもより15分だけの早起きでしたので、特別なことでもありませんでしたが・・。

今大会、張本くんの快進撃のきっかけとなったのは、日本のエース・水谷隼選手を破った2回戦ではないでしょうか。
大番狂わせ、下剋上と報じられましたが、破れた水谷選手も『純粋に強かった』と述べていたように、決してまぐれではないでしょう。

しかし、とても残念なことに、この試合は地上波では放映されませんでした。

日本時間の6月1日夜、『さあ、このあとは水谷さんと張本くんの日本人対決だぞ!』と思ったその時、世界卓球から全仏オープンの錦織選手の試合へ、中継が切り替わってしまいました。
二元中継であることは知っていましたが、世界の大舞台での日本人選手の対決を放送しないことに、ひどく失望しました。

ネット上でも、『卓球やれー』『今日はテニスじゃないでしょ』などという声がかなり上がっていましたし、危うく錦織選手がキライになるところでした。

タイムアウトの際に監督の助言をまっすぐに聞く姿勢や、4回戦で対戦したヨーロッパの選手に嫌がらせとも思える仕打ちを受けても自分を乱すことなく正々堂々を戦う姿には、感動を受けました。
東京オリンピックを17歳で迎える張本くんの成長を、陰ながら応援したいと思います。

 

それから、もうひとり中学生の怪物にも触れておきたいと思います。
そもそも非凡な人たちの集団である将棋界にあって、「天才」と呼ばれる藤井聡太四段です。

藤井くんは平成14年生まれの中学3年生で、21世紀生まれ初のプロ棋士なのだそうです。
ご両親は将棋界とは関係がないようで、初めはおばあちゃんに手ほどきを受けたとか…。

彼が現在通学しているのは、名古屋大学教育学部附属中学校。
愛知県内有数の名門校で、辻元清美衆議院議員も同附属高校の卒業生とのこと。
勉学も優れた少年のようです。

一方、相当のおっちょこちょいだそうで、お母さんは「生活能力が低い」とコメントしています。中学に入学してまもなくの頃、大阪の関西将棋会館に1人で泊まりがけで行かせたところ、「服と傘を全部(将棋会館に)忘れて帰ってきた」という逸話の持ち主だとか。
将棋も勉強も私生活も完璧、なんていうより、とても魅力的な少年だと私は思います。

2017年6月6日現在、プロデビューから公式戦20連勝中ですが、記録はどこまで伸びるのでしょう。
将棋界は、対局中にスマホで将棋ソフトを使用した云々騒動がありましたから、藤井くんは正に救世主のような存在かも知れませんね。

張本くんも藤井くんも、それぞれの世界でひときわ輝きを放っています。
正に、前途洋々。
明るい未来へ突き進んで欲しいと思います。

107 開巻有益

高校生のとき、ノンフィクションに目覚めました。
松本清張の「日本の黒い霧」を読んで、帝銀事件と下山事件を知ったことがきっかけです。
GHQの支配下という特殊な環境下で起こった、凶悪かつ不可思議な事件に、心を奪われました。

その後、凶悪犯罪や事故、死刑問題に興味を抱いた私は、今も関連の本を読み続けています。
それ故、自宅の書庫は、家宅捜索が入ったら疑いの要素には事欠かないラインナップです。

ただ、こういったジャンルの本は、小説のように数多く発行される訳ではありません。
従って、書店のノンフィクションコーナーに興味を惹く本がないと、「仕方なく」小説を買うことも少なくありません。

その仕方なく購入した小説が、気が付くと、数冊「積ん読」になっていました。
そのうち・・と思っているうちに、ズルズルと月日が経過してしまったのです。

しかし、連休前に意を決し、「ゴールデンウイーク積ん読ゼロ化」を人知れず宣言しました。
日中自宅で、就寝前に布団の上で、移動中の電車の中で、休憩中のカフェで・・。
様々なシチュエーションで読書を心掛け、本日、目標を達成しました。

読破後「読書は楽しいなあ」と改めて感じました。
元々書店に行くのは好きなので、来週末、新たな本を探しに行こうと思います。

余談ですが、私、電子書籍はダメです。
紙にインキで刷られた「本」が好きだからです。
しかし、電子書籍は印刷業界の敵ではないかという思いも、正直、心の隅っこにあります。
デジタル化の波に抗おうとする、商業印刷に携わる者としての譲れない何かが、思考回路の一角にこびり付いて離れないのだと思います。

ところで、セガレが小さいとき、私は意識して、自宅で本を読むように努めました。
「オヤジはよく本を読んでるだろ?」「読書は楽しいぞ!」とセガレに擦り込むためでした。
極端言えば、虚像でも構わないので、オヤジが日常的に読書している姿を印象付けることで、セガレに読書の習慣が付けば・・と願ってのことでした。

作戦が奏功したのかどうかは不明ですが、セガレは現在、通学の電車で読書をしているようです。
最近では、風呂場に本を持ち込み、浴槽につかりながら読書しています。
湿気で本がヨレヨレになるのは些か問題ですが、本を読む習慣は続けて欲しいと思っています。

ただ、読むのはミステリーが多いので、夏目漱石や川端康成も・・と願うのは欲張りでしょうか。
「じゃ、オヤジは今、なんの殺人事件の本、読んでんの?」
なんてツッコミに遭わぬよう、余計なことは言わずにおこうと思います。

105 雨過天晴

♪探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?カバンの中も机の中も
探したけれどみつからないのに♫

昭和48年にリリースされた、井上陽水さんの「夢の中へ」の歌詞です。
子供心に、独創的でユニークな歌詞だなあと思っていました。

ところで、先日、御朱印帳が1冊、見当たらないことに気付きました。
普段保管している場所は、押し入れというかクローゼットのカラーボックスの一番上。
白い紙を敷いたその上に置いています。
ところが、1冊、どうしても見当たりません。

その1冊は、諏訪大社で購入したお気に入りの黒い御朱印帳です。
その後、二荒山神社や上賀茂神社、下鴨神社などで御朱印をいただき、最後に頂戴したのは、3月20日、静岡県の三嶋大社でした。

忘失に気付いた当初は、そのうちどこかから見つかるだろうと高をくくっていました。
さしずめ「探しものは何ですかぁ〜〜」と鼻歌まじりで探していた感じです。

しかし、何の手がかりもなく一週間が経過し、徐々に焦ってまいりました。

「御朱印帳をなくすなんて、神様に失礼だよね〜。」
「三島からの帰り、新幹線の車内に置いてきちゃったんじゃない?」

凹んでいるところに家族から非難の声を浴び、踏んだり蹴ったりでした。
しかし、片付けに関してはカミさんの方が何倍も上手ですから、反撃の余地はありません。
大切な御朱印帳を新幹線に忘れてくるほどアホじゃないわい!と言いたいところでしたが・・・・。

そこで、昨日夜、クローゼットの大捜索を敢行しました。
手前にある荷物を全て取り出し、定位置をつぶさに眺めてみました。

すると、御朱印帳を置いてあった場所の後方に、3cmほどの隙間を発見しました。
一縷の望みをかけて裏側を覗くと、暗闇の中に、何か物体が見えるではありませんか!

こうして、無事に探し出すことができました。
モヤモヤが一気に失せ、正に晴れ晴れしい気持ちとなりました。

よし、気分も新たに神社巡りだ!と張り切っていたのも束の間、絶好の神社日和の日曜日は、家族サービスであっという間に過ぎていったのでした。

096 羽化登仙

人間誰しもウィークポイントがありますが、私にとっては「お酒」でしょうか。

私は、まったく酒が飲めません。
「まったく」です。

「ちょっとなら平気だろ?」
よくそう聞かれるのですが、「ちょっと」もダメです。

以前、お客さんとゴルフに行ったとき、午前のハーフを38で回ったことがありました。
お祝いだから少しだけと、昼食時に瓶のキャップに半分くらい、日本酒を飲みました。
言ってみれば、文鳥が水を飲んだ程度でしょうか。
しかして、午後のスコアは、58。
すんでの所で、100叩きになるところでした。

下戸の原因は明白です。
父型の家系が、バリバリの下戸遺伝子を持っているのです。
当然、私の父も下戸。
祖父も下戸。
私の披露宴で、父方の親族の乾杯用シャンパングラスは、そのほとんどが飲まれることなく、注がれたままの状態で残っていました。

下戸であることで、得をした覚えはほとんどありません。
中でも最も面倒だったのは、大学時分の合コンです。

宴もたけなわの頃、決まって仲間の下宿へ車を取りに行くのです。
酔いつぶれたメンバーを、自宅へ送り届けるためです。
唯一のシラフ・私にしかできない、毎度の任務です。

しかも、自宅へ送り届ける女性に何かちょっかいでも出したら、後が大変です。
「ゴメン、酔ってて覚えていない・・・・」という言い訳は、ゼッタイに通用しませんから。

アルコールが飲めるようになりたい!という夢は、20代前半の頃に諦めました。
努力しても、こればっかりはダメだと・・・・。

ただ、著名人にもお酒を飲まない(飲めない)方が、結構いるようです。

大御所では、北島三郎さん。
若い衆を集め、先頭になって飲んでいるようなイメージがありますが、違うんですね。

的場浩司さんと、漫才のサンドイッチマンのおふたりも飲まないそうです。
ちょっと強面な方だと、ギャップに笑えますね。
その顔で飲めないのか?と私も若い頃しばしば言われましたが、そもそも「飲めそうな顔」の概念がわかりませんし、面構えとアルコール摂取量に相関関係がある訳ないですよね。

舘ひろしさんも意外です。
ブランデーグラスが似合う風貌と相反して、実は下戸なのだそうです。

泉谷しげるさんにいたっては、下戸だとはどうしても信じ難いです。
破天荒なキャラクターイメージとは、かけ離れていますね。

水谷豊さんも飲まないようです。
「下戸でもある」と、wikipediaで人物紹介されています。

B’zの稲葉浩志さんは酒は飲まない、タバコも吸わないとのこと。
学部は違いますが、彼は私の大学の後輩ですからね、親近感が湧きます。

羽化登仙。
羽が生えて天に昇っていくように、酒に酔って良い気持ちになること。
一生に一度でいいからこんな気分を味わってみたい・・・・、と切に思います。

095 白面書生

先週末、センター試験が行われました。
志願者数は、約576,000人だったそうです。

私が受験したのは、もう37年も前のこと。
当時は共通一次試験と呼ばれていました。
この試験が導入されるまで、国公立大学は一期校・二期校の中から各1校受験できましたが、共通一次試験によって、1校だけしか受験できないことになりました。
しかも、試験は「5教科7科目、1,000点満点」という、なかなか過酷なものでした。

昭和55年1月12日、試験初日の朝、忘れもしない出来事がありました。
寝ていた2階から階下へ行き、居間のドアを閉めながら「おはよう!」と挨拶した瞬間、入口に提げてあったカレンダーがストーンと落ちたのです。
「おはよう!」「ストーン!」の見事なタイミングは、まるで吉本新喜劇のようでした。
絵に描いたような縁起の悪さに、思わず笑うしかなかったですね。

受験会場は東京大学でした。
東京大学受験しているのであって、東京大学受験している訳ではなかったのですが、構内に入ると「よし、大学生になるぞ!」と気分が高揚した覚えがあります。

ただ、自己採点の結果は、目標の780点には遥かに及ばない、732点でした。
二次試験の出願校判断のため、某予備校に結果を提出したら、化学の偏差値が32でした。
順位は、およそ119,000人中、109,000位。
今年に当てはめれば、576,000人中、527,600位ですか・・・・。
理科は苦手でしたので好成績は望んでいませんでしたが、さすがにこれはショックでしたね。

私は、共通一次試験導入後、2年目の世代です。
従って、大学1年生のとき、1,2年生は共通一次試験組、3,4年生は一期校・二期校組でした。
一期校の東大を目指していたのに、何かの間違いで二期校の横浜国大に入ってしまった上級生と、マークシート方式で答案用紙を適当に塗りつぶす共通一次試験を経て入学した下級生。
出来の違いは、極めて明白でした。

ある講座では、担当教員から真顔でこう言われたこともあります。
「今年の生徒は共通一次試験組ですね・・・・。じゃ、試験問題は易しくしてあげますか。」

「ゆとりですがなにか」の昭和版ってところですかね。

おつむの出来は素晴らしい上級生たちですが、反面、ルックスの悪さも特筆ものでした。
薄汚れたジーンズ、何日も着続けているTシャツ、すり減ったサンダル、黒縁メガネ・・・・。
大変に優秀な先輩たちでしたが、まったく憧れの対象にはなりませんでした(笑)。

そういえば、今年のセンター試験は、今季最強寒波の襲来に見舞われましたね。
私も受験の時、寒さ対策にと、股引を履かされました。
ところが、普段履き慣れないために、下半身の暑さが妙な違和感となりました。

股引は、今や冬の必須アイテムとなったワタシ。
時代の趨勢を感じます・・・・。

094 合縁奇縁

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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上の写真は、昨年も紹介した弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りです。
どんなイラストが飾られるのか、私の年末の楽しみになっています。
今年は、大きなニワトリのバックに雪をかぶった富士山。そして、松竹梅が描かれています。
江戸時代に貯木場として栄えた地に相応しい、新年に打って付けの目出度い装飾ですね。
お正月を彩ってくれる、地元商店街の皆様に感謝したいと思います。

話は変わりますが・・、
去る1月3日、セガレが1年前まで通っていた学習塾へ、久しぶりに顔を出しました。
目的は、中学受験がすぐ間近に迫った現役生を励ますためです。

自分が生徒の時にも、折に触れて先輩方が激励に来てくれたそうです。
合格の秘訣や失敗談を話してくれたり、入学後の中学生活について聞かせてくれたり、帰り際には、お菓子を配ってくれたのだそうです。

この時期、世間がお正月モード全開なのに対して、「正月特訓」真っ只中の現役生は、お正月気分に浸ることも許されず、塾の休みは元旦だけ。
セガレが受験生の前で有益な話ができるとは思っていませんが、受けたご恩をお返しし、人のために時間を使うことの大切さを教えるには絶好のタイミングと思い、差し入れ用に合格祈願の定番お菓子「キットカット」を買って、塾に向かわせました。

塾が指定した時間は、午前最後の授業がそろそろ終わりに近づく頃でした。
セガレの出番は、生徒たちがお弁当を食べ終わり、午後の授業が始まるまでの時間帯です。
時間が来るまで事務室で待機し、その後、教室で15人ほどの後輩の前で話をしたそうです。

自宅に戻ってから話を聞くと、事務室で待っている間、塾長をはじめ、多くの先生方がセガレを覚えていてくれて、様々お話しが出来たのだそうです。
11ヶ月ぶりに顔を出した卒業生を快く迎えてくれ、先生と生徒という関係でなくなった今もご縁を繋げてくださったことを、とても有難く思いました。

また、偶然にも塾長はセガレの学校の先輩にあたりますので、塾長が通っていた頃の学校と現在との違いなどについて、具体的にお話し出来たことも楽しかったようです。

かつて、遊びたい盛りの小学生を塾に通わせることの是非について迷ったこともありますが、我が家にとっては間違っていなかったのかな、と思いました。

「ご縁」という言葉が私は好きです。
英語にすると「meeting」とか「chance」などが該当するのでしょうか。
でも、微妙なニュアンスが伝わらないですね・・。
やっぱり、日本人に生まれて良かったな、と思います。

089 幽明異境

平成28年12月8日。
敬愛する伯父が他界いたしました。
享年99歳でした。

以前にも少し触れましたが、この母方の伯父には随分と目を掛けていただきました。

初めて自転車を買ってくれたのは伯父でした。
将棋で勝つコツも伝授してくれました。
お米ができる過程を解説してくれたりもしました。

田んぼに行った帰り、小学生の私にトラクターのハンドルを握らせてくれました。
激しい振動で思うように操作できず、農道から転落しそうになったのも楽しい思い出です。

大正生まれで何度も戦地へ召集された伯父は、身内にはすこぶる厳格な人でしたが、私には優しい印象ばかりが残っています。

晩年、デイサービス等へお世話になることを嫌がっていた時期があったそうです。
プライドが許さなかったのではないか、と聞いています。

しかし、施設に入所してからは、外泊許可をいただいて自宅へ帰ってきても、
「施設での自分の席がなくなると困る」といって早々に戻っていったそうです。

自宅の方が居心地が良いはずなのに・・。
現在の自分の状況を賢察し、家族に配慮しての行動だったのでしょう。

今年の夏、伯父の住む田舎町では、満足な介護用品が揃わないと聞きました。
そこで、少し早めの白寿のお祝いも兼ねて、介護パジャマを2着贈りました。
日本橋の百貨店で購入し、手紙を添えて送ると、周囲がこう説明してくれたそうです。

「東京のマサミくんからのプレゼントだよ。日本橋のデパートで売ってる一流品だよ。」

すると、伯父は思いも寄らぬことを口にしたそうです。

「マサミくんのお嫁さんが以前働いていたデパートで買ったんだろうね。」

うちのカミさんが、結婚当時に日本橋三越で働いていたことを、いつ話したのか、当の私は全く記憶にありません。
それを、当時98歳の伯父は、ちゃんと覚えてくれていたのです。

お通夜の席でその話を聞き、涙が止まりませんでした。
私は、いくつ歳を重ねても、伯父のような賢人にはなれそうもありません。

子供の頃、私にとって伯父は正にスーパーマンでした。
そして、スーパーマンは、今日、私が贈ったパジャマと共に、天国へ旅立ちました。

087 報本反始

今回は護国神社について書きたいと思います。

明治時代、国家のために殉難した英霊を奉祀した神社「招魂社」が各地に建立されました。
この「招魂社」が、昭和14年に改称して成立したのが「護国神社」です。

しかし、昭和20年8月のポツダム宣言受諾により、日本がGHQの占領統治下に置かれると、護国神社は軍国主義施設と見なされ、存続のために「護国」を名称から外すなど、改称を余儀なくされました。

その後、昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効し、主権を回復した後は、ほとんどが旧社名に戻しました。

例えば、千葉縣護国神社は、以下のような歴史を辿っています。
明治11年1月 千葉縣招魂社として創建
昭和14年4月 千葉縣護国神社と改称
昭和22年4月 頌徳神社と改称
昭和27年6月 旧称・千葉縣護国神社に復する
(千葉縣護国神社公式サイトより)

「国家のために殉難した英霊を奉祀した神社」として、最も有名なのは靖国神社でしょう。
靖国神社も、はじまりは東京招魂社という名称でしたが、明治12年に靖国神社と改称され、今日に至っています。

各護国神社の祭神は靖国神社の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っているため、「靖国神社と護国神社とは本社分社の関係にはない」とされています。

しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社とは深い関わりがあり、各種交流もあります。
そもそも、靖国神社の公式サイトには、全国護国神社一覧が掲載されています。

私は、父の名付け親が靖国に眠っているため、初詣は決まって靖国神社に連れられました。
中門鳥居の手前左側には、戦地から兵隊さんが家族へ宛てた遺書や書簡が紹介されており、毎年正月に読むことが習慣になっていました。
そこには、氏名や年齢と共に、必ず「昭和◯◯年◯月◯日◯◯◯にて戦死」とありました。
こういう人々のうえに、今の生活が成り立っているんだなあと、子供ながらに感じました。

私は戦争を美化したり、軍国主義復権などと叫ぶつもりは毛頭ありません。
ただ、お国のために戦った先人達に、同じ民として、感恩の意をお伝えしたいと思うのです。

昭和14年4月1日の「護國神社指定」により、内務大臣が指定した護国神社は34社あります。
(靖国神社のある東京には、指定護国神社は存在しません。)
北海道から沖縄まで全国に鎮座していますので、すべてをお参りすることはできませんが、折に触れて参拝できれば、と思っています。

その第一歩として、先日靖国神社を訪れ、オリジナル御朱印帳を購入してまいりました。
靖国神社の御朱印から始まるこの御朱印帳に、全国護国神社の御朱印を集めたいと思っています。

靖国神社

082 紫電清霜

20年以上前、カミさんと新婚旅行でハワイに行きました。
まずマウイ島に2泊したのですが、そのホテルに、何故か卓球台がありました。
滞在中、マリンスポーツもゴルフも全くせず、迷うことなくふたりで卓球に興じました。
足もとだけはハワイらしく、ビーチサンダルで。

カミさんは、中学で卓球部に所属。
私は、小学校の時、地元の児童館の代表に選出されたことがあります。
そんな血統のせいか、セガレは、中学入学後、卓球部に入部しました。

セガレはいわば卓球初心者ですから、最初は朝飯前にやっつけてやりました。
しかし、敵は上達の一途。
こちらは体力低下、反射神経鈍化、老眼と遠視の進行・・・・。
実力差が、徐々に危うい状況になってきました。

こうなれば、道具に頼るしかありません(この作戦はゴルフと一緒)。
本日、セガレのラケットのラバーを張り替えに行ったついでに、マイラケットを購入しました。
サイトを調べ、いろいろと模索した結果、選んだのは以下の通りです。

ラケットは、BUTTERFLYのKORBEL(コルベル)。
ラバーは、おもてがXION(エクシオン)のヴェガヨーロッパ1.8mm。
うらは、YasakaのマークV中厚。
サイドテープは、BUTTERFLYのRBプロテクター2。

どうですか、文句の付けようのないこのスペック。
まあ、ひとことで言えば、初心者向け(笑)。
しかも、セガレの学校の卓球部がお世話になっている卓球専門店のスタッフさんにすべてお任せ。
サイトを見ても、何を選べばよいのやら、あまりに種類が多くてさっぱり分かりませんでした。

My Racket

サイドテープの色が、ラバーの色と見事にマッチしていて、満足しています。
色なら素人でも選べますからね。

よし、ちょっと腹筋鍛えて、スクワットもやろう!
そして、このラケットでセガレをギャフンと言わせよう!!

【余談】
因みに、リオ五輪で大活躍した水谷隼選手のラケットは、ラバー込みで4万円以上。
しかも、ラバーは数日おきに張り替えるのだとか・・・・。

私のラケットは、税込み11,836円。
そして、ラバーが傷む頃、「オヤジじゃ相手にならない」なんて言われるんだろうなあ。