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205 物見遊山

若い頃、ひとりで行動することが、あまり好きではありませんでした。
しかし、近年「ひとり旅」の楽しさを覚えました。

そもそもひとりで旅に出たきっかけは、気分転換でした。
パソコン持参で東京を脱出し、知らない土地で旅行気分を味わいながら仕事をしたのです。
近年ワーケーションという言葉を耳にしますが、ちょっぴり先取りしてたかな?なんて思ったりします。

元来、根を詰めて、がむしゃらに働き続けてもケロッとしているタチでした。
しかし、50代半ばを過ぎたころから、疲労が抜けづらくなってきました。

そもそも零細企業の経営者は、働き方改革とは対極に位置していますから、オンとオフをきっちり分けることは現実的ではありません。
そこで、場所を変えることで、心身をリフレッシュして仕事をこなしてみようと考えました。

すると、半ば旅行気分であることでいい気晴らしになり、明日の英気を養うことができました。
やるべきことをほったらかし、観光ばかりになってしまうかも・・と心配しましたが、仕事も予想以上に捗りました。

5年前は仙台、4年前は福岡、そして3年前には名古屋を訪れました。
名古屋の熱田神宮を参拝した件は既に紹介しましたが、蒲郡市にある「竹島」は大変印象的でした。

島といっても、船で渡るのではなく、橋を伝って行くことができます。
江ノ島をイメージしていただければ良いかと思います。

橋を渡った先には、八百富神社があります。
公式サイトから、一部抜粋します。

八百富神社は、安徳天皇の養和元年3月18日(1181)の創建と伝えられています。これは、1145年三河国司の三河守となった藤原俊成卿が、在任中に未開だったこの地の開拓に当たられた際、風光明媚で江州竹生島によく似ているこの島に竹生島弁才天を勧請せられたことから始まったとされています。常に清波に島脚を洗われ、自ずと禊ぎ、不浄を近づけないようで、真の霊境との名の通りであり、養和(1181)の頃俊成が当社奉斎の神境に定めました。
「江州竹生島弁財天を勧請した際、雑木林におおわれ竹がなかったこの島に、竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて、ご神体として植えた」との記述もあり、そのことから『竹島』と名付けられたとも伝えられています。

文中の江州竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島です。
次なる目的地はここだ、と決めました。

これまで、私にとって滋賀県は、京都へ行く際の通過地点でした。
ミルクボーイの漫才ネタで、「これといった特徴がないのが滋賀の特徴」といじられてもいますね。

しかし、調べてみると、魅力的な観光スポット(私にとってはイコール神社)が数多くありました。
嬉々として計画を立てていたさなか、コロナが襲来し、延期を余儀なくされました。
最近は感染対策に注意しながら社会活動も動かしていく方向に舵を切ってきましたので、そろそろ計画を今一度立て直そうかと考え始めています。

余談ですが、リオデジャネイロ五輪が終了した時点で金メダリストなしの都道府県は、岩手、福島、埼玉、福井、長野、滋賀、京都、鳥取、島根、香川、沖縄の1府10県だったそうです。
しかし、東京2020で彦根市出身の大橋悠依選手が、200m・400m個人メドレーで金メダルを獲得しましたので、県の歴史を塗り替えました。

また、滋賀県は糖尿病患者が一番少ないのだそうです。
毎日飲酒する人の割合は34位、毎日喫煙する人の割合は42位と、糖尿病のリスクを高めるライフスタイルとは距離があるようです。

さらに、総務省の「社会生活基本調査」でスポーツ行動者率(男女別や年齢別などの属性ごとの人口のうち、1年間の間に、スポーツを行った人の割合)をみていくと、滋賀県は全国5位。
これも糖尿病の予防につながっていると推測されますね。

198 好機到来

40年前、成人式の朝、母が「おめでとう」と声を掛けてくれました。
ご飯を食べながら、ちいさく頭を下げました。

すると、後日「あのとき、なんだか嬉しかったわあ」と母に言われました。
私にしてみれば、額ずいたわけでもなく、箸を動かしながら軽く会釈した程度だったのですが、20年育ててくれた母には、諸々去来するものがあったのでしょう。

あれから40年。
カミさんが「おめでとう」と言ってくれた還暦の誕生日。
胸中をかすめたのは、老人の入口に到達したなという思いでした。
区役所から届いた銭湯の割引入浴券も、そんな気持ちを増幅させたように思います。

60歳の異称としては「還暦」が最も一般的ですが、耳順、杖郷、杖者、丁年、下寿、華寿など様々あるようです。
5年以内に股関節の手術をする、と医師に宣言されている身にとっては、「杖」という漢字が妙に気になります。
往代の60歳は、多くが杖をついていたのでしょうか。

股関節痛のほかにも、腰痛、肩こり、首の痛みも抱え、胃腸も決して強くありません。
カラダの中もいろいろ経年劣化が起こっていますが、鏡を見れば、齢60の顔はかなり器量が悪くなっています。

世はオミクロン株の感染拡大で、日々感染者数の国内記録を更新中。
必然的に家にいることが多く、ましてやセガレの受験も控えているので不要不急の外出はしない、ゴルフもしばらく行かない・・・・。

今でしょ! とばかりに急遽向かったのは皮膚科。
意を決して、顔のシミを除去してまいりました。

お世話になったのは、駅前に昨年オープンしたクリニック。
白を基調とした真新しい施設で、スタッフは全員女性。
そして、週末の待合室は、4割ほどが若い女性。
アトピーやニキビなどの治療というより、美容的な訳合いで訪れている人が多いのでしょうか。

そもそもいい歳のオッサンが・・・・という気恥ずかしさで、なかなか皮膚科へ足を踏み入れられなかったのですが、案の定、居心地が悪くなってきました。

名前を呼ばれ、診察室に入ると、私のそんな気持ちなど知るよしもなく、医師はテキパキと説明を始めました。
動揺を隠せないオッサンは、正直話半分といった状況でしたが、結論的には、なんとかマックスという機器で、レーザーを照射することと相成りました。
しかも、初回はお試しコースで割安なんだとか・・。

20分ほど待ったあと、顔中にバチッバチッと数十発、銃撃されてまいりました。

女性スタッフの優しい語り口や物腰は、処置開始直後からくすぐったいような照れくさいような気分が拭えませんでしたが、「クリームは顔に塗るのではなく、優しく置くように心がけてくださいね」などと言われながら時間を過ごしていると、徐々に心地よくなっていく様に気付きました。
日数が経って顔のあちこちにあるシミが少し改善されるのを実感したら、ひょっとして癖になるかも知れない、なんて思いにも駆られました。

次はヒアルロン酸だ、次は白玉注射だ、脱毛もするか??
とエスカレートしないように気をつけたいと思います。

194 不将不迎

若い頃から股関節に違和感がありました。

初めて医師の診察を受けたのは40代の頃。
親しかった、大学病院の整形外科部長に診ていただきました。

ちょっと変だなと感じた時はこんなストレッチをしていました、と努力の一端を告げると「なんで余計なことするかなあ、そもそも先天的なものだから治らないよ」と叱られました。
治らないんですか?と確認すると「治らないどころか年齢とともに悪化するよ」と宣告されました。

そして、予言は的中しました。
痛みを感じる頻度が増し、数年前からは、遂に正座や胡座が出来なくなってしまいました。

そんなとき、仕事でお世話になっている80歳代の女性社長さんが、人工股関節手術を受けたと聞きました。
明日は我が身。
自分の症状を伝え、今後の道標となるはずのお話しをたくさん伺いました。

その社長さんは、最近では「調子はどう?痛い?」と仕事の話の前に、必ず私の体調を気遣ってくださいます。
早く専門医に診てもらいなさい、と親身な忠告を再三受け、また、お友達のご主人が同じ手術を受けた医師まで教えていただきました。

ずっとのらりくらり過ごしていましたが、昨今は痛みも増してきたため、そろそろ潮時かと観念し、今年6月、ご教示いただいた股関節の専門医を訪ねました。

レントゲンを撮ったあと医師の問診を受け、若い頃から違和感があったこと、そろそろ潮時だと観念し、意を決して受診に来たと告げました。

レントゲンの結果では特に異常が見当たらず、医師は私をベッドに寝かせ、足を様々な方向に曲げては「痛い?」と聞きました。
どこを押されても、どの方向に曲げられても痛みを感じないので「痛くないです」と返事を繰り返す私を椅子に座るよう促したあと・・、

「まあ、潮時ではないよね(笑)」
「え?入院や手術といった宣告を覚悟してきたんですが・・。」
「今はまだそういう段階ではないよ。」
「先生、こんなに痛いのに、そんなあっさり帰さないでくださいよ」
と冗談めかして言う私に半ば呆れた医師は、私をもう一度ベッドに寝かせ、「これは」「ここは」と曲げたり押したりを繰り返しました。

「大きな問題はないと思うけど、MRI検査で詳しく調べてみましょう。」とその日は一件落着となりました。

後日、MRI検査を受けた後、診察室で先日の医師が画像を見ながらマウスをスクロールしていると、先生の手が突然止まりました。
モニターには、真っ白な円が写し出されていました。

「これか」と言う医師。
「あちゃ、腫瘍だ」と思い、心がザワザワする私。
「これね、水。ガングリオンって聞いたことある?」

素人が勝手に腫瘍だと早とちりしたことを恥じるとともに、医師の説明を聞きました。
結局のところ「変形性関節症」との診断で、水を抜いても痛みの除去には結びつかず、残念ながら根本的な治療方法はないことでした。

「運動しないのはダメだけど、過度な運動もよくないです。治療方法もないので今後は経過観察ということになります。一番納得いかないかな?」

そんな診断から数ヶ月。
本日、改めて医師の診断を受けましたが、特に変化はありませんでした。

「先生、あと10年、 もちますか?」と尋ねると、
「今、59歳でしょ。うーん、多分ムリだね。5年後には手術だと思っていた方がいいと思います。」
「手術って、人工・・」
「そう、人工股関節。」

覚悟はしていましたが、少々ショッキングな宣告でした。
でも、とてもフランクで、信頼できる医師だと感じました。

将来、手術を受けることになった時、生活習慣病を持っていると厄介なことになるので、太らないように節制してください、とも言われました。

60目前にして、放縦な生き方を戒めるきっかけとなりました。
過ぎたことは悔やまず、そして、まだ見ぬ未来をアレコレ気に病むことなく、元気な老人を目指して、小さな努力を積み重ねていこうと思っています。

189 用和為貴

国内における新型コロナウイルスに対するワクチン接種が、ここにきてスピードを増してきました。
北海道の奥尻島では、島内の高校生を対象に今月末にもワクチンの接種を始める方針であるとか、東京都新宿区では7月上旬から20代や30代の若者を優先的に集団接種を始めるとか、医療従事者や高齢者以外にも接種対象が広がる傾向を見せています。

とはいえ、現在接種しているのは、海外製のワクチンです。
世界的にワクチンの需要が高まるなか、海外から期待通りに安定供給される保障はありません。

しかし、日本ではワクチン開発に巨額な予算が投じられていないことや、安全性や倫理性の確認に時間を要することなど、国産ワクチンの早期開発は、まだ現実性を帯びていないようです。

アメリカでのワクチン開発に関して、興味深い記事がありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be0246c317e42e6e18630519523d3b964946af7f?page=1

昨年5月15日、トランプ大統領は「オペレーション・ワープ・スピード(OWS)」に着手しました。
その内容は、正規の手続きを踏むと73カ月要する工程を14カ月に短縮し、「安全で効果的なワクチン3億回分を2021年1月1日までに供給する」ことをミッションに定め、具体的には、以下のような工夫が盛り込まれています。

  • 「複数のプロジェクトを並行させ、有望なものは開発途中から治験を開始する」
  • 「事前に3万人のボランティアを集めて、早期承認のためのデータを収集する」
  • 「治験の最中から生産に踏み切る」
  • 「ワクチンが完成する前から、配布と接種の準備を始める」

このあと、上記サイトでは、次のように続けています。

特に製品ができる前から生産に踏み切る、というのは文字通りの「見切り発車」である。後で「ダメでした」となるかもしれず、その場合は投入した予算が無駄になる。とはいえ、アメリカの総人口は3億3000万人。たとえワクチンが完成しても、それだけの数量を用意できなかったら意味がない。事態はまさに「ワープスピード」を必要としていたのである。 そこで開発しながら治験をし、治験をしながら生産し、その間に配布から接種の計画を立てておく。そうでないと間に合わないから。いやもう「後手後手」批判が絶えない日本政府とはえらい違いである。もっともこれと同じようなことを日本でやろうとしたら、官僚は「法律にありません」と首を振り、野党は「失敗したら誰が責任を取るんだ!」といきり立ち、マスコミは「税金の無駄は許されない!」などとのたまうことだろう。

政府への批判は様々取り上げられています。
縦割り行政が悪い、デジタル化が遅れている、過去の教訓が生かされていない・・などなど。

私も企業経営者の端くれとして、政府に申し上げたいことはたくさんあります。
しかし、批判・攻撃・咎立は、心をギスギスさせます。
コロナ禍は、人の素を暴くことになったとも言われています。
足元を見つめ、やるべきことをやり、心が乾かぬように日々過ごしたいと思っています。

将来を思い煩うな。 現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。

高校の倫理社会で学んだ、アミエルの言葉を思い出しました。

そんな中、日本政府が提供したアストラゼネカのワクチン124万回分が、4日午後、台湾の空港に到着したというニュースを耳にしました。

台湾では5月中旬から感染が拡大している反面、ワクチンの調達が難航しているそうです。
蔡総統によると「海外の製薬会社からのワクチン調達が中国の妨害で難しくなっている」とのこと。

台湾といえば、東日本大震災のとき、真っ先に救いの手をさしのべてくれました。

いただいた義援金は総額200億円以上。
震災翌日から台湾各地で募金活動が展開され、日本の5分の1に満たない約2,350万人という人口を考えたとき、その額の大きさに驚きます。

支援は義援金だけではありません。

震災から5日後、3月16日。
白いズボンと白い帽子、背中に蓮のマークをつけた紺色のジャンパーに身を包んだ一団が、茨城県・大洗町に到着しました。
台湾の慈済基金会日本支部の人々で、トラックと自家用車を連ねて、被災地の人々に温かい料理を振る舞ったのだそうです。

また、2カ月後の2011年5月から半年間、台湾政府交通部観光局は「台湾希望の旅」として、岩手・宮城・福島県の被災者1,000人を無料で2週間台湾に招待する支援を行っています。
そして、震災復興が本格化すると東北に直行便を飛ばし、震災後最初に旅行客を送ったのも台湾だそうです。

これらの支援には、2,400人余りの犠牲者が出た1999年の台湾大地震の当日に、救助隊を派遣した日本への恩返しの気持ちが込められているとも言われています。

ワクチン提供の続報として、支援を受けた台湾市民から、台北の日本台湾交流協会台北事務所(大使館に相当)にたくさんの花が届いたと知りました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1319642b83dcaafdd27ff82d68784b4147a90421

こういった国境を越えての助け合いは、心温まる思いがします。

「用和為貴」。
和を用って貴しと為す。
人と人が仲良く協力しあうことが最も大切であるということ。
十七条憲法の第一条にある言葉です。

花といえば・・。
先日、古くから付き合いのある紙問屋の営業さんから、胡蝶蘭が届きました。
プレートには「還暦祝い」の文字。
過日ご紹介した紅白まんじゅうに続いて、お祝いをいただきました。
ありがたいことです。

生まれて初めて頂戴した胡蝶蘭ですが、ネットで調べてみると、大切に育てると長く楽しめるようです。

風通しが良く、エアコンの冷気が直接当たらない場所に置く。
ラッピングは外す(写真にはまだ写っていますが)。
水は控えめに。

日々喜びを感じながら、注意事項を頭に入れて育てていきたいと思います。

181 鳶目兎耳

若い頃、視力には絶対の自信がありました。

車を運転していると、同乗者が驚くほど遠くの標識が識別できました。
また、大学時代は試験中に周囲の答案を拝覧し、単位取得にずいぶんと役立ちました。
視力検査で1.5以外を計測した記憶はありません。

一方、聴力にも長けていたと思います。
目を瞑って集中した時は、人並み以上の知覚能力があったと自負しています。

ところが、30代後半で老眼の症状が現れ、今は食事の際も老眼鏡が手放せません。

そして、数年前から、補聴器も使用するようになりました。
補聴器無しでは生活できない、というレベルではありませんが、左耳が軽度の難聴です。

補聴器は大きく分けて「耳かけ式」と「耳あな式」がありますが、私は耳かけ式を使用しています。
下は、私が使用している補聴器のメーカー・Widex社の公式サイトに掲載されているイラストです。

出典:https://www.widexjp.co.jp/ha_choice/about/features.html

①のマイクで音を拾い、ベージュ色で表示された本体部分にアンプの機能が内蔵されていて、⑤のレシーバーから音が出る仕組みです。

私の補聴器の本体部分の長さはおよそ2.5cmですから、小豆大のサイズといったところでしょうか。
非常にコンパクトなサイズです。

小さいだけではなく、色も10種類以上ラインナップがあります。
赤やグリーンといった女性を意識した色もあり、肌に同化したベージュ一辺倒だったひと昔前とは全くの別物、と言えるかと思います。
因みに、私の補聴器はグレイです。

装着方法は、本体部分を耳の後ろにセットし、釣り糸のような細いチューブで繋がったレシーバーは耳の穴に入れます。
本体は耳の裏側ですから、顔の正前からは見えませんし、髪が長い人なら完全に隠れてしまいます。
私も本体が隠れるように髪を少し伸ばしたこともありますが、某オフィスの庶務課長さんから「変な髪型してるね、鏡見た?」とイジられて以来、要らぬ抵抗は止めました。

ところで、今年は私のような耳かけ式補聴器のユーザーは、すこぶる困った事態に陥っています。
マスクを外す際に、補聴器が耳から外れてしまうため、私は8ヶ月以上補聴器が使用できずにいます。
慎重にマスクを外せば済むことですが、補聴器は使用感がさほどないので、外すたびに補聴器に注意を向けるのは現実的ではありません。
ましてや補聴器は高価なので、落下したら一大事です。

耳あな式補聴器ならば、マスクとの相性も悪くないと思います。
しかし、マスクのゴムを耳に掛ける以上、耳かけ式補聴器は大問題です。

これまでは、マスクが必要になるインフルエンザの時期だけ補聴器なしで生活していましたが、常時マスクが手放せない時代になり、非常に困っています。

そこで、補聴器の代役として、「オリーブ スマートイヤー」という集音器とも言えぬ商品を購入してみました。
耳の穴にスポッと入れて使用し、スマホで様々な設定ができる先端的な製品です。
https://www.olive.store

正直言って、難聴の補助役としては、補聴器の方に軍配が上がります。
補聴器は個々の症状に合わせた設定をしますので既製品の範疇ではありませんし、管理医療機器です。
そもそも価格にかなりの差があります。

ただ、オリーブスマートイヤーは、Bluetoothでスマホと繋ぐので、ワイヤレスで通話ができたり、音楽を再生できたりする点は非常に便利です。

色は白と黒があって(私は白を購入しました)、若者のワイヤレスイヤホンと見まがうような今ドキの形状をしています。

先週末、オリーブを装着して会社へ向かおうとする私を見て、カミさんがクスクス笑っています。
「R-1のキャップを耳にはめているのかと思った(笑)」。

ファッショナブルな中年を目指しましたが、遥けき夢だったようです。

出典:https://www.meiji.co.jp/dairies/yogurt/meiji-r1/product/

180 無病息災

私の義母は満80歳になります。
若い頃から、風邪もほとんど引かない、元気印の老媼です。

具合が悪くてダラダラしている姿が嫌いで(これを本人は「クタクタしている」と表現します)、風邪気味で声が嗄れていても風邪なんか引いていない!と言い張り、肩こり、不眠症、便秘、冷え性などにも縁が無く、概ね元気に齢を重ねてきました。

しかし、ここ数年、医者通いを強いられています。

糖尿病の疑いで近所の医院へ行った際、「私は内科医になって☆☆年が経つけれど、こんな酷い血糖値は見たことがない!」と医師から叱られました。

また、ここ数年は血圧が高く、降圧剤を処方されています。

そして、ヘモグロビン値が低いので、めまいの検査を受けるようにと紹介された大学病院では、「この数値で、本当に自覚症状はないの?」と言われたそうです。
この病院へはその後も定期的に通院していますが、先日、予定の時間になってもなかなか帰宅しませんでした。
あとで話を聞くと、検査結果が更に悪化していたため、急遽輸血をすることになって時間を要したとのこと・・。

そこで、義母に携帯電話を持ってもらうことにしました。
そもそも、近くへ買い物に行ったきり長時間帰宅しないこともしばしばなので、今後は周囲の心配は軽減されそうです。
ピンク色のらくらくホンをプレゼントし、基本的な発信と着信方法だけをご教示しました。

そんな義母の最大の趣味は「食べること」。
そして、特徴は「ややずぼらなところ」。

糖尿病などどこ吹く風で、食べたいものを食べ、間食も楽しみ、一方、食事前のインスリン注射を怠ったり、薬の服用がちらほら抜けたり・・。
緊張感はさほど感じません。

ただ、そんな若干いい加減なところが、元気の秘訣なのかも知れません。
検査結果に一喜一憂したり、病気のことが始終頭から離れないよりも、少しあっけらかんとした思考が、ほどよく元気を保っているように思います。

コロナのために、会食をずっと控えてきましたが、先日、久しぶりに食事に誘いました。
義母の大好きなホテルのビュッフェ、とはいきませんでしたが、家の近所の和食屋でランチコースをいただました。

デザートを食べてそろそろお開き、というタイミングで、私たち夫婦の結婚25周年へのお祝いをいただくサプライズがありました。

そう、銀婚式です。

義母の傘寿のお祝いもできずにいたなか、逆にお祝いをいただきとても恐縮しました。

1995年11月5日、日曜日、先負。

目黒雅叙園で挙式を行ったあの日から早25年。
私は当時の父の年齢を超え、カミさんは母の年齢を超えました。

披露宴に出席していただいた方で、その後、鬼籍に入った方が少なからずいらっしゃいます。
特に、先日長姉が亡くなったことで、父はすべての兄弟を失いました。
母方も、体調の優れない弟が1人残るのみです。
時の流れの儚さを、しみじみと感じます。

家族元気で仲良く過ごしていることが最大の親孝行だ、と母は言います。

25年の間には、私が入退院を繰り返した時期や、カミさんのメンタルが不安定な時期がありましたが、セガレも含め、元気に日々生活が送れている今を、有難く思います。
コロナ禍にあって、健康の大切さを改めて考えさせられています。

179 眉目秀麗

うちのカミさんは子供の頃「むずむず脚症候群」だったそうです。
昼寝をしなさいと言われたのに、脚がむずむずして寝られないことが頻繁にあったそうで、大人になってからその病名を知ったそうです。

専門サイト・ムズムズドットコム(http://muzumuzu.com)によると、

この病気は女性の方が男性よりも1.5倍程度多く、また患者さんは40歳代以上の中高年で急激に増加し、年齢が高くなるほど増加していく傾向があります。多くはありませんが、小児や児童でもむずむず脚症候群になることがあり、学校の授業に集中できないなど日常生活に影響が出る場合もあります。

中高年に多いものの小児でも罹患するとのことですから、カミさんはこの病だったのかも知れません・・。

ところで、この「むずむず脚症候群」もそうですが、やや変わった名称の病名ってありますね。

 

サザエさん症候群

日曜日の夕方になると、週明け月曜日からの仕事のことを考え、憂鬱な気分に陥ってしまうという症状。
この傾向は海外でも同様で、英語圏では『Sunday Night Blues(日曜の夜の憂鬱)』と呼ばれるなど、週明け以降の業務のことを考え、暗い気分に陥ってしまう方が一定数存在すると思われる。

サザエさんが、毎週日曜日の18:30からテレビで放映されていることが命名の由来のようです。
私がその症状に陥ったら、「笑点症候群」かなと思ったりもしています

 

ピーター・パン・症候群

1970年代後半アメリカで誕生した言葉で、大人の年齢に達しているにもかかわらず、精神的に大人になれず仲間に入ることができない男性のこと。現代では、大人になることを拒み現実逃避する傾向のある男性を指す。
言動が子供っぽいというのが特徴で、それゆえ、精神的・社会的・性的な部分にリンクして問題を引き起こし易いと考えられる。

無邪気にはしゃいだり、些細なことも楽しむ「子ども心」は、人生を豊かにするファクターだと思いますが、どうやら概念が異なるようです。
また、単なるマザコンと括ることも誤りのようです。
「見た目は子ども、頭脳は大人」の名探偵コナンの逆バージョン?と思ったりもしましたが、これも適切ではなさそうです。

 

不思議の国のアリス症候群

主な症状は、目の前の人や物が急に大きく見えたり、小さく見えたり、ゆがんで見えたりするというもの。
また、空中を浮遊しているような感覚や、自分の姿を見下ろしているような離人症状が表れることもある。
原因ははっきりと分かっていないが、エプスタイン・バー(EB)ウイルスに感染することで、脳の表面に位置する大脳皮質と呼ばれる部分に広範囲にわたって炎症が生じ、知覚異常が引き起こされるからではないかとの説がある。

実は私、子供の頃、これに似た経験があります。
体調を崩したときにだけ、決まったキャラのオジサンが部屋の隅に見えるのです。
健康な時には遭遇したことがないので、体調と何らかの繋がりがある症状だったに違いないと思います。

 

ナイチンゲール症候群など

ナイチンゲール症候群とは、看護提供者(通常は看護師)が患者に対して、基本的なケア以上の関係がないにもかかわらず、恋愛・性的感情を抱いてしまう状況を指す。
その感情は、通常患者が回復したり助けを必要としなくなった段階で徐々に失せていく。

私の親友のI君は、高校生のとき大学病院に入院し、退院後、病棟でお世話になった看護師さんと交際に発展した武勇伝の持ち主です。
新人の看護師さんだったとしても、5歳以上年上です。

若い頃、私の周囲でモテた男といえば、I君の右に出る者はいません。
一緒に遊んでいても、カッコイイと評されるのはいつもI君で、私は決まって「面白い人」止まり。
冷静に比較すれば、私よりも明らかに手足が長く、目も格段に大きい。
さらに、口調も穏やかで優しい気質ですから、抵抗の余地はありません・・。

カッコイイと言われたい、という望みはとうの昔に捨てましたが、「面白いオッサン」は、もうしばらく維持したいと思っています。

出典:
むずむず脚症候群 http://muzumuzu.com
サザエさん症候群 http://work-switch.persol-pt.co.jp/anti-sazaesan-syndrome/
ピーター・パン・症候群 https://www.hospita.jp/disease/2191/
不思議の国のアリス症候群 https://medical.jiji.com/topics/1430
ナイチンゲール症候群 https://www.weblio.jp/content/ナイチンゲール症候群

172 解衣推食

新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中が甚大な被害を被っています。
我々の業界も、もちろん例外ではありません。

全日本印刷工業組合連合会が行ったアンケートによると、4月時点の売上への影響は「前年同月と比べて大幅に減少した」と回答した組合員企業は60%で、「僅かに減少した」の31%を合わせると9割以上が影響を受けました。

また、日本製紙連合会の紙・板紙需給速報によると、4月の印刷・情報用紙の国内出荷は前年同月比19.7%のマイナスでした。
とりわけ大幅な減少だったのは、カタログやチラシに使われる塗工紙で、25.9%減となりました。

4月上旬には、日本印刷産業連合会会長が新型コロナウイルス感染症の陽性が判明したとのニュースもありました。

一方、海外では、アメリカのビジネスや技術ニュースの専門ウェブサイト「Business insider社」が今年2月、「今後10年で雇用が大きく減少する20の産業」を発表しました。

上位はアパレル関連が多くを占めますが、印刷業界は堂々の14位。
印刷機のオペレーターは2028年までに11.8%雇用が減少、製本関連では労働者が15.2%縮小する可能性が高いと予想されています。

そもそも衰退産業の印刷業界は、新たなウイルスとの戦いでさらに厳しい状況に追い込まれています。

しかし・・、
負の要因ばかり考えていては、先に進めません。

とにもかくにも、弊社は社員が誰ひとり感染せずにここまで来られました。
元気ならば、頑張れます。

非常事態宣言は解除されました。
今日から月も変わりました。
積極的な営業活動はまだ憚られますが、気持ちを新たに明日に向けて歩みを進めていきたいと思っています。

この新型コロナウイルスとの戦いは、ある程度長期戦になることでしょう。
しかし、ポストコロナの時代が必ず到来します。
そして、その姿は従来とは大きく転変することでしょう。

「我々は今、歴史的岐路にいる」という表現は満更大げさではないかも知れません。

在宅勤務やビデオ会議の習慣化、大都市への一極集中の緩和などの労働環境における変化のみならず、人々の価値観にも大きな変化が生じているようです。

即ち、ステイホームを通して、これまでの無駄な消費や生活習慣が浮き彫りになり、簡素な方向へ舵を切る人が増えると言われています。

私も緊急事態宣言下にあって、思うことはありました。
飲食に耽溺していたかな・・。
不要な買い物をしていたな・・。

そして、何よりも強く感じたのは「人との関わりや繋がりの大切さ」です。

料理はテイクアウト、買い物は通販で置き配。
こればかりでは飽きてしまうし、充実感や満足感が足りません。
皆で楽しみ、繋がりが実感できることを求めるのは、いたって自然な流れでしょう。

今後は、個々人が自主的な管理のもと価値観を創造していく時代になるのだと思います。

164 三思後行

国内のチーズ消費量が、4年連続で過去最高を更新しているとニュースで知りました。

消費を支えているのは、中高年層だそうです。
「カマンベールに認知症予防効果」「ブルーチーズに血管年齢若返り効果」などの健康効果報道が売上げ増に寄与したと言われています。
原材料価格の上昇などにより乳業大手は値上げをしましたが、中高年層の購買意欲が勝ったと言えるでしょう。

かくいう私も、最近になって、チーズをよく食べるようになりました。
休みの日、おやつ時にカマンベールチーズをひと欠片、楽しんでいます。

きっかけは、糖質オフのお薦めおやつとして、チーズが取り上げられていたから・・。
「健康志向の中高年層」のベン図のド真ん中ですね。

ただ、チーズフォンデュはダメです。
熱せられた鍋から蒸発するワインが、下戸の私には我慢なりません。

グラタンやリゾットも、どちらかと言えば苦手です。
猫舌のくせに早食いの私には、厄介なメニューです。

子供の頃は、チーズがキライでした。
一方、父は、毎朝食べていました。

かまぼこのような形をしたチーズを、果物ナイフでスライスして食べるのですが、ネチネチした食感と、歯にまとわりつくのが苦手でした。
剰え、時間が経ち、周囲がカピカピになって若干透き通ってくると、耐え難い気分でした。

尤も、昭和40年代は、家庭で食べるチーズはせいぜいそんなものだったのかも知れません。
モッツアレラチーズやマスカルポーネチーズなんて、知るよしもありませんでした。

ところで、チーズといえば、写真撮影の決め言葉ですね。
「はい、チーズ」は時代を超えて、使われているのではないでしょうか。

はるか昔、何らかの学校行事で集合写真を撮った際、カメラマンが我々生徒の期待を裏切るセリフを発しました。

「じゃあ、皆さん、撮りますよ。せーの、1たす1は??」

はいチーズを予想していた生徒は不意を突かれましたが、一瞬考えた後、

「にー!!!」

理解できた生徒とできなかった生徒の顔は対照的でしたが、キョトン顔と笑顔が混在する、珠玉の1枚となりました。
カメラマンの技術に脱帽です。

ときに、家族でハワイに行った際、カメラのシャッターを押してくれと頼まれました。
中国からと思しき観光者でした。

「One, Two, Three, Push!!  All right?」

いちにのさん、でシャッターを押すぞ、と言いたかったのです。

「ワン・・、トゥー・・、スリー・・、フォー・・、ファイブ・・・・・・」

アレ、全然ウケない・・。

「マサミ、ファイブくらいまで数えれば全員笑うこと請け合いだ!!」
とロサンゼルスで仕込まれた撮影術なのですが、全員ポカン顔の1枚になってしまいました。
ギャグのセンスが国民性に合わなかったのか、私の英語力に問題があったのか・・。

ところ構わず、何でも言えばいいというものではありませんね。
カメラを返すときの気まずさは、今も覚えています。

163 聖人君子

令和になって初のお正月が近づいてきました。

最初の元号「大化」が制定されたのは西暦645年。
令和は、248番目の元号に当たります。

これまで、最も期間が長い元号は「昭和」で64年。
次が「明治」で45年、「平成」は4位です。

3位は、1394年から1428年まで35年続いた「応永」だそうです。
金閣寺ができたのもこの時代。
平和な時代だったと言われ、「応永の平和」なんて言葉もあるのだそうです。

しかし、今年2月、日本経済新聞に歴史学者・呉座勇一氏が興味深い記事を寄せています(以下抜粋)。

中世で「応永の平和」と呼ばれる時期がある。戦乱が比較的少なく、社会が安定した。その応永(1394~1428年)は約35年間続き、明治以前では最も長い。

「ほぼ平成と同じ期間だが、応永の平和は問題を先送りして、もめ事が起きないようにして保たれた。その矛盾が噴出したのが応仁の乱だとも言える」

新しい年号の時代が5月に始まる。少子化問題や国と地方に積み上がる借金。次の時代に引き継がれる負の遺産も多い。今まで目をつぶってきた問題がどんな結末になるのか。悲観論者なので、少し心配している。

今の政治に当てはまる部分も大いにあるのではないでしょうか。
令和の時代に、応仁の乱が勃発するようなことがあってはなりません。

ところで・・、
私は、天皇皇后両陛下の大ファンです。
まさに才色兼備な皇后陛下は、ご婚約されたときからファンでした。
一方、天皇陛下を尊崇するきっかけになったのは、2004年5月、皇太子様時代のご発言です。

「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」

陛下の勇気に感動しました。
多くの取り巻き(宮内庁と断言してもいいかも知れません)を敵に回しても妻を守る、という強い意志を感じました。
「僕が一生全力でお守りします」とのプロポーズのお言葉を貫き通す陛下を、同じ男としてただただかっこよく感じました。

そもそも皇后陛下は、魅力ある働く女性の象徴だったと思います。
元外交官で、語学も堪能な皇后陛下は、開かれた皇室と海外の架け橋を担うはずだと信じて疑いませんでした。

しかし、「雅子妃(当時)は外国に行きたがってばかりで、世継ぎについて真剣に考えていない」との歪んだ見方が蔓延っていたのではないでしょうか。
約20年前、子どもができるのは当たり前、できないのは女性が悪い、という時代錯誤な考えがあったと思います。

ご結婚から8年ののち、ようやく愛子様が誕生されました。
しかし、喜びも束の間、すぐに男子の第二子を期待され、おびただしい重圧が雅子様にのし掛かったと、容易に想像がつきます。

しかし、今年、皇后様をお姿をテレビで拝見していると、心身共に健康を取り戻されたようで本当に嬉しく思います。
中でも、11月10日に行われた祝賀御列の儀(パレード)で、オープンカーから手を振られる皇后様は、本当にキレイでした。
多くの国民からの祝福を目の当たりし、孤独と重圧から解放された真の笑顔だったのでしょうか。

そして、去る12月4日、両陛下は皇居・賢所で「御神楽の儀」にのぞみ、即位に伴う一連の全儀式を終えられたとのことです。
年号が変わって早7ヶ月以上が経ちますが、ようやくその務めを終えられたと知り、いささか驚きました。

実は、我が家が子宝に恵まれたのも結婚8年後でした。
天皇陛下は私の2学年上、皇后陛下はカミさんの2学年上、そして愛子様はセガレの2学年上。
共通点を勝手に見出したりもして、親近感を感じています。

この正月、新年一般参賀に初めて行ってみたいな、と思っています。