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043 美味求真

今朝、息子を車で塾まで送り、その後会社へ向かいました。
そして、残務を手早く片付け、高い秋空のもと、ウォーキングに出かけました。

まず、向かったのは牛天神北野神社です。大江戸線春日駅から10分ほどで着きました。

その由緒は・・、
鎌倉時代、源頼朝公が奥州東征の途中でこの地に休まれた際、菅原道真公が夢に現れて「二つの喜びがある」と告げられました。
翌年その喜びがあり、当地にあった現在の「ねがい牛」をご神体に、太宰府天満宮より魂を勧請したのが同社の始まりと伝えられています。

都会のド真ん中でありながら、小高い丘に建つ神社は静かで厳かな雰囲気でした。

参拝後、外堀通りを水道橋駅方面へ歩きました。
スターバックスコーヒーを左側に見ながら、小石川橋の交差点を南に渡ったとき、昔、ノーヘルで原付を運転中、この辺りでパトカーに止められたことを思い出しました。
しかも、青紙にサインをしなさいという警官の指示を拒否して、えらく叱られたっけ。
当時流行っていた横浜銀蝿が、私のどこかのパーツに影響していたのでしょうか(笑)。
今から30年以上も前の出来事です。

遠い昔の出来事に思いを馳せながら、私の足はある喫茶店を目指していました。
そこは、神保町の路地裏にある高校時代の思い出の店、「さぼうる」です。

高校生が喫茶店ですから、背伸びしてブラックコーヒー・・、と思いがちですが、私のここでの楽しみは「いちごジュース」でした。
男子高校生が何でいちごジュースなんだ!!と仲間は私を嘲笑しながらも、こりゃウマイ!と、私のジュースを一口飲んでは、皆、感動していました。

そういえばピザトーストも美味しかったなあ・・と思いながら店の前に着くと「日曜休業」の看板が・・。
思いつきで行動すると、こういうことになりますね。

いちごジュース&ピザトーストの夢が破れたので、次は神田藪蕎麦をターゲットにしました。
平成25年2月に火災で焼失しましたが、翌年秋に営業を再開した蕎麦の老舗です。
このまま行けば11:30の開店ちょうどくらいに着くぞ!と鴨南蛮モード全開で店に入ると、20人くらいのお客さんが列を作っていました・・。
日曜日のお昼時、ちょっと考えが甘かったですね・・。

そこで、今年オープンしたマーチエキュート神田万世橋へ行きました。
さあて、どこに入ろうか・・と思ったその時、「築地鳥藤直伝・究極の親子丼」という看板に心を奪われ、迷わず「むぎとオリーブ」という店に入りました。

先程まで鴨南蛮が占めていた私の味覚中枢を、卵とろとろの親子丼が一気に占領しました。
食してみると、これが美味い!しかも、鳥スープ付きで800円はリーズナブル!!

さぼうるも藪蕎麦もすっかり忘れて、満たされた気持ちでお支払いをしていると、そこはかとない違和感に包まれました。

・・・私以外のお客さんは、皆、ラーメンを食べているのです。
アレレ、こんなおしゃれな店構えなのに、ラーメン屋だったの?
店を出てからよくよく看板を見直しました。すると・・、

ミシュランに掲載された銀座「むぎとオリーブ」の支店??
店名の下には「CLAM(はまぐり)RAMEN」の文字が!!
鶏・煮干・蛤のトリプルSOBA!?

なーんだ、ラーメンで超有名なところだったんですね・・。
やっぱり行き当たりばったりはダメですね・・。

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余談:
因みに、横浜銀蝿の正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」です。
横浜の大学に通っていた私にとって、
そして、大人と子供の狭間にいた私にとって、
突っ張っている彼らに、どことなく共感できる部分もあったのでしょう。
彼らは一度解散しましたが、その後活動を再開し、現在も活動中だそうです。

041 海内無双

シルバーウイークの初日、家族で学園祭を見学に行きました。
ここは東京で三本の指に入る、私立の名門男子中学校です。
そして、ここの学園祭は大人も楽しめると評判の、知る人ぞ知る学園祭なのです。

学園祭は、その学校の雰囲気や生徒の特徴を把握する良い機会と言われています。
セガレの受験を来春に控えている我が家も、遅ればせながら見学に行った次第です。

今日の見学にあたり、後押しをしてくれた人が2人います。

ひとりはセガレの通う学習塾の塾長先生。
個人面談で「山田君にお薦めしたい学校の一つです」と聞かされました。
よくよく話を聞くと、塾長本人の母校のようです。
生徒全員に薦めているのではないでしょうか(笑)。

そしてもうひとりは、私の小学校時代の親友・たけちゃんです。
彼も塾長先生同様、この学校のOBです。

私の中でたけちゃんは、「秀才といえばこの人」という存在です。
彼は勉学に秀でているだけではなく、品があります。お育ちが良いのです。
中学・高校・大学にも優秀な友人はいましたが、トータルで彼を凌ぐ者はいませんね。

そして、彼のご子息は神奈川県の有名私立校から、現役で公立の医学部に合格しました。
さらに、お嬢さんは慶應義塾大学に、これまた現役合格を果たしました。
もちろん、奥さんもステキです。料理は上手だし、私の冗談話にも付き合ってくれるし。

まさに雲の上の存在です。
あまりに優秀すぎて、まるでドラマの家族のように感じています。

そして、今日、学園祭を見学した感想は・・・・、

さすがたけちゃんの母校、知的で品のいい生徒さんで溢れていました。

残念だったのは、セガレの体調が今イチで、予定通りに見学できなかったことです。
それでも実際に学校へ足を運んで良かったと思っています。

土曜も日曜も塾に通うセガレですが、本命校がまだ決まっておらず、焦りを感じ始めている反面、たけちゃんの母校が目標校のひとつであることに、どことなく歓喜しています。
少しでも、ほんの一歩でも、セガレがたけちゃんに近づけたらなあ、と思っています。

あ・・、でも・・、
父親の品格がまるで違うか・・・・。
これは難題だ・・・・。

037 軽佻浮薄

今日、亀戸天神社を参拝してまいりました。
ここは湯島天満宮、谷保天満宮と並んで関東三大天神のひとつです。

天神社ですから、もちろん御祭神は菅原道真公です。

初めて参拝したのは、大学受験前の18歳のとき、高校の同級生と訪れました。
しかし、私にとっては苦い思い出の地なのです・・。
大学合格祈願で訪れた私は、若気の至りで絵馬に不謹慎なコメントを記入したのです。
軽い気持ちで書いてしまったのですが、帰宅後、父にひどく叱られたのを覚えています。

35年ぶりにご本殿の前で手を合わせ、かつての愚行を謝しました。

その後、ご本殿西側の神牛の頭をいっぱい撫でて、息子の受検合格を祈願しました。
また、道真公の正室・宣来子命と14方のお子様を祀る「花園社」という摂社や、菅公の教学上の師、延暦寺第十三代座主法性坊尊意僧正を祀った摂社「御嶽神社」など、ひととおり参拝を終え、御朱印をいただきに行きました。

すると、藤の花の育成基金を1口3,000円で募集している旨の掲示がありました。

そういえば、数ヶ月前に東京の名所を撮影する必要に迫られ、早朝、忍び込むように境内に入り、スカイツリーをバックに満開の藤の花を撮影させていただいたなあ・・。
流れるように咲くその姿に心癒やされたなあ・・。

で、1口だけではありますが、協力させていただきました。

御朱印代と合わせて3,300円を、若くてとても可愛い巫女さんにお納めしました。
小顔で涼しげな巫女さんから、「ようこそお参りくださいました。」と言われ、基金への協力者に配布している「ふじみ守」とお供物を頂戴しました。

ほのぼのとした心持ちになったものの、35年前の重たい荷物はまだ降ろせていないな・・と
感じつつ、鳥居の前で深く一礼し、またの参拝を誓って神社を後にしました。

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030 刎頚之友

先週末、京都に行ってきました。
といっても、今回はひとり旅ではありません。
2年に一度、「おとなの修学旅行」と題して仲間と京都旅行をしているのです。

その仲間とは・・、
小学校の同級生。

しかも9人。
男5人、女4人。

幼稚園から一緒なんて者もいますから、その付き合いは50年近くになります。
こんなに長い間、友達でいられることを本当に有難く思います。

もちろん子供の頃は皆近所(文京区)に住んでいたけれど、今は住まいもバラバラ。
仕事も様々、家庭事情も色々。
でも、何かあればすぐに連絡を取り合うし、集まる仲間。

「人生から友情を除かば、世界から太陽を除くにひとし。」
誰の名言か忘れましたが、親友は何にも代え難い存在ですね。

この仲間で、私は世話人のような立場にあります。
「忘年会やろう!」「花見に行こう!」など、常に言い出しっぺということです。

この「おとなの修学旅行」前には「公式ガイドブック」を制作します。
A5版、12ページ、中綴じです。
そして、旅行後には、写真のアルバムとDVDを作ります。
仲間からは「隊長」と呼ばれ、おだてられています。

そして、副隊長もいます。
この女性副隊長、京都の食と寺社にすこぶる詳しいのです。
そして、多方面にとっても顔が広いのです。
方向音痴が玉に瑕ですが・・。

今回が3回目の「おとなの修学旅行」は、天気にも恵まれ、非常に楽しい旅でした。
参拝したのは、初日に下鴨神社、市比賣神社、伏見稲荷大社。
翌日は平野神社、釘抜地蔵、千本釈迦堂、護王神社を巡りました。

市比賣神社を参拝後、少し時間に余裕があったので、上徳寺さんも参拝しました。
そうです、私に息子を授けて下さったお寺さんです。
皆がぜひ行きたいと言ってくれて、大変嬉しかったですね。

それから、初日の夜、ライトアップされた清水寺へ行きました。
これも予定外だったのですが、なかなか美しい風景を見ることができました。

お土産もたくさん買いました。

☆洛匠の「わらび餅」
☆満月の「阿闍梨餅」
☆吉水園の「京おんな」
☆祇園小石の「さくら飴」ほか
☆西利の「千枚漬」ほか
☆マールブランシュの「茶の菓」ほか
☆半兵衛麩の「ふふふあん」3種
☆豆政の「丹波黒 黒豆チョコ」ほか

ちょっと買いすぎでしょうか・・。

022 会者定離

蓮心院日美信女。

大切な友人「ユミ」の戒名です。
平成22年1月4日、49歳で亡くなりました。

28日、大学の同級生達と静岡県三島市までお墓参りに行ってきました。
4年前、ユミの通夜にも今日と同じメンバーで参列しました。
ユミには当時大学生と高校生の息子さんがいて、大学生の長男が最後にお礼の挨拶を行いました。

「本日はお忙しい中、ご参列いただき有難うございました。・・・
・・・・・ぼくたちはこれで兄弟二人だけになってしまいましたが・・」

この挨拶を聞いた時、溢れる涙を止めることが出来ませんでした
今も忘れることができず、心に残っています

私は現在53歳です。既に、大切な友人を何人か亡くしています。

会者定離という仏教の言葉があります。
出会う者とはいつか必ず別れる運命なのでしょうが、悲しいことですね。

風もなく、大変穏やかな天気のもと、久しぶりにユミと繋がることができて今日はとても有意義な一日となりました。

ユミの墓石には「絆」の文字が刻まれています。
私の分も頑張って生きて、と言われたような気がしました。
一年頑張ったよと、来年、ユミに報告しに来たいと思っています。

009 華燭之典(3)

最近、披露宴を行わないカップルが多いようですね。
ちょっと前は、媒酌人を立てない披露宴が多いと聞いていたのですが、披露宴そのものが少なくなってきたようです。

私の場合は、大学時代の恩師に媒酌人をお願いして、披露宴を行いました。
披露宴をしない、という選択肢はなかったですね。

披露宴には110人以上の方にご参列いただきました。
司会は以前紹介した私の友人の「プロフェッショナル」にお願いしました。

友人からは、
「お前、みっともないから泣くんじゃないぞ。」
「カミさん、普段から泣き虫だから、絶対に泣くだろうな」
などと冷やかされていましたが、ふたを開けてみると、終始笑顔笑顔でした。

だって、100人以上の人達が、我々を祝福するために集まってくれて、何をするにも我々が主役なんですから、それはそれは至福の境地でした。
正に自分たちを中心に地球が回っていると勘違いしそうな一日でした。

余談ですが・・、
披露宴にお招きした人数は新郎側:新婦側=6.5:3.5くらいの比でしたが、私側は友人が多く、カミさんは親戚の方が多かったので、集まったご祝儀は、新婦側の圧勝でした(笑)。

さて、友人の披露宴で司会や余興を数多く担ったことは既にお話ししましたが、仲人はこれまでに一度だけ経験しました。

仲人といっても、ハワイで挙式を挙げた後輩夫婦に付き添ったというもので、昔ながらの厳密な仲人とはほど遠いですね。

オアフ島のちょっと小高いところにある小さなチャペルで挙式をしました。
参列者は、新郎側が我々夫婦2人、新婦側は新婦の女友達2名でした。
式の夜は、アランウォンズという有名なレストランで食事会をしました。
少人数でしたが、アットホームでとても思い出深い一日となりました。

 

それから、披露宴で乾杯の発声も、かつて一度だけ仰せつかりました。
当時、弊社に入社まもない男性社員の披露宴で、職場の上司という紹介でした。

上司といっても、まだ弱冠32歳。
乾杯って、もっと年配の方が似つかわしいですね。
自分にはちょっと場違いな感じがしました。

因みに、その時の仲人は私の両親でした。
そうです、父と母の前で、乾杯の発声をした訳です。
そういう意味でも、ちょっとこそばゆい乾杯でした。

最後に、
私がこれまで唯一の仲人を務めたそのカップル。
残念ながら、今、ふたりは他人になってしまいました・・。
我々夫婦は、仲人に関しては「持っていない」みたいです・・。

008 華燭之典(2)

先日の続きです。

「生ビールがあるじゃないか♪」
は小学校時代の友人の披露宴でした。
新郎側ではなく、新婦側の友人です。 

あ、正確には新郎新婦ではなく、新郎妊婦だったのですが(笑)。

そしてこの妊婦、じゃなくて新婦。
職業は司会者なのです。
披露宴やイベントなどでバリバリ活躍中のプロの司会者なのです。

当然、職場の方々も招かれています。

なのに、二次会の司会を、私にやって欲しいというのです。

「披露宴のスピーチはやるよ。でも司会はダメだよ、いくら二次会でも」

謹んでお断りしました。
当然です。
プロの司会者がたくさんいる前で、素人の私がどうして司会を務めることができましょう。

「披露宴の司会は、プロの仲間に交替でやってもらうの。でも、二次会はプロに頼みたくないの。お願いっ!」

新婦の押しに負けて、結局引き受けることにしました・・。

恥をかいてもいいや。
所詮素人なんだから。
プロのようにできるわけがないのだから。

文字通り開き直りました。

そして、二次会は始まりました。

その二次会でもうひとつ、私は大役を担っていました。

イメージビデオです。

なぜ私が制作することになったのか、正確な経緯は定かではありませんが、画像の編集が好きだったことが高じて、引き受けることになったのでは・・。

内容は、新婦の幼少時代から現在までの写真をつなげたスライドショーです。
しかし、当時はPCソフトでさくっと制作、という時代ではありませんでした。
ビデオデッキにまず音楽を録音し、それから音に合わせて静止画を取り込み、テロップはタイトラーいう専用マシンで入れる、という手間のかかる作業でした。

二次会の中で皆さんにご披露しました。
自分で作った映像を人前で紹介するのは初めてでしたから、非常に緊張しました。
上映中は、妙な汗が止まりませんでした。

上映が終わると、皆さんから暖かい拍手をいただき、ホッとしました。
すると、新婦のお父さんが、泣きながら私に握手を求めてきました。
「感動したよ!やるやるとは聞いていたけど、やるねえ、山田くん!」
新婦の父は、やや酔っぱらっているようでした(笑)。

そして、二次会のエンディング。司会の大役もそろそろ終わりです。
参加者みんなでアーチを作り、新郎新婦を祝福するという企画がありました。

「それでは皆さん、ここから2列に並んでいただけますか?」

と皆さんにお願いをしました。
列が長くなっていくと、ついに会場の反対側にぶつかってしまいました。

・・・反対側までいったら、こちらへ戻るように並んで下さい・・・

頭の中にそんなセリフが浮かびました。
でも、ダメです。禁句です。
「戻る」はNGワードです。

披露宴で使ってはならない言葉って結構あるんですよね。
別離を連想させる「別れる」「切る」「割る」「去る」「帰る」。
再婚を連想させる「戻る」「繰り返す」などなど。

「戻る」がダメなことは認識していました。
「お席にお戻り下さい」ではなく「お席にお着き下さい」と言うんだぞ、とシミュレーションもしていました。

しかし、今回は状況が違います。
向こう側からこちら側に戻ってこなければならないのです。
「こちら側へ戻る」以外になんて表現すればいいのか・・。
「こちら側へ帰ってきて・・」
あ〜、これもダメ。

頭の中、真っ白になりました。
私は適切なボキャブラリーを持ち備えていませんでした。

結局・・・、
「向こう側までいったら、こちら側へ戻るように並んで下さい」
マイクでしゃべってしまいました・・・。

そうしたら、私の近くにいた新婦の職場の同僚、即ちプロの司会者の方が・・・、

「今、司会の方がおっしゃったように、向こう側の壁まで到着したら、
 こちらへUターンして並んで下さい!」

まいりました・・。
脱帽、なんて表現では足りません。
その見事なタイミング、しかも、私に配慮した、優しい言い回し・・。
プロはやっぱりすごかったです・・。

お開きになってから、その方にお礼を申し上げに行きました。

・・口にしてはいけない言葉だとは知っていました。
でも私には適した表現が浮かびませんでした。
助けていただいて有難うございました・・。

すると、

「NGワードと知っているだけですごいことです。全体的にとても立派な司会ぶりでした。間の取り方が上手で、我々プロも勉強になりました。」

上手だったはずがありません・・。
立派な訳がありません・・。

上から目線という言葉がありますが、そんなかけらもありませんでした。
こういう所作ってステキだなあ、と感じました。

あれから、20数年。
まだまだ年齢相応の分別がない自分に、ハッとする思いです。
深く自省が必要です・・。

006 華燭之典(1)

6月になりました。
6月といえば、梅雨、夏至、株主総会、日本ダービー・・。

そういえば、June Brideなんて言葉もありますね。
皇太子様と雅子様とご結婚されたも、たしか6月だったと思います。

思い返してみると、私は友人の結婚式に25回ほどお招きいただきました。
回数として多いのか少ないのか、平均値はわかりませんが、大学を卒業してすぐにオヤジの会社(零細企業)に入社した私には、会社の同僚という存在がおりません。
従って、出席したほとんどは、仕事とは関係のない友人の披露宴です。

そして、特徴的なことがひとつあります。

何もしなかった披露宴が、「2回」しかないのです。

何もしないというのは、司会・祝辞・歌など何の役目も仰せつかることなく、食事を楽しみ、新郎新婦の門出を祝福していればよい、という意味です。

何かしら、お手伝いをしたことの方が圧倒的に多いのです。

これまでで最も印象的だったのは、小学校の友人の披露宴&二次会。
まず、披露宴では「余興」をリクエストされ、しかも真面目なのはNGだと。
楽しいものにして欲しいと。
格調高いものを求めるなら私にお鉢が回ってくることはありえないので、当然と言えば当然です。

いろいろ考えました。
年齢に関係なく、会場の皆さんが喜んで下さる一芸はないものかと・・。

思いついたのは、当時流行っていた、キリンビールのコマーシャル。
女優の鈴木保奈美さんが草野球のキャッチャーに扮して出演していて、バックに流れていたのは細川たかしさんの「応援歌、いきます」という曲。

「生ビールがあるじゃないか♪」

覚えていませんか?
あっ、1991年5月発売の曲だから、若い人はムリですね・・。

で、話は披露宴に戻ります。

司会者から紹介を受けて、マイクの前へ進み、まず、服装のお詫びをひとこと。
私は背広の襟を立てて片手で押さえ、シャツが見えないよう隠していたのです。
あとで理由が明らかになるので、もうしばらくこの状態でお許しを、と事情説明。

そして、祝辞をスタート。
仲間しか知らないエピソードを交えて、面白可笑しくお話ししたら少し笑いもとれて、
出だしは上々かと・・。

頃合いを見計って、カラオケをスタート。
そこで歌わせていただいたのが、前述の「応援歌、いきます」。

細川たかしさんの歌ですから、当然演歌です。
しかも、サビの部分はCMで有名でしたが、歌い出しはあまり知られていないようで
「このあんちゃん、なんで演歌を歌い始めたのやら」みたいな雰囲気が満ちあふれ・・。

そして、歌がだんだんサビに近づいてきました。

そう、襟を立てていたのは、このサビのためでした。
実は、出番の30分前にトイレに行き、礼服の下に、当時所属していた草野球チームのユニフォームを着ておき、見えないように隠していたのでした。

CMで有名な「生ビールが あるじゃないか♪」の歌詞の寸前、背広を脱ぎ、ユニフォーム姿を披露。
もちろん忍ばせておいた揃いの帽子も着用。

「あ〜、保奈美ちゃんがユニフォーム着ているビールのCMの曲だあ!」

会場のほとんどの方がわかってくれたようでした。

そして、2番のサビでは、ユニフォームを一枚脱ぎました。
そうなんです、夏用と冬用の2枚のユニフォームを重ね着していたのです。
もちろん、帽子も重ねてかぶっていましたよ。

自分で言うのも何ですが、会場は結構盛り上がってくれました。
結構時間を掛けてプランニングしたので、報われた感じがしました。
しかも、出番が来るまで、結構暑い思いをしていましたから。
背広の下に、ユニフォーム2枚ですから。
しかも、片手は押さえていたから使えないわけで、料理食べるのも不自由でしたから。

でも、皆を笑わせる、周囲を和ませるって、ステキなことですよね。
零細企業の社長として、会社の雰囲気を良くすることに努めないといけないと思いますね。

そうそう、例の「応援歌、いきます」の歌詞に「ぐっといこうよ 中村くんよォ」というフレーズがあります。

ここ、新郎の名字に歌詞を変更して歌ったのですが、ちょっと古典的でしたね(笑)。

そしてこの披露宴、二次会でもいろいろありました。
後日、書きたいと思います。