231 兎走烏飛

私の母校・横浜国立大学では、文化祭が年に2度開催されます。
春に行われる文化祭は「清陵祭」、秋は「常盤祭」と呼ばれています。
今年の清陵祭は、5月18日・19日に開催されました。

大学を卒業して今春で丸40年。
だから、という訳ではないのですが、何故か母校の文化祭へ行ってみたくなりました。
しかし、どうしても予定がつかなかったため、昨日、土曜日のひっそりとしたキャンパスへ足を運びました。

新たな最寄り駅となった「羽沢横浜国大駅」で降りると、駅ナカにこんなディスプレイがありました。

大学が駅名になっているだけのことはあるな、と少し嬉しい気持ちになりました。
ディスプレイの左側、スマホのバッテリーレンタルマシンも、学生を意識して設置されたのでしょう。

駅から大学までは約15分。
GoogleMapの案内に従って歩いていると、こんな看板を見つけました。

「よここく」という略称を耳にすることがありますが、学生自身も地元の方も「こくだい」とか「こくだいせい」と呼んでいました。
この看板は、今もそう呼ばれていることの証拠ですね。
変わらないということに喜びを感じます。

なお、この新駅は大学の北西に位置していますので、駅から最も近い大学の入口は北門になります。
北門は、工学部(現在は理工学部という名称ですが私には馴染みがなく・・)の裏側にあり、現役のときは利用したことがありません。
ここから(私の所属していた)経営学部までは、歩いて10分近く掛かるはずだな・・と思いつつ、慣れない門から入った40年ぶりのキャンパスは、まるで異国のようでした。

監視カメラに不穏な動きが残ったなと思いながらウロウロしていると、野音の脇に出てきました。
文化祭でシーナ&ザ・ロケッツがコンサートを行ったあの野音です(知らんね・・)。
その瞬間、忽然と意識が40年前に戻りました。

思い起こすと、大学4年間は堪らなく楽しい時間でした。

当時の仲間とは、麻雀、パチンコ、ボウリングとよく遊びました。
ゼミの先生も、成績の悪い私の面倒をよく見てくださいました。
1か月という短期間でしたが、2度海外に行く機会に恵まれました。
はじめて彼女ができて、色気付いたりもしました。

まさに青春でした。

ただ、勉強はもっとしておくべきでした。
これだけは、悔やまれます・・。

はるか昔に思いを馳せながら、好天に恵まれ、心地よい時間を過ごしました。
新設された学部の校舎の存在に驚き、学内を路線バスが走っていることに面喰らい、ゲバ文字の立て看板がひとつもないことに些か寂しさを覚え、国道から正門へのウッドデッキには時代の流れを感じました。

第一食堂の裏の鬱蒼としたエリアでは、巣があったのか、予期せずカラスの攻撃に遭っておったまげました。

大学4年間で、50泊(ひょっとしたら100泊?)以上過ごした親友S君の下宿の今も確認したかったのですが、弱まる足腰が限界となり諦めました。

因みに「下宿生という言葉は完全に死語、ひとり暮らし!」とセガレに教えられました。
ああ、そうですか・・。

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