136 共存共栄

昨年暮れ、相模鉄道とJR直通線の新駅の名称を「羽沢横浜国大駅」にする、という報道を目にしました。
横浜国立大学関係者の利用が多いことを想定し、当初の案「羽沢駅」から変更されたようてす。
母校の名前が駅名になるのは、非常に嬉しいことです。
欲を言えば、単に『横浜国大駅』だったら最高でしたが・・。

ところで、国立大学の名称は「都市名(または地域名)+大学」というパターンが定番です。
北海道大学、東北大学、京都大学、大阪大学、神戸大学、九州大学等々。

そんな中、我が母校だけは横浜大学ではなく、横浜国立大学です。
「☆☆国立大学」という名称は、ほかに例がありません。

横浜市立大学と区別するために横浜国立大学と命名されたのではないか、という説をよく耳にします。
しかし、大阪市立大学や名古屋市立大学、広島市立大学がある府県に、大阪大学、名古屋大学、広島大学がありますから、これは理由になりません。

実は、この名称の秘密は、かなり昔に遡ります。


1947(昭和22)年、学制改革が施行され、小学校6年と中学校3年の9年間が義務教育になり、高等学校は3年、そして、大学は4年と定められました。

この学制改革によって、師範学校などと呼ばれていた学校が、新制大学として生まれ変わることになったため、多くの学校が新しい大学名を付けなければならなくなり、混乱が生じました。

現在の横浜国立大学も、この学制改革により「神奈川師範学校」「神奈川青年師範学校」「横浜経済専門学校」「横浜工業専門学校」の4つの旧制官立学校を統合し、新制大学として1949(昭和24)年に設立されました。

が、時を同じくして「横浜市立経済専門学校」と「横浜専門学校」も、新制大学へ移行する事が決まっていました。
前者は現在の横浜市立大学で、後者は神奈川大学です。

そして、この2校に現・横浜国立大学を含めた3校が名称を申請した際、同じ「横浜大学」という名称を希望する事態になったのだそうです。
そうです、3校が同一の名称を希望してしまったのです。

そこで、3者間で協議が行われました。
その結果、各校とも「横浜大学」という名称を使用しないという約束が交わされたのだそうです。

かくして、旧制官立学校を統合した国立大学は「横浜国立大学」となり、市立経済専門学校は「横浜市立大学」、そして、横浜専門学校は「神奈川大学」を名乗ることと相成りました。

横浜国立大学のサイトによると、当時の文部省が間に入り・・、

「国立には『国立』、市立には『市立』を付け、そして、私学である学校には、もっと大きく神奈川にしてはどうか、というようなアドバイスがあったと伝わっています。」

時代が生んだ事件ですね。

因みに、地元では略して「コクダイ」と呼ばれることが多いのですが、「コクダイ」は国立大学の略であり、ヨコハマ全然関係ないじゃんと思ったりもするわけです。
「ヨココク」という呼称もありますが、「コ」が続いて発音しにくいせいか、地元では「コクダイ」が主流です。
なお、横浜市立大学は「ヨコイチ」と呼ばれているようです。

もしも横浜大学という名称だったら、どう略されていたのでしょう・・。
ヨコダイなら、まだハマダイの方がいいですかね・・。

ところで、昔から不思議に思っていたことがあります。
国立の大学で「県名+大学」がなく、「都市名+大学」が存在する県がいくつかあるのです(国立大学に限っての話です)。

一例として、青森県には国立弘前大学はありますが、国立青森大学はありません。
(私立青森大学はあります)

私が認識しているだけでも同様の事例が以下の通り存在します。

栃木県:×栃木大学 ○宇都宮大学
石川県:×石川大学 ○金沢大学
長野県:×長野大学 ○信州大学
兵庫県:×兵庫大学 ○神戸大学

都道府県名と県庁所在地の名称が異なるところが該当するのか!?と思ったのも束の間、北海道大学は存在しますね・・。

ここにも何か知られざる事情が潜んでいるのでしょうか・・。

135 土扶成牆

昨年、菊の花が薫る時期に、水戸周辺の神社を訪れました。
ゴルフ以外で、しかも電車で水戸へ行くのは初めてでしたので、新鮮な愉しみがたくさんありました。

茨城県護國神社や水戸八幡宮などを参拝し、最後に立ち寄ったのは、水戸駅から徒歩圏内にある水戸東照宮でした。
流石は東照宮。天井も柱も扉も、カラフルで豪華絢爛でした。

感動しながら参拝を終えると、菊の花に囲まれた社殿入口の右側に、看板を見つけました。
どうやら東日本大震災で倒壊してしまった鳥居の再建に関する、寄付のお願いでした。

倒壊した現場は、このとおり・・。
亀腹のすぐ上で、柱は無残に折損していました。

この看板を見たのも、何かの縁。
御朱印をいただく際に、神職の方にお話しを伺うと、口数や最低額などの決まりはなく、善意にお任せしているとのこと・・。

早速財布の中身を確認すると、一万円札が3枚と千円札が3枚・・。
よし!帰りの特急電車を各駅停車に変更し、この千円札3枚を役立てていただこうと決めました。
一万円札3枚は・・、ちょっとムリでした・・。

寄付の申し出をすると、宮司様から身に余る感謝の言葉をいただきました。
完成の折りには案内状をお送りいただける、とのことでした。

そして、半年が経ち、先日、完成を知らせる郵便が届きました。
4月17日に、鳥居が再建されたそうです。

えっ、4月17日?
仏滅なのに?

と思ったら、4月17日は家康公の命日で、その例大祭にあわせてお披露目されたとのことです。
全く無知でお恥ずかしい・・。

送っていただいた写真には、青空の下、白木の明神鳥居が神々しい姿で聳えていました。
あるべきところに鳥居が戻り、嬉しく思います。
地元の方も、さぞ喜ばれていることでしょう。

ところで、茨城県一宮・鹿島神宮の大鳥居も、震災で倒壊した一つですが、既に新しい鳥居が造立されたそうです。

下の写真が、平成26年6月1日に竣工された新しい鳥居です(平成30年2月撮影)。

東日本大震災によって被害を受けた神社は、1都15県、約4,800社に及ぶそうです。
そんな中、スサノオノミコトを祀っている神社は、被害が少なかったという論文が発表されています。
ちょっとミステリアスな香りがしますね。
興味のある方は、以下をご覧ください。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejsp/68/2/68_I_167/_pdf

134 延頸挙踵

私は年に一度は京都を訪れますが、楽しみの一つは「お菓子」です。
お酒が苦手な私にとって、京都の様々なお菓子は非常に魅力的です。

お気に入りのひとつは、村上開進堂のロシアケーキです。

ロシアケーキという名ですが、いわゆるケーキではなく、クッキーです。
その食感はややしっとりとしていて、サクサク感はなく、口悪く表現すれば「湿気てる?」とも言えます。
味は、ひとことで言えば、素朴。
手作りなので、どことなく不揃いなところもあります。

しかし、唯一無二のおいしさです。
カミさんにも好評です。

また、村上開進堂には、もうひとつ「予約制」のクッキーがあります。
こちらは缶に入っており、サイズは大と小があります。
価格はたしか6,000円と4,500円。
送料が別途必要なので、なかなかのお値段となります。

今年1月、家族で京都を旅行した際、はじめてクッキー缶(小)を予約しました。
宅配便の送り状を書きながら、だいたいの納期を尋ねると・・、

「およそ3ヶ月待ちとなります。」

若い女性スタッフに京都弁でさらりと言われ、ビックリ。
ゴールデンウイークの楽しみが増えたと思えばいいかと思い直し、会計を済ませました。

それから時間は流れ、先週木曜日。
遂に到着いたしました!

忘れかけていたころに到着、といった感じです。

味わいのある包装紙を解くと、これまた風情のある和紙のあて紙と水引。
捨てないで、本のカバーにでもすれば良かったか・・。

そして、3ヶ月掛かってのご対面です。
クッキーが、缶にぎっしり詰まっていました。

肝心のお味は、甘すぎず、大人のクッキーという印象です。
全部で11種類ありますから、いろいろな味を楽しめますので、ついつい止まらなくなります。

到着して数日。
殊の外、缶の中が減っています。
このままでは、ゴールデンウイークまでになくなってしまう可能性も出てきました・・。

133 斗酒隻鶏

社会人になって早34年。
仕事を通じて、多くの方とお目に掛かりました。

そんな中、最も印象的なひとりは、某化粧品会社の女性社長さんです。
私よりも2歳年下の、とても美形な女性でした。

初対面は、私がギリギリ20代だった頃と思います。
その数年後、彼女は結婚し、新宿で開催された二次会に私もお招きいただきました。
因みにこの時、「新郎新婦」は「新郎妊婦」でした。

妊婦、いや、新婦は私と一緒でお酒が飲めないのですが、一方、ご主人は大のお酒好き。
宴たけなわの頃には、ひな壇ですっかり出来上がっている様子でした。

そうこうしているうち会がお開きとなり、私が帰り支度をしていると、

「社長、一緒にタクシーで帰ろう!」

と彼女に声を掛けられました。
因みに、私は当時社長ではなかったのですが、いつもこう呼ばれていました。

「どうせあの人はこの後もどっかで飲むんだからいいの。先に帰ろう。」

結婚式の夜に別行動って、変な夫婦だなあと思いつつ、新婦の友人らとタクシーに相乗りしました。

ひとり、またひとりと下車し、結局タクシーに残ったのは我々2人。
旧知の仲とはいえ、昼間式を挙げたばかりの女性と2人だけ、というシチュエーションに、いささか違和感を感じはじめた矢先・・、

「社長、カラオケ行こう!!」

結局、私は、新婦で妊婦な人妻と2人だけで、深夜のカラオケボックスに行き、数時間大盛り上がりしたのでした。

今となっては、とてもいい思い出です。
出来ることなら、あの頃に戻りたいと思います。

何故なら・・、

42歳で彼女は亡くなってしまいました。
乳がんでした。

私にとって彼女の存在は「男友達」でした。
仕事を超え、性差を超え、とても親身な関係でした。

「社長、良かったね〜、これ持ってって!!」
私にようやく子供が出来たと知るや、我がことのように喜んでくれ、色々といただきものをしました。
亡くなる2年前のことでした。

「界面活性剤ってね、水と油を混ぜちゃうんだよ、社長はただでさえ危ういんだからシャンプー変えないと禿げちゃうよ」
そう言って、石けんシャンプーを勧めてくれたのは彼女でした。
今も年齢相応の頭髪量が維持できているのは、間違いなく彼女のお陰です。

「社長、タバコちょうだい!もう安定期に入ったから大丈夫!」
でも、大きなお腹の彼女にタバコを渡したのは、大失敗だったな・・。

「社長、B4の短辺って何センチ?えっ、257ミリ!?て~んさい~!」
天才でも何でもないです。そんなこと知らない印刷屋なんていませんから。

決して長いお付き合いではありませんでしたが、様々な思い出が蘇ります。

距離的な問題もあって、まだ、墓参が叶っていません・・。
彼岸の入りにあたり、亡き友へ思いをはせ、感謝のまことを捧げたいと思います。

132 輭紅塵中

なんこうじんちゅう。
華やかで賑やかな都会の様子、という意味です。
世代的には、木綿のハンカチーフの世界観を思い出してしまいます。

私の両親は静岡県と千葉県の出身ですが、私は東京生まれ東京育ち。
これまで、東京23区以外に住居を構えたことはありません。

老後は田舎暮らし・・。
そんな夢を抱いている中高年層は、結構多いのではないでしょうか。
しかし、スーパーやコンビニ、駅、病院などが遠い生活は、私には無理かなと思います。

「仕事用のスーツを買う店が山梨にはないんですよ・・・・。」

以前、甲府に転勤になった後輩が、そう言っていました。
もちろん、紳士服店が全くないはずはありませんので、お気に入りの店がなかった、ということなのでしょう。
いずれにしても、スーツを購入するのは上京したとき、と決めていたそうです。

百貨店がないという状況も、私には差し障りがあります。
ワタクシ、結構デパート好きな中年です。
ひとりでも、カミさんと一緒でも、普通に行きます。
高価なものには縁がありませんが、紳士モノだけではなく、女性向けのフロアもへっちゃらです。
男としては、珍しい部類だと自覚しています。

東京ガーデンテラス紀尾井町

写真は、東京ガーデンテラス紀尾井町から空を見上げて撮影したのものです。

ちょっと電車に乗ればこんな景色がある。
週末には、カフェで読書ができる。

そんな場所に住み続けたいと思っています。

そして、近年、益々都会の中心部に住みたいと思うようになってきました。
今後、年を重ねても変わらないと思っているのですが・・。

131 百花斉放

新聞の大学特集ページで、母校に昨春「都市科学部」が新設されたことを知りました。
この学部は、以下4つの学科を有しているそうです。

  1. 都市を担う人々や文化、社会のあり方を考える「都市社会共生学科」
  2. 都市空間やコミュニティ、生活像をデザインする「建築学科」
  3. 土木工学を軸に防災や環境などの課題に取り組む「都市基盤学科」
  4. 都市の利便性と自然・社会環境から生じるリスクとの均衡を図る「環境リスク共生学科」

建築学科については、横浜高等工業学校建築学科を前身とする歴史ある工学部の理念やノウハウが生かされているのかも知れません。
しかし、これら学科についてサイトをよく見てみると、文系・理系両方の要素を含んでいて、今ドキな印象を受けます。
新聞記事にも、文系と理系を横断した「文理融合」の人材育成が謳われています。
先行研究の少ない、いわば挑戦的な領域でもありますので、今後の発展を期待したいものです。

昭和55年4月。
私が入学したときは、経済学部、経営学部、教育学部、工学部の4つの学部で大学は構成されていました。
そして、私の所属していた経営学部には、経営学科、会計学科、管理科学科の3つの学科がありました。

しかし、設立50周年を迎えた昨年、1学科体制で新たなスタートを切ったようです。
サイトには「特色ある施設・プログラム等」というタイトルで、現在の学部の様子が以下のように紹介されています。

◎経営学部情報センター
100台余りのPC端末が備えてあり、PCを利用した会計教育や英語教育、ビジネスゲームなどを行っています。また、情報検索、情報発信、研究・学習サポートなども行っています。

◎充実した体験型授業
「ビジネスゲーム」では、コンピュータ上に構築された仮想的マーケットの中で、複数の学生が企業の経営者として商品の生産、仕入れ、販売を行い競い合います。また、「マイプロジェクトランチャー」では、学生自らプロジェクトを作成、プレゼンを行い、プロジェクト実践能力を磨いていきます。

e-ラーニングによる効果的な学習
2年次必修外国語科目「英語演習」の課外の自習課題「アルクNet Academy」は、パソコンで行います。これは、TOEIC対策の自習プログラムで、リーディングとリスニング及び模擬演習問題のトレーニングができます。その他にも会計CAIなどパソコンを使った効果的な学習を行うことができます。

企業トップを講師に迎えた講義群
一般的なプログラムの他に、「経営者から学ぶリーダーシップと経営理論」、「ベンチャーから学ぶマネジメント」といった毎週代表取締役クラスの経営者を迎え、様々な角度から企業経営を学ぶ授業があります。インターンシップはこれらの授業を履修してから行います。

PCを利用したビジネスゲーム?
仮想マーケットで学生が経営者として競い合う??
経営者から企業経営を学ぶ???

我々の頃には考えられない授業内容の羅列に、我が目を疑ってしまいました。
35年も経っているのですから、変わって当然なのですが・・。

横浜国立大学は、元々、鎌倉や弘明寺などにキャンパスが分散していましたが、昭和49年8月、程ヶ谷カントリー倶楽部移転跡地に常盤台キャンパスを設置し、これらを統合・移転しました。
私が入学する6年前のことです。

実際、受験前に初めて見学に訪れたとき、学内は総じてキレイでした。
「こんなキレイなキャンパスで勉強できたらいいなあ」と、若干感動すら覚えたものです。
純粋というか無垢というか、受験勉強で心が病んでいたというか・・。

そんな清らかな気持ちで受験したにも拘わらず、入学後は、受験勉強に明け暮れた日々の仇をとるかの如き、遊惰でなまくらな生活に陥りました・・。
入学が決まった時、父から「国の税金を使わせていただくことを肝に銘じて、4年間過ごすように。」と言い付けられたにも関わらず・・。
当時の授業料は年間18万円でしたから・・。

今日は、3月4日。
昭和55年の今日、国立大学の二次試験だったと記憶しています。

共通一次試験の点数で劣っていた私は、ここで大逆転劇を演じなければなりませんでした。
二次試験の願書提出にあたり、過去の入試統計と予備校の自己採点資料をとことん研究し、180人抜き去る必要があるという、実に厳しい結論に至ったのです。

「あそこからあそこの列までの受験生に勝たないとダメなんだな。よ~し!!」

試験会場で、めちゃめちゃ気合いが入っていたのを覚えています。
しかも、38年も前のことが、まるで昨日のことのように思い起こされます。

結果としては・・、
繰り上げ合格だったので・・、
150〜160人くらいしか、逆転できなかったのではないかと思います・・

私の母校は、総合大学と呼べるほど大きな規模ではありませんが、それでも経済・経営・教育・機械・海洋・造船など、様々な分野の学問を学ぶことが可能でした。
しかしながら「大学生は、時間がたくさんあって、お金がちょっとあって、責任がない!」などと傲語していた学生時分を恥じるばかりです。

この歳になって、もっと勉強しておくべきだったと痛感しても、後の祭りですね。

130 嫣然一笑

先日、お客様3人と食事会をしました。
しかも、私以外はすべて女性。
私もまだまだ捨てたものではないなと・・。

仕事で知り合った方と、こういう集いをもてることは本当に有難いことです。
食事もゴルフも「接待」という冠が付いた途端、純粋に楽しむことは難しくなりますが、先の会合は完全なるプライベート。
一緒に食事をするのは初めての機会でしたし、価値観の合う皆さんでしたので、心から楽しい時間を過ごすことができました。

帰り際には、LINEのグループを組みました。
グループ名は「Habitationの会」。
命名の理由は我々だけの秘密です。

また、嬉しいことに、洋菓子のプレゼントをいただきました。
バレンタインデーが近かったからかも知れません。

ひとつは、キースマンハッタンのローストナッツブラウニー。
チョコとナッツの組み合わせが美味しくて、帰ったその夜、寝る直前だというのに、2個食べてしまいました。
このお菓子は、取扱う店舗が限られているため、なかなか入手が困難なようです。
お取り寄せ専門サイトでも紹介されていました。

もうひとつは、焼き菓子専門店・ビスキュイテリエ ブルトンヌのウィークエンドという名のパウンドケーキ。
レモンの香りとシャリシャリの糖衣が、たまりませんでした。
私、元々パウンドケーキに目がないのですが、これまでに食べたものより、抜群の高級感でした。

この連休、甘い物には事欠かずに済みそうです。

この方々からは、以前、私が入院した際に、病室にお花を届けていただいたこともあります。
仕事を超えて、人としてお付き合いができることは無上の喜びです。

これからも「ご縁」は大切にしていきたいと思っています。

129 狷介不屈

今朝、上野公園に行きました。

最初の目的地は、スターバックスコーヒー・上野恩賜公園店。
店内の大きな窓から、自然豊かな園内が眺められ、とても居心地の良い空間です。
8時の開店と同時に入店し、朝食を食べ、読書をし、1時間ほど過ごしました。

また、このスタバの西側には、上野動物園の表門があります。
9時半の開園まであと1時間半以上あるというのに、こんなに列ができていました。

お目当ては、もちろんシャンシャンでしょう。
テレビ局のアナウンサーかレポーターと思しき女性もいましたし、その人気は相変わらずのようです。

いつからか、ポストもこんな装いになっていたんですね。

さて、私の主たる目的は国立科学博物館での「南方熊楠」に関する企画展の見学です。

み・な・か・た・く・ま・ぐ・す。

スゴイ名前ですね。

正直に申し上げますと、ワタクシ、その存在を知りませんでした・・。
先日、カミさんとセガレが見学してきたと聞き、私も行こうと決めた次第です。

余談ですが、私立中学に通う生徒は、2月1日頃、入試のため学校が休みになります。
我が家の場合、2月1日から3日まで、部活も含めて休校となりました。
その休暇を利用して、親子で博物館に行ったという訳です。

さて、展示を見終えて、南方という人物にとても興味を覚えました。

  • 小学生の頃、全105冊の百科事典「和漢三才図会」を知人の家で閲覧し、それを暗記して自宅で写しを作ったと言われている。
  • 明治17年、東京帝国大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入学。夏目漱石や正岡子規は同級生だった。
  • 学会に入ること、学位を受けることを非常に嫌い、生涯、在野の学者として、研究に勤しんだ。
  • 多数の菌類を集め、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成した。そこには、整理番号、名前、採集地、採集年月日、生育地に環境を記し、水彩画を描き、標本を貼り付け、生物学的性状については英語で記載した。
  • これらの図譜には、非常に多くの新種が含まれていたにも関わらず、論文として発表しなかった。即ち「どうだこんなに集めてスゴイだろう」と無邪気に自慢する面があった。
  • 激しい癇癪持ちで周囲を困らせたが、学問に打ち込んでいると落ち着いていられたので狂人にならずにすんだと自ら記している。
  • 大学の講演会で、酔っ払って壇上に上がり、百面相をして立ち去ったとか??
  • キューバに渡った際、サーカス団に入り、キューバ革命にも参戦したとか??
  • 異常なまでの多汗症で、一年中裸で過ごしていたとか??
  • 自在に反吐(へど)を吐くことができ、気に喰わぬ者を追い帰したとか??

いやいや、紙一重ですね(笑)。

自筆の書簡や日記は、一見の価値ありだと思います。
3月4日まで開催されていますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

最近、文化や芸術に触れることを意識しています。
美術館や博物館のほか、映画、落語、歌舞伎、芝居など、ジャンルは多種多様が良いと思います。

先日観た映画「ギフテッド」も良かったなあ・・。
さあ、心豊かな中年をめざして頑張るか。
急がないと老年になっちゃうし・・。

128 心定理得

週末、会社のオンデマンド機を入れ替えました。
現在のマシンのリースがまだ残っていたのですが、機能が向上した上位機種を導入することにしました。

設置前に、200ボルトへの電源工事が必要でした。
業務に支障を来さないよう、金曜日夜7時から施工していただきました。
遅い時間や週末の作業依頼が多い電気工事の方は、大変ですね。
ついでに、という訳ではありませんが、トイレのコンセントがブラブラしていたので見ていただいたところ、気持ちよく修理してくれました。
すべての作業が終わったのは、午後9時半過ぎでした。

そして、土曜日。
いつもより少し遅めの7時過ぎに出勤すると、ゼロックスの担当者が9時過ぎに来社。
その後、10時頃から搬出と搬入が始まりました。

水平を測ったり、部品を取り付けたり、色調整をしたり、プリンタドライバをインストールしたり、以前のマシンからジョブを移行したり・・。
多くの作業を抱えるなか、一部円滑に運ばなかったところもあり、終了したのは予定の午後3時を大幅に超え、まさかの8時でした。

加えて、日中、私をひどく悩ませてくれる事件がまたもや舞い込み、土曜日帰宅後はヘナヘナでした。

夜の8時や9時・・と思われるかもしれませんが、毎朝6時半(今週は雪の影響もあって6時)に出勤している朝型人間の中年男には、降雪から始まったこの1週間は些かハードでした。

なおもってまずかったのは、その夜です。

夕飯もそこそこに風呂に入り、浴槽で「ふう・・」とため息をついたとき。
補聴器を付けたまま風呂に入ってしまったことに気づき、急いで外そうと左耳を触ったところ、肝心の補聴器がないのです。

あれ?今朝は久々に補聴器付けたよな・・」

先週末から風邪気味で毎日マスクを付けていたので、今週は補聴器を装着していませんでした。
というのも、補聴器とマスクを同時に付けることは可能なのですが、マスクを外すと補聴器も一緒に取れてしまうので、今週は補聴器を装着しなかったのです。

「でも今朝は間違いなく装着したはずだよなあ・・」
「帰宅する前に外した記憶はないしなあ・・」

その時点で、保管ケースを確認するなり、脱衣カゴ周辺を探すなりすれば良かったのですが、疲れていたことと、精神的にややイライラしていたこともあり、浴槽で疲れてぐったりしてしまいました。

そして、風呂でリフレッシュし、補聴器のことをすっかり忘れ、パソコンに向かって仕事をはじめてしばらく経った頃。

「おとーーさあーーん!!」

カミさんの声のテンションがいつもと違います。

「補聴器、洗濯機で洗っちゃった!脱水もかけちゃった!!どこに置いてあったのか、全然気付かなかった!!!」

シャツを脱いだとき、一緒に落下して、衣服に紛れたようです。

取り敢えず装着してみると・・、
やはり作動しません・・・・。

補聴器、22万円でした・・。

社員によく言う「確認」。
やっぱり「確認」はすぐやらねばダメですね。
風呂から上がってすぐなら、脱衣カゴで発見できたはずです。

「行動や道理を正しく、心を安定させよ」という神様のお告げですね。

127 倒載干戈

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

弊社近くの深川資料館通り商店街に毎年出現する正月飾りを、今年もご紹介したいと思います。
全体像がより分かるよう、広角レンズで撮影しました。
スケールの大きさ、伝わりますでしょうか・・。

向かって右側には、一方通行の道路があるのですが、今年はこの路地にも小規模ながら掲示がありました。
小さなお孫さんを持つお年寄りの琴線に触れること間違いないですね。

正月の特別感は、ひところに比べると希薄になってきているように思います。
私が子供の頃、正月になると、母は下着やタオル、歯ブラシなどの日用品を新しいものに変えていました。
さすがに書き初めはしませんでしたが、正月はやや襟を正して迎えるもの、と教えられた気がします。

私にとって、正月の特別感を代表するひとつは初詣でしょうか。
初詣は、父の名付け親が眠る靖国神社へ必ず足を運びました。
裏を返せば、靖国へ行くのは正月だけでした。

子供の頃の習慣はカラダに染み付いてしまうのか、50半ばになった今も、正月は家族を連れて靖国神社へ出向いています。

今年は2日の朝に詣でました。
ご朱印をいただきに行くと、来年ご創立150年を迎えるにあたり、記念のご朱印帳が販売されていたので、迷うことなく購入しました。
ご朱印代別で、1,500円をお納めしました。

靖国神社の中門鳥居の左手には、掲示板があります。
ここには、死を覚悟した若い兵士が、戦地から家族に宛てた書簡が紹介されています。
父が毎年読んでいましたので、必然的に私も読むようになりました。

正直、涙なしで読むことはできません。
と同時に、生まれてくる時代と国を選べない無情を感じます。

年頭にあたり、今の我々の暮らしの背景には、志半ばにして散華した多くの命があることを、心に刻みたいと思います。