投稿者「izuart」のアーカイブ

023 後生可畏

2015年最初の投稿です。
今年も宜しくお願いいたします。

さて、弊社の近所にコーヒー屋さんがオープンしたことは以前に書きました。
「オールプレス・エスプレッソ・東京ロースタリー&カフェ」というカフェです。
一度では覚えられないですね。

このカフェに今週何度か足を運びました。
オーダーは決まって、「カプチーノをひとまわり大きなサイズで」。
今日は社員の分も含めて、ふたつ注文しました。

「ああ、この女性のスタッフさん、昨日もいたなあ・・」なんて考えていたら、
「このあたり、よく通られるんですか?」
と、その若くて可愛いスタッフの方に話しかけられました。

「会社がこの近くなんです。」
「どこなんですか?」
「信号の少し先です。へんてこりんな青いのビルの1階です。」
「へんてこりん?」
「ちょっと変わった建物なんですよ。」
「そうですか。」
「これから社に戻るので、女性社員の分も含めてふたつお願いしたんです。」
「あら、優しいんですね。」

少しだけ会話が盛り上がっちゃいました。
オジサンとしては少し照れもありましたが・・。

しかし、数回来店しただけで顔を覚えてくださるのは、客として嬉しいですね。
そして、こういう小さなことが、商売人として重要なことだと感じました。

ほんの日常の出来事ではありますが、若い女性から大切なことを教えていただきました。

ところで、このカフェ、なかなか人気があり、平日の日中も店内は混んでいます。
肝心な味の方は・・・、
すこぶる美味しいです。

香りも抜群です。

このカプチーノの味を覚えると、☆☆☆バックスコーヒーから足が遠のきます。
これ本当です。

来月にはブルーボトルコーヒーも清澄白河にオープンします。
今、我がエリアはカフェの町として人気急上昇中だそうです。

弊社の近くには深川七福神の大黒さんと毘沙門さんもあります。
カフェで寛ぎつつ東京の下町を散策、なんていかがですか?
皆さん、ぜひ清澄白河にお越し下さい。

補足:
オールプレスのコーヒーの写真です。
(何故MacBookの上で撮影したのか、理解に苦しみます・・。)
実は、このブログには写真は掲載しない!と決めておりました。
しかし、初フォト掲載です。
まあ、掲載しないことに、さしたる理由はありませんでしたので・・。

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022 会者定離

蓮心院日美信女。

大切な友人「ユミ」の戒名です。
平成22年1月4日、49歳で亡くなりました。

28日、大学の同級生達と静岡県三島市までお墓参りに行ってきました。
4年前、ユミの通夜にも今日と同じメンバーで参列しました。
ユミには当時大学生と高校生の息子さんがいて、大学生の長男が最後にお礼の挨拶を行いました。

「本日はお忙しい中、ご参列いただき有難うございました。・・・
・・・・・ぼくたちはこれで兄弟二人だけになってしまいましたが・・」

この挨拶を聞いた時、溢れる涙を止めることが出来ませんでした
今も忘れることができず、心に残っています

私は現在53歳です。既に、大切な友人を何人か亡くしています。

会者定離という仏教の言葉があります。
出会う者とはいつか必ず別れる運命なのでしょうが、悲しいことですね。

風もなく、大変穏やかな天気のもと、久しぶりにユミと繋がることができて今日はとても有意義な一日となりました。

ユミの墓石には「絆」の文字が刻まれています。
私の分も頑張って生きて、と言われたような気がしました。
一年頑張ったよと、来年、ユミに報告しに来たいと思っています。

021 愉快活発

日本最古の活字を見たくて訪れた圓光寺さんでのこと。
拝観料を納めるとき、『御朱印 300円』という文字が目に入りました。

そう言えば、以前雑誌『HANAKO』で御朱印に関する対談記事を読んだものの、ちょっと敷居が高いような感じがして、十分消化しないままにしていました。

御朱印帳を用意しないといけないとか、浄土真宗のお寺ではいただけないとか、常識やマナーをまずは勉強しないとダメだな、という印象を抱いていました。

でも、圓光寺さんで私が見たのは、A5ほどの用紙に既に日付も記入されたもの。

勇気を出して『拝観料と御朱印もお願いいたします』と申し上げると、お寺のパンフレットと一緒に、袋に入った御朱印を下さいました。

奉拝 平成廿六年十一月十五日
南無千手観世音
瑞巌山 圓光寺

そう書かれた墨文字と朱色の印が織りなす芸術品・・。
記念すべき御朱印第一号を手にしました。
遠い昔の偉人と、少し繋がったような感覚がしました。

続いて訪れたのは詩仙堂さん。
拝観料を納めて中へ進むと、
『先に本堂を見学してください。あとから戻ることはできません。
とのアナウンス。

靴を脱いで本堂へ進むと、絵はがきなどと一緒に並べられた御朱印を発見。
しかも、圓光寺さんと同じスタイル。

『御朱印を頂戴したいです。』

ほんの少し「こなれた感」を漂わせて、初穂料300円を納めました。
わずか30分ほどで、2枚の御朱印が私の鞄に仕舞われました。

この日、最後の目的地は赤山禅院です。
ぜひここでも御朱印を頂戴したいと思っていると、
「御朱印は福禄寿殿でお渡しいたします」との看板発見。

アレ?ここは七福神に関連しているのかしらん・・。

私はそんなことも知らずに訪れていました・・。
掛け寄せ(集金)の神さんであることは予習していましたが、ここが全国の七福神めぐりの発祥とされる都七福神のひとつ、福禄寿のお寺であることを知らなかったのです。

福禄寿殿でお参りをしたあと、
「御朱印をお願いします。」
その口調は、超初心者であることを忘れているかのようでした。
すると・・、

「御朱印帳はお持ちですか?」

「あっ、あの〜、忘れました・・。というか持っていません・・。」

「そちらにある御朱印帳はイラスト入りでお奨めです。いかがですか?」

「はい、ぜひお願いいたします。」

即答でした。2,000円お納めしました。
若干ドヤ顔になっていた私に、冷や汗が襲いました。
赤山禅院さんは、書き置きではなく、その場で書いて下さるようでした。

予定していなかった御朱印集めでしたが、3つの御朱印を眺めていると何故か有難い気持ちになってきます。
思い切って圓光寺さんでお願いしてみて良かったとつくづく思います。

私の購入した御朱印帳は、都七福神のイラストが書かれていて、そのとなりに御朱印が書けるようになっています。
毘沙門天は東寺、弁財天は六波羅蜜寺、布袋尊は万福寺・・。
都七福神の御朱印はぜひ集めたいと思っています。

帰ってきたばかりなのに、もう行きたくなってしまいました。

020 温故知新

京都日帰り旅の続きです。

清水寺や南禅寺など、中心部に位置している有名どころは外し、観光客が少なめで紅葉が進んでいるところはないものか・・、出発前、ネットやガイドブックでいろいろ調べました。

なるべく北へ行った方が色づきが進んでいるのではないかと思い、一乗寺・修学院エリアに狙いを定めました。

そんな中、圓光寺さんというお寺さんを見つけました。
正直、これまで知らなかった寺院でした。
十牛之庭(池泉回遊式庭園)、奔龍庭(枯山水)、水琴窟、紅葉・・。
見どころ満載の魅力的なお寺さんのようです。

そして、もうひとつ。

ここには、日本最古の印刷用木活字が保存されているのです。

私も印刷業の端くれです。大いに興味を抱きました。

昼食後、叡山電鉄一乗寺駅で下車し、歩くこと約15分。
圓光寺さんに到着しました。

拝観料500円を納めて、本堂へ。
重要文化財でもある日本最古の活字とご対面です。

結構大きなサイズで、2号とか3号くらいに見えました。
漢字もカナもありました。般若心経を組んだものもありました。
カナは「いろは順」ではなく「五十音順」で並んでいましたね。

日本最古の活字を前に、印刷のルーツに出会ったようで感動しました。

ところで、拝観料を納めた際にいただける圓光寺さんのパンフレット。
これがとってもスマートなのです。
A4やB5の三つ折りといった体裁はよく目にしますが、
圓光寺さんは、140ミリの正方形で、12ページ・中綴じなのです。

紙はダル系の135kgベース。
モノトーン調の瀟洒な表紙に、写真とテキストをすっきりレイアウトした本文。
デザイナーの優れた感性を感じるアートなパンフレットです。

それから圓光寺さんのオフィシャルサイトもぜひご覧下さい。
華美ではないけれど凄艶で、美的センス溢れるWEBです。

Facebookもあります。この時期は紅葉のニュースが楽しめます。

日本最古の活字を所蔵しているお寺さんだけあって、パンフレットをはじめ、ホームページもFacebookも、秀逸な出来映えです。

同業の大先輩から、印刷業はこうあるべし、と学んだ気がいたしました。

019 千客万来

一昨日の土曜日、日帰りで京都に行ってまいりました。
しかも、初めてのひとり旅です。

始発の次、06:06分東京駅発の新幹線の座席を確保。
私ひとりですから、04:30過ぎに起床する勝手気ままなスケジュールを組みました。
ところが、東京駅に着いてみると新幹線が発車を見合わせているとのアナウンス・・。
05:30過ぎに、新横浜駅で車両の上に人がよじ登って停電を引き起こしたそうです。
結局出発したのは約1時間遅れの07:10・・。
ちょっと残念なスタートでした。

予定より80分ほど遅れて、京都駅に到着しました。
京都には、我が家にとって大切なお寺さんがあります。
「京の世継ぎさん」とも呼ばれている、上徳寺さんという小さなお寺さんです。
結婚して8年、子宝に恵まれなかった私たち夫婦に、息子を授けてくださった有難い、ありがたい、お寺さんです。
「ここには君の神様がいるんだよ」と小さいときから言われている息子は、上徳寺さんに来ると神妙な顔をします。
子供ながら、なにか感じることがあるのでしょう。

この日も最初に訪れたのは上徳寺さんです。
今回の旅の大きな目的のひとつが、ここ上徳寺さんの参拝だからです。

ご加護のお陰で息子も無事に11歳。中学受験もだんだん近づいてきました。
元気に受験の日を迎えられますように、とお願いしてまいりました。

それから、商売の神様「伏見稲荷大社」を参拝しました。
社員の健康と社運上昇を祈願してまいりました。

昼食はカレーうどんで人気の「日の出うどん」さんと決めていました。
朝の事故の影響で予定より遅れていたため、伏見からタクシーで向かいました。

11:15、目的地に到着。開店は11:00です。
残念・・、大行列です・・。ざっと20人以上は並んでいました。
仕方なく、もう1件の候補に急遽向かい、どうにか食事にありつけました。

秋の京都は紅葉目当ての観光客で賑わいますが、真っ盛りというにはこの時はまだ早く、「色づきはじめ」という評価が目立ちました。

それでもたくさんの人が訪れていました。
外国人観光客も、ものすごく多く見かけました。
観光地・京都の人気はすごいですね。

ちなみに・・、
☆朝、京都駅のタクシー乗り場では乗車まで15分ほど待ちました。
☆路線バスは、お客さんが乗れないほどの混雑でした。
☆京都駅近くのコインロッカーは「使用中」ばかりでした。
☆スターバックスではお客さんが店の外にあふれていました。
☆蹴上のホテルの喫茶も待ち時間でした。

桜や紅葉が古都を彩る季節に訪れたい気持ちと、少し空いている時期にゆっくりと寺社を巡りたい気持ち。
難しいですね。

午後、洛北方面を巡った話は、改めてご紹介したいと思います。

018 風樹之嘆

先日、私の幼なじみのお母さんが亡くなりました。
小学校の同級生のお母さんですから、小さい頃からとてもお世話になった方です。

私が大学生の時。
デビューした頃の島田紳助さんのような髪型をした私は、友人と地元を歩いていました。

「あの子、ラーメン屋の出前持ちみたいな髪の毛してるけど、国立大学通っているのよ。」

私を見かけたそのお母さんは、近所のお友達にそう言ったそうです。
そうなんです、そんな遠慮の無い間柄なのです。
子供の頃から私を見知っているので、なんでもお見通しなのです。

大切な方の葬儀に参列するのは、時の流れとともに不可避なこととはいえ、悲しいです。

その同級生はお父さんを15年前に亡くしています。
不運にも、53歳にして、両親とお別れをしたわけです。

私は幸いにも両親が健在です。
父親は81歳にして、まだ現役です。
毎日仕事をしています。
車の運転が少し心配ですが・・。

母は料理が上手で、たまにご馳走になっています。
カミさんには申し訳ないけれど、やはり母の料理は絶品です。

「親孝行したいときに親はなし」

同級生を見回しても、両親が揃っている方が少なくなっているようです。
他人に迷惑を掛けずに生きていくこと。仕事をきちんとすること。
これが一番の親孝行なのかも知れませんが、今できることを再考したいと思います。

 

017 遠慮会釈

昨日、仕事で千葉県内を車で走っていました。
東関東自動車道・四街道インター近くの一般道路です。
そのあたりは、信号が少なく、道路交通法はちょっと置いとくと、60km以上の速度でビュンビュン走ることのできる道路です。

その途中に、「押しボタン式信号」がありました。
普段、滅多に赤にならない信号が赤になったので、正直、こんなところに信号があったのか、と思いました。

こんなところに信号があったのか、と思ったくらいですから、換言すれば「チェッ、ついてないな」くらいの感覚でした。
もっと言えば、「誰だよ、押しボタン押したのは・・」といったところでしょうか。

私は、信号の3台目で停車しました。
反対車線に車はいませんでした。

どんな人が渡ってくるのかと前方を眺めていました。
きっと近隣に住むお年寄りなのだろうと・・。

しかし、車のカゲから現れたのは、意外にも小学生でした。
しかも、5〜6年生と思われる長身の男の子でした。

「おいおい、男の子なら、押しボタンなんか押さずに、車のいないとこ見計らってダッシュで渡っちゃおうよ。」

そう思った瞬間、信じられないことが起こりました。

横断歩道を渡り終えたその小学生は、停車している我々の方を向き、学帽のつばに手を添えて、深々と一礼したのです。

心臓がドキリとしました。

赤信号でちょっと止まった程度で、何となく不快な気持ちになった自分が、すこぶる小さな人間に思えました。

そして、この少年の親御さんにお目にかかってみたい気がしました。
子は親を映す鏡と言います。きっと品格ある方なのだと思います。

反省が必要です。
しかも、猛省です。

016 泰山北斗

昨日の新聞一面に、iPS細胞から作った網膜の細胞を目の難病患者に移植する臨床研究の手術が行われたことが、大きく報じられていました。
京都大学の山中教授が生み出した「夢の細胞」が、誕生からわずか8年で実用に向けて新たな段階に入ったのだそうです。
様々な病気で苦しむ人々に大きな希望を与えた明るいニュースでした。

この新聞記事を読んでいて、ひとつ気づいたことがあります。
今回の手術に関わった先生方が、皆、私と同年代なのです。

iPS細胞の生みの親・山中伸弥先生は1962年9月4日生まれなので、私の一つ下。

臨床研究を率いた理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーは、1961年6月23日生まれだから私と同級生。

山中教授と記者会見に同席した、高橋政代先生の夫・iPS細胞研究所の高橋淳教授は、高校の同級生同士で結婚されたらしいので、必然的に私とも同い年。

執刀医である先端医療センター病院の栗本康夫先生は、高橋政代先生と京都大学医学部の同級生で53歳。ということは同い年か一つ上か・・。

う〜ん・・、同級生すごいなぁ・・。

36歳の若さでお亡くなりになったダイアナさんも同い年。あの訃報は悲しかった・・。
ほかには、俳優のジョージ・クルーニーさん。あんな格好いい中年になりたかった・・。
脚本家の三谷幸喜さん。溢れる才能に嫉妬し、19歳も年下の女性との再婚にも嫉妬し・・。
そうそう、女優の斉藤慶子さんはデビュー当時からのファンで、私の永遠の憧憬・・。

世界に誇れるって訳にはいきませんが、人生も後半にさしかかってきたこの年で、ひとつくらい胸を張れることを持っていたいなあと・・。

う〜ん、なにかあるだろうか・・。

015 隔世之感

私の通っていた大学は、横浜市保土ヶ谷区にありました。
横浜って一般的には都会的でおしゃれな街、というイメージが強いと思います。
山下公園や中華街、みなとみらいなどが象徴的ですね。

ところが我が大学のあるエリアは、おしゃれ感とは隔たりがありました。
大学ホームページのアクセスを見ても、横浜駅からの電車+徒歩でのご案内として、
★横浜市営地下鉄三ツ沢上町から正門まで徒歩16分
★相鉄線和田町駅から南門まで徒歩20分
と紹介されています。

因みに私が在籍していた頃、地下鉄はまだ開通していませんでした。
従って、文京区の自宅から通学していた私は、和田町駅から20分歩きました。
しかも、この20分が、平坦な道ではないのです。
言ってみれば山歩きみたいな行程なのです。

この山越えが苦痛になり、まもなくバス通学に変えました。
横浜駅から相鉄バスに乗り、国道一号線沿いの岡沢町という停留所で降ります。
経営学部の校舎まではそこから徒歩5分ほどです。
しかし、道路の渋滞が時間通りにバスを走らせてはくれません。

そして、もうひとつ「敵」がいました。
岡沢町というバス停の前に、「岡沢ボウル」というボウリング場がありました。
バス停で降りても学校には行かずボウリング場へ、なんてことが日常茶飯事でした。

この岡沢ボウルには、当時の仲間と足繁く通いました。
所属プロの山本由美子さんをはじめ、フロントの方とも親しくなり、常連の皆さんからも可愛がっていただきました。
マイボウル、マイシューズを購入し、トーナメントにも頻繁に参加しました。
トーナメントへの参加率は、大学のゼミへの出席率を確実に上回っていたと思います。

なお、余談ですが、残念ながら岡沢ボウルは平成17年5月に閉鎖されてしまいました。

 

卒業して30年。先日久々に家族でボウリング場に行きました。
そこで見たのは、私が知っているボウリングとは様変わりしていました。

とにかく驚いたのは、ボウリング独特のマナーが消滅していたことです。
それは、「隣のレーンの人と同時投球をしない」というマナーです。

ボウリングのレーンは隣との距離が狭いため、同時に投球すると危険が伴います。
また、集中力を妨げることにもなりますので、一般的に右側の人が優先とされています。

しかし、この日見たボウリングには、「同時投球」という概念がありませんでした。
隣の人には目もくれず、ピンめがけてひたすら投げる若者たちで溢れていました。

思うに、若い人達はマナーを守っていないのではなく、知らないのではないでしょうか。
一方で、ボウリング場側は「楽しく遊ぶために、最低限のルールを守りましょう」とあまねく知らせる努力を怠っているのではないかと感じました。
このままでは、ボウリングのマナーやルールは消滅する危機に瀕している、と言っても過言ではないと思います。

異次元を感じたのはそれだけではありません。
というのも、私が投げようとしたとき、突然、館内の照明が消えたのです。
何が始まるのか分からず呆然としていると、この後の投球でストライクが出るとご褒美がいただける、というイベントであることを知りました。

以前、各レーンに1本だけ赤いピンが含まれていて、そのピンがヘッドピンにきたとき、ストライクを出すと景品がいただけるという企画に遭遇した記憶があります。

しかし、今回はボウリング場が一体となって行われていました。
照明が消えたあとには、DJのごとき館内放送が流れて、イベント開催が告げられ、スタートの合図とともに、隣のことなど我関せず、一斉に投球をはじめるのでした。

そう・・、週末のボウリング場で見た光景は、スポーツというよりもゲームでした。
裏を返せば、若者層を取り込むために、ボウリング場も色々趣向を凝らしているのでしょう。
私は間違いなく浦島太郎でした・・。

因みに、私は薄暗い中、ストライクを一度出すことができました。
ちょっとした記念品と、ポラロイドで家族写真を撮っていただきました。
時代の趨勢なんだなあと、アンビバレントな心情に浸った休日でした。

補足:ボウリングのマナーの一部を下に記します。常識だったんだけどなあ・・。
☆投球の際にファールラインを越えない
☆ロフトボウルをしない(ボールをドスンと投げない)
☆アプローチで飲食をしない
☆投げ終わったらアプローチから速やかに降りる
☆靴下は必ず履く

014 蓴羹鱸膾

今日は朝から健康診断に行ってまいりました。
先週後半は夏期休暇でしたので、気が緩んで少し体重が増えてしまいました。
健康診断を控えた今週のランチは、水曜日を除く4日間、蕎麦!
ちょっと女々しい行為と感じつつ、低カロリーなメニューでお昼を過ごしました。

さて、健康診断最初の項目は身長と体重測定。
測定器に乗って待つこと10秒。
プリントされてきた紙に書かれた数値は「172.5cm、65.95kg」。
蕎麦の効果か否か、休暇中の増加分はお釣りがくるほど減っていました。

ところで、私が毎年のようにひっかかるのは「中性脂肪」。
正常値は30~149mg/dLだそうですが、私は150〜200の間が多いのです。
「お酒か甘い物か、好きですか?」
と医師に聞かれたことがありますが、私はお酒が全く飲めません。
とはいえ、子供のようにお菓子を毎日食べるわけではないので、結局は運動不足なのでしょうか。

全ての検査が終わり、医師との診察になりました。
医師が、私の血液検査の結果が書かれた用紙をみているそばから、「中性脂肪はいくつですか?」と尋ねると、125とのことでした。

「いや〜、美しい数値ですね〜。」
思わず口をついてしまいました。

「検査結果は総じて優秀な部類ですが、運動するよう普段から心がけて下さい。」
医師はたしなめるように仰りました。

ところでこの医師。もう何年も健康診断の際にお目に掛かっていますが、とっても温厚で優しい男性医師なのです。
年に一度しかお会いしませんが、先生もなんとなく私が印象にあるようでした。
すると、診察の途中に突然、
「伊豆アート印刷って名前、どういう由来なの?」
と尋ねてきました。

「私の父が伊豆の出身なので・・。」
「伊豆のどこ?ボクは東伊豆の出身なんだよ。」
「そうなんですか。父は長岡のちょっと北です。ん・・、韮山の近くです。」
「あー!韮山ね。田舎なんだけど、韮山高校なんて優秀な学校もあるよね。」
「はい。韮山高校は甲子園で優勝したこともあるんですよね。」
「よく知ってるね!すっごい昔だよね。正に文武両道だね。」

診察室は妙な盛り上がりをみせていました。

「なんのことやら、さっぱりわからんでしょ。」
医師から問われた女性看護師さんは、
「はい、まったく・・。」
「いいのいいの。数値が高いとか、運動しなさいとか、お酒は控えなさいとか、そんな話より何倍も楽しいねぇ♪」

先生はとっても楽しげでした。
よっぽど楽しかったのか、いつもより長く診察してくださり、ちょっぴり痛みも長引いた直腸診でした。

参考:韮山高校は1950年第3回選抜高等学校野球大会の優勝校です。