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086 克己復礼

今年のアメリカ大リーグのワールドシリーズは、シカゴ・カブスが優勝しました。
実に、1908年以来、108年ぶりの優勝だったそうです。

カブスが世界一から遠ざかっていた理由として「ヤギの呪い」があるからだ、と言われています。

1945年のワールドシリーズ第4戦、カブスの熱心なファンだったビリー・シアニスさんが、ペットのヤギ「マーフィー」を連れて観戦に来ると、臭いを理由に入場を拒否されました。
怒ったシアニスさんは、恨みの言葉を投げつけて球場を後にしました。
“Them Cubs, they ain’t gonna win no more.”
「カブスは二度とワールドシリーズに勝てなくないだろう」
すると、この年のカブスはタイガースに第7戦で敗れ、以降、今シーズンまで70年もの間、ワールドシリーズに出場することすらできませんでした。

ビリーさんはいつも「マーフィー」のための座席も購入して球場に来ていたそうです。
1945年の出来事ですから、終戦の年にあたります。
海の向こうでは、山羊を連れて野球観戦か・・・・。
若干複雑な思いも湧いてきます。

そもそも大リーグは30球団で編成されています。
12球団の日本とは規模が違います。
呪いがなくても、30チームのトップになるのは、大層なことだと思います。
4人で遊ぶ麻雀でトップを取るのでさえ、結構大変ですからね(笑)。

話は変わりますが、先週末に私が幹事を務めているゴルフコンペがありました。
しかも、迎えて100回目という節目の大会でした。

平成4年の5月に創始し、遂に100回目を迎えたのですが、第1回からずっと幹事を務めてきましたので、やや感慨深い思いに包まれました。

さて、肝心のコンペの結果ですが、優勝の栄誉に浴したのは、内田くんでした。
朝から冷たい雨に見舞われ、ピンポジションも難しい中、グロス92で堂々の優勝でした。

最多で31人が参加したことのあるこのコンペですが、100回大会の参加者は13人でした。
13人とはいえ、優勝するのは簡単ではありませんし、大変名誉なことです。
現に、私が最後に優勝したのは2013年12月ですから、3年も遠ざかっています・・・・。

ただ、年齢のせいか、最近は「勝つ」よりも「克つ」ことの大切さを感じています。

ゴルフも仕事も、時の運や相手との力関係がありますから、連戦連勝とはいきません。
しかし、自分に克つことは、自分次第で勝率100%も可能です。

些細であっても、小事であっても、自分に克ち続けることが大事なのではないか…。
心だけは折れないようにすれば、人生にもビジネスにも負けないのではないか…。

50代半ばになると、若い頃には思いも及ばなかったことを考えるものです。
不況業種の渦中で、もがいている現れなのかもしれません。

079 妙計奇策

今日はゴルフコンペでした。
ここしばらくすっきりしない天気が続いていましたが、今日は運良く好天に恵まれました。
因みに、私の成績は、11人中8位・・・・。ダメダメでした。

このコンペは年に4回開催していて、1992年の第1回大会以来、ずっと私が幹事を務めており、今回は第99回目の大会でした。
そうです、次回は第100回という大きな節目を迎えるのです。

コンペの創設時、私はハンデキャップについて一計を案じました。

新ペリアは有り触れていて面白味に欠ける・・。
かといって、優勝すると3割カット、準優勝は2割カットでは無味乾燥だ・・。
ローハンデになった時のモチベーション低下を、どうにか回避できないか・・。

試行錯誤の末、以下の公式を編み出しました。

HDCP={(直近3走の平均グロス+コンペでのベストグロス)÷2-72}×0.8
ただし、優勝は0.8、準優勝は0.9、3位は0.95を乗ずる

具体的な例を挙げて説明します。
ベストグロス83の松山くんのここ3走の成績を以下の通りとします。

第93回大会 Gross 104→5位
第94回大会 Gross   95→6位
第95回大会 Gross   98→10位

上の公式に当てはめると、
過去3走の平均グロスは、(104+95+98)÷3 なので、99。
これに自己ベストを加えて2で割ると、(99+83)÷2=91。
で、72を引いて0.8倍すると、(91-72)×0.8=15.2。
第96回大会のハンデは、15.2ということになります。

もう少し続けます。
仮に、松山くんがハンデ15.2で臨んだ第96回大会を、Gross85で制覇したとします。

第96回大会 Gross 85  HDCP 15.2→優勝

すると、次の大会でのハンデはこうなります。
過去3走の平均は、{95+98+(85×0.8)}÷3=87 (優勝時は0.8倍)
以下、[{87+83)÷2}-72]×0.8=10.4

ハンデ15.2で優勝した次走は、ハンデが10.4に減少されます。
「優勝者3割カットルール」だと10.6になるので、大きな差はありません。
しかし、大きな違いは、3走後に現れます。

第97回大会 Gross 99  HDCP 10.4→10位
第98回大会 Gross 95  HDCP 10.9→6位
第99回大会 Gross 96  HDCP 10.5→7位

仮に97回、98回、99回大会の結果が上記のようだとすると、100回大会時のハンデは、
[{(99+95+96)÷3+83}÷2-72]×0.8=14.3 となります。

3大会はシングルハンデ寸前の厳しい状況でしたが、直近3走がハンデ計算の対象なので、4走後には優勝時のハンデカットから逃れられるため、復活することができるのです。

また、もうひとつの特長は、不調で大叩きが続いていても、直近3走の平均グロスに自己ベストを最後に加えて2で割るので、さほど大きなハンデにはならないことです。

同様に、優勝・準優勝と好位が続いた時も、自己ベストを足すことで極端なローハンデになるのを防ぐことができます。

24年前に私が考えたこの公式。
特許取得も可能な画期的計算方法だと、本気で思っているのですが・・。

077 魯魚亥豕

魯魚亥豕(ろぎょがいし)。
字形が似ていて、書き誤りやすい文字のことを指します。

私の名前は「雅己」と書きますが、この「」は少ない画数の割に、厄介な漢字です。
」「」「」と似た字が3つあります。
三画目の書き始めが上だったり下だったり、挙げ句に真ん中もあるので面倒なのです。

因みにこの3つの漢字の読み方は、各々以下の通りです。(出典:http://kanji.jitenon.jp/)
(音読み)こ、き(訓読み)おのれ、つちのと
(音読み)い  (訓読み)すで(に)、や(む)、のみ、はなは(だ)
(音読み)し  (訓読み)

昔の人はこれらを区別して覚える工夫をしていたようです。
上記の読み方を念頭に置き、下の文を解釈してみて下さい。

こきの声、おのれつちのと下につき、いすでは半ば、しみは皆つく

おのれは下に、は上に、すでに・やむ・のみ中ほどにつく

先人たちはすこぶる風流ですね。

こうしてみると「み」と読ませるためには「」と書くべきなのかも知れません。
ひらがなの「こ」は、「」の草書体だそうですし・・。

ただ、私と同じパターンも結構見受けられます。
元読売ジャイアンツの投手・槙原寛さんは「ひろみ」。
タレントの松本伊代さんのご主人・ヒロミさんの本名は小園浩と書いて「ひろみ」。
元・光GENJIの諸星和さんは「かずみ」。

何故、こうしたことが起こったのでしょうか?
」は常用漢字ですが、「」は常用漢字でないことが要因なのでしょうか?

ネットには面白い意見もありました(投稿者不明)。

」には「自分」という意味があります。
「自ら」の語源は「身・づ・から」で、「実践躬行」の「躬」も「み」と読みます。
つまり「」は「自分自身」という意味で「み」と読めるのです。

ん・・、結局、理論的に説明はできません・・。

なお、私の父は克(かつみ)といいます。
ちょっとあり得ない気もするのですが「」です。
聞いたところでは、戸籍と住民票と保険証の字が全部異なっていたそうで、戸籍に記載されている漢字が正しいとの原則に則り、「」に統一したとか。
昔は全て手書きでしょうから、この類いの混乱は珍しくないと思います。

こんなにややこしい漢字ですから、私も、日常的に間違いに遭遇します。
「雅」と書かれることには、かなり慣れました。

しかし、友人の一人が、毎年年賀状の宛名を「雅美」と印字してきます。
それから以前、ゴルフコンペの出走表に「雅光」と書かれたことがあります。
この2件は、「」とか「」とかの問題ではないですからね。

特に小学校の友人のN君。
長い付き合いなんだから、いい加減「雅美」は直して欲しいですね(笑)。

076 百人百様

この週末、セガレの通う中学校では文化祭が催されました。
1年前は受験生の親という立場で見学した文化祭を、今年は生徒の親として参加する訳で、感慨深い思いとともに、月日の経過の早さを感じます。

しかし、親と子供のテンションには、ちょっと温度差があるな、と感じました。
というのも、セガレの所属する卓球部は、練習試合も企画も展示も特にないとのこと。
中学1年生としての企画には参加するようですが、本人はさしたる思い入れはない様子。
終いには、自分が担当として企画に携わる時間帯には来てくれるな、と。

友人といるところに自分の親が現れるのを恥ずかしいと感じる年頃、なのでしょう。
「明日は親が来るんだよ。いやだなあ」と友人のM君も言ってたとか。

まあ、分かる気がします。
振り返ってみれば、自分にも思い当たる節がありますので。
確か「お母さん」から「おふくろ」に呼び方が変わったのは13〜14歳だったと思います。
「お母さん」と呼ぶのはえらく恥ずかしいしカッコ悪い、と感じたのを覚えています。

ふたつ上の姉に対しては、「おねえちゃん」が「姉」になりました。
そうです、「あね」と呼ぶようになったのです。
アクセントは「あ」のところです。
「橋」ではなく「箸」と同じアクセントです。
どうでもいいことですね…。

さて、肝心の文化祭は、私の親友であり、セガレの大先輩にもあたるたけちゃんが来校してくれたお陰で、2倍楽しく過ごせました。
イベントや企画、展示などを様々見て回りましたが、往々にしてオタクと称されがちな部員たちの活躍が光っていました。

例えば生物部。
大量の生物の標本の前で、詳細に説明をしてくれたのは、とても頼もしい高校2年生でした。
蝶と蛾の違いを解説してくれたり、害虫ではないゴキブリの話を聞かせてくれたり。
将来はその道に進むと?と聞いたら、「これでは稼げないですから」と。
なかなか、しっかりした学生さんでした。

例えば天文部。
OBのたけちゃんによると、手作りプラネタリウムが昔から有名なのだそうです。
LEDを1500個使用した段ボール製のプラネタリウムは、なんと作成期間11ヶ月。
文化祭が終わったら解体し、すぐに来年の文化祭の準備に取り掛かるのだそうです。
大きさは直径5メートル、高さ3メートル。
東京ドームのおよそ7300分の1です、との説明は笑いを誘っていました。

例えば日本の城研究会。
天守閣のあるお城は現存12あって、関東以北では弘前城が唯一だと教えてくれました。
夏合宿での研究成果も掲示してありました。
走って、腹筋鍛えて、腕立てやって、だけが合宿じゃないんですね。

みんなちがって、みんないい。
金子みすゞさんの言葉を思い出しました。

064 感謝感激

ある資料によると、日本にはおよそ822,000人の山田さんがいて、日本の苗字ランキング、第12位だそうです。
印象としては、もうちょっと順位が上でもいいような気がします。

学生時代、周囲には、大抵私以外の「山田さん」がいました。
一番面倒だった思い出は、山田仁美さんという女性がクラスにいたときです。
ちょっと短気な体育の先生が、出席をとろうとして「山田」が混合したらしく、

『やまだまさみ、やまだひとみ、お前はどっちなんだ!』

とご立腹になったことがあります。
私は自分の名前が女性っぽいことを重々承知していますので、こういうことには慣れていますが、やまだひとみさんは女性ですからね、さぞイヤな思いをしたでしょうね。

そして、私には、山田という同姓の親友がいます。

彼の外見上の特徴は、185cmの長身。強面。威圧的。鳩胸。そして、凶暴。低音。
20年以上前、彼とよく飲みに行ったのですが、どちらも山田なので、お店では『大きい山田さん』『小さい山田さん』と、呼び分けられました。
これは正直あんまり気分が良くありませんでしたね(笑)。

で、先日、その大きい山田さん夫婦と焼肉を食べに行きました。
その際、第一志望校合格おめでとう、とセガレに入学祝いをいただきました。
そのほかにもうひとつ、スペシャルでサプライズなプレゼントがありました。

青果市場の店長でもある彼が用意してくれたのは『太陽のタマゴ』。

太陽のタマゴ

今年4月7日の初セリで、1箱2玉入りが20万円で競り落とされた宮崎産完熟マンゴーです。
彼曰く、今も有名果実店で、1個15,000円ほどで売られているのだそうです。
54歳にして、ワタクシ、初めて実物とご対面しました。

そして、その味は・・、

濃い!
甘い!!
深い!!!

言葉に尽くせぬ感動的な味でした!
今まで食べていたマンゴーとは、全く違う種類の食べ物でした!

太陽のタマゴ02

こんな高級品、ゼッタイ自分では買わないでしょうからね。
人生最初で最後の太陽のタマゴかも知れません。
いや〜全く有難いですね。

 

市場というところには、普段スーパーではお目に掛かれない商品が数多くあります。
特に、彼の店は、一級品を数多く揃えているので、心奪われる商品が所狭しと並んでいます。

見たこともないようなサイズ感の果物だったり、
何かと何かを掛け合わせた見慣れぬ新種だったり、
全く時季外れの商品が当たり前のように陳列されていたり・・。

千住市場の関水青果さんです。
一般の方も入場できます。
でも、市場ですから、午後は閉まってしまいます。
午前中早い時間帯に、ぜひ、足をお運びください。

060 春日遅遅

先週日曜日、横浜&横須賀に行ってきました。
目的のひとつはセガレの合格祈願をした天神様へのお礼参りです。
永谷天満宮と岡村天満宮、そして久里浜天神社に行ってきました。

同行してくれたのは横浜在住のたけちゃん。
彼は私の小学校時代からの親友であり、セガレの中学校の先輩にあたります。

彼と私の最近の関係は、平たく言うと「御朱印仲間」。
この日もお互いの御朱印帳を持ち合いました。

鎌倉五山や鎌倉十三仏の御朱印を見せてもらいましたが、これが豪儀で見事!
特に鎌倉十三仏の十三番札所・成就院での結願印は、大変印象的でした。
総じて、神社の御朱印はシンプルで、お寺の御朱印はダイナミックと言えます。
私は神社派(?)なので、お寺派・たけちゃんの御朱印帳は大層重厚に感じました。

昼食は、観音崎京急ホテルのビュッフェを予約しておきました。
小雨が残っていて、窓から見渡す海はやや煙っていましたが、優雅な90分でした。
また、お世話になっているお客さんと、レストランでばったり出会いました。
お互い自宅から遠く離れた横須賀で数年ぶりにお目に掛かるとは、世の中は狭いですね。

そして、午後は浦賀にある東叶神社と西叶神社を参拝しました。
ここを参拝することが、御朱印オヤジたちのもう一つの目的でした。

叶神社の歴史は、黒船来航よりも遙か昔にさかのぼります。
平安時代末期、京都・高雄山神護寺の僧侶・文覚上人が、源氏の再興を祈願して第15代天皇である応神天皇をご祭神として建立しました。
建立後、数年のうちに平家が滅亡し、源頼朝による鎌倉幕府の設立・・・・と、源氏の再興が見事に叶ったことから、「叶大明神」と呼ばれるようになったとのことです。

この東西の叶神社は、海(入り江)を挟んだ対岸同士に位置しています。
ポピュラーな参拝方法は、まず、西岸の叶神社で勾玉をいただきます。
そして、渡し船に乗って対岸へ渡り、東岸の叶神社で勾玉を入れる袋をいただくのです。

この渡し船が、のどかで楽しいのです。
乗船料は片道200円。
時刻表はありません。
船がいない時は、ボタンを押すと対岸から迎えに来てくれるシステムです。
黒船の来航や咸臨丸の出港など、昔を偲びつつ、麗らかな時間を過ごすことが出来ました。

浦賀の渡し

なお、「叶神社」という名前の神社は、ここ浦賀にしかありません。
「願いを叶える神社」
これほど縁起の良い名の神社は、ほかにはないでしょうね。

この日、参拝者の中に外見がちょっと派手な女子3人組がいて、東西の両神社ですれ違いました。
しかし、そんな彼女らの視線を気にすることなく、御朱印オヤジは勾玉と袋を嬉々として選び、春の三浦半島で、ややオタクで楽しい週末を過ごしました。

叶神社御朱印

注釈:向かって右が西叶神社、左が東叶神社の御朱印です。
東口に西武、西口に東武デパートの池袋駅のごとき位置ですが・・・・。

056 暮雲春樹

平成22年1月4日、
49歳という若さで逝ってしまった「ユミ」は、今年七回忌を迎えました。

節目の時期から2ヶ月遅れてしまいましたが、先週日曜日、墓参に出向きました。
ユミは、ご両親が暮らす静岡県三島市に眠っています。
1年3ヶ月ぶりの再会でしたが、お彼岸の中日に会えて、良かったなと思っています。

一緒に行ったのは、大学の同級生2人と、その奥さん1人。

同級生の1人は、福島市に単身赴任中の「ミゾ」。
広島出身のミゾは、酒も結構飲むし、不規則な生活をしている割には、中年太りとは縁がなく、大学時代よりも体重が減って、現在53kg!
身長は私と大差ないので、たぶん172〜173cm。
メタボは全く心配ないけど、ある意味心配かと・・・・。

いつも飄々としているミゾは、この日も「時間に遅れそうだから先に行ってくれ」と電話をしてきたかと思ったら、発車時刻ギリギリに新幹線に飛び込んできました。
スリムな体型を活かして、東京駅構内をダッシュしてきたようです。
しかし、そこは50代半ば。
新横浜駅あたりまでは、虫の息でしたね。

もう1人は、数年前に自宅を新築し、また借金生活だ!と苦笑している「あっちゃん」。
大学時代から穏健な男で、知恵袋的存在だった彼は、近年手足の痺れに悩んでいます。

「分かりやすく言うと、左手では大ジョッキが持てない。」

明るくそう言う反面、
「ちょっとずつだけど、時間と共に進行しているような気がする。」
とも言います。

手術も受け、脊髄症を疑われているものの、病名も原因も今一つはっきりしないために、治療法もどこか手探りなのだそうです。

「少し酒を控えようと思って、自分から誘うのを止めたら、週の半分が休肝日になった!」

お酒の量が減るのはきっといいことなのでしょうが、やっばりあっちゃんには、
大ジョッキで軽やかに乾杯して欲しいな、と思ってしまいます。

そして、もう一人。
墓参には一緒に行かなかったけれど、大切な友人のひとりが、近年体調を崩しています。

大学時代の彼を一言で形容すると、「天真爛漫を絵に描いたような若者」でした。
私は彼の下宿に頻繁に泊めてもらいました。

そして、ある試験の前夜・・・・。
「授業には出ていない、試験範囲は分からない、頼りになる友人もいない、まいった。」
私が煎餅布団で悶々としていると、
「お前な、今日それを考えて、結論出るか?出ないだろ。じゃ、寝ようぜ。」
まもなく、彼のイビキが聞こえてきました。
明日のテストに向けて、何ひとつ準備もせず・・・・。

あ~、自分もこういう思考回路になりたいなあ、とつくづく思ったものです。
奔放で悠然とした彼と違って、うじうじした自分が、とても煙ったく感じました。

しかし、時を経て、立場が変わり、双肩に担うものが増え、少しナーバスになったようです。
彼とは、仕事の環境が似ているので、決して他人事ではありません。
私も正に紙一重、明日は我が身です。

しかし、私には、彼に何の力も与えられません。
春の訪れと共に、少しずつ前に進めるよう、ただただ、ひたすら、願うばかりです。

遠く離れた友を思い、心を痛めています。
改めて自らの足下も見つめ直しつつ・・・・。

053 万死一生

我が家のセガレは小学校6年生です。
つい先日、中学受験を終え、運良く第1志望の学校から合格をいただきました。

そして、今日、2月11日は、「統一招集日」でした。

これは、一部の私立男子校が同じ日、同じ時間に実施している「合格者招集日」のことで、例年2月11日の13時なのだそうです。

因みに、この招集に応じないと、入学拒否と見なされます。

なぜ、同じ日時に保護者同伴で招集するかというと、学校側が入学予定者数を把握し、定員充足に向けて必要な 「繰上げ合格者」を出すことができるからと言われています。
即ち、この日は、繰り上げ合格連絡の日、でもあるのです。

昭和55年3月、私は、第1志望だった大学の合格発表から漏れました。
遺憾ながら、第6志望の大学への入学を決めました。
入学金に加え、授業料も振り込みました。

その後、高校の同級生とスキーに行きました。
誰がどこに受かったとか、様々な情報が入ってきました。
なんだか、凹みました。
苗場のシングルリフトで寒風にさらされ、いじけたのを覚えています。

スキー旅行から帰宅したその夜、自宅の黒電話が鳴りました。
昼はスキー、夜は麻雀という3泊4日から戻った私は、かなりヘトヘトでした。
家人が誰も電話をとらないので、舌打ちしながら嫌々受話器を取りました。

「はい、もしもし・・。」
「山田様でしょうか。こちら、横浜国立大学経営学部学務課の中村ですが・・・」

ありゃりゃ、受験の時、何かやっちまったかな??
確か、タバコは吸っていないよな??
不正行為なんて、ゼッタイしてないし・・。

瞬間パニックに陥りましたが、電話の趣旨は「繰り上げ合格」でした。

あるんですね。こういうことって。

そして、今日。
塾で親しくさせていただいたお母さんから、一報がありました。
ご子息が開成中学に繰り上げ合格になったと。

18歳の春を思い出しました。
我が事のように嬉しかったです。

043 美味求真

今朝、息子を車で塾まで送り、その後会社へ向かいました。
そして、残務を手早く片付け、高い秋空のもと、ウォーキングに出かけました。

まず、向かったのは牛天神北野神社です。大江戸線春日駅から10分ほどで着きました。

その由緒は・・、
鎌倉時代、源頼朝公が奥州東征の途中でこの地に休まれた際、菅原道真公が夢に現れて「二つの喜びがある」と告げられました。
翌年その喜びがあり、当地にあった現在の「ねがい牛」をご神体に、太宰府天満宮より魂を勧請したのが同社の始まりと伝えられています。

都会のド真ん中でありながら、小高い丘に建つ神社は静かで厳かな雰囲気でした。

参拝後、外堀通りを水道橋駅方面へ歩きました。
スターバックスコーヒーを左側に見ながら、小石川橋の交差点を南に渡ったとき、昔、ノーヘルで原付を運転中、この辺りでパトカーに止められたことを思い出しました。
しかも、青紙にサインをしなさいという警官の指示を拒否して、えらく叱られたっけ。
当時流行っていた横浜銀蝿が、私のどこかのパーツに影響していたのでしょうか(笑)。
今から30年以上も前の出来事です。

遠い昔の出来事に思いを馳せながら、私の足はある喫茶店を目指していました。
そこは、神保町の路地裏にある高校時代の思い出の店、「さぼうる」です。

高校生が喫茶店ですから、背伸びしてブラックコーヒー・・、と思いがちですが、私のここでの楽しみは「いちごジュース」でした。
男子高校生が何でいちごジュースなんだ!!と仲間は私を嘲笑しながらも、こりゃウマイ!と、私のジュースを一口飲んでは、皆、感動していました。

そういえばピザトーストも美味しかったなあ・・と思いながら店の前に着くと「日曜休業」の看板が・・。
思いつきで行動すると、こういうことになりますね。

いちごジュース&ピザトーストの夢が破れたので、次は神田藪蕎麦をターゲットにしました。
平成25年2月に火災で焼失しましたが、翌年秋に営業を再開した蕎麦の老舗です。
このまま行けば11:30の開店ちょうどくらいに着くぞ!と鴨南蛮モード全開で店に入ると、20人くらいのお客さんが列を作っていました・・。
日曜日のお昼時、ちょっと考えが甘かったですね・・。

そこで、今年オープンしたマーチエキュート神田万世橋へ行きました。
さあて、どこに入ろうか・・と思ったその時、「築地鳥藤直伝・究極の親子丼」という看板に心を奪われ、迷わず「むぎとオリーブ」という店に入りました。

先程まで鴨南蛮が占めていた私の味覚中枢を、卵とろとろの親子丼が一気に占領しました。
食してみると、これが美味い!しかも、鳥スープ付きで800円はリーズナブル!!

さぼうるも藪蕎麦もすっかり忘れて、満たされた気持ちでお支払いをしていると、そこはかとない違和感に包まれました。

・・・私以外のお客さんは、皆、ラーメンを食べているのです。
アレレ、こんなおしゃれな店構えなのに、ラーメン屋だったの?
店を出てからよくよく看板を見直しました。すると・・、

ミシュランに掲載された銀座「むぎとオリーブ」の支店??
店名の下には「CLAM(はまぐり)RAMEN」の文字が!!
鶏・煮干・蛤のトリプルSOBA!?

なーんだ、ラーメンで超有名なところだったんですね・・。
やっぱり行き当たりばったりはダメですね・・。

IMG_4609

余談:
因みに、横浜銀蝿の正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」です。
横浜の大学に通っていた私にとって、
そして、大人と子供の狭間にいた私にとって、
突っ張っている彼らに、どことなく共感できる部分もあったのでしょう。
彼らは一度解散しましたが、その後活動を再開し、現在も活動中だそうです。

041 海内無双

シルバーウイークの初日、家族で学園祭を見学に行きました。
ここは東京で三本の指に入る、私立の名門男子中学校です。
そして、ここの学園祭は大人も楽しめると評判の、知る人ぞ知る学園祭なのです。

学園祭は、その学校の雰囲気や生徒の特徴を把握する良い機会と言われています。
セガレの受験を来春に控えている我が家も、遅ればせながら見学に行った次第です。

今日の見学にあたり、後押しをしてくれた人が2人います。

ひとりはセガレの通う学習塾の塾長先生。
個人面談で「山田君にお薦めしたい学校の一つです」と聞かされました。
よくよく話を聞くと、塾長本人の母校のようです。
生徒全員に薦めているのではないでしょうか(笑)。

そしてもうひとりは、私の小学校時代の親友・たけちゃんです。
彼も塾長先生同様、この学校のOBです。

私の中でたけちゃんは、「秀才といえばこの人」という存在です。
彼は勉学に秀でているだけではなく、品があります。お育ちが良いのです。
中学・高校・大学にも優秀な友人はいましたが、トータルで彼を凌ぐ者はいませんね。

そして、彼のご子息は神奈川県の有名私立校から、現役で公立の医学部に合格しました。
さらに、お嬢さんは慶應義塾大学に、これまた現役合格を果たしました。
もちろん、奥さんもステキです。料理は上手だし、私の冗談話にも付き合ってくれるし。

まさに雲の上の存在です。
あまりに優秀すぎて、まるでドラマの家族のように感じています。

そして、今日、学園祭を見学した感想は・・・・、

さすがたけちゃんの母校、知的で品のいい生徒さんで溢れていました。

残念だったのは、セガレの体調が今イチで、予定通りに見学できなかったことです。
それでも実際に学校へ足を運んで良かったと思っています。

土曜も日曜も塾に通うセガレですが、本命校がまだ決まっておらず、焦りを感じ始めている反面、たけちゃんの母校が目標校のひとつであることに、どことなく歓喜しています。
少しでも、ほんの一歩でも、セガレがたけちゃんに近づけたらなあ、と思っています。

あ・・、でも・・、
父親の品格がまるで違うか・・・・。
これは難題だ・・・・。