勉強」カテゴリーアーカイブ

151 蓋世之材

年齢を重ねるとともに、テレビをあまり見なくなりました。
夕食どきになんとなくテレビのスイッチを入れてはみたものの、興味のある番組がなく、結局消してしまうことも少なくありません。

そんななか、クイズ番組は比較的よく見ます。
なかでも「Qさま」と「東大王」が我が家のお気に入りです。

特に「東大王」で、現役東大生が難問をいとも簡単に解いていく様は、驚きというか、感動というか、痛快というか・・。
スポーツ選手も、イケメン俳優もいいけれど、ずば抜けて頭がいいのもカッコイイなと感じます。

そんな東大生の姿をテレビで頻繁に見かけると、本業の勉強が疎かになっていないかと思ったりもするのですが、それは凡人の杞憂なのでしょう。

ところで、私が20代のころ、「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組が一世を風靡しました。
国内の予選会を皮切りに、最後はニューヨークで優勝者を決めるという、壮大なスケールで人気を博しました。

突然ですが、上の写真は、さいたま市岩槻区にある久伊豆(ひさいず)神社の拝殿です。
この神社は、1987年に「アメリカ横断ウルトラクイズ」の国内第二次予選会場になったことで、知名度が急に上がりました。

何故ここでウルトラクイズの予選を開催したかというと・・

「久伊豆」が「クイズ」とも読めるから。

この名称を持つ神社は、埼玉県神社庁に登録されているだけで44社もあるのですが、何故ここが選ばれたのでしょうか。
久伊豆神社については、別の機会により詳しく書いてみたいと思います。

144 臥薪嘗胆

漢検準一級の受検が終わり、2週間が経ちました。
今回の受検を一言で表すと「撃沈」です・・。

予想はしていましたが、想像以上に本試験問題の難易度が高かったですね。
試験問題は「読み」から始まるのですが、「田爺」という問題を見たとき、「なんだこりゃ・・」と感じ、その後の「共通する漢字」で打ちのめされ、「誤字訂正問題」で袋叩きに合い、「四文字熟語」のところで心が折れました。

四文字熟語は、単語帳3冊分を覚えました。
テキストに掲載されていたものは、ほとんど書き写し、勉強したつもりです。

しかし、意味と読みを問われる問題の選択肢8つのうち、知らない四文字熟語が4つも出題されました。
ここで、キレたというか、諦めたというか、やさぐれたというか・・、様々な感情が交錯して、自分をコントロールできなくなってしまいました。

この時点で負けが確定しましたね。
本番に弱いタイプではないと自負していましたが、平常心で臨むことができませんでした。

会場を出てから「田爺」をググってみましたが、出てくるのは台湾のレストランばかり(笑)。
後日、模範解答が郵送されて、「でんや」と読むことをようやく知りました。
私は「でんじ」と解答しました・・。

合否発表はまだ先ですが、自己採点が153点ですから、実際は140点そこそこではないでしょうか。
悔しさだけが残った漢検準一級への挑戦ですが、このまま引き下がる訳にはいきません。
今年6月に開催された平成30年度第1回試験の合格率が6.3%だったことを考えると、非常に狭き門ではありますが、いつか合格を勝ち取りたいと思っています。

因みに、今日10月27日は「文字・活字文化の日」だそうです。
特に意味はないのですが、リベンジを誓う日としては最適なのかと思います。
もう57歳、まだ57歳・・。
「雨垂れ石を穿つ」の心持ちで、努力していきたいと思っています。

143 磨穿鉄硯

漢字検定の受検日が来週日曜日に迫りました。
そして、昨日、受検票が届きました。
いよいよ近づいてきたな、という思いです。

今日の日中、母親に来週が漢検の受検日であることをメールで伝えると、

「中年のおっさん(笑)頑張れ〜★」

と返信がありました。
因みに★は笑顔の絵文字。

「(笑)」があったり、
「〜」があったり、
絵文字があったり、
81歳の老人にしては、メールが上手です。

今週が検定前最後の週末となりますが、幸いなことに月曜日が祝日です。
この三連休は、最後の詰めの勉強に励みたいと思っています。

週末にやる、と決めている本試験型問題集の今月の得点は、172点、170点、161点。
合格圏内ではありますが、あくまで模擬テストですから、もう少し上乗せしておきたいです。
「とめ」「はね」「はらい」などで減点されるおそれがありますから・・。

その模擬テスト、採点は専らセガレに頼んでいます。
何故なら、自分では気づかない誤りを発見してくれることがあるからです。

先日、私の書いた「藪」という文字に「×」が付いていました。
何が違うのか確認したところ、左下の「女」の上が「串」になっているから「×」だと。

「おいおい、そこ「串」じゃなくて、どう書くっていうんだい?」

「横棒が1本足りないよ( -_-)」

あまりの衝撃で言葉を失いました・・。
何十年も書き違えていました・・。

以来、採点はセガレに任せることにした訳です。

そういえば、セガレの親友のMくんは、6月に準一級に挑戦したものの、合格点に10点ほど足りずに涙を飲んだそうです。

よし、ここは腐りかけた脳ミソを奮い立たせて、中学3年生の先を越してやりましょうかね。

その前に・・、
失格にならぬよう、受検票に写真を貼らないと・・。

141 一念発起

漢検(日本漢字能力検定)に初めて臨んだのは、かれこれ6〜7年前でしょうか。
受検したのは準2級でした。
7割解ければ合格でしたし、これでも文字を生業とする身ですので、難なく合格を勝ち取ることができました。

しかし、その後に挑戦した2級は、そう簡単ではありませんでした。
問題の難易度が上がるだけでなく、8割の正答率が求められるからです。
この1割、即ち20点が、大きな壁となりました。
毎日テキストと向き合ったというほどではありませんが、傾向と対策をそこそこ練った結果、175点で合格を果たしました。

あれから5年。

次なるステージは準1級ということになるのですが、正直言うと、逃げ続けてきました。
問題の難しさに、尻込みしていたのです。

2級と準1級の難易度の差は、準2級と2級の差の比ではありません。
受検するには、それなりの覚悟が必要です。

しかし、今年の7月上旬、漢検準1級にチャレンジする決意を固めました。

こっそり始めると、人知れず辞めることもできるので、グループラインで仲間に宣言し、引っ込みがつかないようにしました。

一度は諦めた準1級。

擾、鼎、禦、翫、苒、閏、豎・・。
私にとって、初めて見る漢字が頻出します。
読むことさえままなりません・・。

犬牙相制、中原逐鹿、彫氷画脂、蓋棺事定、只管打坐、繋風捕影・・。
四文字熟語も難しいので、3冊の単語帳にびっしり書き込み、日々睨めっこしています。

そういえば、最近、単語帳はアプリに姿を変えているそうです。
ここでもペーパーレス。
ちょっとイヤですね。

そして、3週間ほど前、対策はまだまだ中途でしたが、実力を把握するために過去問を解いてみました。
ネットにも掲載されている、昨年出題された問題です。

結果は、114点でした。
あと46点足りません・・。

しかし、その後も勉強を積み重ねていくと、少しずつ点数が伴ってきました。
先週末には、やや易しい部類の模擬テストで162点を取ることができました。

さりとて、準一級試験の合格率を見ると、かなり厳しい数字が並んでいます。
2015年から2017年までの結果は以下の通りです。

2015年度 第1回  14.8%
2015年度 第2回  9.0%
2015年度 第3回  12.8%

2016年度 第1回  25.1%
2016年度 第2回  15.5%
2016年度 第3回  15.9%

2017年度 第1回 16.3%
2017年度 第2回  22.6%
2017年度 第3回  9.2%

最高でも4人に1人。
平均15.7%ですから、6人に1人です。
文字通り狭き門です。

サイトで調べてみると、模擬テストで9割以上正解できるようにしておかないと、合格は覚束ないとのこと・・。
まだまだ努力が必要です。

ただ、何歳になっても「知らないことを知る」のは楽しいですね。
人間は死ぬまで勉強だ、という言葉は、正に的確だ思います。

最近は、漢検の勉強が、少し楽しくなってきました。
5年間も避けていたことを後悔するとともに、新しいことに挑戦できる幸せを感じています。

私の尊敬する大先輩の言葉「頑張らないけど諦めない」を思い出しつつ、ちょうど1ヶ月後の試験に向けて、楽しく勉強していきたいと思っています。

139 博学多才

先日、一人で映画を見に行きました。
定年退職後の男の悲哀を描いた、内館牧子さん原作の「終わった人」です。

東京大学を卒業後、メガバンクに就職し、エリート街道を走っていたものの、同僚との昇格争いに敗れ、出向先の子会社で定年を迎えるという設定でした。

主演を演じていたのは舘ひろしさん。
スクリーンに映る姿で印象的だったのは、すごく足が長いこと。
そして、スーツがハンパなく似合うこと。
68歳という実年齢とはかけ離れたビジュアルに、大変驚きました。

ところで、私は、東京大学本郷キャンパスから歩いて20分ほどの場所で生まれ育ちました。
しかし、立地的な距離は近くても、偏差値の面では非常に遠いところでした。

ところが、私の実家の近くには、東大出の方がたくさんいます。
実家の向かいのご主人が東大。
2軒となりの息子さんも東大。
なんでも「東大通り」と呼ばれる、東大率が異常に高い一角も近くにあるそうです。

私の同級生にも東大に進んだ仲間がいます。
ひとりは、中学3年のとき斜め前に座っていた青木君。
確か、30代にして、どこかの大学教授に就任したはずです。

そして、同じく中学の同級生で伊藤君。
奥様はテレビ等で有名な方です。

それから、もう一人、印象的な東大生がいます。
セガレの通うピアノ教室で知り合った、現役3年生のTちゃんです。

彼は小さい頃から、抜群にピアノが上手でした。
将来はその道に進むのではないかと思うくらい、その実力はほかの生徒と完全に一線を画していましたが、本人もお母さんもその力量をまったく鼻に掛けないところがまたニクイのです。

中学高校は都内でも指折りの私立学校に進んだのですが、「6年生の秋頃になって急に受験するなんて言い出して・・。本当に計画性がないんです・・。」なんてお母さんは謙遜するのでした。
小学校低学年から塾に通って受験体制を整えている子供がいる反面、彼はわずか半年足らずの準備で合格を果たした訳です。

当然、東大も一発合格・・、ではなく、ここではちょっと回り道をしたようです。
現役のときは運悪く不合格となり、私立の雄と称される大学に一旦は入学しましたが、どうしても東大への夢を諦めきれず、翌年再チャレンジして見事合格を勝ち取ったのです。

もちろん、陰で相当勉強を積んだのでしょうが、いとも簡単にリベンジしたように見えるんですね。
イチロー選手が、スルッと偉業を達成しちゃう、そんなイメージに似ています。

凡人とは、何かが違うんでしょうね・・。
そして、その何かが決定的な差なのでしょうね・・。

サイトによると、平成30年度の一般入試の募集人員は、文科一類から理科三類まで合計で2,960名だとか。

「東大ってさ、毎年2,960人も入れるんだぜ。約3,000人の中に入ればいいんだからさ、ひょっとしたらイケるんじゃない?」

セガレに鎌をかけてみました。

「ああ、だいじょぶっしょ。」

無責任な質問を投げる親に、中身スッカスカの答えを吐き出すセガレ。
like father, like sonですね・・。

131 百花斉放

新聞の大学特集ページで、母校に昨春「都市科学部」が新設されたことを知りました。
この学部は、以下4つの学科を有しているそうです。

  1. 都市を担う人々や文化、社会のあり方を考える「都市社会共生学科」
  2. 都市空間やコミュニティ、生活像をデザインする「建築学科」
  3. 土木工学を軸に防災や環境などの課題に取り組む「都市基盤学科」
  4. 都市の利便性と自然・社会環境から生じるリスクとの均衡を図る「環境リスク共生学科」

建築学科については、横浜高等工業学校建築学科を前身とする歴史ある工学部の理念やノウハウが生かされているのかも知れません。
しかし、これら学科についてサイトをよく見てみると、文系・理系両方の要素を含んでいて、今ドキな印象を受けます。
新聞記事にも、文系と理系を横断した「文理融合」の人材育成が謳われています。
先行研究の少ない、いわば挑戦的な領域でもありますので、今後の発展を期待したいものです。

昭和55年4月。
私が入学したときは、経済学部、経営学部、教育学部、工学部の4つの学部で大学は構成されていました。
そして、私の所属していた経営学部には、経営学科、会計学科、管理科学科の3つの学科がありました。

しかし、設立50周年を迎えた昨年、1学科体制で新たなスタートを切ったようです。
サイトには「特色ある施設・プログラム等」というタイトルで、現在の学部の様子が以下のように紹介されています。

◎経営学部情報センター
100台余りのPC端末が備えてあり、PCを利用した会計教育や英語教育、ビジネスゲームなどを行っています。また、情報検索、情報発信、研究・学習サポートなども行っています。

◎充実した体験型授業
「ビジネスゲーム」では、コンピュータ上に構築された仮想的マーケットの中で、複数の学生が企業の経営者として商品の生産、仕入れ、販売を行い競い合います。また、「マイプロジェクトランチャー」では、学生自らプロジェクトを作成、プレゼンを行い、プロジェクト実践能力を磨いていきます。

e-ラーニングによる効果的な学習
2年次必修外国語科目「英語演習」の課外の自習課題「アルクNet Academy」は、パソコンで行います。これは、TOEIC対策の自習プログラムで、リーディングとリスニング及び模擬演習問題のトレーニングができます。その他にも会計CAIなどパソコンを使った効果的な学習を行うことができます。

企業トップを講師に迎えた講義群
一般的なプログラムの他に、「経営者から学ぶリーダーシップと経営理論」、「ベンチャーから学ぶマネジメント」といった毎週代表取締役クラスの経営者を迎え、様々な角度から企業経営を学ぶ授業があります。インターンシップはこれらの授業を履修してから行います。

PCを利用したビジネスゲーム?
仮想マーケットで学生が経営者として競い合う??
経営者から企業経営を学ぶ???

我々の頃には考えられない授業内容の羅列に、我が目を疑ってしまいました。
35年も経っているのですから、変わって当然なのですが・・。

横浜国立大学は、元々、鎌倉や弘明寺などにキャンパスが分散していましたが、昭和49年8月、程ヶ谷カントリー倶楽部移転跡地に常盤台キャンパスを設置し、これらを統合・移転しました。
私が入学する6年前のことです。

実際、受験前に初めて見学に訪れたとき、学内は総じてキレイでした。
「こんなキレイなキャンパスで勉強できたらいいなあ」と、若干感動すら覚えたものです。
純粋というか無垢というか、受験勉強で心が病んでいたというか・・。

そんな清らかな気持ちで受験したにも拘わらず、入学後は、受験勉強に明け暮れた日々の仇をとるかの如き、遊惰でなまくらな生活に陥りました・・。
入学が決まった時、父から「国の税金を使わせていただくことを肝に銘じて、4年間過ごすように。」と言い付けられたにも関わらず・・。
当時の授業料は年間18万円でしたから・・。

今日は、3月4日。
昭和55年の今日、国立大学の二次試験だったと記憶しています。

共通一次試験の点数で劣っていた私は、ここで大逆転劇を演じなければなりませんでした。
二次試験の願書提出にあたり、過去の入試統計と予備校の自己採点資料をとことん研究し、180人抜き去る必要があるという、実に厳しい結論に至ったのです。

「あそこからあそこの列までの受験生に勝たないとダメなんだな。よ~し!!」

試験会場で、めちゃめちゃ気合いが入っていたのを覚えています。
しかも、38年も前のことが、まるで昨日のことのように思い起こされます。

結果としては・・、
繰り上げ合格だったので・・、
150〜160人くらいしか、逆転できなかったのではないかと思います・・

私の母校は、総合大学と呼べるほど大きな規模ではありませんが、それでも経済・経営・教育・機械・海洋・造船など、様々な分野の学問を学ぶことが可能でした。
しかしながら「大学生は、時間がたくさんあって、お金がちょっとあって、責任がない!」などと傲語していた学生時分を恥じるばかりです。

この歳になって、もっと勉強しておくべきだったと痛感しても、後の祭りですね。

129 狷介不屈

今朝、上野公園に行きました。

最初の目的地は、スターバックスコーヒー・上野恩賜公園店。
店内の大きな窓から、自然豊かな園内が眺められ、とても居心地の良い空間です。
8時の開店と同時に入店し、朝食を食べ、読書をし、1時間ほど過ごしました。

また、このスタバの西側には、上野動物園の表門があります。
9時半の開園まであと1時間半以上あるというのに、こんなに列ができていました。

お目当ては、もちろんシャンシャンでしょう。
テレビ局のアナウンサーかレポーターと思しき女性もいましたし、その人気は相変わらずのようです。

いつからか、ポストもこんな装いになっていたんですね。

さて、私の主たる目的は国立科学博物館での「南方熊楠」に関する企画展の見学です。

み・な・か・た・く・ま・ぐ・す。

スゴイ名前ですね。

正直に申し上げますと、ワタクシ、その存在を知りませんでした・・。
先日、カミさんとセガレが見学してきたと聞き、私も行こうと決めた次第です。

余談ですが、私立中学に通う生徒は、2月1日頃、入試のため学校が休みになります。
我が家の場合、2月1日から3日まで、部活も含めて休校となりました。
その休暇を利用して、親子で博物館に行ったという訳です。

さて、展示を見終えて、南方という人物にとても興味を覚えました。

  • 小学生の頃、全105冊の百科事典「和漢三才図会」を知人の家で閲覧し、それを暗記して自宅で写しを作ったと言われている。
  • 明治17年、東京帝国大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入学。夏目漱石や正岡子規は同級生だった。
  • 学会に入ること、学位を受けることを非常に嫌い、生涯、在野の学者として、研究に勤しんだ。
  • 多数の菌類を集め、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成した。そこには、整理番号、名前、採集地、採集年月日、生育地に環境を記し、水彩画を描き、標本を貼り付け、生物学的性状については英語で記載した。
  • これらの図譜には、非常に多くの新種が含まれていたにも関わらず、論文として発表しなかった。即ち「どうだこんなに集めてスゴイだろう」と無邪気に自慢する面があった。
  • 激しい癇癪持ちで周囲を困らせたが、学問に打ち込んでいると落ち着いていられたので狂人にならずにすんだと自ら記している。
  • 大学の講演会で、酔っ払って壇上に上がり、百面相をして立ち去ったとか??
  • キューバに渡った際、サーカス団に入り、キューバ革命にも参戦したとか??
  • 異常なまでの多汗症で、一年中裸で過ごしていたとか??
  • 自在に反吐(へど)を吐くことができ、気に喰わぬ者を追い帰したとか??

いやいや、紙一重ですね(笑)。

自筆の書簡や日記は、一見の価値ありだと思います。
3月4日まで開催されていますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

最近、文化や芸術に触れることを意識しています。
美術館や博物館のほか、映画、落語、歌舞伎、芝居など、ジャンルは多種多様が良いと思います。

先日観た映画「ギフテッド」も良かったなあ・・。
さあ、心豊かな中年をめざして頑張るか。
急がないと老年になっちゃうし・・。

119 雲外蒼天

近年、神社参拝が趣味となりましたが、きっかけは、京都をひとりで旅した際に、ひょんなことから書き置きの御朱印をいただいたことでした。
近年は、御朱印ガールに代表されるファンの増加により「趣味は神社巡りです」と公言しても、ニッチな趣味だとは捉えられなくなってきました。

スタンプラリー化している現状を嘆く声も多い反面、参拝客の増加や客層の変化を歓迎している神社も少なくありません。
その証拠に、オリジナル御朱印帳や御朱印帳袋を販売する神社が増えたり、キティちゃんとコラボした御朱印帳を発行するなど、神社サイドも実態に合わせた対応を見せています。

その一方で、御朱印の授与を取りやめた神社もあります。
虎ノ門にある西久保八幡神社は、「昨今の現状を鑑み、当面の間御朱印の授与を中止いたします」とホームページに掲載しています。
無礼な参拝者がいたのでしょうか・・。
非常に残念です。

私は、神社参拝を趣味としてから、知識を深めようと努めてきました。
一昨年受検した「神社検定試験」がその象徴ですが、取得したのは最も低い参級です。
さらに上を目指さなくてはならないのですが、ひとつ大きな障害があります。

それは「数学は好きだけど歴史が苦手な文系」という私の性癖です。
学生時代、解を導き出す数学には歯応えとやり甲斐を感じたのですが、歴史なんて暗記科目でつまらないと、生意気な考えを持っていました。
歴史の重要さ、奥深さを知ったものの、時既に遅し・・。
歴史嫌いが将来の趣味に陰を落とすとは、予想だにしませんでした。

しかし、ここを克服しないことには、知識の上積みも神社検定の弐級も付いてきません。
学ぶことは楽しいのですが、苦手ジャンルの知識を蓄えることは、加齢とともに、非常に困難を極めています。

老け込み防止のため、そして、自らを鼓舞するため、検定試験に挑戦する意気込みだけは持ち続けています。
が、今年6月の神社検定試験は、見送りました・・。
そして漢字検定は、準一級のテキストを見て、その難しさに尻込みし、諦めの境地です・・。

ただ、京都検定の試験が年内にまだ残っています。
試験日は、2017年12月10日です。

京都検定には以前から関心を持っており、公式テキストは既に持っています。
ここ3年の3級合格率は、50%前後。
そして、今年の3級の公開テーマは「京都駅界隈」。

ん・・、どうしようか・・。

104 蚤寝晏起

ゴルフの祭典・マスターズが、日本時間の今朝、終了しました。
優勝したのは、スペインのセルヒオ・ガルシア選手。
イングランドのジャスティン・ローズ選手との死闘は、見応え満点でした。

マスターズが行われているのは、アメリカのジョージア州です。
時差の関係で、日本でテレビ中継が始まるのは、早朝4:30とか5:00。
しかし、朝型人間の私にとって、この時間にテレビを観ることは、全く苦ではありません。
土曜日は、4:30の放送開始前に目が覚めてしまったくらいです。

普段の私の生活リズムは、10時半就寝、5時起床。
平日も週末も、ほぼ一緒です。
飲み会などで、稀に就寝が12時を過ぎることがあっても、起床時間は変わりません。

日曜夜には、家族の批判にさらされながら9時消灯、なんてシーンも珍しくありません。
目が覚めて時計が11:50だったりすると、「まだ今日じゃん」とガッカリすることも。

正に、年寄りの典型ですね。

朝型ゆえに困ることといえば、LINEです。
夜10時以降に始まるグループ会話には、決まって参加できません。

そんな私も、若い頃は完全な夜型人間でした。

高校3年のとき、受験勉強は専ら深夜でした。
どうしても、日中は勉強に身が入らなかったのです。

具体的には・・、
学校から帰ると、速攻で寝ます。
2〜3時間寝ると、両親が仕事から帰ってきます。
夕食、風呂、そして、22時過ぎにようやく勉強を開始し、終了はだいたい3時ごろ。
ただ、母の作ってくれた夜食を食べる時間を差し引くと、勉強時間の程度は知れています。

蚤寝晏起(そうしんあんき)の「蚤」は早い時間、「晏」は遅い時間を意味します。
要するに、早い時間に寝て、遅い時間に起きるという赤子や子供のさまを示しています。

今の私に欠如しているのは「晏起」。
気づいたら8時だった、なんて週末の朝をもう一度経験してみたい、と願うばかりです。

095 白面書生

先週末、センター試験が行われました。
志願者数は、約576,000人だったそうです。

私が受験したのは、もう37年も前のこと。
当時は共通一次試験と呼ばれていました。
この試験が導入されるまで、国公立大学は一期校・二期校の中から各1校受験できましたが、共通一次試験によって、1校だけしか受験できないことになりました。
しかも、試験は「5教科7科目、1,000点満点」という、なかなか過酷なものでした。

昭和55年1月12日、試験初日の朝、忘れもしない出来事がありました。
寝ていた2階から階下へ行き、居間のドアを閉めながら「おはよう!」と挨拶した瞬間、入口に提げてあったカレンダーがストーンと落ちたのです。
「おはよう!」「ストーン!」の見事なタイミングは、まるで吉本新喜劇のようでした。
絵に描いたような縁起の悪さに、思わず笑うしかなかったですね。

受験会場は東京大学でした。
東京大学受験しているのであって、東京大学受験している訳ではなかったのですが、構内に入ると「よし、大学生になるぞ!」と気分が高揚した覚えがあります。

ただ、自己採点の結果は、目標の780点には遥かに及ばない、732点でした。
二次試験の出願校判断のため、某予備校に結果を提出したら、化学の偏差値が32でした。
順位は、およそ119,000人中、109,000位。
今年に当てはめれば、576,000人中、527,600位ですか・・・・。
理科は苦手でしたので好成績は望んでいませんでしたが、さすがにこれはショックでしたね。

私は、共通一次試験導入後、2年目の世代です。
従って、大学1年生のとき、1,2年生は共通一次試験組、3,4年生は一期校・二期校組でした。
一期校の東大を目指していたのに、何かの間違いで二期校の横浜国大に入ってしまった上級生と、マークシート方式で答案用紙を適当に塗りつぶす共通一次試験を経て入学した下級生。
出来の違いは、極めて明白でした。

ある講座では、担当教員から真顔でこう言われたこともあります。
「今年の生徒は共通一次試験組ですね・・・・。じゃ、試験問題は易しくしてあげますか。」

「ゆとりですがなにか」の昭和版ってところですかね。

おつむの出来は素晴らしい上級生たちですが、反面、ルックスの悪さも特筆ものでした。
薄汚れたジーンズ、何日も着続けているTシャツ、すり減ったサンダル、黒縁メガネ・・・・。
大変に優秀な先輩たちでしたが、まったく憧れの対象にはなりませんでした(笑)。

そういえば、今年のセンター試験は、今季最強寒波の襲来に見舞われましたね。
私も受験の時、寒さ対策にと、股引を履かされました。
ところが、普段履き慣れないために、下半身の暑さが妙な違和感となりました。

股引は、今や冬の必須アイテムとなったワタシ。
時代の趨勢を感じます・・・・。