投稿者「izuart」のアーカイブ

036 朝令暮改

今年も猛暑の季節が到来しました。
気象庁のサイトによると、昨日の東京の最高気温は34.5度。
今日も13時で32.7度だそうです。

最近38度、39度という気温を耳にすることが多いので、「32度か」と思う自分に感覚の麻痺を感じます。

近年の夏の高温はちょっと異常ですね。

そういえば2020年の東京オリンピックは7月24日が開会式だそうです。
こんな暑さでアスリート達が本来の力を発揮できるのか、少し心配になります。

オリンピックといえば、新国立競技場のデザインが白紙に戻されました。
今月10日、安倍首相は「やり直すには時間がない」と国会で答弁したばかりなのに、そのわずか一週間後、突然これを翻しました。
安保法案を数の原理で無理矢理通過させ、新しい競技場の設計もやり直さない・・。
これでは、来年の参議院選に影響があると思ったのでしょう。

お役人仕事、と言われても仕方ないように思います。民間ではあり得ない事態ですから。
おそらく、一連の迷走に対する責任所在が明確にされることもないのでしょう。

しかし、2500億を超える建設費用って、どう考えても高すぎますね。
当初の予算から900億上がってしまったそうですが、そもそも当初の予算が高額すぎです。

多くのオリンピックメダリストも反対意見をおっしゃっていましたね。

マラソンの有森裕子さんは、
「オリンピックが、皆さんの負の要素のきっかけに思われるようなことは本望ではない。」
と涙ながらに訴えていました。

また、アーチェリーの山本博さんは、
「国立競技場の件が話題になってから、オリンピックを支援するムードが急に減退した。このままでは、オリンピックの運営に必要な何万人ものボランティアを集めることは絶対にムリだ」
と熱く語っていました。

オリンピック招致はそもそも東京都が発起人のはずなのに、舛添知事もリーダーシップが少し弱い気もしますね。

オリンピック開催にあたっては、東日本大震災の被災地復興や福島第一原発の問題解決を優先すべきだという、開催反対の意見が根強くあることも忘れてはならないと思います。

5年後に、多くの国民が「オリンピックを開催して良かった」と思えるような運営を、政治家や役人の方々に強く望みたいと思います。

最後に、
デザインコンペをやり直すにあたり、日本人デザイナーによる設計に決まるといいなあ、なんて思ったりもします。

035 一暴十寒

今日、神社検定参級を受検してまいりました。

神社検定??と思う方も少なくないと思います。
神社検定とは一般財団法人日本文化興隆財団が主催し、神社本庁が監修している試験で今年が4回目となります。

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受検のきっかけは・・、
数年前に漢検2級に合格し、次は準1級!と息巻いて問題集を買ったものの・・、

問題:太字を漢字に直しなさい
(1)人格をとうやする教育を目指す。
(2)またいつものほら話が始まった。
(3)現場付近でうろんな男が目撃された。

唖然とするような問題が、これでもかと並んでいました。
ほかにも、雌蕊(めしべ)、鬱憤(うっぷん)、尾鰭(おひれ)など、難題ばかり。

あまりのハードルの高さに後込みし、ほかの検定試験を探すことにしました・・。

最初に浮かんだのは「京都検定」。
大好きな京都のことなら、勉強も頑張れるかもと思い、まずはネットで検索。
すると、試験は毎年12月に実施されていて、私が見た時は

「受付を終了しました。」

あと1年は待てないと、いろいろ調べた末に辿り着いたのが神社検定でした。

まずはテキストを購入。
基本テキストは「神社のいろは」、サブテキストは「万葉集と神様」。
あれれ、合わせて3,900円・・。
そして参級の受検料は4,900円(弐級は5,900円、壱級は6,900円)。
結構な出費でしたが、申し込むことにしました。

そして受検を終えた現在の心境は・・、

「ヤマかけて 谷に落ちたる うさぎかな」

というのも、子供の頃から歴史が出来ない私にとって、「サブテキスト」は大変苦痛でした。
数ページしか進まないうちに、すぐ寝ちゃうんです・・。
そうこうしているうち、悪魔が私に囁き始めました・・。

「万葉集と神様」はサブテキストでしょ。
出題数は100問中2〜3割くらいじゃない、きっと。

基本テキストをちゃんとやれば、こっちはテキトーでいいんじゃない。

結局、根拠のない理由でサブテキストの勉強を疎かにしてしまったのです。

ところが、問題用紙を見てビックリ!
問1〜問47までが、サブテキストからの出題でした。

自己採点では、66点くらいなので、合格ラインの7割に届いていません。
やはり真面目に取り組まないとダメですね、基本テキストからの問題は8割以上正解でしたから。

正式な合否は、8月下旬に郵送で通知されます。
そして、合格者は絵馬の型をした合格認定証がもらえます。
しかも、伊勢の神宮の御用材となる長野県の木曽で育った檜を使用した認定証です。
今回は残念ながらいただけないと思いますが・・。

でも、検定のために勉強して得た知識は、今後の役に立つと思っています。
社殿の種類や昇殿参拝の作法をはじめ注連縄、絵馬、正月飾り、お祭り、神葬祭・・・。
神社に関する様々なことを学びました。
今後は、これまでと少し違う視点から神社を参拝できるのではないかと思います。
そして、私の御朱印集めがより高次元になれば、このチャレンジは無駄ではなかったと、そう思っています。

因みに、漢検準1級の例題の正答は以下の通りです。

(1)陶冶
(2)法螺
(3)胡乱

034 一念通天

人形町の駅の近くに「水天宮」という神社があります。
弊社からは、隅田川を隔てた反対側になります。
安産・子授け・七五三・初宮・芸能祈願・ 水難除けなどのご利益で知られていますが、最も有名なのは「安産」ではないでしょうか。
戌の日には、大勢の妊婦さんが参拝に訪れています。
因みに、うちのカミさんもここで安産祈願をし、出産を守っていただきました。

この「水天宮」は、福岡県久留米市にある久留米水天宮を総本宮とし、日本各地にあります。
因みに、東京だけでも人形町のほかに、豊島区、清瀬市、立川市にあるようです。

人形町の水天宮は、現在、社殿と社務所を改築しており、明治座前の仮宮に移転中です。
地震対策も施された新社殿の竣工は、平成28年春の予定だそうです。

さて、話は本題に入ります。
先日「水天宮」のサイトを見ていると、見慣れぬメニューがありました。

「今泉天満宮の再建を支援する会」

今泉天満宮は、岩手県陸前高田市気仙町に鎮座する歴史ある神社だそうです。
しかし、東日本大震災の津波により、樹齢約800年と言われる御神木「天神の大杉」のみを残し、跡形もなく流失してしまいました。
あまつさえ、氏子120戸もすべて被災し、神職の方々は茫然自失に陥ってしまいました。

しかし、震災から約一年後、宮司さんを中心に再建へ向けて動き出しました。
ただ、再建に必要な費用は1億5,000万円。その大半は寄付に頼らざるを得ない状況です。
ましてや、氏子たちは皆被災しているため、神社再建に目を向けてもらうのは厳しいと言わざるを得ません。

そこで、ホームページで広く呼びかけ、協力を募っていたのです。

今泉天満宮、という名称ですから、もちろんお祀りしているのは菅原道真公です。
受験生を抱える我が家としては、ちょっと心を揺さぶられます。
そして、私の大学の恩師で、結婚式の媒酌人をお願いしたのが「今泉先生」。
若干、無理矢理感もありますが、何か縁を感じました。

そこで、今日、わずかですが銀行から寄付金を振り込んでまいりました。

ホームページに震災前と震災直後、そして震災から一年半後の写真が掲載されています。
震災後の写真を見ると、周辺に建物は全く見当たらず、御神木が佇むだけです。
無念ですね・・。
地域復興の中心として、一日も早く再建されることを祈るばかりです。

なお、今泉天満宮の再建を支援する会が、世田谷区の瀬田玉川神社内におかれています。
振り込みの連絡に対して、早々に禰宜の高橋様からお礼のメールをいただきました。
近いうち、ぜひ参拝に参りたいと思っています。

追伸:以下に詳細が記されています。ぜひご覧ください。
http://imaizumitenmangu-sien.net/

033 香美脆味

今日は土曜日ですが、先週に続いて出勤しています。
仕事があるというのは、大変有難いことですね。

お昼は何を食べようかと考えた末、行きつけの(?)オールプレスに行きました。
週末のお昼どきとはいえ、天気がはっきりしない今日ならさほど混んでいないのでは、という私の予想に反して、店内は満席でした。

で、仕方なく、テイクアウトです。
左がバゲット、右はベーグルです。800円+800円で1,600円でした。
ちょっとお昼にしては高価かと思いましたが、モチベーションアップになればいいかなと。
食べてみると結構ボリューミーで、お腹いっぱいになりました。

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さて、ここのカプチーノがとても美味しいことは以前ご紹介しましたが、実は最近、別のメニューにはまっています。
「フラットホワイト」です(ホワイトフラットだったか・・?)。
カプチーノよりも少しクリーミーで、これ、お勧めです。

そういえば、まもなく「アド街」で清澄白河が取り上げられるそうです。
以前のイメージとはガラリと変わりましたからね。
カフェが集まるオシャレな街って紹介になるのだと思います。
当然と言えば当然ですが、弊社は取材されませんでした(笑)。
でも、放送がちょっと楽しみです。

あっ、それから今日のランチ、コーヒーは朝の飲み残しなので、別のブランドです。
ハニーミルクラテ、ホットのグランデサイズ、スキニーミルクでシロップ少なめ、というやや要求過多なドリンクです。

さて、ブログ書いている時間があるなら、仕事しましょうかね。

追伸
タイトルの「香美脆味(こうびぜいみ)」は「ものすごく贅沢な食事」という意味です。
「無芸大食」よりは良いかと・・。

032 唯一無二

御朱印を集め始めてから半年ほど経ちました。
今日も好天に誘われて、朝のうちに二箇所巡ってきました。

最初に参拝したのは、稲毛浅間神社です。
JR稲毛駅で降り、タリーズでお茶してから徒歩で向かいました。
(先週は千葉駅でしたが、2週続けて行動が被ってます・・。)

稲毛浅間神社は小高い丘の上にあり、朝9時過ぎの境内は、静寂に包まれていました。
御朱印をいただくため社務所へ出向くと、若い女性が対応してくれました。
3人くらいいたでしょうか。優しげな女性たちに癒やされました。
帰りは、隣接する稲毛公園を通り、駅に向かいました。

それから、電車にひと駅乗り、検見川神社へ向かいました。
この神社の社務所は、若い女性と年配の男性が4名ほどいらっしゃいましたが、参拝客との目線が合うというか、隔てがないというか、お願い事がしやすい雰囲気で、大変好感を持ちました。
裏手には、休憩処もあり、またゆっくり訪れたいと思っています。

稲毛浅間神社の御朱印 検見川神社の御朱印

さて、ここで私の御朱印帳袋をご紹介したいと思います。

現在、私は4冊の御朱印帳を使い分けています。
京都府のお寺用と神社用、それから、その他都県のお寺用と神社用です。

そして、御朱印帳を持ち歩く際に入れておく「袋」を2つ所有しています。

神社用御朱印帳袋

これが、私の御朱印帳袋第一号です。
マジックテープで留めるように出来ています。
顔を出している御朱印帳は、京都の晴明神社で購入したものです。
五芒星のマークと西陣織りの表紙が特徴的な、お気に入りの1冊です。

お寺用御朱印帳袋

上は第二号の御朱印帳袋です。
こちらはマジックテープではなく、マグネット式の留め金になっています。
黄色の御朱印帳は、日光山輪王寺の御朱印帳です。
表紙には桜が描かれていて、紙が厚口で、これも私のお気に入りです。

実は、このふたつの御朱印帳袋は、どちらも母の手作りです。
「世界にひとつ」という意味で、非常に貴い、そして大切な袋です。
料理も得意な母ですが、裁縫もお手のものです。
というか、モノ作りが好きで、我が家では日曜大工は母の役目でした(笑)。

いつか御朱印をいただく際に、
「ステキな御朱印帳袋ですね」
なんて神職の方に声を掛けてもらえないかなあ・・って、ちょっとそれは手前味噌ですね。

031 今昔之感

今朝、電車に乗って千葉駅を目指しました。
目的は、千葉神社と千葉縣護国神社の参拝です。
最近ウォーキングをサボっていて、顕著な運動不足に陥っていたため、散歩も兼ねて、千葉駅近くの2つの神社を参拝しようと思い立ったのです。

千葉駅に9時少し前に到着して、いきなりコーヒーブレイク。
そして、ここから頼りはスマホのGoogle Map。
これは便利ですね。

千葉駅を出発してから、迷うことなく10分ほどで千葉神社に着きました。
八重桜がとてもキレイでした。

千葉神社DSC01654

千葉神社は、西暦1000(長保2)年の創建という歴史ある神社です。
1945(昭和20)年七夕の空襲でそのほとんどを焼失してしまいましたが、平成の大造営により、平成2年に社殿が竣工されました。

その境内に、菅原道真公を祀っている千葉天神という摂社がありました。
摂社と呼ぶには、大層立派な構えをしています。
御朱印をいただきながら、息子の受験成就を祈念して絵馬を奉納しました。

千葉神社DSC01664

その後に向かったのは千葉縣護国神社。
やはりスマホに連れっていってもらいました。
徒歩15分くらい要したでしょうか。千葉公園の入口と並んで第一鳥居が見えました。

参拝を終え、御朱印をいただこうと社務所に出向きました。
すると、社務所の前に、一通の手紙が紹介されていました。

終戦後、南の島で捕虜となった若者が、故郷の親族に宛てた手紙でした。

青森県出身で29歳のこの若者は、自らの命が消されようとしているにも関わらず、敗戦した国の復興と、郷里の家族の身上を案じていました。
「一足先に永遠の庭へ心静かに旅立ちます。」と家族宛てに記したのは昭和23年2月17日。
そして、昭和23年4月8日、セレベス島メナドにて法務死とありました。

その手紙は遺詠で締められています。

  国破れ捕はれの身となりつれど 天地の神に恥づる事なし

若者の心中はいかばかりか、私には忖度することすらできません。
今年は終戦から70年の節目の年です。
日本人として、もう一度戦争について考えるときかも知れません。

千葉縣護国神社御朱印DSC01663

 

030 刎頚之友

先週末、京都に行ってきました。
といっても、今回はひとり旅ではありません。
2年に一度、「おとなの修学旅行」と題して仲間と京都旅行をしているのです。

その仲間とは・・、
小学校の同級生。

しかも9人。
男5人、女4人。

幼稚園から一緒なんて者もいますから、その付き合いは50年近くになります。
こんなに長い間、友達でいられることを本当に有難く思います。

もちろん子供の頃は皆近所(文京区)に住んでいたけれど、今は住まいもバラバラ。
仕事も様々、家庭事情も色々。
でも、何かあればすぐに連絡を取り合うし、集まる仲間。

「人生から友情を除かば、世界から太陽を除くにひとし。」
誰の名言か忘れましたが、親友は何にも代え難い存在ですね。

この仲間で、私は世話人のような立場にあります。
「忘年会やろう!」「花見に行こう!」など、常に言い出しっぺということです。

この「おとなの修学旅行」前には「公式ガイドブック」を制作します。
A5版、12ページ、中綴じです。
そして、旅行後には、写真のアルバムとDVDを作ります。
仲間からは「隊長」と呼ばれ、おだてられています。

そして、副隊長もいます。
この女性副隊長、京都の食と寺社にすこぶる詳しいのです。
そして、多方面にとっても顔が広いのです。
方向音痴が玉に瑕ですが・・。

今回が3回目の「おとなの修学旅行」は、天気にも恵まれ、非常に楽しい旅でした。
参拝したのは、初日に下鴨神社、市比賣神社、伏見稲荷大社。
翌日は平野神社、釘抜地蔵、千本釈迦堂、護王神社を巡りました。

市比賣神社を参拝後、少し時間に余裕があったので、上徳寺さんも参拝しました。
そうです、私に息子を授けて下さったお寺さんです。
皆がぜひ行きたいと言ってくれて、大変嬉しかったですね。

それから、初日の夜、ライトアップされた清水寺へ行きました。
これも予定外だったのですが、なかなか美しい風景を見ることができました。

お土産もたくさん買いました。

☆洛匠の「わらび餅」
☆満月の「阿闍梨餅」
☆吉水園の「京おんな」
☆祇園小石の「さくら飴」ほか
☆西利の「千枚漬」ほか
☆マールブランシュの「茶の菓」ほか
☆半兵衛麩の「ふふふあん」3種
☆豆政の「丹波黒 黒豆チョコ」ほか

ちょっと買いすぎでしょうか・・。

029 多種多様

先日、都道府県別名字ランキングベスト3500という記事をネットで見つけました。
リクルーティングスタジオ株式会社が発表したものです。

輝く全国1位は佐藤さん、そして2位は鈴木さん。
これはよく知られているところですね。
以下、高橋・田中・伊藤・渡辺・山本・中村・小林・加藤。
これが、ベスト10です。
どれも納得です。私の周囲にもたくさんいます。

因みに、私・山田のランキングは12位。
ベスト10圏外であることは知っていました。
でも、記入例の定番といえば「山田太郎」ですよね。
日本人の代名詞みたいな山田が12位というのは、ちょっと意外な感じもします。

このランキングには、読み方が併記されています。
たとえば、佐藤(さとうなど)といった具合です。
「佐藤」と書いて「さとう」以外に読み方があるんでしょうかね・・。

あれ?よく見ると、「山田(やまだなど)」とあります。

一体「やまだ」以外にどう読むのでしょうかね。
「やま」さん。これはアリかも知れませんね。
ほかは、・・・ちょっと考えつきません・・。

それから、名字のランキングは都道府県によって差があるようです。
特筆すべきは、青森県、香川県、宮崎県、沖縄県です。

青森県で見事1位に輝いたのは、「工藤」さんです。
工藤姓は全国では63位ですから、ビックリです。
ちょっと老婆心で調べてみると、工藤静香さんのお父さんは青森出身。
ビンゴ!でした。

次に香川県の1位は全国100位の「大西」さん。
人口約98万人の香川県には、約11,000人の「大西さん」がいるそうです。
東京都は1,340万人近く人口を有していながら、大西さんは約8,300人。
不思議ですね。

それから、宮崎県は「黒木」さん。
全国順位は、なんと308位!
黒木瞳さんを調べてみたら、本名が伊知地昭子さん、旧姓・江上さん。
なんだ、芸名だったんだ・・・。
でも、元ロッテの投手・黒木知宏さんは宮崎出身でした!

最後に沖縄県。
ちょっとこれは例外かも知れませんね。
だって、1位が「比嘉さん」ですから。
沖縄県には、およそ46,000人の比嘉さんがいて、県民の3.25%を占めるそうです。
2位以下は、金城・大城・宮城・新垣・玉城・上原・島袋・平良・山城。
「城」が目立ちますね。

因みに、
私の伯父、
山田太郎といいます。

028 桜花爛漫

東京の桜が満開になりました。
今年、全国で最も早く満開になったそうです。
ここ数日20度を超える気温だったので、一気に開花したようですね。

今日の午前中、仕事の合間に上野に寄ってみました。
予想通り大勢の人が桜見物に訪れていて、大混雑でした。

海外の方もたくさんいましたね。
中国の方は自撮り棒を持って、桜をバックに夢中に撮影していました。
欧米の方は、ほとんど半袖。ノースリーブの女性も見かけました。

ところで、私は、日本の国花は桜だ、と思っていました。
しかし、法律で定められた国花ではないのだそうです。
一般的に菊または桜が日本を表象する花とされていることが多い、というのが正解だそうです。

個人的には、桜は非常に「日本人らしい」花のように感じます。
控えめな薄いピンク色はとても上品ですし、見頃が短い「はかなさ」も国民性に合う気がします。

私は、特に桜と青空が創り出すカラーの取り合わせが好きです。
下の写真は、今日の旧寛永寺五重塔です。
上野東照宮の参道から撮影しました。
う〜ん、このピンクとスカイブルーの組み合わせ、いいなあ・・。

SONY DSC

 

027 幽趣佳境

昨秋、京都ひとり旅で訪れた圓光寺で御朱印デビューを果たし、お正月には地元の神社と靖国神社で御朱印をいただきました。

まだまだ初心者ではありますが、御朱印は私を大いに虜にしています。
自分がこのような世界に興味を抱くとは、若い頃には想像がつきませんでした。

私にとって最初の御朱印帳は赤山禅院で購入したものです。
赤山禅院は都七福神・福禄寿のお寺です。
七福神めぐりは全国的にありますが、都七福神めぐりは日本最古なのだそうです。

その御朱印帳には、都七福神のイラストが印刷されていて、その隣に御朱印を書いていただけるような構造になっています。
そして、福禄寿のイラストの横には、赤山禅院の御朱印があります。

即ち、布袋尊や大黒天など、ほかの6つは空欄ということです。
空いているページを埋めたくなるのは自然な流れです・・。
ひとり旅から戻ってすぐ、私の心はまた京都に向いていました。

そして、
平成27年1月25日、
私は二度目の京都ひとり旅をしてまいりました。

日帰りで都七福神の残り6つを巡るのは時間的に無理がありましたので、ゑびす神社(ゑびす神)、六波羅蜜寺(弁財天)、革堂(寿老神)の3箇所を参拝してまいりました。
どの御朱印も非常に味わいのある素敵なものでした。

ゑびす神社は商売繁盛の神様ですから、一度行ってみたいと思っていました。
ここの第二鳥居の額束には、えべっさんの顔がついた福箕(みの)が掛けられていて、お賽銭を投げてここに入ると願いが叶うと言われています。

私も早速挑戦してみました。
右手に500玉を握りしめ、願いを込めてスローイング・・・。
初球はアウトコースに外しましたが、2球目はストライクでした(笑)。

因みに、毎年1月に行われる「十日ゑびす大祭」の際は、ものすごい人出になるため、
安全確保の観点から、布で覆って投げられないようにするそうです。

ゑびす神社02

 

ところで、革堂へ行くにあたって、少々妙な体験をしました。
祇園で昼食後、一澤信三郎帆布で買い物をしてから、タクシーに乗りました。
運転手さんに「革堂へ」と告げると、「知らない」というのです。

「正式な名前は行願寺です。都七福神のひとつなんですけど・・。」
と説明したのですが、やはりご存じない様子。

iPadを見せて説明すると、「ああ!下御霊さんのとこね」とおっしゃるので、まあ下御霊神社の隣りだから、まあいいかと思っていると、

「ワタシ、その近くの出身なのに、知らなくてショックですわ・・。しかし、ずいぶんとマイナーなところへ行かはるんですね。」

と運転手さんは言いながら、最終的に停めてくれたのが下御霊神社の裏門でした。
タクシーを降りた私は、神社の境内を横切らなければなりませんでした。

地元で有名なのかどうかは東京の人間である私にはよくわかりませんが、都七福神でもある寺社を、地元出身の方が知らなかったことに少々驚きました。

因みに、私が到着したとき、団体客ご一行様とバッティングしたため、境内は大変な混雑でした。特に御朱印所では10分くらい並びました。
タクシーの運転手さんも知らないお寺がこんなに混んでいるなんて、ちょっと皮肉ですね。

あ、それから革堂を参拝した後、下御霊神社にもお賽銭を入れてまいりました。
このままでは、ただ横切っただけになってしまいますので・・。
でも、御朱印は遠慮いたしました。
次回、キチンと正面から入ってお参りをし、頂戴しようと決めたからです。

最後に余談ですが、革堂は「かくどう」ではなく、「こうどう」と読みます。
その由来は以下の通りです。
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行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。
行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。(Wikipediaより)

革堂御朱印