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097 意気阻喪

弊社の営業マン・F君が、先日資料をくれました。
企業の名刺に対する問題点をまとめた資料でした。

その資料によると、名刺の作成を印刷業者に外注している企業は、全体の66.7%。
何らかの方法で内製しているのは33.3%とのことでした。

2年前、4年前は、外注している割合が、68.2%、74.9%でしたから、印刷会社への依頼が年々減っているのが分かります。

そして、今日の読売新聞の朝刊に、こんな記事を見つけました。

日野市職員の名刺デザインに、実践女子大日野キャンパスで学ぶ学生の作品が採用され、10日にお披露目会が行われた。
同市では、経費削減を理由に1997年から職員の名刺の外注を取りやめ、職員が独自に作っていた。ところが、名刺に統一感がなくなる結果になったため、再統一を図ろうと、包括的協力協定を結んでいる同大に学生によるデザインを依頼した。
(中略)
日野のイメージカラーの緑、同大を象徴する古代紫を配色し、市の鳥カワセミと市の花キクをあしらっている。
デザインデータは職員に配布され、それぞれの名前を入力して庁内の印刷機で出力できる。

デザインの再統一を図るためにデザインを学生に依頼し・・

「フンフン、いいね。」
「内製したら、フォントや文字組みがバラバラになってしまうのは当然!」
「デザインの再統一、いい取り組みだね。」
「印刷業者の名誉回復に一役買って欲しいなあ。」

データを職員に配布し、庁内の印刷機で出力??

「なんだ、結局、印刷業者には発注しないのか・・・・。」
「印刷業者にとってハッピーエンドだと思って読んでいたのに、残念・・・・。」

せっかくの優れたデザインも、時間の経過と共に、結局バラバラなレイアウトになっちゃうぞ、なんて言うと、負け犬の遠吠えになりそうですね。
マーケットが年々狭くなっていく印刷業界の未来は、なかなか厳しいです。

印刷会社の代表でありながら、本業に関することをほとんど書いてこなかったこのブログ。
どうせ書くなら、もっと明るい話題にすれば良かった・・。反省。

086 克己復礼

今年のアメリカ大リーグのワールドシリーズは、シカゴ・カブスが優勝しました。
実に、1908年以来、108年ぶりの優勝だったそうです。

カブスが世界一から遠ざかっていた理由として「ヤギの呪い」があるからだ、と言われています。

1945年のワールドシリーズ第4戦、カブスの熱心なファンだったビリー・シアニスさんが、ペットのヤギ「マーフィー」を連れて観戦に来ると、臭いを理由に入場を拒否されました。
怒ったシアニスさんは、恨みの言葉を投げつけて球場を後にしました。
“Them Cubs, they ain’t gonna win no more.”
「カブスは二度とワールドシリーズに勝てなくないだろう」
すると、この年のカブスはタイガースに第7戦で敗れ、以降、今シーズンまで70年もの間、ワールドシリーズに出場することすらできませんでした。

ビリーさんはいつも「マーフィー」のための座席も購入して球場に来ていたそうです。
1945年の出来事ですから、終戦の年にあたります。
海の向こうでは、山羊を連れて野球観戦か・・・・。
若干複雑な思いも湧いてきます。

そもそも大リーグは30球団で編成されています。
12球団の日本とは規模が違います。
呪いがなくても、30チームのトップになるのは、大層なことだと思います。
4人で遊ぶ麻雀でトップを取るのでさえ、結構大変ですからね(笑)。

話は変わりますが、先週末に私が幹事を務めているゴルフコンペがありました。
しかも、迎えて100回目という節目の大会でした。

平成4年の5月に創始し、遂に100回目を迎えたのですが、第1回からずっと幹事を務めてきましたので、やや感慨深い思いに包まれました。

さて、肝心のコンペの結果ですが、優勝の栄誉に浴したのは、内田くんでした。
朝から冷たい雨に見舞われ、ピンポジションも難しい中、グロス92で堂々の優勝でした。

最多で31人が参加したことのあるこのコンペですが、100回大会の参加者は13人でした。
13人とはいえ、優勝するのは簡単ではありませんし、大変名誉なことです。
現に、私が最後に優勝したのは2013年12月ですから、3年も遠ざかっています・・・・。

ただ、年齢のせいか、最近は「勝つ」よりも「克つ」ことの大切さを感じています。

ゴルフも仕事も、時の運や相手との力関係がありますから、連戦連勝とはいきません。
しかし、自分に克つことは、自分次第で勝率100%も可能です。

些細であっても、小事であっても、自分に克ち続けることが大事なのではないか…。
心だけは折れないようにすれば、人生にもビジネスにも負けないのではないか…。

50代半ばになると、若い頃には思いも及ばなかったことを考えるものです。
不況業種の渦中で、もがいている現れなのかもしれません。

069 仁者無敵

読売新聞の今日の朝刊の編集手帳が興味深かったので、ご紹介したいと思います。

日本の中で助けられる側と助ける側の人口比をみると、東日本大震災は1:12だった。
1人を12人で助けた計算になる。
南海トラフ地震では2:5くらいになるという。
〈中略〉
首都直下地震はどうか。
日本の人口のほぼ1割が東京で暮らすが、万一、東京が破壊された場合の影響は計り知れない。
〈中略〉
東京都心にある大学のホームページを以前眺めていて、目に留まった箇所がある。
将来の地震の折に支えてもらうためにも、いま東北を助けなければならない。
そんな論法で、復興支援の意義を教員が説いていた。

都知事選が始まった。
選挙サンデーとなるきょうの街頭では、地震対策ついても様々な訴えが聞かれよう。
美術館を巡る一方で、東北を訪ねることのほとんどなかった前知事の話を蒸し返す気はないが、東京の外への目配りも必要なのは確かだろう。

首都に多くの課題があり、候補者の数だけ公約もある。
目を凝らし、耳を澄ます。
選んだ結果に悔いを残さぬための第1条である。

某大学の先生がホームページで発信した発想は、非常にユニークで独創的なイメージですが、言及しているのは助け合いの精神であり、基本に返れと示教されているように思えます。
阪神淡路大震災の被災者が、恩返しがしたくて東北への支援を申し出た、というニュースは、新聞やテレビで何度となく目にしました。
同じ国土に生まれた人々に心を寄せることの意味深さを、改めて思量すべきと思います。

ところで、都知事選の戦いが本格化してきました。
自民党が分裂選挙になったり、有名な俳優さんが立候補に名乗りを上げたり辞退したり、野党の統一候補者が、政策は後回しで告示ギリギリに決まったり、バタバタ感は拭えません。

私は前回の都知事選で舛添氏に1票を投じました。
結果的には、世界に恥を晒すがごとき退任劇になってしまいました。

都知事選には50億円という莫大な費用がかかるそうです。
多くの都民が選んだ結果として、任期途中で今回の選挙になった訳です。
単なる人気投票ではなく、有権者も真剣に臨まなければなりません
私も投票日までの期間、各候補者の政策をしっかりと確認したいと思っています。

「仁徳者は慈愛をもって政治を行い、人民を分け隔てなく愛するから敵対する者がいない。」
タイトルの仁者無敵の意味です。

仁徳あふれる政治。
これを現在の政治家に求めるのは、難しいことなのでしょうか・・。

068 覧古孝新

「どうして伊豆アートさんって名前なんですか?」

たまにこんな質問を受けることがあります。
所在地は東京ですし、私の名字は山田ですから、疑問に思うのは自然かと思います。

答えは、弊社の創業者である父が伊豆の生まれだから、という陳腐なものです。

静岡県田方郡で農家の三男坊として生まれた父は、昭和24年、荷物をひとつ抱えて上京しました。
印刷会社で働きはじめた少年の夢は、一人前の商人になって、将来自分の店を持つことでした。

そして、昭和52年4月、44歳にして夢を叶えました。

会社を辞めると聞かされた時も驚きましたが、もっと驚いたことがあります。
それは、会社名が「大伊豆印刷株式会社」だと知ったときです。
「えー、ほかにないのー?」
17歳と15歳の姉弟は、口を揃えて反対しました(笑)。
東京で開業するのになんで伊豆なの?と、子供の感性には合わなかったのでしょう。
そして、父の故郷愛に思いを寄せることも出来なかったのでしょう。

開業にあたっては、周囲の方々から多大なるご支援をいただいたそうです。
勤務していた会社の社長、お取り引き先のお客さま、下請けの皆さん、税理士の先生・・。
特に、○城様と西○様には、心強いご支援をいただいたと聞いています。
人とのご縁は、人生を変えるほど大切なのものだ、と改めて思います。

父は昭和8年生まれなので、現在83歳になります(平成28年7月時点)。
年齢なりにガタはきているようですが、お陰様で毎日仕事をしています。

昭和8年。
どんな時代だったのか、ちょっと調べてみました。

この年に生まれた著名人は・・、
誰はさておき、天皇陛下がお生まれになったのが、この年の12月23日です。
なるほど、父は陛下と同じ年齢だったんですね・・。

オノ・ヨーコさんは2月18日生まれ。父と誕生日が1日違いですね。
芸能人では、宍戸錠さん、若尾文子さん、草笛光子さん、黒柳徹子さん・・。
故人では、菅原文太さん、藤田まことさん、池内淳子さん、南田洋子さん・・。
なかなか大物揃いです。

注目すべきは、ビスコとトクホンがこの年に発売を開始したことです。

ビスコは、昭和8年2月、1箱10銭で発売されました。
馴染み深いのは赤い箱だと思いますが、緑の箱の小麦胚芽入りビスコが私は好きです。
また、我が家では、ビスコの保存缶(賞味期限5年間)を非常食として保管しています。

トクホンは、商品名でもありますが、現在は「株式会社トクホン」と社名にもなっています。
また、トクホンの名の由来は、室町後期から江戸初期にかけて活躍した医師・永田徳本です。
諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者だそうで、享年118歳とのこと。
何か謎めいた人物ですね・・。

どちらも80年以上愛され続けている裏には、多いなる企業努力があるはずです。
長年培ってきた信用、見習うべき点は多いですね。

補足
「大伊豆印刷」に関する表記については、他の企業名を中傷する意図はありません。

054 白首窮経

先週末、大丸に用事があり、東京駅八重洲パーキング西駐車場に車を停めました。
そして、地下街に上がってくるとすぐ、若い外国人の男性に突然声を掛けられました。
その男性は、地図を私に差し出し、八重洲中央口の先にあるインフォメーションセンターに行きたいと訴えました。

さほど急いでいなかったこともあり、道案内役をすることにしました。
というか、言葉では説明ができなかった、というのが正解です・・。

“OK!  I will take you to the Information Center.”

英語が流暢でないことを隠すため、不自然なほど明るく、そう言いました。
スリムで端正な顔立ちをしたインド系とおぼしき青年は、小さく微笑んでいました。

目的地を目指しながら思いました。この青年は旅行者なのかなあ、と。
スーツケースのような大きなバッグは持っていないけど・・。
これもひとつの出会いです。いろいろ聞いてみたいと思いました。

ひとり旅行で来たの?
日本に来たのは初めて?
好きな日本食はあるの? などなど。

しかし、実際に聞くことができたのは、
“Where are you from?”  だけ。
あとは、黙ってひたすら歩きました・・。

残念ですね、英語ができないと・・。
コミュニケーションをとることができたら、もっと楽しい時間だったのに、と思います。

でも、無事目的地に着くと、彼は笑って握手を求めてきました。

“Have a nice day. Enjoy Tokyo! ”
私はそう言って、握手をし、肩を叩いて別れました。

とてもシャイで寡黙な印象の男性でした。
見知らぬ街で迷い、ナーバスになっていたのかも知れませんね。

因みに「どこから来たの?」という私の質問への答えは、
“Sri Lanka”
でした。

しかも、1回では聞き取れず、“Excuse me?” なんて聞き返してしまいました。
まずは、NHKラジオの基礎英語でも聞きましょうかね・・。

追伸:
白首窮経は「はくしゅきゅうけい」と読みます。
白首は白髪頭、転じて老人。窮経は儒教の経書を究めること。
即ち、年を取るまで、学問に励むことの意です。
肝に銘じたいと思います。

050 思慮分別

京都ひとり旅の雑文3つめです。

行きの新幹線での出来事です。
私の席は3人席の窓際でした。

座ってまもなく、隣に小学生の兄弟がやって来ました。
「まさか、子供2人だけ??」と思った次の瞬間、後部座席に座るお母さんが視界に入りました。
3人並んで座席が確保できなかったんですね。

そこで・・、
「あの〜、座席替わりましょうか?」と申し上げ、私は1列後ろの通路側に移動しました。
まだ20代にも見える若いお母さんでした。
ちょっと良いことをしたかな、などと思いながら読書をしてその後を過ごしました。

京都駅が近づいた頃、前の座席の親子がなんとなく気になりました。
「車内で騒ぐこともまったくなく、ずいぶんおとなしい男の子だな・・。」
「まだ下車していないはずだよな・・。」

荷物をまとめ、降りる準備をして立ち上がると、その親子は肩を寄せ合って爆睡していました。
なるほど、これならおとなしいはずです。朝早くて、きっと眠くなってしまったのでしょう。

しかし・・、
元々の私の座席に、京都から誰かが乗ってきたらどうするんだろう??

よく考えてみれば、席を交替する時に、先様の目的地を確認するべきでした。
親切心でしたことですが、思慮が足りませんでした。

ひとこと伝えようと思っても、親子3人は、深い夢の中です・・。
声を掛けることを躊躇い、私は京都駅のホームに降り立ちました。
今の座席のまま、目的の駅まで到着できますように、と祈りながら。

049 喜色満面

ひとり京都旅行の続きです。

私の御朱印デビューは、一昨年の秋でした。
何の知識もないまま、圓光寺と詩仙堂で書き置きをいただきました。
そして、次に訪れた赤山禅院で御朱印帳の購入を勧められ、それが都七福神の御朱印帳でした。

翌年1月にはえびす神社、六波羅蜜寺、革堂で各々恵比寿神、弁財天、寿老人の御朱印をいただき、松ヶ崎大黒天、萬福寺、東寺の3ヶ所が残っていました。

そして、今回の旅で、その3箇所を巡ることができ、めでたく結願となりました。

都七福神御朱印

都七福神御朱印

こうして7つ揃うと、有難みがより増しますね。
見ているだけで、笑顔になってきます。

ましてや、すべて揃ったのが1月10日。
関西では、1月15日までを松の内と呼ぶ、と聞いたことがあります。
足かけ3年要しましたが、1月のこの時期に都七福神が結願できて、とても嬉しく思います。

そして、各所で御朱印を筆書きしていただいた方々に、改めて御礼を申し上げたいと存じます。

追伸:
みなさん、「結願」って読めますか?
「けつがん」ではなく、「けちがん」です。
わたしはこの旅行中に知りました。
教えてくれたのは親友のたけちゃんです。
なお、神仏に願をかけることは「発願」と書いて、「ほつがん」と読むことも彼から学びました。
博学です、彼は。
私は勉強が足りません・・。

045 遠路態々

漢字は奥が深くとても難しいですが、学べば学ぶほど新しい発見がありますね。
我々印刷業は文字を扱う商売ですから、漢字に対する知識は重要だと思っています。
漢検準一級の受検を断念した私が言うのもなんですが・・。

漢字は書くことはもちろんですが、読みも侮れません。
著名人が漢字を読み間違えてしまったネタもたくさんありますね。
最も有名なのは、麻生太郎さんの「みぞうゆう(未曾有)」でしょうか(笑)。

アナウンサーが生放送で漢字を読み違えてしまった、なんてことも結構あるそうです。
「訃報」を「とほう」
「西瓜」を「にしづめ」
「近藤勇」を「こんどういさお」などなど・・。

読売巨人軍の前監督・原辰徳さんの母校「東海大相模」を「とうかいおおずもう」と読んだアナウンサーもいたとか??

そういえば私にも苦い思い出があります。
社会人になってまもなく、会葬礼状の組版をしていた職人さんにこう尋ねました。

遠路たいたいご会葬いただき・・」ってどういう意味ですか?

すると、

「お前は大学まで出てるくせに、何を勉強してきたんだ!」
「遠路わざわざと読むんだ!」

文選の職人さんにひどく叱られました。

遠路態々

この字が読めませんでした・・。

昔の職人さんは、学歴なんかなくても漢字を良く知っていました。
そして、一日中立ち仕事に耐えうる体力も持っていました。
時代は移れど、私も、DTPオペレーターも、見習うべき点がありますね。

【補足】
文選とは活版印刷の工程のひとつで、原稿に従い、活字棚から活字を拾うこと。
一方、文選職人が拾った活字を並べ、組み版を整える工程を、植字といいます。

042 吃驚仰天

私、週に一度は必ず京葉道路を走ります。
千葉県内にある、大切なお客さんを訪問するためです。

京葉道路を走行していると、スピード違反の摘発シーンによく遭遇します。
捕まえているのはパトカーではなく、決まって覆面パトカーです。
車種はクラウン、色はグレイです。

基本的に車には荷物を積んでいますし、元来飛ばす方ではない私ですが、あまりにも頻繁に摘発シーンに遭遇するため、グレイのクラウンには注意を払っています。

そして、今日。

船橋料金所の少し手前で、直前を走っていた車が左に車線変更すると前が広く空きました。

「よっしゃ、腹も減ったし、幕張サービスエリアまで、いっちょ行くか!」

と思った瞬間、一番左の車線をゆっくり走る、グレイのセダン車が目に入りました。

ん?

そうです。あの覆面パトカーでした。
制服を着た警官が、追い越し車線方向を見ながら、ハンドルを握っていました。

吃驚仰天でした(「びっくりぎょうてん」と読みます)。
運転席の警官と、目が合ったような気がしました。
正に間一髪でした。

私は18歳の時に運転免許を取得しましたが、これまで35年間、スピード違反で捕まったことがありません。
私の小さな自慢のひとつです。

制限速度を常に守るセーフティドライバー、では決してありませんので、ただただ運がいいとしか言いようがありませんね。

が、駐車違反は・・、
え~と・・、
15回は捕まっていると思います(>_<)

前回の免許更新から約3年。
まだ、駐車違反で捕まっていないぞ。

あと2年頑張れば、次回の更新手続きが簡易に済むぞ。
ちょっと努力してみようかしらん。

041 海内無双

シルバーウイークの初日、家族で学園祭を見学に行きました。
ここは東京で三本の指に入る、私立の名門男子中学校です。
そして、ここの学園祭は大人も楽しめると評判の、知る人ぞ知る学園祭なのです。

学園祭は、その学校の雰囲気や生徒の特徴を把握する良い機会と言われています。
セガレの受験を来春に控えている我が家も、遅ればせながら見学に行った次第です。

今日の見学にあたり、後押しをしてくれた人が2人います。

ひとりはセガレの通う学習塾の塾長先生。
個人面談で「山田君にお薦めしたい学校の一つです」と聞かされました。
よくよく話を聞くと、塾長本人の母校のようです。
生徒全員に薦めているのではないでしょうか(笑)。

そしてもうひとりは、私の小学校時代の親友・たけちゃんです。
彼も塾長先生同様、この学校のOBです。

私の中でたけちゃんは、「秀才といえばこの人」という存在です。
彼は勉学に秀でているだけではなく、品があります。お育ちが良いのです。
中学・高校・大学にも優秀な友人はいましたが、トータルで彼を凌ぐ者はいませんね。

そして、彼のご子息は神奈川県の有名私立校から、現役で公立の医学部に合格しました。
さらに、お嬢さんは慶應義塾大学に、これまた現役合格を果たしました。
もちろん、奥さんもステキです。料理は上手だし、私の冗談話にも付き合ってくれるし。

まさに雲の上の存在です。
あまりに優秀すぎて、まるでドラマの家族のように感じています。

そして、今日、学園祭を見学した感想は・・・・、

さすがたけちゃんの母校、知的で品のいい生徒さんで溢れていました。

残念だったのは、セガレの体調が今イチで、予定通りに見学できなかったことです。
それでも実際に学校へ足を運んで良かったと思っています。

土曜も日曜も塾に通うセガレですが、本命校がまだ決まっておらず、焦りを感じ始めている反面、たけちゃんの母校が目標校のひとつであることに、どことなく歓喜しています。
少しでも、ほんの一歩でも、セガレがたけちゃんに近づけたらなあ、と思っています。

あ・・、でも・・、
父親の品格がまるで違うか・・・・。
これは難題だ・・・・。