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049 喜色満面

ひとり京都旅行の続きです。

私の御朱印デビューは、一昨年の秋でした。
何の知識もないまま、圓光寺と詩仙堂で書き置きをいただきました。
そして、次に訪れた赤山禅院で御朱印帳の購入を勧められ、それが都七福神の御朱印帳でした。

翌年1月にはえびす神社、六波羅蜜寺、革堂で各々恵比寿神、弁財天、寿老人の御朱印をいただき、松ヶ崎大黒天、萬福寺、東寺の3ヶ所が残っていました。

そして、今回の旅で、その3箇所を巡ることができ、めでたく結願となりました。

都七福神御朱印

都七福神御朱印

こうして7つ揃うと、有難みがより増しますね。
見ているだけで、笑顔になってきます。

ましてや、すべて揃ったのが1月10日。
関西では、1月15日までを松の内と呼ぶ、と聞いたことがあります。
足かけ3年要しましたが、1月のこの時期に都七福神が結願できて、とても嬉しく思います。

そして、各所で御朱印を筆書きしていただいた方々に、改めて御礼を申し上げたいと存じます。

追伸:
みなさん、「結願」って読めますか?
「けつがん」ではなく、「けちがん」です。
わたしはこの旅行中に知りました。
教えてくれたのは親友のたけちゃんです。
なお、神仏に願をかけることは「発願」と書いて、「ほつがん」と読むことも彼から学びました。
博学です、彼は。
私は勉強が足りません・・。

048 加持祈祷

本日、京都へひとり旅に行ってまいりました。
一昨年11月、昨年1月についで今回が3度目の「ひとり京都」です。

今回の主たる目的は、息子の中学受験合格祈願です。
当初、試験前に京都を訪問するのは無理だろうと思っていましたが、カミさんに背中を押され、急遽向かうこととなりました。

東京駅から、のぞみ号の始発に乗り、8時過ぎに京都へ着きました。
東京と同様、京都も陽射しが暖かい新春でした。

まず、息子を授けてくださった上徳寺さんには元気で試験に臨めるようお願いし、その後、伏見稲荷大社さんで商売繁盛を祈念しました。

北野天満宮さんへは10時少し前に到着しました。
それでも、既に多くの参拝客が訪れていました。
この時期ですから、その大半は、受験生なのでしょうね。

絵馬を奉納するにもかなりの行列でした。
すると、私の後ろに並んでいた老夫婦の会話が耳に入ってきました。
(実際は京都弁での会話でしたが、正確に再現できませんので、東京下町語に訳します)

「おい、絵馬にどう書いたんだ?」
「志望校に合格できますように、としか書けないわよ。どこに行きたいのか知らないもの。」
「なんだ、確認してないのか。じゃ、京大と阪大って書いておけ!」
「だめよ、そんな適当なこと書いちゃ・・。」

きっと、お孫さんのために参拝に来たのでしょう。
微笑ましいというか、ちょっと乱暴なご祈祷ですね(笑)。

そして、すべての参拝が終わったあと、境内で出張販売していた長五郎餅2個入りを買いました。
おやつ代わりになるかな、と思った次第です。

もちろん、御朱印もいただきました。
正月期間は、混雑のため書き置きでの対応でしたが、正月限定の「慶春」と書かれた御朱印をいただくことができました。

狙っていた御朱印帳も2冊購入できました。
どちらも昨秋に発売が開始された新製品で、そのうち1冊は、表紙が木製です。
宝物がまたひとつ増えました。

境内では、温かい陽気に誘われて、梅が一部咲いていました。
受験の前に、梅の花を見ることができて、幸先良い気分になりました。

北野天満宮の梅(2016年1月10日)

北野天満宮の梅(2016年1月10日)

青い空とのコントラストがあまりにキレイで、しばし見とれてしまいましたが、気づくと、予定よりも行程がだいぶ遅れていました。

仕方なく、予定していたランチをパスして、次なる目的地へ向かいました。

そして・・、
結局・・・、
今回のひとり旅の昼食は、長五郎餅をふたつ、途中のお寺のベンチで頬張っただけ、という事態になってしまいました。

でも、買っておいてよかった・・。

043 美味求真

今朝、息子を車で塾まで送り、その後会社へ向かいました。
そして、残務を手早く片付け、高い秋空のもと、ウォーキングに出かけました。

まず、向かったのは牛天神北野神社です。大江戸線春日駅から10分ほどで着きました。

その由緒は・・、
鎌倉時代、源頼朝公が奥州東征の途中でこの地に休まれた際、菅原道真公が夢に現れて「二つの喜びがある」と告げられました。
翌年その喜びがあり、当地にあった現在の「ねがい牛」をご神体に、太宰府天満宮より魂を勧請したのが同社の始まりと伝えられています。

都会のド真ん中でありながら、小高い丘に建つ神社は静かで厳かな雰囲気でした。

参拝後、外堀通りを水道橋駅方面へ歩きました。
スターバックスコーヒーを左側に見ながら、小石川橋の交差点を南に渡ったとき、昔、ノーヘルで原付を運転中、この辺りでパトカーに止められたことを思い出しました。
しかも、青紙にサインをしなさいという警官の指示を拒否して、えらく叱られたっけ。
当時流行っていた横浜銀蝿が、私のどこかのパーツに影響していたのでしょうか(笑)。
今から30年以上も前の出来事です。

遠い昔の出来事に思いを馳せながら、私の足はある喫茶店を目指していました。
そこは、神保町の路地裏にある高校時代の思い出の店、「さぼうる」です。

高校生が喫茶店ですから、背伸びしてブラックコーヒー・・、と思いがちですが、私のここでの楽しみは「いちごジュース」でした。
男子高校生が何でいちごジュースなんだ!!と仲間は私を嘲笑しながらも、こりゃウマイ!と、私のジュースを一口飲んでは、皆、感動していました。

そういえばピザトーストも美味しかったなあ・・と思いながら店の前に着くと「日曜休業」の看板が・・。
思いつきで行動すると、こういうことになりますね。

いちごジュース&ピザトーストの夢が破れたので、次は神田藪蕎麦をターゲットにしました。
平成25年2月に火災で焼失しましたが、翌年秋に営業を再開した蕎麦の老舗です。
このまま行けば11:30の開店ちょうどくらいに着くぞ!と鴨南蛮モード全開で店に入ると、20人くらいのお客さんが列を作っていました・・。
日曜日のお昼時、ちょっと考えが甘かったですね・・。

そこで、今年オープンしたマーチエキュート神田万世橋へ行きました。
さあて、どこに入ろうか・・と思ったその時、「築地鳥藤直伝・究極の親子丼」という看板に心を奪われ、迷わず「むぎとオリーブ」という店に入りました。

先程まで鴨南蛮が占めていた私の味覚中枢を、卵とろとろの親子丼が一気に占領しました。
食してみると、これが美味い!しかも、鳥スープ付きで800円はリーズナブル!!

さぼうるも藪蕎麦もすっかり忘れて、満たされた気持ちでお支払いをしていると、そこはかとない違和感に包まれました。

・・・私以外のお客さんは、皆、ラーメンを食べているのです。
アレレ、こんなおしゃれな店構えなのに、ラーメン屋だったの?
店を出てからよくよく看板を見直しました。すると・・、

ミシュランに掲載された銀座「むぎとオリーブ」の支店??
店名の下には「CLAM(はまぐり)RAMEN」の文字が!!
鶏・煮干・蛤のトリプルSOBA!?

なーんだ、ラーメンで超有名なところだったんですね・・。
やっぱり行き当たりばったりはダメですね・・。

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余談:
因みに、横浜銀蝿の正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」です。
横浜の大学に通っていた私にとって、
そして、大人と子供の狭間にいた私にとって、
突っ張っている彼らに、どことなく共感できる部分もあったのでしょう。
彼らは一度解散しましたが、その後活動を再開し、現在も活動中だそうです。

040 槿花一日

8月23日以降、長雨が続いていた東京ですが、久しぶりに晴れの週末になりました。
好天に誘われ、久しぶりにカメラを持って、神社を参拝しました。

訪れたのは、東新宿にある西向天神社です。
その名の由来は、太宰府の方へ向かって社殿を西向きに造っているためと言われています。

ここの境内にはちょっと変わった石碑があります。
それは、歌手・藤圭子さんのデビュー曲「新宿の女」の歌碑です。
作詞を担当した石坂まさを先生が西向天神社の近くに住んでいた縁で、発売キャンペーンの出陣式をここで行ったのだそうです。

「新宿の女」歌碑

「新宿の女」歌碑

「♪ よ〜るがつめたい、しんじゅくの〜おんな〜♪」
ヒットした当時、まだ子供だった私ですが、サビだけなら今も歌えますね。

ちょっと気になったので、「新宿の女」についてネットで調べてみました。

「新宿の女」は1969年9月リリースされた藤圭子さんのデビュー曲で、累計売上は88万枚。
オリコン最高位は9位だったようです。

しかし、この曲が収録されたファーストアルバム「新宿の女/ “演歌の星” 藤圭子のすべて」は、なんと、オリコンアルバムチャート20週連続1位!
1970年3月30日付から1970年8月10日付まで、実に足かけ6ヶ月連続1位です。
20週連続首位記録は、未だに破られていないそうです。

そして驚くことに、21週連続首位を阻んだのは、何と藤圭子さんのセカンドアルバムで、これまた16週連続1位に君臨したとのこと。

この話はまだ終わりません・・・・。
17週目に首位に立ったのは、内山田洋とクールファイブと藤圭子さんとの混成アルバムで、これが5週連続1位になったので、都合、藤圭子さんの首位は41週続いた訳です。

スゴイです、凄すぎますね。
しかも、ドスの利いた声で暗〜い人生を歌っていた藤圭子さんは当時まだ17歳だったとか。
昔の女性は、大人びていますね。

なお、晩年は消息不明だったという報道もあるようです。
ちょっと哀しい最期だったようにも思います。

参拝後、JR新宿駅まで歩きました。
朝10時近くというのに、区役所通りは繁華街らしい淫靡な雰囲気を微かに残していました。
最も目に付いたのは、飲食店勤務を終え、疲労の色を滲ませながらタクシーに乗っていった「新宿の女」でしたね(笑)。

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039 偃武修文

6月21日、神社検定参級を受検しました。
サブテキストを疎かにしたために、試験当日に撃沈した話は以前に紹介しましたが、本日結果通知書が届きました。

なんと、合格でした!!

合格基準は、「100点満点中70点以上の正解者」なのですが、
「70点以上取得した受検者が全体の70%未満の場合は、全体の上位受検者の70%を認定します。」
という注釈があって、今回はこれに該当したようです。

正直、全体の点数が下がればチャンスがあるかも、と僅かな望みを抱いていました。
結果、認定点(合格点)が62点まで下がったため、私も合格の恩恵にあずかれた訳です。
他力本願の典型です。

送られてきたデータによると、最高点は100点。
満点です。天晴れです。

そして、平均点が70.7点。
ワタクシ、平均点に及びませんでした・・。
最終的には、自己採点を1点下回る65点でしたから・・。

しかし、
70点はとれなかったけれど、
平均点以下だったけれど、
おまけのような合格だけれど、
合格通知をいただくというのは、素直に、非常に、嬉しいですね。

以下は合格者に贈られる檜で作られた認定証です。
3級ですから自慢できるほどのものではありませんが、ちいさな宝物になりました。

IMG_4434のコピーのコピー

今回の受検を通して「知らないことを知ることは喜びである」と感じました。
これが最大の収穫でした。

なお、タイトルの偃武修文は「えんぶしゅうぶん」と読みます。
その意味は、「戦いをやめ、学問を重んじて平穏な世の中を築くこと」です。

今日が終戦記念日だとはいえ、大仰なタイトルを付けてしまいました。

しかし、かけがえのない多くの命が失われたのはわずか70年前のこと。
私の両親が既にこの世に生を受けていた時代です。

自らが望めば自由に学問ができる平和な世の中に感謝する。
年に一度くらい、そんな気持ちで過ごす日も必要なのではないかと思います。

034 一念通天

人形町の駅の近くに「水天宮」という神社があります。
弊社からは、隅田川を隔てた反対側になります。
安産・子授け・七五三・初宮・芸能祈願・ 水難除けなどのご利益で知られていますが、最も有名なのは「安産」ではないでしょうか。
戌の日には、大勢の妊婦さんが参拝に訪れています。
因みに、うちのカミさんもここで安産祈願をし、出産を守っていただきました。

この「水天宮」は、福岡県久留米市にある久留米水天宮を総本宮とし、日本各地にあります。
因みに、東京だけでも人形町のほかに、豊島区、清瀬市、立川市にあるようです。

人形町の水天宮は、現在、社殿と社務所を改築しており、明治座前の仮宮に移転中です。
地震対策も施された新社殿の竣工は、平成28年春の予定だそうです。

さて、話は本題に入ります。
先日「水天宮」のサイトを見ていると、見慣れぬメニューがありました。

「今泉天満宮の再建を支援する会」

今泉天満宮は、岩手県陸前高田市気仙町に鎮座する歴史ある神社だそうです。
しかし、東日本大震災の津波により、樹齢約800年と言われる御神木「天神の大杉」のみを残し、跡形もなく流失してしまいました。
あまつさえ、氏子120戸もすべて被災し、神職の方々は茫然自失に陥ってしまいました。

しかし、震災から約一年後、宮司さんを中心に再建へ向けて動き出しました。
ただ、再建に必要な費用は1億5,000万円。その大半は寄付に頼らざるを得ない状況です。
ましてや、氏子たちは皆被災しているため、神社再建に目を向けてもらうのは厳しいと言わざるを得ません。

そこで、ホームページで広く呼びかけ、協力を募っていたのです。

今泉天満宮、という名称ですから、もちろんお祀りしているのは菅原道真公です。
受験生を抱える我が家としては、ちょっと心を揺さぶられます。
そして、私の大学の恩師で、結婚式の媒酌人をお願いしたのが「今泉先生」。
若干、無理矢理感もありますが、何か縁を感じました。

そこで、今日、わずかですが銀行から寄付金を振り込んでまいりました。

ホームページに震災前と震災直後、そして震災から一年半後の写真が掲載されています。
震災後の写真を見ると、周辺に建物は全く見当たらず、御神木が佇むだけです。
無念ですね・・。
地域復興の中心として、一日も早く再建されることを祈るばかりです。

なお、今泉天満宮の再建を支援する会が、世田谷区の瀬田玉川神社内におかれています。
振り込みの連絡に対して、早々に禰宜の高橋様からお礼のメールをいただきました。
近いうち、ぜひ参拝に参りたいと思っています。

追伸:以下に詳細が記されています。ぜひご覧ください。
http://imaizumitenmangu-sien.net/

032 唯一無二

御朱印を集め始めてから半年ほど経ちました。
今日も好天に誘われて、朝のうちに二箇所巡ってきました。

最初に参拝したのは、稲毛浅間神社です。
JR稲毛駅で降り、タリーズでお茶してから徒歩で向かいました。
(先週は千葉駅でしたが、2週続けて行動が被ってます・・。)

稲毛浅間神社は小高い丘の上にあり、朝9時過ぎの境内は、静寂に包まれていました。
御朱印をいただくため社務所へ出向くと、若い女性が対応してくれました。
3人くらいいたでしょうか。優しげな女性たちに癒やされました。
帰りは、隣接する稲毛公園を通り、駅に向かいました。

それから、電車にひと駅乗り、検見川神社へ向かいました。
この神社の社務所は、若い女性と年配の男性が4名ほどいらっしゃいましたが、参拝客との目線が合うというか、隔てがないというか、お願い事がしやすい雰囲気で、大変好感を持ちました。
裏手には、休憩処もあり、またゆっくり訪れたいと思っています。

稲毛浅間神社の御朱印 検見川神社の御朱印

さて、ここで私の御朱印帳袋をご紹介したいと思います。

現在、私は4冊の御朱印帳を使い分けています。
京都府のお寺用と神社用、それから、その他都県のお寺用と神社用です。

そして、御朱印帳を持ち歩く際に入れておく「袋」を2つ所有しています。

神社用御朱印帳袋

これが、私の御朱印帳袋第一号です。
マジックテープで留めるように出来ています。
顔を出している御朱印帳は、京都の晴明神社で購入したものです。
五芒星のマークと西陣織りの表紙が特徴的な、お気に入りの1冊です。

お寺用御朱印帳袋

上は第二号の御朱印帳袋です。
こちらはマジックテープではなく、マグネット式の留め金になっています。
黄色の御朱印帳は、日光山輪王寺の御朱印帳です。
表紙には桜が描かれていて、紙が厚口で、これも私のお気に入りです。

実は、このふたつの御朱印帳袋は、どちらも母の手作りです。
「世界にひとつ」という意味で、非常に貴い、そして大切な袋です。
料理も得意な母ですが、裁縫もお手のものです。
というか、モノ作りが好きで、我が家では日曜大工は母の役目でした(笑)。

いつか御朱印をいただく際に、
「ステキな御朱印帳袋ですね」
なんて神職の方に声を掛けてもらえないかなあ・・って、ちょっとそれは手前味噌ですね。

031 今昔之感

今朝、電車に乗って千葉駅を目指しました。
目的は、千葉神社と千葉縣護国神社の参拝です。
最近ウォーキングをサボっていて、顕著な運動不足に陥っていたため、散歩も兼ねて、千葉駅近くの2つの神社を参拝しようと思い立ったのです。

千葉駅に9時少し前に到着して、いきなりコーヒーブレイク。
そして、ここから頼りはスマホのGoogle Map。
これは便利ですね。

千葉駅を出発してから、迷うことなく10分ほどで千葉神社に着きました。
八重桜がとてもキレイでした。

千葉神社DSC01654

千葉神社は、西暦1000(長保2)年の創建という歴史ある神社です。
1945(昭和20)年七夕の空襲でそのほとんどを焼失してしまいましたが、平成の大造営により、平成2年に社殿が竣工されました。

その境内に、菅原道真公を祀っている千葉天神という摂社がありました。
摂社と呼ぶには、大層立派な構えをしています。
御朱印をいただきながら、息子の受験成就を祈念して絵馬を奉納しました。

千葉神社DSC01664

その後に向かったのは千葉縣護国神社。
やはりスマホに連れっていってもらいました。
徒歩15分くらい要したでしょうか。千葉公園の入口と並んで第一鳥居が見えました。

参拝を終え、御朱印をいただこうと社務所に出向きました。
すると、社務所の前に、一通の手紙が紹介されていました。

終戦後、南の島で捕虜となった若者が、故郷の親族に宛てた手紙でした。

青森県出身で29歳のこの若者は、自らの命が消されようとしているにも関わらず、敗戦した国の復興と、郷里の家族の身上を案じていました。
「一足先に永遠の庭へ心静かに旅立ちます。」と家族宛てに記したのは昭和23年2月17日。
そして、昭和23年4月8日、セレベス島メナドにて法務死とありました。

その手紙は遺詠で締められています。

  国破れ捕はれの身となりつれど 天地の神に恥づる事なし

若者の心中はいかばかりか、私には忖度することすらできません。
今年は終戦から70年の節目の年です。
日本人として、もう一度戦争について考えるときかも知れません。

千葉縣護国神社御朱印DSC01663

 

026 興味津々

昨年の11月に京都へひとり旅をし、御朱印デビューを果たしたことは既に投稿いたしました。

以来、御朱印に関するサイトをいろいろと調べました。
私にとっては新鮮そのものでした。

中でも最も印象に残っているのは、
「御朱印は集めるものではなく、集まるものです」
というフレーズです。スタンプラリーとは一線を画していることを肝に銘じないといけません。

私は以下のことを決めました。
1 御朱印をいただく寺社の由来や歴史を事前に調べてから参拝すること。
2 御朱印帳は神社とお寺を分けること。
3 京都の寺社とその他の場所の寺社の御朱印帳を分けること。

御朱印集めは、私の新たな趣味となりました。

まず、お正月に地元の神社でいただきました。
決して大きな神社ではありませんが、迫力ある毛筆が印象的でした。

そして、靖国神社でも頂戴しました。
ここは私の父の名付け親が眠っているので、子供の頃から毎年正月に参拝に訪れています。
御朱印はまるで書道のお手本のような、とても丁寧な文字でした。

その後、仕事で行った原宿の東郷神社でもいただきました。
東郷神社では御朱印よりも、御朱印帳が印象に残っています。
何と、キティちゃんの絵柄入りなのです。
どうやら新製品のようです。
御朱印とキティちゃんのコラボに胸をときめかせている自分に気味悪さを覚えつつ、神社を後にしました。

東郷神社御朱印帳