投稿者「izuart」のアーカイブ

046 半信半疑

今回も漢字の話題です。

画数の多い漢字は何?と聞かれて思い浮かぶのは、どんな漢字ですか?
私がとっさに浮かんだのは、憂鬱の「鬱」でした。
(といっても正確に書くことはできませんが・・)
この漢字はどうやら29画のようです。

それでは、最も字画が多い漢字は一体何画なのでしょうか?
調べてみると、84画の漢字があるようです。

その漢字は、まず、「轟」という字と同じように、雲を3つ並べます。
(「䨺」です。)
そして、その下に龍を3つ同様に書きます。
(「龘」です。)

それで一字です。
「たいと」「だいと」「おとど」と読むそうです。
(書き方は下図のとおり2種類あるのだそうです・・)

82画

その由来は・・・、

昭和のある日、とある大手証券会社に大金を持って現れたその人物が、名刺に残していったと伝えられる。
当人は、その時に「たいと」と名乗ったそうだ。
ただ、電話帳など他の姓のデータには見いだすことができず、当時は用いることが可能であった仮名(かめい)ではないかと推測される。

即ち、実際に存在したかどうか不明の「伝説の苗字」だそうです。
ちょっと実在したとは考えにくいですね・・。

ここで、面白い情報をひとつ。
北松戸駅前に「おとど」というラーメン屋があるそうです。
そうです、上記一文字が店の名前なのだそうです。
店の看板や暖簾には、あの漢字が大きく明示されているとのこと。
実際にこの漢字を目の当たりにしたら、何か感じることがあるかも知れません。
ちょっと行ってみたくなりますね。

ここで紹介した文章は、三省堂ワードワイズ・ウェブに詳しく掲載されています。
なかなか興味深いサイトですので、一度ご覧いただきたく思います。

余談:
因みに、憂鬱の「鬱」の書き順、ご存じですか?
最初に「木」を書いてはいけません。
上段中央の「缶」から書き始めて、左側の「木」、右側の「木」という順、だそうです。

045 遠路態々

漢字は奥が深くとても難しいですが、学べば学ぶほど新しい発見がありますね。
我々印刷業は文字を扱う商売ですから、漢字に対する知識は重要だと思っています。
漢検準一級の受検を断念した私が言うのもなんですが・・。

漢字は書くことはもちろんですが、読みも侮れません。
著名人が漢字を読み間違えてしまったネタもたくさんありますね。
最も有名なのは、麻生太郎さんの「みぞうゆう(未曾有)」でしょうか(笑)。

アナウンサーが生放送で漢字を読み違えてしまった、なんてことも結構あるそうです。
「訃報」を「とほう」
「西瓜」を「にしづめ」
「近藤勇」を「こんどういさお」などなど・・。

読売巨人軍の前監督・原辰徳さんの母校「東海大相模」を「とうかいおおずもう」と読んだアナウンサーもいたとか??

そういえば私にも苦い思い出があります。
社会人になってまもなく、会葬礼状の組版をしていた職人さんにこう尋ねました。

遠路たいたいご会葬いただき・・」ってどういう意味ですか?

すると、

「お前は大学まで出てるくせに、何を勉強してきたんだ!」
「遠路わざわざと読むんだ!」

文選の職人さんにひどく叱られました。

遠路態々

この字が読めませんでした・・。

昔の職人さんは、学歴なんかなくても漢字を良く知っていました。
そして、一日中立ち仕事に耐えうる体力も持っていました。
時代は移れど、私も、DTPオペレーターも、見習うべき点がありますね。

【補足】
文選とは活版印刷の工程のひとつで、原稿に従い、活字棚から活字を拾うこと。
一方、文選職人が拾った活字を並べ、組み版を整える工程を、植字といいます。

044 覆水不返

平成7年11月5日、私は34歳の時に結婚しました。
即ち、明後日結婚20周年を迎える訳です。

こういう節目を大事にするのは主に女性で、男はズボラなことが多いですね。
かくいう私も、数ヶ月前には「今年で20年なんだ・・」と意識していたのですが、暑さが一段落した頃にはすっかり忘れていました。

改めて思い出したのは、先日横浜で親友のたけちゃん夫妻と4人で食事をした時。
デザートのプレートに「20years Anniversary」と書かれてあったのです。
たけちゃんは、我々の20周年を覚えていてくれて、サプライズを仕掛けてくれました。
それにしても、友人から気付かされたというのは、我ながら情けなかったですね。

後日、20年という大きな節目ですから、記念に何か欲しいものを買ってもいいよ、とカミさんに言いました。

ところで、結婚20年は「ナニ婚式」と呼ぶのでしょうか?
そこを知ることがまずは道理だと思い、早速ネットで調べてみました。

1年目 紙婚式
2年目 綿婚式
3年目 皮婚式

いろいろあるんだなあ・・。

5年目 木婚式
6年目 鉄婚式
7年目 銅婚式

なるほど・・。徐々に硬いもの・価値あるものに移っていくのか・・。

10年目 アルミニウム婚式
15年目 水晶婚式
20年目 磁器婚式

じきこんしき??
正直、もうちょっと格好いいネーミングなのかと思っていました。
例えば25年目の「銀婚式」のように。

ひょっとして・・、20年ってさしたる節目ではないのか??
ということは・・、カミさんへのプレゼントは5年後の銀婚式でいいか??
何はさておき・・、男に二言が許されるか??

043 美味求真

今朝、息子を車で塾まで送り、その後会社へ向かいました。
そして、残務を手早く片付け、高い秋空のもと、ウォーキングに出かけました。

まず、向かったのは牛天神北野神社です。大江戸線春日駅から10分ほどで着きました。

その由緒は・・、
鎌倉時代、源頼朝公が奥州東征の途中でこの地に休まれた際、菅原道真公が夢に現れて「二つの喜びがある」と告げられました。
翌年その喜びがあり、当地にあった現在の「ねがい牛」をご神体に、太宰府天満宮より魂を勧請したのが同社の始まりと伝えられています。

都会のド真ん中でありながら、小高い丘に建つ神社は静かで厳かな雰囲気でした。

参拝後、外堀通りを水道橋駅方面へ歩きました。
スターバックスコーヒーを左側に見ながら、小石川橋の交差点を南に渡ったとき、昔、ノーヘルで原付を運転中、この辺りでパトカーに止められたことを思い出しました。
しかも、青紙にサインをしなさいという警官の指示を拒否して、えらく叱られたっけ。
当時流行っていた横浜銀蝿が、私のどこかのパーツに影響していたのでしょうか(笑)。
今から30年以上も前の出来事です。

遠い昔の出来事に思いを馳せながら、私の足はある喫茶店を目指していました。
そこは、神保町の路地裏にある高校時代の思い出の店、「さぼうる」です。

高校生が喫茶店ですから、背伸びしてブラックコーヒー・・、と思いがちですが、私のここでの楽しみは「いちごジュース」でした。
男子高校生が何でいちごジュースなんだ!!と仲間は私を嘲笑しながらも、こりゃウマイ!と、私のジュースを一口飲んでは、皆、感動していました。

そういえばピザトーストも美味しかったなあ・・と思いながら店の前に着くと「日曜休業」の看板が・・。
思いつきで行動すると、こういうことになりますね。

いちごジュース&ピザトーストの夢が破れたので、次は神田藪蕎麦をターゲットにしました。
平成25年2月に火災で焼失しましたが、翌年秋に営業を再開した蕎麦の老舗です。
このまま行けば11:30の開店ちょうどくらいに着くぞ!と鴨南蛮モード全開で店に入ると、20人くらいのお客さんが列を作っていました・・。
日曜日のお昼時、ちょっと考えが甘かったですね・・。

そこで、今年オープンしたマーチエキュート神田万世橋へ行きました。
さあて、どこに入ろうか・・と思ったその時、「築地鳥藤直伝・究極の親子丼」という看板に心を奪われ、迷わず「むぎとオリーブ」という店に入りました。

先程まで鴨南蛮が占めていた私の味覚中枢を、卵とろとろの親子丼が一気に占領しました。
食してみると、これが美味い!しかも、鳥スープ付きで800円はリーズナブル!!

さぼうるも藪蕎麦もすっかり忘れて、満たされた気持ちでお支払いをしていると、そこはかとない違和感に包まれました。

・・・私以外のお客さんは、皆、ラーメンを食べているのです。
アレレ、こんなおしゃれな店構えなのに、ラーメン屋だったの?
店を出てからよくよく看板を見直しました。すると・・、

ミシュランに掲載された銀座「むぎとオリーブ」の支店??
店名の下には「CLAM(はまぐり)RAMEN」の文字が!!
鶏・煮干・蛤のトリプルSOBA!?

なーんだ、ラーメンで超有名なところだったんですね・・。
やっぱり行き当たりばったりはダメですね・・。

IMG_4609

余談:
因みに、横浜銀蝿の正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」です。
横浜の大学に通っていた私にとって、
そして、大人と子供の狭間にいた私にとって、
突っ張っている彼らに、どことなく共感できる部分もあったのでしょう。
彼らは一度解散しましたが、その後活動を再開し、現在も活動中だそうです。

042 吃驚仰天

私、週に一度は必ず京葉道路を走ります。
千葉県内にある、大切なお客さんを訪問するためです。

京葉道路を走行していると、スピード違反の摘発シーンによく遭遇します。
捕まえているのはパトカーではなく、決まって覆面パトカーです。
車種はクラウン、色はグレイです。

基本的に車には荷物を積んでいますし、元来飛ばす方ではない私ですが、あまりにも頻繁に摘発シーンに遭遇するため、グレイのクラウンには注意を払っています。

そして、今日。

船橋料金所の少し手前で、直前を走っていた車が左に車線変更すると前が広く空きました。

「よっしゃ、腹も減ったし、幕張サービスエリアまで、いっちょ行くか!」

と思った瞬間、一番左の車線をゆっくり走る、グレイのセダン車が目に入りました。

ん?

そうです。あの覆面パトカーでした。
制服を着た警官が、追い越し車線方向を見ながら、ハンドルを握っていました。

吃驚仰天でした(「びっくりぎょうてん」と読みます)。
運転席の警官と、目が合ったような気がしました。
正に間一髪でした。

私は18歳の時に運転免許を取得しましたが、これまで35年間、スピード違反で捕まったことがありません。
私の小さな自慢のひとつです。

制限速度を常に守るセーフティドライバー、では決してありませんので、ただただ運がいいとしか言いようがありませんね。

が、駐車違反は・・、
え~と・・、
15回は捕まっていると思います(>_<)

前回の免許更新から約3年。
まだ、駐車違反で捕まっていないぞ。

あと2年頑張れば、次回の更新手続きが簡易に済むぞ。
ちょっと努力してみようかしらん。

041 海内無双

シルバーウイークの初日、家族で学園祭を見学に行きました。
ここは東京で三本の指に入る、私立の名門男子中学校です。
そして、ここの学園祭は大人も楽しめると評判の、知る人ぞ知る学園祭なのです。

学園祭は、その学校の雰囲気や生徒の特徴を把握する良い機会と言われています。
セガレの受験を来春に控えている我が家も、遅ればせながら見学に行った次第です。

今日の見学にあたり、後押しをしてくれた人が2人います。

ひとりはセガレの通う学習塾の塾長先生。
個人面談で「山田君にお薦めしたい学校の一つです」と聞かされました。
よくよく話を聞くと、塾長本人の母校のようです。
生徒全員に薦めているのではないでしょうか(笑)。

そしてもうひとりは、私の小学校時代の親友・たけちゃんです。
彼も塾長先生同様、この学校のOBです。

私の中でたけちゃんは、「秀才といえばこの人」という存在です。
彼は勉学に秀でているだけではなく、品があります。お育ちが良いのです。
中学・高校・大学にも優秀な友人はいましたが、トータルで彼を凌ぐ者はいませんね。

そして、彼のご子息は神奈川県の有名私立校から、現役で公立の医学部に合格しました。
さらに、お嬢さんは慶應義塾大学に、これまた現役合格を果たしました。
もちろん、奥さんもステキです。料理は上手だし、私の冗談話にも付き合ってくれるし。

まさに雲の上の存在です。
あまりに優秀すぎて、まるでドラマの家族のように感じています。

そして、今日、学園祭を見学した感想は・・・・、

さすがたけちゃんの母校、知的で品のいい生徒さんで溢れていました。

残念だったのは、セガレの体調が今イチで、予定通りに見学できなかったことです。
それでも実際に学校へ足を運んで良かったと思っています。

土曜も日曜も塾に通うセガレですが、本命校がまだ決まっておらず、焦りを感じ始めている反面、たけちゃんの母校が目標校のひとつであることに、どことなく歓喜しています。
少しでも、ほんの一歩でも、セガレがたけちゃんに近づけたらなあ、と思っています。

あ・・、でも・・、
父親の品格がまるで違うか・・・・。
これは難題だ・・・・。

040 槿花一日

8月23日以降、長雨が続いていた東京ですが、久しぶりに晴れの週末になりました。
好天に誘われ、久しぶりにカメラを持って、神社を参拝しました。

訪れたのは、東新宿にある西向天神社です。
その名の由来は、太宰府の方へ向かって社殿を西向きに造っているためと言われています。

ここの境内にはちょっと変わった石碑があります。
それは、歌手・藤圭子さんのデビュー曲「新宿の女」の歌碑です。
作詞を担当した石坂まさを先生が西向天神社の近くに住んでいた縁で、発売キャンペーンの出陣式をここで行ったのだそうです。

「新宿の女」歌碑

「新宿の女」歌碑

「♪ よ〜るがつめたい、しんじゅくの〜おんな〜♪」
ヒットした当時、まだ子供だった私ですが、サビだけなら今も歌えますね。

ちょっと気になったので、「新宿の女」についてネットで調べてみました。

「新宿の女」は1969年9月リリースされた藤圭子さんのデビュー曲で、累計売上は88万枚。
オリコン最高位は9位だったようです。

しかし、この曲が収録されたファーストアルバム「新宿の女/ “演歌の星” 藤圭子のすべて」は、なんと、オリコンアルバムチャート20週連続1位!
1970年3月30日付から1970年8月10日付まで、実に足かけ6ヶ月連続1位です。
20週連続首位記録は、未だに破られていないそうです。

そして驚くことに、21週連続首位を阻んだのは、何と藤圭子さんのセカンドアルバムで、これまた16週連続1位に君臨したとのこと。

この話はまだ終わりません・・・・。
17週目に首位に立ったのは、内山田洋とクールファイブと藤圭子さんとの混成アルバムで、これが5週連続1位になったので、都合、藤圭子さんの首位は41週続いた訳です。

スゴイです、凄すぎますね。
しかも、ドスの利いた声で暗〜い人生を歌っていた藤圭子さんは当時まだ17歳だったとか。
昔の女性は、大人びていますね。

なお、晩年は消息不明だったという報道もあるようです。
ちょっと哀しい最期だったようにも思います。

参拝後、JR新宿駅まで歩きました。
朝10時近くというのに、区役所通りは繁華街らしい淫靡な雰囲気を微かに残していました。
最も目に付いたのは、飲食店勤務を終え、疲労の色を滲ませながらタクシーに乗っていった「新宿の女」でしたね(笑)。

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039 偃武修文

6月21日、神社検定参級を受検しました。
サブテキストを疎かにしたために、試験当日に撃沈した話は以前に紹介しましたが、本日結果通知書が届きました。

なんと、合格でした!!

合格基準は、「100点満点中70点以上の正解者」なのですが、
「70点以上取得した受検者が全体の70%未満の場合は、全体の上位受検者の70%を認定します。」
という注釈があって、今回はこれに該当したようです。

正直、全体の点数が下がればチャンスがあるかも、と僅かな望みを抱いていました。
結果、認定点(合格点)が62点まで下がったため、私も合格の恩恵にあずかれた訳です。
他力本願の典型です。

送られてきたデータによると、最高点は100点。
満点です。天晴れです。

そして、平均点が70.7点。
ワタクシ、平均点に及びませんでした・・。
最終的には、自己採点を1点下回る65点でしたから・・。

しかし、
70点はとれなかったけれど、
平均点以下だったけれど、
おまけのような合格だけれど、
合格通知をいただくというのは、素直に、非常に、嬉しいですね。

以下は合格者に贈られる檜で作られた認定証です。
3級ですから自慢できるほどのものではありませんが、ちいさな宝物になりました。

IMG_4434のコピーのコピー

今回の受検を通して「知らないことを知ることは喜びである」と感じました。
これが最大の収穫でした。

なお、タイトルの偃武修文は「えんぶしゅうぶん」と読みます。
その意味は、「戦いをやめ、学問を重んじて平穏な世の中を築くこと」です。

今日が終戦記念日だとはいえ、大仰なタイトルを付けてしまいました。

しかし、かけがえのない多くの命が失われたのはわずか70年前のこと。
私の両親が既にこの世に生を受けていた時代です。

自らが望めば自由に学問ができる平和な世の中に感謝する。
年に一度くらい、そんな気持ちで過ごす日も必要なのではないかと思います。

038 四苦八苦

毎日、厳しい暑さてすね。
まだまだこんな日が続くと思うと、少しげんなりしてしまいます。

さて、 今日は電車でクライアントへ向かいました。
新しい仕事の打ち合わせでしたので、足取りは軽やか(なつもり)でした。

しかし、会社を出て歩き出した途端、汗が吹き出してきました。

「あっついなあ」

ハンカチを取り出し、額を拭う姿は、間違いなく、しかめっ面だったと思います。
眉間にシワを寄せたまま、信号を渡ると、突然声を掛けられました。
見ると、かなりふくよかな外国人の女性の方でした。

「Excuse me?」
とても小さな声でした。
眉間のシワが印象を悪くしていること、間違いなしです。

女性はやおらカバンからガイドマップを取りだし、ある地点を指差すのです。
どうやら、東京都現代美術館を目指している外国人観光客のようです。

「はいはい、お安いご用ですよ。
まず、この道を真っ直ぐ行くと、三つ目通りという大きな道路に突き当たります。
信号を渡ってから左に曲がってくださいね。少し歩けば右側にありますよ~。」

ところが、この程度の英語が出ないのです・・。
「Yes, I know!」と言ったまま、フリーズしてしまいました。

眉間にシワ。固まるオヤジ。
おもてなしの国とはほど遠い光景です。

「Do you have a map around here?」
(これは結構流暢な発音だったと思います)

地図を指でなぞれば、言葉は要らないかも?
我ながら良い閃きだと感心していると、女性が地図の1ページが開いてくれました。
しかし、我々がいる場所は、その地図からギリギリ外れていました(( ̄▽ ̄;))
絵文字のとおり、「ガーン」と音がした気がしました。

「ごー  すとれいと」
「ざ  さーどしぐなる  たーん  とぅ  れふと」
「そー  ゆー  きゃん  しー  ざ  みゅーじあむ  あっと  らいとさいど」
「あばうと  てん  みにっつ  うぉーく  ふろむ  ひあ」

その後は、おおよそこんなボコボコの英語を喋りました。
突き当たりも三つ目通りも説明できていませんでした。

でも、その女性はにこやかに去っていきました。
別れ際によくよく見ると、美しくチャーミングな方でした。

英語をもう一度勉強しなければ、と痛感しました。
5年後のオリンピックのためにも。

それにしても、あの女性、無事に到着できたかしらん。

037 軽佻浮薄

今日、亀戸天神社を参拝してまいりました。
ここは湯島天満宮、谷保天満宮と並んで関東三大天神のひとつです。

天神社ですから、もちろん御祭神は菅原道真公です。

初めて参拝したのは、大学受験前の18歳のとき、高校の同級生と訪れました。
しかし、私にとっては苦い思い出の地なのです・・。
大学合格祈願で訪れた私は、若気の至りで絵馬に不謹慎なコメントを記入したのです。
軽い気持ちで書いてしまったのですが、帰宅後、父にひどく叱られたのを覚えています。

35年ぶりにご本殿の前で手を合わせ、かつての愚行を謝しました。

その後、ご本殿西側の神牛の頭をいっぱい撫でて、息子の受検合格を祈願しました。
また、道真公の正室・宣来子命と14方のお子様を祀る「花園社」という摂社や、菅公の教学上の師、延暦寺第十三代座主法性坊尊意僧正を祀った摂社「御嶽神社」など、ひととおり参拝を終え、御朱印をいただきに行きました。

すると、藤の花の育成基金を1口3,000円で募集している旨の掲示がありました。

そういえば、数ヶ月前に東京の名所を撮影する必要に迫られ、早朝、忍び込むように境内に入り、スカイツリーをバックに満開の藤の花を撮影させていただいたなあ・・。
流れるように咲くその姿に心癒やされたなあ・・。

で、1口だけではありますが、協力させていただきました。

御朱印代と合わせて3,300円を、若くてとても可愛い巫女さんにお納めしました。
小顔で涼しげな巫女さんから、「ようこそお参りくださいました。」と言われ、基金への協力者に配布している「ふじみ守」とお供物を頂戴しました。

ほのぼのとした心持ちになったものの、35年前の重たい荷物はまだ降ろせていないな・・と
感じつつ、鳥居の前で深く一礼し、またの参拝を誓って神社を後にしました。

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