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099 桑原桑原

セガレの中学受験に際して、全国の天満宮を巡りましたが、菅原道真公と天満宮について、少し書き留めたいと思います。
(外山晴彦氏監修、成美堂出版発行「神社辞典」改変)

幼少より文武両面に才能を発揮した道真は、899年、右大臣にまで昇り詰めました。
しかし、宇多天皇を追い落とそうとする藤原時平と醍醐天皇の陰謀に巻き込まれた道真は、左遷された太宰府で、無実を訴えたまま生涯を終えます。

道真が亡くなった頃、京都では時平の早死にや御所への落雷など不吉な事件が相次ぎます。
更に疫病の流行や天候不順から来る飢饉など、様々な災害にも見舞われます。
これを無実の罪で道真を太宰府に左遷した天罰ではないかという声が出てきました。

結局、醍醐天皇の勅命が下され、919年、道真の墓所に創建された安楽寺が後の太宰府天満宮の始まりです。

太宰府天満宮は当初、無実の罪で左遷された道真の生前の功績を讃え、菩提を弔うためでしたが、年月が経つにつれ、藤原氏の陰謀による左遷という事実は忘れられがちになり、道真は才能溢れる学者にして政治家として記憶されるようになっていきました。
このため、太宰府天満宮の性格も、道真の御霊を鎮める神社としての性格は薄れ、道真の才能にあやかろうとする参拝者が多くなり、太宰府天満宮は学問の神様・菅原道真を祀る神社として崇敬されるようになっていきました。

一方、道真の死後、京都を襲った異変について、もっと詳しく記したいと思います。
(Wikipedia「菅原道真」改変)

菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。
まず、道真の政敵・藤原時平が延喜寿9年(909年)に39歳の若さで病死すると、続いて延喜13年(913年)には道真失脚の首謀者の一人とされる右大臣・源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死し、更に醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥)が延喜23年(923年)に病死、次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫)が延長3年(925年)に相次いで病死。
さらには延長8年(930年)、朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言・藤原清貴をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)うえに、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。

恐るべし、道真公の怨念(笑)。
よくもこんなに悲惨な事件が頻発したものです。

ところで、道真公が怨霊となって、京の都中に雷を落とした折り、菅原家所領の地・桑原には何故か一度も落雷がなかったと伝えられています。
落雷よけの呪文「くわばらくわばら」は、この故事に由来しているのだそうです(諸説あり)。

菅原道真公は承和12年6月25日の生まれで、延喜3年2月25日に亡くなっています。
また、太宰府に左遷されたのが、昌泰4年1月25日とも言われています。
これらにちなんで、毎月25日を「天神さんの日」とし、全国の天満宮で縁日が行われています。
そして、1月25日、その年初めての縁日を「初天神」と呼びます。

そんな訳で、今日のブログは、落語の「初天神」で締めたいと思います。
(Wikipedia「初天神」)

良く晴れた1月25日、男が天満宮に参拝に出掛けようとした。すると、女房が息子も連れて行ってくれと頼む。男は、息子が物を買ってくれとうるさくせがむのが分かっており、乗り気ではなかった。しかし、折悪しく、外から息子が帰ってくる。
男は、どうしても付いて行きたいと懇願する息子をつっぱねる。
すると、ヘソを曲げた息子は、隣の親父の家へ出かけて行く。

『面白い話聞きたくな~い?あのね、昨日の夜の、うちのおとっつぁんとおっかさんの、おはなし』
男は、そんなことを外で話されてはたまらないと、大慌てで息子を連れ戻し、しぶしぶ初天神に連れて行くのだった。

天満宮への道を歩きながら、父は息子に買い物をねだるなと念を押す。
しかし、息子は
「ね、おとっつぁん、今日はおいらあれ買ってくれーこれ買ってくれーっておねだりしないでいい子でしょ」
「ああ、いい子だよ」
「ねっ。いい子でしょ。ごほうびに何か買っておくれよ!」
これでは、いつもと同じである。
息子がさまざまな果物を買えと催促するが、父は「体に毒だから」と無理な理屈で拒否する。
しかし、息子が余りにうるさいので口塞ぎのために、やむを得ず飴玉を買うことにした。
店先で売り物の飴を散々ねぶり回して吟味する父に、飴屋の親父もあきれ顔。
飴を買ってもらって御機嫌の息子は、飴を舐めながら歌を歌う。

二人は天満宮の参拝を終えた。息子は、凧を買ってくれるよう催促する。
「あの1番大きいのがいい」
「馬鹿だな、ありゃあ店の看板だい」
「売り物ですよ。坊ちゃん、買ってくんなきゃあすこの水溜りに飛び込んで着物汚しちまうってお言いなさい」
「変な入れ知恵すんねえ!」
父は、しぶしぶ凧を買い、天満宮の隣にある空き地に息子を連れて行く。

男は、凧揚げは子供時代に腕に覚えがあったことを息子に自慢し、まず自分がと凧を揚げる。
そのうち、男は、すっかり夢中になってしまい、息子が「凧を揚げさせてくれ」と脇から催促するのに対して、「うるせえっ!こんなもなァ、子供がするもんじゃねえんだい!」
と一喝して凧を渡そうとしない。
息子は、無邪気に遊ぶ父の姿を見て、
「こんなことなら、親父なんか連れてくるんじゃなかった」とぼやくのだった。

お後がよろしいようで。

088 一粒万倍

一粒万倍。
一粒の種でも、蒔けば万倍の一万粒にも増える。
だから、少しのものでも粗末にはできない、という意味です。

Wikipediaによると、一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉とのこと。
但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは、苦労の種が万倍になるので凶とされる、のだそうです。

大安・仏滅を意識することはあっても、一粒万倍日は忘れられがちですね。
因みに、一粒万倍日は「選日」の1つです。
選日(せんじつ)とは何かを調べると・・・・、

暦のひとつで「撰日」、または「雑注」ともいう。
暦の種類は「六曜」「七曜」「十二直」「二十八宿」「九星」「暦注下段」など様々だが、これら暦の「暦注(=暦の注釈で、その日や時間、方位など決められた吉凶のこと)」に含まれなかったすべての日のこと。
選日の多くは、その日の「十干十二支」の組み合わせから、吉凶が判断されている。
(http://happism.cyzowoman.com/jiten/koyomi/post-277.html)

何が何だかさっぱりわかりませんね・・。
そして、選日には、一般に以下のものがあります。

  • 八専:気が乱れ、物事がうまくいかない。神事や弔事は行えない。
  • 三伏:種まき、療養、遠行、男女の和合など、全て慎むべき日。
  • 犯土:穴掘り、井戸掘り、種まき、土木工事、伐採など土いじりは一切慎むべき日。
  • 三隣亡:家を建てたり、大工のように高いところへ昇ったりすると不運が訪れるとされる日。
  • 天赦日:結婚、慶事などに最適な、大幸運日。
  • 十方暮:何事もうまくいかない厄日。
  • 天一天上:家さえキレイにしておけば、どこへ出かけても幸福な出来事に出会える日。
  • 不成就日:何かを始めても結果的にうまくいかない、願いが成就しないとされる日。

益々わからなくなってきました・・。
あまつさえ、さんりんぼう(三隣亡)以外は読むことすらできません。

一粒万倍日を最も身近で感じることができるのは、宝くじ売り場ではないでしょうか。
「本日、一粒万倍日」という幟を見たことがありませんか?
まあ、細かい理屈はこの際抜きにして、この幟が立っていたら、宝くじやロト6を買おう!というくらいの認識で良しとしましょうかね。

ここで・・・・、
この投稿を締めるつもりだったのですが、今日が「一粒万倍日&大安」 のW幸運日と知りました。しかも、年末ジャンボの発売期間中、W幸運日は今日だけ。

これは神のお告げなのではないかと思い、勇んで宝くじ売り場に行きました。
すると現地で知ったのですが、今年の年末ジャンボは3種類もあるんだとか・・。
迷った末に、一番大きな夢と一番小さな夢を、少しだけ購入しました。
自宅に神棚はありませんので、大晦日までの適した保管場所がないのですが、取り急ぎ、書庫の一番上に置いてある御朱印帳の上に納めておくことにしました。

086 克己復礼

今年のアメリカ大リーグのワールドシリーズは、シカゴ・カブスが優勝しました。
実に、1908年以来、108年ぶりの優勝だったそうです。

カブスが世界一から遠ざかっていた理由として「ヤギの呪い」があるからだ、と言われています。

1945年のワールドシリーズ第4戦、カブスの熱心なファンだったビリー・シアニスさんが、ペットのヤギ「マーフィー」を連れて観戦に来ると、臭いを理由に入場を拒否されました。
怒ったシアニスさんは、恨みの言葉を投げつけて球場を後にしました。
“Them Cubs, they ain’t gonna win no more.”
「カブスは二度とワールドシリーズに勝てなくないだろう」
すると、この年のカブスはタイガースに第7戦で敗れ、以降、今シーズンまで70年もの間、ワールドシリーズに出場することすらできませんでした。

ビリーさんはいつも「マーフィー」のための座席も購入して球場に来ていたそうです。
1945年の出来事ですから、終戦の年にあたります。
海の向こうでは、山羊を連れて野球観戦か・・・・。
若干複雑な思いも湧いてきます。

そもそも大リーグは30球団で編成されています。
12球団の日本とは規模が違います。
呪いがなくても、30チームのトップになるのは、大層なことだと思います。
4人で遊ぶ麻雀でトップを取るのでさえ、結構大変ですからね(笑)。

話は変わりますが、先週末に私が幹事を務めているゴルフコンペがありました。
しかも、迎えて100回目という節目の大会でした。

平成4年の5月に創始し、遂に100回目を迎えたのですが、第1回からずっと幹事を務めてきましたので、やや感慨深い思いに包まれました。

さて、肝心のコンペの結果ですが、優勝の栄誉に浴したのは、内田くんでした。
朝から冷たい雨に見舞われ、ピンポジションも難しい中、グロス92で堂々の優勝でした。

最多で31人が参加したことのあるこのコンペですが、100回大会の参加者は13人でした。
13人とはいえ、優勝するのは簡単ではありませんし、大変名誉なことです。
現に、私が最後に優勝したのは2013年12月ですから、3年も遠ざかっています・・・・。

ただ、年齢のせいか、最近は「勝つ」よりも「克つ」ことの大切さを感じています。

ゴルフも仕事も、時の運や相手との力関係がありますから、連戦連勝とはいきません。
しかし、自分に克つことは、自分次第で勝率100%も可能です。

些細であっても、小事であっても、自分に克ち続けることが大事なのではないか…。
心だけは折れないようにすれば、人生にもビジネスにも負けないのではないか…。

50代半ばになると、若い頃には思いも及ばなかったことを考えるものです。
不況業種の渦中で、もがいている現れなのかもしれません。

085 暗闘反目

「スタバはなくてもスナバ(砂場)がある」

当時、47都道府県で唯一、スタバの店舗がなかった鳥取県・平井知事の名文句です。
この発言は、流行語大賞にもノミネートされ、マスコミで広く取り上げられましたね。

その後、地元の業者が「すなば珈琲」という店舗を本当にオープンさせたそうですから、県知事の発言は多大な影響を及ぼしたといえましょう。

さて、スターバックスコーヒーは、言わずと知れたシアトル生まれのコーヒー店です。
1971年創立ですから、45年前になりますね。

日本初上陸は1996年(平成8年)。
場所は、東京・銀座でした。

それから2年半の間に、100店舗を展開するなど順調に推移し、今日(2016年11月13日)現在、東京都内に約300店舗、千代田区だけでも40店舗もあるようです。
最近は、駅の構内や高速道路のサービスエリアなど、至る所で目にしますね。

その一方、東京23区内でスタバ空白地域が2つあるのだそうです。
荒川区と江戸川区です。
ネット上では、どちらが「都内唯一」として取り残されるのか、なんて議論もあるようで、誘致に積極的な江戸川区に対して静かな荒川区、という評判もあるそうです。

そして、その対決に決着がつきました!
11月16日にシャポー小岩店がOPENする、とスタバ公式サイトに掲載されたのです。
すなわち、荒川区がスタバ空白最後の区になってしまった訳です。

私個人的には、日暮里か西日暮里あたりに開店して荒川区の勝ち、と予想していました。
なんせ山手線の駅ですから。

暗闘反目などと無責任なタイトルを付けましたが、別に両区が店舗の誘致を巡って争っていた訳ではないですから、荒川区には敗北意識もないと思います。
逆に、鳥取県知事のようなおおらかな受け止め方がいいのかも知れません。
ひょっとすると「すなば珈琲が荒川区内に東京初出店!」なんてことになるかも知れませんから。

084 九鼎大呂

「みんな!ニューヨークへ行きたいかーっ!!」

このフレーズを記憶している方は多いと思います。
昭和50年代から平成の初頭にかけて日本テレビで放送された、アメリカ横断ウルトラクイズで司会を務めていた福留功男アナの有名な絶叫です。

この番組で象徴的な存在だったのは、ニューヨークの自由の女神でしょう。
予選から続く壮大なクイズの決勝戦を、ニューヨークで開催することで有名でしたね。

自由の女神像は、ニューヨークのリバティ島に建っています。
正式名称を「Liberty Enlightening the World」と言うのだそうです。
直訳すると「世界を照らす自由」でしょうか。
学生の頃、自由の女神=Statue of Liberty と学んだ記憶があります・・・・。
若干腑に落ちませんが、まあ、良しとしましょう。

この像は、1986年、アメリカ合衆国独立100周年を記念して、フランスから寄贈されました。
右手には松明(たいまつ)を、左手には独立宣言書を持っています。
高さは約48メートル、重量が約225トン。
奈良・東大寺の大仏さんの座高が約15メートルですから、高さは3倍以上になります。

1984年には世界遺産にも登録され、アメリカの自由と民主主義の象徴であるこの像ですが、9.11の同時多発テロ事件の後、テロの標的になることを懸念し、展望台が閉鎖されました。
現在は、多少の規制が敷かれてはいるものの、立ち入りができるようになっています。
世界屈指の観光地ですから、妙な心配をせずに、多くの人が楽しめる場所であって欲しいですね。

ところで、東京にも自由の女神像があるのをご存じですか?
場所はお台場です。

「日本におけるフランス年」を記念して、セーヌ川の中洲シーニュ島にある「自由の女神像」が平成10年4月から翌年1月までの間、お台場海浜公園に設置されました。
その優美な姿が非常に好評だったため、像の返却後もレプリカの作成を望む声が強まりました。
そして、パリ市からの正式に認可を受けた後、フランスに帰った女神像から直接型取りして制作、平成12年12月に除幕されました。
 

自由の女神

上の写真は、今年8月にお台場で撮影したものです。
こうして見ると、異国情緒も感じられます。
レインボーブリッジを背景にした夜景もおすすめです。
まだ、見たことのない方は、ぜひ訪れてはいかがでしょうか。

【余談】
因みに、第11回アメリカ横断ウルトラクイズの優勝者は稲川さんという25歳の男性でしたが、凸版印刷株式会社の社員だったとか。
ん〜、やるな、印刷屋・・・・。

083 天潢之派

平成28年10月27日、三笠宮崇仁親王が100歳で薨去されました。
謹んで哀悼の意を表します。

このニュースが報道されたとき、ほとんどのメディアが「薨去」と報じました。
確か、昭和天皇が亡くなられた際は「崩御」と報じられていたはず‥‥。
なぜ表現が異なるのか、ちょっと調べてみました。

崩御(ほうぎょ)
日本の天皇陛下をはじめ、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、その他君主などが亡くなられたとき

薨御(こうぎょ)
皇太子や大臣が亡くなられたとき

薨去(こうきょ)
皇太子妃、親王、親王妃、内親王、または、*位階が三位(正三位・従三位)以上の方が亡くなられたとき

卒去(そっきょ、しゅっきょ) 王、女王、または、位階が四位(正四位・従四位)、五位(正五位・従五位)以上の方が 亡くなられたとき

*位階とは、長く官職にあった者や特に功績のあった者など付与される栄典の一つで、
第二次世界大戦以降は、故人にのみ与えられています。

これはなかなか難しいですね‥‥。

死去・逝去・永眠・他界・鬼籍に入る。
私のボキャブラリーはこの5つくらいでしたが、どれも皇室には使用しないんですね。
しかも、身分によって使い分けなければいけないところが、非常にデリケートだと感じます。
宮内庁のスタッフはこれら難解な用語がすべて頭に入っているとしたら、恐れ入りますね。

その宮内庁のホームページには「用語集」が掲載されています。
これもなかなかヘビーでしたが、とても興味深い内容でしたので、一部をご紹介します(http://www.kunaicho.go.jp/word/)。

・行幸(ぎょうこう)天皇が外出されること
・還幸(かんこう) 天皇が行幸先からお帰りになること

・行啓(ぎょうけい)皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されること。
・還啓(かんけい) 皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が行啓先からお帰りになること。

・行幸啓(ぎょうこうけい)天皇・皇后がご一緒に外出されること
・還幸啓(かんこうけい) 天皇・皇后がご一緒に行幸啓先からお帰りになること。

おそらく、「幸」や「敬」には皇族が外出されるという意味があるのでしょうね。
私の持っている漢和辞典には、掲載されていませんでしたが‥‥。

いずれにしろ、こういった使い分けが理解できたら、新聞記事が楽しくなるかも知れません。
眞子様や佳子様、愛子様がご結婚される際には、目新しい言葉が紙面を飾るでしょうから。
ちょっと勉強してみようと思っています。

【余談】
「鬼籍に入る」は、「はいる」ではなく、「きせきにいる」と読むのが正解です。

082 紫電清霜

20年以上前、カミさんと新婚旅行でハワイに行きました。
まずマウイ島に2泊したのですが、そのホテルに、何故か卓球台がありました。
滞在中、マリンスポーツもゴルフも全くせず、迷うことなくふたりで卓球に興じました。
足もとだけはハワイらしく、ビーチサンダルで。

カミさんは、中学で卓球部に所属。
私は、小学校の時、地元の児童館の代表に選出されたことがあります。
そんな血統のせいか、セガレは、中学入学後、卓球部に入部しました。

セガレはいわば卓球初心者ですから、最初は朝飯前にやっつけてやりました。
しかし、敵は上達の一途。
こちらは体力低下、反射神経鈍化、老眼と遠視の進行・・・・。
実力差が、徐々に危うい状況になってきました。

こうなれば、道具に頼るしかありません(この作戦はゴルフと一緒)。
本日、セガレのラケットのラバーを張り替えに行ったついでに、マイラケットを購入しました。
サイトを調べ、いろいろと模索した結果、選んだのは以下の通りです。

ラケットは、BUTTERFLYのKORBEL(コルベル)。
ラバーは、おもてがXION(エクシオン)のヴェガヨーロッパ1.8mm。
うらは、YasakaのマークV中厚。
サイドテープは、BUTTERFLYのRBプロテクター2。

どうですか、文句の付けようのないこのスペック。
まあ、ひとことで言えば、初心者向け(笑)。
しかも、セガレの学校の卓球部がお世話になっている卓球専門店のスタッフさんにすべてお任せ。
サイトを見ても、何を選べばよいのやら、あまりに種類が多くてさっぱり分かりませんでした。

My Racket

サイドテープの色が、ラバーの色と見事にマッチしていて、満足しています。
色なら素人でも選べますからね。

よし、ちょっと腹筋鍛えて、スクワットもやろう!
そして、このラケットでセガレをギャフンと言わせよう!!

【余談】
因みに、リオ五輪で大活躍した水谷隼選手のラケットは、ラバー込みで4万円以上。
しかも、ラバーは数日おきに張り替えるのだとか・・・・。

私のラケットは、税込み11,836円。
そして、ラバーが傷む頃、「オヤジじゃ相手にならない」なんて言われるんだろうなあ。

081 六根清浄

数多くの天神様を参拝させていただいた話の続きです。

天神様巡りは、セガレの入試合格祈願という、非常に明確な目的がありました。
従って、拝殿で手を合わせてご祈願することは、どこに行っても同じでした。

逆に言えば、東京近郊だけでも23ヵ所で同じ祈願をさせていただいた訳です。
ところ変わっても、神々が鎮まるその場所は、私をいつも落ち着かせてくれました。
参拝させていただいた天満宮は、すべて忘れ得ぬ存在になっています。

西新宿の成子天神社は、拝殿のすぐ左側に立派な高層マンションが建っています。
買い物帰りの主婦が、拝殿に一礼してから、マンションのエントランスに消えていきました。
天神様のお膝元で健やかに日々を過ごす・・・・。
将来、こんな環境で生活してみたいなあと、羨ましく思いました。
因みに、ここは御朱印も特徴的。
力強い墨が、隣のページや裏面を汚すこと必至です(笑)。

成子天神社御朱印

横浜の岡村天満宮は、人気デュオ・ゆずの出身地・横浜市磯子区岡村町に鎮座しています。
この神社は、ゆずが路上ライブをしている様子を描いた大きな壁画があることで有名です。
タテ2.7m、ヨコ5.4mのこの巨大壁画は、元々伊勢佐木町の松坂屋に設置されていましたが、店舗の閉鎖に伴い、ファンの存続の声に応える形で、ふたりの地元に移設されました。
正直、あまり本人たちには似ていませんが・・・・。

岡村天満宮

鎌倉の荏柄天神社は、鎌倉駅から徒歩20分ほどの住宅地にあります。
鶴岡八幡宮からは徒歩10分ほどですが、観光客の姿はさほど多くありません。
ここでは、前日までに申し込むと、受験当日、早朝祈祷をしていただけます。
受験当日の早朝・・・・。なんて有難いことでしょう。
「大神様のご祈願を受けているのだ」と感じて迎える試験の朝は、正に勇気百倍ですね。

荏柄天神社

調布の布多天神社では、参拝の記念にえんぴつを購入しました。
学業成就、進学祈願、祈合格と書かれたケースに入っている鉛筆には、こう刻まれています。
「朝に希望 昼に努力 夕に感謝」
・・・・心に染みます。

合格えんぴつは、ほかでも購入しました。
セガレの机の引き出しには、今もたくさん残っています。
北野天満宮、太宰府天満宮、湯島天満宮、荏柄天神社、布多天神社。
シャープペンしか使わなくなったセガレに代わり、私が譲り受けようと思っています。

合格えんぴつ

【余談】
某神社の一之鳥居脇の民家で、「菅原」という表札を見かけたことがあります。
天神様のとなりに住んでいる菅原さん。
神職の方なのか・・・・、ちょっとお目に掛かってみたい気がします。

078 無妄之福

今日10月1日は、都民の日です。

東京生まれ東京育ちの私にとって、都民の日は「お得な休日」という感覚でした。
カレンダーは赤く表示されていないのに、学校に行かなくていい日でしたから。

そして、「1日は休みか!」と直前に気付くことが多かった記憶があります。
「10月10日体育の日」に比べると、都民の日は忘れがちだったように思います。

まずは、制定の経緯を、東京都生活文化局のサイトから引用します。
(http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/keishou/0000000248.html)

「都民の日」のいわれは、明治時代にさかのぼる。
府県や市町村という地方制度は、明治11年の郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則という三つの法令をはじめ、同21年の市制町村制、同23年の府県制、郡制などの法令によってだんだん形作られた。そして同22年5月には、明治元年から置かれていた東京府の中に新たに東京市も誕生した。
しかし、この東京市は、京都、大阪の2市とともに、その誕生直前に公布施行された市制特例という法令によって、他の市にくらべて、市民の市政参加への道が大きく制限されていた。市は置かれたというものの、市長と助投の仕事は国が任命した府知事と府書記官が行い、また市投所の建物もなく市の職員もいないという制度だった。
こうした自治の制限に対し、市民の市政参加の道を広げようとする運動が市会を初め市民の間でねばり強く続けられた。そして明治31年になって、市制特例は廃止され、同年10月1日には、市会によって選ばれた市長をもつ新しい東京市が誕生し、市役所も開設された。この新しい東京市誕生の歴史を忘れないため、大正11年10月1日「自治記念日」に定められ、その後、自治の大切さを自覚しようという願いをこめて、昭和27年に「都民の日」となった。

すぐには理解しがたい社会状況ですね・・。時代を感じます。

調べてみると、東京都以外にも同様の日があるようですので、いくつか紹介しましょう。
(制定していない道府県が結構多いことも申し添えておきます。)

秋田県(8月29日・秋田県の記念日)
1871年8月29日、廃藩置県で秋田県が誕生したことに由来

群馬県(10月28日・県民の日)
1871年10月28日(旧暦)、廃藩置県で群馬県が誕生したことに由来

埼玉県(11月14日・県民の日)
1871年11月14日(旧暦)、廃藩置県で埼玉県が誕生したことに由来

山梨県(11月20日・県民の日)
1871年11月20日(旧暦)、甲府県が山梨県に改称されたことに由来

長野県(2月7日・長野の日)
1998年2月7日、長野オリンピック開会式が行われたことに由来

鳥取県(9月12日・県民の日)
1876年に島根県に編入されて消滅した鳥取県が、1881年9月12日に再び分離独立して、現在の鳥取県が誕生したことに由来

大分県(11月14日・県民の日)
1871年11月14日(旧暦)、廃藩置県で大分県が誕生したことに由来

沖縄県(5月15日・本土復帰記念日)
1972年5月15日、アメリカ軍政下にあった沖縄県が日本に復帰したことに由来

廃藩置県、オリンピック、本土復帰・・・・、様々な由来があるんですね。
しかし、東京都のように公立学校を休校にしているのは以下の5県のみです。

千葉県(6月15日)
群馬県(10月28日)
茨城県(11月13日)
埼玉県(11月14日)
山梨県(11月20日)

東京周辺に偏っているのは、偶然なのでしょうか・・。
せっかくなので、他県の記念日も学校が休みになればいいのに・・とも思います。

私は、横浜の大学に通っていましたが、神奈川県にはそもそも県民の日が制定されていません。
横浜市は、6月2日を開港記念日として市立の学校を休みにしていますが、国立大学には無関係。
都民の日っていいなあ、と強く感じたのは、大学生の時だったかも知れません。

因みに、今年の都民の日は土曜日ですから、来年は日曜日になります。
しかし、国民の祝日とは違うので、月曜日が振替休日にはなりません。
来年、都内の学生達は1日損をしたような気になるのでしょうね。

077 魯魚亥豕

魯魚亥豕(ろぎょがいし)。
字形が似ていて、書き誤りやすい文字のことを指します。

私の名前は「雅己」と書きますが、この「」は少ない画数の割に、厄介な漢字です。
」「」「」と似た字が3つあります。
三画目の書き始めが上だったり下だったり、挙げ句に真ん中もあるので面倒なのです。

因みにこの3つの漢字の読み方は、各々以下の通りです。(出典:http://kanji.jitenon.jp/)
(音読み)こ、き(訓読み)おのれ、つちのと
(音読み)い  (訓読み)すで(に)、や(む)、のみ、はなは(だ)
(音読み)し  (訓読み)

昔の人はこれらを区別して覚える工夫をしていたようです。
上記の読み方を念頭に置き、下の文を解釈してみて下さい。

こきの声、おのれつちのと下につき、いすでは半ば、しみは皆つく

おのれは下に、は上に、すでに・やむ・のみ中ほどにつく

先人たちはすこぶる風流ですね。

こうしてみると「み」と読ませるためには「」と書くべきなのかも知れません。
ひらがなの「こ」は、「」の草書体だそうですし・・。

ただ、私と同じパターンも結構見受けられます。
元読売ジャイアンツの投手・槙原寛さんは「ひろみ」。
タレントの松本伊代さんのご主人・ヒロミさんの本名は小園浩と書いて「ひろみ」。
元・光GENJIの諸星和さんは「かずみ」。

何故、こうしたことが起こったのでしょうか?
」は常用漢字ですが、「」は常用漢字でないことが要因なのでしょうか?

ネットには面白い意見もありました(投稿者不明)。

」には「自分」という意味があります。
「自ら」の語源は「身・づ・から」で、「実践躬行」の「躬」も「み」と読みます。
つまり「」は「自分自身」という意味で「み」と読めるのです。

ん・・、結局、理論的に説明はできません・・。

なお、私の父は克(かつみ)といいます。
ちょっとあり得ない気もするのですが「」です。
聞いたところでは、戸籍と住民票と保険証の字が全部異なっていたそうで、戸籍に記載されている漢字が正しいとの原則に則り、「」に統一したとか。
昔は全て手書きでしょうから、この類いの混乱は珍しくないと思います。

こんなにややこしい漢字ですから、私も、日常的に間違いに遭遇します。
「雅」と書かれることには、かなり慣れました。

しかし、友人の一人が、毎年年賀状の宛名を「雅美」と印字してきます。
それから以前、ゴルフコンペの出走表に「雅光」と書かれたことがあります。
この2件は、「」とか「」とかの問題ではないですからね。

特に小学校の友人のN君。
長い付き合いなんだから、いい加減「雅美」は直して欲しいですね(笑)。